現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

衆議院の枢府弾刻決議


内閣が枢密院の決議の結果として辞職を余儀なくせられるといふ前古未曽有の出来事に続いて、又衆議院に於いて枢密院を弾劾する上奏案だか決議案だかが提出せられるといふ、これも前古未曽有の出来事が現はれた。


枢密院が政治上に内閣と対抗するやうな勢力を有つことは、枢密院の性質上望ましからざるところであることは、争を容れぬ。況んや枢密院の決議に基いて内閣の更迭を生ずるが如きは、立憲政治の甚しき変態であることは、言ふまでもない。筆者は若槻内閣が衆議院に与党の多数を擁しながら、枢密院の反対のために辞職を余儀なくせられるに至つたのを以て、「憲政の常道」より見て甚だ遺憾なりとするものである。


しかしながら枢密院は我が憲法が至尊の最高諮詢しじゅんの府として設置して居るもので、殊に憲法の解釈に付いて至尊の諮詢しじゅんに応ふることは、その最も重要なる任務とするところであり、又それは内閣及び議会に対し全く独立の地位を有して居る。此の制度にして存する限りは、仮令内閣の重要なる政策として居る緊急勅令案と雖も、それが憲法違反であると信ずる以上は、自己の良心に随ひ、之を憲法違反なりとして奏上することは、即ち忠実にその任務を尽す所以であつて、敢て非難すべき理由は無い。官制に枢密院は施政に干与せずと規定してあるのは、唯枢密院が専ら天皇に奉答する任務を有するのみで、直接に人民に向つて政治を行ふものでないことを示して居るのみで、内閣の政策に反対してはならぬといふ意味を含んで居るものではない。施政に干与せずといふ明文を根拠として、内閣から提出した諮詢しじゅん案に反対したことを非難するのは、全く見当違の非難たるを免れぬ。


財界の混乱と之に続いたモラトリウムの緊急勅令並に五億円の補償法案を以て枢密院の責任に帰することも、到底首肯し難い非難である。仮令枢密院が若槻内閣の緊急勅令案に同意したとしても、それに依つて果して財界を安定せしめ得たや否やは極めて疑しい。若し又それだけで安定せしめ得たとすれば、緊急勅令に依らずとも、さういふ法律案を提出して協賛を求むる目的を以て臨時議会を召集することを公表することに依つても、充分人心を安定せしむることを得たであらう。それは兎も角も、所謂震手法案に付いてすらも輿論は激烈に之に反対したのであつて、輿論の反対に拘らず僅に両院を通過することを得たのであるのに、議会閉会後僅に三週間ならず、しかもその以後別段の突発事件も無いのに、更に二億円を一台湾銀行の救済の為に国民の負担に帰せしめんとするのは、到底輿論の同意を得ることの出来ないのは疑を容れぬところで、それを議会の協賛をも得ず、政府だけの専制権力を以て断行せんとしたのは憲法の規定から言つても、その精神から言つても、断じて容認し難いところと言はねばならぬ。枢密院が之に反対したのは制度上から見れれ至当の措置であると信ずる。


唯内閣がその為に辞職を余儀なくせらるるに至つては、結果に於いて枢密院が内閣の進退を左右したこととなり、それは甚だ遺憾であるが、しかしそれは憲法が枢密院制度を設けて居ることから生ずる已むを得ない結果で、若し之を不当とするならば、枢密院制度それ自身の根本にまで溯つて、此の如き制度を維持することが果して適当なりや否やを論じなければならぬ。

之を差措いて現在の枢密院制度をそのまま承認しながら、単に枢密院が内閣の提出した緊急勅令案に反対したことに対し、之を弾劾しようとするのは、到底正当の理由あるものとは思はれない。


且つ議会に対し責に任ずる者は憲法上唯国務大臣のみである。憲法が国務大臣及びその命令の下に在る政府委員のみが議会に出席し得ることを定めて居るのは、比等の者のみが議会と交渉する地位に在ることを明示せるものである。枢密顧問は議会とは何等の交渉の無い者で、議会に出席すべき権能も無ければ、自己の行為に付いて弁明すべき機会も与へられない、その議会に対し責に任ずる者でないことは勿論である。

而して弾劾の決議は即ち問責の決議であつて、問責の決議は唯議会に対し責に任ずる者に対してのみ之を為し得る。何等議会との交渉なく、弁明の機会も無く、議会に対し全く責任を負はない者に対し問責の決議を為すが如きは、要するにノンセンスである。決して衆議院の面目を維持する所以ではない。

(昭和二年五月九日発行「帝国大学新聞」所載)