ヒルダは好奇心を目に浮かべてペリーを見つめた。「面白そうな話をしていたようだけど」彼女が言った。彼女は彼の長袖Tシャツを着ていてはだけた素肌が実に刺激的だ。その体を抱き寄せてベッドに押し倒さないようにするので彼は精一杯だった……もちろんギプスのおかげでそんなことはやろうとしてもできないが。ヒルダの表情は真剣だった。
「すまない。起こすつもりはなかった」彼は言った。
「話し声が聞こえたわけじゃないわ。あなたがいなくなったから。あなたの寝返りで起きたの」
そう言うと引き締まった足の筋肉を躍動させてリビングルームを横切り、彼女は彼のかたわらやってきた。彼のラップトップを手に取ると彼女はそれをコーヒーテーブルに置いて彼のかぶっているマイク付きヘッドフォンを脱がせた。彼はボクサーパンツ以外には何も身につけていなかった。彼女は彼の股間を軽く叩いてから横に座ると、彼の頬や喉、唇にキスをした。
「それでペリー」彼女が目をのぞき込みながら言った。「なんだって午前五時にリビングルームに座り込んでコンピューターとおしゃべりしていたの? それからどうして今夜はベッドに来なかったの? 私は残りの人生をフロリダでぶらぶらして過ごすつもりはないのよ。あなたはできるだけヒルダ・タイムを最大化したいだろうと思ったんだけど」
ふざけて言っているのはその笑顔から彼にもわかったが、確かに彼女は正しかった。
「俺が馬鹿だったよ。ヒルダ。ティジャンとケトルウェルをくびにしたんだ。彼らに失せろと言っちまった」
「なんでそれが馬鹿なことだと思うのかわからないわ。ビジネスを仕切ってくれる人は必要だろうけどあなたが彼らみたいになる必要はない。一緒に仕事をしている人といざこざが起きることだって時にはあるわよ。それに口に出せないことだって。一週間か一ヶ月かすれば気持ちも変わる。彼らは何か特別なことをしているわけじゃない。頼めばまた戻ってきてくれるわよ。あなたはペリー・マザーファッキン・ギボンズなのよ。ルールを決めるのはあなただわ」
「君は本当にいいやつだな。ヒルダ・ハンマーセン。だけど俺たちの法的防御を固めてくれていたのは彼らなんだ。俺たちにはなんとしても必要なものだ。俺はこれから半分違法なことをしようとしている。またあのくそ野郎どもに訴えられるだろう」
「ディズニーのこと?」彼女が鼻を鳴らした。「今までにディズニーカンパニーの歴史を読んだことはある? 昔、ウォルトが設立した会社の? ウォルト・ディズニーはたんなる人種差別主義の薄気味悪いやつってわけじゃなかった。狂った発明家だった。彼はアニメーションを作るためにクールでハイテクな技術を追求し続けた……実写の人間をはめ込んだり、色とりどりの色をつけたり、絵に合わせて音を鳴らしたり。みんなそれが大好きだったけれど、そのせいで彼は金策に走り回るはめになった。そのやり方にはとてもお金がかかったから。
それで彼が雇ったのが兄のロイ・ディズニー。ただの銀行屋である彼は経営に専念した。ロイが経営を担当して収支の面倒をみたわけ。けれどこれは高くついた。ロイはウォルトに経営のやり方を教えたがったわ。簡単に言えば彼はおかしな研究開発プロジェクトに会社の金を何百万ドルも費やすことはできないとウォルトに言いたかったのね。特にウォルトが夢中になっていた最新の研究開発プロジェクトを生かす方法をまだ会社が見つけ出していないうちはね。だけど会社はウォルトのもので彼はロイの言い分を聞き入れなかった。この状態を続ければ救貧院の世話になることをロイは覚悟したでしょうね。だけど結局その後でウォルトのビジョンのために彼はなんとかもう百万ドル工面した。それが商人に求められていることだから。
戦争の後、ウォルトはロイの所に行って言った。『一七〇〇万ドル用意してくれ。テーマパークを作るんだ』。ロイは答えたわ。『無理だ。そもそもテーマパークってのは何だ』。ウォルトはいつものようにくびにするぞとロイを脅した。ロイはディズニーが今では上場企業で、株主たちはウォルトの無茶なやり方を許すつもりも金を彼のおもちゃに浪費するつもりもないと指摘した」
「それじゃあどうやってディズニーランドを作ったんだ?」
「ウォルトは会社を辞めたの。自分だけの会社を始めたのよ。社名はWED、ウォルト・イライアス・ディズニーからとった名前。スタジオから才能のあるスタッフをみんな引き抜いて自分のために働く『イマジニア』にして、自分の生命保険を取り崩したお金と手持ちの現金を投げ打ってパークを作り上げた。その後でロイに自分の会社を買い戻させたのよ。とんでもなく爽快な気分だったんじゃないかと思うわ」
「それは間違いないだろうな」ペリーは言った。頭がひどく冴えた。徹夜とデス・ウェイツとの会話のせいで酔っ払っているような気分だった。ディズニーのデザイナーと同じようにプリンターへ自分たちの設計図を送り込むことはできるだろう。しかしそれは奇妙で倒錯した反逆的で少し心のざわつく行為だった。
「スーツの仲間を放り出したことを気に病むのはわかるけど彼らはたんなるスーツ野郎だわ。ある意味、取替え可能な雇われ人よ。あなたが必要としているのは収支の面倒を見る人間であって仕事を取り仕切る人間じゃない。彼らじゃなくたって何の問題もない。またスーツを何人か探して仕事を任せればいい」
「やれやれ、君は本当にヨーコか?」ボクサーパンツを履いて寝ぼけ顔で笑うレスターが一分前にヒルダが立っていたのと同じリビングルームの入り口に立っていた。時間は午前六時を回りマンション中で人が起き上がる気配がしていた。トイレの水を流す音や駐車場の車のエンジンをかける音が聞こえる。
「おはよう。レスター」ヒルダが言った。笑顔の彼女は皮肉を言われたとは思っていないようだ。大丈夫、今のところ問題なし。
「誰をくびにしたって。ペリー?」冷蔵庫から半パイントのチョコレートアイスクリームを探り出し、自分で作った特性の自己発熱セラミックスプーンでアイスすくい上げながらレスターが聞いた。
「ケトルウェルとティジャンだ」ペリーは顔を赤くして言った。「言っておこうと思ったんだがその時、おまえはスザンヌと一緒にいたからな。いや、ともかく言っておくべきだった」
「デス・ウェイツの身に起きたことは憎むべきことだ。あんなことをしていると誰かに非難されるのはまっぴらごめんだ。だがな、ペリー。ティジャンとケトルウェルはチームの一員だ。これは彼らの事業でもあるんだ。たとえおまえでも彼らをお払い箱にすることはできない。倫理的にも法律的にもだ。この事業の一部は彼らのものだし、彼らのおかげで弁護士どもの相手をせずに済んでいるんだ。彼らが汚れ仕事の面倒をみてくれるおかげで俺たちはそいつから逃れられている。俺は汚れ仕事には関わりあいになりたくない。おまえだってそうだろう。新しいスーツ野郎を雇うのはそう簡単じゃない。やつらはみんな略奪的で誇大妄想狂だ」
「あなたたち二人ならあの二人よりもいい代理人を雇うことができるわよ」ヒルダが言った。「あなたたちは経験も豊富だし、大勢の人間がなんとしても参加したいと思うムーブメントを起こしてるのよ。あと必要な物はもっといい経営体制だけよ。つまり必要な時にはいつでも黙らせることのできる執行役。上司じゃなくて召使いね」
レスターはまるで彼女の言葉が聞こえないかのように続けた。「ことを荒立てるつもりはないよ。相棒。俺に相談せずに行動に移したことは問題じゃない。俺たちの名前で悪事がおこなわれているのを見つけたらどれだけつらいかはよくわかる。俺だって同じことをしただろう。だが現実的に考えてみようぜ。一緒に行ってティジャンとケトルウェルと話し合おう。よく話し合って問題を整理するんだ。俺たちには全部放り出して一からやり直すだけの余裕はない」
それが分別のある行動だとペリーは思った。だがそんな分別はくそったれだ。分別のある善意の人間が最後にはひどいおこないをするのだ。時には無分別にならなければいけない時もある。
「レスター。彼らは俺たちの信頼に背いたんだ。仕事を正しい方法でやるのが彼らの責任だ。彼らはそうしなかった。注意して事にあたらなかった。まずいことが起きたらブレーキを踏まなきゃならないと考えていなかった。『自分たちはみんなが愛してるクールなプロジェクトを運営している』、それとも『自分たちは投資家のために十億ドルを稼ぎだす裁判をおこなっている』。あの二人の頭にあったのはどっちだと思う? 彼らは俺たちとは違うゲームをしていた。だから彼らの考える勝利は俺たちが考えているものとは違った。分別なんてわきまえたくない。俺がやりたいのは正しいおこないをすることだ。おまえと俺は正しいと思うことをする代わりに何年もかけてものを売りまくって金を稼ぐこともできたはずだ。だがそうしなかった。分別をわきまえて金持ちになることよりも正しいことをする方がいいと思ったからだ。おまえはあの二人をくびにする余裕はないと言ったな。だけど俺に言わせればくびにしないでいられるほどの余裕はないんだ」
「おまえは一晩、ぐっすり眠る必要があるぜ。相棒」レスターが言った。鼻から大きく息を吹き出している。怒っているというサインだ。それがペリーをさらに苛立たせた……彼とレスターはめったにけんかしない。だが一度けんかを始めれば……あまり考えたくないことだ。「落ち着いてよく考えてみろよ。おまえが言っているのは俺たちの友達、つまりケトルウェルとティジャンを放り出すってことなんだぜ。それも俺たちのエゴを少しばかり満足させるためにだ。あらゆるものをリスクに晒してるってことをわかっているのか。人生を裁判に費やすことになるかもしれないし、今まで作り上げたもの全てを失うことになるかもしれない」
禅の境地に達したような穏やかさがペリーの心を満たした。正しいのはヒルダだ。スーツどもはあらゆる場所にいる。一人でやっていくのだ。世界中にいるロイ・ディズニーの言いなりになる必要はない。
「気分を悪くさせてすまない。レスター。おまえの言っていることは全部わかった。だが俺が言いたいことはわかるだろう。俺は俺のやり方でいく。俺が欲していることのリスクが高いってことは理解している。だが今やっていることを続けるにはそうするしかないんだ。さもなければどんどん悪い状態になっちまう。いろいろなところで少しずつ妥協すれば最後には大事なものを全部売り渡しちまうことになる。他の経営者を探してそいつらがスムーズに仕事を始められるよう努力しよう。たぶんそのうち彼らとも仲直りできるさ。彼らがやりたいことは俺たちがやりたいことと違った。それだけの話だ」
この言葉にもレスターの興奮は冷めないようだった。「ペリー。これはおまえの好き勝手にできるおまえだけのプロジェクトじゃないんだ。こいつは俺たち全員のものだ。あそこでほとんどの仕事をしたのは俺だ」
「それはそうだ。相棒。それは俺もわかっているよ。もし彼らと一緒にやっていきたいならそうすればいい。悪く思わないでくれ。俺はここを離れて一人でやっていくよ。自分のライドを作る。俺のネットワークに接続したい人間は誰でもそうできる。俺たちの友情が終わったわけじゃないぜ。おまえはケトルウェルやティジャンと一緒にやってけばいい」自分の口からそんな言葉が飛び出るとはペリーにもにわかには信じられなかった。二人はずっと一緒にやってきた相棒同士なのだ。
ヒルダがそっと彼の手をとった。
信じられないという感情を次第にあらわにしながらレスターは彼を見つめた。「本気じゃないだろう?」
「レスター。おまえとけんか別れすることになったら心底悲しい。この先、ずっと後悔し続けるだろう。だがこのままのやり方を続ければ俺の善悪の判断力がすり減っちまう。邪悪な人間になるくらいなら破産するほうがましだ」ああ、そう言えるのはとても気分がよかった。自分は欲望や快楽よりも道徳律を優先する良き人間である、ということをとうとう彼は行動と言葉で宣言したのだ。
レスターがヒルダをじっと見つめた。「ヒルダ。ペリーと俺だけで話しをさせてくれないか。もし君が良ければだが」
「俺が良くない。彼女の前で言えないことなんておまえには無いはずだ」
どうやらレスターはそれには何も返す言葉が無いようで沈黙がペリーの居心地を悪くした。レスターは目に涙を浮かべ、それがペリーの胸を刺した。この友達はめったなことでは泣いたりはしない。
彼は部屋を横切ってレスターのところまでいくと彼を抱きしめた。レスターの体は強張り、顔つきは厳しかった。
「頼む。レスター。お願いだ。おまえに選択を迫りたくはない。だけどおまえは選ばなきゃならない。俺たちは仲間だ。いつだって仲間だった。俺たちは二人とも入院している少年の所に弁護士を送り込んだりするようなやつじゃない。絶対にそんなことするものか。また仲良くやってきたいんだ。正しくて、クールなことをやってまた楽しくやっていけるさ。なあ。レスター。お願いだ」
彼はレスターから体を離した。レスターはきびすを返すと自分の寝室へと歩み去った。自分が勝ったのだとペリーにはわかった。彼はヒルダに笑いかけて抱きついた。抱きつかれた彼女はレスターよりも嬉しそうだった。