気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1943年12月17日 イギリスとアメリカの関係、不沈の軍事専門家、コリントの高級娼婦ライス


この国にいるアメリカ兵についての私の発言を非難するたくさんの投書が来たので、この問題については再度取り上げなければならない。

投書者のほとんどが考えているのとは異なり、私は私たちと同盟国の間に厄介事を持ち込むつもりはないし、合衆国への憎しみに囚われているわけでもない。現在の多くのイギリスの人々と比べれば私はたいして反アメリカ的でもない。繰り返しになるが私が言っているのは同盟国を批判せず、また彼らから私たちへの批判に答えない(ロシアやさらには中国に対しても私たちは返答をしていない)という方針は間違っているということであり、長期的に見ればそれによって同盟の目的が挫かれる可能性が高いということなのだ。イギリスとアメリカの関係について言えば、公開の場に引きずり出す必要があるにも関わらず、イギリスの報道機関では全く言及されていない三つの難問がある。

一、イギリスにおける反アメリカ感情。戦争の前、反アメリカ感情は中流階級、そしておそらくは上流階級のものだった。帝国主義と営利上の嫉妬心の結果がアメリカ風アクセントといったものへの嫌悪という装いをとっていたのである。労働階級は反アメリカとはほど遠く、映画やジャズソングによって急速にアメリカナイズされたしゃべり方をするようになっていた。投書者たちがなんと言おうと現在ではアメリカ人について褒める言葉はどこであろうとめったに聞かれなくなった。これは明らかにアメリカ軍の来訪の結果である。さまざまな理由によって地中海での戦いがアメリカの活躍として描かれ、一方で犠牲のほとんどはイギリスによるものと描かれたこと(「チュニス日記」でのフィリップ・ジョーダンの発言を参照)がいっそう事態を悪化させた。私は広まっているイギリスの偏見が全て正当だと言っているわけではない。そうしたものが存在していると言っているのだ。

二、アメリカにおける反イギリス感情。アメリカ人の大多数は私たちを嫌悪し軽蔑するように育てられているという事実に私たちは向き合うべきである。反イギリス的な論調をとる報道機関の大きな一団が存在するし、もっと散発的なやり方でイギリスを非難している新聞も無数にある。加えて舞台や漫画、安雑誌にはイギリス式の習慣やマナーと思われるものを身につけた几帳面な男が登場する。典型的なイギリス人男性は爵位を持ち、片眼鏡を着けて「オホホ!」と笑う癖のある、あごの無い男として表現されている。こうしたステレオタイプは比較的聡明なアメリカ人にも信じられていて、例えば熟練の小説家セオドア・ドライサーは演説の中で「イギリス人は馬に乗った貴族的な俗物だ」と述べている(四六〇〇万の、馬に乗った俗物!)。アメリカの舞台演劇では黒人が道化よりましな役で現れることよりもイギリス人が好ましい役を演じることの方が難しいのが当たり前なのだ。さらに真珠湾攻撃の直前までアメリカの映画産業は日本人の登場人物を決して悪く描かないよう日本政府と取り決めていたのだ。

私はこうした事実でアメリカ人を責めているわけではない。反イギリス的な報道機関はその背後に強力な営利的力が働いているし、その上、古いいさかいでは多くの場合にイギリスに非があった。広まっている反イギリス感情に関して言えば、最悪の見本を輸出することで私たちが自身でそれを作り上げている面もある。しかし私が本当に強調したいのはアメリカ合衆国におけるそうした反イギリス的動きは非常に強く、またイギリスの報道機関はそれに注意を向けさせることにずっと失敗しているということなのだ。イングランドには反アメリカ的な報道機関と呼べるようなものは全く存在していない。そして戦争以来、批判に答えないという確固とした拒絶とアメリカ人が抗議しそうなものは何であれ削除するというラジオへの入念な検閲が存在している。その結果、イギリスの人々の多くは自分たちがどう見られているかに気がついておらず、それに気づいた時に激しく動揺するのである。

三、兵士の賃金。アメリカ軍が最初にこの国に到着してから今では二年近くが経っているが私はアメリカ兵とイギリス兵が一緒にいるところをめったに見ない。その主な原因が賃金の違いにあることは明白である。自分よりも五倍も収入が多い人物とは親密になることも友好な関係を結ぶこともできない。経済的に見ればアメリカ軍全体は中流階級にある。戦場であればこれは問題にならないだろうが、訓練期間においてはイギリス兵とアメリカ兵を親しく交わらせることをほとんど不可能にしてしまうのだ。イギリス軍とアメリカ軍の間に友好関係が築かれなくても良いというのであれば何の問題もない。しかしもし友好関係を欲するならイギリス兵に日給十シリングを払うか、アメリカ兵に超過分の給料をアメリカの銀行に預けさせるかしなければならない。その選択肢のどちらが正しいものなのか、私はわかっているふりをする気はない。


日記をつけないようにするのは感情的に無謬となるひとつの方法だ。一九四〇年から一九四一年に書いた日記を読み返してみて、間違えられる時にはだいたいにおいて自分が間違えていることに私は気づいた。しかし軍事専門家ほどには間違えていない。さまざまな派閥の専門家たちは一九三九年にはマジノ線が難攻不落であり、独ソ不可侵条約によってヒトラーの東への勢力拡大は終止符を打たれると言っていたし、一九四〇年初頭には戦車による戦争の時代は終わったと言い、一九四〇年中盤にはドイツは即座にイギリスに侵攻するだろうと言い、一九四一年中盤には赤軍は六週間以内に倒れると言い、一九四一年の十二月には九十日後には日本は崩壊しているだろうと言い、一九四二年の七月にはエジプトは敗北するだろうと言っていた。多かれ少なかれずっとそんな調子だ。

現在、そうしたことを言っていた人々はどうなっているのか? まだその職にいて高い給料を稼いでいるのだ。不沈の戦艦の代わりに私たちには不沈の軍事専門家がいるというわけだ……。

最近では政治的な満足を得るのには動物ほども金銭を必要としない。モズレーの釈放に対して最も大きな反対の声を上げていたのは今は亡き人民会議一九四〇年から一九四一年にかけてイギリスの共産主義勢力によって提案された協議会の指導者たちだった。モズレーが収監された当時、人民会議はモズレーの運動とほとんど見分けの付かない「停戦」運動を実施していた。また私はフィンランド人たちに部屋着を編むために結成された婦人たちによる編み物の会を知っているが、その会は二年後に――なんの不調和もなく――さまざまな衣類を手元に残したまま解散し、その衣類はロシア人たちに送られたのだったここでオーウェルは一九三九年にソビエト・ロシアがフィンランドに侵攻した冬戦争と一九四一年にドイツがソビエト・ロシアに侵攻した独ソ戦を対比している。一九四二年の始め頃に私の友人の一人が一九四〇年の新聞紙に包まれたフライドフィッシュをいくらか買ったことがあった。片面には赤軍は役立たずであると説明する記事があって、もう片面には勇敢な水兵と有名なイギリス愛好者であるダルラン提督についての記事があった。しかしこの話で私が気に入っているのは、ソビエト連邦が参戦して数日後のそのデイリー・エクスプレス紙の社説の書き出しが「本紙はイギリスとソビエト・ロシアの友好関係のために絶えず尽力してきた」となっていたことなのだ。


他の全てのものと同様に本の値段は上がっているが、先日、私はランプリエールジョン・ランプリエール(一七六五年-一八二四年二月一日)。イギリスの古典学者、辞書編纂者、神学者。の古典辞書「古代名士録」を一冊たったの六ペンスで手に入れた。適当にページを開いたところ、アルキビアデスの愛人の娘で有名な高級娼婦であるライス紀元前四世紀頃の古代ギリシャの高級娼婦。ヒュッカラのライスとして知られる。の人物紹介に出くわした。

「彼女は初めコリントで自分との性的関係を一万ドラクマで売り出した。彼女に言い寄った無数の王子、貴族、哲学者、演説家が彼女の持つ魅力について証言している……デモステネスはライスを求めてコリントを訪れるが、彼女のベッドへの立ち入りを許されるにはイギリスの貨幣で言えば約二百ポンドに相当する大金を支払わなければならないとこの高級娼婦に告げられる。この演説家は立ち去るが、その高額な値段を支払わなかったことを後悔していることに気がつく……彼女は哲学者の堅物さや情欲に優越する力を得たふりをする彼らの弱さをからかう。それは賢者や哲学者が他の人間よりも優れているわけではないことを彼女が見て取ったからなのだが、なぜかと言えば他のアテナイ人と同じくらい頻繁に彼らが彼女のところを訪ねてくることに気がついたためなのだ」

同じような調子でさらに続いていくが、最後は道徳的な終わり方をしている。「彼女の魅力に嫉妬した他の女たちが紀元前三四〇年頃にビーナスの神殿で彼女を暗殺した」のだ。これは二二八三年前のことである。私は想像するのだ。名士録に載っている現代の人間の中で西暦四二二六年に読むに値するだけの人物が何人いるだろうか?


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