現代憲政評論 選挙革正論其の他, 美濃部達吉

警察制度革新の必要と其の方策


警察権は司法権及び収税権と共に、国家の権力の発動としての最も著しい一部門であり、直接に人民の自由及び財産の上に、束縛と制限とを加ふるものであるから、その権力の局に当る者は、職務上最も独立公平なることを要し、一意唯国家及び社会全般の利益の為にその職を尽すべく、一党派の為にするものであつてはならぬ。衆議院議員選挙法に、裁判官、検事、行政裁判官、会計検査官などと共に、収税官吏及び警察官吏が特に衆議院議員の被選挙権を有しないものとせられて居るのも(九条)、収税官及び警察官が、人民に向つて権力を行使するものであつて、最も権力の濫用を慎まねばならぬ地位に在る者であり、随つて裁判官などと同様に、職務上の公平と独立とを必要とし、政党その他の政治運動に関係することが、職務上の要求と両立しない為でなければならぬ。

然るに裁判官に付いては、其の職務上及び身分上の独立が、完全に担保せられて居り、実際にも裁判官が政党の勢力に支配せられ。一党派の為にその権力を濫用するやうな疑は、全く存しないと言つて可い有様に在るに反して、之にも劣らない程の大切な国家の権力を行ふの地位に在る警察の機関に付いては、此の如き用意は全く欠けて居り、その職務に於いても、その身分に於いても、全然政府の支配の下に立ち、随つて政党政治が行はれて政府が政党に依つて組織せらるることとなつてから後は、警察は政党の勢力に依つて支配せられ、最も公平なることを要すべき警察の権力が、一党派の利益の為に濫用せらるる傾あることの疑が頗る強い。我が警察制度の最も大なる欠陥は、実に此の点に在るものと言はねばならぬ。

此の弊害は決して政党政治に始まつたものではない。昔の官僚政治の時代にも、政府が警察力を政治上の反対派を圧伏するために濫用した形跡は極めて顕著であり、議会制度の設置前に於いては、警察は国家の機関といふよりも、寧ろ時の政府の政治機関として用いられ、甚しきは保安条例を布いて政治上の反対者を帝都三里外に放逐するに至り、議会開設の後に於いても、有名な明治二十五年の選挙大干渉の如きは、警察力を反対党の圧伏の為に濫用した最も著しい事例である。

しかしながら、専制政治の時代は、国民の政治的自由は全く認められなかつたので、国の政治は薩長政府の独占に属し、政府に反対する総ての政党は、恰も今日の政府が共産党に対して考へる如くに、国家の秩序を壊乱する賊徒として思惟せられて居たのであるから、警察力を反対党の圧迫に用いることは、即ち国家の秩序を維持する所以であると考へられて居たのである。明治二十五年の選挙大干渉の如き、許すべからざる曲事であることは勿論であるが、しかし当時は尚薩長政府が専制時代の思想をそのままに政権を把持して居た時代で、政府は反対党を撲滅することが即ち国家に尽す所以であり、仮令法律を蹂躙しても尚其目的の為には已むを得ない所で、斯くするに非ざれば政府の職責を全うし得ないものと考へたのであつて、その心事は或る程度にまで諒すべきものである。それは実に官僚的専制思想の現れに外ならぬのである。

然るに、専制時代に於いて醸された此の弊害は、立憲政治殊に政党政治の略ぼ確立するに至つて後も、尚持続せられて、警察は今も尚時の政府の政治機関として用いられ、警察力を反対党の打破の為に濫用するの弊を絶たないのは、甚しい時代錯誤であつて、立憲主義の思想とは全く両立しないものである。

立憲主義は政治的自由を以て其の根本主義とする。時の政府が永く政治を独占するものではなく、その総ての施設は国民の批判の下に立ち、若し国民の信頼を失へばその職を去るべきことが、立憲政治の要求である。反対党は現在は政権を握つて居らぬにしても、他日国民の信頼を得れば、等しく政権の衝に立ち得べき地位に在るもので、随つて反対党も政府と均等なる存在の権利を有する。反対党も決して国賊として思惟せらるべきものではなく、平等の機会と平等の権利を以て、国民の公の批判の前に立つことを得なければならぬ。

此の思想の下に於いては、警察力が反対党の圧迫の為に用いらるることが、固く禁歇せられねばならぬことは、余りにも明白である。それは反対党に対してフェーア・プレーの機会を失はしむるもので、立憲政治の根本主義を破壊するものといふべきである。

不幸にして、わが現在の警察制度は此の要求を去ることが甚だ遠い。それは専制時代の状態をそのまま持続して居るもので、その弊害は減ずるよりも、却つて益々甚しきを加ふる有様である。内務省の警保局長及び警視総監は、恰も政務官の如くに内閣と進退を共にすることが確定の習慣となつたのみならず、府県知事、府県警察部長すらも、内閣の更迭に伴うて大部分は更迭を余儀なくせられ、その多くは明白なる政党的色彩を帯び、選挙に際してはその政党的色彩が最も露骨に表明せらるる外、平時に於いても、職務上の公平は殆ど常に期待し得られない状態に在る。

此の弊害を救ふには如何なる方策を取るべきであらうか。

それには一般政界の空気を清浄ならしむることが、何より大切であるが、それは一朝にして成功し得べきところではなく、自然の機運がそれに向ふのを待つの外は無い。直に実行し得べき方策としては、私は文官分限令の改正に依り、一般事務官殊に警察の局に当る総ての官吏を、終身官又は終身官に準ずべきものとし、法定の理由ある場合を除くの外には、政府の任意に免官又は休職を命ずることを得ないものと為す外には、適当なる途を見出し得ないものである。

勿論、警察官は一の点に於いて裁判官とは、その職務に重要なる差異を有するもので、警察官をして裁判官と同様なる完全なる職務上の独立を有せしむることは、不可能である。その差異とは、裁判官がその裁判を行ふに於いて唯法規のみを標準とし上官の命令に服従すべき義務を負はないのに反して、警察の職務は法規のみを標準とすることを得ず、事宜に応じて自由の裁量を必要とし、随つてその職務行動に付き上官の命令に依つて統率せらるることを要すること是れである。警察は全体としては他の勢力から独立なることを必要とするけれども、各個の官吏としては職務上に必ず上官の命令に従ふことを要するものでなければならぬ。然らざれば警察の機能を全うすることを望み得ない。

此の点に於いて警察官を終身官に準ずべきものとし、政府の自由に任免し得ないものと為すことを躊躇すべき理由が有る。何となれば、上官の命令の下に其の手足として働かしむる為には、上官が其の進退をも左右し得る力を有することが、疑なく最も便宜であるからである。若し終身官としての地位を保障せられ、上官の意思に依つては、之を罷免することの出来ないものであれば、上官の威令行はれず、その命ずる規律に服従しないおそれがないと言ひ難い。

しかしながら、如何なる制度と雖も一長一短を免れないもので、若し上下の服従に重きを置かば、現在の制度の如く、上官が任意に其の進退を行ひ得るものと為すことが便宜であることは疑を容れぬけれども、それよりも一層大切なることは、警察が特定の政党の勢力から独立することであり、而して此の目的を達する為には、規律と服従とに多少の犠牲を払ふとしても、尚政党政府をして警察の局に当るべき官吏の進退を任意にすることを得ざらしむるの外は無い。

それは現在の制度に於いても、検事に付いては、現に実行せられて居るところで、検事はその職務に付いては、上官の命令に服従すべき義務を負うて居るものであるが、その身分に於いては、略ぼ判事に準ずべき保障を受けて居る。

警察制度に付いても、警視総監、府県知事、警保局長を始め凡て警察の衝に当る官吏に対し、検事と略ぼ同様なる地位の保障を与ふることが、警察制度の革新に付いて、差当り実行し得べき唯一の方策であらう。

(昭和五年一月発行「警察研究」所載)