シャーロック・ホームズの冒険 アーサー・コナン・ドイル

赤毛連盟


昨年の秋のある日、友人のシャーロック・ホームズ君を訪ねると、彼は非常に太った赤ら顔の年配の紳士、燃えるような赤い髪の紳士と話しこんでいた。私が邪魔を詫びて退出しかけると、ホームズはいきなり私を部屋へ引き入れ、私の後ろにドアを閉めたのである。

「まったくいい時に来てくれたよ、ワトソン君」と彼は気持ちよく言った。

「仕事中かと思って。」

「そうだよ。まさにその通りだ。」

「それなら私は隣室で待っててもいいんだ。」

「とんでもない。この紳士はね、ウィルソンさん、僕が大成功を収めた事件の多くで仲間であり、助手を務めてくれてまして、きっとあなたの事件でも非常に僕の助けになると思います。」

太った紳士は椅子から半ば腰を上げ、ひょいとお辞儀をし、脂肪の奥の小さな目から少し不審そうにすばやく視線を走らせた。

「長椅子でどうだい」とホームズは言い、判事のような気分の時の習慣として、自分の肘掛け椅子に戻り、指先を組み合わせた。「わかってるよワトソン君、君も僕同様、奇怪なこと、慣習や日常生活の単調な繰り返しを外れたことが好きなのは。僕のちょっとした冒険を記録しようなんて、それからそう言ってかまわなければ、いささか尾ひれまでつけようなんて思い立つ君の熱心さを見れば、君のそういう趣味がわかるよ。」

「君の事件には実際、非常な興味を持ち続けてきたよ」と私は言った。

「君は覚えているかな、いつだか僕が言ったろう、ちょうどミス・メアリー・サザーランドが出したきわめて簡単な問題を調査する前に、不思議な現象、異常な事態の組み合わせは人生そのものに求めるべきである、それは常に、どんなに想像をたくましくするよりもはるかに大胆なものなのだ、と。」

「失礼だが僕が疑問を呈した主張だね。」

「そうだったね、博士、でもね、そうは言っても必ず君も僕と同じ意見に変わるさ、そうでなければ僕は君の前で事実の上に事実を積み重ね続けるからね、君の理屈がそれらに押しつぶされ、僕が正しいと認めるまで。さて、こちらのジェイベズ・ウィルソンさんがご親切にも今朝僕を訪ねてきて話を始められたんだが、それは僕が長いこと聞いてきた中でも飛び切り奇妙なものの一つになりそうなんだ。君も知っている僕の意見だが、最も不思議な、最も独特な事柄というものは多くの場合、大きな犯罪よりも小さな犯罪に関係していて、実際、往々にしてそこでは何か明確な犯罪が行われたのかどうか疑問の余地があることもある。僕の聞いた限りでは今回の事件が犯罪にあたるかどうか僕には言えないが、事の成り行きは間違いなく、僕がこれまでに聞いたものとしては最も奇妙な部類に属するね。できましたらウィルソンさん、大変すみませんがお話をもう一度初めからお願いできませんか。単に友人のワトソン博士が初めの部分を聞いていないからというだけでなく、異常な性質の話ですので、ぜひともあなたの口からできる限り詳しく聞きたいと思いますので。通例僕はわずかでも事の成り行きを示す話を聞いてしまえば、記憶に浮かぶ何千もの類似の事件に導かれて進むことができます。今回の場合、さまざまな事実は、僕の信ずる限り、他に類を見ないものと認めざるをえません。」

恰幅のいい依頼人は少し誇らしそうに胸を張り、汚れてしわくちゃになった新聞をオーバーの内ポケットから引っ張り出した。彼が頭を前に突き出し、ひざの上で紙面を平らにし、広告欄に目を走らせた時、私はその人をじっくり観察し、友のやり方にならって、その洋服や外観が示すものを読み取ろうと努力した。

しかし私がその観察から得たものはあまり多くなかった。私たちの客は太りすぎでもったいぶってのんびりしていて、平凡な平均的イギリス商人のあらゆる特色を身につけていた。彼はかなりだぶだぶの灰色のチェック柄のズボン、あまりきれいともいえない黒いフロックコートを身につけ、前のボタンをはずし、茶色のベストには重い真ちゅうのアルバートの鎖、四角い穴の開いた小さな金属が装飾としてぶら下がっていた。すりきれたシルクハット、ビロードの襟にしわのよったあせた茶色のオーバーはそばの椅子の上に置かれていた。要するに、私が見ても、燃えるように赤い頭と、その顔に表れた極度の無念、不満の表情を除くと、注目すべきところは何もない人だった。

シャーロック・ホームズの鋭い目が私のしていたことを見て取り、私の探求する視線に気づいた彼は微笑みながら首を振った。「この方が手仕事の経験があり、嗅ぎ煙草を吸い、フリーメーソンの会員であり、中国へおいでになったことがあり、最近相当量の書き物をなさったという明白な事実のほかには僕には何も引き出せないな。」

ジェイベズ・ウィルソン氏はびっくりして椅子から飛び上がり、人差し指を新聞においたまま、目を友に向けた。

「いったいぜんたいどうしてそんなことがみんなわかったんですか、ホームズさん?」と彼は尋ねた。「どうして、いやたとえば私が手仕事をしたことがわかりました?まったく本当のこってす、私は船大工から始めたんですから。」

「あなたの手ですよ、ねえ。右手がたっぷり一回り左手より大きい。そちらで仕事をしたので筋肉がより発達しているんです。」

「それじゃあ嗅ぎ煙草は、それにフリーメーソンは?」

「どうしてわかったかはお話しするまでもない他愛ないことです、特に、あなたが結社の厳しい規則に大いに反して弧とコンパスの飾りピンを使用されてるのですから。」

「ああ、そうか、忘れてました。しかし書き物のことは?」

「五インチばかりすっかりテカテカになった右の袖口、机にのせるひじの近くにすべすべのつぎのあたった左、それらの示すものがほかに何かありますか?」

「なるほど、だが中国は?」

「あなたの右手首の真上にある魚の刺青は中国でしかできないものです。僕は刺青の模様についてつまらん研究をしたことがありましてね、その主題の文献に寄稿したことさえあるんです。その魚の鱗を微妙なピンクに色づける見事な方法はまったく中国独特のものです。加えて、中国のコインが時計の鎖からぶらさがっているのを見れば、いっそう簡単なことです。」

ジェイベズ・ウィルソン氏は大いに笑った。「いや驚いた!」と彼は言った。「初めは気の利いたことをするもんだと思ったが、なあに、結局何のことはなかった。」

「僕はねえ、ワトソン、」ホームズは言った、「説明するのは間違いだという気がしてきたよ。『およそ未知なるものはすばらしい』だからねえ、こう率直にやっては僕のささやかな評判も、まあこの程度のものだけどね、沈没の憂き目を見ることになるね。広告は見つかりませんか、ウィルソンさん?」

「いや、ちょうど見つけました」と彼は太くて赤い指を広告欄の真ん中に立てて答えた。「ここです。これがすべての始まりです。ちょっとご自分で読んでみてくださいな。」

私は彼から新聞を受け取り、以下のものを読んだ。

赤毛連盟へ

米国ペンシルバニア州レバノン、故エゼキヤ・ホプキンズの遺贈による連盟に現在欠員あり。メンバーには純粋に名目上の貢献に対して週四ポンドの俸給の権利を与える。赤髪の心身健康な二十一歳以上の男子すべてに資格あり。申し込みは本人が月曜十一時、フリート街、ポープス・コート七番地、連盟事務所のダンカン・ロスまで。

「いったいこれはどういう意味だ?」私はこのとっぴな告知に二度、目を通した後思わず叫んだ。

ホームズは機嫌のよい時の癖で、くすくす笑い、椅子の上で身をよじった。「これはちょっと変わってるじゃないか、え?」と彼は言った。「さてウィルソンさん、先へ進んでご自身、ご家族、この広告があなたの運勢に与えた影響についてお話しください。君は、博士、まずその新聞と日付を書き留めてくれたまえ。」

「1890年4月27日のモーニング・クロニクル。ちょうど二ヶ月前だ。」

「結構。さ、ウィルソンさん。」

「ええと、あなたにお話しした通りなんですが、シャーロック・ホームズさん」とジェイベズ・ウィルソンは額の汗を拭きながら言った。「私はシティーの近くのコバーグスクエアで小さな質屋の店をやってます。あまり大きな商売じゃなく、近頃ではちょうど私が暮らす分しか出ません。前には二人店員を雇っておけたんですがね、今じゃ一人がやっとです。その払いをするのも大変なところなんですが、その男は商売を覚えるためにと半分の給料で喜んで来てるんです。」

「そのありがたい若者の名は?」とシャーロック・ホームズは尋ねた。

「名前はヴィンセント・スポールディングですが、と言っても、そんなに若くはないんです。歳はわかりません。あれより気の利いた店員は望めませんよ、ホームズさん。それにあれがもっといい仕事にありつけるし、私のやれるものの二倍は稼げるってことも、私ゃよくわかってるんですがね。でもなにしろあれが満足なら、どうしてこっちで知恵をつけてやらなきゃならんのです?」

「そうですとも。相場の上限を取らずにこようという従業員を持ってあなたはとても幸運のようですね。この時代、雇い主がやたらに経験できることではないですよ。お宅の店員もその広告並みに珍しいんじゃないですか。」

「ああ、あの男にも欠点があるんです」とウィルソン氏は言った。「写真となるとあんな奴はいませんや。いろいろ覚えなきゃならん時にカメラを持って絶えずパチパチやっては巣穴にもぐるウサギのように地下にもぐりこんで撮った写真を現像してるんです。それがあの男の欠点ですが、だいたいにおいて働き者です。悪いこともしませんし。」

「まだお宅にいるんでしょうね?」

「ええ。あの男と、それから簡単な料理を少しと家の掃除をする十四の娘、家にはそれだけです。なにしろ私はやもめですし子供もできなかったんでね。とても静かに暮らしてます、私たち三人は。住処を確保して支払いを済ます、ほかに何もないにしてもね。

面倒なことの起こりはその広告です。スポールディングですよ、あれがちょうど八週間前、店に下りてきて、ほら、その新聞を手に持って、言うじゃありませんか、

『いやあ、ウィルソンさん、俺の髪が赤かったらなあ。』

『なぜそんなことを?』と私ゃ尋ねる。

『なに、』奴は言う、『ここでも赤い髪の男の連盟に一つ空きがあるんです。これを手に入れりゃあ誰でも相当の金になるし、人間より欠員のが多いとかで、管財人は金をどうしたものか困り果てているそうですよ。俺の髪の毛の色が変わりさえすりゃあなあ、ちょっとしたうまい仕事がすっかり俺が行くのを待ってるんだがなあ。』

『何だって、そりゃ何のことだ?』と私は尋ねました。だってねえホームズさん、私はすごく出不精でね、それに仕事のほうがやってきてこっちは出かけなくてもすむんで、私は何週間もドアマットの向こうへ足を踏み出さないことがよくあります。そんなわけで外で何が起こっているかあまり知らないし、いつもニュースを楽しみにしてるんです。

『赤い髪の男の連盟のことを聞いたことがないんですか?』とあれは目を見開いて訊きました。

『全然。』

『へえ、そりゃ驚いた、自分が欠員を一つ埋める資格があるのに。』

『それでそれにはどんな値打ちがあるんだい?』と私は尋ねました。

『ああ、ほんの年二百ですがね、でも仕事はわずかだし、必ずしもほかの仕事の大した支障にならないんです。』

ねえ、容易におわかりでしょうが、その話に私は耳をそばだてました。商売は何年もあまりうまくいってないし、余分な二百があればずいぶん役に立ちますから。

『すっかり聞かしてくれよ』と私は言いました。

『なにね、』彼はその広告を示しながら言いました、『自分で見てくださいよ、連盟に欠員とあるでしょ、それに詳しいことの問い合わせ先も。俺の知ってる限りじゃあ、連盟はアメリカ人のエゼキヤ・ホプキンズという百万長者が創ったとかで、なかなか変わった人だったそうです。本人が赤毛で赤毛の男すべてにいたく思いを馳せていたんですね。それで死んだ時、莫大な財産を管財人に託して、利息は赤い髪をした男に楽な仕事を提供することに当てるよう、指示を残したんです。すばらしい給料で、やることはほんの少しって話しですよ。』

『でもなあ、』私は言いました、『たっくさんの赤毛の男が応募するだろうなあ。』

『ご主人が考えるほどたくさんじゃないですよ』と彼は答えました。『だってねえ実際ロンドン市民で成人男子に限られるんですから。このアメリカ人は若い頃ロンドンから世に出て、懐かしい街に善行を施したいんです。それにまた、髪の毛が明るい赤や暗い赤、本当に鮮やかな燃えるような炎の赤以外の赤だったら申し込んでも無駄ですってよ。さあ、申し込みたかったらウィルソンさん、ちょっと行ってみるこってす。でもたぶんあれだな、数百ポンドのためにわざわざやるほどのことはないですね。』

さて、事実、見ればおわかりでしょうが、ねえ、私の髪はこれ以上はない鮮やかな色合いですから、これに関しちゃあ今まで負けたことがないし、どんな相手がいるにしても勝算は十分と思われました。ヴィンセント・スポールディングはこの話をよく知っているようなので役に立つこともあるかもしれん、と私は思い、そのままその日はシャッターを下ろし、すぐに一緒について出てくるように彼に命じました。あれも休日になるのは大喜びですから、私たちは店を閉め、広告にある住所へと出かけました。

あんな光景は二度と見たいと思いませんね、ホームズさん。北から、南から、東から、西から少しでも髪の赤い男という男が広告に応じてどやどやとシティーに踏み入ってきてるんです。フリート街は赤毛の人間でふさがるし、ポープス・コートは行商のオレンジの荷車のようでした。私はね、あの広告たった一つで国中から来たってあんなにたくさん集まるとは思いませんでしたよ。わら、レモン、オレンジ、レンガ、アイリッシュセッター、レバー、粘土――濃淡さまざまな色合いでした。しかしですね、スポールディングの言ったように、本当に鮮明な炎の色合いというのはあまり多くはありませんでした。どれだけ人が待っているかを見た私はあきらめてやめるところでしたが、スポールディングが聞き入れませんでした。あいつがどうやってやったのか想像もつきませんが、押したり引いたりぶつかったりして、ついにあいつは私を群集から抜け出させ、その事務所に通じる階段のまん前まで連れていきました。階段には希望を持って上がるもの、落胆して下りるもの、二つの流れがありました。しかし私たちは何とかうまく割り込んで、まもなく事務所に入っていました。」

「あなたのなさった経験はとても愉快ですね」と、依頼人が一息つき、嗅ぎ煙草をたっぷりつまんで記憶を新たにするところで、ホームズが言った。「どうかその非常におもしろいお話を続けてください。」

「事務所には椅子が二つとモミのテーブルのほか何もなく、テーブルの後ろに私よりもさらに赤い髪をした小柄な男が座っていました。彼は近づいてくる志願者に簡単な言葉をかけ、それから必ず彼らを不適格とする欠点を何か見つけ出してしまうのです。やはり空席を勝ち取るのはそれほどたやすいことではなさそうでした。それがですね、私たちの番になるとその小さな男が私に対してほかの誰よりも断然好意的になりまして、私たちが入るとドアを閉めて、私たちと内密の話をしようというわけなのです。

『こちらはジェイベズ・ウィルソンさんで、』と私の連れが言いました、『連盟の欠員を埋めたいと思っているんです。』

『しかも立派に適格ですね』とあちらは答えました。『すべての条件を満たしてます。これほどすばらしいのは見た覚えがありません。』男は一歩後にさがり、片方に小首をかしげ、すっかり恥ずかしくなるほど私の髪をじっと見つめるのです。それから突然突進し、私の手を固く握り、心から私の合格を祝ってくれました。

『躊躇しては不正になりますので』と男は言いました。『しかし、あなたはきっと私が露骨な警戒をするのを許してくださるでしょう。』そう言うと男は両手で私の髪をつかみ、私が痛くて叫び声を上げるまでぐいぐい引っ張ったんです。『目に涙が出てますね』と言って男は私を放しました。『すべて申し分ないとわかりました。しかし気をつけませんとね、かつらで二度、ペンキで一度、だまされたことがあるんですよ。靴屋の蝋のことでは人間の本性に愛想がつきるような話もあるんです。』彼は窓に歩み寄り、そこから声を限りに欠員は満たされたと叫びました。失望のうめきが下から聞こえ、人々は皆さまざまな方向へぞろぞろと消えていき、私とその支部長を除いて赤い髪は見えなくなりました。

『私は、』その人は言いました、『ダンカン・ロスです。私自身も我々の高潔な恩人の遺した基金の受給者の一人です。あなたは結婚なさってますか、ウィルソンさん?ご家族はありますか?』

私はないと答えました。

たちまち男の顔が曇りました。

『なんとまあ!』あの人は重々しく言いました、『それは本当に重大なことなんです!そうおっしゃるのを聞いて残念です。この基金はもちろん、赤い髪を持つ者たちの維持ばかりでなく、その繁栄と広がりのためにあるのです。あなたが独身とは実に運が悪い。』

私も浮かない顔になりましたよ、ホームズさん、だって結局私はその空席を手にする運命じゃなかったと思いましたから。しかししばらく考えてからあの人はそれでかまわないと言いました。

『ほかの場合なら、』あの人は言いました、『この欠点は致命的になりかねませんが、あなたのような髪を持った方ではひいき目に見て拡大解釈しなければなりますまい。いつから新しい職務に取り掛かれますか?』

『ええ、それが困るんですが、既に店もありまして』と私は言いました。

『ああ、そりゃ心配いりませんや、旦那!』とヴィンセント・スポールディングが言いました。『そりゃあ旦那の代わりに俺が見られるじゃないですか。』

『時間はどうなってますんで?』

『十時から二時です。』

ところで質屋の商いってのはほとんど晩方でしてね、ホームズさん、特に木曜日と金曜日の晩、ちょうど給料日の前なんでね。だから午前中に少し稼ぐってのは私には実に好都合なんです。その上店員は優秀で、何があっても任せられますんでねえ。

『それは実に好都合です』と私は言いました。『それで給料は?』

『週四ポンドです。』

『それで仕事は?』

『単に名目上のものです。』

『単に名目上とはどんなものを言うんでしょう?』

『そうですね、あなたは事務所の中にいなければなりません、少なくとも建物の中に、その間ずっとですよ。もし離れたら、あなたは地位すべてを、永久に失います。遺言書もその点非常にはっきりしています。時間中に事務所から動くということは条件に従わないということです。』

『一日にわずか四時間です、離れるなんて思いもしません。』

『言い訳は通りませんよ』とダンカン・ロス氏は言いました。『病気だろうが用事だろうが何事であろうが。そこにいなくてはいけません、さもないとあなたは口を失います。』

『それで仕事は?』

『大英百科事典をそっくり写すことです。第一巻がその棚にあります。インクとペンと吸い取り紙は自分で手に入れていただきますが、テーブルと椅子はこちらで提供します。明日からでもできますか?』

『承知しました』と私は答えました。

『ではさようなら、ジェイベズ・ウィルソンさん、貴重な地位を獲得された幸運にもう一度お祝いを言わせてください。』あの人はお辞儀をして私を部屋から送り出し、私は何を言ったら、何をしたらいいのかわからないまま、連れと一緒に家へ帰りました。それほど自分の幸運が嬉しかったんです。

さて、私はその日一日つくづくそのことを考えて、夕方にはまた意気消沈です。私はね、あの出来事は全部、何かひどいいたずらかペテンにちがいない、とすっかり確信したんです。もっともその目的が何かは想像もつきませんでしたが。誰かがそんな遺言をするとか、大英百科事典をそっくり写すなんていう簡単なことをやらせてそんな金額を払う連中がいるとか、まるっきり信じられないような気がしたんです。ヴィンセント・スポールディングはできるだけ私を励ましてくれましたが、寝る時間までには私は自分に言い聞かせてそんなことは全部やめにしました。しかし朝になって私はとにかくちょっと見てみようと決心し、一ペニーのインク瓶、羽ペン、フールスキャップ紙を七枚買って、ポープス・コートへ出かけました。

さて、嬉しい驚きでしたが、すべてはまったく申し分なしでした。テーブルは私を待って並べてあるし、ダンカン・ロス氏も私がちゃんと仕事を始めるか見にきてました。私にAの文字から始めさせ、それから出て行きました。が、時々ひょっこりのぞいては私がちゃんとやってるか確かめました。二時にあの人は私にさよならを言いにきて、私の書き終えた量をほめ、私の後から事務所のドアに鍵をかけました。

これが毎日毎日続きましてね、ホームズさん、土曜日には支部長が来て一週間の仕事に対してソブリン金貨四枚を支払いました。次の週も同じ、その翌週も同じでした。毎朝私は十時にそこに行って、毎日午後二時に帰りました。次第にダンカン・ロス氏は朝一度だけ来るようになり、それからしばらくするともうまったく来ませんでした。それでももちろん、私は一瞬だって部屋を離れる気になんかなりませんでした。あの人がいつ来るかわかりませんし、仕事は実に結構だし、私にぴったりですから、それを失うようなことはするもんじゃありません。

こんなふうに八週間が過ぎ、私はAbbots、Archery、Armour、Architecture、Atticaと書き終え、励めば近いうちにBのところに進めると思いました。フールスキャップ紙にはそこそこかかってますし、私の書いたもので棚が一段、ほとんどもういっぱいになっていました。そこで突然、それが全部終わりになりました。」

「終わりに?」

「ええ、ええ。今朝までにね。いつものように十時に仕事先に行きましたが、ドアが閉まって鍵がかかってまして、小さな四角いボール紙がドアの板の真ん中にびょうで打ち付けてありました。これですが、読んでみてくださいよ。」

彼は便箋一枚ぐらいの大きさの白い厚紙を掲げた。それにはこんなふうに書かれていた。

赤毛連盟は解散
1890年10月9日

シャーロック・ホームズと私はこのそっけない告知とその後ろの無念そうな顔を見ているうちに、出来事のこっけいな面が完全にほかの問題すべてを圧倒し、二人そろって大声で笑い出してしまった。

「何がそんなにおかしいんだかわかりませんね」と、依頼人は燃え立つ髪の根元まで赤くなって叫んだ。「私を笑いものにするほかできないんだったら、よそへ行ってもいいんです。」

「いえ、いえ」とホームズは、立ち上がりかけた客を椅子に押し戻しながら叫んだ。「実際あなたの事件は何としても逃すつもりはありません。実に目新しい珍事件です。しかしですね、言わせていただくなら、何かほんのちょっとおかしなところがありますね。どうぞ、ドアにカードを発見してあなたは何をしましたか?」

「私はぼう然としました。何をしていいのかわかりませんでしたよ。それから私は事務所を訪ね回ったんですが、そのことを何か知っているところは一つもないようでした。最後に私は一階に住んで会計士をやっている家主のところへ行き、赤毛連盟がどうなったのか知っているかと尋ねました。そんなものは一度も聞いたことがないと言われましてね。そこで私はダンカン・ロスさんってのは何者か訊きました。初めて聞く名前だという答えでした。

『ほらあの、』私は言いました。『四号室の人。』

『え、赤い髪の人?』

『そうです。』

『ああ、』家主は言いました、『あの人ならウィリアム・モリスって言うんですよ。弁護士で、新しい家屋が整うまで、便宜上一時的にうちの部屋を使っていたんですよ。』

『どこへ行けば会えますかね?』

『ああ、新しい事務所ですよ。住所を言っていきました。ええ、キング・エドワード街17、セントポール大聖堂の近くです。』

私は出かけましたがね、ホームズさん、その住所に着いてみるとそこは膝当ての工場で、ウィリアム・モリス氏にしろ、ダンカン・ロス氏にしろ、誰も知りませんでした。」

「それで、それからどうしました?」とホームズが尋ねた。

「サクス―コバーグスクエアの家に帰り、スポールディングの助言を聞きました。しかしちっとも役に立ちませんでしたよ。待ってりゃ郵便で言ってくるだろうって言うばかりで。でもそれではあまりおもしろくないんですよ、ホームズさん。こんな身分を何もせずに失いたくありませんでした、で、あなたがね、貧乏人でも困っていたら親切に助言してくれるって聞いていたもんで、まっすぐにこちらへ来たってわけです。」

「それは非常に賢明でした」とホームズは言った。「これはきわめて珍しい事件ですし、喜んで調査しましょう。あなたの話からすると、一見して思うよりも重大な問題がぶら下がってそうな気がします。」

「重大ですとも!」とジェイベズ・ウィルソン氏は言った。「私は週四ポンドを失っちまったんですよ。」

「あなた個人についていえば、」ホームズは言った、「この異常な団体に何ら不満はないものと思いますが。それどころかあなたは、僕の理解するところ、三十ポンドほど豊かになったし、それに詳細な知識を文字Aの項に記述されている事柄すべてにおいて得たことは言うまでもありません。それであなたが失ったものは何もありません。」

「ええ。ですがね、私は知りたいんですよ、連中のことを、連中が何者で、私にこんないたずらを――もしいたずらなら――をする連中の目的は何なのかを。だいぶ金のかかる悪ふざけでしたがね、なにしろ三十二ポンドかかったんですからね。」

「あなたのためにそれらの点を解明するよう努力しましょう。それと、まず一つ、二つ質問を、ウィルソンさん。あなたのとこのその店員ですがね、最初にあなたの注意を広告に向けさせた――どのくらいお宅にいたんですか?」

「あれが約ひと月たった頃です。」

「どうしてお宅へ?」

「広告に応じて。」

「応募したのは一人だけですか?」

「いえ、十人以上でした。」

「なぜ彼を選びました?」

「使いやすいし、安く来るもんで。」

「事実、半分の賃金でね。」

「そうです。」

「どんな男ですか、そのヴィンセント・スポールディングは?」

「小柄で、丈夫な体格で、やることは非常に敏捷で、三十はいってるのに顔にひげはありません。額に酸がはねて白くなったところがあります。」

ホームズはかなり興奮して椅子の上で座り直した。「そうだろうと思った」と彼は言った。「耳にイヤリングのための穴があいているのに気づきませんでしたか?」

「知ってます。子供の頃ジプシーがやってくれたと言ってましたが。」

「フム!」とホームズは言い、深い物思いに沈み込んでしまった。「その男はまだお宅にいますね?」

「ああ、ええ。たった今置いてきたところです。」

「あなたのいない間も商売に精を出していましたか?」

「何の文句もありません。午前中はあまりすることのあったためしがないですし。」

「結構です、ウィルソンさん。ぜひ一日、二日のうちにこの問題について意見を差し上げましょう。今日は土曜日、月曜日には結論を出したいですね。」

「さて、ワトソン、」客が立ち去るとホームズが言った、「これをいったいどう思う?」

「さっぱりわからないよ」と私は率直に答えた。「実に不可解なことだね。」

「一般に、」ホームズは言った、「異様なことほど、結局はそれほど不可解ではなかったことがわかるものだ。本当に難しいのは平凡な、特色のない犯罪だ。ちょうど平凡な顔が最も見分けにくいのと同じようにね。しかしこの件は迅速にやらなければなるまい。」

「それで何をするつもりだね?」と私は尋ねた。

「煙草を吸うんだ」と彼は答えた。「まずはパイプ三服の問題だから、五十分間僕に話しかけないように頼むよ。」彼は椅子の上で丸くなり、やせた膝を鷹のような鼻のところまで引き上げ、目を閉じ、陶製の黒いパイプを奇妙な何か鳥のくちばしのように突き出して座っていた。私がうとうとしながら、彼も寝入ってしまったと思い込んだ時、彼は突然、決断がついたというしぐさで椅子からパッと立ち上がり、パイプをマントルピースの上に置いた。

「セントジェイムズホールで午後、サラサーテの演奏があるんだ」と彼は言った。「どうかな、ワトソン?君の患者は数時間君がいなくても大丈夫かな?」

「今日は暇だよ。患者に忙殺されることなどないんだ。」

「では帽子をかぶって来たまえ。まずはシティーを通るから、途中で昼食にしてもいいね。ドイツ音楽が豊富なプログラムだよ。イタリアやフランスのよりも僕の好みに合うんだ。内省的だし、僕は内省したいんだ。行こう!」

私たちはアルダスゲイトまで地下鉄で行き、少し歩くと、その朝聞いた奇妙な物語の現場、サクス―コバーグスクエアに着いた。それはちっぽけな斜陽の地であり、二階建ての薄汚いレンガ造りの家々が四方から柵に囲まれた小さな空き地に面し、そこでは雑草だらけの芝生といくつかのしおれた月桂樹の茂みが煙漂う居心地の悪い大気に悪戦苦闘していた。角の家の三つの金色の球と茶色の板に白い文字の『ジェイベズ・ウィルソン』とが私たちの赤い髪の依頼人が店を経営している場所を知らせていた。シャーロック・ホームズはその前に立ち止まり、首をかしげ、すぼめたまぶたの間の目をきらきらと輝かせ、その全体をざっと見渡した。それから彼は、家並みを鋭い目で見つめながら、ゆっくりと通りを行ったり、そしてまた角まで来たり、と歩いた。最後に彼は質屋の店に戻り、ステッキで二、三度、力強く歩道を叩き、ドアに近寄り、ノックした。すぐにドアは開き、快活そうな、ひげのない若者がお入りくださいと言った。

「ありがとう、」ホームズは言った、「ここからストランドへはどう行けばいいのか聞きたいだけなんですが。」

「三つ目を右、四つ目を左」と店員は、ドアを閉めながら即座に答えた。

「頭のいい奴だ、あれは」と、店から離れ、ホームズは言った。「僕の考えではロンドンで四番目に頭のいい男であり、大胆不敵さにおいては第三位の資格もないとは言えないな。僕は前からちょっと知ってるんだ。」

「明らかに、」私は言った、「ウィルソン氏の店員はこの赤毛連盟の謎にかなり重要な意味を持っているね。単にあの男を見たいがために道を尋ねたんだね。」

「あの男をではない。」

「では何を?」

「あの男のズボンの膝だ。」

「それで何を見たんだ?」

「予期していたものを。」

「歩道を叩いたのはなぜだね?」

「ねえ博士、今は観察の時であって議論の時ではない。僕たちは敵国にいるスパイだ。サクス―コバーグスクエアについてはちょっとわかった。今度はその裏の地域を探検しようじゃないか。」

角を曲がると、後にしたサクス―コバーグスクエアとは絵画の裏と表ほどの著しい対照をなす道路に出た。そこは北と西へのシティーの交通を担う大動脈の一つであった。車道は流れ込み、流れ出る通商の二対の潮の巨大な流れにふさがれ、歩道は急ぎ歩く人々の群れで真っ黒だった。立ち並ぶ立派な店や堂々たる事務所を目の当たりにしながら、その裏側に実際に隣接しているところが、たった今出てきた、衰退し、活気のない一角であるとは本当にしにくいものがあった。

「さてと、」ホームズは角に立ち、家並みに沿って見渡しながら言った、「ちょっとここの建物の順序を覚えておきたいんだ。ロンドンを正確に知ることは僕の趣味だからね。モーティマーの店、煙草屋、小さな新聞屋、シティーアンドサバーバン銀行コバーグ支店、ベジタリアンレストラン、マクファーレン馬車製造の倉庫。それで別のブロックになる。さあ、博士、僕たちは仕事を終えたのだから、もう遊んでもいい時間だ。サンドイッチとコーヒー、それからバイオリンの世界へ出発だ。甘美と上品とハーモニーの世界には判じ物で僕たちを悩ませる赤毛の依頼人もいないよ。」

友は音楽にも熱中していて、彼自身、きわめて優れた演奏家であるばかりでなく非凡な作曲家でもあった。その午後を通して彼はこれ以上はない幸せに包まれて一等席に座り、細く、長い指を音楽に合わせて優しく揺らし、その優しく微笑んだ顔や気だるい、夢見るような目は探偵ホームズ、容赦ない、頭の切れる、迅速な犯罪捜査官ホームズのそれとは想像も及ばぬほど違っていた。彼の奇妙な性格においては二つの性質が交互に自己主張し、その極端な厳正さ、明敏さは時折彼のうちで優位を占める詩的、瞑想的気分に対する反動を表している、と私はよく考えたものだ。性質の振幅が彼を極端な気だるさから猛烈な活動へと導くのだ。そして、私にはよくわかっているが、何日も続けて肘掛け椅子に横になり、即興演奏やゴシック版に浸っている時の彼ほど恐るべきものはなかったのである。その時こそ追跡の欲望が不意に彼を襲い、彼の目覚しい推理能力が直感のレベルまで高まり、ついには彼の方法をよく知らない者などは普通の人間が誰も持ち得ない知識を持つ人として彼を不審の目で見ることになるのだった。その午後、セントジェイムズホールですっかり音楽に夢中になっているホームズを見た私は、彼が追いつめにかかっている連中に不吉な時が近づいているのを感じた。

「君は家に帰りたいだろうね、博士」と外に出た時彼が言った。

「ああ、その方がいい。」

「それに僕もやることがあって数時間かかりそうだ。このコバーグスクエアの事件は重大だよ。」

「重大とはなぜだね?」

「相当の犯罪が計画中なんだ。間に合ってそれを止められると信じるだけの根拠は十分にある。だが今日が土曜日だということがちょっと事を面倒にしているんだ。今夜は君の助けが必要になる。」

「何時に?」

「十時で充分間に合うだろう。」

「十時にベーカー街に行くよ。」

「結構。それからね、博士、ちょっと危険なことがあるかもしれないから、軍用のリボルバーをポケットに入れておいてくれ。」彼は手を振り、さっと向きを変え、たちまち人ごみの中へ姿を消した。

私は自分が周りの人間より鈍いとは思っていないが、シャーロック・ホームズと付き合っていると、自分が愚かだと感じていつも悲しくなる。この際、彼が聞いたことは私も聞いていたし、彼が見たことは私も見ていたのに、彼の言葉からすると、明らかに彼が何が起こったか、だけではなく、何が起ころうとしているか、もはっきりわかっているのに対して、私には事件全体がわけのわからぬばかげたもののままだった。馬車でケンジントンの家へ向かいながら私は、百科事典を複写する赤い髪の人の異常な物語から始まって、サクス―コバーグスクエアへの訪問、そして別れ際の彼の不穏な言葉に至るまで、すべてを熟考した。この夜の遠征はなんなのか、なぜ私は武装しなければならないのか?どこへ行こうとし、何をしようとしているのか?ホームズは、あの顔にひげのない質屋の店員は恐るべき男――深いたくらみを図りうる男だとほのめかした。私はその謎を解こうとしたが、あきらめて投げ出し、問題を棚上げにし、説明のもたらされる夜を待った。

九時十五分に私は家を出、ハイドパークを横切り、オックスフォード街を通ってベーカー街へ行った。二台のハンサムが玄関に止まっていて、廊下へ通ると、上から人声が聞こえた。部屋に入ってみると、ホームズは二人の男と活発に話を交わしていた。一人は警察官のピーター・ジョーンズとわかったが、もう一人は長く、細い、陰気な顔の男で、ぴかぴかの帽子と息も詰まるほどきちんとしたフロックコートを着けていた。

「やあ!僕たちの部隊は完成だ」と言いながら、ホームズはピージャケットのボタンをかけ、棚から重い狩猟用の鞭を取った。「ワトソン、スコットランドヤードのジョーンズ君は知っているね?こちらはメリーウェザーさんと言って、今夜の冒険で僕たちの仲間になっていただく人だ。」

「また二人一組で狩りですね、先生」とジョーンズはいつものもったいぶった言い方をした。「こちらの我々の友人は獲物を狩り出すことにかけては驚くべき人ですからね。あと必要なのは追い詰めるのを助ける老練な犬だけですよ。」

「狙った獲物はガチョウ一羽だったということにならないよう願いたいですな」とメリー・ウェザー氏が陰気に言った。

「ホームズさんのことは相当に信用してかまいません」と警察官は高慢ちきに言った。「この人には独自のちょっとした方式がありましてね、これがまあ、言わせてもらえれば、ほんのちょっと理論に偏り過ぎで空想的ですがね、探偵の素質はありますよ。一度か二度、あのショルトー殺しとアグラの財宝の事件のように、警察より真相に近かったことがあると言っても過言ではありません。」

「ああ、あなたがそう言うなら、ジョーンズさん、結構ですよ」と、まだよく知らないその人は服従して言った。「それでもねえ、実のところブリッジをやりそこねましたよ。三番勝負をやらない土曜の夜は二十七年間で初めてです。」

「今夜あなた方は、」シャーロック・ホームズが言った、「これまでに経験のない大きな賭けをすることになるし、最高にわくわくする勝負になると思いますよ。あなたにとっては、メリーウェザーさん、約三万ポンドの賭けになります。君にはね、ジョーンズ、君がつかまえたいと思っている男だ。」

「殺人犯、泥棒、偽造犯、模造犯のジョン・クレイ。若い男ですがね、メリーウェザーさん、その道ではトップですし、私はね、ロンドンのどんな犯罪者よりも奴に手錠をかけてやりたいんです。驚くべき男です、ジョン・クレイって奴は。おじいさんは王族の公爵、本人もイートンからオックスフォードです。器用な上に知能の方も狡猾な奴でね、事あるごとにあいつの気配に出くわすんだが、あの男本人をどこで見つけたらいいのかわかったためしがない。ある時はスコットランドでけちな窃盗をする、と次の週はコーンウォールで孤児院建設のために金を調達する。何年も追っていてまだ一度もあいつを見たことがないんです。」

「今夜君に紹介させてもらえるといいねえ。僕は一、二回ちょっとばかりジョン・クレイ氏と手合わせをしたが、君の言うとおりその道のトップだ。しかし十時を過ぎたし、まったくのところ出発する時間だ。君たち二人が一台目のハンサムに乗れば、ワトソンと僕は二番目ので追っかけますよ。」

長い道のりの間、シャーロック・ホームズはあまり話をせず、馬車の後ろにもたれ、昼間聞いた曲をハミングしていた。果てしなく入り組んだガス灯のともる街路を疾走し、やっと私たちはファリントン街へ出た。

「さああそこに近づいた」と友が言った。「あのメリーウェザーという男は銀行の重役で、事件に直接利害関係があるんだ。ジョーンズも一緒にいてもらった方がいいと思ってね。仕事の方はまったく無能だが、悪い男じゃない。明らかに一つ長所もある。ブルドッグのように勇敢だし、ロブスターのようにつかんだらもうしっかり握って離さない。さあ着いた、連中も僕たちを待っている。」

私たちは午前中に来た時と同じ、混雑した往来に着いた。私たちは馬車を乗り捨て、メリーウェザー氏の案内に従い、狭い通路を抜け、彼があけてくれた通用口から通った。中には細い廊下があり、その突き当たりは非常にどっしりした鉄の扉だった。これもまたあけられ、下に通じる石のらせん階段が続き、その終わりにはまたもや恐ろしげな扉だった。メリーウェザー氏は立ち止まって角灯をともし、それから私たちを下の暗い、土の匂いのする通路へ、そこで三番目の戸をあけ、そこらじゅうに木枠のやら大きなのやら箱が積まれている大きな地下室というか穴蔵へ案内した。

「上からに対してはあまり弱点はないですね」とホームズは、角灯をかざし、あたりを見つめながら言った。

「下からだって」とメリーウェザー氏は、床に敷き詰められた板石を叩きながら言った。「おや、ばかにうつろな音だな!」驚いて目を上げながら彼は言った。

「本当にもう少し静かにお願いしますよ!」とホームズはきつく言った。「あなたは早くもこの遠征隊の成功全体を危険にさらしたのですよ。失礼ですが、どうかそこらの箱の上に座って邪魔しないようお願いしたいですね。」

まじめくさったメリーウェザー氏は木箱に腰を下ろし、気を悪くした顔つきだったが、ホームズの方は床に膝をつき、角灯と拡大鏡を使って敷石の間の裂け目を詳細に調べ始めた。ほんの数秒で満足した彼はパッと立ち上がり、拡大鏡をポケットに入れた。

「少なくともまだ一時間あります、」彼は言った、「善良な質屋が間違いなく寝るまでは連中も何をするわけにもいかないですからね。その後は一刻も無駄にしないでしょう。仕事を早く済ませればそれだけ逃げる時間を長く取れますから。僕たちは今ね、博士―おそらく君は見抜いているだろうが―ロンドンの主要な銀行の一つのシティーにある支店の地下室にいる。メリーウェザーさんはその頭取だが、ロンドンの大胆な犯罪者たちが現在この地下室に相当の興味を持つ理由があることを説明してくださるだろう。」

「フランス金貨ですよ」と頭取は小声で言った。「何か企てがあるかもしれない、と何度か注意されてはいました。」

「フランス金貨?」

「ええ。数ヶ月前に財源を強化する必要があり、そのためにフランス銀行からナポレオン金貨三万枚を借り入れました。その金の荷を解く必要がなかったこと、それでまだこの地下室に眠っていることが漏れてしまいましてね。私が座っている木箱の中には二千枚のナポレオン金貨が幾層もの鉛の箔の間に詰められています。この準備した金は目下一支店が通常保管するものよりはるかに多いですし、重役の間でも不安を持っていたんですが。」

「それはきわめてもっともなことです」とホームズが言った。「さて、そろそろ手はずを決めておく時間ですね。一時間以内に事件は山場を迎えると思います。それまでメリーウェザーさん、その暗室灯に覆いをしなければなりません。」

「それで暗闇に座ってるんですか?」

「残念ながらそうなんです。ポケットにカードを一組を持ってきましてね、アベック二組ですから、それでも三番勝負をやれるかと思いまして。しかし敵の準備もかなり進んでますので、あえて明かりをつけておくわけにはいかないようですね。ではまず初めに立つ位置を選ばなければなりません。大胆な連中ですからね、僕たちが不意打ちを食わせるにしても、注意しないと危害を加えられるかもしれません。僕はこの木の箱の陰に立ちますから、あなた方はその辺の後ろに隠れてください。それから、僕が連中を明かりで照らしたら、すみやかに包囲してください。連中が発砲したら、ワトソン、ためらうことなく撃ってくれたまえ。」

私は銃の撃鉄を起こし、木製の箱の上に置き、その陰にかがんだ。ホームズが角灯の前の滑板をさっと動かし、真っ暗闇になった――私が経験したことのない完全な闇だった。残っている熱した金属の匂いが、明かりがまだそこにあり、いつでも即座に光を放つことを私たちに保証していた。私は期待とともに神経を高ぶらせながら、突然の暗闇と地下室の冷たく湿った空気の中で何か気のめいる、抑えつけられるようなものを感じていた。

「退路は一つだけだ」と小声でホームズが言った。「すなわちあの家を通ってサクス―コバーグスクエアへ戻ることだ。僕が頼んだことをやってくれたろうね、ジョーンズ?」

「玄関口に警部が一人、警官が二人待機しています。」

「するとすべての穴をふさいだわけだ。それでは静かに待つばかりだ。」

何という時間だったろう!後で記録を突き合わせるとほんの一時間十五分だったのに、私には夜はほとんど過ぎ行き、夜明けが訪れているにちがいない、と思われた。位置を変えるのをためらったため、手足が疲れ、こわばっていた。それでも神経の緊張は最高度に高まっていたし、聴覚は鋭敏になって仲間たちの静かな息遣いが聞こえるばかりでなく、大きなジョーンズのより深く、激しく吸い込む息と、銀行の重役のかぼそい、ため息のような音を聞き分けることもできた。私の位置からは箱越しに床の方向が見えた。突然、私の目が光のきらめきを捉えた。

初めそれは石の舗装の上の薄黄色の閃光にすぎなかった。それからそれは長くのびて一筋の黄色い線になり、それから前兆も音もなく、裂け目が口をあけたように見え、手が一つ現れた。白い、女のような手で、それが光の当たる小さな範囲の中心を探った。一分かそこら、その手は指をくねらせながら床から突き出ていた。それからそれは現れた時と同じように突然引っ込み、石の間の裂け目を示す一筋の薄黄色のきらめきを除いて再び真っ暗になった。

しかしそれが姿を消したのはほんの束の間のことだった。つんざき、引き裂くような音とともに、幅の広い、白い石の一つが横倒しにひっくり返り、四角い穴がぽっかりと口をあけ、そこから角灯の光が流れ込んだ。その縁からひげのない少年のような顔がのぞき、あたりを鋭く見回し、それから開口部の両側に手をかけ、自身を肩の高さまで、そして腰の高さまで引き上げ、ついには片膝を縁にのせた。次の瞬間、彼は穴の傍らに立ち、彼に続く仲間、彼と同じようにしなやかで小柄で、青白い顔に真っ赤なもじゃもじゃ頭の仲間を引っ張っていた。

「邪魔物はない」と男はささやいた。「のみと袋は持ってきたか?なんてこった!跳べ、アーチー、跳べ、ひどいことになった!」

シャーロック・ホームズが飛び出し、侵入者の襟をつかんだ。もう一人は穴へもぐりこんだが、ジョーンズにすそをつかまれ、服のちぎれる音が聞こえた。リボルバーの銃身に光が当たってきらめいたが、ホームズの狩猟用の鞭が男の手首を襲い、ピストルは石の床にかちりと音を立てた。

「無駄だ、ジョン・クレイ」とホームズは穏やかに言った。「君の勝ち目はまったくない。」

「そのようだな」と相手はまったく冷静に答えた。「仲間は大丈夫らしいな、コートのすそを持っているようだが。」

「玄関で三人待っているよ」とホームズが言った。

「ほう、そうかい!どうやら完璧にやってのけたようだな。敬意を表さねばならんな。」

「それはこちらもね」とホームズは答えた。「赤毛の着想はきわめて斬新で有効だった。」

「すぐにまた仲間に会えるさ」とジョーンズが言った。「穴を這い下りるのが私より速かったな。手錠をかける間ちょっと手を差し出すんだ。」

「その不浄な手で私に触らないでいただきたいな」と、手首にがちゃりと手錠をかけられた囚人は言った。「ご存じなかろうが私のからだには王室の血が流れているんだ。私に話しかける時は常に『どうぞ』とか『お願いします』とか言うようにしてもらいましょう。」

「結構」とジョーンズはじろじろ見、くすくす笑って言った。「では、まことにあいすみませんが、どうぞ、階上の方へお運びいただきますれば、馬車をば整えまして、殿下を警察署へお連れ申し上げたく存じます。」

「それでよろしかろう」とジョン・クレイは穏やかに言った。彼は私たち三人にさっとお辞儀をし、刑事に付き添われて静かに歩み去った。

「本当にホームズさん、」彼らに続いて地下室を出ながらメリーウェザー氏は言った、「当銀行はどのようにあなたにお礼を申し、報いたらいいのかわかりません。間違いなくあなたは、私の経験からしても最も胆の据わった銀行強盗の企てを完璧なやり方で看破し、打ち破ったのです。」

「僕自身一つ、二つ、ジョン・クレイ氏には返さなければならない借りがあったんです」とホームズは言った。「この件では少しばかり費用がかかりましたので、銀行に払ってもらうつもりですが、それにもまして、いろいろな意味で比類ない経験をしたこと、赤毛連盟という実に珍しい物語を聞けたことで充分な報酬を受けているのです。」

「いいかい、ワトソン、」翌朝早く、ベーカー街でウィスキーソーダを飲みながら彼は説明した、「初めから明々白々なことだったが、このかなり異様な連盟の広告、百科事典の複写の目的として唯一考えられるのは、あのあまり頭のよくない質屋に毎日幾時間かよそへ行ってもらうことにちがいない。奇妙なやり方でやってのけたものさ、しかし、実際のところ、もっといいやり方を挙げてみろといっても難しいね。この方法は疑いなく、共犯者の髪の色を見てクレイの独創的な頭に浮かんだものだ。週四ポンドのおとりで質屋を引きつけなければならなかったが、それが何だろう、彼らは何千の勝負をしていたんだからね。悪党どもは広告を出し、一人が仮の事務所を構え、もう一人があの男が応募するようにそそのかす、連携して平日は毎朝必ず彼が留守にするよう、うまくやってのける。店員が半分の給料で来ていると聞いた時から、僕にはそいつに何かその勤め口を確保する強い動機のあることが明白だったよ。」

「しかしどうやってその動機が何かを解き当てたんだね?」

「あのうちに女どもでもいれば、単なる下劣な陰謀を疑うべきところだった。しかしそれは問題外だった。あの男の商売は小体で、連中がしたような手の込んだ準備や支出の説明となりうるものは何もなかった。何がありうるだろうか?僕は店員の写真の趣味、地下室へ姿を消すやり方を考えてみた。地下室!そこにこのもつれた手がかりの端があったのだ。そこで僕はこの不可思議な店員について尋ねてみたのだが、ロンドンでも最も冷静で大胆な犯罪者の一人を相手にしなければならないことがわかった。その男が地下室で何かをやっている――一日何時間もかけて何ヶ月も続く何事かを。ここでもう一度、何がありうるだろうか?僕が思いついたことはただ一つ、彼はどこか別の建物へトンネルを通しているんだ。

ここまで達してから、僕は君と活動の現場を訪れた。ステッキで歩道を叩いて君をびっくりさせたね。地下室が伸びているのは前か後ろか、僕は確かめていたんだ。そこで僕はベルを鳴らし、すると期待通り、件の店員が出てきた。僕たちは以前に何度か小競り合いを経験したが、互いを見たことは一度もなかった。顔はほとんど見なかったよ。見たかったのはあの男の膝だ。君も気づいていたろう、どれだけすりきれ、しわになり、汚れていたか。穴掘りの時間を語っていたね。残ったのは何のために穴を掘っているかという点だけだ。あの角を曲がり、シティーアンドサバーバン銀行が僕たちの友人の建物と隣り合っていることがわかって、問題を解決したぞ、と僕は思った。コンサートの後、君が家に帰ると、僕はスコットランドヤードに寄り、あの銀行の頭取を訪ね、結果は見ての通りだ。」

「だがどうして今夜企てるとわかったんだね?」と私は尋ねた。

「そうだね、連盟の事務所を閉めたということはもうジェイベズ・ウィルソン氏がいてもかまわないことを示していた――言い換えれば、連中はトンネルを完成させたんだ。ところがそいつはすぐさま利用することが肝要だ、見つかるかもしれないし、金貨が移されるかもしれないからね。土曜日は彼らにとってほかの日より都合がいい、逃げるのに二日あるから。こうした理由すべてから、僕は連中が今夜来ると思ったのだ。」

「見事に論理的に解決したね」と私は偽らざる感嘆とともに叫んだ。「とても長い鎖だが、すべての環から真実の音色が響いている。」

「僕を退屈から救ってくれたよ」と彼はあくびをしながら答えた。「ああ!早くもそいつが近づいてくるのを感じる。僕の人生は平凡な存在から逃れようとする長く続く努力に費やされるんだ。こういうちょっとした問題がそれを助けてくれるのさ。」

「それでいて君は人類の恩人だよ」と私は言った。

彼は肩をすくめた。「まあ、ことによると、とにかく多少は役に立っているのかな」と彼は言った。「ギュスターヴ・フローベールがジョルジュ・サンドに言っている通り、『人間は無である――仕事がすべてだ。』」


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