空飛ぶ騎兵, アンブローズ・ビアス

第二章


月桂樹の茂みで眠っている歩哨は若いヴァージニア人で、名をカーター・ドルーズという。資産家の一人息子で、資産や趣味はもちろん、性格や教養や生活水準といった点でも、西ヴァージニアの山国では注目にあたいする存在だった。実家はいま彼が横になっているところからほんの数マイルしかはなれていない。ある朝、食事の席で彼は立ちあがり、静かに、だが重々しくこう言ったのだ。「父さん、北軍の連隊がグラフトまできました。ぼくは行って、彼らに加わるつもりです」

父親はライオンのような頭をあげると、しばらく黙って息子を見つめてから答えた。「そうか、では行くがいい、サー。なにが起きようとも、やるべきと決めたことをやるんだ。ヴァージニアは、おまえがいま背を向けようとしているヴァージニアは、おまえ抜きでやっていかなければなるまい。もしも戦争が終わるまでおれとおまえが生きのびられたときには、このことを、ゆっくり話し合うことにしよう。母さんは、医者から聞いたと思うが、もう長くはない。もって数週間だろう、父さんたちと一緒にいられるのは。だが、それはとても貴重な時間だ。母さんにはいらん心配をかけんようにするのがいいだろうな」

カーター・ドルーズは、父親に深々と頭を下げた。父親は堂々とした態度で敬礼を返し、張り裂けそうな思いを胸にしまいこんだ。そして息子は、生まれ育った家を後にして、兵士となった。誠実さと勇敢さによって、忠実で果敢な行動によって、すぐに彼は同僚や上官から一目置かれるようになった。それに加えて、この地域の地理に詳しい。だからこそいま、最前哨点での危険な任務にわりあてられたのだ。なのに、疲労を意思の力で押さえることができずに、彼は眠りこんでしまったのである。夢の中に舞い降りた天使が、この違反状態から彼を呼び覚ました。その天使の是と非とをいったい誰が知ろう? 深い静寂と昼下がりの憂愁のなか、動きも音もなく、見えざる使者とも言うべきものが、解放の指で、彼の意識の瞳に触れた――その心の耳に、人間がいまだかつて口にした事のない言葉、人間がいまだかつて記憶から再生できたことのない言葉がささやかれたのだ。彼は静かに額を腕から起こし、月桂樹の合間から外側を見つめた。右手は、本能的にライフルの台尻を握り締めていた。

最初に感じられたのは、芸術的な鋭い歓喜だった。巨大な台座、あの崖のうえの――横たえられた岩の端の端にある、鋭く切り出された空を背にした、身動きもしない――忘れがたい威厳を備えた騎兵の彫像。馬にまたがっているのは、背筋を伸ばした軍人らしい男だったが、まさか動くとも思われないギリシャの神の彫刻のような、安らかさも備えていた。灰色の軍服が、背にした空の風景と調和している。軍装と馬具の金属的な輝きを、落ちかかる影がやわらげている。馬の肌はまったく光を宿していなかった。不自然な短縮法でえがかれたようなカービン銃が、右手で「銃把」を支えることによって、鞍頭をよこぎるように置かれている。手綱をとる左手は影に隠れてしまっている。空を、横を向いた馬の影が、カメオ細工のように鋭く切りぬいていた。まるで、大空をまたいで差し向かいの崖に足を差し伸べているかのようだ。旗手の顔はやや遠くに向けられ、こめかみとあごひげの輪郭だけがうつしだされている。おそらく、谷間の底を覗きこんでいるのであろう。一人の敵を前にしたときの、あのぞっとするような、良心への衝撃。そのために、虚空に浮かびあがる人馬は、一基の英雄の彫像のように思えた。

ドルーズは、奇妙な、だが確信に似たものを感じていた。戦争は眠っているうちに終わってしまい、自分が不名誉な役回りをしていた過ぎ去った時代の英雄を称えるために高台に整備された芸術作品を眺めているのだと。その思いは、人馬の静かな動きを見てかき消された。馬が、足を動かしはしなかったけれど、崖っぷちからやや体を離したのだ。騎手は、相変わらず身じろぎひとつしなかった。すっかり目を覚まし、状況の微少変化すら逃さないように注意力を高めたドルーズは、銃尻を頬にぴったりと寄せながら、慎重に、銃口を藪の外に突き出した。撃鉄を起こし、騎兵の急所である胸を狙って照準を見定めた。あとカーター・ドルーズのやるべきことは、ただトリガーに触れることだけだった。その瞬間、騎兵は頭を敵兵が隠れているほうに向けた――まるで彼の顔を、彼の瞳を、彼の勇気を、彼の心の弱さを見とおすかのように。

戦場で敵を一人殺すのは、そんなに恐ろしいことなのか? 自身と自軍の安全にかかわる機密におどろいている敵を、敵軍の兵力よりも恐ろしい情報を握ってしまったひとりの敵を殺すのは。カーター・ドルーズの顔からはどんどん血の気が引いていった。手足は震え、気を失いそうだった。目の前の彫像的な人馬が、黒い影となって上下に揺れ、不規則な弧を燃え立つような空に描く。銃におかれていた手から力が抜け、頭が真下の草葉に落ちる。この勇敢な紳士、誠実な兵士は、感情の昂ぶりに恍惚となっていた。

それは長続きしなかった。やがて彼は地面から顔をあげ、ライフルを握りなおし、トリガーに指をかけなおした。頭も心も目もはっきりしており、道義心や理性もゆるぎない。生け捕りは望むべくもなかった。気付かれて、致命的な情報とともにキャンプにかけもどられるに決まっている。兵士ドルーズのやるべきことは明白だった。あの男は待ち伏せにあって撃ち殺されなければならない――警告なしで、心の準備をする暇も与えず、祈りの言葉を口にさせることなく、男を消さなければならない。でも――望みがないわけじゃない。まだ何も見つけられていないのかも――ひょっとしたら、眼下の景色を楽しんでいるだけなのかもしれない。放っておけば、そのうちやってきたところへと引き帰していくかもしれない。引き上げるところをよく見ておけば、知っているのか知っていないのか、きっと判断がつくはずだ。それまでは警戒をおこたらないようにしたほうがいいだろう――ドルーズは頭をめぐらせて、空気をとおして下方を見た。ちょうど、透明な海の底を表面から見つめるように。緑の草地に人と馬とが、うねりながら一本の線を描いていた――どこかの馬鹿な司令官が、無頓着にも、馬に水を飲ませるために兵士たちをつけて送り出したのだ。十数の頂から丸見えだというのに!

ドルーズは谷間から目をひきはなすと、ふたたび一塊になって空に浮かぶあがる人馬をねめつけた。ふたたび、照準ごしに。だが今回は、馬に狙いをつけていた。記憶のなかから、まるで神の命令のごとく、あの父親の言葉が鳴り響いていた。「なにが起きようとも、やるべきときめたことをやるんだ」。落ちついていた。歯は閉じられていたが、食いしばるというほどではない。神経は眠れる赤子のように静まりかえっていた。トレモロひとつなく、よって筋肉も微動だにしない。呼吸も、目標をしとめるまでは、規則的な、ゆっくりとしたものだった。やるべきと心したものは圧倒的だった。心が体に言っていた。「おとなしくしていろ」と。撃った。


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