ライオンと一角獣:社会主義とイギリスの特質 第一部「イングランド、あなたのイングランド」, ジョージ・オーウェル

第六章


過去二十年間で最も重要な進歩のひとつは中流階級が上へも下へも拡大したことだった。これは古い社会階級を資本家、プロレタリアート、プチ・ブルジョワへと変えて、ほとんど廃れさせるほどの規模で起きた。

イングランドは資産や財力がごく少数の者の手中に集中している国である。現代のイングランドではごく少数の人々がほとんど全てを所有している。例外は衣服や家具、そして恐らくは家屋だけだ。小作農ははるか昔に消え、独立した商店主は廃絶させられている最中で、小規模事業者も減少していっている。しかし同時に現代的な産業は非常に複雑化し、膨大な数の管理者、セールスマン、エンジニア、化学者やあらゆる種類の技術者無しではやっていけない状態で、そのために巨額の賃金を支払っている。同じことは医者や弁護士、教師、芸術家などの専門職階級についても言える。こうして高度資本主義の持つ傾向は中流階級を押し広げていったのであり、かつて思われていたようにそれを一掃したりはしなかった。

しかしそれよりずっと重要なのは中流階級的な理想と習慣が労働者階級にまで広がったことだ。現在ではイギリスの労働者階級は三十年前に比べてほとんどあらゆる点で良好な状態になっている。これは一部には労働組合の努力のおかげだが、一部には物理科学の全くの進歩のおかげだ。相応の実質賃金の上昇なくしては一国の生活水準の向上は極めて限られたものになることは必ずしも理解されていない。ある一定点までは文明は自分自身で自分自身を持ち上げることができるのである。不公正な社会が組織されていようとも一定の技術進歩は必ずコミュニティー全体の利益になる。なぜならある種の財産は必ず公によって所有されるからだ。例えば大富豪であろうとも街灯の光を自分だけに浴びせて他の人々を照らさないようにすることはできない。文明化された国々のほとんど全ての市民は現在では整備された道路や清潔な水、警察による保護、無料の図書館、そして名ばかりの無料教育を享受している。イングランドにおける公教育はみすぼらしい金欠状態だが、それでも、教師の献身的な努力によって大きく改善されて読書の習慣は非常に広く行き渡った。裕福な者と貧しい者が同じ本を読む傾向は増してゆき、また両者は同じ映画を見て同じラジオ番組を聞くようになった。そして安価な衣服の大量生産と住宅の改良によって両者の生活の違いは減っていった。外観について言えば裕福な者と貧しい者の違いは、とりわけそれが女性の場合には、三十年前、さらには十五年前と比べてもずっと少なくなっている。住宅について言えばイングランドには未だ文明の汚点であるスラム街があるが、多くの建物はここ十年の間に建てられたもので、その大部分は地方自治体によるものだ。浴室と電灯のついた現代的な公共住宅は株式仲買人の別荘よりは狭いが同じ種類の住宅として判別できる。これは農場労働者の小屋ではあり得ないことだ。公共団地で育った人物はスラム街で育った人物よりも――その外見はもちろん――ずっと中流階級的な物の見方をする可能性が高い。

これら全ての変化による影響が全体的な立ち居振る舞いの柔軟化だ。現代産業の取る方式が決まって必要となる筋力の少ないやり方、従って一日の仕事が終わった後に残されたエネルギーが多くなるやり方になりがちなことによってこれは強められている。軽工業に関わる多くの労働者は医者や食料雑貨店主よりも間違いなく非肉体労働者的である。趣味嗜好、習慣、立ち居振る舞い、物の考え方において労働者階級と中流階級はひとつにまとまりつつある。不公正な区別は残っているが、現実的な違いは減っているのだ。昔ながらの「プロレタリア」……襟なし服、無精ひげ、重労働によってゆがんだ筋肉……はまだ存在しているが、その数はずっと減り続けている。彼らが優勢なのはイングランド北部の重工業地帯だけである。

一九一八年以降、それまでのイングランドには存在しなかったものがその姿を現し始めた。社会階級をはっきりと特定できない人々だ。一九一〇年であれば、その衣服や立ち居振る舞い、アクセントによってこの諸島にいるあらゆる人間を「判別」できた。もはやこうしたことはできない。安価な自動車と南への産業の移動によって発達した新しい行政区ではとりわけその傾向が強い。軽工業地帯と幹線道沿いは未来のイングランドの兆しを見つけられる場所である。スラウやダゲナム、バーネット、レッチワース、ヘイズ……そう、大都市郊外の全てである……古い類型は次第に新しいものへと変化している。こうした地域では広大で新しいガラスとレンガの平野が広がり、古くからある街とくっきりと一線を画している。古くからの街にあるスラム街や邸宅、田舎であればある荘園邸宅や荒れ果てた小屋はもはや存在しない。所得には幅広い明暗があるが同じ様な生活がさまざまな段階に応じて営まれている。省力建築アパートや公共住宅で、コンクリート舗装の道路沿いで、むき出しの一般向け水泳プールで。それは実にせわしない素朴な生活で、その中心にあるのは缶詰料理、ピクチャーポスト誌、ラジオ、内燃エンジンだ。これこそが子供たちがその中で育つ文明であり、そこでは高圧磁石発電機マグネトーに関する詳細な知識が教えられ、聖書は完全に無視されるのである。こうした文明に属する最もそこに適応し、最も現代世界的である人々が技術者や高給取りの熟練労働者、パイロットや航空整備士、ラジオの専門家、映画プロデューサー、人気ジャーナリストや工業化学者だ。彼らが属しているのは、崩れ始めた古い階級区別のどこにあたるのか特定できない階層である。

私たちが負けなければの話だが、今回の戦争は既存の階級特権のほとんどを一掃するだろう。それが維持されることを望む人間は日を追うごとに少なくなっている。イングランドでの生活の変化によってイングランド固有の趣きが失われることを恐れる必要はない。大ロンドンの新しい赤い市区は実に未熟だが、こうしたことは変化にともなう発疹に過ぎない。戦争によってイングランドがどのような形に変わるのであれ、そこには私が先に述べたような特徴の深い色合いが現れることだろう。それがロシア的、あるいはドイツ的なものになることを望んでいる知識人たちは失望することになる。その穏やかさ、偽善性、分別の無さ、法への敬意、制服への憎悪はスエット・プディングと曇り空と共に変わらず続くだろう。国民文化を破壊するには外国の敵対勢力による長期間の征服といった何か非常に大規模な惨事が必要なのだ。証券取引所は解体され、馬耕はトラクターに道をゆずり、田舎の邸宅は子供の行楽地へと変わり、イートン校とハロー校の対抗戦は忘れ去られるだろうが、イングランドは変わらずイングランドのままだ。それは全ての生き物がそうであるように過去から未来へと続く変わることのない生き物であり、原型を留めないほど変化する力を持ちながら、それでもなお同じものなのだ。


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