気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1947年1月3日 ビルマへの船旅で、文学者の粛清、「自省録」から引用


四半世紀近く前、私は定期船でビルマへと旅していた。大きな船ではなかったが、快適で、豪華とさえ言えるもので、寝たり甲板で遊戯に興じたりしていない時にはずっと何かを食べ続けているように思えた。食事はかつて蒸気船会社が競って作っていた豪華なもので、合間の時間にはリンゴやアイスクリーム、ビスケット、カップ・スープといった軽食が出され、空腹で失神する者が出ないように配慮されていた。さらにバーが午前十時に開き、そのうえ海の上にいるせいでアルコールは比較的安かった。

この路線の船はほとんどの船員がインド人だったが、高級船員と給仕は別で、また舵輪を取る仕事をする四人のヨーロッパ人操舵手が乗り込んでいた。操舵手の一人は私が推測するに四十歳になるかどうかだったが、背中にフジツボが生えているのではないかと思うような古参水夫の一人だった。彼は背が低くて力の強いとても猿に似た人物で、太い前腕はもつれ合う金色の毛で覆われていた。カール大帝が生やすようなブロンドの口ひげで口は完璧に隠れていた。私はほんの二十歳で、たんなる乗客という自分の寄生的状態についてはよく自覚していたので、操舵手、とりわけその金髪の操舵手には高級船員にするのと同様に神のごとき人間としての敬意を払っていた。向こうから話しかけられていないのに私から彼らの一人に話しかけようなどとは頭に浮かびもしなかった。

ある日、とある理由で私は早めに昼食を終えた。甲板にはあの金髪の操舵手の他には誰もいなかったのだが、彼は甲板室の脇をまるでネズミのように早歩きしていて、その巨大な手の間に少し隠すようにして何かを持っていた。彼がすばやく私の前を通り過ぎて戸口へと消える直前にそれが何かを見て取ることができた。それは半分食べかけのベイクド・カスタード・プディングを乗せたパイ皿だった。

一目見るや私は状況を理解した――そう、その男のやましそうな雰囲気からして間違いなかった。そのプディングは乗客のテーブルのひとつに残されたものだったのだ。給仕によって規則に反して彼に与えられ、彼はそれを船員室に持って行って暇な時に食べようとしていたのだ。二十年以上が過ぎた今でも、その瞬間に感じた驚きの衝撃を私はかすかに感じ取ることができる。この出来事が持つ意味を完全に理解するには少しばかり時間がかかった。しかし私はおおげさすぎるだろうか? この職務と報酬の間の隔たりについての突然の暴露――文字通り私たち全員の命をその手に握る高い技能を持つ職人が、私たちのテーブルから食べ残しを盗んで喜んでいるという事実の暴露――は半ダースほどの社会主義のパンフレットから学べるものよりずっと多くのことを教えてくれたと私が言ったら。


現在ユーゴスラビアで作家や芸術家の粛清がおこなわれているというニュース記事を読んで、私は、最近ソビエト連邦でおこなわれた文学者の粛清の報告を見返している。ゾーシチェンコやアフマートヴァ、その他の者たちが作家組合から追放された時のものだ。

イングランドではまだこうしたたぐいの事は私たちの身に起きていないので、私たちはある程度、冷静な目でそれを見ることができるが、実に奇妙なことに、起きた出来事についての説明を再度読みながら私は犠牲者よりも迫害者の方をいくぶん気の毒に思ってしまった。迫害者の筆頭はスターリンの後継者と考える者もいるアンドレイ・ジダーノフだ。以前にも彼は文学者の粛清をおこなっているが、ジダーノフは完全な政治家で――彼の演説から判断して――文学に関する知識は、空気力学に対する私の知識と大差ない。彼の見解から判断する限りでは、彼は邪悪でも不誠実でもなさそうな印象である。彼は一部のソビエト作家の背信に本当に衝撃を受けているのだ。それは彼には理解不能な裏切り行為、戦闘のさなかでの軍事的抗命のように見えているのである。文学の目的はソビエト連邦の栄光を称えることなのだ。全く、そんなことは誰にとっても明らかではないか? しかしその明白な責務を遂行する代わりに、この見当違いの作家たちはプロパガンダの道から逸れてさまよいだし、非政治的な作品を生み出し、ゾーシチェンコの場合など自分の著作に風刺的文章が忍び込むことを許しているのだ。全くもって耐えがたく、困惑させられる。まるで、すばらしい最新設備の空調の効いた工場での仕事に配属してやり、高賃金と短時間労働、すばらしい食堂や運動場、快適なアパート、子供のための保育園、全方位の社会保障と仕事中の音楽を与えたのに――この恩知らずの仲間が仕事の初日に機械にスパナを投げつけているのを見つけたかのようだ。

こうしたもの全体がどこか哀れに見えるのはそれが全面的な自白――ソビエトの広報係は自国を非難する習慣は持ち合わせないと考えていることの誠実な自白――全体的に見てロシア文学はあるべき姿となっていないという自白だからである。ソビエト連邦は既存の文明の形態として最高のものなのだから、他の全てと同様に文学においても世界をリードしなければならないことは明らかである。「間違いなく」ジダーノフは言う。「我々の新しい社会主義体制は、人類の文明と文化の歴史における最高のもの全てを具現化していて、最も先進的な文学を作り出すことができ、それは過去の最高傑作を遠く背後に引き離すだろう」(ニューヨークのポリティクス紙の引用によると)イズベスチヤ紙はさらに踏み込んでいる。「我々の文化はブルジョアの文化と比べれば計り知れないほど高い水準にある……我々の文化が生徒や模倣者として振る舞わず、反対に他者に人間道徳全般を教える権利を持つことは明白ではないだろうか?」しかし、どうしたわけか期待していたことは決して起きないのである。指令が発せられ、満場一致で決議が通過し、反抗的な作家は沈黙させられる。しかし何らかの理由で、資本主義国のそれより間違いなく優れているはずの活力ある独創的な文学は出現しないのである。

これら全ては以前にも一度ならず起きたことである。ソビエト連邦では表現の自由が浮き沈みしているが、全体的傾向としてはより厳しい検閲へと向かっている。どうやら政治家たちは理解できていないようだが、全員を脅して服従させても活力ある文学を生み出すことはできないのだ。自分が感じたことをおおよそ口に出すことを許されなければ作家の独創力は働かないだろう。できるのは自発的な動きを破壊して正統だが貧弱な文学を生み出すことか、あるいは人々に言いたいことを言わせてそのいくらかが完全に異端なものとなる危険を犯すことなのだ。本が個人によって書かれている限り、このジレンマから抜け出す道は無い。

これこそ、ある意味で私が犠牲者よりも迫害者を気の毒に思う理由である。ゾーシチェンコや他の者たちは少なくとも自分たちに何が起きているのかを十分に理解しているだろうが、彼らを苦しめる政治家たちは全く不可能な試みをしているのだ。ジダーノフやそれに類した者たちにしてみれば「ソビエト連邦は文学無しでも存在できる」と言えば事は済むだろう。しかしこれこそ彼らが口にできないことなのだ。彼らは文学とは何なのかを知らないが、それが大事なものであること、名声を得られるものであること、プロパガンダ目的のために必要なことは知っていて、やり方さえわかればそれを奨励したいのである。だから彼らは粛清と指導を続ける。それは水槽の壁に繰り返し鼻先を打ちつける魚のようなもので、あまりに愚かなためにガラスと水は同じものではないと気がつけないでいるのだ。


マルクス・アウレリウス帝の「自省録」から引用

朝、汝が不承不承に起床する時、こう考えよ――私は人間の仕事をするために起き上がるのだと。私が存在している理由、私が世界にもたらすもののために事を成そうとすればどうして不満を感じようか? それを成すために布団にくるまって横たわって温かくして過ごそうというのか?――その方が心地よいと言って――自身の喜びを得るために汝は存在するのか、行動や奮闘のためではなかったのか? あの小さな草木や小鳥たち、蟻や蜘蛛、蜜蜂が一緒になって秩序正しくこの世界の一部を担っているのが汝には見えないのか? それでも人間の仕事を成そうと思わないのか、汝の本性に従ったことを成すのに奮闘しようと思わないのか?

この有名な激励の言葉を大きな文字で印刷してベッドの向かいの壁に掛けるというのは良い案だ。そして、ときどき私が言われるように、それが上手くいかなければ別の良い案がある。手に入るうちで最も音の大きな目覚まし時計を買って、音を消すためにはベッドから出ていくつかの家具を回り込んで行かなければならない位置にそれを置くのだ。


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