源氏物語, 紫式部

乙女


第一章 朝顔姫君の物語 藤壺代償の恋の諦め

[第一段 故藤壺の一周忌明ける]

年変はりて、宮の御果ても過ぎぬれば、世の中色改まりて、更衣のほどなども今めかしきを、まして祭のころは、おほかたの空のけしき心地よげなるに、前斎院はつれづれと眺めたまふを、前なる桂の下風、なつかしきにつけても、若き人びとは思ひ出づることどもあるに、大殿より、

「御禊の日は、いかにのどやかに思さるらむ」

と、訪らひきこえさせたまへり。

「今日は、

かけきやは川瀬の波もたちかへり君が禊の藤のやつれを

紫の紙、立文すくよかにて、藤の花につけたまへり。折のあはれなれば、御返りあり。

藤衣着しは昨日と思ふまに今日は禊の瀬にかはる世を

はかなく」

とばかりあるを、例の、御目止めたまひて見おはす。

御服直しのほどなどにも、宣旨のもとに、所狭きまで、思しやれることどもあるを、院は見苦しきことに思しのたまへど、

「をかしやかに、けしきばめる御文などのあらばこそ、とかくも聞こえ返さめ、年ごろも、おほやけざまの折々の御訪らひなどは聞こえならはしたまひて、いとまめやかなれば、いかがは聞こえも紛らはすべからむ」

と、もてわづらふべし。

[第二段 源氏、朝顔姫君を諦める]

女五の宮の御方にも、かやうに折過ぐさず聞こえたまへば、いとあはれに、

「この君の、昨日今日の稚児と思ひしを、かくおとなびて、訪らひたまふこと。容貌のいともきよらなるに添へて、心さへこそ人にはことに生ひ出でたまへれ」

と、ほめきこえたまふを、若き人びとは笑ひきこゆ。

こなたにも対面したまふ折は、

「この大臣の、かくいとねむごろに聞こえたまふめるを、何か、今始めたる御心ざしにもあらず。故宮も、筋異になりたまひて、え見たてまつりたまはぬ嘆きをしたまひては、思ひ立ちしことをあながちにもて離れたまひしことなど、のたまひ出でつつ、悔しげにこそ思したりし折々ありしか。

されど、故大殿の姫君ものせられし限りは、三の宮の思ひたまはむことのいとほしさに、とかく言添へきこゆることもなかりしなり。今は、そのやむごとなくえさらぬ筋にてものせられし人さへ、亡くなられにしかば、げに、などてかは、さやうにておはせましも悪しかるまじとうちおぼえはべるにも、さらがへりてかくねむごろに聞こえたまふも、さるべきにもあらむとなむ思ひはべる」

など、いと古代に聞こえたまふを、心づきなしと思して、

「故宮にも、しか心ごはきものに思はれたてまつりて過ぎはべりにしを、今さらに、また世になびきはべらむも、いとつきなきことになむ」

と聞こえたまひて、恥づかしげなる御けしきなれば、しひてもえ聞こえおもむけたまはず。

宮人も、上下、みな心かけきこえたれば、世の中いとうしろめたくのみ思さるれど、かの御みづからは、わが心を尽くし、あはれを見えきこえて、人の御けしきのうちもゆるばむほどをこそ待ちわたりたまへ、さやうにあながちなるさまに、御心破りきこえむなどは、思さざるべし。

第二章 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語

[第一段 子息夕霧の元服と教育論]

大殿腹の若君の御元服のこと、思しいそぐを、二条の院にてと思せど、大宮のいとゆかしげに思したるもことわりに心苦しければ、なほやがてかの殿にてせさせたてまつりたまふ。

右大将をはじめきこえて、御伯父の殿ばら、みな上達部のやむごとなき御おぼえことにてのみものしたまへば、主人方にも、我も我もと、さるべきことどもは、とりどりに仕うまつりたまふ。おほかた世ゆすりて、所狭き御いそぎの勢なり。

四位になしてむと思し、世人も、さぞあらむと思へるを、

「まだいときびはなるほどを、わが心にまかせたる世にて、しかゆくりなからむも、なかなか目馴れたることなり」

と思しとどめつ。

浅葱にて殿上に帰りたまふを、大宮は、飽かずあさましきことと思したるぞ、ことわりにいとほしかりける。

御対面ありて、このこと聞こえたまふに、

「ただ今、かうあながちにしも、まだきに老いつかすまじうはべれど、思ふやうはべりて、大学の道にしばし習はさむの本意はべるにより、今二、三年をいたづらの年に思ひなして、おのづから朝廷にも仕うまつりぬべきほどにならば、今、人となりはべりなむ。

みづからは、九重のうちに生ひ出ではべりて、世の中のありさまも知りはべらず、夜昼、御前にさぶらひて、わづかになむはかなき書なども習ひはべりし。ただ、かしこき御手より伝へはべりしだに、何ごとも広き心を知らぬほどは、文の才をまねぶにも、琴笛の調べにも、音耐へず、及ばぬところの多くなむはべりける。

はかなき親に、かしこき子のまさる例は、いとかたきことになむはべれば、まして、次々伝はりつつ、隔たりゆかむほどの行く先、いとうしろめたなきによりなむ、思ひたまへおきてはべる。

高き家の子として、官位爵位心にかなひ、世の中盛りにおごりならひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵に昇りぬれば、時に従ふ世人の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、けしきとりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえて、やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世衰ふる末には、人に軽めあなづらるるに、取るところなきことになむはべる。

なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。さしあたりては、心もとなきやうにはべれども、つひの世の重鎮となるべき心おきてを習ひなば、はべらずなりなむ後も、うしろやすかるべきによりなむ。ただ今は、はかばかしからずながらも、かくて育みはべらば、せまりたる大学の衆とて、笑ひあなづる人もよもはべらじと思うたまふる」

など、聞こえ知らせたまへば、うち嘆きたまひて、

「げに、かくも思し寄るべかりけることを。この大将なども、あまり引き違へたる御ことなりと、かたぶけはべるめるを、この幼心地にも、いと口惜しく、大将、左衛門の督の子どもなどを、我よりは下臈と思ひおとしたりしだに、皆おのおの加階し昇りつつ、およすげあへるに、浅葱をいとからしと思はれたるに、心苦しくはべるなり」

と聞こえたまへば、うち笑ひたまひて、

「いとおよすげても恨みはべるななりな。いとはかなしや。この人のほどよ」

とて、いとうつくしと思したり。

「学問などして、すこしものの心得はべらば、その恨みはおのづから解けはべりなむ」

と聞こえたまふ。

[第二段 大学寮入学の準備]

字つくることは、東の院にてしたまふ。東の対をしつらはれたり。上達部、殿上人、珍しくいぶかしきことにして、我も我もと集ひ参りたまへり。博士どももなかなか臆しぬべし。

「憚るところなく、例あらむにまかせて、なだむることなく、厳しう行なへ」

と仰せたまへば、しひてつれなく思ひなして、家より他に求めたる装束どもの、うちあはず、かたくなしき姿などをも恥なく、面もち、声づかひ、むべむべしくもてなしつつ、座に着き並びたる作法よりはじめ、見も知らぬさまどもなり。

若き君達は、え堪へずほほ笑まれぬ。さるは、もの笑ひなどすまじく、過ぐしつつ静まれる限りをと、選り出だして、瓶子なども取らせたまへるに、筋異なりけるまじらひにて、右大将、民部卿などの、おほなおほな土器とりたまへるを、あさましく咎め出でつつおろす。

「おほし、垣下あるじ、はなはだ非常にはべりたうぶ。かくばかりのしるしとあるなにがしを知らずしてや、朝廷には仕うまつりたうぶ。はなはだをこなり」

など言ふに、人びと皆ほころびて笑ひぬれば、また、

「鳴り高し。鳴り止まむ。はなはだ非常なり。座を引きて立ちたうびなむ」

など、おどし言ふも、いとをかし。

見ならひたまはぬ人びとは、珍しく興ありと思ひ、この道より出で立ちたまへる上達部などは、したり顔にうちほほ笑みなどしつつ、かかる方ざまを思し好みて、心ざしたまふがめでたきことと、いとど限りなく思ひきこえたまへり。

いささかもの言ふをも制す。無礼げなりとても咎む。かしかましうののしりをる顔どもも、夜に入りては、なかなか今すこし掲焉なる火影に、猿楽がましくわびしげに、人悪げなるなど、さまざまに、げにいとなべてならず、さまことなるわざなりけり。

大臣は、

「いとあざれ、かたくななる身にて、けうさうしまどはかされなむ」

とのたまひて、御簾のうちに隠れてぞ御覧じける。

数定まれる座に着きあまりて、帰りまかづる大学の衆どもあるを聞こしめして、釣殿の方に召しとどめて、ことに物など賜はせけり。

[第三段 響宴と詩作の会]

事果ててまかづる博士、才人ども召して、またまた詩文作らせたまふ。上達部、殿上人も、さるべき限りをば、皆とどめさぶらはせたまふ。博士の人びとは、四韻、ただの人は、大臣をはじめたてまつりて、絶句作りたまふ。興ある題の文字選りて、文章博士たてまつる。短きころの夜なれば、明け果ててぞ講ずる。左中弁、講師仕うまつる。容貌いときよげなる人の、声づかひものものしく、神さびて読み上げたるほど、おもしろし。おぼえ心ことなる博士なりけり。

かかる高き家に生まれたまひて、世界の栄花にのみ戯れたまふべき御身をもちて、窓の螢をむつび、枝の雪を馴らしたまふ心ざしのすぐれたるよしを、よろづのことによそへなずらへて、心々に作り集めたる句ごとにおもしろく、「唐土にも持て渡り伝へまほしげなる夜の詩文どもなり」となむ、そのころ世にめでゆすりける。

大臣の御はさらなり。親めきあはれなることさへすぐれたるを、涙おとして誦じ騷ぎしかど、女のえ知らぬことまねぶは憎きことをと、うたてあれば漏らしつ。

[第四段 夕霧の勉学生活]

うち続き、入学といふことせさせたまひて、やがて、この院のうちに御曹司作りて、まめやかに才深き師に預けきこえたまひてぞ、学問せさせたてまつりたまひける。

大宮の御もとにも、をさをさ参うでたまはず。夜昼うつくしみて、なほ稚児のやうにのみもてなしきこえたまへれば、かしこにては、えもの習ひたまはじとて、静かなる所に籠めたてまつりたまへるなりけり。

「一月に三度ばかりを参りたまへ」

とぞ、許しきこえたまひける。

つと籠もりゐたまひて、いぶせきままに、殿を、

「つらくもおはしますかな。かく苦しからでも、高き位に昇り、世に用ゐらるる人はなくやはある」

と思ひきこえたまへど、おほかたの人がら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば、いとよく念じて、

「いかでさるべき書どもとく読み果てて、交じらひもし、世にも出でたらむ」

と思ひて、ただ四、五月のうちに、『史記』などいふ書、読み果てたまひてけり。

[第五段 大学寮試験の予備試験]

今は寮試受けさせむとて、まづ我が御前にて試みさせたまふ。

例の、大将、左大弁、式部大輔、左中弁などばかりして、御師の大内記を召して、『史記』の難き巻々、寮試受けむに、博士のかへさふべきふしぶしを引き出でて、一わたり読ませたてまつりたまふに、至らぬ句もなく、かたがたに通はし読みたまへるさま、爪じるし残らず、あさましきまでありがたければ、

「さるべきにこそおはしけれ」

と、誰も誰も、涙落としたまふ。大将は、まして、

「故大臣おはせましかば」

と、聞こえ出でて泣きたまふ。殿も、え心強うもてなしたまはず、

「人のうへにて、かたくななりと見聞きはべりしを、子のおとなぶるに、親の立ちかはり痴れゆくことは、いくばくならぬ齢ながら、かかる世にこそはべりけれ」

などのたまひて、おし拭ひたまふを見る御師の心地、うれしく面目ありと思へり。

大将、盃さしたまへば、いたう酔ひ痴れてをる顔つき、いと痩せ痩せなり。

世のひがものにて、才のほどよりは用ゐられず、すげなくて身貧しくなむありけるを、御覧じ得るところありて、かくとりわき召し寄せたるなりけり。

身に余るまで御顧みを賜はりて、この君の御徳に、たちまちに身を変へたると思へば、まして行く先は、並ぶ人なきおぼえにぞあらむかし。

[第六段 試験の当日]

大学に参りたまふ日は、寮門に、上達部の御車ども数知らず集ひたり。おほかた世に残りたるあらじと見えたるに、またなくもてかしづかれて、つくろはれ入りたまへる冠者の君の御さま、げに、かかる交じらひには堪へず、あてにうつくしげなり。

例の、あやしき者どもの立ちまじりつつ来ゐたる座の末をからしと思すぞ、いとことわりなるや。

ここにてもまた、おろしののしる者どもありて、めざましけれど、すこしも臆せず読み果てたまひつ。

昔おぼえて大学の栄ゆるころなれば、上中下の人、我も我もと、この道に志し集れば、いよいよ、世の中に、才ありはかばかしき人多くなむありける。文人擬生などいふなることどもよりうちはじめ、すがすがしう果てたまへれば、ひとへに心に入れて、師も弟子も、いとど励みましたまふ。

殿にも、文作りしげく、博士、才人ども所得たり。すべて何ごとにつけても、道々の人の才のほど現はるる世になむありける。

第三章 光る源氏周辺の人々の物語 内大臣家の物語

[第一段 斎宮女御の立后と光る源氏の太政大臣就任]

かくて、后ゐたまふべきを、

「斎宮女御をこそは、母宮も、後見と譲りきこえたまひしかば」

と、大臣もことづけたまふ。源氏のうちしきり后にゐたまはむこと、世の人許しきこえず。

「弘徽殿の、まづ人より先に参りたまひにしもいかが」

など、うちうちに、こなたかなたに心寄せきこゆる人びと、おぼつかながりきこゆ。

兵部卿宮と聞こえしは、今は式部卿にて、この御時にはましてやむごとなき御おぼえにておはする、御女、本意ありて参りたまへり。同じごと、王女御にてさぶらひたまふを、

「同じくは、御母方にて親しくおはすべきにこそは、母后のおはしまさぬ御代はりの後見に」

とことよせて、似つかはしかるべく、とりどりに思し争ひたれど、なほ梅壺ゐたまひぬ。御幸ひの、かく引きかへすぐれたまへりけるを、世の人おどろききこゆ。

大臣、太政大臣に上がりたまひて、大将、内大臣になりたまひぬ。世の中のことども政りごちたまふべく譲りきこえたまふ。人がら、いとすくよかに、きらきらしくて、心もちゐなどもかしこくものしたまふ。学問を立ててしたまひければ、韻塞には負けたまひしかど、公事にかしこくなむ。

腹々に御子ども十余人、おとなびつつものしたまふも、次々になり出でつつ、劣らず栄えたる御家のうちなり。女は、女御と今一所なむおはしける。わかむどほり腹にて、あてなる筋は劣るまじけれど、その母君、按察使大納言の北の方になりて、さしむかへる子どもの数多くなりて、「それに混ぜて後の親に譲らむ、いとあいなし」とて、とり放ちきこえたまひて、大宮にぞ預けきこえたまへりける。女御にはこよなく思ひおとしきこえたまひつれど、人がら、容貌など、いとうつくしくぞおはしける。

[第二段 夕霧と雲居雁の幼恋]

冠者の君、一つにて生ひ出でたまひしかど、おのおの十に余りたまひて後は、御方ことにて、

「むつましき人なれど、男子にはうちとくまじきものなり」

と、父大臣聞こえたまひて、けどほくなりにたるを、幼心地に思ふことなきにしもあらねば、はかなき花紅葉につけても、雛遊びの追従をも、ねむごろにまつはれありきて、心ざしを見えきこえたまへば、いみじう思ひ交はして、けざやかには今も恥ぢきこえたまはず。

御後見どもも、

「何かは、若き御心どちなれば、年ごろ見ならひたまへる御あはひを、にはかにも、いかがはもて離れはしたなめはきこえむ」

と見るに、女君こそ何心なくおはすれど、男は、さこそものげなきほどと見きこゆれ、おほけなく、いかなる御仲らひにかありけむ、よそよそになりては、これをぞ静心なく思ふべき。

まだ片生ひなる手の生ひ先うつくしきにて、書き交はしたまへる文どもの、心幼くて、おのづから落ち散る折あるを、御方の人びとは、ほのぼの知れるもありけれど、「何かは、かくこそ」と、誰にも聞こえむ。見隠しつつあるなるべし。

[第三段 内大臣、大宮邸に参上]

所々の大饗どもも果てて、世の中の御いそぎもなく、のどやかになりぬるころ、時雨うちして、荻の上風もただならぬ夕暮に、大宮の御方に、内大臣参りたまひて、姫君渡しきこえたまひて、御琴など弾かせたてまつりたまふ。宮は、よろづのものの上手におはすれば、いづれも伝へたてまつりたまふ。

「琵琶こそ、女のしたるに憎きやうなれど、らうらうじきものにはべれ。今の世にまことしう伝へたる人、をさをさはべらずなりにたり。何の親王、くれの源氏」

など数へたまひて、

「女の中には、太政大臣の、山里に籠め置きたまへる人こそ、いと上手と聞きはべれ。物の上手の後にはべれど、末になりて、山賤にて年経たる人の、いかでさしも弾きすぐれけむ。かの大臣、いと心ことにこそ思ひてのたまふ折々はべれ。こと事よりは、遊びの方の才はなほ広う合はせ、かれこれに通はしはべるこそ、かしこけれ、独り事にて、上手となりけむこそ、珍しきことなれ」

などのたまひて、宮にそそのかしきこえたまへば、

「柱さすことうひうひしくなりにけりや」

とのたまへど、おもしろう弾きたまふ。

「幸ひにうち添へて、なほあやしうめでたかりける人なりや。老いの世に、持たまへらぬ女子をまうけさせたてまつりて、身に添へてもやつしゐたらず、やむごとなきに譲れる心おきて、こともなかるべき人なりとぞ聞きはべる」

など、かつ御物語聞こえたまふ。

[第四段 弘徽殿女御の失意]

「女はただ心ばせよりこそ、世に用ゐらるるものにはべりけれ」

など、人の上のたまひ出でて、

「女御を、けしうはあらず、何ごとも人に劣りては生ひ出でずかしと思ひたまへしかど、思はぬ人におされぬる宿世になむ、世は思ひのほかなるものと思ひはべりぬる。この君をだに、いかで思ふさまに見なしはべらむ。春宮の御元服、ただ今のことになりぬるをと、人知れず思うたまへ心ざしたるを、かういふ幸ひ人の腹の后がねこそ、また追ひ次ぎぬれ。立ち出でたまへらむに、ましてきしろふ人ありがたくや」

とうち嘆きたまへば、

「などか、さしもあらむ。この家にさる筋の人出でものしたまはで止むやうあらじと、故大臣の思ひたまひて、女御の御ことをも、ゐたちいそぎたまひしものを。おはせましかば、かくもてひがむることもなからまし」

など、この御ことにてぞ、太政大臣をも恨めしげに思ひきこえたまへる。

姫君の御さまの、いときびはにうつくしうて、箏の御琴弾きたまふを、御髪のさがり、髪ざしなどの、あてになまめかしきをうちまもりたまへば、恥ぢらひて、すこしそばみたまへるかたはらめ、つらつきうつくしげにて、取由の手つき、いみじう作りたる物の心地するを、宮も限りなくかなしと思したり。掻きあはせなど弾きすさびたまひて、押しやりたまひつ。

[第五段 夕霧、内大臣と対面]

大臣、和琴ひき寄せたまひて、律の調べのなかなか今めきたるを、さる上手の乱れて掻い弾きたまへる、いとおもしろし。御前の梢ほろほろと残らぬに、老い御達など、ここかしこの御几帳のうしろに、かしらを集へたり。

「風の力蓋し寡し」

と、うち誦じたまひて、

「琴の感ならねど、あやしくものあはれなる夕べかな。なほ、あそばさむや」

とて、「秋風楽」に掻きあはせて、唱歌したまへる声、いとおもしろければ、皆さまざま、大臣をもいとうつくしと思ひきこえたまふに、いとど添へむとにやあらむ、冠者の君参りたまへり。

「こなたに」とて、御几帳隔てて入れたてまつりたまへり。

「をさをさ対面もえ賜はらぬかな。などかく、この御学問のあながちならむ。才のほどよりあまり過ぎぬるもあぢきなきわざと、大臣も思し知れることなるを、かくおきてきこえたまふ、やうあらむとは思ひたまへながら、かう籠もりおはすることなむ、心苦しうはべる」

と聞こえたまひて、

「時々は、ことわざしたまへ。笛の音にも古事は、伝はるものなり」

とて、御笛たてまつりたまふ。

いと若うをかしげなる音に吹きたてて、いみじうおもしろければ、御琴どもをばしばし止めて、大臣、拍子おどろおどろしからずうち鳴らしたまひて、

「萩が花摺り」

など歌ひたまふ。

「大殿も、かやうの御遊びに心止めたまひて、いそがしき御政事どもをば逃れたまふなりけり。げに、あぢきなき世に、心のゆくわざをしてこそ、過ぐしはべりなまほしけれ」

などのたまひて、御土器参りたまふに、暗うなれば、御殿油参り、御湯漬、くだものなど、誰も誰もきこしめす。

姫君はあなたに渡したてまつりたまひつ。しひて気遠くもてなしたまひ、「御琴の音ばかりをも聞かせたてまつらじ」と、今はこよなく隔てきこえたまふを、

「いとほしきことありぬべき世なるこそ」

と、近う仕うまつる大宮の御方のねび人ども、ささめきけり。

[第六段 内大臣、雲居雁の噂を立ち聞く]

大臣出でたまひぬるやうにて、忍びて人にもののたまふとて立ちたまへりけるを、やをらかい細りて出でたまふ道に、かかるささめき言をするに、あやしうなりたまひて、御耳とどめたまへば、わが御うへをぞ言ふ。

「かしこがりたまへど、人の親よ。おのづから、おれたることこそ出で来べかめれ」

「子を知るといふは、虚言なめり」

などぞ、つきしろふ。

「あさましくもあるかな。さればよ。思ひ寄らぬことにはあらねど、いはけなきほどにうちたゆみて。世は憂きものにもありけるかな」

と、けしきをつぶつぶと心得たまへど、音もせで出でたまひぬ。

御前駆追ふ声のいかめしきにぞ、

「殿は、今こそ出でさせたまひけれ」

「いづれの隈におはしましつらむ」

「今さへかかるあだけこそ」

と言ひあへり。ささめき言の人びとは、

「いとかうばしき香のうちそよめき出でつるは、冠者の君のおはしつるとこそ思ひつれ」

「あな、むくつけや。しりう言や、ほの聞こしめしつらむ。わづらはしき御心を」

と、わびあへり。

殿は、道すがら思すに、

「いと口惜しく悪しきことにはあらねど、めづらしげなきあはひに、世人も思ひ言ふべきこと。大臣の、しひて女御をおし沈めたまふもつらきに、わくらばに、人にまさることもやとこそ思ひつれ、ねたくもあるかな」

と思す。殿の御仲の、おほかたには昔も今もいとよくおはしながら、かやうの方にては、挑みきこえたまひし名残も思し出でて、心憂ければ、寝覚がちにて明かしたまふ。

「大宮をも、さやうのけしきには御覧ずらむものを、世になくかなしくしたまふ御孫にて、まかせて見たまふならむ」

と、人びとの言ひしけしきを、ねたしと思すに、御心動きて、すこし男々しくあざやぎたる御心には、静めがたし。

第四章 内大臣家の物語 雲居雁の養育をめぐる物語

[第一段 内大臣、母大宮の養育を恨む]

二日ばかりありて、参りたまへり。しきりに参りたまふ時は、大宮もいと御心ゆき、うれしきものに思いたり。御尼額ひきつくろひ、うるはしき御小袿などたてまつり添へて、子ながら恥づかしげにおはする御人ざまなれば、まほならずぞ見えたてまつりたまふ。

大臣御けしき悪しくて、

「ここにさぶらふもはしたなく、人びといかに見はべらむと、心置かれにたり。はかばかしき身にはべらねど、世にはべらむ限り、御目離れず御覧ぜられ、おぼつかなき隔てなくとこそ思ひたまふれ。

よからぬもののうへにて、恨めしと思ひきこえさせつべきことの出でまうで来たるを、かうも思うたまへじとかつは思ひたまふれど、なほ静めがたくおぼえはべりてなむ」

と、涙おし拭ひたまふに、宮、化粧じたまへる御顔の色違ひて、御目も大きになりぬ。

「いかやうなることにてか、今さらの齢の末に、心置きては思さるらむ」

と聞こえたまふも、さすがにいとほしけれど、

「頼もしき御蔭に、幼き者をたてまつりおきて、みづからをばなかなか幼くより見たまへもつかず、まづ目に近きが、交じらひなどはかばかしからぬを、見たまへ嘆きいとなみつつ、さりとも人となさせたまひてむと頼みわたりはべりつるに、思はずなることのはべりければ、いと口惜しうなむ。

まことに天の下並ぶ人なき有職にはものせらるめれど、親しきほどにかかるは、人の聞き思ふところも、あはつけきやうになむ、何ばかりのほどにもあらぬ仲らひにだにしはべるを、かの人の御ためにも、いとかたはなることなり。さし離れ、きらきらしうめづらしげあるあたりに、今めかしうもてなさるるこそ、をかしけれ。ゆかりむつび、ねぢけがましきさまにて、大臣も聞き思すところはべりなむ。

さるにても、かかることなむと、知らせたまひて、ことさらにもてなし、すこしゆかしげあることをまぜてこそはべらめ。幼き人びとの心にまかせて御覧じ放ちけるを、心憂く思うたまふ」

など聞こえたまふに、夢にも知りたまはぬことなれば、あさましう思して、

「げに、かうのたまふもことわりなれど、かけてもこの人びとの下の心なむ知りはべらざりける。げに、いと口惜しきことは、ここにこそまして嘆くべくはべれ。もろともに罪をおほせたまふは、恨めしきことになむ。

見たてまつりしより、心ことに思ひはべりて、そこに思しいたらぬことをも、すぐれたるさまにもてなさむとこそ、人知れず思ひはべれ。ものげなきほどを、心の闇に惑ひて、急ぎものせむとは思ひ寄らぬことになむ。

さても、誰かはかかることは聞こえけむ。よからぬ世の人の言につきて、きはだけく思しのたまふも、あぢきなく、むなしきことにて、人の御名や汚れむ」

とのたまへば、

「何の、浮きたることにかはべらむ。さぶらふめる人びとも、かつは皆もどき笑ふべかめるものを、いと口惜しく、やすからず思うたまへらるるや」

とて、立ちたまひぬ。

心知れるどちは、いみじういとほしく思ふ。一夜のしりう言の人びとは、まして心地も違ひて、「何にかかる睦物語をしけむ」と、思ひ嘆きあへり。

[第二段 内大臣、乳母らを非難する]

姫君は、何心もなくておはするに、さしのぞきたまへれば、いとらうたげなる御さまを、あはれに見たてまつりたまふ。

「若き人といひながら、心幼くものしたまひけるを知らで、いとかく人なみなみに思ひける我こそ、まさりてはかなかりけれ」

とて、御乳母どもをさいなみたまふに、聞こえむ方なし。

「かやうのことは、限りなき帝の御いつき女も、おのづから過つ例、昔物語にもあめれど、けしきを知り伝ふる人、さるべき隙にてこそあらめ」

「これは、明け暮れ立ちまじりたまひて年ごろおはしましつるを、何かは、いはけなき御ほどを、宮の御もてなしよりさし過ぐしても、隔てきこえさせむと、うちとけて過ぐしきこえつるを、一昨年ばかりよりは、けざやかなる御もてなしになりにてはべるめるに、若き人とても、うち紛ればみ、いかにぞや、世づきたる人もおはすべかめるを、夢に乱れたるところおはしまさざめれば、さらに思ひ寄らざりけること」

と、おのがどち嘆く。

「よし、しばし、かかること漏らさじ。隠れあるまじきことなれど、心をやりて、あらぬこととだに言ひなされよ。今かしこに渡したてまつりてむ。宮の御心のいとつらきなり。そこたちは、さりとも、いとかかれとしも、思はれざりけむ」

とのたまへば、「いとほしきなかにも、うれしくのたまふ」と思ひて、

「あな、いみじや。大納言殿に聞きたまはむことをさへ思ひはべれば、めでたきにても、ただ人の筋は、何のめづらしさにか思ひたまへかけむ」

と聞こゆ。

姫君は、いと幼げなる御さまにて、よろづに申したまへども、かひあるべきにもあらねば、うち泣きたまひて、

「いかにしてか、いたづらになりたまふまじきわざはすべからむ」

と、忍びてさるべきどちのたまひて、大宮をのみぞ恨みきこえたまふ。

[第三段 大宮、内大臣を恨む]

宮は、いといとほしと思すなかにも、男君の御かなしさはすぐれたまふにやあらむ、かかる心のありけるも、うつくしう思さるるに、情けなく、こよなきことのやうに思しのたまへるを、

「などかさしもあるべき。もとよりいたう思ひつきたまふことなくて、かくまでかしづかむとも思し立たざりしを、わがかくもてなしそめたればこそ、春宮の御ことをも思しかけためれ。とりはづして、ただ人の宿世あらば、この君よりほかにまさるべき人やはある。容貌、ありさまよりはじめて、等しき人のあるべきかは。これより及びなからむ際にもとこそ思へ」

と、わが心ざしのまさればにや、大臣を恨めしう思ひきこえたまふ。御心のうちを見せたてまつりたらば、ましていかに恨みきこえたまはむ。

[第四段 大宮、夕霧に忠告]

かく騒がるらむとも知らで、冠者の君参りたまへり。一夜も人目しげうて、思ふことをもえ聞こえずなりにしかば、常よりもあはれにおぼえたまひければ、夕つ方おはしたるなるべし。

宮、例は是非知らず、うち笑みて待ちよろこびきこえたまふを、まめだちて物語など聞こえたまふついでに、

「御ことにより、内大臣の怨じてものしたまひにしかば、いとなむいとほしき。ゆかしげなきことをしも思ひそめたまひて、人にもの思はせたまひつべきが心苦しきこと。かうも聞こえじと思へど、さる心も知りたまはでやと思へばなむ」

と聞こえたまへば、心にかかれることの筋なれば、ふと思ひ寄りぬ。面赤みて、

「何ごとにかはべらむ。静かなる所に籠もりはべりにしのち、ともかくも人に交じる折なければ、恨みたまふべきことはべらじとなむ思ひたまふる」

とて、いと恥づかしと思へるけしきを、あはれに心苦しうて、

「よし。今よりだに用意したまへ」

とばかりにて、異事に言ひなしたまうつ。

第五章 夕霧の物語 幼恋の物語

[第一段 夕霧と雲居雁の恋の煩悶]

「いとど文なども通はむことのかたきなめり」と思ふに、いと嘆かしう、物参りなどしたまへど、さらに参らで、寝たまひぬるやうなれど、心も空にて、人静まるほどに、中障子を引けど、例はことに鎖し固めなどもせぬを、つと鎖して、人の音もせず。いと心細くおぼえて、障子に寄りかかりてゐたまへるに、女君も目を覚まして、風の音の竹に待ちとられて、うちそよめくに、雁の鳴きわたる声の、ほのかに聞こゆるに、幼き心地にも、とかく思し乱るるにや、

「雲居の雁もわがごとや」

と、独りごちたまふけはひ、若うらうたげなり。

いみじう心もとなければ、

「これ、開けさせたまへ。小侍従やさぶらふ」

とのたまへど、音もせず。御乳母子なりけり。独り言を聞きたまひけるも恥づかしうて、あいなく御顔も引き入れたまへど、あはれは知らぬにしもあらぬぞ憎きや。乳母たちなど近く臥して、うちみじろくも苦しければ、かたみに音もせず。

さ夜中に友呼びわたる雁が音にうたて吹き添ふ荻の上風

「身にしみけるかな」と思ひ続けて、宮の御前に帰りて嘆きがちなるも、「御目覚めてや聞かせたまふらむ」とつつましく、みじろき臥したまへり。

あいなくもの恥づかしうて、わが御方にとく出でて、御文書きたまへれど、小侍従もえ逢ひたまはず、かの御方ざまにもえ行かず、胸つぶれておぼえたまふ。

女はた、騒がれたまひしことのみ恥づかしうて、「わが身やいかがあらむ、人やいかが思はむ」とも深く思し入れず、をかしうらうたげにて、うち語らふさまなどを、疎ましとも思ひ離れたまはざりけり。

また、かう騒がるべきこととも思さざりけるを、御後見どももいみじうあはめきこゆれば、え言も通はしたまはず。おとなびたる人や、さるべき隙をも作り出づらむ、男君も、今すこしものはかなき年のほどにて、ただいと口惜しとのみ思ふ。

[第二段 内大臣、弘徽殿女御を退出させる]

大臣は、そのままに参りたまはず、宮をいとつらしと思ひきこえたまふ。北の方には、かかることなむと、けしきも見せたてまつりたまはず、ただおほかた、いとむつかしき御けしきにて、

「中宮のよそほひことにて参りたまへるに、女御の世の中思ひしめりてものしたまふを、心苦しう胸いたきに、まかでさせたてまつりて、心やすくうち休ませたてまつらむ。さすがに、主上につとさぶらはせたまひて、夜昼おはしますめれば、ある人びとも心ゆるびせず、苦しうのみわぶめるに」

とのたまひて、にはかにまかでさせたてまつりたまふ。御暇も許されがたきを、うちむつかりたまて、主上はしぶしぶに思し召したるを、しひて御迎へしたまふ。

「つれづれに思されむを、姫君渡して、もろともに遊びなどしたまへ。宮に預けたてまつりたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよすけたる人立ちまじりて、おのづから気近きも、あいなきほどになりにたればなむ」

と聞こえたまひて、にはかに渡しきこえたまふ。

宮、いとあへなしと思して、

「ひとりものせられし女亡くなりたまひてのち、いとさうざうしく心細かりしに、うれしうこの君を得て、生ける限りのかしづきものと思ひて、明け暮れにつけて、老いのむつかしさも慰めむとこそ思ひつれ、思ひのほかに隔てありて思しなすも、つらく」

など聞こえたまへば、うちかしこまりて、

「心に飽かず思うたまへらるることは、しかなむ思うたまへらるるとばかり聞こえさせしになむ。深く隔て思ひたまふることは、いかでかはべらむ。

内裏にさぶらふが、世の中恨めしげにて、このころまかでてはべるに、いとつれづれに思ひて屈しはべれば、心苦しう見たまふるを、もろともに遊びわざをもして慰めよと思うたまへてなむ、あからさまにものしはべる」とて、「育み、人となさせたまへるを、おろかにはよも思ひきこえさせじ」

と申したまへば、かう思し立ちにたれば、止めきこえさせたまふとも、思し返すべき御心ならぬに、いと飽かず口惜しう思されて、

「人の心こそ憂きものはあれ。とかく幼き心どもにも、われに隔てて疎ましかりけることよ。また、さもこそあらめ、大臣の、ものの心を深う知りたまひながら、われを怨じて、かく率て渡したまふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」

と、うち泣きつつのたまふ。

[第三段 夕霧、大宮邸に参上]

折しも冠者の君参りたまへり。「もしいささかの隙もや」と、このころはしげうほのめきたまふなりけり。内大臣の御車のあれば、心の鬼にはしたなくて、やをら隠れて、わが御方に入りゐたまへり。

内大殿の君達、左少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などいふも、皆ここには参り集ひたれど、御簾の内は許したまはず。

左兵衛督、権中納言なども、異御腹なれど、故殿の御もてなしのままに、今も参り仕うまつりたまふことねむごろなれば、その御子どももさまざま参りたまへど、この君に似るにほひなく見ゆ。

大宮の御心ざしも、なずらひなく思したるを、ただこの姫君をぞ、気近うらうたきものと思しかしづきて、御かたはらさけず、うつくしきものに思したりつるを、かくて渡りたまひなむが、いとさうざうしきことを思す。

殿は、

「今のほどに、内裏に参りはべりて、夕つ方迎へに参りはべらむ」

とて、出でたまひぬ。

「いふかひなきことを、なだらかに言ひなして、さてもやあらまし」と思せど、なほ、いと心やましければ、「人の御ほどのすこしものものしくなりなむに、かたはならず見なして、そのほど、心ざしの深さ浅さのおもむきをも見定めて、許すとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ。制し諌むとも、一所にては、幼き心のままに、見苦しうこそあらめ。宮も、よもあながちに制したまふことあらじ」

と思せば、女御の御つれづれにことつけて、ここにもかしこにもおいらかに言ひなして、渡したまふなりけり。

[第四段 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬]

宮の御文にて、

「大臣こそ、恨みもしたまはめ、君は、さりとも心ざしのほども知りたまふらむ。渡りて見えたまへ」

と聞こえたまへれば、いとをかしげにひきつくろひて渡りたまへり。十四になむおはしける。かたなりに見えたまへど、いと子めかしう、しめやかに、うつくしきさましたまへり。

「かたはらさけたてまつらず、明け暮れのもてあそびものに思ひきこえつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残りすくなき齢のほどにて、御ありさまを見果つまじきことと、命をこそ思ひつれ、今さらに見捨てて移ろひたまふや、いづちならむと思へば、いとこそあはれなれ」

とて泣きたまふ。姫君は、恥づかしきことを思せば、顔ももたげたまはで、ただ泣きにのみ泣きたまふ。男君の御乳母、宰相の君出で来て、

「同じ君とこそ頼みきこえさせつれ、口惜しくかく渡らせたまふこと。殿はことざまに思しなることおはしますとも、さやうに思しなびかせたまふな」

など、ささめき聞こゆれば、いよいよ恥づかしと思して、物ものたまはず。

「いで、むつかしきことな聞こえられそ。人の御宿世宿世、いと定めがたく」

とのたまふ。

「いでや、ものげなしとあなづりきこえさせたまふにはべるめりかし。さりとも、げに、わが君人に劣りきこえさせたまふと、聞こしめし合はせよ」

と、なま心やましきままに言ふ。

冠者の君、物のうしろに入りゐて見たまふに、人の咎めむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おし拭ひつつおはするけしきを、御乳母、いと心苦しう見て、宮にとかく聞こえたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面せさせたまへり。

かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、物も言はで泣きたまふ。

「大臣の御心のいとつらければ、さはれ、思ひやみなむと思へど、恋しうおはせむこそわりなかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日ごろ、よそに隔てつらむ」

とのたまふさまも、いと若うあはれげなれば、

「まろも、さこそはあらめ」

とのたまふ。

「恋しとは思しなむや」

とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも、幼げなり。

[第五段 乳母、夕霧の六位を蔑む]

御殿油参り、殿まかでたまふけはひ、こちたく追ひののしる御前駆の声に、人びと、

「そそや」

など懼ぢ騒げば、いと恐ろしと思してわななきたまふ。さも騒がればと、ひたぶる心に、許しきこえたまはず。御乳母参りてもとめたてまつるに、けしきを見て、

「あな、心づきなや。げに、宮知らせたまはぬことにはあらざりけり」

と思ふに、いとつらく、

「いでや、憂かりける世かな。殿の思しのたまふことは、さらにも聞こえず、大納言殿にもいかに聞かせたまはむ。めでたくとも、もののはじめの六位宿世よ」

と、つぶやくもほの聞こゆ。ただこの屏風のうしろに尋ね来て、嘆くなりけり。

男君、「我をば位なしとて、はしたなむるなりけり」と思すに、世の中恨めしければ、あはれもすこしさむる心地して、めざまし。

「かれ聞きたまへ。

くれなゐの涙に深き袖の色を浅緑にや言ひしをるべき

恥づかし」

とのたまへば、

いろいろに身の憂きほどの知らるるはいかに染めける中の衣ぞ

と、物のたまひ果てぬに、殿入りたまへば、わりなくて渡りたまひぬ。

男君は、立ちとまりたる心地も、いと人悪く、胸ふたがりて、わが御方に臥したまひぬ。

御車三つばかりにて、忍びやかに急ぎ出でたまふけはひを聞くも、静心なければ、宮の御前より、「参りたまへ」とあれど、寝たるやうにて動きもしたまはず。

涙のみ止まらねば、嘆きあかして、霜のいと白きに急ぎ出でたまふ。うちはれたるまみも、人に見えむが恥づかしきに、宮はた、召しまつはすべかめれば、心やすき所にとて、急ぎ出でたまふなりけり。

道のほど、人やりならず、心細く思ひ続くるに、空のけしきもいたう雲りて、まだ暗かりけり。

霜氷うたてむすべる明けぐれの空かきくらし降る涙かな

第六章 夕霧の物語 五節舞姫への恋

[第一段 惟光の娘、五節舞姫となる]

大殿には、今年、五節たてまつりたまふ。何ばかりの御いそぎならねど、童女の装束など、近うなりぬとて、急ぎせさせたまふ。

東の院には、参りの夜の人びとの装束せさせたまふ。殿には、おほかたのことども、中宮よりも、童、下仕への料など、えならでたてまつれたまへり。

過ぎにし年、五節など止まれりしが、さうざうしかりし積もり取り添へ、上人の心地も、常よりもはなやかに思ふべかめる年なれば、所々挑みて、いといみじくよろづを尽くしたまふ聞こえあり。

按察使大納言、左衛門督、上の五節には、良清、今は近江守にて左中弁なるなむ、たてまつりける。皆止めさせたまひて、宮仕へすべく、仰せ言ことなる年なれば、女をおのおのたてまつりたまふ。

殿の舞姫は、惟光朝臣の、津守にて左京大夫かけたるが女、容貌などいとをかしげなる聞こえあるを召す。からいことに思ひたれど、

「大納言の、外腹の女をたてまつらるなるに、朝臣のいつき女出だし立てたらむ、何の恥かあるべき」

と苛めば、わびて、同じくは宮仕へやがてせさすべく思ひおきてたり。

舞習はしなどは、里にていとよう仕立てて、かしづきなど、親しう身に添ふべきは、いみじう選り整へて、その日の夕つけて参らせたり。

殿にも、御方々の童女、下仕へのすぐれたるをと、御覧じ比べ、選り出でらるる心地どもは、ほどほどにつけて、いとおもだたしげなり。

御前に召して御覧ぜむうちならしに、御前を渡らせてと定めたまふ。捨つべうもあらず、とりどりなる童女の様体、容貌を思しわづらひて、

「今一所の料を、これよりたてまつらばや」

など笑ひたまふ。ただもてなし用意によりてぞ選びに入りける。

[第二段 夕霧、五節舞姫を恋慕]

大学の君、胸のみふたがりて、物なども見入れられず、屈じいたくて、書も読まで眺め臥したまへるを、心もや慰むと立ち出でて、紛れありきたまふ。

さま、容貌はめでたくをかしげにて、静やかになまめいたまへれば、若き女房などは、いとをかしと見たてまつる。

上の御方には、御簾の前にだに、もの近うももてなしたまはず。わが御心ならひ、いかに思すにかありけむ、疎々しければ、御達なども気遠きを、今日はものの紛れに、入り立ちたまへるなめり。

舞姫かしづき下ろして、妻戸の間に屏風など立てて、かりそめのしつらひなるに、やをら寄りてのぞきたまへば、悩ましげにて添ひ臥したり。

ただ、かの人の御ほどと見えて、今すこしそびやかに、様体などのことさらび、をかしきところはまさりてさへ見ゆ。暗ければ、こまかには見えねど、ほどのいとよく思ひ出でらるるさまに、心移るとはなけれど、ただにもあらで、衣の裾を引き鳴らいたまふに、何心もなく、あやしと思ふに、

天にます豊岡姫の宮人もわが心ざすしめを忘るな

乙女子が袖振る山の瑞垣の」

とのたまふぞ、うちつけなりける。

若うをかしき声なれど、誰ともえ思ひたどられず、なまむつかしきに、化粧じ添ふとて、騷ぎつる後見ども、近う寄りて人騒がしうなれば、いと口惜しうて、立ち去りたまひぬ。

[第三段 宮中における五節の儀]

浅葱の心やましければ、内裏へ参ることもせず、もの憂がりたまふを、五節にことつけて、直衣など、さま変はれる色聴されて参りたまふ。きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、されありきたまふ。帝よりはじめたてまつりて、思したるさまなべてならず、世にめづらしき御おぼえなり。

五節の参る儀式は、いづれともなく、心々に二なくしたまへるを、「舞姫の容貌、大殿と大納言とはすぐれたり」とめでののしる。げに、いとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿のには、え及ぶまじかりけり。

ものきよげに今めきて、そのものとも見ゆまじう仕立てたる様体などの、ありがたうをかしげなるを、かう誉めらるるなめり。例の舞姫どもよりは、皆すこしおとなびつつ、げに心ことなる年なり。

殿参りたまひて御覧ずるに、昔御目とまりたまひし少女の姿思し出づ。辰の日の暮つ方つかはす。御文のうち思ひやるべし。

乙女子も神さびぬらし天つ袖古き世の友よはひ経ぬれば

年月の積もりを数へて、うち思しけるままのあはれを、え忍びたまはぬばかりの、をかしうおぼゆるも、はかなしや。

かけて言へば今日のこととぞ思ほゆる日蔭の霜の袖にとけしも

青摺りの紙よくとりあへて、紛らはし書いたる、濃墨、薄墨、草がちにうち交ぜ乱れたるも、人のほどにつけてはをかしと御覧ず。

冠者の君も、人の目とまるにつけても、人知れず思ひありきたまへど、あたり近くだに寄せず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの心には、嘆かしうてやみぬ。容貌はしも、いと心につきて、つらき人の慰めにも、見るわざしてむやと思ふ。

[第四段 夕霧、舞姫の弟に恋文を託す]

やがて皆とめさせたまひて、宮仕へすべき御けしきありけれど、このたびはまかでさせて、近江のは辛崎の祓へ、津の守は難波と、挑みてまかでぬ。大納言もことさらに参らすべきよし奏せさせたまふ。左衛門督、その人ならぬをたてまつりて、咎めありけれど、それもとどめさせたまふ。

津の守は、「典侍あきたるに」と申させたれば、「さもや労らまし」と大殿も思いたるを、かの人は聞きたまひて、いと口惜しと思ふ。

「わが年のほど、位など、かくものげなからずは、乞ひ見てましものを。思ふ心ありとだに知られでやみなむこと」

と、わざとのことにはあらねど、うち添へて涙ぐまるる折々あり。

兄弟の童殿上する、常にこの君に参り仕うまつるを、例よりもなつかしう語らひたまひて、

「五節はいつか内裏へ参る」

と問ひたまふ。

「今年とこそは聞きはべれ」

と聞こゆ。

「顔のいとよかりしかば、すずろにこそ恋しけれ。ましが常に見るらむも羨ましきを、また見せてむや」

とのたまへば、

「いかでかさははべらむ。心にまかせてもえ見はべらず。男兄弟とて、近くも寄せはべらねば、まして、いかでか君達には御覧ぜさせむ」

と聞こゆ。

「さらば、文をだに」

とて賜へり。「先々かやうのことは言ふものを」と苦しけれど、せめて賜へば、いとほしうて持て往ぬ。

年のほどよりは、されてやありけむ、をかしと見けり。緑の薄様の、好ましき重ねなるに、手はまだいと若けれど、生ひ先見えて、いとをかしげに、

日影にもしるかりけめや少女子が天の羽袖にかけし心は

二人見るほどに、父主ふと寄り来たり。恐ろしうあきれて、え引き隠さず。

「なぞの文ぞ」

とて取るに、面赤みてゐたり。

「よからぬわざしけり」

と憎めば、せうと逃げて行くを、呼び寄せて、

「誰がぞ」

と問へば、

「殿の冠者の君の、しかしかのたまうて賜へる」

と言へば、名残なくうち笑みて、

「いかにうつくしき君の御され心なり。きむぢらは、同じ年なれど、いふかひなくはかなかめりかし」

など誉めて、母君にも見す。

「この君達の、すこし人数に思しぬべからましかば、宮仕へよりは、たてまつりてまし。殿の御心おきて見るに、見そめたまひてむ人を、御心とは忘れたまふまじきとこそ、いと頼もしけれ。明石の入道の例にやならまし」

など言へど、皆急ぎ立ちにたり。

[第五段 花散里、夕霧の母代となる]

かの人は、文をだにえやりたまはず、立ちまさる方のことし心にかかりて、ほど経るままに、わりなく恋しき面影にまたあひ見でやと思ふよりほかのことなし。宮の御もとへ、あいなく心憂くて参りたまはず。おはせしかた、年ごろ遊び馴れし所のみ、思ひ出でらるることまされば、里さへ憂くおぼえたまひつつ、また籠もりゐたまへり。

殿は、この西の対にぞ、聞こえ預けたてまつりたまひける。

「大宮の御世の残り少なげなるを、おはせずなりなむのちも、かく幼きほどより見ならして、後見おぼせ」

と聞こえたまへば、ただのたまふままの御心にて、なつかしうあはれに思ひ扱ひたてまつりたまふ。

ほのかになど見たてまつるにも、

「容貌のまほならずもおはしけるかな。かかる人をも、人は思ひ捨てたまはざりけり」など、「わが、あながちに、つらき人の御容貌を心にかけて恋しと思ふもあぢきなしや。心ばへのかやうにやはらかならむ人をこそあひ思はめ」

と思ふ。また、

「向ひて見るかひなからむもいとほしげなり。かくて年経たまひにけれど、殿の、さやうなる御容貌、御心と見たまうて、浜木綿ばかりの隔てさし隠しつつ、何くれともてなし紛らはしたまふめるも、むべなりけり」

と思ふ心のうちぞ、恥づかしかりける。

大宮の容貌ことにおはしませど、まだいときよらにおはし、ここにもかしこにも、人は容貌よきものとのみ目馴れたまへるを、もとよりすぐれざりける御容貌の、ややさだ過ぎたる心地して、痩せ痩せに御髪少ななるなどが、かくそしらはしきなりけり。

[第六段 歳末、夕霧の衣装を準備]

年の暮には、睦月の御装束など、宮はただ、この君一所の御ことを、まじることなういそぎたまふ。あまた領、いときよらに仕立てたまへるを見るも、もの憂くのみおぼゆれば、

「朔日などには、かならずしも内裏へ参るまじう思ひたまふるに、何にかくいそがせたまふらむ」

と聞こえたまへば、

「などてか、さもあらむ。老いくづほれたらむ人のやうにものたまふかな」

とのたまへば、

「老いねど、くづほれたる心地ぞするや」

と独りごちて、うち涙ぐみてゐたまへり。

「かのことを思ふならむ」と、いと心苦しうて、宮もうちひそみたまひぬ。

「男は、口惜しき際の人だに、心を高うこそつかふなれ。あまりしめやかに、かくなものしたまひそ。何とか、かう眺めがちに思ひ入れたまふべき。ゆゆしう」

とのたまふも、

「何かは。六位など人のあなづりはべるめれば、しばしのこととは思うたまふれど、内裏へ参るももの憂くてなむ。故大臣おはしまさましかば、戯れにても、人にはあなづられはべらざらまし。もの隔てぬ親におはすれど、いとけけしうさし放ちて思いたれば、おはしますあたりに、たやすくも参り馴れはべらず。東の院にてのみなむ、御前近くはべる。対の御方こそ、あはれにものしたまへ、親今一所おはしまさましかば、何ごとを思ひはべらまし」

とて、涙の落つるを紛らはいたまへるけしき、いみじうあはれなるに、宮は、いとどほろほろと泣きたまひて、

「母にも後るる人は、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづから宿世宿世に、人と成りたちぬれば、おろかに思ふもなきわざなるを、思ひ入れぬさまにてものしたまへ。故大臣の今しばしだにものしたまへかし。限りなき蔭には、同じことと頼みきこゆれど、思ふにかなはぬことの多かるかな。内大臣の心ばへも、なべての人にはあらずと、世人もめで言ふなれど、昔に変はることのみまさりゆくに、命長さも恨めしきに、生ひ先遠き人さへ、かくいささかにても、世を思ひしめりたまへれば、いとなむよろづ恨めしき世なる」

とて、泣きおはします。

第七章 光る源氏の物語 六条院造営

[第一段 二月二十日過ぎ、朱雀院へ行幸]

朔日にも、大殿は御ありきしなければ、のどやかにておはします。良房の大臣と聞こえける、いにしへの例になずらへて、白馬ひき、節会の日、内裏の儀式をうつして、昔の例よりも事添へて、いつかしき御ありさまなり。

如月の二十日あまり、朱雀院に行幸あり。花盛りはまだしきほどなれど、弥生は故宮の御忌月なり。とく開けたる桜の色もいとおもしろければ、院にも御用意ことにつくろひ磨かせたまひ、行幸に仕うまつりたまふ上達部、親王たちよりはじめ、心づかひしたまへり。

人びとみな、青色に、桜襲を着たまふ。帝は、赤色の御衣たてまつれり。召しありて、太政大臣参りたまふ。おなじ赤色を着たまへれば、いよいよひとつものとかかやきて見えまがはせたまふ。人びとの装束、用意、常にことなり。院も、いときよらにねびまさらせたまひて、御さまの用意、なまめきたる方に進ませたまへり。

今日は、わざとの文人も召さず、ただその才かしこしと聞こえたる学生十人を召す。式部の司の試みの題をなずらへて、御題賜ふ。大殿の太郎君の試みたまふべきなめり。臆だかき者どもは、ものもおぼえず、繋がぬ舟に乗りて池に放れ出でて、いと術なげなり。

日やうやうくだりて、楽の舟ども漕ぎまひて、調子ども奏するほどの、山風の響きおもしろく吹きあはせたるに、冠者の君は、

「かう苦しき道ならでも交じらひ遊びぬべきものを」

と、世の中恨めしうおぼえたまひけり。

「春鴬囀」舞ふほどに、昔の花の宴のほど思し出でて、院の帝も、

「また、さばかりのこと見てむや」

とのたまはするにつけて、その世のことあはれに思し続けらる。舞ひ果つるほどに、大臣、院に御土器参りたまふ。

鴬のさへづる声は昔にて睦れし花の蔭ぞ変はれる

院の上、

九重を霞隔つるすみかにも春と告げくる鴬の声

帥の宮と聞こえし、今は兵部卿にて、今の上に御土器参りたまふ。

いにしへを吹き伝へたる笛竹にさへづる鳥の音さへ変はらぬ

あざやかに奏しなしたまへる、用意ことにめでたし。取らせたまひて、

鴬の昔を恋ひてさへづるは木伝ふ花の色やあせたる

とのたまはする御ありさま、こよなくゆゑゆゑしくおはします。これは御私ざまに、うちうちのことなれば、あまたにも流れずやなりにけむ、また書き落してけるにやあらむ。

楽所遠くておぼつかなければ、御前に御琴ども召す。兵部卿宮、琵琶。内大臣、和琴。箏の御琴、院の御前に参りて、琴は、例の太政大臣に賜はりたまふ。せめきこえたまふ。さるいみじき上手のすぐれたる御手づかひどもの、尽くしたまへる音は、たとへむかたなし。唱歌の殿上人あまたさぶらふ。「安名尊」遊びて、次に「桜人」。月おぼろにさし出でてをかしきほどに、中島のわたりに、ここかしこ篝火ども灯して、大御遊びはやみぬ。

[第二段 弘徽殿大后を見舞う]

夜更けぬれど、かかるついでに、大后の宮おはします方を、よきて訪らひきこえさせたまはざらむも、情けなければ、帰さに渡らせたまふ。大臣もろともにさぶらひたまふ。

后待ち喜びたまひて、御対面あり。いといたうさだ過ぎたまひにける御けはひにも、故宮を思ひ出できこえたまひて、「かく長くおはしますたぐひもおはしけるものを」と、口惜しう思ほす。

「今はかく古りぬる齢に、よろづのこと忘られはべりにけるを、いとかたじけなく渡りおはしまいたるになむ、さらに昔の御世のこと思ひ出でられはべる」

と、うち泣きたまふ。

「さるべき御蔭どもに後れはべりてのち、春のけぢめも思うたまへわかれぬを、今日なむ慰めはべりぬる。またまたも」

と聞こえたまふ。大臣もさるべきさまに聞こえて、

「ことさらにさぶらひてなむ」

と聞こえたまふ。のどやかならで帰らせたまふ響きにも、后は、なほ胸うち騒ぎて、

「いかに思し出づらむ。世をたもちたまふべき御宿世は、消たれぬものにこそ」

と、いにしへを悔い思す。

尚侍の君も、のどやかに思し出づるに、あはれなること多かり。今もさるべき折、風のつてにもほのめききこえたまふこと絶えざるべし。

后は、朝廷に奏せさせたまふことある時々ぞ、御たうばりの年官年爵、何くれのことに触れつつ、御心にかなはぬ時ぞ、「命長くてかかる世の末を見ること」と、取り返さまほしう、よろづ思しむつかりける。

老いもておはするままに、さがなさもまさりて、院もくらべ苦しう、たとへがたくぞ思ひきこえたまひける。

かくて、大学の君、その日の文うつくしう作りたまひて、進士になりたまひぬ。年積もれるかしこき者どもを選らばせたまひしかど、及第の人、わづかに三人なむありける。

秋の司召に、かうぶり得て、侍従になりたまひぬ。かの人の御こと、忘るる世なけれど、大臣の切にまもりきこえたまふもつらければ、わりなくてなども対面したまはず。御消息ばかり、さりぬべきたよりに聞こえたまひて、かたみに心苦しき御仲なり。

[第三段 源氏、六条院造営を企図す]

大殿、静かなる御住まひを、同じくは広く見どころありて、ここかしこにておぼつかなき山里人などをも、集へ住ませむの御心にて、六条京極のわたりに、中宮の御古き宮のほとりを、四町をこめて造らせたまふ。

式部卿宮、明けむ年ぞ五十になりたまひける御賀のこと、対の上思しまうくるに、大臣も、「げに、過ぐしがたきことどもなり」と思して、「さやうの御いそぎも、同じくめづらしからむ御家居にて」と、いそがせたまふ。

年返りて、ましてこの御いそぎのこと、御としみのこと、楽人、舞人の定めなどを、御心に入れていとなみたまふ。経、仏、法事の日の装束、禄などをなむ、上はいそがせたまひける。

東の院に、分けてしたまふことどもあり。御なからひ、ましていとみやびかに聞こえ交はしてなむ、過ぐしたまひける。

世の中響きゆすれる御いそぎなるを、式部卿宮にも聞こしめして、

「年ごろ、世の中にはあまねき御心なれど、このわたりをばあやにくに情けなく、事に触れてはしたなめ、宮人をも御用意なく、愁はしきことのみ多かるに、つらしと思ひ置きたまふことこそはありけめ」

と、いとほしくもからくも思しけるを、かくあまたかかづらひたまへる人びと多かるなかに、取りわきたる御思ひすぐれて、世に心にくくめでたきことに、思ひかしづかれたまへる御宿世をぞ、わが家まではにほひ来ねど、面目に思すに、また、

「かくこの世にあまるまで、響かし営みたまふは、おぼえぬ齢の末の栄えにもあるべきかな」

と喜びたまふを、北の方は、「心ゆかず、ものし」とのみ思したり。女御、御まじらひのほどなどにも、大臣の御用意なきやうなるを、いよいよ恨めしと思ひしみたまへるなるべし。

[第四段 秋八月に六条院完成]

八月にぞ、六条院造り果てて渡りたまふ。未申の町は、中宮の御古宮なれば、やがておはしますべし。辰巳は、殿のおはすべき町なり。丑寅は、東の院に住みたまふ対の御方、戌亥の町は、明石の御方と思しおきてさせたまへり。もとありける池山をも、便なき所なるをば崩し変へて、水の趣き、山のおきてを改めて、さまざまに、御方々の御願ひの心ばへを造らせたまへり。

南の東は、山高く、春の花の木、数を尽くして植ゑ、池のさまおもしろくすぐれて、御前近き前栽、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などやうの、春のもてあそびをわざとは植ゑで、秋の前栽をば、むらむらほのかに混ぜたり。

中宮の御町をば、もとの山に、紅葉の色濃かるべき植木どもを添へて、泉の水遠く澄ましやり、水の音まさるべき巌立て加へ、滝落として、秋の野をはるかに作りたる、そのころにあひて、盛りに咲き乱れたり。嵯峨の大堰のわたりの野山、無徳にけおされたる秋なり。

北の東は、涼しげなる泉ありて、夏の蔭によれり。前近き前栽、呉竹、下風涼しかるべく、木高き森のやうなる木ども木深くおもしろく、山里めきて、卯の花の垣根ことさらにしわたして、昔おぼゆる花橘、撫子、薔薇、苦丹などやうの花、草々を植ゑて、春秋の木草、そのなかにうち混ぜたり。東面は、分けて馬場の御殿作り、埒結ひて、五月の御遊び所にて、水のほとりに菖蒲植ゑ茂らせて、向かひに御厩して、世になき上馬どもをととのへ立てさせたまへり。

西の町は、北面築き分けて、御倉町なり。隔ての垣に松の木茂く、雪をもてあそばむたよりによせたり。冬のはじめの朝、霜むすぶべき菊の籬、われは顔なる柞原、をさをさ名も知らぬ深山木どもの、木深きなどを移し植ゑたり。

[第五段 秋の彼岸の頃に引っ越し始まる]

彼岸のころほひ渡りたまふ。ひとたびにと定めさせたまひしかど、騒がしきやうなりとて、中宮はすこし延べさせたまふ。例のおいらかにけしきばまぬ花散里ぞ、その夜、添ひて移ろひたまふ。

春の御しつらひは、このころに合はねど、いと心ことなり。御車十五、御前四位五位がちにて、六位殿上人などは、さるべき限りを選らせたまへり。こちたきほどにはあらず、世のそしりもやと省きたまへれば、何事もおどろおどろしういかめしきことはなし。

今一方の御けしきも、をさをさ落としたまはで、侍従君添ひて、そなたはもてかしづきたまへば、げにかうもあるべきことなりけりと見えたり。

女房の曹司町ども、当て当てのこまけぞ、おほかたのことよりもめでたかりける。

五、六日過ぎて、中宮まかでさせたまふ。この御けしきはた、さは言へど、いと所狭し。御幸ひのすぐれたまへりけるをばさるものにて、御ありさまの心にくく重りかにおはしませば、世に重く思はれたまへること、すぐれてなむおはしましける。

この町々の中の隔てには、塀ども廊などを、とかく行き通はして、気近くをかしきあはひにしなしたまへり。

[第六段 九月、中宮と紫の上和歌を贈答]

長月になれば、紅葉むらむら色づきて、宮の御前えも言はずおもしろし。風うち吹きたる夕暮に、御箱の蓋に、色々の花紅葉をこき混ぜて、こなたにたてまつらせたまへり。

大きやかなる童女の、濃き衵、紫苑の織物重ねて、赤朽葉の羅の汗衫、いといたうなれて、廊、渡殿の反橋を渡りて参る。うるはしき儀式なれど、童女のをかしきをなむ、え思し捨てざりける。さる所にさぶらひなれたれば、もてなし、ありさま、他のには似ず、このましうをかし。御消息には、

心から春まつ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ

若き人びと、御使もてはやすさまどもをかし。

御返りは、この御箱の蓋に苔敷き、巌などの心ばへして、五葉の枝に、

風に散る紅葉は軽し春の色を岩根の松にかけてこそ見め

この岩根の松も、こまかに見れば、えならぬ作りごとどもなりけり。とりあへず思ひ寄りたまひつるゆゑゆゑしさなどを、をかしく御覧ず。御前なる人びともめであへり。大臣、

「この紅葉の御消息、いとねたげなめり。春の花盛りに、この御応へは聞こえたまへ。このころ紅葉を言ひ朽さむは、龍田姫の思はむこともあるを、さし退きて、花の蔭に立ち隠れてこそ、強きことは出で来め」

と聞こえたまふも、いと若やかに尽きせぬ御ありさまの見どころ多かるに、いとど思ふやうなる御住まひにて、聞こえ通はしたまふ。

大堰の御方は、「かう方々の御移ろひ定まりて、数ならぬ人は、いつとなく紛らはさむ」と思して、神無月になむ渡りたまひける。御しつらひ、ことのありさま劣らずして、渡したてまつりたまふ。姫君の御ためを思せば、おほかたの作法も、けぢめこよなからず、いとものものしくもてなさせたまへり。