::コダセルはビジネスをおこなう新しい手段になると考えられている。
::分権的、ネットワーク的、真に二十一世紀的。おべっか使いの
::技術系雑誌や技術狂のブロガーたちはそれが他のどの商形態よりも
::優れていると吹聴している。
::
::しかし分権的であるということが本当に意味するものは何なのか?
::今週、スザンヌ・チャーチが彼女の「ブログ」でレポートしたとこ
::ろによればコダセルの最重要庇護対象であるフロリダ郊外にいるメ
::ンバーは不法居住していたホームレスの村をまるごと工場の敷地内
::に招き入れて生活させているらしい。
::
::彼らの違法な開墾地はドクター・スースが設計したような「職住一体」
::のマンションと表現されている。この監禁された住み込みの人々
::をどのようにしてコダセルで最も収益性の高い部署(「最も収益
::性の高い」というのは比較的高いという意味だ。過去の四半期報に
::よればこれまでにこの部署は百五十万ドルの収益を上げている。
::一方、過去のコダックの最も収益性の高い部署はその二十倍の収益を
::最後の四半期の営業で上げている)の労働力に作り変えるのか、
::コダセルはチャーチに記事を書かせてその方法を宣伝させているのだ。
::
::アメリカにはこの種の住み込みの年季奉公の大きな伝統がある。
::十九世紀の炭鉱労働者の住む企業街がアメリカでのこういった
::産業活動の源流だろう。標準に満たない住宅、一つの街にいる雇用者は
::一人だけ……チャーチのボーイフレンドであるケトルウェルが作りあげる
::のはすばらしい新世界といったたぐいのものだ。
::
::読者の一人はこう書いている。「フロリダにあるコダセルの工場に
::移転したバラック街の近くに私は住んでいる。あそこは薬の売人が
::たむろする危険なスラムだ。私の隣人はみんな、あそこの脇を走る道を
::自転車で通らないように子供に言い聞かせている……あそこは
::落ちぶれたくずどもの避難地なんだ」
::
::そこにはアメリカの労働者の未来がある。餓死ぎりぎりの賃金の
::ために働く落ちぶれた薬中毒の不法占拠者こそがそれだ。
「ケトルウェル、フレディみたいなまぬけに会社について言わせておくべきじゃないわ。あいつはバナー広告のスペースを売りたいだけなんだから。これがイギリスの三文誌のやり方なのよ……まったくの卑劣な中傷だわ」こんなに苛立っているケトルウェルをスザンヌは見たことがなかった。サーファーのような見栄えのいい外見は急激に色あせていた……腹が少し出て、頬はたるんで頬骨からたれてあごの付け根のあたりまで落ちている。車止めぎりぎりに駐車して降り立つと彼はまるで夢遊病者のような雰囲気を漂わせながらバラック街を突っ切ってきた。平日はずっと出入りしている出荷トラックの運転手たちはこじんまりとした奇妙な移住地を見ては物珍しそうな声を上げていたが、スザンヌにとってはそれも既に見慣れてしまったものになっていた。ケトルウェルは奇妙な少し怒ったような様子さえ見せながら通りを憮然としたぎこちない足取りで早足に通り過ぎた。
「君は私が好き好んでフレディにあれをやらせたと思っているのか?」彼は口角に泡を飛ばしながら言った。「やれやれだ。スザンヌ、君はこのあたりじゃ唯一の大人だろう」
ペリーがずっと見つめていた目の前の床から視線を上げた。スザンヌは彼が再び目線を落とす前に無意識にケトルウェルをにらみつけるのを見逃さなかった。レスターが大きな肉厚の手をペリーの肩に置く。ケトルウェルは気がついていなかった。
「彼らを置いておくことはできない。株主は血に飢えている。このくそったれな負債はなんだ……まったく。もしあの家の一つが火事でも起こしたらどうなる? 誰か一人が別の一人をナイフで刺したら? 彼らのやること全部が厄介事になるんだぞ。最悪、くそったれなコレラの流行に巻き込まれる可能性だってある」
不意にスザンヌの中にフレディに対する怒りが燃え上がった。今ここで起きているような場面が引き起こされることを願ってあいつは汚い金を連想させ、吐き気を催させるあらゆる種類の言葉を書き連ねたのだ。それも今起きていることへの本質的な異議申立てなどのためではなく、ただ他の者が称賛しているものを馬鹿にしてあざ笑うことだけを目的に。あいつは権力者を非難する代わりに何も持っていないおとなしく暮らす人々を相手にわめきたてている。彼らには自分たちについて語る手段さえ無いというのに。
ペリーが顔を上げた。「あなたは俺に三ヶ月から六ヶ月ごとに何か新しくてすごいものを考え出すように言った。これが新しくてすごいものです。 人口のかなりの部分を占める住所不定の人たちが使える低コストで持続可能な技術の供給、その巨大な市場機会を研究するための生きた実験室を俺たちは庭先に作った。アメリカには数百万、世界には数十億のホームレスがいます。彼らには支払いの用意があるが他の者は誰もそれを狙っていない」
ケトルウェルがあごを前につき出した。「何百万人いる? 彼らが使える金はいくらだ? そのうちの一セントが私たちにもたらされるとどうしてわかる? 市場調査の結果はどこだ? あるのか? それともただ自分のいい加減な推測を元に百人のホームレスに私の工場の目の前にテントを張らせてやっただけか?」
レスターが片手を上げた。「俺たちは市場調査は何もやってない。ケトルウェル。それはこのチームにはもうずっと経営マネージャーがいないからだ。ペリーは普段の自分の仕事と同じくらいそっちに労力を割いてたし、あんたのために体を壊すくらい働いてたんだ。俺たちは自分の経験と勘を頼りに飛行機を操縦している。あんたが俺たちにパイロットを送ってくれなかったからだ」
「作業場をスラムに変えるなと教えてもらうためにMBAが必要だったとでも言うのか?」ケトルウェルが言った。彼は激怒していた。スザンヌは注意深い動作でメモ帳を取り出すとその言葉を書き留めた。いつも持ち歩いているメモ帳で、用を足すには十分だった。
ケトルウェルはそれに気がつくと「出て行ってくれ」と言った。「二人とだけで話したい」
「嫌です」スザンヌは答えた。「それでは取り決めと違います。私は全てを記録します。そういう取り決めです」
ケトルウェルは彼女をにらみつけたがすぐに意気消沈したようになった。肩を落とすとペリーのデスクの後ろにあるいすに向かって二歩ほど進み、彼はそこに崩れ落ちた。
「ノートはしまってくれ。スザンヌ、頼む」
彼女は静かに彼に向かって首を振ってみせた。しばらく彼女を見つめた後で彼はぞんざいに頷き、彼女は書くのを再開した。
「聞いてくれ。主要な株主は今週、株の投げ売りを始めようとしている。いくつかの年金基金と投資銀行が一つ。我が社の株式のだいたい十パーセントから十五パーセントだ。もしそうなれば我が社の株価は六十パーセント以上は下落するだろう」
「ここでやっていることが気に入らないからって空売りをやるっていうのか?」ペリーが言った。「なんてこった。馬鹿げてる!」
ケトルウェルはため息をつくと顔に手をやって両目をこすった。「違う、ペリー、違うんだ。彼らがそうするのは私たちの価値を理解できていないからなんだ。私たちの事業は投資に対して業界的に見ても高いリターンを得ているが彼らはそれに満足していない。私たちは一万のチームを必要としているがこれまでに契約したのはたったの千チームだ。つまり資金の九十パーセントはごみみたいな金利で銀行に眠っている。フーバーダムだとか香港ディズニーランドだとかビッグ・ディグみたいな大プロジェクトでその金を使う必要があるんだ。今あるものはみんな小さなプロジェクトばかりだ」
「それは俺たちのせいじゃないだろう?」レスターが言った。ペリーは窓の外を見つめている。
「ああ、君らのせいじゃない。だがそれがなんだ。これは大惨事になるのを待ち構えている厄介事だぞ」
「落ち着いて。ランドン」ペリーが言う。「少し落ち着いて私の話を聞いてください。いいですか?」
ケトルウェルは彼を見てため息をついた。「なんだ」
「世界には十億以上のホームレスがいます。サンフランシスコは九十年代には彼らがシェルターのベッドから抜けだすとテントとショッピングカートを与えてきてた。コペンハーゲンからケープタウンまでセーフネットから転げ落ちる人々はますます増えている。都市の中心部でもそれは変わらない」
スザンヌは頷いた。「デトロイトでは彼らは古いビルの跡地で農業をやっている。農作物を育ててそれを売ってるわ。鶏や、ときには豚さえ育てている」
「そこには何かがあると思います。さっきも言ったが彼らは金を持っている。商品流通網の中で売り買いをしているんです。彼らは高値で商品を買わなきゃならないことがよくあります。利用できるサービスや家財道具が限られているからです……ホームレスがどうしてまとめ買いで安くなる生鮮食品を利用できないか考えてください。冷蔵庫を持っていないからだ。彼らにも創意工夫の精神があります……自分たちの自動車、洞窟、見つけ出した住めそうな場所ならどこでも改造します。RV車を家に作り変えることもある。テントや寝袋、ダンボールについてならどの国連難民キャンプの専門家より詳しい。あの人たちは住居や家財道具、電化製品、あらゆるものを必要としている。これはティジャンが言っていた未開拓市場ってやつですよ。他の者は誰もその存在に気がついていない。あなたはとんでもない量の金を使うことができる何かが欲しいんでしょう? これこそそれだ。社の全てのチームにあの人たちのためのアイデアを考えさせるんです。彼らが使うことのできる金を全て吸い取ってやるんだ。独占市場で暴利を貪るやつに損させられたと彼らに思わせるんじゃなく、俺たちが品質のいい商品を適切な値段で彼らに供給するんです。この施設は生きた実験室だ。買ってくることのできないマーケット情報がここにはあるんです。これをもっと増やすべきです。全国の無断居住者を俺たちの敷地に招き入れて俺たちの製品をテストし、設計の手助けをしてもらって、製造して市場に投入する。バラック街を周って注文を取る巡回セールスマンを雇うことができるはずだ。くそっ。そうだった。あなたはグラミン銀行についていつも言ってたじゃないですか……彼ら向けの簡易マイクロクレジットビジネスを始めるというのはどうです? 銀行がやるみたいな彼らを餌食にするようなものじゃないやつを。そうすれば彼らに売る商品の代金をローンにできる。彼らはその商品でより良い生活をしてもっと金を稼げるようになってローンを返す。そしてまた商品を買って金を借りる……」
ケトルウェルが手を上げた。「私は理論が好きなんだ。君の話はすばらしいと思う。だが私は取締役会でそいつを売り込まなきゃならないし、やつらはたんなるお話以上のものを欲しがる。そいつを裏付ける調査結果はどこに行けば手に入るんだ?」
「俺たちがそれだ」ペリーは答えた。「この場所こそが。俺が言ったことが正しいと証明する数字はありません。正しいとわかっている者はみんなそいつを信じて追いかけるのに忙しいからです。だがもし俺たちがこいつに取り組むことを許してもらえれば……俺たちがここで証明して見せます。口座には資金がある。俺たちが稼いだからだ。そしてその利益を会社の未来の為の研究開発に使うことが俺たちにはできる」
彼女は手が痙攣するほどの速さでメモしていった。ひと月前にはペリーがこんな演説をするとは想像もできなかった。ティジャンの離脱にみんなが苦しんだがペリーの急成長は目を見張るばかりだった。
ケトルウェルがさらに反論したがペリーは怯まない。スザンヌはみんなが言ったことをメモしていき、それがちょうど部屋の片隅で静かに回るカメラがそうさせるようにみんなを冷静にさせた。誰も彼女の方を見なかったが彼らが意識して目をやらないようにしているのは明らかだった。
知らせを聞いたフランシスは落ち着いていた。「正しいビジネス戦略だ。基本的には俺がはじめからあんたらにやるように言っていたことだ。異論はない」
ホームアウェア事業を他のコダセルの部署に移すのには数週間がかかった。ペリーは何度も飛行機に乗ってミネソタ、オレゴン、オハイオ、それにミシガンに飛んでは滞在して工場設備を一新する作業を監督した。これで彼は新しいプロジェクトに集中できるようになるはずだった。
彼が戻るまでの間、レスターは自分たちの作業場に手を加えて機能ごとの四つの空間に作り替えた。コミュケーション用区画、居住用区画、食料用区画、それに娯楽用区画だ。「フランシスのアイデアだ」彼は言った。フランシスの足の状態はますます悪くなっていたが彼は車輪の付いた人間工学に基づくオフィスチェアに座って作業を監督した。「こいつは彼なりの欲求段階説なんだ……俺たちが売ることができると彼が確信しているものさ」
それが何なのかわからないまま新しいことを始めるのは彼らにとって初めてのことだった。アイデアを見つけてそれに合うニッチを探す代わりに、まずニッチを見つけてそこを埋めていくことに決めたのだ。
「あんたらは研究にかかる時間を過小評価することになるだろう」実現できそうな製品のアイデアが書かれた紙の束に埋もれながらおこなわれたフリップチャート式のブレインストーミングの時にフランシスは言った。「誰もが研究にかかる時間を少なく見積もる。何を作るか決断することはいつだってそいつを作ることよりも大変なんだ」設備の改造作業に巻き込まれて以来、彼はあまり酒を飲まなくなっていた。前より早く起きるようになり、仲間の若い少年たちに指図しては書類やレンガ、おもちゃのブロックを持って来させた。
彼は正しかった。四つの異なる専門分野に別れた実験室は今までにない困難な試行錯誤をおこなった。彼らがフレディが言うところのありとあらゆる「浮浪者用の見掛け倒し」 を設計し、テストし、廃棄していく様子をスザンヌは数週間に渡って地道に書き留めていった。しかし報道のほとんどは好意的なものだった。カメラクルーがよく訪れては住居の様子を撮影していった。あるときなどあの火事の夜のかわいらしい黒人のレポーターが訪れてとても好意的なレポートをしてくれた。彼女はマリーンという名前でスザンヌと仕事の話をできてとても喜んでいた。スラム街へと移り住んだインターネット上の「本物」のジャーナリストに強く魅了されていたのだ。
「問題はどれもみんな特殊すぎるってことだ。前提条件が多すぎる」ペリーは言うとセメントを染み込ませた防水の袋を見つめた。ホースを詰めれば乾いた自己完結型の部屋として使えるはずのものだ。「こいつは緊急避難用には十分だが全てのホームレスが使うには画一的すぎる。それぞれの使用状況に本当に合ったものにするには自分たちで全てを徹底的にカスタマイズしなくちゃならない」
自分たちの住居を立ち上げるためにさらに多くのホームレスが到着した……家族連れ、友人連れ、怪しげな放浪者も何人かいた……キャンプの建物の上には三階部分が作られていき、ますますドクター・スースのものに似ていった。奇妙な構造物が下の階を壊さないように組み立てられ、狭い通りの上にぶら下がり、陽の光を求めて伸びるつる植物のように螺旋を巻いた。
彼は目を見開き、そのままサイレンが聞こえなくなるの待った。三台の青と白に塗られたブロワード郡保安官事務所の車がショッピングモール跡地に続く連絡道路をサイレンを鳴らして警告灯を点滅させたまま駆け抜けてきた。
バラック街のへりにある駐車場にブレーキをきしませながら停車すると跳ね開けるようにしてドアが開いた。四人の警官がすばやい動作でバラック街に駆けて行き、二人が自動車の影に隠れて無線で連絡を始める。
「なんてこった」ペリーが言った。彼はドアに向かって駆け出そうとしたがスザンヌがつかんで止めた。
「武装した警官に向かって走ってはだめ」彼女は言った。「威嚇しているように見えることはしないで。落ち着くのよ、ペリー」
彼は何度か深呼吸をした。それからしばらく自分の研究室を見回しながら狂ったようにつぶやき続けた。「くそっ。どこに置いたっけ?」
「ホームアウェアを使って」彼女が言った。彼は頭を振って顔を歪めるとキーボードのところまで言ってメガホンと打ち込んだ。実験室の棚の一つが白い光を放って点滅し始めた。
彼はメガホンを取り出すと窓に近づいた。
「警察官諸君」彼は言った。「こちらはこの土地の借主だ。なんだって銃をぶら下げて走り回っているんだ。何ごとだ?」
車のところにいる警官が作業場の方を向き、次にバラック街の方を向き、また作業場の方を向いた。
「真面目な話だ。この有様はなんだ。ここで何をやっている?」
警官の一人が手元の拡声器のマイクをつかむ。「こちらブロワード郡保安官事務所。武装した逃亡犯がこの場所にいるという通報を受けた。そいつを逮捕するために来た」
「そいつはおかしいな。俺が知る限りではここにいるのは子供や一般市民、勤勉な人たちで逃亡犯じゃない。ここに武装した人間がいないことは保証する。まずあんたがたは車に戻ってくれないか。俺が出て行くから一緒に文明人らしくこのことについて考えようじゃないか。OK?」
警官が頭を振り、再びマイクに手を伸ばす。その時、二発の銃声と悲鳴が起き、それからまた銃声がした。
ペリーがドアに向かって走り、スザンヌは彼を止めようとその後を追った。車の所にいた警官は夢中で無線に向かって叫んでいる。その相手がバラック街にいる同僚なのか警察本部なのか知ることは不可能だった。ペリーが工場の扉から飛び出し、また銃声が聞こえたかと思うと彼の体がねじれ、よろめくように一歩退いたかと思うと麦の詰まったずだ袋のように崩れ落ちた。頭の周りに血だまりが広がっていく。スザンヌは叫び声を上げないように手で口を押さえ、作業場の戸口に立ち尽くした。ペリーまであと数歩のところだった。
彼女の背後からレスターがやってきてしっかりとした態度で彼女を脇に移動させた。注意深く慎重にしかし毅然とした様子で彼はペリーの側まで近づくとその横にひざまずいて彼にそっと触れた。彼の顔は真っ青だった。ペリーがゆっくりともがき、スザンヌは嗚咽するような声を漏らした。その瞬間、彼女は我を取り戻した。カメラを取り出すと彼女は撮って撮って撮りまくった。警官、悲劇のピエタ像のようなレスターとペリー、叫び声を上げながら走り回るバラック街の住人。銃を手に車から降り立つ警官の写真、バラック街の周りに散開する彼らの写真、だんだんと近づいてくる彼らの写真、レスターに銃を向けてペリーから離れるように命じている警官の写真、自分に近づいてくる警官の写真。
「生中継中よ」彼女はファインダーから目を離さずに言った。「中継は私のブログに流れている。一日の読者数は五十万人。彼らが今、あなたの一挙手一投足を見ている。わかった?」
捜査官は言った。「カメラを降ろしてください。お嬢さん」
彼女はカメラを降ろさなかった。「暗記していないから憲法修正第一条を正確には引用できない。だけど私がこのカメラを降ろさない理由としてはそれだけで十分ってことはわかっている。これは生中継よ。全ての動きが今この瞬間、放送されている」
捜査官は後ずさると首をひねってマイクに何かつぶやいた。
「救急車が向かっています」彼が言った。「あなたの友達は殺傷能力のないゴム弾で撃たれたんです」
「頭から出血してる」レスターが言った。「目から血が出ているんだ」
スザンヌは体を震わせた。
救急車のサイレンの音が遠くで聞こえる。レスターがペリーの髪を撫でた。スザンヌは一歩後ろに引くとペリーの怪我した顔にカメラをズームした。血まみれで腫れ上がっている。ゴム弾は目のど真ん中か、そのすぐ上に当たったに違いなかった。
「ペリー・メイスン・ギボンズは非武装で、郡保安官代理バッジ番号五七二四が……」彼女はそこにズームした。「彼の目にゴム弾を撃った際にもなんら威嚇する素振りを見せていなかった。彼は意識不明の状態で出血しており、彼が平穏に慎ましい態度で新しい技術を発明し、制作していた作業場の前の地面にその血が流れている」
警官はどうすればこれ以上の失態を重ねないでいられるかを理解していた。スザンヌから離れて背を向けると警官はバラック街へと歩いて戻って行った。ペリー、彼を救急車に運び込む救命士、彼と共に救急車に乗せられている三人の負傷したバラック街の住人、ストレッチャーで運び出される遺体、彼女はカメラを向け続けた。遺体はバラック街の新入りの一人で彼女は見覚えがなかった。
ペリーの手術は一晩中続いた。彼の目の横の粉々になった左の眼窩からピンセットを使って慎重に骨のかけらが抜かれていった。かけらのいくつかは眼窩のへこみの中を漂い、それが脳に損傷を与える危険性があると医者は彼女のカメラに向かって説明した。
レスターは頼りになった。静かに待合室に座り、落ち着いた毅然とした口調で警官や電話越しのケトルウェル、そして特別招集された今回の件に口出ししたくて仕方ない部屋一杯のコダセルの弁護士と渡り合った。出っ歯のねずみのフレディはコラムを書き、その中で彼女のことを「スタンドプレー女」と呼んで危険な逃亡犯を匿ったとしてコダセルを非難した。バラック街の新入りの一人……殺された者ではない。彼はそばに居合わせただけだ……が去年、コルク用の栓抜きで酒屋に強盗に入り指名手配中だったことを彼は探り当てていた。
レスターは自分の耳からイヤフォンを引き抜くと目をこすった。衝動的に彼女は身を乗り出し、彼を抱きしめた。最初、彼は身を強ばらせたが次第に力が抜け、その巨大な暖かい腕で彼女を包み込んだ。彼女の両手は彼の広くて柔らかい背中で辛うじて合わさっていた……まるで大きなパンの塊を抱きしめているようだ。彼女は強く抱きしめ、彼もそうした。彼は抱き締めるのがうまかった。
「ハグがうまいのね、ぼっちゃん」彼女は言った。
「いや」彼が彼女の首元にささやいた。「そんなことはないさ」彼はさらに強く抱きしめた。「とにかくこうしていたいだけなんだ」
医者がやってきて二人を引き離し、EEGとfMRIの検査結果では両方とも脳への損傷は見られなかった、視力もなんとか失わずに済みそうだと告げた。コダセルは必要な全ての治療の費用を用立ててくれたのでくそったれなHMOにかかずらう面倒なしで医者は彼を必要な全ての機械にかけて一連のばかばかしいほど値の張る検査をおこなってくれていた。
「彼らが警察に賠償請求してくれればいいんですが」医者は言った。彼女はパキスタン系かバングラデシュ系でかすかななまりがあった。眼の下に濃いくまがあったがそれでもとてもきれいな顔立ちをしていた。「あなたの記事を読みました」彼女はスザンヌと握手しながら言った。「すばらしいことをなさっていると思います」言って彼女はレスターと握手した。「私はデリーの出身なんです。私たち一家は不法居住者でした。土地家屋の不動産譲渡証書を与えられたのですがその税金を払えずに強制退去させられました。雨の中、街のはずれに小屋を作り直さなければなりませんでした。その後も強制退去と小屋作りの繰り返しだった」
彼女にはコダセルとよく似た別の会社が運営するスタートアップで働く二人の兄弟がいた。片方はマクドナルド、もう一方はAFL-CIOの投資部門から資金を得ていた。彼女の兄弟がおこなっているプロジェクトについてスザンヌは彼女に短いインタビューをした……それはバイク用ヘルメットの開発だった。アルゴリズム的な進化によって最小の重量で最大の防護性能を持ち、簡単な屈光性の制御に基いて光を追尾するように変形するスマートなスカイライトを備えているのだという。バイク用ヘルメットの開発をしている弟は危なっかしくも何とか兄について行っているのだそうだ。兄の方はマクドナルドが持つネットワーク運用能力の半分を切り盛りすることに夢中でものすごい早さで昇進を重ねているという。
レスターが話に加わって詳しく尋ねた。彼はスカイライトについてのブログやリストをフォローしていて医者の兄弟のことを聞いたことがあったのだ。彼女はそのことにとても驚き、自分の家族を誇らしく思ったことが見て取れた。
「ですがあなたのやられていること、ホームレスのための研究こそが最も重要なものです。ここでもときおり怪我して救急車で運ばれてきます。たいていは門前払いになります。彼らは幹線道路の中央分離帯や信号機の下でよく売り子をしているんです」スザンヌは見たことがあった。自家製のクッキーやオレンジ、花、新聞、プラスチック製のおもちゃ、いびつだが美しい手芸品を彼らは売っていた。彼女は緻密な彫刻細工で表面を覆われたココナッツを持っている。栄養失調特有の突き出た腹を除けば骨と皮だけの小さな少女から買ったものだ。
「自動車事故にあってですか?」
「そうです」医者は言った。「わざと事故にあう場合もあります。襲われてのこともあります」
ペリーは手術室から回復室に移され、さらに個室に移された。その頃には二人とも倒れこむ寸前だったが彼女のブログ記事に対する大量のメールのせいで家へと戻る車中で彼女はコンピューターのキーボードを叩き続けるはめになった。運転するレスターはと言えば眠気を覚ますためにずっと自分の鼻をつねっていた。そして彼女は服も脱がずにベッドへ倒れこんだのだった。