ジョージ・オーウェル

スペイン戦争を振り返って 第七章


スペイン戦争のことを考える時には二つの思い出が必ず頭に浮かぶ。ひとつはリェイダの病院の大部屋のもので、負傷した民兵が歌うある歌のひどく悲しげな声だ。その歌は次のような繰り返しで終わる。

UNA RESOLUCION,
LUCHAR HAST' AL FIN!

(断固として
最後まで戦い抜く!)

そう、まさに彼らは最後まで戦い抜いたのだ。あの戦争の最後の十八ヶ月の間、共和派の軍隊はタバコも、ごくわずかな食料もほとんどない状態で戦うことを余儀なくされた。一九三七年の中頃に私がスペインを離れた時でさえ、肉とパンは乏しく、タバコはめったに手に入らず、砂糖はまず手に入らないものになっていた。

もうひとつの思い出は衛兵の詰め所で握手したイタリア人の民兵のものだ。それは私が民兵組織に加わった日のことだった。この男についてはスペイン戦争についての私の作品(カタロニア讃歌)の冒頭で触れたので、そこで語ったことを繰り返そうとは思わない。彼の使い古された制服と決意を秘めた哀れみを誘う無垢な顔を思い出すと……なんと鮮明に思い出せることか!……この戦争の複雑な二義的問題は消えていくように思え、少なくともどちらの側が正しいのかについては何の疑いも無いことがはっきりと理解できるのだった。武力外交と虚偽報道があったにせよ、あの戦争の中心的争点は自らの生まれ持った権利であると確信しているまっとうな生活を勝ち取ろうというこうした人々の態度だったのだ。このひとりの男がどのような結末を迎えたのかを考えるといくらかの胸の痛みを感じずにはいられない。彼と出会ったのはレーニン兵舎だったから、彼はおそらくトロツキストか無政府主義者だったはずだ。現代における特異な状況ではこうした種類の人々は普通、ゲシュタポではなくGPUGPU:ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部附属国家政治局。チェーカーから改編された組織。OGPUの前身。によって殺されるのだ。しかしそれは長期的視点に立った争点に影響を与えることはない。ほんの一、二分しか見ていないこの男の顔は、この戦争が本当は何を争っているものなのかについての一種の視覚的メモとして私の中に残っているのだ。私にとって彼が象徴するのはヨーロッパの労働階級の最良の模範、あらゆる国々の警察によって責め立てられる者たち、スペインの戦場にある集合墓地に埋められた人々、そして現在においては強制収容所で朽ち果てつつある数百万の人々の声なのだ。

ファシズムを支持している、あるいは支持していた人々全員について考えるとその多様性に呆然と立ち尽くすことになる。なんという一団か! ひとつの構想を思い浮かべて欲しい。その構想によって少なくともしばらくの間はヒトラー、ペタン、モンタギュー・ノーマンモンタギュー・ノーマン:イギリスの銀行家。イギリス中央銀行の総裁を務めたが、ヒトラー、ナチスの支持者であることで知られていた。、パヴェリッチパヴェリッチ:アンテ・パヴェリッチ。クロアチアの軍人、政治家、独裁者。、ウィリアム・ランドルフ・ハーストウィリアム・ランドルフ・ハースト:アメリカの新聞発行人、シュトライヒャーシュトライヒャー:ユリウス・シュトライヒャー。ドイツの政治家、ジャーナリスト。ナチス党員として反ユダヤ主義のシュテュルマー紙を発行。、バッチマンバッチマン:フランク・バッチマン。アメリカのプロテスタント・キリスト教伝道者。反共主義者として知られる。、エズラ・パウンドエズラ・パウンド:アメリカ出身でイタリアで活動した詩人、音楽家、批評家。ムッソリーニ支持と反ユダヤ主義によって知られる。、フアン・マルシュフアン・マルシュ:フアン・マルシュ・オルディナス。スペインの実業家。スペイン内戦ではナショナリスト派を支援した。、コクトーコクトー:ジャン・コクトー。フランスの詩人、作家。ここで名前を挙げられているのはヴィシー政権下のフランスででナチス・ドイツに対して協力的に振る舞ったためか。、ティッセンティッセン:フリッツ・ティッセン。ドイツの実業家。ナチスの最大のパトロンだった。、カフリン神父カフリン神父:チャールズ・カフリン。アメリカ合衆国のカトリック教会神父で、反共主義者と反ユダヤ主義者。、エルサレムのムフティーエルサレムのムフティー:パレスチナの汎アラブ主義者であるアミーン・フサイニーを指す。イギリス委任統治下のパレスチナでユダヤ教徒の襲撃・殺害を指揮、その後イギリスの協力を得てエルサレム大ムフティーの地位に就く。ムフティーは「イスラム法学者」を意味する。、アーノルド・ラン、アントネスクアントネスク:イオン・ヴィクトル・アントネスク。ルーマニアの軍人、政治家。ドイツに協力してルーマニア国内に住むユダヤ人を強制収容所へ移送した。、シュペングラーシュペングラー:オスヴァルト・シュペングラー。ドイツの文化哲学者、歴史学者。、ビバリー・ニコルズビバリー・ニコルズ:イギリスの著述家、ジャーナリスト。、ヒューストン婦人ヒューストン婦人:イギリスの慈善家、政治活動家、婦人参政権論者(サフラジェット)、マリネッティマリネッティ:フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ。イタリアの詩人、作家、ファシスト。といった人々全員を同じ船に乗り込ませることができたのだ! しかし実のところ手がかりとなるのは非常に単純なことだ。彼らは何か失うものを持った人々か、階級社会を切望した人々であり、自由で平等な人類の世界という展望を恐れていた。「神無き」ロシアや労働階級の「物質主義」について語るあらゆるやかましい宣伝の背後には、しがみつくべき金銭や特権を持った彼らの実に単純な目的が横たわっていたのだ。同じことは、そこに部分的な真実が含まれているにせよ、「心のあり方の変化」をともなわない社会改革の無価値さについて語る議論の全てについても言える。ローマ法王からカリフォルニアのヨガ行者まで、信心深い者たちは「心のあり方の変化」をおおいに重視し、自らの考えに基づいてそれらが経済システムの変化よりもずっと重要であるとしている。ペタンはフランスの敗北を民衆が「享楽を愛した」結果であるとしている。これを正しい考えであるとするにはペタンの生活と比較してフランスの普通の小作農や労働者の生活にどれほどの享楽があったかについて思考することを止める必要があるだろう。労働階級の社会主義者に対してその「物質主義」を理由に説教を垂れるこうした政治家や司祭、文士、そしてその他の人々のなんと厚かましいことか! 労働者が要求しているのは他の者たちであれば必要最小限と考えるであろうもの、それ無しではとうてい人間らしい生活を送れないと考えるであろうものに過ぎないのだ。十分な食事、つきまとう失業の恐怖、自分の子供が公平な機会を得るための知識、一日一回の入浴、合理的な頻度での洗濯、雨漏りのない屋根、一日が終わったときに少しの気力が残せるだけの労働時間の短縮。こうしたもの無しで生活を営めると考える者は「物質主義」反対を説く者たちの中にはひとりとしていないだろう。そして私たちがたった二十年間、この問題に取り組むことを選べば、どれほどたやすくこの最小限度のものが達成できることか! 全世界の生活水準をイギリスと同じところまで向上させることは私たちが現在戦っているこの戦争よりずっと大変な仕事というわけではないはずだ。放っておけば何ひとつ解決しないと主張するつもりはないし、それを実現するのが誰なのかもわからない。ただ、人類にとっての本当の問題に取り組めるようになる前に欠乏と非人間的な労働は廃絶されなければならないというだけのことだ。現代における主要な問題は個人の不死という信念の衰退であるが、それは平均的な人間が牛のようにあくせくと働かされたり、秘密警察の恐怖に震えたりしている間は扱うことのできないものなのだ。労働階級の者たちが「物質主義」に染まっていることがどれほど正しいことか! 彼らが価値という尺度ではなく時間という点で、魂の前に胃袋を優先すべきことに気がついていることがどれほど正しいことか! それらを理解すれば、私たちが耐えている長い恐怖が少なくとも理解できるものにはなる。あらゆる考察はあるひとつのことについて言葉を濁しがちである……ペタンやガンジーによる誘惑の声、戦うためには自らの品位を投げ捨てる必要があるという逃れられない事実、イギリスのはっきりしない道徳的立ち位置、その民主的な言葉と苦力の帝国、不吉なソビエト・ロシアの発展、左派による権力闘争の見下げ果てた茶番……これら全てを少しずつ消していくと、そこに見えてくるのは次第に目覚めつつある民衆による、資産を持つ貴族と彼らが雇った嘘つきやおべっか使いとの闘争だけなのだ。質問は実に単純なものである。あのイタリア人兵士のような人々は今や技術的に実現可能なまっとうで完璧に人間的な生活を送ることを許されるのか、そうではないのか? 民衆は泥の中へ押し戻されるのか、そうではないのか? 十分な根拠があるとは言えないだろうが私自身は遅かれ早かれこの戦いは勝利に終わるだろうと信じている。しかしそれが遠い先ではなく近い未来……つまり次の千年のどこかではなく、次の百年のどこか……であって欲しいと思っている。これこそがスペイン戦争、今まさにおこなわれている戦争、そしておそらくはいまだ始まっていないそれら以外の戦争の本当の争点なのだ。

あのイタリア人の民兵を再び目にすることはなかったし、その名前もわからない。彼が死んでいることはまず間違いないだろう。二年ほど前、あの戦争で敗色が濃厚になった時、私は彼の思い出について次のような詩を書いた。

イタリア人兵士は私の手を握った
衛兵の詰め所のテーブルの横で
力強くも繊細な手だった
実に有能な者の手

銃声の中の出会い
しかし、ああ! なんという心の安らぎ
彼の傷だらけの顔を見つめる
どんな女よりも無垢だった!

私の口から飛び出す腐った言葉にも
彼の耳は清いままだった
私が本からゆっくりと学んできたことも
彼には生まれつき知っていたことだった

銃が信用ならないのはわかりきったことで
私たちは二人ともそれを受け入れていた
しかし私の手にしたまがい物の金塊は本当に金でできていたのだ……
ああ! 誰がそんなことを想像しただろう?

君に幸あらんことを、イタリア人兵士よ!
しかし勇敢であろうと必ずしも幸運は手に入らず
世界は君に何を返すだろう?
それは決まって与えたものより少ないのだ

影と亡霊のあいだで
白と赤のあいだで
銃弾と嘘のあいだで
どこに頭を隠せるだろう?

マニュエル・ゴンザレスはどこに?
ペドロ・アギラルはどこに?
ラモン・フェネロッサはどこに?
彼らの場所を知るのはミミズだけ

骨が乾く前に
その名と行いは忘れ去られた
君を殺した嘘は
さらなる嘘の下に埋め隠される

しかし私が君の顔に見たものは
どんな権力も奪うことのできないもの
どんな爆弾も決して砕くことのできない
水晶の精神

1943年
New Road

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