メイカーズ 第一部, コリイ・ドクトロウ

第十二章


彼女が再び彼の姿を目にしたのはバラック街と工房に続く道を彼が車で走ってきた時のことだった。彼女はバラック街を見下ろす螺旋状の塔の上に作られた喫茶室でお茶を飲んでいるところだった。その店を経営しているのはトレンスという名の女性だった。かなりの年寄りだったが弱々しさとは無縁の老婦人で地上の荷物置き場から荷を運び上げるために給仕用エレベーターのロープを操る時には腕にまるでポパイのような力こぶが浮きでた。トレンス婦人はかつて男だったのだとか、いまでも体は男なのだといった噂があったがスザンヌは特にそれに関心を払っていなかった。

レスターは笑顔で通りに降り立つと何度か飛び跳ねた。ペリーが彼を待っていたのは明らかだった。彼はバラック街を駆け抜け、車道を勢い良く走ってレスターに向かって体を投げ出すと声を上げながら熱烈な抱擁を浴びせかけた。少し遅れてフランシスが不自由な足取りで現れるとかしこまった調子で握手をした。デトロイトで彼に会った時のことを彼女はブログに書いていなかったからフランシスとペリーがレスターの変身のことを知っていたとしたらそれは彼女以外のルートからだった。

彼女はトレンス婦人の見張り台から帰還の様子を撮影すると笑顔の老婦人に支払いを済ませ、一段とばしに階段を駆け下りてレスターと彼に群がる人々のもとへと急いだ。

レスターは快く彼女の抱擁を受け入れたがどこかよそよそしく、彼女がそうするよりほんの少しはやく体を離した。彼女はそれを気にしない様にした。すぐに彼は人々の群れに飲み込まれた。人の輪の最も内側にいるのはフランシスの弟子のプリンター技術者たちで、レスターは彼らに自分の変身について詳しく話していた。その様子はまるでC3POの話に夢中になる部屋いっぱいのイウォークの群れのようだった。

「すげえ、俺たちでそいつを売りだせないかな?」ジェイソンが言った。彼は自分たちの3Dプリンタープロジェクトのビジネスに真剣だった。

「競合が多すぎる」レスターが答える。「アメリカにもこの治療方法用のバスタブを作る生産ラインを持っている工場が既に十以上あるんだ。東欧にはそれこそ何百とある。俺たちが市場に参入するころには儲けは残されていないさ。金をかけずに簡単に痩せられるようになるだろう。まったく、必要なのは覚せい剤の製造所を作るのに必要なものと同じものなんだ。カタログに載ってるキットを買えば全部こと足りる」

ジェイソンは頷いたが納得はしていないようだった。

彼女はレスターの帰還を彼の変身について書く契機だと思っていた。彼の写真をさらに何枚か撮り、動画も撮った。彼は自分が受けた治療について十分ほど説明をし、治療の価格はハリウッドの減量センターで数週間過ごすよりずっと安いし効果もずっと高いと告げた。

反応は驚異的だった。巨大なマイアミ地域の全てのテレビクルーがはるばる工場を訪れ、体にフィットしたTシャツを来たレスターが3Dプリンターをいじる様子や太陽の下で巨大な張り詰めた二頭筋に玉のような汗を流しながらエポキシ樹脂の入った巨大な容器と格闘する様子を撮影した。

彼女のメッセージボードは爆発状態だった。思いがけず増えた彼女の読者の大半が肥満の人間のようだった。彼らは友人を得たのだ。レスターは仕事に集中するために次第に投稿をしなくなっていった。プリンターは新しいプリンターを印刷できる段階に来ていたがシステム全体が気まぐれで注意深く面倒を見てやる必要があった。レスターはメッセージボードでふとっちょたちとおしゃべりするよりもエンジニアリング面でのコメントに関心を寄せていった。

ふとっちょの人たちは疑い半分、希望半分だった。いったい何が起きたのか、レスターは痩せた状態を維持できるのか、新しく現れた痩せたレスターは本当にレスターなのか、彼は外科手術かあるいは胃のクリップ処置をおこなったのではないか、大論争が繰り広げられた。アメリカ人はこれまで肥満を「治療する」と称する大勢のいんちき商人に財布の中身をさらわれてきたせいで心底それを求めているにもかかわらず誰も自分が目にしたものを信じることができなくなっていたのだ。

だがおもいがけずそれはもたらされたのだ。広告費のことを言う必要はないだろう。英語圏の裕福な肥満の人間をターゲットにしたダイエット広告の千回の表示あたりの決済価格は五十ドルを超える。彼女の普段の広告価格は千回の表示あたり三ドルだ。一週間も経たずに彼女は自動車が買えるほどの広告収入を得た。出版部門と広告営業部門を自分で兼ねるというのはなかなか風変わりなことだったが彼女が心配していたほどには困難なことではなかった……そして自分の制作物をとりまくエコノミー全体を完全に理解するということは彼女に強い満足感を与えた。

「あそこに行くべきだ」彼女の収益のスプレッドシートをレスターにクリックして見せてる時に彼は彼女にそう言った。「まったく 。こいつは正気の沙汰じゃない。あのふとっちょたちは今じゃネット中で俺を追いかけまわしている。エンジニアリングについてのメッセージボードでも俺に質問してくるんだぜ? ボードの管理人たちは俺に別の名前で投稿するように頼んでくる始末だ。ご婦人、あなたの聴衆がやっているのですよ。サンクトペテルブルクでは君の技術を緊急に必要としている。行くんだ。地下鉄の駅にはシャンデリアが下がっているし、いつでもキャビアが用意されている。ブリニだって食べ放題だ。熊肉のステーキもあるぞ」

彼女は頭を振って彼が持ってきてくれたお茶をすすった。「冗談でしょう。マフィアの巣窟だわ。恐ろしい。それに私は今の仕事に夢中なの。ニューワークにね」

「ニューワークはどこにも逃げやしない、スザンヌ。戻ってくれば俺たちはいつだってここにいる。こいつは君が見ておく必要のあるものなんだ。あいつらはポスト工業化時代の問題を解決しようとしているマイクロ起業家たちだ。君がここで取材しているのと同じねたなんだよ。違うのは光の当て方だけだ。この金を使ってサンクトペテルブルク行きのビジネスクラスのチケットを買うんだ。二、三週間こいつを取材してみろよ。大儲けできるぜ。あいつらの宣伝にもなる……誰かが行ってどの病院がまともで、どの病院がぼったくりなのか調査しなきゃならない。君はその役目にぴったりだ」

「どうかしら」彼女は言って目を閉じた。大きなチャンスをものにしてきたおかげで自分がこんな遠くまで来れたことも、それによってさらに遠くまで行けるだろうことも彼女は知っていた。小さなリスクにさえ耐えられれば世界は意のままになるのだ。

「ええ」彼女は言った。「ええ、まったくそのとおりだわ。あなたは完全に正しい、レスター」

「Zasterovyeh!」

「何て言ったの!」

「乾杯って言ったのさ」彼は言った。「ペトログラードで過ごすつもりなら必須の知識だ。メールを何通か送らせてくれ。準備をしなくちゃ。君はチケットの予約をして」


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