気の向くままに, ジョージ・オーウェル

1944年1月21日 BBCとその欠点、ウールワースのバラ


軍関係の番組の打ち切りと戦後の大規模な商業放送の噂によって再び人々はBBCとその欠点について語るようになっている。そう遠くない未来に放送の様々な側面についての記事を掲載できればと考えているが、ここで私が書きたいのはBBCについてのちょっとした論考で、なぜかと言えば一般の人々はあまりラジオに意識を向けていないからだ。人々は自分たちがBBCの番組を好んでいないことをぼんやりとは理解している。いくらかの優れたものと一緒に大量の汚物が放送されていて、話される内容のほとんどはおおげさで、最も反動的な新聞であっても取り上げるような重要な問題が決して真面目に議論されないこともだ。しかし人々は全体的な意味でも個別具体的な意味でも、なぜそうした番組がひどいのか、外国の番組は少しはましなのか、厳密には何が放送できて何が放送できないのかといったことを明らかにするための努力をしていない。

非常に博識な人々でさえ、BBC内部で何が起きているのかについては完璧に知らないように思える。BBCで働いていた頃に私が関わっていのはインド向けに放送されていた英語の番組だけだ。それでも怒りに燃えた人々に絶えず捕まって住宅計画に関する話題を「どうにかできないのか」と尋ねられていた――これは中央アフリカで起きている問題について北海沿岸警備隊に文句を言うようなものだ。数ヶ月前には庶民院で議論が起きて、アメリカに対するイギリスのラジオによるプロパガンダが批判された。議員の数人はそれが全く効果的でないと主張した。しかし見たところ彼らもそれを直感的に感じているだけのようだった。議会に対して、毎年アメリカ合衆国向けの放送にどれだけの費用が費やされ、どれだけの聞き手を獲得しているのか、説得力をもって報告できる者は誰一人としていなかった――こうした事実は実に簡単に調べられると言うのにだ。

報道でBBCが非難される時でもその非難はたいてい返答不能なほど無知なものだ。以前、私は、今はイングランドに住んでいるある著名なアイルランド人作家に、放送に出てくれないかと手紙で頼んだことがある。彼は憤然とした様子で断りの返事を送ってきたのだが、図らずもそれによって彼が(a)インドに放送支局があり、(b)毎日ロンドンからインド人が放送していて、(c)BBCは現地の言語で放送をおこなっている、と知らないことが明らかになったのだ。そんなことすら知らない人々がBBCを批判して何の意味があるのだろうか? 大方においてBBCはその美点を非難され、一方で本当の欠点は無視されている。例えばBBCのニュース・アナウンサーのケンジントン・アクセントには誰もが不平を言っているが、これが入念に選ばれたのはイングランドで不快感を催させるためではなく、英語が話されているあらゆる地域で理解可能な「中立的」アクセントだからだ。一方で、どれほど大量の公金が実質的には聴衆のいない国々へ向けた放送で浪費されているのか知っている者がどれだけいるだろうか? 以下にアマチュアのラジオ批評家のためのちょっとした教理問答を挙げておこう。

現在の番組が好きでないとあなたは言う。自分がどんな番組を好むのかあなたは明確な考えを持っているだろうか? もし持っているなら、それを手にするためにどんな手順を踏めばよいだろうか?

あなたはBBCのニュース速報が事実に即していると思うか? 他の交戦国のものと比べて多少なりとも事実に即しているだろうか? あなたは比較して調べたことがあるか?

ラジオでの演劇、短編小説、特集、討論が持つ可能性についてあなたは何か考えを持っているだろうか? もし持っているなら、その考えのどれが技術的に実行可能かを調べてみたことはあるだろうか?

あなたは競争によってBBCに益がもたらされると思うか? 商業放送についてのあなたの意見を教えて欲しい。

BBCを統制しているのは誰か? それに支払いをしているのは誰か? その方針を決めているのは誰か? 検閲はどのようにおこなわれているのか?

敵対的、友好的、中立的な諸外国へのBBCによるプロパガンダについてあなたは何か知っているだろうか? かかる費用はどれくらいか? 効果的か? ドイツのプロパガンダと比較してどうか? ラジオによるプロパガンダ全般について思うことを述べて欲しい。

さらに長く続けることもできるが、イングランドで十万人ほどでもこうした質問にはっきりと答えることができたなら、それは大きな前進の一歩だろう。


私が「悲観的」で「常に物事を非難をしている」と責める投書が来ている。私たちが喜ぶ理由のあまり多くない時代を生きていることは事実だ。しかし褒めるべき物がある時には私は好んで褒め称える。ここにウールワースアメリカの発祥の格安日用雑貨チェーン店。のバラについての称賛の言葉――残念なことに回想となってしまうが――を何行か書いておきたいと思う。

ウールワースに六ペンスを超える値段のものが無かったあの良かった時代、その品揃えの中でも最良のもののひとつがバラの低木だった。決まってとても幼い若木だったが、二年目には花が咲き、自分が世話をしている間に枯れたものはひとつもなかったように思う。最も良いのはラベルにウールワースの宣伝文句が全く、あるいはめったに載っていないところだった。私が買ったドロシー・パーキンス種のひとつは中心が黄色の美しい小さな白いバラを咲かせ、それは私がこれまで見た中でも最もすばらしいツルバラのひとつだった。黄色というラベルが付けられたノイバラは真紅の花を咲かせた。他にもアルベルティーヌ種、あるいはそれに似た品種を買ったこともあるが、二倍も大きく、驚くほどたくさんの花を咲かせた。こうしたバラはどれもびっくり箱のような楽しさがあって、ジョン・スミスだとか言った名前をつける権利を手にできる新しい品種に出くわす可能性が常にあった。

昨年の夏、私は戦争前によく訪れていた山小屋の前を通りがかった。私が植えた時には少年のパチンコほどの大きさだった小さな白いバラは大きな生気あふれる茂みに育ち、アルベルティーヌかその近縁種は群れるように咲くピンク色の花で柵をなかば覆い隠していた。どちらも一九三六年に私が植えたものだ。私は「これ全てが六ペンスなのだ!」と思った。バラの木がどれだけ生きるのかは知らない。たぶん平均寿命は十年といったところだろう。ツルバラが満開になる期間は一年で一ヶ月か六週間といったところで、バラの木は断続的に少なくとも四ヶ月は花をつけるだろう。それが全て六ペンスなのだ――戦争前であればプレイヤーのタバコが十箱、黒ビールが一パイントと半分、デイリー・メール紙の購読を一週間、あるいは旧作映画の二十分である!


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