まるで全てが夢の中の出来事のようだと思いながらペリーは成り行きを見守っていた。群衆はどんどん増えていった。警官たちは車から降りてベルトに手をかけている。遠くからサイレンが聞こえた。あたりをうろついたり、道路のどまんなかにたむろする人間が増えていく。まるでみんなまぬけになっちまったようだ。車の間を縫うように進んでいく者までいた……このままでは自分のせいで死人が出る最悪の事態になっちまう!
そして次の瞬間、あらゆるものが爆発した。露店商のテーブルのあたりにはもつれるようにして殴り合う集団ができ、それがどんどん大きくなっていく。警官たちは殴り合いう集団に向かって駆け出すと警棒と催涙スプレーを取り出した。ペリーは大声を上げたがその自分の声が聞こえなかった。一瞬のうちに群衆のざわめきは平穏なものから怒号へと変わった。
スザンヌが携帯電話のファインダー越しにその様子を撮影していることにペリーは気がついた。おそらくリアルタイムでストリーミング放送しているのだろう。彼は再び届くことのない警告の叫び声を上げた。彼女の背後にいた暴徒がおおきく振りかぶって彼女の頭を殴りつけた。崩れ落ちた彼女に向かって彼は突進した。
もう少しでたどり着くと思った瞬間、騒音が消え、彼は膝をついて倒れた。対人用の音響砲だ。どこか近くにレスターがいるのだ。轟音が体に響く。はらわたがゆるみ、頭がゴングのように鳴り響いた。何も考えられない。体を丸めて手で頭を抑える以外には何もできなかった。
痛みに耐えながら彼は頭を上げて目を開いた。周りの人間は全て膝をついて崩れ落ちていた。だが警官は違った。彼らは巨大な工業用の耳あてを着けていた。削岩機を操る労働者が着けるようなやつだ。すばやい動きで彼らが向かう先にいるのは……レスターだ。レスターは対人用ホーンを据え付けたピックアップトラックの荷台にいた。ホーンの電源コードはシガレットライターにつながっている。警官が銃を抜き出し、それを見たレスターは目を大きく見開いて手を宙にあげた。
双方の口が動くが何を言っているのか聞き取れない。ペリーはポケットから携帯電話を取り出して彼らに向けた。彼らを動揺させないように動きに気をつけることも音波の届く範囲の外に逃れることもできなかった。だがレスターに近づいていく彼らをロドニー・キングにそうしたやつらと同じ目にあわせてやることはできる。レスターが今考えていることが読み取れるようだった。スイッチをオフにしようと動けばやつら、俺を撃ち殺しちまう。
警官たちがレスターに近づき、あの不機嫌な年配の男性警官が荷台に飛び乗るとレスターの襟首をつかんで地面に投げ飛ばす。銃口はずっと狙いを定めたままだ。相棒の警官がすばやく無駄のない動きで荷台に回りこみ、悪戦苦闘のすえ、なんとかホーンの電源コードを引き抜いた。訪れた静寂がまるで頭の中で響くようだった。痛む鼓膜から聞こえるのはすすり泣く犬笛のような耳鳴りだけだ。周りでは人々が緩慢な動きでふらふらと動きだしていた。
彼は立ち上がると千鳥足のままできるだけ急いでトラックに向かった。レスターは既にプラスチック製のワイヤーで手足を縛りあげられていた。ものすごい勢いでこちらに向かってくる武装警官が乗り込んだバスを大柄で虚ろな目をした警官が見つめている。集団難聴のせいであたりは不気味な静けさに包まれていた。
ペリーはなんとか携帯電話をストリーミングモードに切り替えた。これで携帯電話内部へ記録される代わりに全てがアップロードされるようになる。彼は停まっている何台かの車の背後に隠れて撮影を続けた。暴動鎮圧用バスがヘルメットをかぶった警官で構成された遊撃部隊の一群を吐き出す。彼らは組織的かつ暴力的な動きで地面に転がってうめき声を立てる人々を取り押さえては手錠をかけ、地面に叩きつけていった。ナレーションをつけたいと思ったがささやき声で話すことができるか彼には自信がなかった。なにしろ自分の声が聞こえないのだ。
突然、肩に手を置かれて彼は飛び上がった。金切り声を上げて防御の姿勢をとり、殴りかかってくる警棒を待ち構えた。しかしそれはスザンヌだった。厳しい顔で自分の携帯電話をつき出している。彼女はラミネート加工された報道パスを空いている方の手に持ち、まるでお守りのように自分の頭の横に掲げていた。彼女が道路の向こう側を指さした。そこにはゴスの少年が何人かいた。ちょうど騒ぎが起きた時に到着したのだろう。歩きまわることができるらしい。あの轟音からいくぶんかは身を守ることができたのだ。彼らは警官たちに追われて走っていた。軽く走るような身振りを彼女がして、すぐにペリーは彼女が追いかけて動画に撮るよう言っているのだとわかった。大きく息を吸い込むと一度頷いてから彼は立ち上がった。彼女が彼の手を固く握りしめ、汗で滑る彼女の手の平の感触を彼は感じた。
身を低くかがめ、ゆっくりとした動きのまま彼は動いた。乱闘が映るようにファインダーは高く掲げている。こいつをオンラインで見た誰かが俺の保釈金を払ってくれないものかと彼は考えた。
奇跡的に彼は気がつかれることなく小競り合いのすぐそばまでたどり着くことができた。警官がゴスを引き倒して手錠をかけ、針にかかった魚のようにもがく少年の一人の頭に布袋をかぶせるところを彼は記録していった。まるで誰にも気がつかれない人間になったようだった。這うように前へ進んでいく。ゆっくりゆっくりと。自分は透明で気がつかれない存在なのだと自分自身に言い聞かせるように。
その効果はあったようだった。驚くほど距離を縮めることができた。誰にも気がつかれることなく警官の鼻先まで迫ったのだ。次の瞬間、叫び声があがり彼の携帯電話に向かって手が伸びた。魔法が解けたのだ。突然、心臓が大きな音をたて始め、耳の中で鼓動が聞こえだした。
彼はきびすを返して走った。腹の底から狂ったような笑いがこみ上げてくる。携帯電話はまだストリーミング放送をしている。おそらく彼が腕を振るたびに揺れて乱れためまいのするような風景の映像が映しだされていることだろう。彼はライドへ向かった。裏口の方だ。そこなら身を潜めることができる。背後で足音が鳴るのを感じ、叫び声がおぼろげに聞こえた……だが一時的な難聴のせいでその叫び声が何を言っているのかはわからない。
ドアにたどり着く前に彼はキーホルダー型IDを取り出して掲げた。ドアの取っ手に体がぶち当たる直前ですばやくタッチプレートにキーホルダー型IDを叩きつけるとドアが奥に向かって開く。彼ははやる気持ちで背後のドアが音をたててゆっくりと閉まるのを待った。ドアが閉まると太陽の光に慣れた彼の目に薄暗いライドの内部が飛び込んできた。
背後でドアが揺れ、そこで彼は自分のしでかしたことに気がついた。やつらはドアを破って侵入し彼を捕えるだろう。その時にやつらは腹いせにライドを破壊するにちがいない。薄暗さに目が慣れてくるとよく見知ったものや見知らぬもの、さまざまな展示品の形が判別できた。今ではゴス系の品々がそこに加わって黒い布やレースで飾られている。そこにいると落ち着きと喜びを感じることができた。破壊からこの場所を守らなければ。
彼は石膏製の頭蓋骨のオブジェを支えにしてドアがうつるように床に携帯電話を置いた。それからドアに歩み寄るとできる限りの声で叫んだ。それでも彼には自分の声が聞こえなかった。「今から外に出て行く!」彼は叫んだ。「扉を開けるぞ!」
二秒数えてから彼は鍵に手を伸ばした。鍵をひねると同時にドアがはね開けられる。暴徒鎮圧用の装備を身につけた二人の警官が踏み込んで彼に催涙スプレーを吹きつけた。彼は一瞬にして地面に倒れこみ、身を捩りながら顔をかきむしった。その様子を携帯電話がずっと撮影し続けていた。