気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1946年12月13日 洗濯事業の国有化、本への出費、国際交渉というゲーム


ある投書者が書き送ってきた。

完全に無視される危機にあるように思われるこの問題に関心を寄せてもらえるととても嬉しいです。国会議員やその他の公職にある人々は、洗濯屋のひどい不足によって多くの市民からとてつもない時間やエネルギーや精神力が奪われていることに気づいているのでしょうか?

国会議員がこの国の現在の洗濯業界の状況に気づいているかどうかはわからないが、少なくともロンドンの私が住む地区で、自分のための洗濯屋を探さざるを得ない者は誰もがこの投書者の言う一言一句に頷くだろう。たんに洗濯屋の「顧客になる」ことさえ至難の業なのだ。その地区に数カ月間住んで、かなりの手管とお世辞で交渉しない限り顧客にはなれない。さらには不規則で遅い配達、雨が降る冬の朝のぞっとするような行列待ち、洗濯物の紛失、貧弱な検品体制、取れたボタン、洗濯に出したのにほとんどきれいにならずに戻ってくるハンカチである。中でも特にひどいのは、手違いで誰か別の者に送られた洗濯物を取り戻すことの難しさだろう。決まって「下請け工場」の何かの不手際が原因で、カウンターにいるうんざりしたような若い女性はその原因について何も知らないのだ。

こうした全ては疑いようの無い真実である。しかし投書者は続ける。

国会議員が人々のことを考えているのであれば、彼らの最初の仕事のひとつは洗濯屋の国有化ではないでしょうか? 洗濯事業は郵便事業と同じくらい円滑におこなわれるべきです。家庭の運営を容易にする物事の全てが人民の政府の最大の関心事であるべきだ、と言うのは言い過ぎでしょうか?

残念ながら国有化がそれ自体で洗濯事業を効率化することはないだろう。これは私のタイプライターを国有化してもこの記事の執筆が容易にならないことと同じだ。国有化は長期的な手段であって、ほとんどの場合ではそれ自体は改善に寄与しない、たんに改善のための道を準備するだけのものに過ぎない。例えば炭鉱の国有化は炭鉱を最新化するのに必要な膨大な出費と集権的管理を可能にする。しかし石炭を増産し、大勢の炭鉱作業者の状況を改善するには何年もかかるだろう。

仮に明日、洗濯事業が国有化されたとしても事業者は同じ人員と設備で運営せざるを得ず、現在の物資不足が続く間はその効率が大きく上がることはないだろう。洗濯事業が苦境に立たされているのは石鹸や燃料、機械設備、輸送設備、とりわけ労働力が不足しているためなのだ。仮にこうした物資に関して洗濯事業に優先権が与えられたところで、今度は別の公共的な事業がひどくなるだけだ。元をたどれば全ての原因は悪化しつつある労働力の不足なのだ。そしてそれは、消耗した現在のこの国において、長時間労働をする動機が全く存在しないことによるものである。私たちは不愉快な再編成の時代へと入り、それは長い間、続くだろう。政府の広報担当者はこのことをもっとはっきりと口にして欲しいと私は願っている。さもなければ大多数の人々が国有化への熱意を完全に失いかねない。国有化をある種の万能薬かのように待ち望んでいた人々は、すぐには大きな変化は起きないと気づき始めているのだ。

しかし人生が再び生きるに値するものになった時には洗濯の方式が完全に革新される必要があることには強く同意する。例えば、赤ん坊の服を家庭以外で洗濯する方法がこれまで全く存在しなかったのは実に恥ずかしいことだ。戦前には――あるいは近々再開されるかもしれないが――毎日十二枚の清潔な「おむつ」を配達するおむつ配達サービスが存在していた。こうした贅沢をする余裕のある人々はごくわずかだったし、「おむつ」以外の赤ん坊の服はずっと家庭で洗わなければならなかったが、それは平均的な赤ん坊が使う膨大な量のパンツやシーツといったものを安価かつ迅速に処理できる洗濯屋が存在しないからだ。隙間風の吹く石張りの床の洗い場やアパートの狭いバスルームでの、山積みの汚れた赤ん坊用肌着との終わりのない戦いが私たちの出生率に与えている影響はいったいどれほどのものなのだろうか?


最近、スタンリー・アンウィン卿の興味深く有益な書籍「出版の真実」を受け取った。これは一九二六年以来、何度も版を重ねているらしく、最近、さらに増補されて内容が新しくなっている。私がとりわけ高くこの書籍を評価するのは、他では見つけることが難しそうな特定の図表を集めているからだ。一年ほど前、トリビューン紙で読書にかかる費用について書いている時オーウェル「本か、タバコか」(トリビューン、一九四六年二月八日)参照に、私はこの国で本に費やされている年間平均費用を推測して、それを一人当たり一ポンドとした。どうやら私の推測値は高すぎたようだ。以下に一九四五年の国民支出の表を挙げる。

アルコール飲料六億八千五百万ポンド
タバコ五億四千八百万ポンド
書籍二千三百万ポンド

これはつまり、平均的なイギリス市民は週に二ペンスを書籍に費やす一方で、十シリング近くを飲み物やタバコに費やしているということだ。私が思うに、この二ペンスというご立派な数字には学校教科書やその他の、いわば嫌々購入されている書籍の費用も含まれているはずだ。最近、ホライズン誌が二十一人の詩人や小説家に、作家はどうやって生計を立てるのが一番いいと思うか尋ねた時に、本を書くことで生計を立てられるとはっきり答えた者が一人もいなかったのも不思議はないではないか?


国連組織U.N.Oの会議や何であれ国際交渉の報告書を読むと、子供がよく遊んでいる「突撃L'Attaque」やそれに類した戦争ゲームを思い出さずにはいられない。戦艦や航空機といったものを表す厚紙の紙片、そのそれぞれには一定の値が振られていて、ある認められたやり方で反撃ができるのだ。実のところ、Unoと呼ばれる新しいゲームが発明されていて、子供が軍国主義的な考えに育って欲しくない両親のいる進歩的な家庭で遊ばれている可能性はおおいにある。

このゲームの駒は、提案や転換策、定則、障害、膠着状態、行き詰まり、ボトルネック、堂々巡りと呼ばれる。ゲームの目的は定則へ到達することで、詳細はさまざまだがゲーム進行の大筋は常にほとんど同じだ。まずプレイヤーが集まり、誰かが提案をして始まる。これが障害によって反撃されるが、これ無しではゲームは進まない。障害は次にボトルネックや、さらに多くの場合は行き詰まりや堂々巡りへと変わる。同時に起きる行き詰まりや堂々巡りは膠着状態を生み出し、これが数週間続くこともある。そして唐突に誰かが転換策を実行する。この転換策によって定則を生み出すことが可能になり、ひとたび定則が見出されるとプレイヤーは家に帰ることができるが、全ては始めの状態のまま放置される。

これを書いている瞬間、私が購読している朝刊の一面には左がかった楽観的な記事がたくさん掲載されている。最終的には全てがうまくいくかのように見える。ロシア人たちは軍備の調査に同意し、アメリカ人たちは原子爆弾を国際管理下に置くだろう。同じ新聞の別の面には、ニューヨークで実に親しげにしている二つの大国グループの間の戦争状態に到達しつつあるギリシャでの出来事が報告されている。

しかし行き詰まりとボトルネックのゲームが進行しつつある一方で、別のさらに深刻なゲームも演じられている。このゲームは二つの原理によって支配されている。ひとつは主権を全面的に放棄しない限り平和はあり得ないというもので、もうひとつは主権を守れる国は決してそれを放棄しないというものだ。これらの原理を頭に置いておくと、新聞が張る煙幕の向こうの国際情勢に関する事実をおおまかに理解できる。現在の主要な事実は次の通りだ。

  • 口ではなんと言おうとロシア人たちは外国の監視者による自領土に対する誠実な調査には同意しない。
  • 口ではなんと言おうとアメリカ人たちは軍備おける技術的優位を手放そうとはしない。
  • 今のところ全面的な大戦争を戦える状況にある国は存在しない。

後になれば取って代わられるだろうが、これらこそ現在の現実のゲームでの現実の反対論であり、会議での日々のたわ言に一喜一憂するよりもこうしたことを常に頭に留めておく方がずっと真実に近づけるのだ。


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