メイカーズ 第三部, コリイ・ドクトロウ

第十九章


二、三時間一緒にチケットブースで働いた後、ペリーとヒルダは別れて別行動となった。彼女はシャワーを浴びたがっていたしあたりの散策もしたがっていたのだ。とりわけずっと一緒に生活していた後では二人には少しの間、離れて過ごすひそかな息抜きの時間が必要だった。まだ二人は仲のいい他人同士と言ったところで互いの波長に同調するというところにまでは至っていない。プライバシーが必要だったし少しの間、離ればなれになるのは互いの望むところだった。

チケットカウンターでの昔からの仕事も上々だった。まるでマンガのピーナッツにでてくるルーシーのレモネード・スタンドみたいだ。チケットを買いにくる客の驚くほど多くがペリーの名前を知っていて腕の具合はどうかと彼に尋ねた。ネット上で繰り広げられるドラマをみんなが見守っていた。ブラジルのライドがオンラインになったことやレスターが当てたパッチのことも知れ渡っていた。みんながこの事態を我がことのように感じているのだ。それが彼の気分を良くしたが同時に少し困惑させもした。友達や客の相手の仕方は知っているがファンとはどうつきあったらいいのだろう?

仕事が終わった後、彼は露店商の一団と一緒にいつもの仕事終わりのビールとリブ肉を目当てにバラック街をぶらぶらと歩いていった。携帯電話を取り出してヒルダにかけようとしたまさにその瞬間に彼はスザンヌとエヴァといっしょに脂ののった骨にかじりついている彼女を見つけた。

「おっと。ごきげんよう!」彼は喜びを声ににじませてスキップするような足取りでバーベキュー場へ駆けて行き、ヒルダから脂っぽいキスで出迎えられた。さらにもっと控えめだが同じように脂っぽい挨拶のキスをスザンヌとエヴァから頬に受ける。「この町で一番の場所を見つけだしたようだな!」

「彼女にこのあたりを案内しようと思って」スザンヌが言った。彼女とエヴァはヒルダを間に挟んで彼女を緩衝材代わりに立っていたがそれでも二人が言葉を交わす仲になっていることがわかって彼はうれしかった。スザンヌがケトルウェルを誘惑することなどあるわけがないとペリーにはわかっていたが、だからと言ってそれでエヴァが彼女への心証を良くするわけでもない。もし二人の関係がそのままだったら彼はひどく気を使いながら過ごさなければならなかっただろう。

「二人ともとても良くしてくれてる」彼にリブ肉を差し出しながら彼女が言った。彼は一緒にいた露店商たちを彼女に紹介し、脂っぽい握手と抱擁が交わされた。酒場の店主がさらにリブ肉とビールを出し、誰かがスピーカーセットを持ちだしてきて吸盤で近くの壁にスピーカーを貼り付けた。ペリーがイヤフォン型のプレイヤーの片方をそれに接続してシャッフルモードにすると音楽が流れだした。

甲高い声を上げながら子供の集団が通り過ぎて行く。子供たちはなにかすごい遊びをしているらしくそれで頭が一杯のようだった。その集団の中にエイダとレニチカがいるのをペリーは見つけた。彼女たちは明るい色のモバイル端末を手に、別の明らかに「それ」とわかるギャングの少年たちから逃げながらモニター画面を読み取ろうとしている。画面に映し出されている目に見えない障害物にぶつからないよう大げさに注意を払っていた。

「元いた場所に戻ってくるというのはいいものだな」ビールを手にリブ肉にかぶりつきながらペリーは言った。「どれだけここが恋しかったか。とても言葉にはできない」

ヒルダが頷いた。「それじゃあ私が言ってあげる。あなたはこの場所の中毒患者だった。ここで起きている『物語』を血眼になって検索している人たちみたいだったわ。まるでここが聖櫃だとでも言うように振舞っていた」

スザンヌが真面目くさった様子で頷く。「彼女は正しいわ。あなたとレスターの二人ののめり込み具合と言ったら。あなたたち世界最高のマニアだわ。そういうのをなんて言うか知っている? 自分たちの大好物についてマニアが一緒になっておしゃべりすることを。よだれ垂れ流しよ。『今朝俺がアップロードしたよだれ垂れ流しものの新しい女の子のベッドシーン見た?』、『そいつについて話しているとおまえは他のものが目に入らなくなってるみたいなよだれ垂れ流し状態だぞ。よっぽど大切なんだな』ってね」

「どうやら打ち合わせ済みのようだな」ペリーはおかしな形の眉を踊らせてみせながら言った。

お返しにエヴァが形のいい眉の片方を持ち上げてみせた。ある意味で彼女はみんなの中でもっとも美しく、もっとも自信と落ち着きに満ちあふれていた。「もちろんよ。ごめんなさいね。ここにいる若いお嬢さんにあなたが斧を手にした殺人鬼じゃないってことを教えておく必要があったから」この女性たちの同志意識はほとんど手に触れられそうなほど確かなもののようだ。スザンヌとエヴァがそれぞれの違いを乗り越えて仲直りをしたことは明らかだった。たぶんケトルウェルにとっては悪いニュースだろう。

「ところでレスターはどこだ?」もともと尋ねるつもりはなかったのだがスザンヌが彼の名前を口にしたのでたぶん問題は起きないだろうと彼は思った。

「ブラジルに電話中」スザンヌが言った。「ずっとそればかり。一日中よ」

ブラジルに電話。それはそれは。ペリーの頭のなかのブラジルは何か抽象的なものでそれはネットワーク上の五十の不完全なノードに過ぎなかった。大急ぎでソフトウェアにパッチを当てなければならなかった原因だ。そこにいる人々の顔を想像するのは難しかった。だがもちろん彼らはブラジルに実在する何十人か、ひょっとしたら何百人かのライドを作っている現実の人間なのだ。

「だけどやつはスペイン語はしゃべれないぞ」ペリーは言った。

「彼らもそうよ。お馬鹿さん」彼の胸を肘先で突っつきながらヒルダが言った。「それを言うならポルトガル語」

「彼ら、多少は英語がしゃべれるのよ。難しい概念には自動翻訳機を使ってるわ」

「それでうまくいくのか? いや、つまり俺が言いたいのは日本語やヘブライ語のウェブページを翻訳しようとすると名詞、名詞、名詞、名詞、動詞、名詞って具合にでたらめに並んだりするんだがってことなんだが」

スザンヌが頭を振った。「それは世界のほとんどの人がネットのほとんどで経験していることなのよ。ペリー。アングロサクソン系は自分たちのものではない言語で書かれたネットコンテンツを読まない地球上の唯一の人間だわ」

「それじゃあともかくレスターの役には立っているんだな」彼は言った。

スザンヌが不機嫌な顔をした。それで彼女とレスターの間の和平関係がどうやら薄氷を踏むようなものであるということが彼にはわかった。「彼の役には立っている」彼女は答えた。

「男どもはどこなんだ?」

「ランドンとティジャンは会議中」エヴァが言った。「弁護士と一緒に閉じこもって作戦の打ち合わせをしているわ。私が出てくる時には示談を取り仕切るための会社に出資してくれる企業パートナーを探しているところだった」

「やれやれ。俺には難しすぎる話だ」ペリーは言った。「俺はただこいつを商売としてやっていければいいと思っているだけだ。金を払ってでもみんなが欲しがるものを作って、金を稼いで、その金を使う」

「あなたは本当にナードな運命論者なのね」スザンヌが言った。「もっと抽象的で商業的な物事に取り組んでもいいんじゃない。それで即、スーツ野郎になってしまうというわけでもないんだし。もしこういうことに取り組んだり興味を持とうとしなければそれができる競合には必ず負けるようになるわよ」

「くだらない」ペリーは答えた。「裁判所に言って俺たちに円周率として三を使うよう命令を出させることはやつらにもできるだろうさ。あるいは他の人間がミッキーの頭をライドに付けないように約束させたり、俺たちのライドに乗った客がディズニーのことを連想しないようにしろとかな。だがそんなことを強制したりは絶対にできない」

スザンヌが突然、彼の顔をまともに見た。「ペリー・ギボンズ。あなたは馬鹿な人間じゃない。馬鹿なふりをするのは止めて」彼女が彼のギプスに触れる。「あなたの腕についているこれを見て。あなたのすばらしい技術でも劣った警察を無効化することはできない。ささやかな法律のいくつかに従わせるためだけに国家システムがライドを完全に閉鎖させることなんてないとあなたは思っているでしょう。大間違いよ。やつらはあなたを追い詰めて頭を叩き割る」

ペリーは愕然とした。突然、怒りが彼を襲った。彼女が正しいことは心のどこかでわかっていたし、ヒルダの目の前で怒りをぶちまけることになるということもわかっていたが関係なかった。「俺は今までの人生でずっとそう言われ続けてきた。スザンヌ。だが俺はそうは思わない。見ろ。俺たちが作ってきたようなものを作るのはどんどん安く、簡単になっている。プリンターの入手、樹脂の入手、製造、ダウンロード、ものを作る手助けをしてくれる人たちとの連絡やインスタントメッセージのやりとり。どうやって作るのか学ぶこと。見ろ。世界はどんどん良くなっている。俺たちがくそったれなやつらを無視するやり方がうまくなっているからだ。やつらのゲームの相手をしてやったっていいさ。だがそれが嫌なら俺たちで新しいゲームを作ることだってできるんだ。

俺はやつらのゲームに巻き込まれるのはごめんだ。やつらのゲームに付き合えば終いには俺たちもやつらみたいになっちまう」

スザンヌは悲しげに頭を振った。「あなたにティジャンとケトルウェルがいてよかった。汚れ仕事をやらせられるもの。そのご立派な立場から少しでも彼らに哀れみをかけてやって欲しいものだわ」

彼女はエヴァの腕を取るとヒルダと握手してからペリーを残して去っていった。

「くそっ」地面を蹴りつけながら彼は言った。握りこぶしを作って強く握りしめたが突然の緊張に折れた腕がきしんで悲鳴をあげたのですぐに力を抜いた。

ヒルダが彼の腕をとった。「あなたたち二人はずいぶん色々あったみたいね」

彼は何度か深呼吸をした。「彼女はここには合わないんだ。まったく何だって言うんだ? 何で俺がそんなことを……」そこで彼は言葉を止めた。くどくど言ってもしょうがない。

「聞かせる必要がないと思っていることを彼女があなたに言うとは思わないけど」

「向こうの味方をするみたいな言い方だな。君は情熱に燃えた若き革命家かと思っていたが。俺たちみんなでスーツを着て会社を作るべきだっていうのか?」

「私が言っているのはもし腕の立つ人たちが手助けしようとしてくれているならその人たちの貢献をちゃんと評価するべきだってこと。この一週間、あなたが『スーツ野郎』に対して文句を言うのを二十回は聞いた。あの二人のスーツ野郎はあなたの味方よ。あなたと同じように自ら危険に身を晒している。まったく。彼らは汚れ仕事をやってくれているのよ。あなたが発明品を作り上げては国中を飛び回って追っかけの女の子と寝ているあいだにもね」

彼女は冗談めかすようにしながら彼の頬にキスしたが彼女の言葉は彼の心をひどく傷つけた。涙がこみ上げてくるようだった。全てが彼の手を離れていた。彼の運命は今や彼にはどうすることもできないものになっていた。

「OK。それじゃあケトルウェルとティジャンに謝りに行こうじゃないか」

彼女は笑ったが彼は半分本気だった。彼が本当にやりたいのは家でレスターと一緒に昔のように盛大に夕食をとることだった。二人きりでテレビを前にしてレスターのファトキンス料理を食べ、新しい発明の計画をたてるのだ。彼はみんなの相手をするのに疲れ果てていた。スザンヌでさえもはや相手にしたくない。昔のように彼とレスターだけで過ごしたかった。あの最良の日々のように。

ヒルダが彼の両肩に腕を回し、彼の首に鼻を擦りつけた。「かわいそうなペリー」彼女が言った。「みんなが彼をいじめる」

思わず彼はほほえんだ。

「行きましょう。御機嫌斜めさん。レスターを探しましょうよ。きっと彼、私のことを『ヨーコ』って呼ぶわ。それを見たら元気も出るでしょう」


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