明日の田園都市 エベネザー・ハワード

ロンドンの将来


新しい雇用の広大な場が、新しい地域に拓かれるということについては、読者諸賢もそろそろある程度はっきりと思い描けるようになったことと思いたい。さて、そのときにいまの過密な都市が被る大きな影響の一部について考えてみるのも面白いだろう。新しい町や町のグループが、われわれの島のこれまで無人だった場所にボコボコと生まれてくる。新しい輸送手段、それも世界がこれまで見たこともないほど科学的なものが建設される。新しい流通手段によって、生産者と消費者は密接に結びつき、したがって(鉄道料金や輸送料をなくし、中間マージンを減らすことで)生産者から見れば値段を上げつつ、消費者にとっては値段を下げることとなっている。公園や庭園、果樹園や森林が、人々の忙しい生活場所のまん中に植えられ、十二分に味わえるようになっている。これまでずっとスラムに住んでいた人々のために、住宅が建てられている。仕事のない人には仕事が見つかり、土地のなかった人に土地が与えられ、長いことつもりつもったエネルギーの噴出機会がいたるところで顔を出す。個人の技能が目覚め、きわめて完全な協調行動と完全な個人的自由をどちらも認める社会生活の中で、人々がこれまでずっと求めてきた秩序と自由の調和手段――個人の福祉と社会の福祉の調和手段――を見いだすにつれ、新しい自由と歓びの感覚が人々の心にあふれている。

こうした新しい状況と対比させられると、われわれの過密な都市の形は一気に古くさく気の抜けたものに見えてくる。そしてそういう既存の都市への影響は実に遠大な性質のものだから、きちんと検討するためにはここではロンドンに話をしぼったほうがいいだろう。ロンドンはわれわれの都市の中で最大かついちばんどうしようもないもので、だからこうした影響をいちばん派手な形で示してくれるはずだからだ。

そもそもの発端でわたしが述べたように、地方部の過疎化と都市部の過密化への対処方法が必要だという意見は、衆目の一致するところとなっている。でも、みんな対処法をきちんと探すべきだと提言するものの、どうも実際にそんな対処方法が見つかると信じている人は、実はあまりいないように思える。そして議員や改革者たちのやる計算は、大都市から地方部へ人口の潮流が逆転して移動することなんかあり得ないだけでなく、勢いこそ多少弱まっても、いまのままの傾向がこの先ずっと続く、という想定に基づいて進められている。

原注:ここでの話は、ほとんど例を挙げるまでもないだろう。でもわたしが思いうかべるのは、大都市上水道に関する王立委員会報告(1893)の基本的な前提が、ロンドンの成長が続くというものであった、ということだ。一方でH・G・ウェルズ氏は、ロンドンの将来の成長についての見解を、最近になって完全に変えたと書いておけば十分だろう(Anticipations第二章を見よ)。さらに『The Heart of the Empire(帝国の心奥)』(Fisher Unwin)所収のP・W・ウィルソン『The Distribution of Industry (産業配置論)』と、Society of Arts Journal 1902年2月所収のW・L・マグデン M.I.E.E.著『Industrial Redistribution(産業の再配置)』も参照。

さて、対処方法を探そうというときに、探しているような対処方法が見つからないという固い信念があれば、探索もあまり熱心かつ十分には行われないだろうと思ってまちがいない。したがって、かつてのロンドン郡評議会の議長(ローズベリー卿)はこの巨大都市の成長ぶりが腫瘍の成長ぶりと見事に比肩されると宣言はしたけれど――このアナロジーの正確さを敢えて否定する者はほとんどいない――この評議会の多くの評議員は、人口を減らすことでロンドン改革を行うのにエネルギーを注ぐかわりに、自治体になりかわってすさまじい量の公共工事を肩代わりしようという政策を大胆にも支持している。しかもその価格は、長きにわたって探されている対処法さえ見つかった場合の価格に比べれば、まちがいなくずっと高価なのだ。

では本書で提案されている対処方法が有効だったと想定しよう(もし読者がまだ眉唾だと思っているなら、あくまで仮説としてでもいい)。全国の自治体所有の土地に、新しい田園都市が次々に出現しているとしよう――こうした共同所有地の税・地代が、現代工学の代行の技能と啓蒙改革者たちの最高の熱望を反映した公共工事を行うだけの資金をもたらしているとしよう。そしてこうした都市では、もっと健康で豊かで生活で、もっと公正で経済的な条件が花開いているとしよう。そうしたら、自然な道理としてロンドンとロンドン住民に対して、どのような目に見える影響があるだろうか。ロンドンの地価に対してはどうだろうか。ロンドンの自治体債務に対しては。自治体の資産に対しては。労働市場としてのロンドンには。その住民の家屋には。そのオープンスペースには。そしてわれらが社会主義的な自治体改革者たちが、いま実にいっしょうけんめい確保しようとしている大公共工事に対しては?

まず、地価はすさまじく低下することは認識しよう! もちろん、イギリスの 15万km2のうち 310km2 がものすごい磁石のような吸引力を発揮して、全人口の1/5を引き寄せ、それがお互いにその狭い領域を占有する権利を求めてお互いに熾烈な争いを展開するなら、それが続く限りその土地は独占価格になるだろう。でもその人々が引きつけられないようにして、その多くに対してどこかよそに移住したほうがあらゆる意味で条件がよくなると説得できれば、その独占価値はどうなるだろうか? 魔法は破れて、巨大なバブルが破裂する。

でもロンドン住民の生命と稼ぎは、その土壌の所有者に質入れされているだけではない。地主たちは、親切にもかれらにすさまじい地代を払わせて、そこに住まわせるのを認めてやっている――地代はいまのロンドンの地価から計算して年1,600万ポンドでしかも毎年増えている。でもこれだけでなく、ロンドンの自治体債務に対応した4,000万ポンドの質にも入っていることになる。

しかしこの点に留意してほしい。自治体の借金を負担する人々は、ある重要な一点で、通常の債務負担者とまったく異なっている。自治体の借金のほうは、移住すれば支払いをまったくまぬがれるのだ。単にその自治体の地区から引っ越せば、かれは一気にその事実に基づいて、地主に対する支払い義務を振り払うだけでなく、自治体に対する債権者への支払い義務もすべて捨てられるのだ。確かに、引っ越せば新しい自治体の地代と、新しい自治体の債務負担を引き受けなくてはならない。でもこれらはわれわれの新しい都市では、現在負担させられている額に比べてきわめて少額となって、しかもそれは減少を続ける。そして引っ越そうという誘惑は、この理由からもその他多くの理由からも、きわめて強いものとなる。

でもこんどは、ロンドンから各人が引っ越すにつれて、残った人の地代負担は軽くなるけれど、ロンドンの納税者の税負担は大きくなることを理解してほしい。というのも、人が移住するたびに、残った人は地主ともっと有利な条件で借地契約ができるようになるけれど、自治体の債務は同じままだから、それにかかる金利負担を負う人の数はますます少なくなるわけだ。したがって、地代が減ることによる労働人口の負担軽減は、税金の増大によってかなりうち消されてしまう。だからこれによって移住しようという誘惑は続き、引っ越す人はさらに増え、そして債務負担はますます大きくなっていき、いずれ地代がどんなに下がったところで耐え難いものとなる。

もちろんこの巨額の借金はそもそもなくてすんだはずのものだ。ロンドンが自治体所有の土地に建てられていたら、地代だけで現在の支出はすべて楽にまかなえただろうし、長期にわたる債務のために追加の税金の課すような必要もなかっただろうし、自分の上水道やその他便利で収益をもたらす公共事業を自分の手におさめることもできただろう。現在のように、巨額の債務とわずかな資産しかない、などということもなかっただろう。

でも、過酷で不道徳なシステムはいずれ崩壊するものだ。そしてその崩壊点に達したら、ロンドンの債権保有者たちは、ロンドンの土地保有者たちのように、移住してもっといい明るい文明をよそに作れるという簡単な対処法を適用できる人たちと、なんらかの手打ちをしなくてはならない。この古代都市の敷地に、公正でまともな条件のもとに再建を認めてやらなくてはならないのだ。

次にごく手短に、こうした人口移住が二つの大きな問題に動影響するかを考えよう。その問題とは、ロンドンの人々の住宅問題と、ロンドンに残った人に職を見つけるという問題だ。現在、ロンドンの労働者たちがきわめて悲惨で不十分な住宅のために支払っている賃料は、毎年収入にしめる比率が上がってきている。そして職場に赴き、帰ってくるコストも上昇を続けていて、時間的にも金銭的にもかなり大きな負担となっている。

でも、ロンドンの人口が減少、しかも急速に減少していると想像してみてほしい。移住していった人たちは、賃料がとても低く労働は楽に徒歩圏内にあるような場所に住み着くのだ! ロンドンの住宅物件が賃料の面で低下するのは当然だろう。しかもその下がり方は半端ではすまない。スラム物件の賃料はゼロまで下がり、労働人口はすべて、いま占有できるものよりかなり上等な家屋に引っ越す。いまは一室にすし詰めとなっている家族は、五、六室借りられるようになる。このように住宅問題は一時的に、テナント数の減少という簡単なプロセスによって解消される。

でもそのスラム物件はどうなってしまうのだろう。ロンドンの貧民たちの、汗の結晶である稼ぎの相当部分を脅し取る力は永遠に失われてしまったら、もはや健康に対する危険はないし、人の尊厳に対する侮辱でもなくなっているわけだが、永遠に目障りな汚点としては残り続けるのだろうか。いいや。こうした劣悪なスラムは取り壊され、その敷地は公園やレクリエーション場、市民農園などとなる。そしてこれらをはじめとする数多くの変化は、納税者の負担にはまったくならず、ほとんど完全に地主階級の負担で行われる。つまりロンドンの人々の中で、まだ賃貸価値のある物件に住む人々が支払う地代が、都市改善の費用を負担しなくてはならないという意味でだが。またこの結果を生み出すために、議会立法による強制が必要になるとも思わない。たぶん地主たちの自発的行動によって実現されるだろう。逃れようのない裁きの女神ネメシスに説得され、これまであまりに長いこと犯してきた大きな不正に対して何らかの是正措置を行おうとするだろう。

というのも、必然的にどんなことが起きなくてはならないか考えてみるがいい。広大な雇用機会がロンドンの外に開かれ、それに対応するだけの機会がロンドン市内にできなければ、ロンドンは死ぬしかない――そうなったら地主たちは悲惨な窮状に陥る。他のところに都市が造られている。そうなったらロンドンも変わるしかない。ほかのところでは町がいなかを浸食している。ここロンドンでは、いなかが町を浸食しなくてはならない。ほかのところでは、都市が土地に低価格しか支払わらず、その後はその土地を新しい自治体にゆだねるという条件で建てられている。ロンドンでもそれに対応する取り決めがないと、だれもなにも建てようとはしないだろう。ほかのところでは、買い取るべき利権がほとんどないという事実のために、各種の土木や建設が急速かつ科学的に進行できる。ロンドンでは、似たような工事をするには、既存の利権が避けがたい状況を認識し、とんでもないと思えるかもしれない条件を受け入れなければならない。でもそれはとんでもないと言っても、製造業者がしばしば受け入れざるを得ない条件と大して変わらない。製造業者は、非常に高くついた機械であってもとんでもなく低い価格で売るしかないことがよくある。市場にずっといい機械がでまわっていて、きびしい競争のもとではその劣った機械を使っても引き合わないからだ。資本の入れ替えはまちがいなくすさまじいものとなるだろうが、労働の向上ぶりはもっとすごいものになるだろう。一部は比較的貧しいままになるかもしれないが、多くは比較的金持ちとなる――きわめて健康的な変化で、それに伴うちょっとした害悪は、社会がすぐにでも調停できるくらいのものだ。

このきたるべき変化はすでに目に見える症状となって現れつつある――地震に先立つ地鳴りのようなものだ。いまこの瞬間のロンドンは、地主に対するストライキに入っていると言える。長く渇望されたロンドンの改良は、そうした改良のコストの一部をロンドンの地主に負わせるような法律上の変化を待っている。鉄道は計画されているけれど、建設されない場合もある――たとえば、エッピング・フォレスト鉄道などだ――これはロンドン郡評議会が、きわめて正当にも労働者向けの列車の料金を下げようと腐心して、事業者にしてみればきわめてうっとうしく収益性のない条件を、国会委員会を動かして強制しているからだ。でもその条件も、もしその計画路線上の土地その他物件に対して要求されているすさまじい価格がなければ、その会社にとってきわめて利益の高いものとなるはずだ。

企業に対するこうしたチェックは、いまでもロンドンの成長に影響を与えているはずで、それがない場合に比べて、ロンドンの成長を減速させる結果となっているだろう。でも、われわれの土地の語られざる宝の鍵が開けば、そしていまロンドンに住む人々が、既存の利権は攻撃するまでもなく簡単に回避できるのだということを発見するようになったら、ロンドンの地主たちや、その他の既得権益を持つ人々は、いそいで手をうったほうがいい。さもないとロンドンは、グラント・アレン氏が「むさくるしい村」と呼んだものであり続けるばかりでなく、無人のむさくるしい村となり果てるであろう。

でもましな見解が栄えるものと期待しようではないか。そして新しい都市が、古い都市の灰の上に築かれると。この仕事は確かにむずかしいものとなるだろう。われわれの図5に示したような壮大な都市の計画を、処女地に引くのは、比較的簡単だ。それよりずっとむずかしいのは――たとえあらゆる既存の利権が自由に道を譲ったとしても――古い敷地に新しい都市を再建することだ。しかもその敷地に膨大な人口が住んでいる場合には。でも、少なくともこれだけは確実に言える。いまのロンドン郡評議会の範囲に住む人口は(もし健康と美しさと、そしてあまりにしばしば前線に送られてしまうもの――富の形の急速な生産――を考えるなら)、いまの1/5くらいの人口しか擁するべきではない。そして新しい鉄道系、下水道、排水、証明、公園などを建設しなくてはロンドンは救えないし、一方では生産と流通のあらゆるシステムは、かつての物々交換からいまの複雑な商業システムへの変化にも等しい、完全かつ壮絶な変化をとげなくてはならないだろう。

ロンドン再建の提案はすでに提出されている。1883年には故ウィリアム・ウェストガースが学芸協会(Society of Arts)に、ロンドン中央の再建とロンドンの貧民に住居を提供するための最善の方法を述べた懸賞論文用に、1,200ポンドを提供している――この懸賞で、かなり大胆な提案がいくつか提出された(『Reconstruction of Central London(ロンドン中央の再建)』 (George Bell and Sons)を見よ)。もっと最近では、アーサー・コーストン氏の著書『Comprehensive Scheme for Street Improvements in London(ロンドンの街路改良に関する総合計画)』がStanfordから発刊され、その序文には次のような衝撃的な下りがある:

「ロンドンに関する文献は、広範ではあるものの、ロンドン市民にとって大いに関心のある一つの問題の解決を狙ったものは、一つもない。ロンドン市民たちも、ますますあちこち旅行するようになり、アメリカや外国の都市などのおかげもあって認識するようになってきたことだが、この首都のすさまじい成長はそれをコントロールする自治体によるガイドもなく、世界最大であるばかりか、おそらくはいちばん不規則で、不便で、秩序皆無の建物の寄せ集めになり果ててしまっている。パリの改造に関する総合計画は、1848年以来だんだん発展してきている。1870年以来、ベルリンからはスラムが消えた。グラスゴーの中心部 40ha は設計されなおした。バーミンガムは、密集したスラム 42ha をすばらしい通りに変え、その両側には立派な建築物が建っている。ウィーンはその壮大な外郭環状道路を完成させ、これから都心部の再デザインにとりかかる。そして著者のねらいは、例示と図示によって、こうした都市の改良のためにうまく活用された手段を、ロンドンのニーズにいちばんうまく適応させるにはどうしたらいいか、というのを示すことなのである」

ロンドンの完全な再建の時期は――いずれはパリやベルリン、グラスゴー、バーミンガム、ウィーンなどでいま行われているよりも、ずっと徹底的なスケールで行われるであろうが――しかしながらまだ到来していない。もっと簡単な問題をまず解決しなくてはならない。小さな田園都市が一つ、作業モデルとして建設されなくてはならない。それから前章で述べたような都市グループが一つ作られなくてはならない。この仕事が終わり、しかも首尾よく完了すれば、ロンドンの再建も必然的に続くしかないし、その道を妨害する既存の利権の力も、完全ではないにせよほとんどが取り除かれているはずだ。

だから、まずはこのささやかなほうの仕事に全力を注ごうではないか。そしてその後の大きな仕事は、目先の決まった仕事をやるインセンティブとしてのみ考えようではないか。そして、正しい方法で、正しい精神をもってなしとげたときの、小さなことが持つ大きな価値を実現する手段として考えようではないか。


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