牧師館の娘 デーヴィッド・ハーバート・ローレンス

第一章


オールドクロスの村に初めて来た牧師は、リンドリー師だった。この小さな村里の家々は、建てられた当初からしばらくは、静かな安息に包まれていて、村人たちは、陽光の注ぐ日曜日になると、田舎道を辿り、田畑を越え、二、三マイルの道のりを歩いて、グレイミードの教区教会へ通っていたのだった。

ところがやがて、その地に炭坑が掘られ、はやばやと街道沿いに住居の列が建ちならび、そこへ、身持ちの定かならない野卑な労働者たちの、もっとも碌でもない連中が、住み着くようになると、かつての村里と村人たちの気配は、ほとんど跡形もなく消え去ってしまった。

この新たに住み着いた炭坑夫たちの便宜のために、教会を、オールドクロスに建てる必要が出てきた。さして費用をかけることはできなかった。そんなわけで、街道沿いの住宅の列からできるだけ離れた、村の家々と林檎の樹々の傍の空き地に、まるで石とモルタルでできた鼠が背を丸めるみたいに、西の端に二本の小塔を耳のように備えた、小さな建物が、うずくまって建つ仕儀となった。それはどこかしら不安げで、怖じ気づいた恰好をしていた。人々は葉の大きなキヅタを植えて、その教会の、怖れ縮かんだ、ぎこちない見た目を隠そうとした。今では、小さな教会は、蔦の緑に埋もれて、眠っているように、取り残されたように、空き地の真中に建っていて、他方、炭坑夫たちの白い煉瓦造りの家群は、だんだんに伸び広がり、教会の傍へも押し入るようになり、今にも教会を圧し潰すかのように迫っていた。早くも教会は廃れつつあった。

エルネスト・リンドリー師は、結婚したばかりの、二十七歳の時分、サフォークでの副牧師の職を離れ、牧師として一つの教会を受け持つため、オールドクロスへやって来た。彼はケンブリッジで聖職叙任した、いたって平凡な若者だった。彼の妻は、ケンブリッジ州の教区司祭の娘で、自尊心の強い女だった。その父親は年毎の千ポンドの収入のすべてを、自分で遣い尽くしてしまうので、彼女は、何も持参せずに、リンドリーのところへ嫁いで来た。上層階級の人間でありつづけるためにも、年に百二十ポンドの固定給を得るためにも、彼ら若夫婦は、オールドクロスへ越す必要があった。

若夫婦は、粗野で、生々しい、たえず不満を抱いている炭坑夫たちには、あまり歓迎されなかった。それまで、農園の人夫たちばかりに日々接しているうちに、リンドリーは、自分を、明らかに上位の、支配階級に属している者と考えるようになっていた。地主貴族たちに対しては、彼も、へりくだった態度を見せてはいたが、それでも自分は貴族に劣らぬ、そして、ありふれた人々とは何かしら違った、上位の階級の者だと、何の疑念も抱かず信じていた。

リンドリーはしかし、炭坑夫たちが、彼の考えている序列を受け入れようとしないのに気づいた。彼らは生きる上で、牧師など必要とせず、そのことを露骨に彼に言いもした。女たちはただ、「皆それどころじゃないのさ、」と言うか、そうでなければ、「こんなところに牧師が来たって何の得もありゃしませんよ。あたしらは非国教徒ですからね、」と言うのだった。男たち──リンドリーが近づいて交わろうとしないかぎりは、陽気で快活な男たちは、しばしば、リンドリーには手に負えない、頑固な偏見から、好んで彼を嘲った。

やがて、彼の義憤は、静かな怨恨感情へ変わってゆき──彼自身それと気づいていたかどうかはともかく──教区民の大部分への意識的な憎悪と、自分自身への無意識の忿懣へと、変わってゆき、とうとう、牧師としての仕事を、教会まわりの家々だけに限ってしまった彼は、炭坑の人々に、屈服した形になった。人々の上に立つよう、世間が彼に与えてくれる地位に頼って、つねに自分を支えていた彼は、もはや何者でもなくなってしまった。彼の暮らしは今や貧寒とし、その土地の俗悪な商人たちに対してさえ、いかなる威儀もなくなり、そして彼には、愛敬らしい振舞いで炭坑の人々と親しくなろうとする意志も、器量もなく、さらには、すでに権威の失墜した土地で、自分を高く固持するための精神力も、なかった。鬱塞した気分のまま、彼は日々を暮らし、顔色は蒼く、みじめに、くすんできた。

はじめのうち、リンドリーの妻は屈辱に憤然としていた。始終取り澄まして、傲岸に振舞った。しかし、彼女の家の収入は少なく、小売り商人と勘定のことで小競り合うのは、あまりにいじましく、彼女がどう勿体らしく振舞っても、いつも代り映えのない、無遠慮な嘲笑で報いられるだけだった。

早々に自尊心を傷つけられて後、彼女は、よそよそしい、頑なな住民たちのあいだで、自分が孤立していることに気がついた。彼女は住まいの内でも、外でも、忿懣を破裂させた。しかし、家の外で癇を立てると、それが手痛い仇になって返ってくるのを身に沁みた彼女は、遠からず、自分の家の壁の内側でしか、怒りをあらわさなくなった。壁の内側で、彼女の憤激はいよいよ募り、その凄まじさは、彼女自身をも苛むほどだった。彼女は、自分が夫を憎んでいることを自覚し、このままでは、どう堪えようとしても、いずれ自分が、自ら人生の均斉を打ち砕き、夫と彼女との上に破滅をもたらすだろうことを、予感しはじめた。そして、まさにその危惧によって、彼女は大人しくなっていった。彼女は怖れにうちひしがれ、世界でただ一つの隠れ家である、暗鬱で、みすぼらしい彼女の牧師館の内に、惨めに閉じこもった。

年毎に子供は産まれた。彼女は、ほとんど機械的に、強いられた母親としての務めに甘んじた。そして徐々に、狂おしい忿懣と、無念と、嫌気とに圧し伏されて、彼女は打ちのめされ、身は衰え、病床に臥せってしまった。

子供たちは健やかに、しかし冷然とした、厳格な仕方で育てられた。父親と母親は、彼らを家の中で教育し、きわめて誇り高く、きわめて上品に、そして周囲の俗悪とは明確に隔てられた、片意地な上流階級の人間として、育て上げた。したがって、彼らの生は、ほとんど周りと交流がなかった。見目の良いこの子供たちは、奇妙なほど清潔で、上品さが醸す半ば透き通った雰囲気を帯び、そして、貧しく孤立していた。

リンドリー夫妻の魂はゆっくりと擦り減ってゆき、幾週も、幾年ものあいだ、ただただ暮らしを立てるため汲々とすることに、日々は費やされ、また、子供たちには上流階級の気取りを身につけさせようと、しきりに厳しくし、作法を叩き込み、彼らの野心を掻き立てては、義務で縛りつけるのだった。日曜の朝には、母親をのぞいた一家皆で、教会へと小径を下って行くのだが、脚の長い娘たちは、いつも、つましいワンピースに身をつつみ、息子たちは黒い上着と、長くて灰色の、窮屈そうなズボンを履いていた。彼らは、父親の教区民たちの傍らを、無言のまま、澄ました顔で──その子供じみた口許は、彼らの悲運を示すかのような高慢でもって、噤まれ、そして、子供らしい眼にすでに無感動の色を浮べつつ──通り過ぎて行った。きょうだいの中で、率先して歩くのは、長女のメアリーだった。メアリーは背丈の高い、しなやかな身体つきをした娘で、その横顔は整っており、どこかしら姿形に、高貴な使命に従っているという風な、誇らしげな、純一な雰囲気があった。次女のルイーザは、背が低く、四肢はふっくらと丸く、強情そうな見目をしていた。彼女は敬虔な心よりも、反抗の心を濃く持っていた。残りの子供たちのうち、幼い者の面倒はルイーザが見て、それより年長の者の世話は、メアリーがした。炭坑の子供たちは、自分らの傍を通り過ぎる、もの言わぬ、蒼い顔をした、この牧師一家の人目をひく行列を眺めては、その上品ぶった、よそよそしい態度に驚き、小さい息子たちのズボンを、遠巻きにからかったり、自分自身に引け目を感じたり、或いは憎しみに刺激されて、心が踊るのだった。

空いた時間を見つけては、メアリーは、幾人かの商人の娘の家庭教師を受け持っていた。ルイーザは、家政を切り盛りしつつ、父の教会へ通う人々の家へ赴き、炭坑夫の娘たちに、一人十三シリングで、二十六回に渡るピアノの稽古をしていた。


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©2006 稲富裕介. この版権表示を残す限りにおいてこの翻訳は商業利用を含む複製、再配布が自由に認められる。プロジェクト杉田玄白 (http://www.genpaku.org/) 正式参加作品。