T・E・ヒューム(トーマス・アーネスト・ヒューム(一八八三年九月十六日-一九一七年九月二十八日)。イギリスの評論家、詩人。反ヒューマニズム的な思想を提唱したことで有名。第一次世界大戦で戦死した。)について書かれたマイケル・ロバーツの本を読みながら、またしても私の頭に浮かんだのは社会主義運動は知らぬ間に作家たちの新反動主義派とでも呼ぶべきものを作り出しているという危険な問題についてだった。こうした作家はかなりの人数いる。彼らは際立った知性を持ち、静かに勢力を伸ばしていて、左派に対する彼らの批判は個人主義同盟や保守党の中央事務局から発せられるどの批判と比べてもずっと大きな損害を与えている。
T・E・ヒュームは先の大戦で戦死し、完結した作品をわずかだけ遺した。しかし彼がおおまかに定式化した思想は大きな影響力を持っていて、二、三十年代のクライテリオン誌の周囲に集まっていた無数の作家にとりわけ強い影響を与えた。ウィンダム・ルイス、T・S・エリオット、オルダス・ハクスリー、マルコム・マゲリッジ、イーヴリン・ウォー、グレアム・グリーンといった人々は全員、彼から何らかの影響を受けている。しかしその個人的な影響力以上に重要なのは彼が属していた広い意味での知的運動である。悲観主義の復興とそれは表現できるだろう。おそらく、現在生きている中で最もよく知られたその主導者はペタン元帥だ。しかしこの新しい悲観主義はそれそのものよりも奇妙な出自を持っている。カトリック主義や保守主義、ファシズムだけでなく、平和主義(とりわけカリフォルニア系の平和主義)や無政府主義とも結びついているのだ。山高帽をかぶったアッパーミドルクラスのイギリス人保守主義者であるT・E・ヒュームが無政府組合主義者のジョルジュ・ソレルの称賛者であり、ある程度は信奉者であったことは指摘しておく価値がある。
「敗北の規律」を痛ましげに説くペタン、自由主義を糾弾するソレル、ロシア革命に関して頭を左右に振るベルジャーエフ、エクスプレス紙でベヴァリッジ(ウィリアム・ベヴァリッジ(一八七九年三月五日-一九六三年三月十六日)。イギリスの経済学者、社会政策学者、政治家。健康保険、失業保険、年金など社会保障制度の改革を主張し、第二次世界大戦後の労働党政権での社会保障制度の改革に大きな影響を与えた。)に横槍を入れる「ビーチコマー(D・B・ウィンダム・ルイスやJ・B・モートンによる匿名新聞記者のペンネーム。)」、アメリカの艦隊の砲列の背後で無抵抗を主張するハクスリー、いずれの場合でもこうした人々に共通するのは人間社会を基礎から改良できると信じることへの拒絶である。人間は出来損ないで、たんなる政治的変化によって変化をもたらすことはできず、進歩は幻影なのだ。こうした信念と政治的態度の間の関係はもちろん明らかである。浮世離れは裕福な人間が手にできる最高のアリバイだ。「議会活動によって人間を改良することなどできない。従って私は配当金をもらい続けた方が良いだろう」これほどあからさまに言う者はいないが、こうした人々が考えているのはこの様なことなのだ。とはいえマイケル・ロバーツやヒューム自身などのように彼らでさえ、わずかな、ほんのわずかな改良であれば現世の社会でもあり得ると認めている。
新悲観主義者たちを無視することの危険性はある意味で彼らが正しいということにある。短期的に考えるのであれば未来に希望を抱かないのは賢い態度だ。人間の改良についての計画は普通は行き詰まるもので、悲観主義者は楽観主義者よりも「だから言っただろう」という機会がずっと多い。概して破滅の予言者は、普通教育や女性参政権、国際連盟といったものによって現実的な前進の一歩が達成されると想像する者たちよりも正しいのだ。
現実的な解は社会主義をユートピア主義から分離させることだ。ほとんど全ての新悲観主義者たちの弁証は藁人形を作り上げてそれを再び打ち壊すことから成り立っている。「完成された人間」という名の藁人形である。社会主義者は、社会が――もちろん社会主義が確立された後のことだが――完全に完璧なものになる、そしてそのための進歩は不可避であると信じ込んでいると非難される。もちろん、こうした信念が誤りだと騒ぎ立てられるのはそれで手っ取り早く金を稼ぐことができるからだ。
社会主義は完璧主義的ではなく、おそらくは快楽主義的でさえないという回答が通例そうされるよりももっと大きな声で語られるべきだ。社会主義者は世界を完璧なものにできるとは主張していない。彼らが主張しているのは今よりも良くできるということなのだ。思慮ある社会主義者であれば誰もがカトリックに譲歩するだろうし、経済的不公平が正されたとしてもこの世界における人間の境遇についての根本的な問題は依然として残り続けることを認めるだろう。しかし、こうした問題は平均的な人間がやむを得ず経済的な問題で頭をいっぱいにしている間は手を付けられないのだということこそ社会主義者が強く主張することなのだ。「社会主義が到来した後にこそ人類の歴史は始まる」というマルクスの言葉にそれは全て要約されている。一方で新悲観主義者たちが現れ、世界中のあらゆる国の報道機関に深く浸透している。そしてそれは私たちが時に認める以上に若者に影響を与え、転向を促しているのだ。
フィリップ・ジョーダンのチュニス日記より
私たちはドイツの未来を議論し、ジョン(・ストレーチー)は一人のアメリカ人の同席者に言った。「あなたは間違いなく『カルタゴの平和(ローマがカルタゴを滅ぼすことで平和を実現したことから、相手を滅ぼすことで得られる平和を意味する。)』は望んでいない、そうでしょう?」我らがアメリカの友人は極めてゆっくりと、しかし大真面目に答えた。「これまで私たちがカルタゴ人ともめごとを起こしたことがあったか思い出せませんね」これは私をおおいに笑わせた。
私には笑えなかった。このアメリカ人に返答するとしたら「確かに。しかしローマ人たちからはおおいにもめごとを起こされましたがね」というものになるだろう。しかしそれ以上の問題もある。カルタゴの平和について語る人々が気づいていないのは、現代においてはそんなものは全く実行不可能であることだ。敵を打ち負かした時には(同じ世代のうちに再び戦争を起こしたくなければ)相手を滅ぼすか寛大に扱うかのどこか中間を選ばなければならない。あるいは最初の選択肢が望ましいのかもしれないが、それは不可能なのだ。カルタゴが完全に破壊されたことは全くの事実だ。建物は跡形もなく破壊され、その住人は斬り殺された。古代においてはこうした出来事は四六時中起きていた。しかし巻き込まれる人間の数はわずかなものだったのだ。最終的にカルタゴが破壊された時にカルタゴの城壁内に何人の人間がいたのか、このアメリカ人は知っているのだろうか? 私が入手できた最も新しい出典によれば、五千人である! どうやって七千万のドイツ人を殺すことできるだろうか? 殺鼠剤だろうか? 「ドイツに代償を支払わせる」時には再び戦いの叫び声が上がることを頭に留めておいた方がよいだろう。
ダグラス・リードを非難したことを理由に、ウィークリー・レビュー誌で私を非難しているA・K・チェスタートン氏は「『正しくとも間違っていようとも、わが祖国』は明らかにオーウェル氏の哲学にはふさわしくない格言である」と述べている。また「置かれた状況がどうであれイギリスはこの戦争に勝利しなければならないと私たち全員が信じているし、これに関して言えばイギリスが戦う他のどのような戦争についても同じだ」と語っている。
問題となるフレーズは「他のどのような戦争」である。実際に侵略され征服される危機にあると思えば、どのような政府の下であろうと私たちの多くは自分たちの国を守ろうとするだろう。しかし「どのような戦争」でもとなると話は別だ。例えばボーア戦争はどうだろう? ここにちょっとしたすばらしい歴史的皮肉が存在する。A・K・チェスタートン氏はG・K・チェスタートンの甥なのだ。G・K・チェスタートンは勇敢にもボーア戦争に反対し、かつて「正しくとも間違っていようとも、わが祖国」というのは道徳的には「飲んだくれだろうとしらふだろうと、私の母さん(G・K・チェスタートンのエッセー「The Defendant」の「A Defence of Patriotism」からの引用。)」というのと同じことであると語った人物である。
役人の振る舞いを目にした時には、おそらくドイツでも同じようなことが起きているのだろうと考えるといくらか慰められる。一般的にはそれを確かめられないが、ときおりラジオ放送が手がかりを与えてくれる。少し前のことだが私が英語のベルリン放送を聞いていた時にアナウンサーがインド人ナショナリストについて数分間を割いたことがあった――もちろんのことだがナチスは彼らに最大限の同情を寄せていると述べていた。私が気がついて面白く思ったのはインド人の名前が全てひどくでたらめな読み方をされていたことで、それはBBCがやる間違いよりもなおひどい間違い方だった。例えばラース・ビハーリー・ボース(ラース・ビハーリー・ボース(一八八六年三月十五日-一九四五年一月二十一日)。インドのインド独立運動家。一九一五年に日本に亡命、その後、日本人女性と結婚して日本に帰化した。)はラシュ・ビアリー・ボースと発音されていた。しかし、同様にベルリンから放送をおこなっているさまざまなインド人が、この間違った発音で名前を読んでいる裏切り者のイギリス人と同じ建物に毎日のように出入りしているに違いないのだ。ドイツの能率性、そしてもちろんインド・ナショナリズムへのナチの関心についてはこれで十分理解できるというものだ。