現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

金輸出解禁の法律的形式


金本位の貨幣制度を取る国に於いて、金の輸出を禁止することは、貨際制度の根底を動かすもので、井上蔵相の言を仮りて言へば、金の輸出禁止は『金貨本位制度の一時の停止』(「国民経済の立直しと金解禁」一九頁)である。それが直接に為替相場を動かし、延いて国内の物価を左右し、従つて国民経済の全体に甚大の影響を与ふることは、何人も知る所であり、又其の禁止の実行以来我々国民の切実に体験したところである。濱口内閣が其の就任以来其の解禁を内閣の最も重要な政策と為し、既定の予算に対してすらも、大規模の節約を行ひ、声を大にして国民の緊縮と経費の節約とを促がし、以て鋭意解禁の準備に努力しつつあるのを見ても、金輪出解禁が国家及び国民の全体に取り如何に重大な関係の有る行為であるかを知ることが出来る。

然るに此の重大なる金輸出禁止が法律上如何なる形式を以て行はれたかと言へば、それは法律に依つたのでもなければ、勅令に依つたのでもなく、単に一片の大蔵省令を以て行はれたのである。

それは大正六年寺内内閣の当時に行はれたもので、同年九月十二日大蔵省令第二十八号を以て定められた。其の全文は左の通りである。

金貨幣又ハ金地金ヲ輸出セントスル者ハ大蔵大臣ノ許可ヲ受クヘシ但シ外国ニ旅行スル者金貨百円未満ヲ携帯スル揚合ハ此ノ限ニ在ラス

前項ノ規定ニ違反スル者ハ三月以下ノ懲役又ハ百円以下ノ罰金ニ処ス

地金トシテ販売シ又ハ使用スル目的ヲ以テ金貨幣ヲ蒐集鋳潰又ハ毀傷シタル者ノ罪亦前項ニ同シ

省令の明文から言へば、金輸出の絶対の禁止ではなく、唯大蔵大臣の許可を受くることを要するものとしたに止まるのであるが、実際には大蔵省は絶対の不許可主義を取つて居るので、事実に於いては絶対の輸出禁止と異なる所は無いのである。

金輸出禁止は此の如く単なる大蔵省令を以て行はれたのであるから、之を解禁することも、亦法律上から言へば、単に此の大蔵省令を廃止することを以て足れりとするのであつて、此の国民経済上及び貨幣制度上の重大此の上も無い行為が、一に大蔵大臣の職権に任かされ、議会の協賛又は事後承諾を要しないのは勿論、御裁可を仰ぐことをも要しないものとせられて居るのである。

此の如き事態がわが憲法上果して許さるる所であらうか。わが憲法が他の多くの諸国の憲法に比らべて議会の権限を比較的狭小ならしめて居ることは、真実であるけれども、此の如く、一時金貨本位の制度を停止し、国民経済の全体を根底より動かすやうな行為が、一大蔵大臣の専制的権力に依つて行はれ得ることを認むる程に、我が憲法は官僚的専制主義を容認するものであらうか。われわれは之を攻究する必要が有る。

寺内内閣が金輸出禁止を法律に依らず単なる大蔵省令を以て実行し得るものと解した法律上の根拠は、恐くは故穂積八束博士に依つて主唱せられ、多くの学者の追随する所となつた所謂「憲法上の立法事項」説に在つたものと推測せらるる。

故穂積博士の説に依ると、憲法上に法律を以て定むることを必要とする事項は、唯憲法の中に法律を以て定むべきことを特に明言して居る事項のみに限ると為し、之を称して「憲法上の立法事項」と謂ひ、此等の事項を除くの外は、凡て勅令又は、勅令に抵触せざる限度に於いては各主任大臣が主任事項に付き省令を以て、之を定むることを得るものとせられて居る。

若し此の節に従ふとすれば、憲法には貨物の輪出の禁止又は制限は法律を以て之を定むといふ趣意の規定は何処にも見ることを得ない。強ひて之を求むれば、第二十七条に「所有権ヲ侵サルルコトナシ」といふ規定が有るけれども、それには更に民法第二百六条の規定が有つて、所有権は唯法令の制限内に於いてのみ物の使用、収益、処分を為し得る権利たるに過ぎぬのであるから、命令を以て物の使用収益処分を制限したとしても、それは所有権を侵すものとは謂ひ得ない。

要するに、金の輸出を禁止することは、此の説に謂ふ所の「憲法上の立法事項」ではない。而して立法事項でない限りは命令を以て定め得べきもので、しかも明治二十三年法律第八十四号及び同年勅令第二百八号に依れば、省令には百円以内の罰金又は三月以下の懲役の罰則を附することが出来るのであるから、此の以内の罰則を附して国民に或る事を命令し又は禁止することは、勅令をも要せず、省令を以て之を為すことが出来る。勅令であれば、罰則ある勅令は枢密院官制に依り枢密院の諮詢しじゅんを経ねばならぬものとせられて居るが、省令であれば斯かる手続きをも要せず、単に主務大臣だけの権限を以つて為すことが出来る、といふのが此の説の要領である。

即ち其の説に依ると、日本は立憲政治であると言つても、西洋で普通に行はれて居るやうな意味に於いての立憲政治とは、全く異つたもので、議会の決議を必要とするものは、予算の外には、唯憲法の種々の条項に散在して規定せられて居る「立法事項」にのみ限り、其の以外には専制政治の主義が依然として維持せられて居るもので、凡て議会の議決を要せず、政府の専制的の権力を以て之を為すことが出来るものとして居るのである。

寺内内閣が単純な大蔵省令を以て金輸出禁止を断行したのは、恐くは以上の如き思想を根拠としたものであらう。その勅令にも依らず、省令を以てしたのは、恐くは枢密院に諮詢しじゅんする手続を避くるが為にしたものであらう。

私は故穂積博士其の他の多くの学者の所謂「憲法上の立法事項」説には、極力反対するもので、其の説が従来多くの政府当局者の思想を支配して居ることを、我が立憲政治の為に、深く遺憾とする者である。私は是まで種々の機会に於いて其の説の誤を証明せんと試み、之を力説したこと一再に止まらぬのであるから、今は唯、例へば拙著「逐条憲法精義」第五条及第九条の解説の参照を請ふに止め、ここに之を繰り返へすことを避ける。私は我が憲法の主義としても、凡ての立法権即ち国民の権利義務に付き新なる規律を定めるの権は、原則として常に議会の議決を経ることを要するもので、憲法第五条の規定は此の原則を明言して居るものであり、唯憲法上特に例外を定められて居る事項に付いてのみ、例外として其の議決を経ずして定むることが出来るに止まるものであることを信じ、之を以て我が立憲政治の最も重要なる基礎原則の一と為すものである。穂積博士其の他に依り「憲法上の立法事項」と生せられて居るものの大部分は、憲法第二章臣民権利義務の章に揚げられて居るのであるが、私は此等の規定は決して立法事項を列記するの趣意に出でたものではなく、専ら臣民の権利義務に付いての原則を定むるの目的に出でたもので、それは決して法律を以て定むべきものと命令を以ても定め得べきものとの限界を定めたものではなく、其の列記に漏れて居るものでも、凡て臣民に或る事を命令し又は禁止するには、原則として常に法律を以てすることを要すると共に、一面に於いては、同章の各条に列記せられて居る事項であつても、憲法上に特に例外を定められて居る場合には、命令を以ても定め得べきことを信ずるものである。

我が憲法は一面に於いて、立憲政治の普通の原則に従ひ、広く立法権には帝国議会の協賛を要することの原則を定むると共に、一面に於いて種々の場合又は事項に付いて、議会の協賛を経ずして立法を為し得ることを認めて居る。憲法第八条の緊急命令の大権、第十条の官制大権、第十二条の軍編制大権、第十三条の条約大権などは、即ち其の例外を為すものであるが、就中なかんずく其の例外の最も著しいものは、第九条に依る命令であつて即ち、「公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル」限度に於いて、命令を発し得べきことが認められて居る。就中なかんずく第八条第十条第十二条又は第十三条に於いては、凡て天皇の大権として規定せられて居るに反して、独り第九条に於いては、「命令ヲ発シ又ハ発セシム」と曰ひ、其の権限が広く行政官庁に委任せられ得ることを認めて居る。

各省大臣の発する省令が、此の憲法第九条の規定に、憲法上の根拠を有することは、疑を容れない所で、各省官制通則第四条には、唯

各省大臣ハ主任ノ事務ニ付其ノ職権若クハ特別ノ委任ニ依リ省令ヲ発スルコトヲ得

とあるのみで、省令には如何なる事項を定め得るかに付いて、別段の規定を設けて居らぬけれども、特別の委任に基づく場合を除き、各省大臣の職権に依つて発する省令が、憲法第九条に所謂「法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令」にのみ止まるべきことは、明瞭である。何となれば憲法上広く命令を発するの権を委任し得るのは、唯憲法第九条の命令にのみ限られて居り、従つて各省官制通則に依り各省大臣に省令を発するの権を授けて居るのも、此の憲法第九条の規定を根拠として、此の種の命令を発するの権を与へたものであることが、疑ふべからざる所であるからである。

若し然りとすれば、金輸出を禁止した大蔵省令を憲法上適法と認むべきや否やの問題は、一に、金輸出の禁止が「公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スルニ必要ナル命令」といふ中に包含せらるるや否やに繋るものである。

公共の安寧秩序を保持するといひ、臣民の幸福を増進するといひ、其の文字の書方は稍々やや不明瞭なるを免れないが、臣民の幸福を増進する為の命令と謂へば、郵便規則、電話規則、鉄道規則、学校規則の類の如く、臣民に便宜を与へ利益を供する為の規定を謂ふのであつて、臣民の自由を制限し義務を命ずるが如き規定を含まない。金輸出の禁止が之に該当するものでないことは固より論を待たぬ。故に問題となるのは、専ら公共の安寧秩序を保持する為の命令であつて、金輸出禁止の命令が果して之に該当するや否やが問題の存する所である。

公共の安寧秩序を保持する為必要なる命令とは何を謂ふか。一言で謂へば私はそれを警察命令の意に解すべきものと信じて居る。伊藤公の憲法義解の本条の註に

行政命令ノ目的ハ独警察ノ消極手段ニ止マラスシテ更ニ一歩ヲ進メ経済上国民ノ生活ヲ富殖シ教育上其ノ智識ヲ開発スルノ積極手段ヲ取ルコトヲ務メサルへカラサルナリ

と曰つて居るが、其の「積極手段」と称して居るのは、節ち「臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令」に付いて曰つて居るのであることは疑なく、「公共ノ秩序ヲ保持スル為」といふことに付いては、憲法義解も亦之を「警察ノ消極手段」と称して居るのである。

即ち憲法第九条に所謂公共の安寧秩序を保持する為必要なる命令とは、警察上必要なる命令のみを意味するもので、それは行政警察権の正当なる限界の範囲内に於いてのみ許さるるに止まるものである。

然らば警察権の正当なる限界は何処に之を認むべきであらうか。私は概して之を言へば社会生活の秩序に対する危害を除き又は之を予防するに必要なる限度に止まるべきを信ずる。勿論其の危害を除き又は之を予防する為に如何なる事が必要であるかは之を行政機関の認定に任かされて居るのであるから、仮令其の認定を誤り必要の程度を超えて命令を発したとしても、其の命令が当然無効なるものではないが、全然社会生活の秩序に対する危害を除き又は予防する為にするものでないものは、初より省令を以て定め得べき範囲に属しないもので、それは無権限の行為であり、随つて当然に無効なるものと認めねばならぬ。

金輸出の禁止は果して此の意味に於いての警察命令と謂ひ得べきものであるや。私は断じて之を否定すべきことを信ずるものである。私は金輸出禁止の如きは、其の性質上唯法律を以てのみ定め得べきもので、当然議会の協賛を要し、唯議会の閉会中緊急の必要が有る場合に限り、議会の事後承諾を条件として緊急勅令を以て之を為し得るに止まると信ずる。寺内内閣が勅令にも依らず、大蔵省令を以て之を断行したのは、甚しき憲法違反であつて、到底是認することの出来ないものと思ふ。若し此の如き処置が、所謂「憲法上の立法事項」説に基づいたものとすれば、それだけでも其の説の誤なることを表明して居るものと謂ふべきであらう。

勿論私は決して凡て貨物の輸出入の制限又は禁止が、常に法律に依つてのみ為し得べきもので、命令を以て定め得べき所に属しないとするのではない。衛生警察の為に伝染病毒に汚染した疑の有る物品の輸入を禁止し、風俗警察の為に風俗を害する物品の輸出入を制限するが如きは、警察権の正当の限界に属するもので、それは命令を以て為し得べき所であり、又現に命令を以て之を定めて居る例が少くない。国民の経済生活に関してすらも、或は米穀、或は馬匹の如き、命令を以て其の輸出入を制限又は禁止した例が有り、而してそれが国民の経済生活の障害を防ぐが為にするものである以上、必ずしも憲法違反と断ずベきではないであらう。

独り金輸出の禁止に至つては、それは公共の安寧秩序を保持する為ではなく、国家の貸幣制度を擁護せんが為にするものである。貨幣制度は言ふまでもなく、警察規定ではなく、法政に属する規定で、日本に於いても現に法律を以て定められて居る。明治三十年法律第十六号貨幣法は即ち我が金本位の貨幣制度を定めたものである。金輸出の禁止は、井上蔵相の明言して居る如く、実際上に此の金本位貨幣制度の効果を一時停止せんとするもので、それは直接には貨幣法を変更するものではないにしても、其の目的とする所は、一に貨幣法の根底たる実質に影響を与へんとするに在る。それは如何なる意味に於いても警察規定として見るべきものでなく、随つて憲法第九条に所謂「公共ノ安寧秩序ヲ保持スル為必要ナル命令」に該当するものではない。

若し以上論ずる所を以て正当であるとすれば、寺内内閣の下に発せられた金輸出禁止の大蔵省令は、大蔵大臣の権限外の命令であつて、それは法律か又は緊急勅令に依つてのみ定め得べきものであり、従つて其の省令は理論上全然無効のものでなければならぬ。

若し然りとすれば、正当なる法律論としては、日本は今日まで全然金の輸出を禁止して居らぬわけで、歴代の内閣が金輸出の解禁を政治上及び経済上の重大な問題として論じて居るのは、無意味とならねばならぬ。

併しながら、現に権力の衝に当つて居る政府が命令を発し、権力を以て之を励行して居る以上は、仮令理論上それが全然無効のものであるにしても、政府の権力に対しては、人民は之に対抗すべき何等の権威を有しないものであるから、実際にはそれが完全に有効なる命令と同様の効果を有し、国法として有効に行はるることを妨ぐる途は無い。之を妨ぐべき唯一の手段は、裁判所の判決に依つて之を無効として判定することに在るのであるが、金輸出の禁止は其の犯行者を生じ得ない程に厳重に励行せられて居り、従つて其の効力如何が裁判所の問題となる機会は、殆ど生じないのみならず、仮令裁判所の問題となつたとしても、日本の裁判所の判例は、殆ど嘗て命令の有効であるや否やを審理したことなく、初より無条件に凡ての命令が有効であることを前提として居るのであるから、裁判所の判決に依つて之を無効として判定することも、到底之を期待し得ない。政府が有効の命令として之を励行し、裁判所も之を有効なりと認むる以上は、其の命令が有効であることは公の権威を以て最終的に確定せられて居るもので、仮令憲法の法理から見て、それが理論上無効であるとしても、此の理論は公の権力に対しては何等の権威をも主張することを得ないのである。

寺内内閣の発した金輪出禁止の大蔵省令が、理論上絶対に無効のものであるにも拘らず、尚有効のものとして行はれ、日本が今も金輸出禁止の状態に在るのは、之が為であつて、それは憲法違反であるけれども、憲法の規定は、政府、議会、裁判所の権威に依つて屢々しばしば歪曲せらるることを免れないのである。

従つて又、仮令理論上は金輪出禁止の省令が全然無効のものであるとしても、其の輸出を自由ならしむる為には右大蔵省令を廃止することが必要であり、ここに濱口内閣の緊縮政策の理由を見るのである。

併しながら、金輸出禁止又は其の解禁の如き、貨幣制度の基礎を動かし国民経済の大本に至大の影響を与ふる行為が、議会の議決に依らず、一大蔵大臣の自由の職権に依つて行はるるが如きは、立憲政治の極めて著しい変態であつて、私は此の如き行為を正当なりとする憲法理論、殊に所謂「憲法上の立法事項」説の日本の学会及び社会から永久に跡を絶たんことを切望するの念に堪へない。

(昭和四年十月発行「法学協会雑誌」所載)