われわれはこれまで、民主主義とはどんなものであるかを、あらゆる方面から考察してきた。あとはただ、民主主義をわれわれの社会生活の中に生かしていくだけである。なぜならば、本で学んだ民主主義は、それだけではまだほんとうの民主主義にはならない。民主主義は、われわれの実践生活を通して一歩一歩と築き上げられていくべきものなのである。
しかし、国民が心をあわせて民主主義的な生活を実行していくためには、民主主義は国民の将来に対して何を約束するか、民主主義のもたらすものはなんであるかを、はっきりとつかんでおくことが必要である。その点がはっきりしないと、民主主義を実行してみようという決意も鈍る。みんなの足並みがそろわない。それでは、民主主義の建設もうまくいかないであろう。ことに、日本には、しっかりした民主主義の伝統がない。まだまだ日本人の心のなかには、民主主義というと、何かしら「外から与えられたもの」という感じが抜けきれない。そういう他律的な気持で、半信半疑ですすんでいったのでは、できるはずの祖国の再建も、失敗に終ることがないとはいえない。民主主義は、国民が民主主義によって生活するのがいちばんよいということをじゅうぶんに納得し、自分たちの力を信じ、もり上がる意気ごみで互に協力するのでなければ、ほんとうには栄えない。
だから、われわれが次のような疑問をいだくことは、きわめて自然なのである。
どうして日本国民は民主主義の政治と民主主義の社会とを必要とするのか。民主主義の制度は、それ以外の制度によっては得られないどんなものを、われわれに与えてくれるのであろうか。民主主義は、それを実行する国民に、安全と幸福と繁栄とをもたらすというが、その証拠はどこにあるのか。民主主義の制度は、国民を欠乏と恐怖とから解放してくれるというが、それは実際にはどういうふうにして行われるか。ここに述べられているようなことは、たしかに民主主義の理想ではあろう。しかし、どんな政治でも、少なくともうわべは美しい理想を掲げる。その中で、なぜ民主主義が理想を実現するのにいちばん適しているのか。どうして独裁主義であってはならないのか。どうして民主主義でなければいけないのか。
これらは、いずれも、きわめて当然な疑問である。なぜならば、一つのことをやってみようとする場合、それをやってみて、はたしてうまくいくかどうかを疑うのは、あたりまえのことだからである。疑うことを禁じて、少数者の指令の下に国民を引きずっていこうとするのは、独裁主義である。また、疑ってみる気力も自覚もなく、ただ黙って、示された制度の下についていくのは、封建主義的な屈従にほかならない。だから、われわれ国民は、だれしもそういう疑問を心の中に持っているものとして、民主主義の立場からそれに答えてみることにしよう。
民主主義の原動力は、国民の自分自身にたよっていこうとする精神である。自らの力で自らの運命を切りひらき、自らの幸福を築き上げていこうとする、不屈の努力である。自らの力を信じえない者は、何か人間以外のものの力にたよって、局面の展開を期待しようとする。戦争で負けそうになってきたとき、神風が吹くと期待するのも、それである。人間の力ではどうにもならない必然的な法則があって、それによって歴史の変革がなしとげられると信じ、それ以外のものの考え方を排斥するのも、そのような態度の一つであるといってよい。しかし、人間の社会は人間が作っているのである。人間の歴史は、長い世代を通じての、人間の努力と営みとによって築き上げられてきた。人間の作った社会の欠陥は、人間の力で是正できないはずはない。人間の築き上げてきた歴史は、人間の意志と努力とによって更に向上し、発展していくに違いない。このような人間の力に対する信頼こそ、民主主義の建設の根本の要素なのである。
しかも、民主主義における人間への信頼は、英雄や超人や非凡人に対してささげる信頼であるよりも、むしろ、ここに住み、そこに働いている「普通人」に対する信頼である。英雄をあがめ、がいせん将軍を王座にまつりあげるということは、すべての専制君主政の始まりであったといってよい。ヒトラーの非凡な力を信じ、ムッソリーニのことばに随喜の涙を流す態度は、文化のすすんだ第二十世紀の世の中に、独裁主義を可能ならしめる基礎となった。
もちろん、民主主義の下でも、りっぱな人物を選んで、それを国民の代表者とし、その人々の決定に従うということは、必要でもあるし、たいせつでもある。けれども、民主主義の国民は自分たちが選んだ人々に無条件の信頼をささげるということはない。りっぱな人物だと思って選んでも、その人々の行動が間違っていると信ずる場合には、これに対して公正な世論の批判を加え、それを絶えず是正していくのは、民主国家の国民の自由であり、権利であり、責任である。そこに国民の主権がある。その根底には、国民の、自分自身に対する信頼がなければならぬ。自分自身に対する信頼を失った国民は、かならず他力本願の独裁主義に走る。民主主義は国民自らが築く。民主主義のもたらすものは、国民自らの努力のもたらすものにほかならない。
およそ人間は、生きていくことを求める。生きている以上、だれしも、できるだけ生きがいのある生活をしていきたいと願望している。死にたいと思う人もないわけではないが、それは、生きがいのある生活をしていくみこみがなくなったためである。したがって、自殺する人でも、生きがいのある生活を求めていたといってさしつかえない。生存と幸福と繁栄とを求める意欲は、あらゆる人間生活の原動力なのである。
このことは、個人についていえるばかりでなく、多数の個人によって組織された団体にもあてはまる。一つの家族に属する兄弟姉妹は、かれらの家族たちがいつまでも健康で、楽しい生活を続けていくことを願う。なぜならば、かれらはその家族の一員であり、その家族はかれらの家族だからである。同様に、野球のチームを組織している少年たち、バレーボールのチームを作っている少女たちは、自分たちのチームが強くなって、試合に勝つことを欲する。なぜならば、それが自分たちのチームだからである。農業協同組合に属している農民たちは、それが自分たちの組合であるという簡単な理由から、その組合が存続し、発展していくことを念願する。そうして、組合員が単にそれを念願するだけでなく、また、組合の運営を少数の役員のみにまかせきっておくという態度にとどまることもなく、みんなですすんで組合の発展のために協力するならば、いろいろな困難はあるにしても、組合員の念願はだんだんと実現されていくであろう。しかも、それが同時に、組合員各個人の福利を増進させることとなるであろう。家族が繁栄し、チームの成績が向上するのも、それとまったく同じ原理によるのであって、それ以外に社会生活を進歩させる秘訣はありえない。
これは、きわめて簡単な、わかりきった事柄である。それなのに、多くの人々はすべての人間が生きがいのある生活をすることを求め、かつ、自分たちの属する団体の向上と発展とを強く念願するものであるというきわめて簡単な事実こそ、民主主義によって何がもたらされるかを最も確かに約束するゆえんであることに、気がつかない。
民主主義の下では、社会または、国家を形作っているおおぜいの個人は、人間がだれしも持っているこのような要求や念願を、政治を通じて自分たちの力で実現していこうとする。民主主義は、国民のものであって、国王のものでもなく、独裁者のものでもない。民主主義の政治は、国民に属する。だから、よしんば国民が自分たちの利益だけを考えて、他のなにごとをも考えなかったとしても、国民の行う政治は国民各自の福利を増進することになるはずなのである。もちろん、国民の間には、いろいろな利害の対立があるであろう。しかし、それにしても、民主政治は、国民の多数の意見を基礎として行われるから、国民の政治は、少なくとも国民の多数の利益と合致するようになっていくはずである。まして、国民が、自分たちひとりひとりの利益は、社会全体の利益とはなれてあるものではないことを知り、常に個人の利益と公共の福祉との調和をおもんばかって行動するならば、「国民の政治」「国民による政治」はかならず、「国民のための政治」になるというのが、民主主義の根底をなす確信なのである。
これに対して、民主主義に疑いを持つ人々は次のように言うであろう。
民主主義は「国民の政治」であるというけれども、それは実は「財産を持った国民」の政治である。国民の中の階級の対立はきわめて根強いものであって、金持たちはかれらの地位を守るためにあらゆる手段を講ずる。したがって、議会政治といっても、それをそのままに放任しておけば、うわべは経済民主化の政策を掲げている政党でも、裏では成金の提供する金で動くということになってしまう。そこで、階級の間の争いはますます激しくなって、そのような正しくないことの行われる民主主義そのものを否定しようとする動きが強くなっていく。それなのに、民主主義が広まっていきさえすれば、かならず国民すべての福祉と繁栄とがもたらされると説くのは、すこぶる甘い考え方ではないか、と。
なるほど、民主主義の憲法を作っても、議会政治を確立しても、独裁主義に走ったり、金権政治が行われたりする危険は、なくならない。そのことは、これまでにもたびたび述べてきたとおりである。けれども、それは、国民が少数で政治を引きずっていこうとする人々の煽動に乗せられたり、選挙のときに投票することだけが民主主義だと思って、あとは政治を人任せにしておいたりした結果なのであって、決して民主主義そのものの罪ではない。今日の多くの民主国家では、政治に参与する権利は、年齢の点を除いては、ほとんど無制限に拡大されている。もしもその権利を持っているすべての国民が、政治のかじを取る者は国民であることをはっきりと自覚し、代表者を選ぶときにも、真に自分たちの利益を守ってくれるような人を選挙し、国会や政府の活動に対しても、常に公正な国政の運用が行われるように、批判とべんたつとを加えていくならば、その結果が「国民のための政治」となって現われえない理由がどこにあるであろうか。国王が権力を持っていれば、国王と、それをとりまく特権階級とによって都合のよい政治が行われる。金持によってあやつられ、その思うままに動く政府は、金持の利益になるような政治をする。それはあたりまえのことである。そうであるとすれば、政治が「国民の政治」であり、国民が利害得失をよく考えて、政治の方向を決めていくならば、その結果が国民大衆の利益と合致するということも、それと同様にあたりまえのことでなければならないではないか。
ただ、その場合、おおぜいの国民が、自分たちには政治のことはわからないと思って、投げやりの態度でいれば、話はもちろん別である。国民がそういう態度だと、かならず策謀家や狂信主義者が現われて、事実を曲げた宣伝をしたり、必要以上の危機意識を鼓吹したりして、一方的な判断によって無分別に国民を引っぱっていこうとする。そうして、わけもわからずに行う投票の多数を地盤として、権力をその手ににぎる。その結果は、きっと独裁主義になる。
これに反して、せっかく自分たちの手に与えられた政治の決定権を、再び独裁者に奪い取られてはならないと思う国民は、政治の方向を自分たちで決めていくことによって、自分たちにとって生きがいのある社会を築き上げようと努めるであろう。民主主義は、国民の中のどこにもここにもいる「普通人」が、それだけのことをする力を持っているという信頼の上に立脚している。いいかえると、民主主義は、自分たちの意志と努力とをもってよい世の中を作り出していこうとする、一般人の自頼心によって発達する。つまり、民主主義は、国民が、自らのためを思って自ら努力するという、極めて簡単な、きわめて自然な法則によって、国民のために最もよいものをもたらすに相違ないのである。
われわれは、第二章で、旧時代の専制主義から、主権を持つ国民の政治への進化の跡をかえりみた。昔の専制時代の国王は、自分だけの手に権力をいつまでも独占していたいと思ったにもかかわらず、貴族たちにその権力をある点まで分かち与えることを余儀なからしめられた。また、封建時代の専制者たちは、その意に反して、富裕な商人や大地主の力と発言権とを認めざるを得ないようになった。そうして、数世紀にわたる長い年代を経て、だんだんとそれ以外の人々や階級が権力の分け前にあずかり、政治の責任をになうようになってきた。熟練した職人や、小さな農業経営者や、小作人や、工場や農場に働く労働者や、そうして最後には国民の半数を占める女子が投票権を獲得し、公の仕事にたずさわるにいたった。
このようにして、長い経過をたどって、政治は国民の政治となってきたのである。すなわち、国民によって運用され、国民に奉仕し、国民の利益を主眼とする政治になってきたのである。このような政治の形態は、国民が、政治は国民のものであることをはっきりと意識しているかぎり、また、国民が、政治の第一の目的は国民各自の権利を保護し、国民ひとりひとりに自分自身をじゅうぶんに伸ばす機会を与え、広くその生活を豊かならしめるにあることを深く自覚しているかぎり、いつまでも続いていくであろう。
かくて、民主主義は、安寧と幸福と繁栄との最も確実な基礎となる。この基礎のうえに、国民が営々としてたゆまない努力によって築き上げていく成果が、民主主義のもたらすものなのである。政治が国民のうえに君臨する尊大な主人ではなく、国民のために奉仕する忠僕であるということは、民主主義によってのみ保障される。国民生活をできるだけ幸福に、豊かに安全にするための政治は、政治的権力が国民の手の中にあるかぎり、から手形に終る心配はない。
もちろん、一つの国家の国民がどこまで豊かになれるかは、その国の広さや、資源や、その他の自然条件に左右される。多くの国々は、原料が不足し、天然資源が貧弱であるために、長い間苦しんできたし、今でも苦しんでいる。たとえば、アジア全体として食糧が不足し、世界全体としては住宅難に悩まされているのは、今日の実情である。しかし、どんな政府でも、いかにほんとうに民主主義的にできあがった政府でも、土地のないところに土地を生み、鉱脈のない山を鉱山に変化させることはできない。民主主義は、国民に、できうる範囲内で最もよい生活のあり方をもたらすことを約束する。しかし、それは、無から有を生み出すわけにはいかない。
日本のように、国土が狭く、資源は非常に限られ、そのわりに人口があまりにも多すぎる国では、特にこの点を最初からはっきりと勘定にいれておく必要がある。民主主義は、戦災の廃虚の上に日ならずしておとぎの国を築き上げる魔法やてじなではないのである。だから、民主主義はできるかぎりの安寧と幸福と繁栄とをもたらすといったからといって、そのような状態がまもなく到来すると期待し、それが思うようにいかないのを見て、民主主義の理想をあきらめてしまうという態度は、はなはだしい短慮であり、また、きわめて危険である。自ら招いて歴史上みぞうの敗戦のうきめをみた日本国民が、当分の間、苦難に満ちた険しい道を歩んでいかなければならないのは当然であり、そこに一時的な混乱や、容易に取り除きえない運命の不公平が生ずることも、やむをえない。しかし、それに絶望し、それをのろう気持にとらわれていると、そこを利用して、不平を助長し、混乱を増大させつつ、急激に社会機構を変革させようとする政治の動きが現われてくる。
しかし、民主主義が戦災の廃虚の上に日ならずしておとぎの国を築き上げる魔法ではないのと同様に、民主主義以外にも、てのひらをかえすように歴史の歩みを転換させて、不合理なことの多い世の中から、きれいさっぱり不平不満の原因をなくしてしまうてじなは、ありえないのである。荒廃した国土の上に、平和に栄える祖国を再建するにはどうしたらいちばんよいかを国民みんなで考え、お互にそれについて自由に論議をかわし、その中で多数の支持する方針を試みつつ、その方針をだんだんと改善して、その方向に向かって国民の真剣な努力を傾注していく以外に、確かで安全な道はない。そうして、それが民主主義であり、民主主義以外の何ものでもない。
日本が天然資源に乏しいこと、敗戦によってはなはだしく荒廃した状態に陥ってしまったことは、なんともしかたのない事実である。しかしそれだからといって、日本の前途について絶望したり、単なる他力本願の気持をいだいたりする必要はない。ヨーロッパの例をとってみても、スイスのごときは山ばかりの小国で、取り立てていうほどの資源は何もない。しかも、スイス人は、その勤勉と技術とによって、精密工業、中でも時計の生産において世界に誇る成果をあげている。デンマークも、九州にほぼ等しい面積しかない小さな国で、しかも、一八六四年のドイツおよびオーストリアとの戦争にやぶれ、いちばんよく肥えた土地であるシュレスウィッヒ、ホルシュタインの二州を失った。それにもかかわらず、ダルガスという先覚者の着想と努力とを生かして、ユトランド半島の荒地の開発と植林とに成功し、世界有数の農業国および畜産国として、みごとな祖国再建をなしとげた。その際、デンマーク独特の国民高等学校による農民教育が、農業の技術をすみやかに普及向上させ、農業協同組合の高度の発達をうながし、デンマークを物心両面におけるヨーロッパの楽土たらしめるのにおおいに力があったことを、忘れてはならない。
およそ、悲観と絶望との中からは、何も生まれてはこない。困難な現実を直視しつつ、それをいかに打開するかをくふうし、努力することによってのみ、創造と建設とが行われる。そうして、国民こぞっての努力に、筋道と組織を与えるものが、民主主義なのである。
もちろん、日本の再建は、日本国民だけの力ではできない。それには、外国の好意ある援助も必要だし、特に貿易の振興に力を注がなければならない。今日の世界では、国と国との間の持ちつ持たれつの協力の関係が、ますます必要となってきている。その関係を組織的に秩序づけていこうとする努力が、前の章で述べた国際民主主義となって現われているのである。日本は、一日もはやく国際社会の正常な一員としての地位を回復することを、せつに念願している。しかし、それには、まず日本国民が自分自身の力で立ち上がることが先決問題である。「天は自ら助くるものを助く」という。自分で自分の陥っている苦境を克服しようとする気概のない者は、天からも人からも見離されるであろう。日本は天然資源に乏しく、人口過剰に大きな悩みを持ってはいるが、日本人にはまた、きわめてすぐれた技術がある。この技術を生かすと同時に、日進月歩の科学を産業面に高度に活用していくならば、輸出をさかんにすることによって国民経済の水準を向上させることは、決して不可能ではない。その場合もまた、自頼の精神こそ、日本国民の将来のために民主主義が何をもたらすかを決める第一のかぎなのである。
民主主義の社会を動かし、その活動の能率を高めていくものは、人間の力である。しかし、それは、人間の力といっても、単なる個人の力ではなく、また、単なる個人の力の総計でもない。リンカーンは言った。「政治の正しい目的は、国民全体のためにぜひともなされなければならないことでありながら、国民のばらばらの努力やひとりひとりの能力ではすることができず、あるいは、やってもうまくはいかないような事柄を、やりとげていくにある」と。民主主義は、無から有を作りあげることはできない。しかし、一見不可能のようなことを可能ならしめる力を持っている。それは、協同の力であり、組織の力である。
民主主義的な協同の力を発揮して、どうすることもできないと思われていた自然の災害を克服し、みごとに繁栄と福祉とを築き上げた一つの実例をあげよう。
北アメリカの東部に近い山の中を、テネシー川というミシシッピの支流が流れている。数世紀にわたって、この川は、自然のままにかってな道を通って流れていた。そうして、ある季節がくると、決まったように大水が猛威をたくましゅうした。数百万トンのよく肥えた土がそのために洗い去られた。町や村は破壊され、何年かの間には数千の人々が溺死したり、家を奪われたりした。自然の災害は起こるままに放任され、人間はただ手をつかねて、どうすることもできずに、ときを決めて訪れる天災と荒廃とを見つめているだけであった。
ところが、やがて、人々の中に次のような考えが浮かんだ。「われわれは、こうして何もしないで、ただ災害の起るがままにまかせておいてよいものであろうか。この暴虐な川をおとなしくさせるくふうはないものだろうか。この荒れ狂う川を手なづけ、それを恐ろしい敵から有益な友に変化させる道はなかろうか。きっと何か手だてがあるに相違ない。われわれは、それをさがし求めなければならない。もしも、そのくふうがつかなければ、われわれはこの谷を見捨てて他の地方に移住するか、さもなくばわれわれの農場が荒地になってしまうのを待つか、どちらかを選ぶほかはない。われわれの生活は餓死に近づくであろうし、われわれの生命が大水に押し流されてしまう危険もある。われわれは生を選ぶか、死を待つか、その決心をしなければならない」
そこで、テネシー谷の住民は合衆国政府の援助を受けて、テネシー川の大水をくいとめるという大仕事に取りかかった。もちろんこれに対しては、いろいろと大きな障害があった。中でも、保守的な政治家や、電力会社の代表者たちの中には、極力この計画に反対するものがあった。しかしあらゆる障害や反対にもかかわらず、計画は建てられ着々として実行に移された。その計画によれば、すべてで二十八のダムを作る予定であるが、そのうち二十六までがすでに完成されている。これらのダムの建造によって、テネシー谷の住民の生活水準は根本から高められ、その生活の安全は確保されたばかりでなく、一般に国の福祉にも大きな寄与をもたらしているのである。
これらのダムができたおかげで、年々多大な財産を破壊し、少なからぬ人命をさえ奪っていたテネシー川の水は、水力発電にふりむけられることになった。電力が、人手をはぶき、能率を高め生産を増加させるのにどれだけ役にたつかは、だれもが知っている。テネシー谷の発電装置は、一年に百五十億キロワット時の電力を供給する。その結果、利用しうる電力がわずか十五年の間に十倍になったために、テネシー谷の農民は、合衆国全体のひとりあたり平均の電力消費量の六割増しの電力を、一割六分だけ安い料金で農業経営やその他の事業に使うことができるようになった。一方、大水となって凶暴な破壊力をたくましくしていた水は、貯水池に満々とたたえられることになったために、一年に水害によってこうむる八百万ドルの損害を免れうる結果となった。年ごとに洗い去られる心配のなくなった土壌には、電力によって生産された豊富な化学肥料が施された。かくて、その地方の農民は、とうもろこしと小麦では二倍、大麦では約七割五分の増収をあげうるにいたった。かつては、水害のために乾燥することのない湿地帯にマラリアが流行して、住民を苦しめた、その率は一九三八年には、なお人口の十パーセントであったが、一九四八年には一パーセントに低下している。
このような効用と福利とをもたらした事業は、テネシー谷開発庁によって経営されているが、それだけの大事業をやりながら、しかもそれが少しも国庫の負担になっていないのである。それどころか、この事業は財政の面においても非常な成功をおさめてさえいる。すなわち、そこでは、電力を合衆国の平均料金よりもずっと安い料金で売っているにもかかわらず、それからあがる収入で国庫から借り入れた総金額のうち二千三百万ドルを返済し、一億三千二百万ドルを事業の改良と拡張とにふりむけ、なおかつ、投下資本の五パーセント以上の利益が生み出されつつある。
しかも、テネシー谷開発庁は、もとより営利企業ではない。それは、人民の所有に属し、人民の役員によって経営され、それによって得られた利益は、個人の収入になるのではなくて、すべて人民の生活を豊かにするために用いられているのである。だから、この事業は、資本主義の組織とは違った公企業の経営方針を採用しつつ、それによって経済生活の民主化に成功したすばらしい実例であるということができよう。
日本でも、例えば利根川のような川は、しばしば大水を起して流域地方に大きな被害を及ぼしている。これを上流にダムを作って水をせきとめ、大規模な発電所を設けるならば、ただに大水を防ぎ、かんがい用水を適当に調節しうるばかりでなく、豊富な電力を利用して窒素肥料を作り、各種の工場に動力を供給し、農村生活の電化をも行うことができるであろう。
その場合、そのような仕事をテネシー谷開発庁のように、最初から公共事業として行うのもよい方法である。しかし、それに要する多大な資本を集めるには、これを会社組織にして、広く国民の投資をうながす方がやりやすいこともある。かりに、この種の仕事を会社経営で行ったとしても、それによって多くの利益があがれば、従業員にもじゅうぶんな賃金を支給することができ、失業救済にも大きな役割を演ずることになろう。その会社の株式が財閥によって独占されず、直接に利害関係を持つその地方の住民や、広く全国の人々に分散されるならば、利益の配分が一方に片よることも防がれうるであろう。そうして、その事業によって国民生活の福祉が増進するならば、それが公共事業として行われるか、会社の経営にゆだねられるかは、たいした問題ではないといいうる。経済生活の民主化を図るうえからいって、資本主義と社会主義とが、かならずしも普通に考えられるように対立的な意味を持つ者でないことは、前に第九章で説いたとおりである、問題は、公共事業がよいか、会社経営がよいかにあるのではなく、どうすればそのような事業をさかんに興すことができるか、国民を代表する政府がかじを取ってこの種の事業を、民主的に経営していくにはどうすればよいか、にあることを知らなければならない。
民主主義の理想は、人間が人間たるにふさわしい生きがいのある生活を営み、お互の協力によって経済の繁栄と文化の興隆を図り、その豊かなみのりをすべての個人によって平和に分かちあうことができるような世の中を築いていくにある。ある一つの国が、与えられた歴史的な条件の下で、どうすればこの理想の実現に向かって一歩でも近づいていけるかは、何よりもまず、その国の政治によって解決されるべき問題である。その方針は、国により事情によって種々さまざまであるが、いかなる方針を採用する場合にも、それを決定するものは国民の多数の意志でなければならない。国民のための政治は、国民自らの力によって発見されなければならない。国民の意志で決めた政治の方針は、ときにはまちがうことがあるであろう。しかし、政治の決定権が国民の手にあるかぎり、更に国民の意志によって政治の誤りを是正していくことができる。民主主義の理想に一歩一歩と近づいていく道は、それであり、それ以外にはない。
これが、今まであらゆる角度から見てきた、民主主義の根本の態度である。しかし、これに対して人は不幸にしてなんべんとなく疑いを新たにする。すなわち、そのように、やりそこなってはまたやりなおして、漸進的に理想に近づいていこうとする政治の方針は、なんべんでもやりなおしをしているだけの余裕のある国、余裕のある時代の話である。そんなのんきなことをしている余地のない、せっぱつまった状態では、すみやかにただ一つのいちばんよい方針、または、ただ一つの絶対的な進路を見つけて、国民全部の力をその一筋の道に集中していくほかはないのではないか。それには、あちらになびき、こちらに動く、そのときどきの国民の多数意志で政治の方向を決めていくのではだめなのであって、やはり、少数の賢明な人々に全権をまかせるのがよいのではないか。あるいは、歴史の必然的な法則にしたがって、わき目もふらずに直進することにならざるを得ないのではないか。人は、そのように疑う。そうしてそういう疑いをいだくところに、ふたたびみたび、独裁主義への誘惑が忍びこむ。
ことに、日本の現状は、そういう疑いをいだくのに都合のよいような材料がたくさんある。敗戦と戦災とは、日本の産業に大打撃を与えた。その結果として、日本の経済ははなはだしい窮乏状態に陥っている。そこからくる社会の不安は、ややもすれば議会政治に対する不信の気持を強め、この本で説明してきたような民主主義では日本は救えないのではないかという疑問をいだかせる。過激な政治の方針を実行しようとする一部の人々は、そこをねらって、ますます社会不安を増大させるような運動を展開し、危機が迫りつつあるという宣伝を行い、自分たちの方針についてくる以外に、日本民族の生きていく道はないと思いこませようとする。そうして、国民を、あらゆる分野で闘争にかり立てていこうとする。
なるほど、今日の日本は、実に苦しい、実にむずかしい立場におかれている。こういう状態では、どのような政治の方針によるべきかについて、国民の間に激しい意見の対立が生ずることも、ある点まではやむをえない。
しかし、その中のどの意見といえども、それだけが絶対に正しく、それ以外の意見はすべて絶対にまちがっているといいきる権利はない。なぜならば、人間の考えることには、どうしても誤りがありうる。それなのに、自分たちの方針だけが絶対に正しいと信じる人々は、ひとたび政治の実権をにぎってしまえば、国民をその一つの方針で引っぱっていくだけで、それに対する批判や反対を許そうとしない。したがって、その方針がまちがっていた場合にも、その誤りを是正することができなくなってしまうからである。そればかりでなく、一つの立場を絶対のものとし、他の立場を絶対に許すまいとすれば、違った意見と意見との間に、妥協の余地のない闘争が行われることにならざるを得ない。国民の生活が一日もゆるがせにできない困難な状態にあるとき、そのような闘争を激化させることは、自ら求めて、困難を克服する機会を永久に失うゆえんである。だから、意見の対立も、対立する意見の間の争いも、国民が協同の力を発揮して困難に打ち勝つための討論の範囲を越えてはならない。それが、民主主義の規律である。
日本の前途に幾多の困難が横たわっていることは、誰の目にも明らかである。それに打ち勝つためにどうすればよいかについて、国民が真剣に討論しようとするのは、当然のことである。けれども、近代国家としての歴史が短く、民主主義の社会生活の経験に乏しい日本国民にとっては、討論が机の上の討論としてからまわりしてしまう場合が少なくない。たとえば、人々はよく資本主義の弊害を論ずるが、今日の先進資本主義の国々は、資本主義の制度の根本は変えないで、経済の民主化をはかるために、さまざまなくふうをしている。また、ある国々では、急激な変革を避けつつ、資本主義と社会主義のそれぞれの長所を採った政策が実行されている。大資本に対する中小商工業の立場を守るために、きわめてよく組織された協同組合を発達させたり、大規模な消費組合を作って、消費者の利益をはかったりすることも、行われている。日本では、まだ、そういう経験があまりない。だから、今日の日本としては、いたずらに議論をたたかわせているよりも、それらの諸外国の実例や経験をよく研究して、それを日本に適合するようなしかたで実行してみるほうが早道であるといえる。議論もたいせつだが、実行してみたうえでの議論の方がもっと効果がある。日本国民のうえに、大きな苦難がのしかかっていることはたしかだが、その苦難は、それらの建設的な試みを実行してみることを許さぬほどの、絶対にどうすることもできぬ苦難ではない。
かくて、日本の将来の希望は、かかって、今まで人類の経てきたいろいろな経験を生かして、討論しつつ実行し、実行しつつ討論する、国民すべての自主的な意志と努力とのうえに輝いている。議論するのもよい。が、まず働こう。やってみよう。日本人が日本を見捨てないかぎり、世界は日本を見捨てはしない。民主主義の理想は遠い。しかし、そこへいたるための道が開かれうるか否かは、われわれが一致協力してその道を切り開くか否かにかかっている。意志のあるところには、道がある。国民みんなの意志でその道を求め、国民みんなの力でその道を開き、民主主義の約束する国民みんなの安全と幸福と繁栄とを築き上げていこうではないか。