ジョージ・オーウェル

荒廃したドイツの未来


ドイツの中心へと進んで行くに従って連合国の爆撃機によって作り上げられた廃墟がますますあらわにされていく。これらを目にしたほとんど全ての者にわきあがる感想が三つある。一つ目は「故郷にいる人々にはこんな光景は想像もつかないだろう」、二つ目は「彼らが戦い続けられていたのは奇跡だ」、そして三つ目は「これを再建する苦労は考えもつかない!」だ。

連合国によるドイツへの大空襲の規模が今になってもこの国この国:イギリスを指すで認知されていないことは全くの真実であるし、それはドイツの抵抗を打ち破ったことがおそらくは過小評価されていることとつながる。航空戦の真に迫った報道は難しいし、私たちが過去四年間にドイツにおこなったことはたんに一九四〇年一九四〇年:ロンドン大空襲が行われた年に彼らが私たちにおこなったのと同じことであると普通の人々が想像しても無理からぬことだ。

しかし合衆国においてさえ間違いなく一般的な意見であるこの思い違いは潜在的な危険を秘めている。そして平和主義者や人道主義者たちによって表明される無差別爆撃に対する抗議の声はたんに問題を混乱させているだけだ。

爆撃がとりわけ非人道的であるということはない。戦争そのものが非人道的であるし、産業と運輸を麻痺させるのに使われた爆撃機は比較的文明化された兵器だ。「通常の」あるいは「まっとうな」戦争とはまさに無生物と莫大な数の人命を灰燼に帰す行為なのだ。

さらにいえば爆弾は人々を区別なく無機質に殺すのに対して、戦争で人の手が殺すのは少なくとも失っても社会が耐えられる者だけだ。イギリスの人々は市民への爆撃という行為について決して心穏やかではいられないし、最終的にドイツ人たちを打ち負かせばすぐに彼らに対して哀れみをかける準備が整うであろうことは疑いない。だが彼らがまだ理解していないことがある……相対的に彼らがそれから免れられているおかげだ……それは近代戦の持つ恐るべき破壊性と現在、世界全体の前に横たわる長期的な貧困化だ。

ドイツの破壊された町々を歩けば文明の持続性について強い疑念を抱かずにはいられない。思い出しておかなければならないのは爆撃を受けたのはドイツだけではないということだ。同じような廃墟がブリュッセルからスターリングラードまでの地域に広がり、あるいは散在しているのだ。そして地上戦があった場所ではさらに徹底的な破壊がおこなわれた。マルヌからライン川の間の三百マイルに及ぶ地域で吹き飛ばされていない橋や陸橋といったものは存在しない。

ご存知の通りイングランドにおいてさえ三百万の家屋が不足し、実際にそれが建設されるまでにはかなりの期間を要する可能性が高い。だがドイツではいったいどれほどの家屋が足りていないのだろう? ポーランド、ソビエト連邦、あるいはイタリアでは? 数百におよぶヨーロッパの都市を再建する途方も無い仕事について考えれば一九三九年一九三九年:第二次世界大戦が始まった年当時の標準的な生活水準に戻るのにさえ長い期間が必要なことに気がつく。

私たちはまだドイツに加えられた損害の全容を把握していないが、これまでに制圧された地域から判断してそれが財貨の形であろうと労働の形であろうと何らかの賠償をおこなう力がドイツ人たちに残されていると考えることは難しい。ドイツの人々に家屋を与え、破壊された工場を稼働できるようにし、外国人労働者が解放された後もドイツの農業が崩壊しないよう保つだけでもドイツ人たちが賠償として支払うであろう労働力の全てを使い果たすことになる。

もし計画された通りに復興作業からドイツ人のうちの数百万が排除されればドイツの復興自体が遅延していくだろう。先の戦争先の戦争:第一次世界大戦を指す。第一次世界大戦後、ドイツは膨大な賠償金を課せられた。の後、膨大な金銭的賠償を得るのが不可能であることが最終的に理解されたが、それがどのような国であれ貧困化は世界全体に対して好ましくない作用を与えるということはあまり理解されていない。ドイツを辺境のスラム街に類したものに変えることによって得られる利益などありはしないだろう。

 
1945年4月8日
Observer

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