スペインの秘密を明かす, ジョージ・オーウェル

スペインの秘密を明かす


おそらくスペイン内戦は一九一四年から一九一八年の大戦の後のどの出来事よりも多くの嘘を生み出している。しかしデイリー・メールデイリー・メール:イギリスのタブロイド紙の記者の眼前でレイプされ磔にされた修道女たちの虐殺が繰り広げられたというあの件のことを考えに入れても、正直言って私はそれがもっとも有害な親ファシストの新聞かどうかは疑わしく思っている。非常に狡猾な歪曲方法でイギリスの人々がこの戦いの本当の性質を理解することを阻んでいるニュース・クロニクルデイリー・ワーカーといった左派の新聞こそがそれなのだ。

こうした新聞が慎重に覆い隠しているのは(カタロニア半自治政府を含む)スペイン政府がファシストよりも革命を恐れているという事実だ。今となってはこの戦争が何らかの妥協によって終わることはほぼ確実で、政府は過度に勝利しないよう願っているのではないかと疑うだけの根拠さえ存在する。政府は指一本動かすことさえせずにビルバオビルバオ:スペイン・バスク州ビスカヤ県の県都が陥落するに任せたのだ。しかしどちらに転ぶにせよ、国内の革命家たちが壊滅することは疑いない。しばらく前からは恐怖による統治が進められている……政党の強制弾圧、息の詰まるような報道検閲、絶え間ない諜報活動、そして裁判無しでの大規模な投獄である。六月の終りに私がバルセロナを離れた時、監獄は人で一杯だった。確かにずっと以前から常設の監獄はあふれかえっていて、囚人は空き家となっている商店やその他の目についた当座の薄汚い場所に追いやられていた。しかし注目すべきなのは今、監獄の中にいるのはファシストではなく革命家たちであるということだ。彼らがそこにいるのは見解が右に振れすぎているためでなく、左に振れすぎているためなのだ。そして彼らをそこに押し込んだのは当の忌むべき革命家たち、名前が出ただけでガービンガービン:ジェームズ・ルイス・ガービン。保守系のオブザーバー紙の編集長。が雨靴を履いて震えあがるような者たち……共産主義者なのだ。

フランコとの戦争は続いているものの、前線の塹壕にいる哀れな連中を除けばスペイン政府の人間は誰ひとりとしてこれを本当の戦争とは考えていない。本当の闘争は革命と反革命の間で、つまり一九三六年に勝ち取ったわずかばかりの成果を手放すまいとむなしい抵抗を試みる労働者とそれを非常に手際よく奪い去っているリベラル・共産主義者の連合の間でおこなわれているのだ。共産主義が今や反革命勢力となっていることに気づいているイングランドの人間は残念ながらまだ少ない。同盟のいたるところで共産主義者は中産階級的改革主義を標榜し、その強力な機構全体を使って革命的傾向の党派を弾圧、誹謗中傷しているのだ。こうして、根本的には彼らと意見が一致している右派知識人から共産主義者が邪悪な「アカ」と非難される、というグロテスクな光景が生まれる。例えばウインダム・ルイスウインダム・ルイス:パーシー・ウインダム・ルイス。イギリスの画家。1931年にヒトラーを称賛する書籍を書き、当時は右派の作家と見なされていた。は少なくとも当座は共産主義者を愛していることだろう。スペインでは共産主義者・リベラルの連合はほとんど全面的と言っていい勝利をおさめている。スペインの労働者が一九三六年に自身のために勝ち取ったもので確かなものは何も残っていない。わずかな集団農場と昨年、農民たちが占拠した多少の土地だけだ。そしてもはや不要となればこの農民たちさえも後にはいけにえとされることだろう。この農民たちの状況がどのように生じたかを理解するためにはこの内戦の勃発時を振り返る必要がある。

フランコの権力奪取の方法はヒトラーやムッソリーニのそれとは異なり外国からの侵略とも呼べるような軍事的反乱だった。そのために大衆の支持はたいして得られず、フランコがずっと大衆の支持を獲得しようとしているのにも関わらずそれは今も変わらない。財閥の特定の一部を除けば主な支持者は土地を所有する貴族と巨大で寄生的な教会だった。こうした反乱が、他の点ではなんら意見の一致を持たないさまざまな勢力を団結させ対抗されることは明らかである。農民と労働者は封建主義と教権主義を嫌っている。「リベラル」な中産階級もそれは同じだが、彼らはそれがファシズムと呼ばれていなければ、より近代的な形態のファシズムにはまったく反対しない。「リベラル」な中産階級が誠実にリベラルたるのは自らの利益に反しない限りにおいてだ。彼らが支持しているのは「才能に対して開かれた職la carrière ouverte aux talents」という言葉によって言い表される程度の進歩なのだ。封建社会では立身出世のチャンスが無いことは明らかである。そこでは労働者や農民は物も買えないほど貧しく、司祭の祭服をまかなうための重税を産業が担わされ、富をもたらす仕事は当然のごとく公爵の私生児の男色相手の友人に与えられる。このためフランコのようなあからさまな復古主義者に直面するとしばらくの間は労働者と中産階級は一緒になって現実の恐るべき敵と戦うという状況になる。この不安定な同盟が国民戦線(共産主義の報道機関では偽りの民主性をアピールするために「人民戦線」と呼んでいる)だ。これは活力と生存権を組み合わせたもので、いわば双頭の豚、あるいはバーナムバーナム:ジェームズ・バーナム。アメリカ合衆国の思想家。とベイリーベイリー:ビル・ベイリー。アメリカ合衆国共産党のメンバーでスペイン内戦では国際旅団の一員として活躍した。を混ぜ合わせた怪物である。

あらゆる深刻な緊急事態で国民戦線の内包する矛盾は必ず浮かび上がってくる。労働者と中産階級の双方がファシズムと戦っている時でさえ、彼らは同じもののために戦っているわけではない。中産階級はブルジョア民主主義、つまり資本主義のために戦い、労働者は彼が考えるところにおいては社会主義のために戦っている。革命の初期においてスペインの労働者は大事な点を非常によく理解していた。ファシズムが敗北した地域では彼らは反乱軍を町から追い出すだけで満足しなかった。同時に土地や工場を占拠する機会を捕らえ、地域委員会や労働者による民兵団、警察隊といった手段を用いて初歩的な労働者による政府を設立した。しかし彼らは共和国政府に通常の統制を任せたままにするという失敗を犯した(おそらくもっとも活動的な革命家が全ての議会に疑いの目を向ける無政府主義者だったためだろう)。そして構成員には様々な変化があったにも関わらず、出来上がった政府はどれも中産階級の改革主義的特徴を持つ、これまでとほとんど変わらないものだった。最初のうち、これはたいした問題ではないように思えた。政府、特にカタロニアのそれはほとんど力を持たず、中産階級は身を隠したり、あるいは労働者に変装することさえしていた(私が十二月にスペインに到着した時にはまだこうしたことが起きていた)。時が経ち権力が無政府主義者の手から滑り落ちて共産主義者と右派社会主義者の手にわたると政府は再び声を上げることができるようになり、中産階級が隠れ家から姿を現し、貧富の差というかつての社会区分が再び現れた。たいした是正はなされなかったのだ。軍事的な緊急事態によるわずかな決定を除けば、その後の動きは全て革命の最初の数カ月になされたことを巻き戻す方向へ向かった。多くの例を示すことができるがひとつだけ挙げよう。労働者による民兵団の解散だ。この民兵団は完全に民主的なシステムの上に組織されていた。幹部と部下は同じ額の給料を受け取り、完璧に平等な言葉づかいで話していた。それが国民軍(ここでも共産主義者のジャーゴンに倣えば「人民軍」)へと置き換えられたのだ。これはありふれたブルジョア軍隊を可能な限り模倣したもので、特権的な将校の階級やとてつもない賃金の差などが存在した。言うまでもなくこれらは軍事的な必要性から提案され、ほとんどの場合は軍事的な効率性に貢献した。少なくとも短期間はそうだ。しかしこうした変更の目的が平等主義に一撃を加えることであるのは疑う余地が無い。あらゆる部門でこれと同じ方針が続き、戦争の勃発からたったの一年で革命によって得られたそれは事実上ありふれたブルジョア国家となったのだ。さらにはそこに現状を維持するための恐怖による統治が加わる。

もし外国からの影響無しに戦いが進められていれば、おそらくこうした状況ははるかに軽微で済んだだろう。しかし政府の軍事的な脆弱さがそれを不可能にした。フランコの外国人傭兵に直面して政府はやむなくロシアに助けを求めた。そしてロシアからの武器支援がとてつもなく誇張されたものだったにもかかわらず(スペインでの最初の三ヵ月で私はロシア製の武器をひとつしか見なかった。一丁の機関銃だけだ)、たんにそれが届いたという事実だけで共産主義者は権力を得たのだ。手始めにロシア製の航空機、銃、そして優れた軍事能力を持つ国際旅団(必ずしも共産主義者ではなかったが共産主義者の支配下にあったことは確かだ)、たちまち共産主義者の評判は高まった。しかしそれよりも重要なのはおおやけに武器の供給をおこなった国がロシアとメキシコだけだったために、ロシア人たちは武器の代金を受け取るだけでなく、条件を強要できたということだ。その粗雑な契約書の中に入れられた条件はこうだ。「革命を弾圧しなければこれ以上の武器は渡さない」。通常こうしたロシアの態度は、ロシアが革命を扇動しているように見られるとフランス・ソビエト不可侵条約(さらには待望されていたイギリスとの同盟)が危うくなるためだと説明される。またスペインで本物の革命が起きればロシアで望まざる影響が起きるかもしれないためでもあろう。もちろん共産主義者たちはロシア政府によるなんらかの直接的圧力があったことを否定する。しかしもしそれが本当だとしても各国の共産党がロシアの方針に従って動いていることは否定しょうがない。そしてスペイン共産党、加えて彼らが操っている右派社会主義者、全世界の共産主義の報道機関が巨大な高まり続けるその影響力の全てを反革命側に立って振るっていることは確かなことなのだ。 

この記事の前半で私が提示したのは、スペインで起きている本当の戦いは政府側の中で革命と反革命の間でおこなわれているということ、政府はフランコに打ち負かされないよう心を砕きつつも、それにも増して戦争勃発時に達成された革命的変化を取り消すことに心を砕いているということだった。

共産主義者であれば誰しも、こうした見解は誤っているか故意に事実をねじ曲げているとして認めないだろう。スペイン政府が革命を弾圧しているなどナンセンスだ、革命など起きていないのだから、と言うことだろう。そして今すべきことはファシズムを打ち負かし、民主主義を守ることなのだと続けるだろう。こうしたつながりにおいては共産主義者の反革命的プロパガンダがどのように働くかを理解することがもっとも重要である。共産党が小さく、比較的無力なイングランドとは関係の無いことだと考えるのは誤りだ。イングランドがソビエト連邦との同盟に加わればたちまちその関係性を理解することになるだろう。あるいはもっと早いかもしれない。共産党の影響力が増すに従って……その可視性も増していき……多くの資本家階級は現代の共産主義者たちが自分たちのやり方に倣っていることに気がつくようになっている。

広く言われている通り、共産主義者のプロパガンダは(極めて現実的な)ファシズムの恐怖で人々を脅すことの上に成り立っている。そこにはファシズムと資本主義は何の関係もないという欺瞞も含まれている。声高にそう語られはしないが暗にそう示しているのだ。ファシズムはたんなる無目的な邪悪、異常、「大規模なサディズム」であり、殺人愛好者の収容施設の扉を突然開け放ったら起きるであろうたぐいのものだ。こうした形態の現在のファシズムであれば、革命運動を引き起こさずに、ともかくしばらくの間はそれに反対する世論を動員できる。「資本主義を意味するブルジョア民主主義」によってファシズムに対抗することができるだろう。しかし一方でファシズムとブルジョア「民主主義」はトゥイードルダムとトゥイードルディートゥイードルダムとトゥイードルディー:イギリスの童謡に登場する双子。互いに争っている。であると指摘する厄介な人間を取り除く必要がでてくる。初めは、実現不可能なことを言う空想家と相手を呼んでそれをおこなう。問題をややこしくして反ファシスト勢力を分断している、今は革命の言葉を弄している時ではない、何のために戦っているのか詮索し過ぎずにファシズムと戦う時なのだ、と教え諭す。それでも相手が黙らない場合には声の調子を変えて相手を裏切り者と呼ぶのだ。いやもっと正確に言おう。トロツキストと呼ぶのだ。

トロツキストとは何だろう? この恐ろしい言葉……スペインでは現在、トロツキストだと噂されるだけで裁判もなく監獄に投げ込まれ無期限にそこに閉じ込められる可能性がある……はイングランドでは今あちらこちらで投げつけられ始めたばかりだ。時間が経てばもっと頻繁に耳にするようになるだろう。一般的には「トロツキスト」(あるいは「トロツキー・ファシスト」)という言葉は左派勢力を分断するために急進的な革命家のふりをする偽装したファシストの意味で使われている。しかしこの言葉が持つ独特な力はそれが三つの異なるものを意味するという事実に由来する。この言葉はトロツキーのように世界革命を願う者、トロツキーを首班とする現実的な組織のメンバー(この言葉の唯一本来の使用方法)、すでに述べた偽装したファシストのそれぞれを意味するのだ。この三つの意味は意のままに互いを行き来できる。一番目の意味には多かれ少なかれ二番目の意味がついて回り、二番目の意味はほとんど不可避に三番目の意味を含む。このため「XYが世界革命について好意的に話しているのを聞いた。従って彼はトロツキストだ。従って彼はファシストだ」となるのだ。スペインでは、そして程度の違いはあれイングランドでさえ、革命的社会主義(つまりほんの数年前まで共産党が表明していたもの)を表明する者は誰でもフランコやヒトラーから資金を得ているトロツキストの嫌疑をかけられる。

こうした非難は非常に狡猾なものとなる。その矛盾に気がつかなければどんな場合でも真実となる可能性があるからだ。ファシストのスパイはたぶん自らを革命家に偽装するだろう。スペインでは共産党よりも左に振れた意見の持ち主は遅かれ早かれトロツキスト、あるいは少なくとも裏切り者であることが発見される。戦争の初期、おおまかに言えばイギリス独立労働党に比される、共産党と対立していたPOUMは一般に受け入れられている政党でカタロニア政府の代理を務めていた。しかし後になって政府から追放された。そしてトロツキストであると非難され、その後、弾圧されたのだ。警察の手が届くメンバーは全員、監獄へと放り込まれた。

数か月前まで無政府組合主義者は共産主義者の横で「誠実に働いている」と言われていた。その後、無政府組合主義者は政府から強制的に退かされ、あまり誠実に働いていないと評された。今、彼らは裏切り者にされつつあるところだ。その後は左派社会主義者の番だろう。左派社会主義者で、前首相であるカバリェロカバリェロ:フランシスコ・ラルゴ・カバリェロ。スペイン内戦中の1936年、1937年に第2共和制スペインの首相を務めた。は一九三七年の三月までは共産主義の報道機関のアイドルだった。彼は今や追放されたトロツキスト、「人民の敵」だ。そしてこのゲームは続いている。論理的な帰結としてそこに現れる体制は対立する政党と新聞は全て弾圧され、重要性の高い反対者は全員、監獄の中にいるというものだろう。もちろんこうした体制はファシズムだ。フランコが押しつけるであろうファシズムと同じものではないかもしれない。フランコのファシズムよりはましで、そこには戦って勝ち取るだけの価値があるとさえ言えるかもしれない。しかしそれはファシズムなのだ。ただ共産主義者とリベラルによって操られて何か別の名前で呼ばれているだけだ。

ところでこの戦争に勝つことができるのだろうか? 共産主義者の影響は革命の混乱と対立するもので、従って大きな軍事的効果を生み出す傾向にあるロシアの援助とは隔たっている。無政府主義者が一九三六年の八月から十月にかけて政府を救ったとすれば共産主義者は十月以降の政府を救ったと言える。しかし防衛力を組織化することで彼らは首尾よく熱狂を殺した(スペインの内での話で外は別だ)。彼らは武装した徴集兵による軍隊を可能にしたが、同時にそれは彼らにとって必要なものでもあった。今年の一月早々に義勇兵の募集が実質的に終了したことには大きな意味がある。革命軍は時に熱狂によって勝利を勝ち取るが徴集兵による軍は兵器によって勝利を勝ち取る。そしてフランスが介入したり、あるいはドイツやイタリアがスペインの植民地を奪ってフランコを見捨てるという決断をしない限り、政府が武器で大きく優越する可能性は低いのだ。全体的に見れば行き詰る可能性はかなり高いように思われる。

そもそも政府は真剣に勝利しようと考えているのだろうか? 敗北しようとはしていない。それは確かだ。一方でフランコを追い出し、ドイツとイタリアを海へと追い落とすような完全な勝利は難しい問題を招く。そのいくつかについては説明するまでもないことは明らかだろう。現実的な証拠は無いし起きた出来事だけから判断せざるを得ないが、政府は本質的には戦争状況をこのままにしておくような妥協案を狙っているのではないかと私は疑っている。予言というものは決まって外れる。これも外れるだろうと思う。しかしあえて賭けてみよう。まもなく終わろうが何年も長引こうがこの戦争はスペインの分割で終わる。それが現実の国境線によるものなのか経済圏によるものなのかはわからない。もちろんこうした妥協案はどちらかの側からは勝利であると主張されることだろう。あるいは両方の側がそう主張するかも知れない。

この記事で私が言ってきたことは全てスペイン、あるいはフランスでさえよく知られていることだ。しかしイングランドではスペイン戦争の巻き起こした強い関心に反して、政府側の戦列の背後で進んでいる大きな戦いについてはそれを知っている人間さえごくわずかしかいない。もちろんこれは偶然ではない。スペインの状況の理解を阻む実に意図的な謀略が存在しているのだ(その詳細な例を挙げることもできる)。事情をよく知っているはずの人々は、スペインについて真実を話せばそれがファシストのプロパガンダに使われるだろうという理由で自らをごまかしているのだ。

こうした怯懦の先に何があるかは簡単にわかる。イギリスの人々がスペイン戦争についての正しい説明を聞けばファシズムとは何なのか、どうやってそれと戦うことができるのかについて学ぶ機会を得られる。ところが実際はニュース・クロニクルが言うファシズム、つまり経済的に欠乏した口やかましいブリンプ大佐ブリンプ大佐:ロンドン・イブニング・スタンダード紙に掲載されていた風刺画に登場するキャラクター。保守層を風刺している。のような殺人愛好者といった姿がこれまでよりもずっと確固としたものになっていきつつある。そしてそうなれば私たちは(一九一四年の「軍事主義に対する」それのように)「ファシズムに対する」大戦争に一歩近づき、その戦争は最初の一週間で私たちをイギリス版ファシズムへと着替えさせることになるだろう。

1937年7月29日, 8月2日
New English Weekly

広告
オーウェル評論集3: 象を撃つ 表紙画像
オーウェル評論集3: 象を撃つ
©2017 H. Tsubota. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-非営利-継承 2.1 日本