ジョージ・オーウェル

北と南


南部や東部に慣れた者が北部を旅したとしよう。バーミンガムを超えるまではそれといった違いは目に留まらない。コベントリコベントリ:イングランド中部の都市にいるのもフィンズバリー・パークフィンズバリー・パーク:ロンドン北部の地区にいるのも大差ないし、バーミンガムバーミンガム:イングランド中部の都市のブル・リングブル・リング:バーミンガムにある商業区域はノリッジ・マーケットノリッジ・マーケット:イングランド東部ノーフォーク州にある商業区域とよく似ている。そしてイギリス中部の市街全体には南部のそれと見分けのつかない文明的な郊外住宅が広がっている。しかしもう少し北へ進み、陶業が盛んな町を越えたあたりになると産業主義の持つ真の醜さが目に留まり始める……その醜さはあまりに恐ろしくあからさまなもので、あるがまま受け入れざるを得ないものだ。

スラグの小山は控えめに言っても気味の悪いものだ。あまりに無計画で無機能なのだ。大地に放り出されたそれは、まるで巨人のごみ箱の中身を打ち捨てたかのようだ。炭鉱街の外縁には恐るべき光景が広がっている。そこでは見渡す限りをぎざぎざとした灰色の山々が取り囲み、足元は泥と灰だらけで、頭上の鋼鉄のケーブルを土砂の入った桶がゆっくりと数マイルにわたって進んでいく。ときおりスラグの小山から火が出て、夜になると炎の赤い小川があちらこちらを曲がりくねりながら進むのが見える。またゆっくりと揺れる硫黄の青い火炎も目に留まるが、それは消えたり再び発火したりを常に繰り返している。スラグの小山が徐々に消え、完全に無くなって表面に生える気色悪い茶色の雑草だけになっても、丘のような地形はそのまま維持される。ウィガンウィガン:イングランド北部のグレーター・マンチェスター州の都市のスラム街にあるそうした丘のひとつは遊び場として使われているが、まるである瞬間に凍結された波打つ海のように見え、地元では「フロック・マットレス」と呼ばれている。例え数世紀後でも、かつて石炭が掘られていた場所を畑にすれば古い時代のスラグの小山の跡は飛行機から見分けがつくことだろう。

ウィガンのひどく気味の悪い郊外で過ごしたある冬の午後のことを私は憶えている。周囲にはスラグの小山が並び、まるで月面にいるかのようだった。北部でスラグの小山の間のもうしわけ程度の道を歩けば、煙をもうもうと吐き出す工場の煙突を目にすることができるだろう。運河の脇の道では石炭の燃え殻と凍てついた泥が混ざりあい、無数の木靴の足跡が刻み込まれている。あたりは見渡す限りのスラグの小山、そして「フラッシュ奔流」……古い立坑の沈下によって出来たくぼみに溜まったよどんだ水たまり……が広がる。恐ろしく寒かった。「フラッシュ」は黄褐色の氷で覆われ、遊覧船の船頭は目だし帽をかぶり、水門にはつららが下がっていた。世界から植物が消え去ったかのようで、煙、がれき、氷、泥、灰、汚れた水の他には何も存在しなかった。しかしシェフィールドシェフィールド:イングランド北部のサウス・ヨークシャー州の都市に比べればウィガンもまだ美しいと言える。シェフィールドは旧世界でも、もっとも醜いと呼ぶにふさわしい町なのではないかと私は思う。全てにおいて自らの町が傑出していることを望むその町の住民は醜さでもそれを主張しているのだろう。人口は五十万人ほどだが五百人が住むイースト・アングリアイースト・アングリア:イングランド東部を指すの平均的な村よりもまともな建物が少ない。さらにその悪臭だ! まれに硫黄の臭いがしない場合でもガスの臭いは決して消えない。町の中を走る浅い川さえ、たいてい化学薬品か何かで明るい黄色をしているのだ。以前、通りで立ち止まって目に留まる限りの工場の煙突を数えたことがあるが全部で三十三本あった。しかしもし煙で視界が曇っていなければもっとずっと多くの煙突が見えたことだろう。とりわけ記憶に残っている光景がある。草も生えないほど痛めつけられ、新聞紙と古い片手鍋とが散らばる気味の悪い荒れ果てた土地だ(どうしたわけかあの地では荒れた土地はロンドンでさえあり得ないほど薄汚れていく)。右手には四部屋からなる不気味な家屋が一列に並び、その家々は煙にいぶされて暗赤色に黒ずんでいる。左手には工場の煙突が立ち並ぶ眺めが果てしなく広がる。煙突、また煙突、それらが薄暗い黒々としたもやの中へと消えていくのだ。私の背後には溶鉱炉から取り出されたスラグで作られた、鉄道のための盛り土があった。眼前の荒れ果てた土地の向こうには赤と黄のレンガで作られた立方体の形をした建物があり、「トーマス・グロコック、運送請負」という看板がかかっていた。

夜になり家々の不気味な形や煤けた色々なものの姿が見えなくなるとシェフィールドのような町は不吉で雄大な姿へと変わる。ときおりたなびく煙は硫黄を含んでバラ色を帯び、回転のこぎりの刃に似た火炎が鋳物工場の煙突の雨除けの下から漏れ出す。鋳造工場の開け放たれたドアの向こうには火照った顔の少年たちに引きずり回される赤熱した鉄の蛇の姿を見て取ることができ、蒸気ハンマーのうなり声と槌音、その下で鍛えられる鉄の上げる叫び声が聞こえる。陶業が盛んな町もそのみすぼらしさと醜さにおいてはほとんど同じだ。立ち並ぶ小さな煤けた家並みの間、かつての通りの一部には「ポット・バンクス」がある……これは円錐状のレンガ積みの煙突で、まるで地面に埋められた巨大なワイン・ボトルのようだ。その煙はちょうど人間の顔のあたりに吐き出される。数百フィートの長さで深さも同じくらいの巨大な粘土層の裂け目を目にすることもある。かたわらでは線路の上を錆びの浮いた桶が鎖に引かれて這い進み、その反対側では労働者が野草を採集するかのように地面に取りついて、つるはしで崖の斜面に切り込んでいる。私がそこを通りかかったのは雪が降る季節のことだったが、雪さえも黒く汚れていた。陶業が盛んな町の唯一の救いは町が非常に小さく、突然終わるということだ。十マイルも行くと汚されていない土地に出る。丘の斜面は自然のままで、陶業街は遠くに染みのように見えるだけだ。

こうした醜さについて考える時、二つの疑問が起きる。一番目は「これは避けがたいものなのか?」ということ、二番目は「これは問題なのか?」ということだ。

私は産業主義に本質的で避けがたい何らかの醜さがあるとは思わない。工場、あるいはガス工場であっても宮殿や犬小屋、大聖堂よりも醜くくなることが自然の要請であるはずはない。こうしたものはその時代における建築の伝統に依存するものなのだ。北部の産業地域が醜いのはそれがたまたま鉄筋構造や排煙軽減に関する近代的手法が知られていない時期、人々が金儲けに忙しく他のことに頭が回らない時期に作られたためなのだ。こうした醜さがたいていにおいてそのまま続いているのは北部の人間がそれに慣れ、その醜さに気がついていないためだ。シェフィールドやマンチェスターマンチェスター:イングランド北部グレーター・マンチェスター州の都市の人々の多くはコーンウォールの断崖コーンウォールの断崖:イングランド南西部のコーンウォール半島の海岸線を指すの空気を吸えば、なんと無味無臭なのかと声を上げるだろう。しかし戦争以来、産業は南部に向かって移動しつつあり、その姿はかなり整ったものになりつつある。戦後に建てられた典型的な工場は荒涼としたバラックではないし、そこには煤も煙を吐き出す煙突によるひどい無秩序も存在しない。それはコンクリート、ガラス、鋼鉄でできた白く輝く建築物で、緑の芝地とチューリップの咲く花壇で囲まれている。グレート・ウェスタン鉄道グレート・ウェスタン鉄道:ロンドンとイングランド南西部やウェールズを結んでいた鉄道に乗ってロンドンから出る時に通り過ぎる工場を見るといい。美における偉業とは呼べないだろうがシェフィールドのガス工場同様の醜さであると言うことは間違いなくできない。しかしいずれにせよ、産業主義の持つ醜さはそのもっとも目立つ特徴であり、初めてそれを目にした者はそれを大声で指摘する。しかし、そのこと自体が重要な問題かどうかは私は疑問に思っている。おそらく産業主義を何か別のものとして隠蔽しようとすることは望ましくないとさえ言えるだろう。オルダス・ハクスリーオルダス・ハクスリー:イギリスの作家。「すばらしい新世界」で有名。氏がいみじくも指摘するように、暗黒の悪魔的な工場は暗黒の悪魔的な工場のように見えるべきであり、決して神秘的で光輝く神々の寺院のように見えてはいけないのだ。さらに言えば、例え最悪の産業街であっても狭小な美的感覚における醜さとは無縁なものを膨大に見て取ることができる。煙を吐き出す煙突や悪臭を放つスラム街が不快なのは主としてそれが歪んだ生活と病に苦しむ子供たちを暗示するからだ。純粋に審美的観点から見れば、そこにはある種の恐ろしい魅力があるのではないだろうか。それをひどく忌み嫌いながらも、そこには私の興味を引くとてつもなく奇妙で普遍的な何かがあることに私は気がついた。ビルマの風景は当時、私をひどく苛んで私はそれを悪夢のように思った。後になってもそれは記憶に取り憑いて離れず、逃れるために私はそれについての小説を書かなければならなかった(東洋について書かれた小説では決まって風景が重要な題材になる)。アーノルド・ベネットアーノルド・ベネット:イギリスの自然主義文学作家、評論家がそうしたように、産業街の暗闇からある種の美を取り出すことは実に容易なことだろう。例えばスラグの小山について詩を書くボードレールボードレール:シャルル・ボードレール。フランスの詩人、評論家などは簡単に想像することができる。しかし産業主義の美醜はたいした問題ではない。その本当の邪悪はずっと奥深いところに存在し、根絶不可能なものなのだ。これは心に留めておくに値する重要なことだ。なぜなら産業主義はそれが清潔で秩序だっていれば無害である、という誘惑が常に存在するからだ。

しかし北部産業地帯へ行くとその見慣れない風景を別にしても奇妙な土地に踏み込んだという気分になる。その一部は確かに存在する特定の現実的な違いによるものだが、それに加えて、とてつもなく古い時代から私たちに刷り込まれている北部・南部のアンチテーゼによるものでもあるのだ。イングランドには奇妙な北部崇拝、北部的選民意識とでも言うべきものが存在する。南部に住むヨークシャーヨークシャー:イングランド北部の旧県名。1974年に分割されて廃止。生まれの人間は、決まって相手を劣った人間と見下す態度を取って見せる。もしその理由を尋ねれば、北部での生活だけが「本物」の生活であり、北部でおこなわれている産業労働だけが「本物」の労働であり、北部には「本物」の人々が住む、南部には不労所得者とその寄生者しか住んでいないのだと説明することだろう。北部の人間は「気概」があり、意志が強く、「頑固で」、勇敢で、人情があり、民主的である。南部の人間はお高くとまり、女々しく、怠惰である……ともあれこれが通説なのだ。このため南部の人間が北部を訪れると、最初のうちは野蛮人の中に飛び込んだ文明人が感じるような漠然とした劣等感を感じることになるし、その一方でヨークシャーの人間はスコットランドスコットランド:イギリス北部にあるイギリス構成国(カントリー)の人間がそうであるように、ロンドンに来ると略奪目的の野蛮人のような気持ちになるのだ。伝統に基づいた結果であるこうした感情が明白な事実によって影響を受けることは無い。身長五フィート四インチ、胸囲二十九インチしかないイギリス人であってもイギリス人である以上はラテン系の人間よりも肉体的に優れていると感じる。同じことが北部の人間と南部の人間に対しても言える。ある貧弱で小柄なヨークシャーの人間のことを私は憶えている。フォックステリアが噛みつこうとすれば彼はまず間違いなく逃げ出しただろうが、彼は私にイングランド南部にいると自分が「野蛮な侵略者」になったような気がすると話した。しかしこの崇拝はしばしば北部生まれでない人々にも見られる。一、二年前、南部育ちで今は北部に住んでいる友人の一人が私をサフォークサフォーク:イングランド東部の州にドライブに連れて行ってくれたことがあった。私たちはとても美しい村を通り過ぎた。その村の小さな家屋を非難がましく一瞥して彼は言った。

「もちろんヨークシャーの村の大半はひどいものだが、ヨークシャーの人間はすばらしい連中さ。こっちへ来るとそれがちょうど逆さまになっている……美しい村に不愉快な人間だ。ああいう小屋に住んでいる人間は全員ろくでなしだ。まったくの役立たずなのさ」

あの村に住んでいる誰かと知り合いなのかと私は尋ねずにはいられなかった。答えはノーだ。彼は誰とも知り合いではなかった。しかしここはイースト・アングリアであり、そうであれば住人がろくでなしなのは明らかなことなのだ。別の友人も南部の生まれだったが南部を腐さずに北部を褒めることはなかった。彼からの手紙からひとつ抜き書きしてみよう。

レインズのクリザーロークリザーロー:イングランド北部の都市にいます……湿地と山がちな地方での方が太ってのろまな南部でよりもずっと川は魅力的に見えます。「端然たるスマッグ銀なるトレント川」とシェイクスピアシェイクスピア:ウィリアム・シェイクスピア。16世紀に活躍したイギリスの劇作家。は書きました。南部の人間はうぬぼれ屋スマッガーあると私は書いておきましょう。

ここに北部崇拝の興味深い例が見てとれる。私やあなた、イングランド南部の全員が「太ってのろま」と書き殴られている一方で水さえもある緯度より北に行くとH2Oであることを止めて何か神秘的で優れたものへと変わるのだ。しかしこの一文で興味深いのはその書き手が「進歩的」思想を持ったとても知的な人間であり、普段はナショナリズムに対しては軽蔑の念以外持たないような者であるという点なのだ。「イギリス人には外国人三人分の価値がある」といったような主張を聞けば彼は慄然としてそれを否定することだろう。しかしそれが北部対南部という問題になると、とたんに一般化したがるのだ。全てのナショナリスティックな区別……頭蓋骨の形や方言の違いを理由にある者が他の者よりも優れているとする全ての主張……は完全なる誤りであるが、人々がそれを信じている以上は大きな意味を持つ。南部に住む者は劣っているとイギリス人が生来信じ込んでいることは疑いない。そのことは私たちの外交政策にある程度の影響さえ与えている。従ってそれがいつ、そしてなぜ始まったのか指摘しておくことには価値があると思う。

ナショナリズムが初めてひとつの宗教にまでなった時、イギリス人は地図を見て自分たちの島が北半球の非常に緯度の高いところにあることに気がつき、北に行くほど好ましい暮らしがおこなわれるようになるという都合のいい理論を考え出した。私が子供の頃に教えられた歴史は寒冷な気候は人々を活動的にする一方で温暖な気候は人々を怠惰にするという素朴な説明からはじまり、それゆえにスペイン無敵艦隊は敗北したのだと説明していた。イギリス人は優れた活力を持つという戯言(実際には彼らはヨーロッパで一番怠惰な人々だ)はここ百年で言われ出したことだ。一八二七年のクォータリー・レビューでは書かれている。「私たちにとってはオリーブやブドウや悪徳に囲まれて楽しむよりも自らの国のために働くよう言われた方がずっとましなのだ」。「オリーブやブドウや悪徳」の組み合わせこそは標準的なイギリス人のラテン民族への態度そのものである。カーライルカーライル:トーマス・カーライル。イギリスの歴史家、評論家。やクリーシークリーシー:ジョン・クリーシー。イギリスの作家。といった人々の書く神話では北方の人間(「ドイツ人」後になると「北欧人」)は立派な体格をした頑健な連中で金色の口ひげと清廉な道徳を持っている一方で、南方の人間は狡猾、臆病、放蕩である。この理論が最終的な論理の帰結、つまり世界でもっとも優れた人々はエスキモーであるというところまで推し進められることは決してないが、自分たちよりも北に住む人々は自分たちよりも優れているのだという考えは引き起こされる。スコットランドやスコットランドの物への崇拝が過去五十年の間にイギリス人の生活に深く刻み込まれた一因はここにある。しかし北部・南部のアンチテーゼにその特有な歪みを与えたのは北部の産業化だった。比較的最近になるまでイングランド北部は発展が遅れた封建的地域であり、既存産業が集中していたのはロンドンと南東部だった。例えば、おおまかには財貨と封建主義との戦争と言えるイングランド内戦では北部と西部は国王側につき、南部と東部は議会側についた。しかし石炭利用の増加とともに産業は北部へと移動し、新しいタイプの人間が現れるようになった。一代で財を成した北部の実業家……ディケンズディケンズ:チャールズ・ディケンズ。イギリスの作家。によって描かれたラウンスウェル氏とバウンダービー氏のような人々である。「弱肉強食」という忌まわしい信条を持つ北部の実業家は十九世紀における支配的な姿で、暴君の亡霊とでも言うべきものとしていまだに私たちを支配している。これこそがアーノルド・ベネットによって推奨されているタイプの人間なのだ……初めは半クラウンの財産から出発して、最後には五万ポンドの財産家になる、金を稼いだ後にはその前よりもずっと無作法に振る舞うことで自尊心の大きな部分を満たす人間だ。つまるところその唯一の徳は金を稼ぐ才能なのだ。偏狭、下劣、無学で、がめつく、粗野であるにも関わらず、彼に「気概」があり「成功」していること、言い換えれば稼ぎ方を知っていることに私たちは称賛の声を上げるのだ。

こうしたまやかしは現在では完全に時代錯誤なものになっている。北部の実業家はもはや栄えているとは言えないためだ。しかし伝統が事実によって消し去られることは無く、北部の「気概」という伝統は根強く残っている。南部の人間が失敗するような場面でも北部の人間なら「成功」する、つまり金を稼ぐだろうという考えさえいまだにぼんやりと残っている。ロンドンにやって来たヨークシャーの人間、スコットランドの人間は全員、心の奥底では、少年の頃に新聞の売り子から始めて最後には市長になったディック・ウィッティントンディック・ウィッティントン:イギリスの昔話の主人公。チャールズ・ディケンズ。14世紀から15世紀にかけて活躍した政治家リチャード・ウィッティントンがモデルと言われる。のように自らを描いているのだ。実際のところその尊大さの根底にあるのはそれなのだ。しかしこうした感覚が本当の労働階級にまで延長できると考えるのは大きな間違いである。何年か前、初めてヨークシャーを訪れた時、私は自分が無作法者の土地へと行くのだと想像していた。私は、うんざりするほど話が長く、自らの方言が強烈であることに誇りを抱く(「今日の一針、明日の十針」とウエスト・ライディングでは言ったもんだ、といった具合の)ロンドンに住むヨークシャー生まれの人間に慣れきっていて、相当な無礼に出くわすことを覚悟していた。しかしそういったものに私が出くわすことはなかったし、炭鉱夫たちの間でもまったくその気配はなかった。実際のところランカシャーランカシャー:イングランド北西部の州とヨークシャーの炭鉱夫の親切で礼儀正しい対応には困惑さえするほどだった。私が強い劣等感を覚える種類の人間がいるとすれば、それは炭鉱夫だ。この国の別の地方から来たということを理由に私を侮蔑する様子を見せた者は間違いなく一人もいなかった。イギリスの地域的な選民意識がナショナリズムの縮図であることを思い出せばこれには重要な意味がある。地域による選民意識は労働階級の特性ではないことを示しているのだ。

それでもなお北部と南部の間には現実的な違いがある。イングランド南部を社交界の暇人が住むひとつの巨大なブライトンブライトン:イングランド南東部の都市。イギリス有数の海浜リゾート地。として描くことにはいくばくかの真実味があるのだ。気候的な理由のせいで寄生的な配当生活階級は南部に居を構える傾向がある。ランカシャーの綿花街ではおそらく数か月暮らしたところで一度も「教育ある」アクセントを耳にすることはないだろうが、イングランド南部の町では石を投げれば司祭の姪に当たるだろう。こうした結果、先導する下級貴族もおらず、労働階級のブルジョア化は北部で開始してはいるが、ずっとゆっくりとしか進行していない。例えば北部のアクセントは強力に生き残っているが南部のそれは映画とBBCの前に崩れ去りつつある。このため「教育ある」アクセントは下級貴族集団というよりは外国人の証となっている。これには大きな利点がある。労働階級と接触するのがずっと容易になるのだ。

しかしそもそも労働階級と本当に親しくなることは可能なのだろうか? これについては後ほど議論する必要があるだろうが、ここではそんなことは不可能であると私は考えているということだけを言っておこう。しかしほとんど対等な立場で労働階級と向き合おうとすればそれは南部でよりも北部での方が簡単であることは疑いない。炭鉱夫の家に住み、家族の一員として受け入れられるのは実にたやすいことだ。例えば南部の田舎町で農業労働者が相手だとそんなことはまず不可能だろう。私は労働階級を長く見てきたのでとてもではないが彼らを理想化しようとは思わないが、それでももし労働階級の家庭におもむけば学び取れることが大量にあることはよく理解している。重要なのは他の階級と触れ合うことで中産階級の理想と偏見を問い直すことであり、その時、その他の階級は中産階級より優れている必要はなく確固とした違いがありさえすればいいのだ。

家族に対する態度の違いを例に挙げてみよう。中産階級がそうするのと同じように労働階級の家族は一緒になってくつろぐが、彼らの関係は専制的なところがずっと少ない。労働階級の人間は家名という致命的重さの重荷を持っていない。前に指摘したように中産階級の人間は貧困の影響下では完全にばらばらになってしまう。そして一般的にこれはその家族の振る舞い……「成功」できていないことを昼夜を問わずしつこく咎め立てる無数の親族がいるという事実のためなのだ。労働階級は団結の方法を知っているが、中産階級はそれを知らないという事実はおそらく家族への忠誠という概念に違いがあるためだろうと思う。中産階級の労働者によって効果的な労働組合ができることはないだろう。ストライキになれば中産階級の妻は全員、自分の夫にスト破りして同僚の職を奪うようけしかけるだろうからだ。最初は当惑させられる労働階級のもうひとつの特徴は対等だと見なす相手に対してはそれが誰だろうと率直な物言いをするということだ。もし労働階級の人間に彼が欲しくないものを差し出せば、いらないと言われるはずだ。中産階級の人間であれば侮辱していると思われないように受け取るだろう。また「教育」に対する労働階級の態度も挙げられる。それが私たちとどれほど異なり、どれほどひどく警戒されていることか! 労働階級の人々は他の人間が学習することに対してしばしば漠然とした敬意を抱くが「教育」が自分たち自身の生活に関わってきた場合には健全な本能によってそれをやり過ごし、拒絶する。

抗議の声を上げながら学校から引きずり出され、陰気な仕事を始める十四歳の若者という完全に空想上の図を当時の私は憂いていた。それが誰であれ十四歳の若者に「仕事」という悪夢が降りかかるということは私には恐ろしいことのように思われたのだ。もちろん今では学校を離れる日を心待ちにしない労働階級の少年など千人に一人もいないということを私は知っている。彼は実際の仕事をおこなうことを欲していて、歴史や地理学などという馬鹿げたごみくずで時間を浪費したくはないのだ。労働階級にとって成人近くになるまで学校に留まるという考えはたんに卑劣で軟弱なものに見えるのだ。まっとうな十八歳にもなる大の青年は週に一ポンドは稼いで親に持ってくるべきなのに、馬鹿げた制服を着てさらには授業で鞭の罰まで受けるとは! 鞭の罰を受けようとする十八歳になる労働階級の青年を想像してみるがいい! 他の者はまだ赤ん坊だろうが彼は男なのだ。サミュエル・バトラーサミュエル・バトラー:イギリスの作家の「万人の道」に登場するアーネスト・ポンテフェックスは現実の生活をいくらか垣間見た後、パブリックスクールと大学で自らが受けた教育を振り返ってそれがいかに「不快で、活力を失わせる堕落」であったかに気がつく。労働階級の視点に立って見ると中産階級の生活には不快で、活力を失わせる物が多くあるのだ。

労働階級の家庭では……今考えているのは失業している時の家庭ではなく、比較的豊かな家庭についてだ……暖かく、親切で、とても人情味あふれる雰囲気を味わえ、これは他の場所では得難いものだ。肉体労働者は堅実な仕事をして良い給料を得ている場合……そしてそれがどんどん増えていく場合……には「教育ある」人間よりも幸福になりやすいと私は言わざるを得ない。その家庭生活はまっとうで魅力的な形へとごく自然に落ち着くように思える。私はしばしば最高の状態におかれた労働階級の室内が持つ簡素な完全性、完璧な調和に心打たれるのだ。とりわけ冬の夕べのお茶の後、暖炉で火が燃えて炉格子にそれが映り躍っている瞬間はそうだ。父親はシャツ姿で火の横のロッキングチェアに座って競馬新聞を読み、母親はその向かいに座って縫い物をし、子供たちは安いミント味の薄荷キャンディーを舐め、犬は絨毯の上でだらしなく火にあたっている……それこそが身を置くべき場所であり、満ち足りた気分を与えてくれる場所なのだ。

こうした場面は大部分のイギリス家庭でいまも繰り返されているが、戦争の前ほどではない。こうした幸福は主としてひとつのある問題に依存している……父親に職があるかどうかだ。しかし私が描いて見せたキッパーキッパー:ニシンの燻製料理と濃い紅茶の後で火を囲む労働階級の家庭という図は私たちの時代にのみ存在するもので、未来にも過去にも存在しない。二百年先に飛んでユートピア的な未来へ行けばこの場面はまったく異なるものになる。そこに存在するであろうもののひとつたりとも私は想像することができない。肉体労働が存在せず全員に「教育」が行き渡っているその時代では父親が大きな手をした無骨な男だったり、シャツを着て座るのを好んで「通りのあっちからやってきたらよ」と言ったりはしないだろう。それに火格子の中で石炭の炎が燃えていたりはせず、目に留まらない暖房かなにかが使われていることだろう。家具はゴムとガラスと鋼鉄でできていることだろう。もしまだ夕刊のようなものがあったとしても、そこにはまず間違いなく競馬ニュースは載っていないだろう。貧困の無い世界では賭け事は意味のないことになっているだろうし、馬は地球の表面から消え去っていることだろう。犬も同じように衛生を理由に制限されていることだろう。もし産児制限が進めば子供もそう多くはいないはずだ。しかし一方で中世へと戻ればまるで外国と変わらない世界になる。窓の無い掘立小屋、煙突は無いから薪の火から上がった煙が顔に浴びせかけられる。かび臭いパン、「プア・ジョン塩漬けの乾燥タラ」、シラミ、毎年のように子供が生まれて毎年のように子供が死に、司祭は地獄の話で人々を怯えさせる。

おかしなことに、生きていくうえで現代がそう悪いものでもないことを私に思い出させるのは現代エンジニアリングの勝利でも、ラジオや映写機、年に五千冊出版される小説、イートン校とハロウ校の試合でアスコットに集まった群衆でもなく、労働階級家庭の部屋の様子……とりわけ戦争前、イングランドがまだ栄えていた子供の頃にときおり目にしたそれなのだ。

1937年
ウィガン波止場への道

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