ディケンズは盗むに値する作家の一人だ。考えてみればウェストミンスター寺院にある、彼の遺体が安置された墓さえもいわば盗みの一種なのだ。
エブリマン版のディケンズ作品集の序文をチェスタートンが書いた時、自身の極めて個人的な中世趣味の観点からディケンズを褒め称えることは彼にとってごく自然なことだっただろう。さらに最近ではマルクス主義の作家であるT・A・ジャクソン氏がディケンズを血に飢えた革命家の姿へ変えようと精力的な努力をおこなっている。マルクス主義者はディケンズをマルクス主義者と「ほとんど変わらない」と言うし、カトリック教徒はディケンズをカトリック教徒と「ほとんど変わらない」と言う。両者とも彼はプロレタリアート(あるいはチェスタートンであればそう言うように「貧者」)の擁護者であると主張する点では変わらない。一方でナデジダ・クルプスカヤナデジダ・クルプスカヤ:ロシアの政治家、革命家。レーニンの妻でもある。はレーニンについての短い手記の中で、晩年のレーニンが炉辺のこおろぎの舞台を見に行ってディケンズの「中産階級的感傷」に耐えきれず劇の半ばで劇場を後にしたことを書いている。
クルプスカヤが言う意味で「中産階級」という言葉を理解するのであれば、この判断はチェスタートンやジャクソンのそれよりも正しいものだったと言えるだろう。しかしそこで語られているディケンズへの嫌悪感はあまり一般的なものでないことには注意しなければならない。彼を読むに堪えないと見なす人々は大勢いるが、彼の作品全体にわたる精神に対して何らかの敵意を向ける人間はごくわずかだ。数年あとにベックホッファー・ロバーツ氏はディケンズに対する長文の非難を小説(こちら側の偶像崇拝)の形で出版したが、それはたんなる個人攻撃で、そのほとんどはディケンズの妻の扱い方に対する懸念の表明だった。この小説はディケンズ読者の千人に一人も知らないような出来事を扱っていて「二番目によいベッド」「二番目によいベッド」:シェイクスピアが遺言で妻に遺したものは「二番目によいベッド」だけだったという逸話を指すの件によってハムレットの価値が損なわれることがないのと同様、それによって彼の作品の価値が損なわれるようなものではなかった。この本が本当に証明したのは作家の文学的個性はその私生活における特徴とはあまり、もしくはまったく関係しないということだけだったのだ。ベックホッファー・ロバーツ氏が描いて見せたように、私生活においてはディケンズが思いやりのないまったくの利己主義者タイプであったということは十分にあり得る。しかし彼の出版作品から感じられる人格はそれとはまったく異なり、敵よりも友人を得ることがずっと多い者のそれである。それが間違っているとしても、またディケンズがブルジョアだったとしても彼は間違いなく社会転覆的な作家であり、急進的な人物であり、人が心から自由主義者と呼ぶであろう人間だった。その作品を幅広く読んだ者は全員そう感じる。例えばディケンズについて書いた最高の作家であるギッシングはまったく急進的と呼べる人物ではなく、ディケンズのそうした傾向を非難して、それさえ無ければと願っている。しかしそれでも決して彼を拒絶しようとはしなかった。オリバー・ツイスト、ハード・タイムズ、荒涼館、リトル・ドリットでディケンズはイギリスの制度を猛烈に攻撃したが、それに比肩するものは以来、存在していない。しかも彼はそうした行為を自身が憎まれることなくやり通して見せた。いや、それ以上である。彼が攻撃した人々の多くは彼の言い分を納得して完全に受け入れ、結果、彼自身が国の制度となったのだ。ディケンズに対するイギリスの人々の態度は常にどこか象を思わせる。杖の一撃を心地よいくすぐりと感じている象だ。十歳になる前には私は教師たちによってディケンズの言っていることを理解することになった。例えその年齢でも私には彼らとクリークル氏との強い類似が見て取れたし、上級法廷弁護士バズファズの弁護士としての喜びやリトル・ドリットを内務省が気に入るだろうことを誰かに言われるまでもなく理解した。ディケンズは全員に攻撃を仕掛け、誰も敵に回さないことに成功しているように見える。これは結局のところ彼の社会への攻撃にはどこか非現実的なところがあるためではないかと思うのも自然なことである。彼がよって立つのは正確にはどのような立場なのだろう。それは社会なのだろうか、道徳なのだろうか、政治なのだろうか? 常のごとく、彼が何に立脚していないかを見極めればその立ち位置もずっと容易に定義できる。
まず第一に、彼はチェスタートン氏やジャクソン氏が言うような「プロレタリアート」の作家ではない。そもそも彼はプロレタリアートについては何も書いておらず、この点については過去・現在の圧倒的大多数の小説家と何ら変わらない。フィクション、とりわけイギリスのフィクションに登場する労働階級を探せばそこにぽっかりと空いた穴を見つけることになる。これについてはおそらくもっと詳しい説明が必要だろう。こうなる理由は簡単にわかる。農業労働者(イングランドではプロレタリアートとされる)はフィクションでも非常によく登場し、多くの場合は犯罪者、社会の落伍者、最近であれば労働階級の知識人として描かれる。しかし都市に住むごく普通のプロレタリアート、あちらこちらへと動き回っている人々は決まって小説家からは無視される。本の中にかろうじて登場したとしてもほとんどの場合は哀れみの対象か道化役だ。ディケンズの物語の中心的な筋書きのほとんどは中産階級の身の回りを舞台にしている。彼の小説を詳細に調べれば、実際の彼の主題はロンドンで商売をしているブルジョアとその周囲の人間……弁護士、事務員、商人、宿屋の主人、小規模な事業を営む職人、使用人であることがわかる。農業労働者はまったく描かれないし、工場労働者もたった一人(ハード・タイムズのステファン・ブラックプール)だけだ。リトル・ドリットのプローニッシュ夫妻はおそらく彼の描く労働階級家庭としてはもっとも優れたもの……例えばぺゴッティ夫妻は労働階級に属していると言い難い……だろうが、全体的に見て彼はこうした種類の人物を描くのが得意ではない。ごく一般的な読者にディケンズの描くプロレタリアートで誰を思い出せるかを尋ねれば、まず間違いなくビル・サイクス、サム・ウェラー、ギャンプ夫人の三人を挙げるだろう。強盗、使用人、酔っ払いの看護婦というわけだ……イギリスの労働階級の代表例とは言い難い。
第二に、一般的に受け入れられている言葉の意味においてはディケンズは「革命的」作家ではない。しかしここで彼の立場に定義を与えておく必要があるだろう。
ディケンズがどのような人物であったにせよ彼は人目を避ける魂の救済者やいくつかの法律の条文を改正していくつかのおかしなところを廃せば世界は完璧なものになると考えるようなお人好しの愚か者ではなかった。例えば彼をチャールズ・リードと比較してみよう。リードはディケンズよりもずっと博識な人物で、いくつかの点では公共心も勝っていた。自分が理解できる不正は心から憎み、それを一連の小説で白日の下にさらして非常に多くの人間がその不条理を読んで知ることができるようにした。いくつかの目立たない、しかし重要な問題について人々の意見を変える手助けをしたとも言えるだろう。しかし既存の社会形態のままでは特定の邪悪は是正することができないということは完全に彼の理解を超えていた。あれやこれやの不正を捕らえ、暴きだし、公開の場へと引きずり出し、イギリスの陪審の前に差し出す、そうすれば全てはうまくいくだろうと言うのが彼の物の見方だった。少なくともディケンズは腫れ物を切り落とせばそれで病を治せるとは決して考えなかった。彼の作品の全てのページに社会は根本のどこかで間違っているという意識を見てとることができる。「根本のどこで?」と尋ねた時、初めて彼の立場を知ることができる。
実のところディケンズの社会批判はほとんど例外なく道徳的なものなのだ。そのために彼の作品には建設的な提案が完全に欠落している。法律、議会政治、教育システムといったものを彼は攻撃するが、そこに代わりとして何を置くのかということは一度も明確には示されない。もちろん建設的な提案をすることは必ずしも小説家や風刺家の仕事ではない。しかし重要なのはディケンズの態度はその根底においては破壊的でさえないということだ。既存の秩序を転覆させたいだとか、それを転覆させれば事態はまったく違ったものになるだろうと彼が信じている明確な印は無い。これは実際のところ彼の標的が社会というよりも「人間の性質」であるためだ。彼の作品の中から経済システムがシステムとしておかしいことを主張する文章を指し示すことは難しいだろう。例えば私企業や私有財産を非難している個所はどこにも無いのだ。死者の権力が愚かな思惑によって生きている人々の邪魔をするという筋書きである互いの友といった作品でさえ、彼に、個人はこの無責任な権力を持つべきではないと言わせることは無い。もちろん読者自身でこうした推察をおこなうことはできるし、ハード・タイムズの結末でのバウンダービーの態度からそれを描き出すこともできる。さらにディケンズの作品全体から自由放任主義的資本主義の持つ禍々しさを見て取ることも確かに可能だ。しかしディケンズは自身ではそうした推察をおこなわない。マコーリーはその「陰鬱な社会主義」に反対してハード・タイムズの書評を断ったと言われている。マコーリーは明らかにここで、私たちが二十年前に菜食主義の食事やキュビズム画家の描いた絵を「ボルシェビズム」と呼んでいたのと同じ意味で「社会主義」という言葉を使っている。この作品には正しい意味で社会主義的と呼ぶことのできる内容は一行も無いし、もしそこに何らかの傾向があるとすればそれが親資本主義的なものであることは間違いない。何しろその全体に見られる道徳は資本主義者は寛容であれというものであって、労働者は反抗的であれというものではないのだ。バウンダービーは弱い者いじめをするやかましい人間だし、グラドグラインドは道徳に関しては盲人である。しかし彼らがもっと善良な人間であればシステムは十分うまく動作するというのが一貫して示されている内容なのだ。そして社会批判について言えば、意図的に深読みしない限りはディケンズからそれ以上の何かを取り出すことは決してできない。彼の全体的な「メッセージ」は一見するとまったく陳腐に見えるもの、つまり「もし人間が正しく振る舞えば世界は正しいものになるだろう」ということなのだ。
この自然な帰結として権威ある地位にいる人物、まさに正しく振る舞う人物が何人か必要となる。そこで再び現れるディケンズの描く姿は善良で裕福な人間である。こうした登場人物はディケンズの初期の楽観的な物語に特によく現れる。たいていは「商人」(彼がどんな商品を扱っているのかは必ずしも語られない)で、決まって超人的に思いやりのある高齢の紳士である。彼はあちらこちらを「駆けまわって」は、雇い人の賃金を上げ、子供たちの頭を撫で、借金を背負った者を牢獄から救い出し、全体的には救いの妖精のように振る舞う。もちろん彼は純粋な空想上の人物であり、スクィアズやミコーバーのような人物よりはずっと浮世離れしている。ディケンズでさえ、自分の金を人に与えたがる人間は決して権力のある地位を得ることはできないと折にふれて考えている。例えばピクウィック氏は「シティに住んでいる」が、彼がそこで富を得たとは考えにくい。それでもやはりこうした人物は初期の作品の多くをつなぐ糸のように一貫して登場するのだ。ピクウィック、チェアリブル兄弟、チャズルウィットじいさん、スクルージ……金を配ってまわる善良で裕福な人間の同じ姿がくり返し現れる。しかしディケンズはそれらを発展させていく兆しを見せる。中期の作品になると善良で裕福な人間はだんだんと消え、あまり登場しなくなる。二都物語や大いなる遺産……実際のところ大いなる遺産は間違いなくパトロンという存在への非難である……ではこうした役回りを演じる人物は出てこないし、ハード・タイムズでも改心した後のグラドグラインドが極めて疑い深げにその役を演じるだけだ。こうした人物はまったく異なる形で再登場する。リトル・ドリットのミーグルズ夫妻や荒涼館のジョン・ジャーンディス……あるいはそこにデイヴィッド・コパフィールドのベッツィ・トロットウッドを加えてもいいだろう。しかしこうした作品では善良で裕福な人間は「商人」から金利生活者へと変わっている。これは重要なことである。金利生活者は資本家階級の一角を占めていて、ほとんどそれと知らずに他の人々を自分のために働かせることができるが、手にしている直接的な権力はごくわずかだ。スクルージやチェアリブル兄弟とは異なり、全員の賃金を上げることで事態の解決を図ることはできない。ディケンズが五十年代に書いたひどく活気の無い内容の本から推測できることは、その頃に彼は腐敗した社会における善意の個人がいかに無力であるかを理解したということである。それにも関わらず完結した最後の小説である互いの友(一八六四年から一八六五年に出版)では善良で裕福な人間がボフィンという人物の形をとって盛大に再登場する。ボフィンは元はプロレタリアートで遺産によって裕福になっただけだが、彼はいわゆる機械仕掛けの神で、あらゆる方向に金をまき散らすことで全ての人間の問題を解決する。彼はチェアリブル兄弟のように「駆けまわる」ことさえする。いくつかの点で互いの友は初期のやり方へと回帰していて、しかもどちらかと言えばうまくいっている。ディケンズの考えは一周して元の所に戻ってきているかのようだ。再び個人の寛容さが万物の治療薬となっているのだ。
彼の時代におけるひどく禍々しいもののひとつで、ディケンズがあまり取り上げなかったものに児童労働がある。彼の本には苦しむ子供の挿絵がたくさん載っているが、苦しんでいるその舞台はたいていは工場ではなく学校である。彼が書いた児童労働の詳細な場面のひとつがデイヴィッド・コパフィールドに書かれた子供時代のデイヴィッドがマードストン&グリンビー商会で瓶を洗う場面だ。もちろんこれは自伝的なものだ。ディケンズ自身が十歳の時にストランド街にあるウォレン靴墨工場で働いていて、その経験の多くがここで流用されている。当時の出来事は彼にとっては恐ろしく苦い記憶だった。一部にはそうした出来事全体が自分の両親にとっての不名誉であると彼が感じていたためでもある。彼はこの出来事を自分の妻にさえ隠し、それを告白したのは結婚してからずいぶん経ってからのことだった。当時を振り返って彼はデイヴィッド・コパフィールドでこう書いている。
そんな年齢でいとも簡単に放り出されたことに今なお僕は驚かされます。すばらしい能力を持ち、観察力、身のこなし、気力、繊細さに優れ、肉体的にも精神的にも傷つきやすい一人の子供だったのです。誰一人として僕の味方になろうとする者がいないことが僕にはまったく不思議なことに思えました。しかし誰もそうしようとはしなかったので、僕は十歳にしてマードストン&グリンビー商会でちびの使い走りとして働くようになったのでした。
さらに働く彼の周りの荒っぽい少年たちについても書かれている。
この交わりへと沈み込んでいく僕の魂の秘められた苦痛は言葉では言い表せないものでした……僕は教養のある卓越した大人になりたいと願い、胸の中で打ちひしがれました。
ここで語っているのがデイヴィッド・コパフィールドではなくディケンズ自身であることは明らかだ。数か月前に書き始めて途中で書くのをやめた自叙伝で彼はほとんど同じ言葉を使っている。もちろん、才能ある子供は一日に十時間も瓶にラベルを貼りつける仕事をすべきでないとディケンズが言っていることは確かだが、彼はどんな子供もこんな運命の下におかれるべきではないとは言っていないし、彼がそう考えていると推測する根拠もない。デイヴィッドはこの商会から逃げ出すがミック・ウォーカーやミーリー・ポテトズや他の者たちはそこに残ったままだし、そのことがディケンズを思い悩ませた様子もない。常のごとく社会の構造を変えられるかどうかについて彼は関心を示さない。彼は政治を嫌い、議会によって何か好ましい結果が得られるとは信じていない……彼は議事速記記者だったことがあるが、それが幻滅する経験だったことは疑いない……また当時、もっとも有望な運動であった労働組合に対してはいくらかの敵意を示している。ハード・タイムズでは労働組合は馬鹿騒ぎとたいして変わらないもの、雇い主が十分に父長としての役目を果たさないために生まれるものとして描かれている。ステファン・ブラックプールが組合への参加を拒むことはディケンズの目には極めて正しい行為として映っている。またジャクソン氏が指摘するようにバーナビー・ラッジで描かれるサイモン・タパーティットが所属する徒弟組合はその秘密集会や合言葉などから見て、おそらくディケンズの時代の違法、あるいは違法すれすれの組合を皮肉ったものだろう。労働者たちが正しい扱いを受けるよう彼が望んでいたことは間違いないが、彼らが自らの運命を自分の手中におさめること、とりわけ公然の暴力によってそうすることを彼が望んでいた様子はまったく無い。
実のところディケンズは二つの小説、バーナビー・ラッジと二都物語で、狭い意味での革命を扱っている。バーナビー・ラッジでのそれは革命というよりは暴動事件だ。一七八〇年のゴードン暴動はその口実として宗教的偏狭が上げられてはいたが無意味な略奪の横行と大差ないものだった。ディケンズの最初の構想では暴動の首謀者は精神病院から逃げ出してきた三人の狂人だったことはこうした物事に対する彼の態度をはっきりと示している。説得の結果、彼はこの構想を捨てたがこの作品の主人公は村の白痴なのだ。暴動を扱っている章ではディケンズは群衆の暴力によって引き起こされる恐怖を最大限の筆致で描き出している。彼はこの場面で、人間の「くず」が恐ろしく残虐に振る舞う様子を喜々として描いている。こうした章は心理学的に非常に興味深い。彼がこのテーマについてどれほど深く考えていたかを示すものだからだ。彼が描いたものは完全に彼の想像力だけから生み出されたものである。彼が描いたものと同じような規模の暴動は彼が生きている間には起きていないのだ。ここに彼の文章のひとつを挙げてみよう。
例え精神科病院の扉が大きく開かれたとしても、あの夜の狂乱で狂人どもが引き起こしたほどの大騒ぎにはならなかったことでしょう。あちらでは花壇の上でまるで人類の敵を踏み倒すかのように踊りながらあたりを踏みつける男たちがいて、花の茎をねじ折る様子はまるで人間の首を折る野蛮人のようでした。またあちらでは火のついた松明をかざした人々がいて首や顔に落ちる火の粉に苦しんでいました。首や顔には見るに堪えないひどい火傷ができ、肌には水ぶくれができています。炎に向かって駆けていく男たちもいて、彼らはまるで水の中にいるかのように手で炎をかき分けています。他にも死に至る熱望を満たすために炎に飛び込もうとしているところを力ずくで押さえつけられている者もいました。酒瓶をくわえて地面に寝転ぶ酔っぱらった……見た目から判断するに二十歳にも満たない……青年の頭には屋根から延びる雨樋から水のように炎が降り注ぎ、白熱したそれが彼の頭を蝋のように溶かしました……しかしうなり声を上げる群衆の誰一人としてこの光景に心を痛めたり気分が悪くなったりはしていなかったし、かといって一人の人間が感じるほどの激しい、目のくらむような行き場のない怒りを晴らすこともできないのでした。
まるでフランコ将軍の支持者によって描かれたスペイン「赤軍」の様子を読んでいるようだと思ったことだろう。もちろんディケンズがこれを書いていたころにはまだロンドンには「暴徒」がいたことを思い出す必要がある(現在では暴徒はいない。いるのは群衆だけだ)。低賃金と人口の増大・変化によって巨大で危険なスラム街のプロレタリアートが存在するようになり、また十九世紀の中盤早期まで警察力やそれに類したものはほとんど存在しなかった。レンガが飛び交い始めても窓を閉めるかさもなくば軍隊に発砲させる他なかったのだ。二都物語では彼は本当の意味での革命について書いていている。そこでのディケンズの態度は先とは異なるが、完全に異なるとも言えない。実際の問題として二都物語は読後に間違った印象を残しやすい作品だ。とりわけ読んでから時間が経つほどそうなる。
二都物語を読んだ全員の記憶に残るひとつがそこに登場する恐怖政治だ。作品の全体を支配しているのはギロチン台……あちらこちらを走り回る死刑囚移送車、血まみれのナイフ、バスケットへと転げ落ちる首、それを見ながら編み物をする不吉な老婆だ。実際にはそうした場面はいくつかの章にしか現れないが、それらが恐ろしいほど鮮烈に描かれている一方で作品の他の部分は非常にゆったりとしている。しかし二都物語は紅はこべ紅はこべ:バロネス・オルツィによる小説の手引書ではない。ディケンズはフランス革命が避けがたい運命にあること、そして人々の多くがその行いによって処刑されることをはっきりと理解していた。フランス貴族がやったように振る舞えばその報いを受けることになると彼は言っているのだ。彼は何度もそれを繰り返している。「我らが卿」はベッドに寝そべってお仕着せを着た四人の下男が彼にチョコレートを給仕している、一方で外では貧農が飢え、森のどこかでは木々が育ち、木々はやがて切り倒されて材木へと変わりギロチン台の台座へ使われることだろう、といった思いを私たちは常に頭の片隅に置いている。火種さえ与えられればテロが必然的に起きることは以下のようにはっきりと主張されている。
この恐るべき革命について……まるで青天の霹靂かのように……まるでこれまでそれを予兆するものが何も無かったかのように……語り、フランスの数百万の人々が虐げられ、彼らを豊かにするための資源が悪用し浪費されるのを目にしてきた人々が、それに先立つ何年も前にその到来を予見できず、目にしたものを率直な言葉で記録していなかったかのように語るとは言語道断である。
あるいはまた次のようにも言っている。
想像のおよぶ限りのありとあらゆる怪物、貪欲で飽くことのないそれら怪物がひとつの肉体に融合された。ギロチン台である。そしてフランスではその多様で豊かな土壌と気候をもってしても、わずかな枝も、葉も、根も、芽も存在しなくなった。それらはギロチンの生み出す恐怖のもとでは育ちはしないのだ。同じような鉄槌で再び慈悲の心を打ち砕けば、それは同じ苦難の形で降りかかることになるだろう。
別の言い方をすればフランス貴族は自らの墓穴を掘ったのだ。しかし現在、歴史的必然と呼ばれているものを感じ取っている形跡はここには見られない。原因が与えられれば結果が出ることは避けられないとディケンズは理解しているが、彼はその原因は取り除かれるだろうと考えているのだ。革命とは数世紀におよぶ抑圧によってフランスの農民が人間以下の境遇を強いられたことによって引き起こされた何かなのだ。邪悪な貴族が、ちょうどスクルージのように何らかの方法で新しい芽吹きを見せれば革命も、ジャクリーの反乱も、ギロチン台も回避される……結構なことである。これは「革命家」の態度とは正反対である。「革命家」の立場に立てば階級闘争は進歩の源泉であり、従って農民から略奪を繰り返して反乱へと追い立てる貴族はちょうど貴族をギロチンにかけるジャコバン派と同じように欠かざる役者なのだ。ディケンズはこうした意味に解釈できるような文章をどこにも書いていない。彼の見るところでは革命とは圧政によって生まれる怪物に過ぎず、必ず自らの肉体を食い尽くして終わるものなのだ。ギロチン台の足元に立つシドニー・カートンの目には、テロを先導するドファルジュや他の者たち全員が同じ刃によって滅びる姿が予見されている……そして実際それとほぼ同じことが起きるのだ。
ディケンズは革命が怪物であることをよく理解していた。だからこそ二都物語の革命の場面が全ての人の頭に刻まれているのだ。革命の場面は悪夢とでも言うべきものだが、それはディケンズ自身の見た悪夢だ。彼は繰り返し革命の無目的な恐ろしさを強調する……大量虐殺、不正、絶えず付きまとう密告の恐怖、暴徒の恐ろしいまでの血への熱望。パリの暴徒の描写……例えば九月虐殺で囚人を虐殺する直前に砥石の周りで得物を研いでいる群衆の描写……はバーナビー・ラッジのどの場面をも凌ぐ。彼にとって革命家たちは退化した野蛮人……要するに狂人……にしか見えない。彼は奇妙なほど豊かな想像力で彼らの狂乱の様子を想像している。例えば「カルマニョール」を踊る彼らの姿を描いているのだ。
五百人は下らないであろう人間が、まるで五千匹の悪魔のように踊っていた……人気のある革命の歌に合わせて踊り、狂乱状態を保ったままの彼らはまるで一斉に歯ぎしりしているかのようだ……前へ後ろへと進み、互いの手を打ち鳴らし、互いの頭をつかみ、ひとり体を回転させたかと思うと他の者を捕まえて二人組になって回転し、その大勢がへたばるまでそれは続いた……唐突に彼らは動きを止めて立ち止まると、再び動き出して道幅いっぱいに列を作った。そして頭を低く下げ、手を高く掲げると突然、叫び声を上げ始めたのだった。この踊りに比べれば殴り合いなど半分も恐ろしくはない。それは熱狂的に繰り広げられる下等な娯楽……かつては純粋だった何かがまったくの邪悪へと変わり果てた姿だった。
彼は、子供をギロチンにかけることを好む悪党を描くことさえしている。先に私が要約した文章を完全な形でぜひ読んでほしい。こうした文章にはディケンズが革命の興奮状態をいかに恐れていたかが現れている。例えば「頭を低く下げ、手を高く掲げる」という個所やそれによって伝わる禍々しい光景に注意してほしい。マダム・ドファルジュは実に恐ろしい人物で、間違いなくディケンズの描いた悪役でもっとも優れたものだ。ドファルジュたちはたんなる「古い迫害者が滅びる時に現れる新たな迫害者」であり、革命裁判は「もっとも低級で、冷酷で、悪辣な大衆」に支配されており、それ以外のものもそれとたいして変わりはしないのだ。革命期の悪夢のごとき不安定さに対するディケンズの主張は首尾一貫し、そこで彼は多くの洞察を披露している。「反革命容疑者法は自由と生命を守る手段の全てを打ち払い、あらゆる善良で無実の人物を悪辣で罪深いものへと変えた。罪を犯していない、無実の訴えさえ聞いてもらえない人々で監獄はいっぱいになった」……これは現在のいくつかの国でも非常によく当てはまる。
どんな革命であろうとその擁護者は一般には革命の恐怖を最小化しようと試みる。一方でディケンズの本能はそれを誇張して見せようとする……そして歴史から見れば彼が誇張をおこなっていることは確かだ。フランス革命での恐怖政治の時代でさえ彼が描いた物よりはずっと控えめだった。その数字を示してはいないが、彼は熱狂的な大虐殺が数年にわたって続いたかのように描いている。しかし実際は恐怖政治の時代全体でも死者の数だけを見れば、それはナポレオンが引き起こした戦争と比べてほんの冗談としか言えないようなものなのだ。しかし血塗られたナイフと行き交う死刑囚移送車は彼の頭の中にひどく禍々しい情景を作り出し、彼はそれを多数の読者に広めることに成功した。ディケンズのおかげで「死刑囚移送車」という言葉はなんとも残忍な響きを持つようになり、元は農場の荷車といったものを指す言葉に過ぎないことさえ忘れられてしまった。現在では平均的なイギリス人にとってのフランス革命とは切断された頭の山以上の意味を持たない。当時のほとんどのイギリス人よりも革命という考えに親和的だったディケンズがこうしたイメージを作り上げる一役を担ったことは実に奇妙なことだ。
暴力を憎み、政治を信じないのであれば、残された唯一の治療方法は教育である。社会は改善不可能だろうが、もし十分若い時に捕まえれば個々の人間には必ず希望がある。こうした信念をもってするとディケンズが子供に大きな関心を寄せていることを部分的には説明できる。
子供時代を描かせてディケンズの右に出る作家は、少なくとも英語で書く作家の中にはいない。当時から蓄積されてきたあらゆる知識や子供たちが現在では比較的まともに扱われているという事実にも関わらず、彼と同じくらい子供の視点に立つ力があるように見える小説家は一人もいない。私が初めてデイヴィッド・コパフィールドを読んだのは九歳くらいの頃だったはずだ。最初の数章の持つ精神的雰囲気は実にわかりやすく、これは子供によって書かれたのだろうと私は漠然と想像した。そして大人になった今この作品を再読し、例えばマードストン姉弟が悪夢のように巨大な姿から半ば道化じみた怪物へと姿を変えてしまっても、その文章からは何も失われてはいないのだ。ディケンズは子供の頭の内にも外にも立つことができ、それによって同じ場面を、読む者の年齢に合わせて過激な風刺劇にも禍々しい現実にもできるのだ。例えばデイヴィッド・コパフィールドが骨付きヒツジ肉を食べたという無実の疑いをかけられた場面を見るといい。あるいは大いなる遺産でピップがミス・ハヴィシャムの屋敷から戻り、自分を完璧に見失って、とんでもない嘘を重ね……もちろんそれを信じ込んで……逃避する場面だ。子供時代のあらゆる孤立感がそこにはある。そして子供の心の仕組み、その心に描き出されるものの傾向、特定の種類の物事への過敏さをどれほど精密に彼が記録していることか。ピップは子供時代の自分が死んだ両親の姿をその墓石からどのように想像していたかを思い返している。
父さんの墓碑銘の形を見て、彼はまじめで体格のいい浅黒い男で黒い巻き毛だというおかしな考えを僕は持ちました。また「先の者の妻、ジョージアナもまた」という碑文の筆跡と文字から母さんはそばかすのある弱々しい人だったのだと子供じみた結論を下していました。墓のかたわらにはそれぞれ一フィート半ほどの大きさの五つの小さな石でできたひし形の碑があって僕の五人の弟たちの記憶をそこに留めていました……彼らはみんな仰向けでズボンのポケットに手を突っ込んで生まれ、それ以外の姿勢はとることがなかったのだという宗教的とも言える信念を僕は抱いていました。
同じような一文はデイヴィッド・コパフィールドにもある。マードストン氏の手にかみついた後でデイヴィッドは学校へ追い払われ「注意。噛みつきます。」と書かれたプラカードを背中に付けられる。彼は校庭の門を見るがそこには少年たちが自分たちの名前を刻み込んでいて、それぞれの名前の見栄えから彼は少年たちがプラカードを読んだ時にどんなことを言うかわかったような気になる。
一人の少年……J・スティアフォースだったはずです……はとても深く、そしてたくさん名前を刻んでいました。こいつは大声でこれを読み上げて、その後で僕の髪を引っ張るぞと僕は思いました。他にもトミー・トラッドルズという少年がいて、そいつはこれをからかうんじゃないか、僕に驚いて怖がるふりをするんじゃないかと恐ろしくなりました。三番目はジョージ・デンプルで、こいつはこれを唱えてはやし立てるだろうなと僕は想像したのです。
この文章を子供の頃に読んだとき、そのそれぞれの名前が呼び起こす姿が実に正確なものに私には思えた。もちろんそれは言葉に関連付けられた音(デンプルは「寺院」、トラッドルズはおそらく「慌てて逃げ出す」)が理由だ。しかしディケンズ以前にどれだけの人間がこうしたことに気がついていただろう? 子供への共感の態度はディケンズの時代には現在よりもずっと珍しいものだった。十九世紀初頭は子供にとっては住みよい時代ではなかったのだ。ディケンズの時代の青少年はいまだ「顔が見えるよう抱え上げられて厳しい刑事裁判にかけられて」いたし、小銭を盗んだかどで十三歳の少年たちが絞首刑にされていた時代からそう間もない時期だったのだ。「子供の心を打ち砕く」という教義はまったく正当なものとされていたし、フェアチャイルド一家フェアチャイルド一家:メアリー・マーサ・シェアウッドによる小説。清教徒的宗教教育を主眼としていた。は十九世紀後半になるまで標準的な児童文学作品だった。この禍々しい作品は現在では小綺麗に飾り立てられた修正版となって出版されているが、無修正版は一読の価値がある。子供のしつけが時にどれほど激しくおこなわれていたかを知ることができる。例えば子供のけんかを見つけるとフェアチャイルド氏はまず子供を徹底的に打ち据える。ステッキで打ち据えている最中はワッツ博士ワッツ博士:アイザック・ワッツ。イギリスの牧師・讃美歌作家の「犬には吠えて噛みつかせておけ」を口ずさむ。それが終わると子供たちを絞首刑の晒し台の下に連れて行って午後をそこで過ごさせる。晒し台には殺人犯の腐乱死体が吊るされているのだ。十九世紀の初期には数千もの子供たち、時には六歳になるかならないかの子供たちが炭鉱や紡績工場で文字通り死ぬまで働かされ、高級なパブリックスクールの生徒でさえラテン語の詩を間違えたことを理由に血を流すまで鞭で打たれたのだ。ディケンズが理解し、彼の同時代人のほとんどが理解していなかったことのひとつに鞭打ちの持つサディスティックな性的側面が挙げられる。デイヴィッド・コパフィールドやニコラス・ニクルビーからはそれが見て取れるように思う。子供に対する精神的虐待は肉体的なそれと同じように彼を激怒させる。例外は多くあるものの、彼の描く教師はほとんど決まって悪党だ。
大学と大きなパブリックスクールを除くと当時イングランドに存在したあらゆる種類の教育機関がディケンズによって酷評されている。幼い少年たちに破裂するまでギリシャ語を詰め込むブリンバー博士の学校、ノア・クレイポールやユーライア・ヒープのような人間を生み出す胸の悪くなるような当時の慈善学校、セイレム・ハウス、ドゥザボーイズ・ホール、ウォプスル氏の大叔母によって営まれている小さな恥ずべき私塾がそれだ。ディケンズの語っていることには現在でもなお当てはまる部分がある。セイレム・ハウスは現代の「プレップ・スクールプレップ・スクール:パブリックスクールへの進学準備をするための私立初等学校。プレパラトリー・スクール。」の祖先で、今でも非常に多くの類似点がある。またウォプスル氏の大叔母に関して言えば、ほとんど同じ手口の古典的詐欺が現在でもイングランドの小さな町のほとんどでおこなわれている。しかしいつものようにディケンズの批判は創造的でも破壊的でもない。彼は、ギリシャ語辞書とワックス仕上げのステッキの上に作り上げられた教育システムの愚かしさを理解していたが、一方で五十年代から六十年代にかけて現れた新しい種類の学校、「事実」にこだわる意志強健な「現代の」学校については無理解だった。それでは彼はいったい何を望んでいたのだろう? 他と同じく彼が望んでいたのは道徳的に正当化し得る既存のものであったようだ……古いタイプの学校ではあるが、鞭打ちや弱い者いじめを無くし、十分な食事を与え、あまりギリシャ語に偏らないそれだ。デイヴィッド・コパフィールドがマードストン&グリンビー商会から逃げ出した後に通うストロング博士の学校は端的に言って悪習が取り除かれセイレム・ハウスで「古い灰色の石壁」の雰囲気がおおいに残るものだ。
ストロング博士のそれはすばらしい学校で、クリークルさんのそれとは違って不道徳なところの無い良い場所でした。とても厳かで、礼儀正しく規律だっていて健全な体制を取っていました。あらゆるものが少年たちの高潔さ誠実さとに訴えかけるのです……驚くべき働きです。僕ら全員がこの場所を担い、その地位と尊厳を支える一員だと感じていました。そのため僕らはすぐに心からの愛着を持つようになり……僕も確かにそうなった一人ですし、そうならなかった少年を僕は一人たりとも知りません……意欲的に学び、名誉ある一員になろうと望んだのです。課外時間には貴族のような遊びをしたり、自由を謳歌したりしましたが、その時でも憶えている限りでは町での僕らの評判は良かったし、その姿や振る舞いにおいてもストロング博士とストロング博士の子供たちとしての名誉を傷つけるようなことはめったにありませんでした。
この文章のぼんやりとした不鮮明さからはディケンズが何の教育理論も持ち合わせていないことが見て取れる。彼は良い学校の道徳的な雰囲気を想像することはできるがそれ以上のことはできないのだ。少年たちは「意欲的に学ぶ」が、いったい彼らは何を学ぶのだろう? それがブリンバー博士のものと同じカリキュラムであることは間違いない。ただ少し水で薄められているだけだ。ディケンズの小説のあらゆる場所で示されている社会への態度を考えれば、彼が自分の長男をイートン校に通わせたこと、また自分の子供全員を一般的な職業学校に通わせたことを知って驚くことだろう。彼がそうしたのは自分自身が教育を受けられなかったことを彼が痛切に意識していたためだとギッシングは考えているようである。ここでギッシングはおそらく自身の古典的学習への愛情に影響されている。ディケンズは正式な教育をほとんど受けていないが、それによって彼が失ったものは何もないし、全体的に見て彼もそのことはわかっているようだ。彼がストロング博士の学校、あるいは現実のイートン校以上に優れた学校を想像できないとしたら、それはおそらく知性的な限界のためであってギッシングが言うような理由のためではないだろう。
ディケンズが社会に加える非難の全てで決まって彼は構造の変化よりも精神の変化を指摘するように思われる。彼から何かはっきりとした治療法を引き出そうとすることは無駄なことだが、政治的信条についてもそれは同じだ。彼のやり方は常に道徳的な次元に留まるもので、その態度はクリークルとは違う「不道徳なところの無い良い場所」であるストロングの学校についての記述を足し合わせたもので事足りるのだ。二つの学校は非常によく似ているが同時にまたとてつもなく異なったものでもある。天国と地獄は同じ場所にある。「心を入れ替えること」無しでは制度を変えたところでそれは無駄に終わる……つまるところ、これこそが彼が言い続けていることなのだ。
もしそれが全てであれば彼は自己啓発的な作家、反動的な詐欺師に過ぎなかったことだろう。「心を入れ替えること」とは実際のところ体制を危険にさらしたくない人々のアリバイそのものだ。しかし、些事を除けばディケンズは詐欺師ではないし、彼の作品から受けるもっとも強いひとつの印象は圧制に対する嫌悪なのだ。先に私は、ディケンズは一般的に受け入れられている言葉の意味においては革命的作家ではないと言った。しかし社会に対するたんなる道徳的非難が、最近流行りの政治経済的な非難と同様に「革命的」……つまるところ革命とは物事を逆転させることを意味するのだ……でないかどうかは定かでない。ブレイクは政治家ではないが「地図にある通りを抜けてさまよう」といった詩には重さ三クォーター分の社会主義文学に勝る資本主義社会の持つ性質への理解がある。進歩は幻影ではなく起きている。しかしその歩みは遅く、いつだって失望させられる。決まって新たな暴君が古い暴君を転覆しようと待ち構えているのだ……多くの場合はそれほどひどいものではないが、それでも暴君であることは変わらない。その結果、二つの立場が常に存在し続けることになる。ひとつは「システムを変えずにどうやって人間の本性を改良できるのか?」というもので、もうひとつは「人間の本性を改良する前にシステムを変えたところで何になろう?」というものだ。これら二つはそれぞれ異なる人間に訴えかけ、またその時々に合わせて行ったり来たりを繰り返す傾向があるように思われる。道徳家と革命家は常に互いを非難しあっている。マルクスは道徳家のよって立つ土台を百トンものダイナマイトで吹き飛ばし、私たちはいまだその巨大な爆発の残響の中を生きている。しかしもうすでにどこかで工兵が仕事に取り掛かって、マルクスを月まで吹き飛ばすための新たなダイナマイトを仕掛けているところなのだ。それが終わればマルクスか、彼に似た誰かがさらに多くのダイナマイトを携えて戻ってくるだろう。そうしてこの過程が私たちにはいまだ予見できない終局が来るまで続いていくのだ。核心的な問題……いかにして権力が悪用されることを防ぐのか……は未解決のまま残されている。私有財産を邪魔な障壁とは考えていないディケンズの考えはこうだ。「もし人間が正しく振る舞えば世界は正しいものになるだろう」という言葉は言うほど陳腐なものではない。