民主主義, 文部省

第四章 選挙権


一 国民の代表者の選挙

民主政治は、国民による政治である。しかし、国民による政治といっても、国民のみんなが実際の政治の仕事にあたるわけにはいかない。そこで、民主政治は、原則として「国民の代表者」による政治として行われる。国民は、自分たちの中から自分たちの代表者を選ぶ。その代表者たちは、国民の意志に基づいて、国民のための政治を行う。したがって、選挙をする国民の範囲が広ければ広いほど、それによって選ばれた人々は、それだけよく国民の気持を代表することになる。しかも、選挙に対する国民の考えがすすめばすすむほど、りっぱな代表者に政治をゆだねることができるようになる。だから、選挙がよく行われるかどうかは、民主政治を成功させるかどうかのかぎであるといっても、決して言いすぎではない。

ところで、国民の代表者にはいろいろあるが、その中でも特にたいせつなのは、国民に代わって法律を作る仕事をする議会の議員である。しかし、ただ議会というと、地方自治体などにもそれぞれ議会があって、まぎらわしいから、国全体の議会をさす場合には、国会ということにしよう。国会で作った法律は、国民の生活を規律すると同時に、政府が政治をする場合の筋道となる。だから、よい法律ができれば、国の政治はそれだけよくなる。よい法律を作るためには、国会が、ほんとうに国民の気持をよく代表するような人々によって組織されなければならない。国会によい人々を送るためには広く国民に選挙権が与えられ、その選挙権を国民が正しい判断によって用いるようにならなければならない。

専制政治や独裁主義では、ひとりの専制君主やひとりの独裁者と、それをとりまく少数の人々とが、絶対の権力を握っている。そうして、自分たちの思うままにその権力をふるって、国民の生活を圧迫し、国民の権利を踏みにじる。そう言う弊害を防ぐために、あらゆる権力を、あらかじめ定めてある法律の筋道からはずれることがないように規律するのは、民主政治の大きな眼目である。専制政治や、独裁政治にも法律がないわけではないが、その法律は、専制君主や独裁者がかってに決めたものである。そうして、それは、国民を束縛するために作られているのである。これに対して、民主主義の制度のもとでは、法律を作るのは、国王でも、大統領でも、総理大臣でもなく、国民自身なのである。そこでは、国王でも、大統領でも、総理大臣でも、その他いかなる公務をつかさどっている人々でも、国民の作った法律には従わなければならない。ただ、国民が直接に法律を作る仕事をする代わりに、それを国民の代表者たる国会に任せるのである。国会の仕事がいかにたいせつなものであるか、有能で忠実な国会議員を選ぶことが国民にとってどんなに重要であるかは、これによってよくわかるであろう。

もっとも、法律を作る仕事を国会だけに任せておくのはよろしくない、という議論もある。国会を通じて立法を行っただけでは、かならずしも、ほんとうに国民の意志にかなった法律が作られるとはかぎらない。国会の多数党の考え方一つでは、国民の意志に反した法律が作られて、それによって政治が行われるようになることがないとは言えない。だから、法律を作る場合には、国民の直接の投票によって可否を決するようにしなければならない。というのである。この議論を実際に行おうとする制度が、前の章に述べた純粋民主主義または直接民主主義である。

しかし、今日の国家の法律は非常に複雑な発達を遂げている。したがって、よい法律を作るためには、専門の知識がいるし、よくよく利害得失を考えてかからなければならない。それを、法律についてはしろうとが多い国民が決めるということになると、かならずよい結果が得られるというわけにはいかない。まして、国民が、いいかげんな判断や、物好きな気持などで投票をすれば、せっかく苦心してできたよい法律案が否決されてしまうというようなことにもなる。それに、何千万というような人口を有する国家で、一々の法律案を国民に示し、国民の投票によって可否を決するということは、たいへんな手数と暇とがかかる。そこで、実際には、高い識見と深い経験とを持った人々を集めて国会を組織し、法律の制定は国会に任せて、国民は国会議員を選挙するにとどめておく方が、かえってぐあいがよいということになる。それが代表民主主義または間接民主主義であって、今日の大部分の民主国家では、この方法が制度として採用されている、

だから、国会議員によい人を選ぶかどうかは、民主政治が栄えるか否かの大きな分かれめである。選挙は、国民のひとりひとりがほんとうに信頼できる人物を選んで自分たちの代表者とし、これにたいせつな立法権をゆだねるための、最も厳粛な行為でなければならない。ところが、候補者の中には、なんとかして自分に投票を集めようとするために、選挙民のごきげんをとったり、都合のよい宣伝をしたり、できもしない約束をしたりするものもある。そうした策にのせられないで、ガラス玉の中からほんものの宝石を選び出すのは、国民の良識である。国民の代表者がよい法律を作り、よい政治をするようにさせるためには、まず国民の政治的良識が高くならなければならない。人を選ぶ国民の目に狂いがなければ、国民はりっぱな代表者を通じて、国民自身の幸福になるような政治を行うことができる。

法律を作るのは、国会のいちばんだいじな仕事であるが、いくらよい法律を作っても、その運用のしかたが悪ければ、政治の効果は決して上がらない。ところで、法律を運用するには、一方に裁判所があるが、実際の政治の方面で法律の執行をつかさどるのは政府である。したがって、政治が円滑に行われるためには、国会と政府との間の呼吸がうまく合ってゆくことが必要である。そこで、多くの民主国家では、国会と調子の合った政府を作ることができるようなしくみになっている。日本の新憲法で、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」ことになっているのも、そのためである。だから、国民が国会議員を選挙するのは、ただ国会議員を選んでいるだけでなくて、それと同時に、直接に政治をつかさどる政府の首脳者を選ぶことになるのである。選挙の重要性は、それだけにますます大きいといわなければならない。

二 選挙の方法

国会は、政治の筋道を示す法律を作ったり、法律を執行して政治を行う政府の首脳者を決めたりする。だから、国の政治のだいたいの方針は、国会によって決定されるといってよい。しかし、国の政治をどういう方向に決めてゆくのがよいかについては、いろいろと違った意見がありうる。そこで、政治に対する考え方の相違によって、幾つかの政党ができてくる。そうして、国会で最も多数の議席を占めた政党が立法の方針を左右するし、特に議会中心制の民主主義では、その政党が内閣を組織することになる。一つの政党だけでは力が不十分であれば、似かよった政策を採ろうとする二つ以上の政党が、連合して内閣を作る。それを議会政治ということは前述した。このように、国政の中心をなす国会の中に政党の対立があって、互に勢力を争いあうということは、国全体の足なみが一致することを妨げるという弊害がないではない。しかし、どういう政治をしたらよいかを、ただ一つの考え方だけで決めるのは、すこぶる危険である。やはり、それとは反対の立場の人々もあって、ものごとを表からも裏からもよくながめ、互に批判し、議論をたたかわせつつ政治をやってゆくところに、民主政治の妙味がある。一つの方針だけが絶対に正しいとして、他の立場からの批判を封じてしまうのは、独裁政治の常用手段であって、結局は国民を馬車うまのように破局にかりたてることになる。ただ、あまり多くの政党に分かれて勢力争いに浮身をやつすようになると、政治の安定が保たれず、国内動揺の源となるから、二つか三つぐらいの政党にまとまって、公明正大な論議をたたかわせてゆくことが望ましい。

それであるから、国民が国会議員を選挙する場合にも、ただ候補者の人物だけを見るのではなく、その候補者がどういう政党に属し、どういう政治上の信念を持っているかを、じゅうぶんに考える必要がある。国民は選挙によって人を選ぶと同時に、政党を選ばなければならないのである。それでは、候補者の人物と、その候補者の属している政党との、どちらに重きをおいて選挙すべきであろうか。

これは、なかなかむずかしい問題である。政党の分野がはっきりとして、その政策が確立されるようになれば、言い換えれば、政党がそれぞれりっぱにできあがったうえは、まず政党を考えて投票すべきである。しかし、政党の境目がはっきりせず、その政策がぐらぐらと変わるような状態では、人物本位に選挙することも必要になってくる。せっかく一つの政党を支持して、その候補者に票を入れても、当選したあとになって切りくずしが行われたり、寝がえりをうったりして、その人が別の党派に行ってしまうというようなことでは、政党本位に選挙をしても無意味になる。だから、私たちは、政党に重きをおくべきではあるが、それとあわせてよく人物を見て、それに投票するのがよいであろう。しかも、選挙が終わってしまえばそれでもう用は済んだというような考えになることなく、それから後も、議員たちの行動を注意ぶかく見まもり、これに公明な批判を加え、りっぱな人々によって組織されたりっぱな政党を、国民自らの手で育てあげてゆくという心構えを持つことが必要であろう。

議会政治は個人を単位としてではなく、政党を単位として行われる。したがって、いかにりっぱな人が選ばれても、その人の属する政党の議員数が少なければ、議会政治をリードしてゆくことはむずかしい。ところが、選挙をする場合に、ある政党の中のひとりの候補者がきわだって有名な人物であったりすると、その人だけに必要以上のたくさんの投票が集まってゆうゆうと当選するが、そのために同じ政党の他の候補者は落選してしまうということになる。そこで、ある候補者が当選するのにじゅうぶんな票数を得たうえは、それ以上の投票はその人のものとして数えずに、同じ政党の他の候補者の方へ振り向けるというしくみを考えることもできる。この方法もしくはこれに似た他の方法によって、おのおのの政党から国民の支持に比例した議員が選ばれるように選挙を行うしくみを「比例代表制」という。

比例代表制は、理論のうえでは最も進んだ選挙の方法であるが、実際にこれをうまく運用することは、なかなかめんどうでむずかしい。そこで、ただ単に一つの選挙区からひとりまたはふたり以上の議員を選び出すという普通の方法が、今でも多く用いられている。わが国では、これまで一選挙区からひとりまたはふたりの議員を選ぶのを小選挙区制、三人から五人までの議員を選ぶのを中選挙区制、それ以上の数の議員を選ぶのを大選挙区制とよんできた。小選挙区制だと、選挙人が候補者のことをよく知っている場合が多く、したがって地方の名望家を選ぶのに適している。大選挙区制だと、いろいろな候補者を見わたして、その中からよいと思う人を自由に選ぶことができ、それだけ選択の範囲が広いという長所がある。

いずれにせよ、国会議員の選挙は、民主政治の行う選挙の中でも最も重要なものの一つである。共和国で、国会議員とは別に、大統領を選挙するような場合には、その選挙には国民がいちばん力こぶを入れるのが常であるが、天皇は世襲で定まり、内閣総理大臣は国会の指名で決まる日本のような国では、国会議員の選挙は、なんといっても最もたいせつである。国会議員の選挙権は、民主国家の国民の有する尊厳な権利であり、これを良心的に行使することは、またその神聖な責務である。

三 選挙権の拡張

民主主義の発達は、主として選挙権拡張の歴史であった。民主主義のまだ徹底していない時代には、国民に選挙権が与えられても、その範囲は著しく限られたものであった。イギリスやアメリカのような国々でも、最初のうちは、財産のない者や、人種の違う者や、ある種の宗教上の教派に属する者は選挙から締め出されていた。このように、有権者の数が少なければ少ないほど、一般国民の声は封ぜられて、貴族や財産家だけが思うままの政治を行うことができる。それは、専制政治から民主政治への移り行きの、まだ初歩の段階であった。

いったい、政治上の権力というものは、用い方で、毒にもなり、薬にもなる。ちょうど、同じ薬品が、薄めて用いれば薬となるのに、これを濃くすると少量で人を殺す毒薬となるように、権力もまた、ひとりの人や少数の人々が独占していると、民衆を苦しめる恐ろしい毒薬になる。したがって、権力をなるべく多くの人々に分けて薄め、これを薬として用いることができるようにしなければならない。ところが、現に権力を握っている人々は、権力を独占していればいるほど、自分たちの利益になるような政治をすることができるから、なかなか選挙権を多くの人々に拡張することに同意しない。それに、政治を動かしている少数の人々は、どうしても上に立っているような気がして、おおぜいの国民の知識や道徳の程度を低く見くだす癖がついている。そこで、かれらは、そんな者に選挙権を与えることは危険であると言って、これに反対する。しかも、そういう特権階級がその気にならなければ、法律を改正して選挙の民主化を行うことはできないのだから、選挙権の拡張ということはなかなか実現しにくい。その根強い障壁を打ち破って選挙権を広く国民の間にゆきわたらせ、明るい公正な民主政治が行われるようになったのは、次第に高まってきた国民の政治的自覚と、進歩的な思想家たちの熱心な主張とのおかげにほかならない。政治の民主化の長い歴史を通じて、特に重要な意味を持っているのは、選挙権についての財産上の制限が取り除かれていった成りゆきである。

いったい、財産を持っているものだけが選挙にたずさわって、財産のない者を選挙から締め出すというのは、まったく理由のないことである。それなのに、以前は、貧乏人は教育がないとか、教養が低いとかいう口実のもとに、選挙権を、一定の財産上の条件をかぎって認めるということが行われていた。しかし、それは結局、財産家だけの利益のためにする金権政治にほかならない。財産の少ない者は、普通どこでも国民の大部分であるし、それらの勤労階級の額に汗する努力によって、国の力がささえられているのである。政治は、すべての人々の利益のために行わなければならない。それには、まずもって、それらの勤労階級の考えが選挙の上に現れるようにしなければならない。それらの人々は、金持たちのうわべを飾る形式的な礼儀にはうといかもしれないが、真実の問題を真剣に考える誠意を持っている。金がないから、上級の学級に通うことはできなかったかもしれないが、義務教育の普及とともに、普通の常識は心得ているし、何よりも実地についての生きた経験を持っている。そういう誠意や経験を政治のうえに活用しないという法はない。したがって、それらの人々の世論が強くなってゆくにつれて、政治の決定権を独占していた財産家たちも、だんだんと譲歩せざるを得なくなり、次第に財産上の条件が取り除かれて、貧富の差別なく、国民が平等に選挙権を行使することができるようになってきた。

財産のある、いわゆる上流の人々だけが選挙権を持ち、その代表者を議会におくって自分たちの利益を守らせるという制度は、初めは、どこの国にも行われた。そういうふうに、金持によって独占されていた政治権力が、一般の国民に広げられていったのは、一つには、民主主義の思想が強くなり、まずしい勤労階級のために努力する人々が多くなってきたため、二つには、第十八世紀の末から第十九世紀にかけて、工業の発達に伴う産業革命という現象が起り、諸国に広まったためである。これは、農業や手工業中心の経済から大工業中心の経済への変化であって、それによって、おおぜいの農村の人々が都市に出て、工場労働に従事することになった。それらの人々は、それだけ政治に対する知識と自覚を高め、だんだんと大きな政治勢力を形作るようになっていった。かくて、新たに興ってきた労働階級が、都市の小市民や農村の小作人たちと結んで、絶えず政治への参加を要求し、ついに選挙権に関する財産上の条件を取り除くことに成功するにいたった。

これを日本について見ると、明治憲法のもとではじめて議会制度ができたころには、直接国税年額十五円以上を納めなければ、議員の選挙に加わることができなかった。それを、明治三十三年の選挙法の改正で、税額十円にまでひきさげた。十円とか十五円というと、今ではほんのわずかなはした金のように思われるが、明治二十年、三十年代には、十円の国税を納めるということは、相当の収入のある人でなければできなかったのである。そこで、大正八年には、税額が三円に改められた。これに対して、いわゆる普通選挙の運動というものが盛んに展開され、大正十四年の改正選挙法によって、いっさいの納税及び財産の資格が取り除かれ、租税を納めない貧乏人であっても、年齢が満二十五歳以上であり、重い刑に処せられた者や精神上の不具者でないかぎり、選挙権を有するということになったのである。

年次有権者数棄権率(%)総人口に対する有権者数の比率(%)選挙区
明治23450,8726.01.1
〃 25434,5946.30.9
〃 27440,11317.11.0
〃 27460,38417.01.1
〃 31453,32912.01.0
〃 31501,45920.11.1
〃 35983,19211.52.1
〃 36951,86013.12.0
〃 37757,78813.31.6
〃 411,582,67614.33.2
〃 451,503,65010.12.8
大正41,546,3417.92.9
〃 61,422,1188.12.5
〃 93,069,78713.35.4
〃 133,288,3688.85.5
昭和312,405,05619.620.0
〃 512,651,78516.719.6
〃 712,014,96318.318.1
〃 1114,303,78021.320.4
〃 1214,075,01076.719.7
〃 1714,594,28716.819.5
〃 2137,128,42027.750.0
〃 2240,907,49332.152.0

(選挙管理委員会事務局の資料による)

四 婦人参政権

今述べたとおり、日本では大正十四年に選挙に関する財産上の制限がなくなった。そこでそのころの人は、普通選挙が実現されたと言ったのである。しかし、それは男子だけの普通選挙であって、その中にはひとりの女子も含まれていなかった。わが国だけではない。他の進歩した民主主義の国々でも、婦人参政権ということはなかなか行われるにはいたらなかった。なぜだろう。なぜならば、西洋でも、昔から長いこと女は男よりも一段地位の低いものと考えられていたからである。それに、女子は家庭の仕事に専念しているのであって、男子のように社会的な活動を営むわけではないから、分業という点から考えても、政治の問題に参与するのは男子だけでよいというように見られていたからである。

けれども、民主主義の根本精神たる人間平等の立場から見て、このような差別は、とうていいつまでも維持されるべきはずのものではない。しかし、民主主義は、能力や経験の大小をまったく無視して、単にすべての人間を一律平等に取り扱おうとするわけではない。現に、選挙権については、どこの国でも一定の年齢上の制限を設け、子供は選挙に加わる資格がないものとされているのである。しかし、男性と女性との区別になると、事情はまったく違う。女性が低い地位におかれていたのは、主として男性が横暴だったからである。婦人の知識が低かったとすれば、それは高い教育を受ける機会が与えられていなかったためである。平均して、女子の方が男子よりも才能が劣っているかどうかは、わからない。よしんばそういうことが言えるとしても、無能な男子にも選挙権が与えられているのに、すぐれた女子には公民としての資格がないというのは、不合理千万な話である。それに、社会的な活動への婦人の参加は、おいおい世界の大勢となってきた。婦人のこまかい情操とゆきとどいた配慮とは、公共の活動についても、方面によっては男性の及ぶべくもない働きを示すことが明らかになった。たとえば、衣食住の生活改善は、婦人の政治参与なしには解決されがたい。そういう事情と並行して、イギリスのジョン・スチュアート・ミルをはじめ、多くの先覚者が、婦人に参政権を与えよということを主張し、それが大きな世論となって、男女平等の選挙権が認められるようになった。イギリスで婦人参政権が認められたのは、一九一八年であり、アメリカ合衆国では、一九二〇年の憲法改正によって、一般に婦人も選挙権を行うようになったのである。

日本では、大正(一九一二-二五)の終りになって、男子だけの普通選挙が認められたのであるが、そのころまでは民主主義の方向に発達してきた政治の動きが、昭和の時代にはいるとまもなく、軍国主義や独裁政治の邪道に脱線してしまった。したがって、婦人参政権などということは、まったく問題にされる余地もなくなったのである。それが今度の戦争の結果として、軍国主義や独裁主義は滅ぼされ、民主主義を、改めて政治のうえに徹底させることになり、婦人の選挙参加が一挙に実現すると同時に、選挙を行うための年齢の資格も、男女とも満二十歳に引き下げられた。それによって有権者の数は、全国で約二千三百万人の増加をみた。また、選挙されて国会議員となるための年齢上の条件は、衆議院では二十五歳、参議院では三十歳と定まり、若い国会議員や婦人代議士もできて、新しい日本を築くために働いている。

図 総人口に対する有権者数の比率
(1)大正14年の選挙法改正 男子のみの普通選挙(年齢満25歳以上)
(2)昭和20年の選挙法改正 男女平等の普通選挙(年齢満20歳以上)

財産上の制限もなくなり、婦人参政権も実現すれば、それがほんとうの普通選挙である。しかし、ほんとうの普通選挙といっても、選挙権について国民の間になんの制限もなくなったわけではない。重い犯罪を犯した者や、二十歳未満の少年少女には選挙権はない。だから、どんな普通選挙でも、文字通り国民のすべてにゆきわたっているというわけにはゆかない。二十歳という年齢の制限は、かなり機械的なものである。二十歳にならないでも、政治のことに相当に明るい、有能な人もあるであろう。三十、四十になっても、政治には無関心な者があるに相違ない。けれども、野球の花形選手を選ぶのとは違って、子供にまで参政権を認めるのは適当でないとすれば、この辺で線を引くよりほかはあるまい。選挙権拡張の歴史は、これでひとまず到達すべき点に到達したものと言ってよいであろう。

五 選挙の権利と選挙の義務

こうして、日本の民主政治は、選挙権という点に関しては、どこの外国に比べても劣らないほどに、国民の間に広い地盤を持つことになった。しかし、これは、いま言う通り、敗戦の結果なのであって、日本人がほんとうに民主政治の意味を自覚して、自分たちの力で選挙権の範囲をこれだけにおし広げたわけではない。したがって、ここでよほどしっかりと民主政治のしかたをのみこみ、人間としての教養と政治に関する常識とを養っておかないと、この広く認められた選挙権が宝の持ち腐れになる。一時の困難に打ちひしがれたり、過激な思想に雷同したりして、みんなで独裁者をかつぎ上げたりするようなことがないとはかぎらない。

たとえば、ドイツは、第一次世界大戦に負けたあとで、ゲーテの死んだワイマールという町で新しい憲法を作り、国会を中心とする高度の民主政治を行うことにした。ところが国会の中にたくさんの政党ができて、ああでもない、こうでもないと争っているうちに、ヒトラーに率いられたナチス党というものが起ってきた。政党政治の煮えきらない態度にあいそをつかしたドイツの国民は、男も女も、その与えられた広い選挙権を用いて、景気のよいことをいうナチス党に投票を集中し、これを国会の第一党に仕立て、自ら求めて独裁政治の基礎を確立してしまった。そのナチスの独裁主義は、だんだんと図に乗って、国際法を破り、国際間の信義を踏みにじり、ついに無謀な戦争に突入して、国民を日本以上の惨憺さんたんたる運命におとしいれてしまった。これでみても、新しい民主主義の憲法ができ、選挙権が国民の間に広くゆきわたったからといって、それだけで民主政治がうまくゆくと思ったら、とんでもないまちがいであることがわかる。

選挙権がどんなに拡張されても、国民が、その与えられた権利を用いて独裁者に投票すれば、民主主義はこわされてしまう。が、しかし、それだけではない。選挙権者の多くがその権利に忠実でなく、投票を怠る場合にも、社会の裏面に隠れて民衆をあやつる独裁者の、思うつぼにはまってしまうことを忘れてはならない。

図 政治に無関心

なぜかというと、国民が政治に無関心であれば、ある一つの目的を是が非でも実現しようとする連中だけが、有力な候補者を押し立て、お互に語り合ってその候補者だけに投票を集中する。そうすれば、よしんば、そういうふうにして権力をわがものにしようとする人々が国民の中の少数であっても、結局は無関心な国民の多数を押さえて、権力を独占するという仕事に成功することができる。そうなれば、権力を独占した連中は、多くの国民があとになってこれはたいへんだと気がついても、もう民主的に自由な選挙を行うことができないように、政治の組織を根本から変えてしまうかもしれない。だから、多数の有権者が自分たちの権利のうえに眠るということは、単に民主政治を弱めるだけでなく、実にその生命をおびやかすのである。

それにもかかわらず、世の中には政治に無頓着むとんちゃくな人が少なくない。そういう人々には大別して二つの型がある。第一の型に属するのは、相当に知識もあり、能力もありながら、かえってそのために、政治をくだらないこととして見おろそうとする人々である。かれらは、政治のことに夢中になる人々をいやしむ傾きがある。そのくせ、自分よりくだらないと考える人間が権力を握ってしまうと、そのことをだれよりも慨嘆するのは、かれら自身なのである。これに対して、もう一つの型に属するのは、政治などということは、自分たちにはわからない高いところにある事柄だと思う人々である。かれらは、自分自身を卑下してきた長い間の習慣で、政治は自分たちには縁の遠いことだと思いこんでいるのである。しかも、政治のよしあしが、自分たちの運命に直接に大きなかかわりをもつものであることに、気がつかないのである。

いうまでもなく、それらはどちらも正しい態度ではない。ほんとうの民主主義では、政治は「すべての人」の仕事でなければならない。

だから、選挙権は、権利ではあるが、同時に義務である。義務であるというのは、たとえば納税の義務のように、それを怠れば罰せられるというわけではない。その意味で、熱意と理解とをもって政治に参与することは、法律上の義務ではなくて、むしろ道徳上の義務である。道徳上の義務であるというよりも、むしろ多くの人々の幸福を思う愛情の問題なのである。たとえば、農村の婦人が、選挙などということはわからないと言って棄権したとする。おおぜいの国民の中で自分ひとりが棄権しても、なんでもあるまいと思う。しかし、多くの人々がそういう気持になれば、それはやはり選挙の結果を大きく左右する。選挙場に行かないで、乳ぶさを与えてあやしているわが愛児が、その一票のために将来独裁政治の犠牲になるかもしれないことは、決して物語でも、おとぎばなしでもない。民主主義とは、そこのところにはっきりと気がついた人々によって、健全な良識と強い責任感とをもってなされる行為を、いわば一つ一つの「れんが」として組み立てられてゆく、がっしりとした大きな建築物のようなものなのである。