十月はグリーン・ゲイブルズでも美しい時期といえた。窪地の白樺が陽の輝きのような黄金に色づき、果樹園の裏のカエデは高貴の深紅に、小径に沿った野生のサクランボの並木は、濃い赤とブロンズの緑の素晴らしい色合いに装っていた。二番刈りを迎えた牧草地を穏やかな太陽が照らしていた。
色付く世界の真ん中でアンは浮かれていた。
「ねえ、マリラ」土曜の朝、アンが大きな声で言った。踊る足取りで入ってきたアンの両手は、たくさんの色鮮やかな木の枝で一杯だった。「あたしとっても嬉しい、十月がある世界で生きていけるんだもの。もし九月から十一月に飛び越しちゃったら恐ろしくつまんないわ、そう思わない? 見てよ、このカエデの枝。見てるだけでゾクゾクしない?――それも何度も。これであたしの部屋を飾るの」
「散らかるだけさ」とマリラ、美的感覚はそれほど進歩した兆しが見えない。「ただでさえ外から持ち込んだものでごちゃごちゃしてるじゃないか、アン。寝室はそこで眠るようにできてるんだよ」
「まあね、それとそこで夢見るためにもね、マリラ。奇麗な部屋だともっと良い夢を見られるわよね。枝は古い青の水差しに生けて机に飾るのよ」
「階段に葉っぱが散らからないようにするんだね。午後からカーモディーの援助会に出かけて来るよ、アン、暗くなるまで戻れないだろうね。マシューとジェリーの夕食はあんたが作るんだよ。この間みたいに、席についたらティーポットにお湯が入ってませんでしたってのは無しにしとくれ」
「お湯を入れ忘れたのは大失敗だったけど」と言い訳がましいアン。「それは、あの時はスミレの神殿の名前を考えてたからで、他に気が回らなかったのよ。でもマシューはさすがね。少しも怒ったりしないの。自分でお茶を入れて、お湯が入っていても少しは待たなくちゃならないからって言ってくれたわ。それで、お茶が入るまで素敵なおとぎ話をしてあげたの。だから待つのは全然気にならなかったって。それはそれは麗しいお話だったわ、マリラ。どう終わるか覚えてなかったから、その場で考えて終わらせたんだけど、話の繋ぎ目なんか分からなかったってマシューが言ってたわ」
「マシューなら何でも万事結構だろうよ、アン、あんたが真夜中にムックリ起きだしてお昼ご飯を食べようと言ってもね。それはともかく、今度は頭を夕食の方に向けとくんだからね。それから――こんなことして良いのかわからないけど――あんたの頭のネジがもっと緩みそうだからね――ダイアナを呼んで午後からここでお茶にしても良いよ」
「本当、マリラ!」アンが両手をギュッと組みあわせた。「完璧だわ、素敵! やっぱりマリラって想像力があるのよ、でなくちゃ、あたしがどんなにこれを願ってたか分かるはずないもの。良いわ良いわ、大人チックよ。お茶を淹れ忘れる心配は無用よ、あたしのお客様なんだもの。ねえ、マリラ、バラの蕾模様の茶器を使っても良い?」
「ダメ、決まってるだろ! バラの蕾の茶器だって! 全く、次は何だい? あれは牧師さんか援助会以外は絶対使わないって分かってるだろう。いつもの茶色の茶器を出すんだからね。でもサクランボの砂糖漬けの小さい黄色い瓶なら開けても良いよ。どのみち使い切らなきゃいけないし――もう悪くなりそうだからね。あとフルーツ・ケーキは少し切り分けても良いし、クッキーとスナップ[訳注:ショウガ入りクッキー]も食べて良いよ」
「もう目の前に浮かんできたわ、あたしはテーブルの上座に座って、お茶を淹れるのね」とアン、目をつぶってすっかり夢心地である。「そしてダイアナに聞くの、お砂糖はいかが! 砂糖を入れないのは知ってるけど、もちろん、何も知らないふりして聞くのよね。それから、フルーツ・ケーキをもう一つどうぞ、砂糖漬けも召し上がってねって勧めるんだわ。ああ、マリラ、ちょっと考えただけなのに、信じられないくらいゾクゾクするわ。ダイアナが来たら、客室で帽子を脱いでもらっても良い? 休んで頂くのは客間で?」
「だめだね。あんたもあんたの友達も居間で充分だよ。ただ、この間の晩の教会の集会で残ったキイチゴ水が、まだ瓶に半分残っていてね。居間の戸棚の二番目の棚に置いてあるから、なんなら午後にあんたとダイアナで飲んでも構わないよ、クッキーに合うんじゃないかい。マシューが夕飯に戻るのはたぶん遅くなるんだよ、船にジャガイモの積み込みをしなくちゃいけないから」
アンは家の前の窪地をすっ飛んでいくと、ドライアドのお喋り泉を通り過ぎ、エゾマツの小径を抜けて、ダイアナをお茶に招待するため、一路、果樹園坂を目指した。その努力の甲斐あって、マリラがカーモディーに馬車を出した直ぐ後には、ダイアナがもうやって来た。二番目に良い服を着込んで、いかにも、お茶にお呼ばれされましたの、という格好である。他の時なら、ノックもしないで台所に飛び込むところだが、今日は玄関を気取ってノックする。するとアンが、やっぱり二番目に良い服で、やっぱり気取って玄関の戸を開くと、二人の少女は、今まで一度も会ったことがないかのような、気品溢れる握手をした。ダイアナは東の切妻の部屋に案内されて帽子を脱ぎ、居間ではきちんとつま先をそろえて座った。この取ってつけたような儀式は、まだ十分ほど続くのだった。
「お母様の御機嫌はいかが?」アンが礼儀にのっとって聞いた。バリー夫人が今朝、この上なく元気で機嫌良くリンゴを摘んでいるのを、見かけなかったかのようだ。
「お陰様でとても元気ですの。カスバートさんは、午後からリリー・サンズ号に、ジャガイモを運ばれているところですわね?」今朝ハーモン・アンドリューズ氏の家まで、マシューの荷車に乗せてもらったダイアナが答えた。
「ええ。宅では今年はジャガイモの作柄がとても良いんですのよ。お宅のお父様のジャガイモの収穫もご同様じゃございませんこと」
「お陰様でまずまず、というところですわ。リンゴの収穫も、たくさんあったんじゃございません?」
「そうなの、すっごくたくさん」アンは気品を保つのを忘れ果てて言うと、さっと跳ねるように立ち上がった。「果樹園に行ってレッド・スィーティングを摘みましょうよ、ダイアナ。マリラが木に残っているのは食べても良いって。マリラってとっても気前が良いのよ。フルーツ・ケーキとサクランボの砂糖漬けも、お茶に出して良いって言ってくれたわ。でも、お客様に何をお出しするか始めに言っちゃ、良いマナーとは言えないわね。だから、何を飲んで良いって言われたか、まだ言わないでおくわ。RとCで始まって、色は鮮やかな赤ってことだけね。鮮やかな赤色の飲み物って素敵じゃない? 他の色より二倍も美味しい気がするわ」
グリーン・ゲイブルズの果樹園は、どこもかしこも枝にはずっしり実がなり地面を向いてしなっていて、とても魅力的な場所となっていた。二人とも午後の大半をそこで過ごし、霜が降りずに緑色がまだ残っている、秋の柔らかな陽の光が射す隅に座って、リンゴをかじりながらお喋りの限りを尽くした。ダイアナはアンに学校であった何もかもを喋りたくてはち切れそうだった。ガーティー・パイと座らせられたの、もう嫌でたまらないわ。ガーティーはいつも石筆をキーキー鳴らすから、血が――あたしのよ――凍りそうになるわ。ルビー・ギリスが魔法でいぼを全部消したの、事実なのよ、これが、島の入り江から来たメアリー・ジョーお婆さんがくれた魔法の小石を使ったんだって。新月の日にいぼを小石でこすって、左の肩越しに後ろへ投げると、いぼが全部なくなるらしいわ。チャーリー・スローンの名前がエム・ホワイトと一緒にポーチの壁に書かれたんだけど、エム・ホワイトはすっごい怒ってたわ。サム・ボールターが授業中フィリップス先生に「生意気な口」をきいたから、先生に鞭で打たれたの。そしたらサムのお父さんが、うちの子にまた手をあげたらどうなるか分かってるだろうなって、学校に怒鳴り込んで来たのよ。それからね、マティー・アンドリューズが、新しい赤のフードと房飾りのついた青のショールを着てきたの。だけど何、あの態度、ほんと感じ悪いわ。あと、リジー・ライトはメイミー・ウィルソンと口をきかないのよ。メイミー・ウィルソンのお姉さんが、リジー・ライトのお姉さんの恋人を取っちゃったからなんだって。それから、みんなアンがいなくてとっても寂しいって言ってる。また学校に出てこないかなあって。あとギルバート・ブライスは――
だが、アンはギルバート・ブライスのことなんか聞きたくなかった。慌てて逃げるように立ち上がり、家に入ってキイチゴ水を飲みましょう、と誘った。
アンが食料棚の二番目の棚を覗いてもどこにもキイチゴ水はなかった。探してみると一番上の棚の奥に見つかった。アンはそれを盆の上に乗せて、タンブラーと一緒にテーブルに置いた。
「さあ、召し上がれ、ダイアナ」丁寧にそういった。「あたしはいいわ、今は飲まない。さっきリンゴをたくさん食べたから欲しくないの」
ダイアナは自分でタンブラーになみなみと注ぎ、まずその鮮やかな赤い色合いを目で味わい、次に一口上品に味わった。
「このキイチゴ水、すっごく美味しいわ、アン」とダイアナ。「キイチゴ水がこんなに美味しいなんて知らなかった」
「美味しいって言って貰えて、ほんとに良かったわ。好きなだけ飲んでね。ちょっと行って薪の火をかき立ててくるわね。家庭をあずかるって、とってもたくさん責任を背負い込むってことなのよ、ね?」
アンが台所から戻ると、ダイアナは二杯目のキイチゴ水に突入していた。アンからも好きに飲むようお許しが出ると、三杯目にも何の不服があろうはずがなかった。毎度注ぐ手つきは惜しげがなかった。このキイチゴ水は確かに美味しいものだったから。
「今まで飲んだ中で一番美味しい」とダイアナ。「リンドさんとこのよりずっと美味しいわ、おばさんすごく自慢してたけど。味もリンドさんのとちっとも似てないわね」
「マリラのキイチゴ水って、おそらくはリンドさんのよりずっと美味しいと思うわ」アンは忠誠心がそう言わせた。「マリラは料理が巧いので有名なんだから。あたしに料理を教えてくれてるんだけど、これがねえ、ダイアナ、坂道を上るがごとしなの。料理には想像の余地が少なすぎるのよ。何でも規則ずくなんだもの。この間ケーキを作った時なんか、小麦粉を入れ忘れちゃったし。丁度あなたとあたし、二人のそれはもう素敵な話を考えてたのよ、ダイアナ。あなたは天然痘にかかって絶望的、みんながあなたを見離すの、でもあたしだけは何も恐れずに、あなたのそばで献身的に看護して命を救うのよ。だけど今度はあたしが天然痘になって死んでしまうの。あたしは墓地のあのポプラの木の根元に埋められ、あなたはお墓のそばにバラの木を植えてくれた、あなたの涙の水を注いでくれたのよ。そして、決して、決して忘れなかった、若き日の友、身を犠牲にして命を救ってくれた友を。ああ、何て悲しみを誘う話かしら、ダイアナ。ケーキの材料を混ぜてる時、涙が頬をつたって雨のようだったわ。でも小麦粉を入れ忘れたから、ケーキは大失敗。小麦粉ってケーキの命じゃない。マリラはもうカンカン、無理ないわね。あたしはマリラにとって大いなる試練なのよ。先週もプディング・ソースのことで物すごく恥をかかせちゃった。火曜日のお昼にプラム・プディングを食べたんだけど、プディングが半分とソースが水差し一杯分余ったの。でね、またお昼に食べるから食料棚に蓋をして置いておくように言われたの。蓋をしておくつもりはあったのよ、ダイアナ、でもソースを運んで行くとき、あたしはカトリックの修道女だと想像してたから――もちろんあたしはプロテスタントだけど、その時はカトリックだって想像してたの――ベールをまとって傷ついた心を人知れず胸に抱き、修道院の奥深くへ引きこもっているのよ。だから、プディング・ソースに蓋をするのをすっかり忘れちゃって。次の日の朝思い出したから、慌てて食料棚に走ったわ。ダイアナ、あなたもその場にいたら分かると思うけど、あんなにぞっとしたことないわよ、だってハツカネズミがプディング・ソースに浮いてたのよ! スプーンでネズミをすくって、裏庭に捨ててから、そのスプーンは三回もお湯を替えて洗ったわ。マリラは外で乳搾りしてるところだったから、戻ってきたらこのソースを豚の餌にした方が良いか、ちゃんと聞くつもりだったの。でもマリラが戻った時は、たまたま霜のフェアリーになる想像中。森の中を抜けて色づきたい木々を、赤と黄色の紅葉に染めてあげるのよ。だからまたプディング・ソースのことを思い出せなくて、マリラにリンゴを摘んできなさいって言われて、そのまま外に行ったのよ。それでね、その日の午前中にスペンサーヴェイルからチェスター・ロス夫妻がいらしたのよね。二人ともとても品位にこだわる人達でしょう、奥さんは特にそうよ。マリラからお昼ご飯に呼ばれて家に入った時は、料理は全部でき上がっていて、みんなテーブルについていたわ。あたしはできるだけ丁寧に、品位を失わないように気をつけたの、だってチェスター・ロスの奥さんには、可愛くなくてもレディー風の女の子だって思ってほしかったからよ。マリラがあれを持って来るまでは何もかも順調だったわ、片手にはプラム・プディング、もう片手にはプディング・ソースの水差し、それもなんと暖めて湯気がたってるのよ。ダイアナ、あれこそ恐るべき瞬間というものよ。何もかも思い出したから、席から思わず立ち上がって叫んだわ『マリラ、使っちゃダメ、そのプディング・ソース。中でハツカネズミが溺れてたの。あたし言うのを忘れてた』ああ、ダイアナ、あの恐ろしい瞬間は百歳になっても忘れっこない。チェスター・ロスの奥さんは、あたしをただじっと見つめるばかり、あたし、もう恥ずかしくて、どこか穴があったら逃げ込みたかったわ。奥さんの家事は完璧なんだもの、あたし達の事どう思ったか考えて見てよ。マリラは燃え盛る火のように真っ赤になって、だけど何一つ言わなかったの――その時は。ソースとプディングは全部片づけて、代わりにイチゴの砂糖漬けを持ってきたわ。マリラはあたしにも砂糖漬けを勧めてくれたんだけど、でも一口も食べられなかった。だって仇を恩で返されたってことよね。チェスター・ロスの奥さんが帰ってしまうと、マリラに物すごく怒られちゃった。あれ、ダイアナ、どうしたの?」
ダイアナはふらっと立ち上がった。しかしまたへたり込むと、両手で頭を抱えた。
「あた――あたしダメ気持ち悪い」ろれつが回らないようである。「あ――あ――たしすぐ帰らないと」
「えーっ、お茶も飲まずに帰るなんて、そんなの無いわよ」せっかくの努力を無にされて、アンが泣き言を並べた。「直ぐ準備するから――お茶を淹れてくる、あっという間だから」
「あたし帰る」ダイアナが繰り返した。意識は朦朧としているが意志は固かった。
「軽く食べてから帰って、ね、とにかく」アンが拝み倒した。「フルーツ・ケーキがあるの、ちょっとだけで良いから、サクランボの砂糖漬けも。しばらくソファーに横になったら良くなるわよ。どこが気分悪いの?」
「あたし帰る」とダイアナ。もうこれしか言えない。アンは虚しく説得に当たった。
「お客様にお茶も出さないで返したなんて聞いたこと無いわよ」と悲しみに浸って言った。「ねえ、ダイアナ、まさか本当に天然痘にかかったんじゃないでしょうね? もしそうでもあたしちゃんと看護するから、大丈夫任せておいて。あなたを見捨てたりしない。でもお願い、お茶が済むまでは我慢して。どこが気分悪いの?」
「すごく目が回る」とダイアナ。
そしてまさしく目が回った人のように千鳥足で歩き出した。アンは、期待はずれの涙を目に一杯ため、ダイアナの帽子を取ってくると、バリー家の裏庭の柵の所まで付いていった。そして、道々泣きながらグリーン・ゲイブルズに帰って行くのだった。悲嘆に暮れながらキイチゴ水の残りを食料棚に片づけると、マシューとジェリーのために夕飯の準備を終わらせたが、熱意もなく黙々と作業をこなすだけだった。
翌日は日曜で、土砂降りの雨が日がな一日降り続き、アンはグリーン・ゲイブルズに閉じこもりっきりだった。月曜日の午後になって、マリラはアンをリンド夫人の所まで使いにやった。待つまでもなく、アンが小径を飛び戻って来たが、涙をボロボロこぼしながらだった。台所に飛び込むと、ソファーに身を突っ伏して苦しみ悶えていた。
「今度はいったい何だっていうの、アン?」マリラが問い質した。どうしたんだろう、また何かやらかしたんだろうか。「また馬鹿やってリンドさんに生意気な事を言ったんじゃないだろうね」
アンからは何の返事もなく、涙が増水し、すすり泣きの嵐が激しくなっただけだった。
「アン・シャーリー、あたしが質問したら、ちゃんと答えて欲しいもんだね。今すぐに顔を上げてきっちり座って。何を泣いてるか言ってみなさい」
アンは座り直したが、絵に描いたような悲劇の人だった。
「リンドさんが今日バリーさんの奥さんに会ったら、奥さんがすごく怒ってたんだって」アンが泣きながら言った。「土曜日にあたしがダイアナを酔わせて、みっともない様子で家に帰したって言ったんだって。それから、あたしはあまりにも悪い子で、邪な女の子だから、絶対、絶対、二度とダイアナと遊ばせないって。ああ、マリラ、あまりの悲しみに身も世もないわ」
マリラはビックリ仰天して目をみはった。
「ダイアナを酔わせた!」ようやく口が利けるようになってから言った。「アン、あんたかバリーの奥さんか分からないが、おかしいんじゃないかい? あんた、いったい全体何を飲ませたんだい?」
「キイチゴ水以外何も」アンがすすり泣いた。「キイチゴ水で酔うなんて思わなかったもの、マリラ――いくらダイアナみたいにタンブラーで三杯も飲んだからって。ああ、なんだか――なんだか――トマスさんとこの、あの旦那さんみたいじゃない! でもあたし、酔わせるつもりなんかなかった」
「酔わせるだって、馬鹿馬鹿しい!」とマリラ。居間の食料棚にズンズンと歩いていった。棚には瓶が一本あったが、一目で三年ものの自家製カラント・ワインを入れた瓶だと見分けがついた。マリラのカラント・ワインはアヴォンリーでは有名だったが、厳格な人々には、例えばバリー夫人はその最たる者だったが、非常に受けが悪かった。その時になって、マリラはようやく思い出した。キイチゴ水の瓶は地下室に置いたので、アンに言ったように食料棚ではなかったんだった。
マリラはワインの瓶を手に持って台所に戻ってきた。笑ってはいけないと思いつつ、顔がピクピクするのを抑えられなかった。
「アン、あんたはやっぱり事件に巻きこまれる才能があるね。あんたダイアナにカラント・ワインを飲ませたんだよ、キイチゴ水じゃなく。違ってるのが分からなかったかねえ?」
「あたし全然飲んでないもん」とアン。「キイチゴ水だとばっかり思ってたし。なんとか、い――い――慇懃におもてなししたかったの。ダイアナは物すごく気分悪くなって、家に帰るってきかないの。バリーの奥さんは、もう死ぬほど酔っぱらってたってリンドさんに言ったんだって。お母さんに、どうしたのって聞かれても、ダイアナは馬鹿みたいにヘラヘラ笑うだけ。それから眠りこんで、何時間も眠り続けたんだって。息をかいでみたらお酒臭くて、それで酔ってるって分かったらしいの。昨日は一日、酷い頭痛が続いたんだって。バリーの奥さんはすっかり怒ってるわ。あたしがわざと酔わせたって思い込んでるのよ」
「バリーの奥さんはダイアナを叱るべきだったね、何にしてもコップ三杯じゃ欲張りってものさ」とマリラはそっけない。「大体、大きなコップに三杯も飲んだら、キイチゴ水でも気分が悪くなるだろうね。やれやれ。カラント・ワインを作るんであたしを良く思ってないあの連中には、この件でうまい口実をあげたことになるか。牧師さんはどうも反対らしいと分かってからは、ここ三年作ってなかったんだけどね。病気になった時用に置いといたんだよ。ほらほら、良い子だから泣かないで。あんたが悪いんじゃないんだから、起こってしまったことは仕方がないさ」
「泣くしかないわ」とアン。「あたしの心は砕け散ったの。運命の星達が天空からあたしを攻め立てるのよ、マリラ。ダイアナとあたしは永遠に別れ別れ。ああ、マリラ、あたし達が友の誓いを口にした時、こんなこと思いもしなかった」
「馬鹿言うんじゃないよ、アン。バリーの奥さんだって、あんたが悪いんじゃ無いと分かれば考え直すよ。つまらない冗談かそんなつもりであんたがやったと思ってるんじゃないかい。今晩にでも事情を話しに行くのが一番だね」
「怒ったダイアナのお母さんと顔をあわせるなんて、思っただけでもおどおどするわ」とアン。「お願い、替わりに行って、マリラ。マリラの方があたしより堂々としてるもの。多分、あたしが行くより話が早いわよ」
「それもそうだ、あたしが行くよ」とマリラ。確かにその方が賢い解決の道だと考え直した。「もう泣くんじゃないよ、アン。全て良くなるから」
全て良くなるというマリラの意見は、果樹園坂から戻った時にはガラリと変わっていた。アンはマリラが帰るのを待ち構えていたので、ポーチの戸に駆けて行ってマリラを迎えた。
「ああ、マリラ、顔を見ただけで分かるわ、行っても無駄だったのね」悲しげな顔でアンが言った。「バリーさんはあたしを許してくれないんでしょう?」
「バリーの奥さんときたら、全く!」マリラがビシッと言った。「頭が固い女はたくさんいたけど、あれは最悪だね。今度の件は全てあたしの過ちで、あんたが責められるような事じゃないと言ったんだが、何を言っても聞こうとしないんだから。それに、あたしのカラント・ワインをあげつらって、誰が飲んでも無害なものだっていつもあたしが言ってたじゃないかって、揚げ足とりさ。だからあの人にはこう言ってやったよ、カラント・ワインは一度にタンブラーで三杯も飲むようなものじゃないし、もしうちの子供がそんなにいやしいことをしたら、すぐにひっぱたいて酔いを醒してやるってね」
波立つ心のマリラはさっさと台所に入ってしまい、乱れた心の小さな子供が、ポツンと後に取り残された。やがて、アンは帽子を被るのも忘れて、冷たい秋の夕闇の中へと歩み出した。決然とそして着実に進路を取った。枯れたクローバーの原っぱを抜け、丸木橋を渡り、エゾマツ林を上って、西の森の上に低くかかる青白い月に照らされながら進んで行った。バリー夫人がおずおずしたノックに答えて戸を開けてみると、血の気のない唇で、目に熱を帯びた嘆願者が戸口の段に立っていた。
戸を開けた顔が冷ややかになった。バリー夫人は先入観の影響を受けやすく、好き嫌いがはっきりした女だった。怒るとよそよそしく内にこもるタイプで、なかなか容易に打ち負かせるものではなかった。バリー夫人に公平を期して言うと、夫人の見地では、アンがダイアナを酔わせた一件に関し、純粋に予め悪意をもって事に当たったのは疑いなく、かくも邪な子供と友誼を継続して、その魔の手にこれ以上委ねられることの無いよう、自分の娘は守られるべきであると、真実危惧するところだった。
「何の用?」夫人の言葉は固い。
アンは両手をギュッと前に組みあわせた。
「ああ、バリーさん、どうか許して下さい。あたしはダイアナをその――その――酩酊させるつもりはなかったんです。なんであたしに、そんなことができるでしょう? ちょっと想像して下さらなくては、もし自分が、可哀想な孤児の女の子で、親切にも引き取って下さる人がみつかったけれど、この広い世界に心の友はたった一人いるだけだったとしたら。そしたら、わざわざその心の友を酩酊させたりします? あれはただのキイチゴ水だとばかり思っていました。本当にキイチゴ水だとばかり。ですからお願いです、もうこれ以上ダイアナと遊ばせない、なんておっしゃらないで。もしそんなことになったら、おばさんの言葉は苦悩の黒雲となって、あたしの人生を覆いつくすでしょう」
このセリフは、根が単純なリンド夫人の心を一瞬にして和らげることはできたが、バリー夫人には何の効果も上げず、今まで以上にイライラを募らせる結果に終わった。夫人はアンの大袈裟な言葉遣いと劇的な身振りを胡散臭く思ったし、この子は自分を馬鹿にしていると受け取った。だから、夫人の返答は冷たく容赦のないものとなった。
「あなたはダイアナのお友達には向いているとは言えないわ。お家に帰って行儀良くしていることね」
アンの口元が震えた。
「ダイアナに一目だけ会わせてもらえませんか? お別れを言いたいんです」アンが慈悲を請うた。
「ダイアナはお父さんとカーモディーに行って、今いないわ」とバリー夫人は言って、中へ入るなり戸を閉めた。
絶望に打ちひしがれて、アンは静かにグリーン・ゲイブルズへ戻って行った。
「あたしの最後の希望のともしびが消え失せたわ」アンはマリラにそう語った。「坂を上って一人でバリーの奥さんに会ってきたけど、とても無礼にあしらわれただけ。マリラ、あの人、あまり良い育ちじゃないと思う。もうできるのは祈ることだけ、でもそんなに希望を持てそうにないわね、だってマリラ、バリーの奥さんみたいに頑固な人が相手じゃ、神様でもたいして出来ることは多くなさそうだもの」
「アン、そんなこと言っちゃだめじゃないか」マリラは諌めたが、実は最近秘かに苦労していた。いけないと思いつつ、不信心にも笑いたくなる傾向はますます強まるばかりだった。そして実際、その晩マシューに一部始終を話した時には、アンの被った試練を肴に、心の底から笑ってしまうのだった。
だが就寝前に東の切妻の部屋にそっとすべりこんで、アンが泣きながら寝入ったのが分かると、いつもは見られることのない、柔らかな表情がその顔に浮かんだ。
「不憫な子」そう呟くと、その子の涙に濡れた顔に垂れた巻き毛を直してやった。それから身をかがめ、枕の上の上気した頬にキスした。