その週、ずっとレスターは一人でライドの営業を引き受けていた。考えることといえば作業場とがらくたいじりとスザンヌのこと、それにペリーがさっさと戻ってくればいいのにということばかりだった。実のところ彼は人付き合いの良い方ではない。しかしその場所には大勢の人がいた。
「いくつか作品を持ってきたよ」チケット代を払いながら二つの大きなダッフルバッグを持ち上げてゴスの少年が言った。「まだ受け付けてるだろう?」
誰だったっけ? たぶん知り合いなのだろうが思い出せない。少年の顔の半分を大きな青あざが覆っていて、彼があの騒動の場にいたことをレスターは思い出した……デス・ウェイツだ。たしかペリーがそう言っていた。
「ああ。大丈夫だ」
「あんたがレスターだろう?」
やれやれ、まただ。
「ああ。そうだ」
「まじな話、フレッドってやつはくそ野郎だ。あんたの投稿したメッセージは昔から読んでる。あの野郎はただ嫉妬しているだけさ。自分がとんでもないうそつきのまぬけ野郎だってあんたのガールフレンドに暴露されたのが気にいらないんだ」
「ああ」この手の話をするのはデス・ウェイツが初めてではなかったし……スザンヌはそれくらい評判がいいのだ……これからも続くだろう。だがレスターはさっさとその話のことを忘れてしまいたかった。スザンヌの記事やメッセージボードに投稿したコメントで有名になるのは彼も気に入っていた。彼の機械式コンピューターについてちょっとしたインタビューをしてポッドキャストで配信しようと何度か彼のファンが会いに来ることさえあった。最高だった。だが「スザンヌ・チャーチが一緒にベッドで遊ぶ気になる男たち」……だと?
少なくとも彼の見た限りではスザンヌは行動をともにしてくれている。だがもはや彼女はティジャンとケトルウェルの間の和平調停役を買ってでる気はないようだ。その二人はといえば今は猛烈な口論の最中だ。どちらも自分こそがこの場を仕切るのだと確信している。ティジャンはネットワークでも最大のライドの一つを実際に運営していることを理由に自分こそが指揮をとり、ケトルウェルは信頼のおけるアドバイザーとして振る舞うべきだと主張していた。だがケトルウェルは自分こそが王冠をかぶるべきだと感じているようだった。彼は実際にグローバルなビジネスを経営していたのだ。それにひきかえティジャンは中間管理職に毛が生えた程度のものだ。
どちらもはっきりとはそう言わなかったがそれは二人の目指す進路がいつも同じだったからだ。スザンヌはあえて口出しせずに二人を好きにさせていた。
レスターやペリーの意見を聞こうとする者は誰もいなかった。ライドを作ったのは彼らだというのに。ひどい混乱状態だった。なぜただものを作ったり、動かしたりするだけのことが出来ないのだ? なぜいつも世界の覇権をめぐる計画なんぞに巻き込まれなくちゃならないのだ? レスターの経験から言えば世界征服計画などうんざりするだけだ。それに比べれば何か実際にちゃんと動くクールなものを作り、売り買いをし、テーブルに食事を運ぶための金を稼ぎだす大半のささやかな計画の方がずっとましだ。
ゴスの少年は何かを期待するように彼を見た。「わかるだろう。俺は大ファンなんだ。前はディズニーで働いていたんだけどその頃の俺たちは新しいアイデアを得るためにずっとあんたがやっていることを監視してた。だから自分たちのものをあんたにぱくられたなんてやつらが非難しているのはとんでもないたわ言なんだ……いつだってぱくっていたのは俺たちの方なんだからな」
その情報を聞いて何か行動を起こすことを期待されているとレスターは感じた……たぶんそいつを弁護士か誰かに伝えて欲しいんだろう。だがそんなことやって何の意味がある。法廷闘争に口出しすることなど彼にはできないのだ。まったく……なにが法廷闘争だ!
「ありがとう。君はデス・ウェイツだろ? 君のことはペリーに聞いてる」
目に見えて少年は元気になった。「ああ。もし必要ならここの仕事を手伝ってもいい。俺はライドの運営についてはよく知ってるんだ。ディズニーではライドのオペレーターを教育してた。どの担当でもこなせる。もし必要ならって話だけど」
「今のところは従業員募集はやってない……」レスターは口を開いた。
「職を探してるわけじゃない。ただ俺なら手伝えるってだけだよ。今は仕事もしてないし」
レスターは小便をしたくなった。ここに座って客から金を集めるのもうんざりだったし、自分の機械式コンピューターで遊びたくてしかたなかった。
「レスター? チケットカウンターで店番をしている子は誰?」抱きついてきたスザンヌは汗をかいていていい香りがした。
「こいつを見ろよ」レスターは言った。拡大レンズの付いたゴーグルを押し上げてレスターは彼女にソーダの缶を手渡した。缶の前面全体を覆うパネルを外すとその内部には彼が苦労して組み立てた六十四個のフリップフロップ回路があった。缶の背面にあるクランクをゆっくりと回すと缶の背面からロッドが正しい組み合わせで突き出て内部のフリップフロップの状態を表す値を表示した。「これは六十四ビットレジスターなんだ。こいつを数百万個用意すれば機械式のペンティアムを作ることだってできる」
もう一度、彼はクランクを回した。缶からはソーダの香りが漂い、缶の重さが腕に心地よかった。かたわらにある研磨機はうなり声を上げ、コンピューター画面には彼がCADで描いた部品がワイヤーフレームで回転表示されている。隣にはスザンヌがいて彼はとんでもなくイケてるものを作り上げたばかりだ。昼下がりの眠気を誘うような暑さのせいでいつの間にか彼はシャツを脱ぎ捨てていて吹くそよ風が肌に心地よかった。
振り返ると彼はスザンヌに抱きついた。彼女のことを心から愛していた。何年もの間、彼女に恋していてその彼女は今や彼のものなのだ。
「こいつがどれだけクールか見てくれよ。ほら」ピンセットを使ってレジスタの状態を変えてクランクを少し動かしてみせる。「プリンストン高等研究所の古い電子計算機プロジェクトから思いついたんだ。あそこの天才ども、つまりフォン・ノイマンとダイソンだが、やつら夏には自作のRAMのコア部品を扇がせるために自分たちの子供を研究所に連れ込んでいたんだと。何百万ものこういう部品が世界最高の頭脳を持った人間の子供たちに扇がれていたんだ。夏の過ごし方としてはすごいクールじゃないか。
そこで俺はこいつの次世代型プロトタイプを作ることを思いついたんだ。がらくたから組み立てる六十四ビット版のそれだ。夏には地元の子供たちを何百人か呼んでこいつをいじらせる。子供たちにこういうものがどういう風に動くか理解させるんだ……集積回路の問題点はそこなんだよ。分解してどういう風に動くのか見ることができないんだ。子供たちにいろいろなものがどうやって動いているか興味を持たせないで一体どうやって次の世代の機械屋を育てるっていうんだ?」
「チケットカウンターで店番をしている子は誰?」
「俺たちのファンの一人だ。ペリーが留置所で知り合った子さ。名前はデス・ウェイツ。ディズニーからがらくたを持ち込んだやつらの一人だ」
スザンヌの体が強張り、震えているのがだんだん彼にもわかってきた。
「何かまずかったか?」
彼女の顔は紫色に変わり、手のひらは固く握りしめられていた。「何かまずかったか? レスター。何かまずいかですって? あなた赤の他人に仕事を任せてるのよ。しかもあなたを破産に追い込んで牢屋に入れようとしている会社をつい最近くびになったと自分で認めてる人間に。あなたはそいつに高価で重要な資本設備の管理を任せたうえ、あなたのお金を受け取る権限を与えている。これでも私に何がまずいか尋ねるっていうの?」
彼は何とか笑顔を作ろうとした。「OK、OK、彼はただ……」
「ただ何? ただの考えすぎだっていうの? なんてこと。ペリー。あなたはこの事業にくそったれな保険さえかけていない」
今、彼女はペリーと呼ばなかったか? 彼は慎重にコーラの缶を置いて彼女を見つめた。
「私はここであなたたち二人のために精一杯努力している。警官と乱闘したし、あのくそったれなフレディがネット中で私の名前に泥を塗っても我慢した。あなたは自分の身を守るために一体、何をしたっていうの? ここでコーラの缶で遊んでるだけじゃない!」彼女は缶を取り上げるとそれを振り回した。内部の仕掛けがかたかたと音を立てるのが聞こえて彼はそれを取り返そうと手を伸ばした。彼女は缶を彼の手の届かない所に持っていったかと思うとそれを放り投げた。壁に向かって勢いよく放り投げたのだ。何百ものギアとラチェットとロッドが缶からこぼれ落ちた。
「いいわ。レスター、いいですとも。あなたは今まで感情的な十歳の子供みたいにしてやってきた。だけど他の人たちを丸め込むのはやめて。全国にあなたを頼りにしている人たちがいるっていうのにあなたは彼らへの責任を果すことをただ放棄している。私はそんなことに加担する気はない」彼女は泣いていた。レスターは何も言うことを思いつかなかった。
「ペリーが女の尻を追いかけ回すのを止めるだけじゃだめ。今この瞬間からあなたもおもちゃで遊ぶのをやめて。本当にあなたたち二人はどこからどこまでそっくりなの」
自分があと少しで彼女を猛烈に怒鳴りつけ、決して言ってはならないことを口にしそうな状態になっていることにレスターは気がついた。以前、他の友達との間でもそういうことが何度かあったが良い結果になったことはない。そんな責任が欲しいと頼んだことなどない、それでもともかく責任を果たしてきたんだ、誰もあんたに危険を犯せなどと頼んでいない、フレディが彼女の顔に塗った泥について自分が文句を言われる筋合いはない、そう彼女に言ってやりたかった。もしペリーと恋に落ちているなら自分ではなくペリーといっしょに寝るべきだ、そう言ってやりたかった。俺がいつもやっていることをやめるよう文句を言う立場にはないだろう、作業場の見学でもしてろ、そう言ってやりたかった。
俺が太っていた時には俺のことを性的対象とは一度だって見たことはなかっただろう、だがあんたが年取って体がたるんできていても俺は何の苦もなくあんたのことを性的対象として見ている、なのにどこを指して俺の感情の成熟度に文句をつけているんだ? そう言ってやりたかった。
そういうこと全部を言ってやりたかった。そして六十四ビットのレジスタの作業に戻ってそいつの修理をしたかった。あの缶を組み立てている時、彼は輝く創造性の霧に包まれていた。もう一度同じことができると誰にわかる?
彼は泣き出したかった。このとんでもない不条理についての泣き言を彼女にぶつけたかった。ぎくしゃくとした動きで作業台から立ち上がると彼はきびすを返して歩き去った。スザンヌが声をかけてくれることを期待していたが彼女は黙ったままだった。彼は気にしなかった。いや少なくとも気にしないよう自分に言い聞かせた。