今後の五年間で私たち全員が粉々に吹き飛ばされる可能性がどれほどであるかを考えると、原子爆弾は期待されているほどには議論を呼び起こしてはいない。新聞には陽子と中性子がどのように振る舞うのかについて平均的な人間にとってはあまり助けにならない数多くの図表が掲載されているし、この爆弾を「国際的な管理下におくべきだ」という役にも立たない声明がさかんに繰り返されてはいる。しかし奇妙なことに私たち全員にとっての最も差し迫った関心である質問は、少なくとも印刷物の形ではほとんど問われていない。その質問とはすなわち「この代物を製造するのはどのくらい難しいのか?」というものだ。
このような情報は私たち……つまり公衆の人々……がこの問題を処理するにあたってはとても回りくどい方法でしか私たちにもたらされない。トルーマントルーマン:ハリー・S・トルーマン。第33代アメリカ合衆国大統領。第二次世界大戦の終了時に大統領職を務めた。は特定の機密についてはソ連に手渡さないと決めているのだ。数ヶ月前、まだこの爆弾が噂でしかなかった頃には核を分裂させることは物理学者たちにとってはたんなる問題の一つにしかすぎないという考えが広まっていた。そしてこの問題が解決されたあかつきには新しい、壊滅的な兵器がほとんど誰であっても手に入れられるようになるだろうと考えられていたのだ(研究室にこもった孤独な狂人がいつでも花火を打ち上げるのと同じくらい簡単に文明を木っ端微塵に吹き飛ばせるのだ、と噂は続いた)。
それが本当であれば歴史の流れ全体が突如として変わることになるだろう。大国と小国の間の区別は消え去り、個人に対して持つ国家の力は大幅に弱まる。しかしトルーマンの発言やそれに対するさまざまな論評から見る限り、この爆弾は途方もなく高価でその製造には多大な工業的努力が要求され、作成が可能なのは世界で三、四カ国だけのようだ。これは根本的に重要な点だ。なぜなら原子爆弾の発見は歴史の逆行どころか過去十数年に見られた傾向をたんに強化するだけということだからだ。
文明の歴史の大半が兵器の歴史であることは広く知られている。とりわけ火薬の発見と中産階級による封建制度転覆の関係は繰り返し指摘されていることだ。そして例外を示すことができるのは疑いないとはいえ、次のような法則はおおまかには真実であると私は考える。すなわち、支配的な兵器が高価であったり作成が困難である時代は専制的な時代であり、その一方で支配的な兵器が安く単純な時代には一般の人々に分がある。従って例えば戦艦と爆撃機は本質的には専制的な兵器であり、その一方でライフル、マスケット銃、長弓、そして手榴弾は本質的には民主的な兵器なのだ。複雑な兵器は強者をより強くし、単純な兵器は……それが何かはさておき……弱者に鉤爪を与える。
民主主義と民族自決の黄金時代はマスケット銃とライフル銃の時代だった。火打ち石式の銃が発明されてから雷管式の銃が発明されるまでの間、マスケット銃は非常に効果的な兵器であると同時に実にシンプルなもので、ほとんどの場所で製造が可能だった。この特性の組み合わせはアメリカとフランスの革命を成功に導き、民衆の暴動を現在そうであるよりも深刻な問題にした。マスケット銃の次に現れたのが元込め式のライフル銃だった。これはいくらか複雑なものだったがそれでもまだ多くの国々で製造が可能だったし、安価で密輸が簡単で銃弾も安かった。最も遅れた国でさえ、いつでもどこかの供給源からライフル銃を手に入れることができた。ボーア人、ブルガリア人、アビシニアアビシニア:現在のエチオピア人、モロッコ人……あるいはチベット人さえ独立のための戦いを挑むことができ、ときにはそれに勝利したのだ。しかしその後、軍事技術における開発の全ては個人ではなく国家に、途上国ではなく工業化された国によっておこなわれることが多くなった。権力の焦点は時を追うごとに少なくなっていったのだ。既に一九三九年一九三九年:第二次世界大戦が始まった年の時点において大規模な戦争を遂行できる能力を持つのは五カ国のみに限られ、現在では三カ国……究極的にはおそらく二カ国のみとなるだろう。この傾向は何年も前から明らかで、一九一四年一九一四年:第一次世界大戦が始まった年以前でさえ何人かの評者に指摘されていた。この流れを反転させるのは工業施設の大規模な集約を必要としない兵器……あるいはもっと一般的に言えば戦闘手法……である。
さまざまな兆候から見ておそらくロシアはまだ原子爆弾作成方法の秘密を手に入れてはいないと推察されるが、一方で彼らがそれを数年以内に手に入れるであろうことで人々の意見は一致している。つまり二つ、ないし三つの怪物的な超大国が面前に出現するのだ。それぞれが数百万の人々を数秒で消し去ることができる兵器を手にし、その手で世界を分割している。これがより大規模で残虐な戦争、そしておそらくは機械文明の真の終焉を意味していると考えるのはすこしばかり早急である。むしろ……そしてこれがもっともありそうな展開なのだが……生き残った大国は互いに対しては決して原子爆弾を使用しないという暗黙の合意を結ぶのではないだろうか? 彼らがそれを使用したり、あるいはそれを使って脅しつけるのは報復をおこなうことができない人々に対してだけなのではないだろうか? その場合には私たちは元の場所に収まることになる。これまでとの違いは権力がさらに少数の者に集中し、被支配者と抑圧された層の先行きがさらに絶望的なものになるということだけだ。
ジェームズ・バーナムジェームズ・バーナム:アメリカの思想家。元は共産主義者だったが後に反共主義へと転じた。が経営者革命を書いた時、多くのアメリカ人が戦争はヨーロッパ諸国に対するドイツの勝利で終わるだろうことを予想したし、それゆえにロシアでなくドイツがユーラシア大陸を支配し、一方で日本が東アジアの主人の座に留まるだろうと自然と考えた。これは間違いであったわけだがそのことは主要な議論にはなんら影響を与えない。新しい世界に対してバーナムが描いてみせた地図は正しいものとなりつつある。地球の表面が三つの強大な帝国に分割されていくことがますますはっきりしていっている。それぞれの帝国は自己完結して外側の世界との接触を絶たれ、偽装されているかどうかはともかくとして自選によって選ばれた少数独裁者に支配されている。どこに国境が引かれるかについての論争はいまだに進行中でさらに数年間は続くだろうし、三つの超大国の三番目……中国が支配する東アジア……はいまだ現実のものというよりは可能性の段階にすぎない。しかし基本的な方向性では間違いはないし、近年の科学的な発見の全てがそれを加速している。
かつては飛行機によって「国境は消えてなくなる」と言われていた。実際のところは飛行機は深刻な兵器となり、以来、国境は絶対的に通過不能なものへと変わった。ラジオはかつては国際的な理解と協調を促すと期待された。結局それは国々を相互に隔離する手段へと変わった。おそらく原子爆弾によってこのプロセスは完了することだろう。それは搾取されている階級や人々から抵抗のための全ての力を奪い取り、同時にこの爆弾の所有者を軍事的な均衡の上へと押し出すのだ。互いを征服できなくなり、彼らは世界を分割して支配し続けることを選ぶだろう。そしてゆっくりとした予測できない人口変化の他にはこのバランスを転覆させる方法を考えつくことは難しい。
過去四、五十年の間、H・G・ウェルズ氏H・G・ウェルズ氏:ハーバート・ジョージ・ウェルズ。イギリスの小説家。SF小説の創始者の一人として有名。やその他の人々は人類は自らの兵器によって破滅する危機にあり、その後は蟻かなにかの群生の種が私たちの後を引き継ぐだろうと警告し続けてきた。ドイツの破壊された町々を目にした人であれば誰しも同じ考えが頭をよぎることだろう。しかし世界全体を見れば何十年もの間、その潮流は無秩序ではなくむしろ奴隷制の復活へと向かっていることがわかる。私たちが向かっているのはおそらく全面的な崩壊ではなく、むしろ古代の奴隷制帝国がそうであったのと同じくらい恐ろしく安定した時代なのだ。ジェームズ・バーナムの理論はおおいに議論されてきたがその思想的な意味合いを考察している人間はまだ少ない。思想的な意味合いとは……つまり、速やかに征服することが不可能であり、隣国との恒久的な「冷戦」状態にある国家でおそらく支配的であろう世界観、信念、そして社会構造はどのような種類のものかということだ。
原子爆弾が自転車や目覚まし時計と同じくらい安く簡単に製造できるようになれば、私たちは野蛮状態へと追いやられるだろう。しかし一方でそれは国家主権と極度に中央集権化された警察国家の終焉を意味するのだ。そしてその可能性が高いのだが、もし原子爆弾が戦艦と同じくらい製造が難しく貴重で高価なものであれば、それは永久に引き伸ばされる「平和なき平和」を代償に大規模な戦争を終結させることになるだろう。