私の取っている日曜新聞の広告ですばらしいクリスマスに必要な四つのものが図で紹介されていた。図の一番上にはロースト・ターキー、その下にはクリスマス・プディング、その下にはミンス・パイの乗った皿、さらにその下にあるものは〇〇製の胃腸薬の缶だ。
これこそまさに幸福のレシピである。まず食事、次に解毒剤、それが終わったらまた食事。古代ローマ人はこの技術の偉大なる達人だった。しかし私がラテン語辞書でvomitorium(古代ローマ人が宴会場のそばに作ったといわれる「嘔吐室」の意味でオーウェルは使っているが、これは後世の創作で実際には「スタジアムの通用路」を意味する。)という言葉を引いたところ、実はこの言葉は祝宴の後に気分が悪くなった時に行く場所を意味するわけではないそうだ。このことから見ておそらく広く信じられているほどにはこれは全てのローマの家庭にごく普通に見られた特徴というわけではないのだろう。
先に述べた広告で暗に示されているのは良い食事とは食べすぎてしまうような食事であるという考えだ。基本的には私もそれに同意する。ただしついでに付け加えておくと、今年のクリスマスに食事を貪り食べる時には(もし私たちにそんな機会があればだが)そんなことをしない十億かそこらの人々について思いをめぐらせた方がいいだろう。他の全ての人々が同じようにクリスマスのディナーを取れていることを確実にした方が、長い目で見れば私たちのクリスマスのディナーはずっと確かなものになるだろうと思うのだ。しかしこれについては今は置いておいて後で戻ろう。
クリスマスに食べ過ぎてはならないただひとつの妥当な動機は他の誰かが自分以上に食べ物を必要としているということだけだろう。意図して禁欲的クリスマスを過ごすというのは馬鹿げてはいないだろうか。クリスマスの本質は節制から解き放たれることなのだ――おそらくは恣意的にこの日付に定められたキリスト誕生のはるか前からそれは変わらない。子供たちはそのことをよくわきまえている。彼らからすればクリスマスは節度を持って楽しむ日ではなく、かなりの面倒を進んで支払って手にした激しい喜びの日なのだ。靴下の中身を調べるための朝の四時頃の起床、朝のあいだ続くおもちゃを巡る争い、台所のドアからもれだすミンスミートとセージ・アンド・オニオンの刺激的な匂い、大きな皿いっぱいのターキーとの格闘、鳥の叉骨を裂く占い、窓にカーテンが引かれて火のついたプラム・プディングが入場する。それをブランデーがまだ燃えているうちから皆が自分の皿に取り分けてくれと急かし、赤ん坊が三ペンス硬貨を飲み込んだのではないかといってはしばしの騒ぎが起こる。午後の間続く昏睡状態、一インチもの厚さのアーモンド・アイシングで覆われたクリスマス・ケーキ、翌朝の陰鬱と十二月二十七日のヒマシ油――山あり、谷ありで決して喜ばしいことだけではないが、だからこそ価値がありずっと印象的な瞬間となるのだ。
禁酒家と菜食主義者は決まってこうした態度に憤慨する。こうした人々からすると唯一の理性的な目標は苦痛を避け、可能な限りの長生きをすることなのだ。アルコールを飲んだり肉を食べたりといったことを慎めば、五年は余計に生きることができるだろう。一方で食べ過ぎ、飲み過ぎれば次の日には現実の肉体的苦痛という対価を支払うことになる。確かにあらゆる暴飲暴食にはそうしたものが付きもので、クリスマスのような年に一度の大騒ぎでもそれは変わらない。当然、避けてしかるべきなのではないか?
実のところ、全くそんなことはない。自分がおこなうことを完全に理解したうえで人はたまに訪れる喜ばしい瞬間は自分の肝臓に負担を押し付けるだけの価値があると判断する。健康だけが唯一の重要事ではないのだ。友情、もてなしの心、心の高揚や考え方の変化といった良き仲間との宴によって得られるものにもまた価値がある。もっと言えば完全な泥酔でさえ、もしそれが頻繁ではないなら――例えば年に二度といったことであれば――本当に有害であるとは言えないのではないだろうか。過ぎた後で後悔することも含め、そうした全ての体験によって人の精神的平穏にもたらされる影響は外国で週末を過ごすことと大差なく、おそらくは有益なものなのだ。
あらゆる時代の人間がこのことに気がついている。先史時代まで広げても広く意見の一致が見られるのは、習慣的に浴びるほど飲むのはいけないが、たとえ時には翌朝に後悔を感じるとしても陽気に過ごすのは好ましいということなのだ。食べることや酒を飲むこと、とりわけ酒を飲むことについて書かれたものがどれほど多く、それとは反対の立場から語られたもので価値あるものがどれだけ少ないことか! 水を称える詩、つまり酒のように水を称える詩をひとつたりとも私は思い出すことができない。誰かがそうしたものを挙げられるとも考えにくい。喉の渇きが癒やされた、それで話は終わりだ。一方でワインを称える詩は現代まで生き残っているものだけでも書棚を一杯にするだろう。ブドウの発酵が初めて発見されたまさにその日から詩人たちは姿を現した。ウィスキーやブランデーといった蒸留酒はそこまで雄弁に称えられていないが、それはひとつにはそれらが現れたのが比較的後の時代のことだったからだろう。しかしビールは実に高い評価を受けている。中世よりずっと前、誰かがホップを入れることを思いつくよりずっと以前からそうなのだ。興味深いことに私はスタウト(黒ビール)を称える詩を思い出すことができない。個人的には瓶詰めよりも優れていると思う生のスタウト(イギリスでは熱処理の有無に関係なく樽詰めのビールは全て生ビール(ドラフトビール)と呼ぶ。)についてさえそうだ。「ユリシーズ」にはダブリンのスタウトの大樽についての実にぞっとする描写がある。しかしこの描写をもってしても、広く知られるように、アイルランド人を彼らの好む酒から引き離せないという事実はいわばスタウトへのひねくれた賛辞だろう。
そのほとんどは散文であるが、食事についての文学もまた膨大にある。あらゆる作家は食べ物を描写することを楽しむ。ラブレーからディケンズ、ペトロニウスからビートン夫人までそれは変わらないが、まずはじめに栄養の考察から始める文章を私はひとつも思い出せない。決まって食べ物がどのように感じられるかで話は尽きる。ビタミン、過剰なタンパク質の危険性、どんなものでも三十二回噛むことの重要性についての印象に残る散文を書く者はいないのだ。全体的に見れば、それがあまりに頻繁でなければ広く知られる重要な行事では食べ過ぎと飲み過ぎが起きようと必ずそれには十分な妥当性があるように思われる。
しかし今年のクリスマスで私たちは食べ過ぎ、飲み過ぎるべきだろうか? そうすべきではないし、私たちのほとんどにはそうする機会もない。私はクリスマスの祝いについて書いているが、それは一九四七年、あるいは一九四八年のクリスマスについてのことなのだ。全体的に見たとき世界は今年、祝いの催しに最適の条件下にあるとは言えない。ライン川と太平洋の間に〇〇製の胃腸薬を必要としている人々はそう多くはいないはずだ。インドには一日に一度しか食事できない約一千万の人々がずっと存在している。中国でも状況はほとんど同じであることは疑いない。ドイツ、オーストリア、ギリシャ、またそれ以外の場所にも数百万の人々が存在している。かろうじて肉体が呼吸を保てはするが働くための力は残されないような食事で過ごしているのだ。それ以外にもブリュッセルからスターリングラードまでの戦争で破壊された地域のいたるところに数百万もの数えきれない人々がいて、爆撃された建物の地下室、森の中の隠れ家、有刺鉄線の向こうのあばら家で暮らしているのだ。私たちのクリスマス用ターキーの大部分がハンガリー産であるということと、ハンガリーの作家とジャーナリストたち――おそらくその社会における最低賃金労働者の区分にはないはずだ――がイギリスの支援者から贈られたサッカリンと廃棄品の衣服を受け取って喜ぶような絶望的苦境にいることを同時に読むのはあまり嬉しいことではない。こうした状況ではもしそのための物資が存在しているとしても私たちが「まともな」クリスマスを送ることは難しいだろう。
しかし一九四七年か一九四八年、あるいは一九四九年になるかもしれないが遅かれ早かれ私たちは「まともな」クリスマスを送れるようになるだろう。そうなった暁には私たちに胃腸の内膜の扱いについて講釈を垂れる菜食主義者や禁酒家の陰鬱な声は消えていて欲しいものだ。人がごちそうを浮かれ楽しむのはそれそのもののためで、胃腸の内膜に何か良いことがあると期待してのことではない。一方でクリスマスは間近に迫っている。サンタクロースはトナカイを呼び集め、郵便配達員がクリスマス・カードで膨れたカバンを担いでドアからドアへと歩き回り、闇市は賑わい(一九四六年当時のイギリスには戦争の影響で配給制度があった。)、フランスからは七千以上のヤドリギの詰められた木箱がイギリスに輸入される。一九四七年には誰もが昔ながらのクリスマスを送れることを私は願っているが、さしあたっては半分のターキー、三つのタンジェリン、せいぜい法定価格の二倍程度のウィスキーのボトル一本で過ごすことにしよう。