グリーン・ゲイブルズのアン, ルーシー・モード・モンゴメリ

アン、お茶に招待される


「何があったか知らないけど、目がこぼれてきそうじゃない、今度は何?」とマリラが訊いた。アンは郵便局まで使い走りを頼まれて、今戻ったところだった。「また同じ波長の誰かを見つけたのかい?」興奮の衣を身にまとったアンは、瞳をキラキラさせて、顔全体が明るく輝いていた。小径を踊りながら帰ってきたのだ。さながら風に舞い飛ぶスプライト(小妖精)のように、柔らかな陽の光と物憂い陰の中をアンは帰って来た。八月の夕暮れ時のことだった。

「ううん、マリラ、でも、ああ、何だと思う? あたしね、お茶に招待されたの、牧師館で明日の午後なの! アランさんが、わざわざ郵便局に手紙を置いて行ってくれたのよ。ほら、見て見て、マリラ、『グリーン・ゲイブルズ、アン・シャーリー様』生まれて初めてだわ、『様』なんてつけて呼ばれたの。あんなにゾクゾクするなんて! 大事に大事にずっと取っておこう、あたしの極め付きの宝物と一緒に」

「アランさんから聞いてるよ、日曜学校の生徒を順番にお茶に呼ぶつもりなんだってさ」とマリラ、せっかくの夢の如き出来事だというのに、誠にそっけない。「そんなに熱に浮かされて、うわ言を口走る必要はないんだよ。物事はもっと冷静に受け止めなくては、分かったね」

アンが物事を冷静に受け止められるようになったら、それはもうアンとは呼べないだろう。全てが「霊と火と露」でできていたアンは、生きる愉しさにも苦しさにも、人の三倍も強く翻弄された。マリラはこれに気づいており、漠然と不安を抱え、危ぶんでいた。人生の浮き沈みが、魂の衝動を抑えきれないでいるこの子の肩に、重くのしかかるのではないだろうか。ただ、充分理解していないこともあった。悲しむだけでなく、誰にも増して喜ぶ力があるということは、欠点を補って余りあるものなのだ。それ故に、マリラが心得るに至った義務とは、できる限りアンをきびしく躾け、何があっても動揺しない態度を身に付けさせることだった。しかし、そんなことはアンには不可能で、しかも縁がない事であって、小川の浅瀬で踊り回る陽の光に言ってみるのと変わりなかった。その努力が何ほども実を結んでいないのは、残念ながらマリラも認めるところだった。何かの望みや計画にのめり込んで、それが破綻すると、アンは真っ逆さまに「悲しみの深淵」まで沈んだ。逆にそれが上手くいくと、目がくらむような歓喜の王国の高みまで、駆け上がった。マリラはしばらく前から望みを失いかけていた。この世間をさ迷う宿無し児を、自分の頭にある模範的な少女、控え目な素振りで行儀良い態度の娘という型に無理やりはめ込もうなど、土台無理な相談なんじゃなかろうか。それだけでなく、マリラは自分でも全く分かっていなかったのだ。本当は今のアンの方がずっと好きだという事を。

アンがその晩部屋に戻る時、何も喋らず悲しげに黙ったままだった。マシューが、風が北東に向いてきたから、明日は雨降りじゃないかな、と言っていたからだ。かさかさいうポプラの葉擦れの音が家の周りから聞こえてくると、気が滅入ってきた。なんだか、雨粒がぱたぱた落ちて来る音そっくり。どどーんと遠く重く、セント・ローレンス湾から海鳴りが響く。他の場合なら楽しく聞き入ったかもしれない、聞き慣れない堂々たる響きと、耳に残る波のリズム、それも今は嵐と凶兆を告げるお告げと化した。そのお告げを授かった小さき乙女は、殊のほか青空を請い願っていたというのに。まさか、もう二度と朝が来ないなんてことは……

だが物ごと全てには終わりが付きもの、牧師館に招かれるまでに、指折り数えるあの夜この晩とて例外ではない。朝起きてみると、マシューの予報にも関わらず快晴に恵まれたから、アンの気分は空の天辺まで舞い上がった。「ああ、マリラ、今日はあたしの中の何かが疼くわ、誰に会っても愛してしまいそうなの」朝食の皿を洗いながら、そう感激を語った。「あのね、自分でも善い子だって感じるのよ! これがいつまでも続くと良いのにね? あたし模範的な子になれるかもね、もし毎日お茶に招かれたらだけど。でもね、ああ、マリラ、お茶のお招きは正式な行事でもあるのよ。とっても心配だわ。もし礼儀正しくできなかったらどうしよう? ほら、あたし牧師館でお茶なんて初めてじゃない。だから、エチケットの決まりを全部知ってるとは言えないのよ。ここに来てから、ファミリー・ヘラルド誌のエチケット欄を欠かさず読んで、書いてある決まり事を頭に入れるようにしてたんだけど。あたし恐いわ。何か間抜けなことしたり、しなきゃいけないことを忘れたりするんじゃないかな。お替りを頂くのは良いマナーと言えるの? もし、ものすごぉくあれが欲しいって思った時よ」

「あんたの欠点はね、アン、自分のことばかり考えすぎることだよ。そうじゃなくて、アランさんのことを思いやるべきだね。アランさんの身になって、どうすれば喜んでもらえるか、良く考えてみなさい」とマリラ、珍しく当を得た、堅実かつ簡潔な助言だった。対するアンも、打てば響くようだ。

「その通りね、マリラ。あたし自分のことは全然考えないようにしてみる」

アンは牧師館の訪問を無事に切り抜けたらしい。特に重大な「エチケット」違反もなかったようで、黄昏が、巨大な弾けそうなほど曲げられた空のアーチの下で、サフランとのバラ色の雲の裳裾を引いて、栄光を謳歌する中を、至福の心で家に戻って来ると、幸いに包まれたまま、何一つ余さずマリラに語ったのだ。台所の戸の前にある、大きな赤い砂岩の石敷に座り、疲れた巻毛の頭をマリラのギンガムの膝にのせて。

涼しい風が吹き下ろしてきた。細長い刈り入れ時の畑を越えて、周りのモミの生える西の丘々の縁から、ポプラの梢をヒューと吹き抜けていった。星が一つ、くっきりと家の果樹園の上に輝き、蛍が「恋人小径」をふわふわと飛び回って、シダの茂みと、ざわざわ揺れる枝の間を縫いながら、現われては消えしていた。アンの瞳は、お喋りしながらも、そんな風景を見つめていた。どうしてだろう、風も星も蛍も、みんな一つに絡まりあって、言葉にできないけど、気持ち良くてうっとりする何かに、溶けていくような気がする。

「ああ、マリラ、最高に魅惑の時間だった。今までの人生は無駄じゃなかったのよ、きっとこれからもそう感じ続けるわ、例えもう二度と牧師館に招かれなくてもね。向こうに着いたら、アランさんが玄関までお出迎えしてくれたの。ドレスは淡いピンクの素敵なオーガンディー、エルボー・スリーブでフリルもたくさん付いていて、セラピム(熾天使)みたいだったな。大人になったら、牧師の奥さんになりたいって、本当にそう思うわ、マリラ。相手が牧師なら、あたしが赤毛でも気にしそうにないもの、だってそんな世俗的なことを考えないだろうし。でもそうすると、当然生まれつき善い人でないといけないから、あたしには絶対無理、だから牧師の妻の線は考えてもしょうがないってことね。ある人は生まれつき善い性格だし、でも、ある人はそうじゃないのよね。あたしは二番目のタイプだな。リンドさんに良く言われてるの、あたしには原罪が一杯詰まってるって。あたしはどんなに頑張ってみても、善くなれっこないんだわ、生まれつき善い性格じゃないもの。幾何に似てるわね、何だか。でも、一生懸命頑張ることにも、少しは意味があるはずだと思わない? アランさんは生まれつき善良なタイプよ。あたしアランさんを熱烈に愛してる。マシューやアランさんみたいな人っているものね、直ぐに好きになれて、何の苦労もいらないのよ。だけど一方でリンドさんみたいな人達がいるんだわ、苦労して苦労して好きにならなきゃいけない人達よ。そういう人達も当然好きにならなきゃいけないのよね、物知りだし、教会で先頭に立って働いてるし、でも好きにならなくちゃって自分でいつも言い聞かせないと、そんなのすぐ忘れちゃう。他の女の子も一緒に牧師館でお茶におよばれされてたわ、ホワイト・サンズの日曜学校から来てた子。名前はローレッタ・ブラッドリー、とても感じの良い子よ。同じ波長とは言えないけどね、それでもとても感じ良かったわ。みんなでお上品なお茶を頂いたけど、エチケットの決まり事は全部奇麗にクリアしたと思う。お茶の後で、アランさんがオルガンを弾いて賛美歌を歌ったの、で、続けてローレッタとあたしも一緒に歌ったわ。アランさんがね、あたし良い声をしてるって。それからね、日曜学校の聖歌隊に入って歌いなさい、だって。あたしゾクゾクしちゃったのよ、ちょっと考えただけなのにね。日曜学校の聖歌隊で歌えたらなぁってずっと思ってたのよ、ほらダイアナが歌ってるじゃない、でもそんな事は高嶺の花だって諦めてたんだけど。ローレッタは、早めに戻らないと、って帰っちゃったわ、ホワイト・サンズで大きなコンサートがあって、お姉さんが暗誦に出演するからなの。ローレッタが言ってたわ、ホテルに泊まりに来るアメリカ人が、シャーロットタウン病院を援助するために、隔週でコンサートを開くから、ホワイト・サンズの人達は何人も暗誦を頼まれてるんだそうよ。ローレッタは、あたしいつかは暗誦するように頼まれると思う、って言ってた。もうビックリして思わず見つめちゃった、すごいわよねぇ。あの子が帰ってから、アランさんとあたしで、二人だけの心の触れ合う話をしたの。あたしアランさんに何でも話したわ――トマスさんのこと、双子達のこと、ケイティ・モーリスのこと、ヴァイオレッタのこと、グリーン・ゲイブルズに来たこと、幾何の悩みのこと。ねえ、信じられる、マリラ? アランさんも、幾何は全然ダメだったんだって。これ聞いてね、あたしも頑張れるって思ったのよ。あたしが帰る直前にリンドさんが顔を出したんだけど、何の用だったと思う、マリラ? 理事会が新しい先生を雇ったんだって、それも女の先生。名前はミス・ミューリエル・ステイシー。物語的ロマンチックな名前じゃない? リンドさんは、アヴォンリーじゃ今まで女の先生なんか雇ったこと無かったから、危ない試みになりそうだと思うって言ってたわ。でもあたしは、女の先生に習うのは素晴らしいことだと思うな、それにどうしよう、あたし待ち遠しくって。学校が始まるまで二週間も我慢しなくちゃいけないのよ。今すぐにでも先生に会いたいくらいなのに」


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