気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1946年12月6日 スヴェンガリ、作家としての寿命、印刷不可能な言葉


実に楽しく「トリルビー」を再読しているところだ。ジョージ・デュ・モーリアの名作人気小説で、英語圏の人々がその創作の秘訣を失ってしまったように思われる「良い俗悪」文学の最良の例のひとつだ。「トリルビー」はサッカレーを模倣したもので、とても上手く模倣しながらも非常に読みやすい――私の記憶が正しければバーナード・ショーはこの作品が多くの点でサッカレーよりも優れていると考察していたはずだ――しかしこの作品で私にとって最も興味深かったのは、初めて読んだ時に感じた印象とヒトラーが現れた後に読んだ時に感じた印象の違いである。

今「トリルビー」を読んで目を引くのはそこに描かれる反ユダヤ主義である。今になってこの作品を実際に読むのはごく少数の人々だけだろうが、その中心的ストーリーは実によく知られていると私は思う。スヴェンガリの名はシャーロック・ホームズと同じように慣用句になっている。ユダヤ人の音楽家――作曲家ではないが優れたピアニストで音楽教師――が孤児であるアイルランド人の少女の面倒を見ることになる。彼女は絵のモデルをやっていて、すばらしい声を持っているが図らずも音痴である。ある日、神経痛の発作を治すために彼女に催眠術をかけた彼は、彼女が催眠状態になると曲に合わせて歌うよう教えることができると気づく。

それから約二年の間、この二人組は次から次へとヨーロッパの都を旅し、毎晩のように大勢の熱狂する聴衆に向かって少女は歌うのだが、目覚めている時には彼女は自分が歌手であることさえ知らないままなのである。コンサートの真っ最中にスヴェンガリが突然死んだ時、終わりが訪れる。トリルビーは調子を狂わせ、ブーイングを浴びて舞台を降りる。不幸な恋愛話やスヴェンガリの悪辣さを引き立てる三人の清廉潔白なイギリス人画家など他にもたくさんの話の枝道があるが、これが主要なストーリーだ。

この作品が反ユダヤ主義的であることに疑問の余地はない。スヴェンガリの虚栄心や裏切り、利己心、個人としての不潔さといった事実が、彼がユダヤ人である事実と絶えず関連付けられることを別にしても、その挿絵である。著作よりもパンチ誌での漫画でよく知られているデュ・モーリアが自身の作品の挿絵を描いているのだが、彼はスヴェンガリを伝統的な型にはまった邪悪で戯画的な姿に描いているのだ。しかし最も興味深いのは当時――一八九五年、ドレフェス事件の時期――の反ユダヤ主義と現在のそれとの違いである。

まず始めに、デュ・モーリアは明らかに二種類のユダヤ人、つまり善良な者と悪辣な者がいて、その間には人種的な違いが存在すると考えている。この物語にはもう一人のユダヤ人、グロリオリが登場するのだが、彼はスヴェンガリに欠けている全ての美徳と資質を兼ね備えている。グロリオリは「セファルディムの一人」――つまりスペインの血統――だが、ドイツ・ポーランド出身のスヴェンガリは「東方イスラエル・ヘブライ系のユダヤ人」なのだ。第二に、デュ・モーリアはわずかであればユダヤ人の血が混じるのは良いことだと考えている。主人公リトル・ビルエはその容姿から見ていくらかユダヤの血が混じっているらしいと語られ、「世界に、とりわけ私たち自身にとって幸運なことに、私たちのほとんどはその血管にこの貴重なる液体をごくわずかに含んでいるのだ」と語られる。明らかにこれはナチ的形態の反ユダヤ主義ではない。

しかしそれでもスヴェンガリへの言及の全てに見られる調子はほとんど無意識となった軽蔑であり、デュ・モーリアがこうした役回りをユダヤ人に演じさせることを選んだという事実は大きな意味を持つ。自分自身では歌えずに、いわばトリルビーの肺を通して歌わなければならないスヴェンガリが表現しているのはよく知られた類型、誰かもっと印象的な人物の頭脳として働く頭の回る下っ端である。

スヴェンガリが三人のイギリス人、さらには優れた画家であると説得力に欠けた表現をされているリトル・ビルエよりも才能豊かなことをデュ・モーリアがためらいなく許しているのは奇妙に見える。スヴェンガリは「天性の才能」を持っているが他の者たちは「個性」を持っていて、重要なのは「個性」なのだ。それは眼鏡を掛けた「がり勉」へ向けられたラグビー選手の監督生の態度であり、またおそらくは当時のユダヤ人に向けられたありきたりな態度だったのだろう。彼らは生まれついての劣等者だが、もちろん彼らは賢くて私たち自身よりも感性豊かで芸術的である。なぜならそうした資質はたいして重要ではないからだ。現在ではイギリス人は以前よりも自信なさげで、最後は愚かさが勝利を収めるとは確信していないし、反ユダヤ主義の支配的な形態は変わっている。全く良い方向への変化ではないが。


先週のトリビューン紙でジュリアン・シモンズ氏は――これは正しいと私は思うのだが――オルダス・ハクスリーの後期の小説は初期のものと比べてかなり劣っていると発言している。しかし彼はこう付け加えるかもしれない。こうした失墜は想像力豊かな作家にはよくあることで、いわば初期作品の勢いによって前進している時には気づかれていないだけだと。例えば私たちはH・G・ウェルズを「トーノ・バンゲイ」や「ポリー氏」「タイムマシン」などによって評価している。もし彼が一九二〇年で著作をやめていれば、彼の評価はそのまま非常に高いものだっただろう。もし私たちがそれ以降に彼が書いた作品によってしか彼のことを知らなければ、私たちは彼を非常に低く評価したはずだ。ボクサーやバレエダンサーと同じく小説家は永遠にはその地位に留まれない。手にした初期衝動で三、四冊、時には一ダースほどは上手くやれるだろうが、遅かれ早かれそれは尽きるのだ。確固とした法則を定めることは当然できないが、多くの場合で創造的衝動は十五年ほどは続くように見える。散文作家ではこの十五年はおそらく三十歳から四十五歳、あるいはその前後の期間になるだろう。確かにごく少数の作家はもっと長く命脈を保ち、中年やさらに年老いてからも成長を続けられる。しかしこれは普通は作風や題材、あるいはその両方を突然ほとんど暴力的とも言えるやり方で変え、自身の初期の作品を拒絶する傾向さえある作家(例えばイェイツ、エリオット、ハーディ、トルストイ)でのことだ。

多くの作家、おそらくほとんどの者は中年に達したらすっぱりと著作をやめるべきである。不幸なことに私たちの社会は作家がやめることを許さない。作家のほとんどは他に生計を立てるやり方を知らないし、著作とそれにまつわる全て――口論や競争、お世辞、半公人的な感覚――には習慣性がある。理性的な世界であれば言いたいことを言い終わった作家は他の職業に再び就けばよいだけだろう。競争社会では政治家と同様に作家は引退を死だと感じる。そして自身の衝動を使い果たした後も長く居座って、概して、自身を模倣している意識が少なければ少ないほど、その振る舞いはひどくなっていくのだ。


今年の始めに私はあるアメリカの出版者と会った。彼は、自分の会社が九ヶ月に及ぶ訴訟で多少の損はしたものの部分的な勝利を収めたと教えてくれた。この訴訟は、私たちのほとんどが日常的に使っている一般的なある四文字の言葉を現在分詞で印刷したことに関係している。

こうした問題に関して合衆国は概してイギリスの数年先を行っている。アメリカの本では「b――」と伏せ字にせずに印刷できるが、それと同じ時にイギリスの本ではそれはBとダッシュ記号で表記しなければならない。最近ではイングランドでもこの言葉を伏せ字にせずに本に印刷できるようになってきているが、定期刊行物ではまだBとダッシュ記号の表記としなければならない。ほんの五、六年前にある有名な月刊誌で印刷されたことがあるのだが、土壇場で起きた騒動は大きく、結局、疲れ切った社員が手作業でこの言葉を黒塗りしなければならなかった。

もうひとつの言葉、あの四文字のものに関して言えば、この国では定期刊行物ではいまだ印刷不可能であるが、書籍では最初の文字とダッシュ記号で表せるようにはなっている。合衆国では少なくとも十数年前にはこの段階に到達していた。昨年になってこの問題の出版社はこの言葉を伏せ字にせずに印刷する実験を試みたのだ。本は差し止められ、九ヶ月の訴訟の末に差し止めは有効なものと支持された。しかしこの過程で重要な前進の一歩がなされた。現在ではこの言葉は最初と最後の文字、そして間の二つのアスタリスク記号、つまり四文字であることを明確に示して印刷できると判決されたのだ。これによって数年のうちにこの言葉が伏せ字にせずに印刷可能になるだろうことはかなり確実なものとなった。

こうして進歩は続いていくのだ――個人的な意見だが、ほんの半ダースほどの「悪い」言葉が化粧室の壁をすり抜けて印刷されたページへ載ることができれば、それこそ真の進歩なのである。こうした言葉はすぐにその魔術的性質を失い、罵りの悪癖や私たちの思考の劣化、言葉の弱体化はその広がりを弱めるだろう。


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