イングランドに住むインド人ジャーナリストであるサレシュ・バイジャ氏が兵役拒否を理由に逮捕されたことは私も知っている。こうしたことはこれが初めてではないし、もしこれが最後になるとしたらそれはもはや犠牲となる兵役年齢のインド人がいなくなったためだろう。
バイジャ氏の事件の法律的側面については教えられるまでもなく誰もが知っているのでそれについて長々と説明しようとは思わない。しかしイギリス政府が次第に考慮することを拒否し始めている良識的側面については注意を喚起したいと思う。行き来している船乗りやいまだこの地に留まっている一握りの部隊を別にすれば、この国には老若男女合わせて二千人ほどのインド人がいるはずだ。彼らに徴兵制を適用すればいくらか余分に兵士を増やせるだろう。また「異議を唱える」少数派を押さえつければイギリスの刑務所の囚人数を大幅に増やすことになるだろう。これが軍事的観点から見た最終的な結果だ。
しかし残念ながらこれで話は終わらない。こうした振る舞いをすればイギリスのインド人コミュニティー全体を苦しめることになる――どのような考えの持ち主であれ、インドの代理人として戦争を宣言する権利やインド人に義務的労働を強いる権利をイギリスが持っていると認めるインド人はいないからだ。この地のインド人コミュニティーで起きたことは何であれ即座にインドに波及し、極めて逸脱した影響を与える。一人の犠牲となったインド人戦争反対者は一万人の犠牲となったイギリス人戦争反対者よりも大きな被害を私たちに与える。頑迷な保守主義者たちが「アカ」を一人捕らえることで感じるであろう満足に対しては高すぎる対価に思える。私は頑迷な保守主義者がバイジャ氏の考えを理解するとは期待していない。とはいえ経験上は彼らも、殉教者は生み出しても勘定に合わないことを本当は知っているはずである。
エズラ・パウンドを擁護する投書が私たちに送られてきた。エズラ・パウンドは今回の戦争の数年前に忠誠の対象をムッソリーニへと乗り換えたアメリカの詩人で、ローマのラジオ放送で活発に活動しているプロパガンダ主唱者である。投書者の主張の要旨は(a)パウンドは断じて金のために自身を売り渡したわけではない、(b)真の詩人を見つけた時にはその政治的意見は無視してさしつかえない、というものだ。
さて、もちろんのことだがパウンドはただ金のためだけに自身を売り渡したわけではない。そんな事をする作家は決していない。他の何よりも金を欲している者であれば何かもっと実入りの良い職業を選ぶだろう。しかしパウンドが部分的には名声や世辞、大学の教授職のために自分をまさに売り渡している可能性はあると私は思う。彼はイギリスと合衆国に対して強烈な敵意むき出しの憎しみを抱いていた。そこでは自分の才能が完全には評価されていないと彼は感じていて、英語圏の国々ではどこであれ自分に対する陰謀が企てられているのだと信じ込んでいる。さらにパウンドのまがい物の学識が暴かれた屈辱的逸話がいくつかあって、間違いなく彼はそれを許しがたいことだと考えている。三十年代中頃までにはパウンドはいくつかの英語の新聞で「ザ・ボス」(ムッソリーニ)への称賛を歌い上げていて、こうした新聞にはモズレーの季刊誌や(ヴィドクン・クヴィスリング(ヴィドクン・クヴィスリング(一八八七年七月十八日-一九四五年十月二十四日)。ノルウェーの軍人、政治家。第二次世界大戦中にナチス・ドイツに協力してノルウェー占領に協力し「クヴィスリング」は「売国奴」を意味するようになる。戦後、処刑された。)も寄稿者である)ブリティッシュ・ユニオン紙も含まれている。アビシニア戦争当時、パウンドは声高な反アビシニア主義者だった。一九三八年頃にはイタリア人たちは彼に大学の教授職を与え、戦争が勃発してしばらくすると彼はイタリアの市民権を取得した。
従って詩人はその政治的見解を免責されるかどうかとは別の問題なのだ。「Xは私と意見を同じにする。従って彼は優れた作家だ」と言えないことは明白であるし、過去十年の間、誠実な文学批評のほとんどはこうした考え方との戦いで成り立っていた。ファシストへ転向した数人の作家(例えばセリーヌ(ルイ・フェルディナン・セリーヌ(一八九四年五月二十七日-一九六一年七月一日)。フランスの作家。))や私が強く反対する政治的考えを持つ多くの作家たちを個人的には私は評価している。しかし詩人に対してごく一般的な良識を期待する権利はあるだろう。私はパウンドの放送を聞いたことは一度もないが、BBCのモニタリング・レポートではよくそれを読んでいて、その内容は知的ではあるが道徳的には吐き気を催すものだ。例えば反ユダヤ主義だが、これは決して成熟した人物が抱くような信条ではない。こうしたたぐいのものを支持する人々はその結果を引き受けなければならない。しかしアメリカ当局が脅しで言っているようにパウンドを捕らえて銃殺刑にしたりしないことを望むという点では投書者に強く同意する。そんなことをすれば彼の名声は高まって、パウンドの議論を呼ぶ詩が本当に優れているのかどうか冷静に判断を下せるようになるまで優に百年はかかることになるだろう。
ある夜、女性バーテンダーの一人が教えてくれたところによると、湿ったグラスにビールを注ぐと普通よりずっと早く気が抜けてしまうのだそうだ。また口ひげをビールに浸しても気が抜けてしまうと彼女は付け加えた。さらに尋ねることもなく私はすぐにそれを信じた。実際、帰宅してすぐに数日間、手入れを忘れていた口ひげを切り整えたほどだ。
後になって、おそらくこれは科学的な真実の雰囲気をまとっているために生き残っている迷信のひとつだろうと思い当たった。私は子供の頃に教えられた間違った考えの長いリストをノートに書き留めている。どれも下らない迷信ではなく科学的事実として語られたものだ。そのリスト全てをここに書くことはできないが、根強く残るお気に入りがいくつかある。
まだまだある。ほとんど全ての人が何かしらこうしたものを大人になっても信じている。三十歳を超えても先に挙げた二番目のものを信じ続けている人に私は会ったことがある。三番目のものについて言えば、これは例えばインドで広く信じられていて、人々は絶えず誰かをガラスの粉末で毒殺しようと試みては残念な結果に終わっているほどなのである。
私は、ランスロット・ホグベン教授が自身の人工言語「インターグロッサ」を紹介した興味深い小冊子を評論(オーウェル「書評 ランスロット・ホグベン著『インターグロッサ』」(マンチェスター・イブニング・ニュース、一九四三年十二月二十三日)参照)した後でなく、もっと前に「ベーシック英語対人工言語(「Basic English versus the Artificial Languages」チャールズ・ケイ・オグデン著。ベーシック英語はオグデンによって考案された語数と文法を制限した簡略版英語を指す。)」を読んでおけばよかったと今になって思っている。そうすればホグベン教授が相対的にどれほどの騎士道精神をもってライバルとなる国際言語の発明者の相手をしていたかに気づいたはずだ。真剣なテーマについての論争はしばしば礼節とはほど遠いものになる。スターリン主義・トロツキー主義の論争を追っている者はそこに忍び寄る敵対的響きを感じ取るだろうし、タブレット紙とチャーチ・タイム紙が互いを非難し合う時にはその攻撃は時に卑劣なものになる。しかし、争いの全くの汚らしさのために、さまざまな国際言語の発明者たちの間での確執は多くの非難を浴びることだろう。
トリビューン紙もいずれベーシック英語に関する記事を一つ、二つ掲載するだろう。もし何らかの言語が世界的な「第二」言語として選ばれるとしても、それが人工的に作られた言語となる可能性は極めて低く、既存の自然言語の中ではたとえベーシックな形態でなくても英語がそうなる可能性の方がずっと高い。世論は国際言語の必要性に目覚め始めているがとてつもない誤解もいまだ存在している。例えば多くの人々は国際言語の提唱者は自然言語を抑圧することを目指していると想像しているが、これまでそんなことを真剣に提案した者は一人もいない。
こうした必要性が次第に認識されていっているにも関わらず、現在のところ、世界は言語について、より国家主義的になり、その度合いを減少させてはいない。これは一部には意識的な政策(半ダースほどの既存言語は帝国主義的なやり方で世界のさまざまな場所へ進出させられている)によるものであり、また一部には戦争によって引き起こされた混乱によるものだ。そして貿易や旅行、科学者の間でのやりとりの困難さや、外国語を学ぶという時間を浪費する作業はいまだ続いている。これまでの人生で私は今は死に絶えたもの二つを含めて七つの言語を学んだが、その七つのうちで今も覚えているものはひとつだけで、それも決して褒められた出来ではない。これはごくありきたりな例だろう。例えばデンマーク人やオランダ人といった小国の一員は、もしまっとうな教育を受けたいと思ったら当然のように三つの外国語を学ばなければならない。こうした状況は明らかに改善可能だ。大きな問題はどの言語を国際言語として選ぶか決めることなのだ。しかし、この問題についてこれまで少しでも調べたことがある誰もが知るように、結論を出すためには何かしら醜いもめ事が起きることだろう。