バンゴーからの汽車の旅, ジョージ・オーウェル

バンゴーからの汽車の旅


かつて世界で最も人気のあった作品のひとつであるヘレンの赤ちゃん……大英帝国内だけで二十の出版社から海賊版が出版されたため、数十万冊、あるいは数百万冊とも言われる売り上げから著者が受け取った総額は四十ポンドだった……の再刊は三十五歳以上の文学に通じた人であれば誰しも感慨深い出来事だろう。この現在の版は完璧に満足のいくものというわけではない。場違いな挿絵が付けられた安っぽい小さな本で、アメリカ訛りの言葉のいくつかが取り除かれ、初期の版では合わせて掲載されることの多かった続編、他の人々の子供たちは収録されていない。しかしそれでもヘレンの赤ちゃんが再び出版されるのを目にするのは喜ばしいことだ。最近ではめったに目にすることができなくなっていたし、アメリカ作品の数少ないコレクションの中の最良の一冊であり、今世紀の始まりに生まれた人々はそれに慣れ親しんで育ったのだ。

子供の頃に読んだ作品、そのほとんど全ては良い悪書だろうが、それらは読者の頭の中に、ある種の間違った世界地図、架空の国々を作り上げ、残りの人生を通して人はときおりそこに逃げ込むことができるようになる。時にはモデルであろう現実の国を訪れた後でもそれが消えないことさえある。パンパスパンパス:アルゼンチンやウルグアイに見られる乾いた広大な温帯草原、アマゾン、太平洋の珊瑚諸島、ロシア、白樺とサモワールサモワール:ロシアなどのスラブ諸国、イラン、トルコなどで湯を沸かすために使用される伝統的な金属製容器、給茶器。の土地、ボヤールボヤール:スラブ諸国にかつて存在した貴族階級と吸血鬼の住むトランシルバニア、ガイ・ブースビーガイ・ブースビー:十九世紀の後半に活躍したオーストラリアの作家で、雑誌で多くのフィクション小説を書いた。の描く中国、デュ・モーリエデュ・モーリエ:二十世紀のイギリスの小説家。アルフレッド・ヒッチコックの映画「鳥」の原作者としても知られる。の描くパリ……まだまだ続けることができるだろう。しかし人生の早い時期に私が手に入れたもうひとつの想像上の国はアメリカと呼ばれていた。現実に存在するそれを意識して脇に除け、「アメリカ」という言葉に思いを巡らせて子供の頃に頭に描いていたそれを思い出すと、二つのイメージが浮かんでくる……もちろん色々なものが混ざり合ったイメージで、その細部の大半は忘れてしまっている。

ひとつは白い石造りの教室に座るひとりの少年のものだ。ズボンつりを付けていてシャツには継ぎが当てられ、季節が夏であればはだしである。教室の隅には飲み水用のバケツと柄杓がある。少年は農場の家に住んでいてそれもまた白い石造りだ。その家は抵当に入れられている。彼は大統領になることを目指していて、そうなれば薪に困ることもないはずだと考えている。このイメージの背景のどこかには、ひどく威圧的な巨大な黒い聖書がある。もうひとつのイメージは背の高いやせた男のもので、男は形の崩れた帽子を目深にかぶり、木製の杭にもたれて杖を削り出している。その下あごはゆっくりと、しかし絶え間なく動いている。とても長い間をおいて彼は「女ってのは一番強情な生き物だ、ラバは『勘定外』だがな」だとか「何をすべきかわからない時は何もするな」といった警句を口にするが、前歯の隙間からタバコで汚れた唾を飛ばす方がずっと多い。この中間、これら二つの光景を足し合わせたものが私の最も初期のアメリカの印象だ。そしてどちらかと言えばこの二つの内の最初のものが……思うにそれはニューイングランドのもので、もう一方は南部のものだろう……より強く私の心に残っている。

こうした光景の出所となった作品にはもちろんトム・ソーヤアンクル・トムの小屋といったまだしも真剣に受け取ることのできる作品も含まれているが、最も豊かなアメリカの雰囲気は今ではほとんど忘れられてしまった無名な作品にこそ見つかる。例えば、サニーブルック農園のレベッカをいまだに読んでいる者はいるだろうか。メアリー・ピックフォードを主役にして映画化できるほど広く息の長い人気があった作品だ。あるいはスーザン・クーリッジの「ケイティ」シリーズ(ケイティが学校でやったことなど)はどうだろうか。これは少女小説で、そのためにいやに「感傷的」だが、そこには異国の魅力がありはしないだろうか? ルイーザ・メイ・オルコットの若草物語続若草物語はまだときおり版を重ねていると思うが、いまだに熱心な読者がいることは間違いない。子供の頃、私はこの両方を愛していたが三部作の三作目である第三若草物語はあまり気に入らなかった。「罰はあなたを傷つける以上に私を傷つける」という原則に従って、最もひどい罰が教師を強く打たなければならないことであるという模範校を理解するのはひどく難しいことだったのだ。

ヘレンの赤ちゃんは多くの点で若草物語と同じ世界に属している。出版されたのもおおよそ同じ時代であることはまず間違いない。当時はアートマス・ウォードアートマス・ウォード:十九世紀前半のアメリカのユーモア作家であるチャールズ・ファラー・ブラウンのペンネーム、ブレット・ハートブレット・ハート:十九世紀のアメリカの短編小説家、詩人、そしてさまざまな歌や賛美歌、バラッド、加えて「バーバラ・フリッチ」(「そうしなければならないのなら、この老いぼれの白髪頭を打ちぬくがいい、だけどおまえさんの国の旗にはそうしないどくれ」と彼女は言った)や「テネシーの小さなギフォード」といった南北戦争を題材にした詩があった。他にも言及するほどの価値がほとんど無いように思われる平凡な作品、あるいは雑誌に連載されていた物語もある。それらの内容で今、私が思い出せるのは農場の古い家屋は決まって抵当に入れられているものだ、ということだけだ。また、すてきなジョーだとか黒い美女へのアメリカからの返信といったものもあった。これらについては六ペニーボックスを探ればその一冊を探し当てることができるだろう。ここで私が述べた作品は全て一九〇〇年よりずっと以前に書かれたものだが、アメリカに特有の雰囲気とも言うべき何かは今世紀に至っても残り続けている。例えばバスター・ブラウンはそれによって彩りを添えられているし、ブース・ターキントンの「ペンロッド」シリーズさえもそうだ。これが書かれたのは一九一〇年頃のはずである。おそらくアーネスト・トンプソン・シートンの動物記(私の知る野生動物など)にもその色合いとも言うべきものがあったはずだ。今ではそうした雰囲気は消えてしまっているが一九一四年以前の子供は間違いなく、それ以前の世代の子供が誤解誤解:フローレンス・モンゴメリーによる児童向け文学作品を読んで涙したのと同じようにそれに涙したはずだ。

いくらか後になると十九世アメリカに対する私のイメージはある歌によってずっと正確なものになった。この歌は今でも非常によく知られているもので(私が考えるところでは)スコットランドの学生のための歌集で見つけることができるはずだ。常のごとく、この本の無い時代において私はその本を手に入れることができないので記憶から断片的に引くほかない。出だしはこうだ。

バンゴーからの汽車の旅
東部の鉄道に揺られ
狩りの日々に肌は焼け
メイン州の森の中で
頬のひげはのび放題
あごひげ、口ひげもそれと同じ
横に座るは学生の道連れ
背高くやせて、しゃれた装い

この後、老夫婦と「美しく、小柄」と描写される「村の娘」が客車に入ってくる。たくさんの石炭の燃え殻があたりを舞い、やがてそのひとつが学生の道連れの目に入る。村の娘がそれをとってやると老夫婦はなんて破廉恥だとそれに驚く。この出来事のすぐ後で汽車は長いトンネルに入り、あたりは「エジプトの夜のように真っ暗」になる。再び汽車が日の光の下に現れると娘は顔を真っ赤にしていて、彼女の戸惑いの原因が次のように明らかにされる。

そこに現れたるは
小さなイヤリング
なんと学生のあごひげの中!

この歌が作られた年代を私は知らないが、昔ながらの汽車の様子(客車に照明が無く、石炭の燃え殻が目に入ることがありふれた出来事なのだ)はそれが十九世紀のかなり古い時期に属していることを示している。

この歌とヘレンの赤ちゃんのような作品との間をつなぐのはまず第一にある種の甘い純潔さだ……クライマックスの少しばかり驚かされるであろう出来事は何か現代的でみだらな行為……みだらな行為が起きたであろうことの暗示……だ。二番目は、いくらか文化的に気取った態度とないまぜになった言葉づかいに見られるかすかな下品さだ。ヘレンの赤ちゃんはユーモア作品、さらに言えば滑稽小説として書かれているが、終始「趣味の良い」だとか「しとやかな」といった言葉にまとわりつかれ、その面白さは主としてわざとらしい上品さを背景に起きる小さな災難によるものだ。「美しい顔立ちに知的な雰囲気、落ち着きはらって趣味の良い服に身を包み、浮気の疑いや気だるい暮らしぶりの女性とはまったくの無縁。私の毎度の誉め言葉にも目を見開くのがせいぜい」……例えばこれがヒロインの描写である。別の個所では「姿勢が良く、清潔感があって小綺麗で、落ち着いている。明るい目をしていて色白で、にこやかに気配りをしている」と人物描写されている。今では消えた世界の美しい気配を次のようなせりふから見て取ることもできる。「昨冬の聖ゼファニヤ祭で花飾りを手配してくれたのはあなたでしょう、バートンさん? あちら様はあの季節で一番のすてきな飾りつけでした」。しかし「あちら様'twas」やその他の古めかしい言葉……座ることを「座すparlour」、寝室を「寝屋chamber」など……を使っているにも関わらず、この作品には時代遅れなところがたいしてなく、この作品を称賛する者の多くはそれが一九〇〇年あたりに書かれたものだろうと想像している。実際にはこの作品が書かれたのは一八七五年だ。この事実は内容に見られる証拠からも推測できるだろう。二十八歳の主人公は南北戦争の退役兵なのだ。

この作品はとても短く、物語はシンプルなものだ。若い独身男性が姉に言われて、彼女とその夫が二週間の休暇に出る間、彼女の家と五歳と三歳の二人の息子の面倒をみることになる。子供たちは池に落ちたり、毒になるものを飲み込んだり、鍵を遠くに投げ捨てたり、カミソリで怪我したりといった振る舞いを絶えずおこなって彼を発狂させかけるが、同時に「一年近く、私が遠くから恋焦がれている若くかわいらしい女性」への求婚の手助けもしてくれる。こうした出来事が繰り広げられるのはニューヨークの郊外、現代から見ると驚くほど静かでよそよそしく、内にこもったように見える、現在の尺度からすると非アメリカ的な社会だ。そこではあらゆる振る舞いが礼儀作法に支配されている。帽子を斜めにかぶったまま女性が大勢乗った客車を通るのは心苦しいことであり、教会で知り合いをそれと認めるのは下品なことで、求婚から十日で婚約するのは深刻な社会的過ちだとされている。私たちはアメリカ社会はもっとずっとおおざっぱで向こう見ずなもので、文化的に言えば私たち自身の社会よりもずっと民主的だという考えに慣れ親しんでいる。マーク・トウェイン、ホイットマン、ブレット・ハートといった作家、また言うまでもなく週刊雑誌に掲載されたカウボーイや赤肌のインディアンの物語から、伝統も、特定の土地への愛着も持たない変人やならず者の住む無秩序な荒野の世界のイメージを描いてしまうのだ。十九世紀アメリカのそうした側面は確かに存在するのだが、比較的人口の多い合衆国東部ではジェーン・オースティンの描くものとよく似た社会がイングランドよりもずっと長く残っていたように見える。そして、それはその世紀の後半の唐突な工業化によって生じたものよりもかなりましな部類の社会だったのではないかと感じずにはいられない。ヘレンの赤ちゃん若草物語に出てくる人々は多少は変わり者かもしれないが、堕落とは縁遠い。彼らはいわば品位、あるいは優れた道徳とでも言うべき何かを持っていて、それは部分的には身に染みついた信心深さを基礎としている。皆で日曜日の朝には教会に行き、食事の前には神への感謝を口にし、寝る前にお祈りをすることは当然のこととされている。子供たちを楽しませるために聖書に出てくる話をし、歌をねだられれば歌われるのは「栄光あれ、栄光あれ、ハレルヤ栄光あれ、栄光あれ、ハレルヤ:アメリカ合衆国の愛国歌であり、南北戦争での北軍の行軍曲であるリパブリック讃歌の歌詞」の歌詞だろう。この時代の大衆文学で死についておおいに言及されていることはおそらく精神的な健康さの現れだ。バッジとトディの弟である「赤ん坊のフィル」はヘレンの赤ちゃんが幕を開ける少しばかり前に死んでいて、その「小さな棺」については何度も感傷的に言及される。現代の作家でこうした種類の物語を書こうとする者は棺について触れようとはしないだろう。

イギリスの子供たちは映画によって今もアメリカ化されているが、一般的に言えばアメリカの本が子供たちにとって最適なものであるとはもはや主張することはできないだろう。邪悪な教授が地下の研究室で原子爆弾を作っているようなカラーの「コミック」で誰が不安を覚えずに子供を育てられるだろうか? そこでは雲を突き抜けてスーパーマンが飛び、機関銃の弾丸はえんどう豆のようにその胸で弾き返され、プラチナブロンドの髪の女性が鋼鉄のロボットや五十フィートの恐竜にレイプか、それに近いことをされるのだ。スーパーマンは聖書や「薪の山薪の山:アメリカの詩人ロバート・フロストの詩「The Wood-Pile」を指したものか」とは程遠い。以前の子供向け作品、あるいは子供が読むことのできる作品は無邪気なだけでなくある種の自然な快活さ、軽快さ、屈託のない雰囲気を持っていた。それはおそらくは十九世紀アメリカが謳歌していた前代未聞の自由と安全の産物だったのだ。これこそが若草物語ミシシッピの生活といった遠く離れているように見える作品の間をつなぐ連環なのだ。一方で描写される社会は落ち着いた、堅苦しく、家庭的なもので、他方は強盗や金鉱掘りや決闘、酒飲みや博打打ちの狂乱の世界を描いている。しかしどちらからも、根底に横たわる未来に対する信頼、自由とチャンスの感覚を見て取ることができるのだ。

十九世紀アメリカは豊かで世界の主流的出来事の外にあった空白の国だった。そこでは現代の人間のほとんど全てにつきまとう双子の悪夢、すなわち失業の悪夢と国からの干渉の悪夢がほとんど存在し得なかった。現在のそれよりもずっと明白な社会区分と貧困(憶えているだろうが若草物語では一家は一度困窮し、少女のひとりが自分の髪を理髪師に売る)は存在したが、現在のようにそこら中に広がる無力感は存在しなかった。全員のためにチャンスが残されていて、懸命に働けば暮らしていけるという確信……さらには金持ちになれるという確信さえ持てたことだろう。これが広く信じられ、人々の大部分について言えばだいたいにおいて真実でさえあったのだ。言いかえれば十九世紀アメリカの文明は最も好ましい段階の資本主義文明だったのだ。南北戦争が終わって間もなくすると避けがたい荒廃が始まった。しかし少なくとも数十年の間、アメリカでの生活はヨーロッパでのそれよりもずっと好ましく楽しいもので……事件や色彩、多様性やチャンスにあふれていた……その時期の本や歌はいわば花盛りの、子供らしい資質を持っていたのだ。私が思うにヘレンの赤ちゃんやその他の「ライト」な文学の人気の理由はそこにあり、それゆえに三、四十年前のイギリスの子供はアライグマやウッドチャック、シマリス、ジリス、ヒッコリーの木、スイカやその他の見慣れないアメリカの風景の断片に関する聞きかじりの知識とともに育つことを当然のように受け入れていたのだ。

1946年11月22日
Tribune

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オーウェル評論集4: 作家とリヴァイアサン
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