民主主義, 文部省

第三章 民主主義の諸制度


一 民主主義と反対の制度

ロビンソン・クルーソーの漂流記は、世界じゅうの少年少女に愛読されている物語だが、この冒険談には一つのモデルがあった。一七〇四年の秋、アレキサンダー・セルカークというイギリスの水夫が南米のチリー沖で難船し、マサティエラという孤島に打ちあげられて、そこで四年間暮らしたのである。この事実を題材として、別にまたある詩人が次のように詠じた。

私は見わたすかぎりすべてのものの王様だ。
私の権利を争う者はひとりもいない。
島のまんなかから四方八方海に至るまで、
私は鳥や獣の御主人様だ。

しかし、ロビンソン・クルーソーは、はたしてこの詩に歌われているように、島に住む鳥や獣の王様だったのだろうか。たったひとりの人間が孤島に住むようになってからも、鳥どもは自由に空を飛びまわっていたであろう。獣たちは、べつだんその前にやって来て平身低頭したりすることはなかったであろう。ロビンソン・クルーソーは、その中のあるものを捕らえて食用に供したろうし、おうむを慣らしてことばを教えたでもあろう。しかし、それは、島の動物のごく一部分だったに相違ない。その他のものどもは、あいもかわらず自由に空を飛び、野山をかけまわっていたに違いない。

人間は、鳥や獣とは比較にならない知能を持っている。それにもかかわらず、たったひとりの人間が多数の鳥や獣の王様になるということは、詩やおとぎばなしの世界以外にはありえない。ところが、人間の世の中には、昔から王様というものが実際に存在した。その王様は、自分よりはるかに知能の低い動物を支配したのではなく、同等の知能を持った多数の人間を支配していたのである。それどころか、王様の方が家来よりもずっと知能の低い「ばか殿様」だった場合が、少なくないのである。それなのに、どうしてたったひとりの王様がおおぜいの人たちを支配することができたのであろうか。それは、きわめてむずかしい問題だ。しかし、また、すこぶる簡単な問題だ。どうしてだろう。なぜなら、そういう世の中には、たったひとりの王様をまつりあげて、みんながその命令によって動き、その命令に従わぬ者は、どんなふうにでも処罰されるという政治上の組織が存在していたからである。

そういうぐあいに、ただひとりの支配者が絶対権を握っていて、すべての人がその命令に無条件に服従するような政治のやり方は、専制政治である。特に、その支配者が一般人民の寄りつけぬような高い身分を持っていて、その地位が世襲で受け継がれる場合をさして、専制君主といい、専制君主政と名づける。専制君主が暴君であったり、ばか殿様であったりすることが多いのに、どうしてそれが一般人民からあがめられるのか。まことにふしぎなことだ。しかし、そのふしぎなことをふしぎでなくするくふうがある。それは、人民に、君主の地位は神から授かったものであり、君主の命令は神の意志によるものだと思い込ませることである。だから、古来の専制君主政の多くは、君権神授という思想のうえにうちたてられていた。だからまた、人間の自覚が高まって、そういう思想がばかげたものであることに気がつきはじめた時以来、専制君主政はつぎつぎにくずれていった。

けれども、専制君主政がなくなったからといって、専制主義そのものも消えてしまったと思ってはならない。現代にも金持が政治の実権を握っている金権政治があるし、民主主義のような外形をよそおいながら、国民にわずかな自由しか許さない巧妙な専制主義もある。この、民主主義の形でカモフラージュされた専制政治では、選挙を行っても、政党はただ一つしかなかったりするから、国民の自由な意志は代表されえない。国民は投票権を持っているが、候補者は普通の場合最初から決まっているから、選挙はしてもしなくても同じことである。国民の政治への参与は名ばかりで、実は、少数の者が権力を独占し、その少数の権力者の意志で万事が決定されてゆく。国民は、働き、服従し、戦争をするために生まれてきたのだと教えこまれる。かれらは、自分たちのもらう賃金が公正であるかどうか、自分たちの服従すべき法令が正義にかなっているかどうか、自分たちの出て行く戦争がどういう意味のものであるかを、疑うことすら許されない。ただ黙ってその分を尽し、砲弾の的となって死に、死ぬことが名誉であり、人類解放のためであると考えることをしいられる。

人類の歴史が始まって以来、こういうように人民を所有し、使用し、圧迫した政府は少なくない。そういう政府があまりに多いので、政府などというものは、ない方がいいという議論を唱える人もある。それが無政府主義である。ロシアのクロポトキンなどは、そのひとりとして名高い。

無政府主義の理想とする社会では、権力の組織がないのだから、つまり、君主もなければ、大統領もなく、議会もなければ、裁判所もないということになる。もしも、クロポトキンなどの説くように、それで世の中の平和が完全に保たれ、人々の自発的な協力と援助とによって、社会の福祉がおのずからに増進してゆくものであるならば、政府などというものは不用となるであろう。政府がなければ、権力をもって人民を圧迫する危険も起らないにきまっている。

しかし、政府がなくてすむのは、理想の社会である。現実の社会では、人々の間に意見の対立が生じ、利害の衝突が起る。その場合、すべての人々の言い分をとおすわけにはゆかない以上、その多数が支持する考えを実行することと定め、それに反対の、もしくはそれとは違う意見を持つ他の人々も、その考えに従うべきものとし、あくまでも反対する人々に対しては、その決定を強制してゆかなければならない。このように社会的な強制力を持った組織が、政府である。だから、社会的な強制力の必要がないほどまで人間の世の中が完全になるまでは、政府の必要はなくならない。そうして、政府が必要である以上、その政府の組織はできるだけ多数の人々の考えで決めることが望ましい。ただに政府の組織ばかりでなく、政府の方針も国民の多数の意見で決定すべきだし、その意志に従って政治をつかさどる人々も、国民の中から自由に選ばれた国民の代表者でなければならない。そうすることによって、はじめて、国民のための政治を行うことが期待される。かくて、民主政治がいちばんよい、いちばん正しい政治であることが知られる。

二 民主主義のおもな型

国民の代表者が、国民の意志により、国民のための政治をするという民主主義の原理は、一つである。およそ民主主義が行われているかぎり、どこの国でも、この原理に変わりはない。ただ、原理は同じでも、それを実地に行うための制度には、国によってある点までの違いがある。それによって、民主主義の制度の幾つかの型を区別することができる。ここでは、そのおもな型を簡単に説明して、それが実際のうえにどういうふうに行われているかをみてゆくことにしよう。

政治上の民主主義に、代表民主主義と純粋民主主義という二つの型があることは、第一章でいちおう説明しておいた。代表民主主義というのは、法律を作ったり、政治を行ったりする場合に、国民の直接の投票によらないで、国民の中から自由に選ばれた代表者たちが、それらの仕事を行うしくみである。この型では、国民の意志は、国民代表の組織をとおして間接に政治のうえに実現されてゆく。だから、それを「間接民主主義」ともいう。これに対して、純粋民主主義では、国民の直接の投票によって法律案を採決したり、重要な政治問題を決定したりする。そこで、これを「直接民主主義」とも名づける。

間接民主主義の組織の中で、国民の中から選ばれた人々を構成員とし、国民を代表して法律の制定にあたる最も重要な機関は、議会である。議会の行ういちばんたいせつな仕事は、立法である。政府の持っている執行権または行政権は、すべて法律の規定に従って行使されなければならない。それゆえ、政府は、議会の議員の多数の支持を受けないでは、思うような仕事をすることができない。そこで、議会で多数を占めた政党が内閣を組織するのが、順序でもあるし、都合もよいということになる。一つの政党だけで議会の過半数を占めることができなければ、二つ以上の政党が連合して、連立内閣を作る。そういうしくみになっているのが、議会政治もしくは議会中心の民主主義である。

図 代表民主主義と純粋民主主義

これに対して、行政部が議会からもっと独立した地位を占めている組織もある。この組織では、政府の主脳者、たとえばアメリカ合衆国の大統領は、議会が指名したりするのではなくて、別の方法で国民の中から選び出される。したがって、議会中心の民主主義では、行政権が立法権に依存した形になっているのに反して、アメリカのような型の民主主義では、行政権と立法権とが分立している。ゆえに、これを「権力分立」の民主主義という。それと並んで、民主国家ではどこでも、法律によって裁判をする裁判所の制度が発達しており、裁判所は、議会からも政府からも独立して司法権をつかさどっている。この「司法権の独立」という点は、議会中心制の場合と権力分立制の場合とによって変わることはない。

更に、直接民主主義になると、法律は国民の投票によって決められる。議会はあっても、そこでは法律の案を審議するだけで、その採決は国民表決によるのである。国民表決のことをレフェレンダムという。直接民主主義の度をもっと強めた場合には、国民はレフェレンダムによって法律案の可否を決めるだけでなく、自分たちの側からも法律案を提出することもできるようになる。それが国民発案――イニシアティヴ――である。一定数の国民がイニシアティヴによって提出した法律案は、更に国民の承認により、あるいは立法機関の採決によって法律となるのである。

民主主義のこれらの三つの型は、それぞれそのまま純粋に実現されているのではなく、いろいろな型が結びついたり、純粋の型だけでは説明のつかない要素をまじえたりして、各国に行われているのであるが、割合に純粋に近い制度が採用されているものをあげるならば、議会中心制の型はイギリスによって、権力分立制の型はアメリカによって、直接民主制の型はスイスによって代表されているということができよう。そこで、それらの三つの国について、民主主義の制度が実際にどういうふうに運用されているかを、調べてみることにしよう。

三 イギリスの制度

近代の民主主義がいちばん最初に発達しはじめたのは、イギリスである。その意味では、イギリスは近代民主政治の元祖だといってよい。よく人が言うように、現代の文明人が宗教を学んだのは東洋から、アルファベットを学んだのはエジプトから、法律を学んだのはローマからであるが、政治制度についての多くのものを学んだのはイギリスからである。ことに、新しい日本の憲法で定めた組織はイギリスの制度によく似ているから、日本国民としてはまずイギリスの政治組織の研究から始めるのが、必要でもあるし、理解もしやすいだろう。

イギリスの政治組織の中心をなしているものは、議会である。イギリスの議会は、ほとんど万能に近い権力を持っている。これをたとえて、「イギリスの議会は、女を男にし、男を女にする以外はなんでもできる」と言った人がある。この議会は二院制で貴族院と庶民院とから成っているが、貴族院の方はもっぱら世襲の貴族で組織されているから、ほんとうに国民を代表するのは庶民院である。そうして、また、イギリスの議会の中心となっているものも、庶民院である。だからイギリスの政治が民主的であり、議会の権力が強いというのは、つまり、庶民院の力が強いということにほかならない。

ところで、イギリスの政治形態は立憲君主制で、形のうえではいちばん上に国王のある組織である。国王は、本来、名誉と正義の源泉と考えられ、法律を作り、これを執行する最高の力を持つものと認められていた。それが、民主主義を要求する国民の長い間の政治闘争の結果として、だんだんと政治の実権が議会を中心として行われるようになってきたのである。だから現在では、法律を立案し、これを審議するのは、議会に専属する権限で、国王はまったくこれに関与することはできない。ただ国王には、形式のうえでは議会で決めた法律案に同意することを拒む権利があることになっているけれども、その権利も、一七〇七年以来一度も行使された例はない。つまり、国王の実質上の権力は非常に制限されているのである。そこでイギリスの学者は、国王は民主主義という建物のいちばん上にある飾りで、本国や自治領の国民が仰いで忠誠を誓う最高の尊い象徴であり、イギリス連邦諸国の間をつなぐみごとな鎖だと言っている。

だからイギリスは君主国ではあるが、政治の実際の中心を成すものは議会である。中でも、国民によって選ばれ、国民を代表しているところの庶民院である。庶民院を中心とするイギリスの議会は、立法権を持った最高の国家機関であって、同時に、政府の行ういっさいの行為を批判するという重大な役割を果たしている。政府は議会の多数党の支持を受けているが、議会にはかならず反対党があって、政府の政策を常に批判し攻撃する。これに対して、政府は、くり返してその政策を説明し、弁解し、擁護しなければならない。政府は、それによって絶えずその政治方針が正しいかどうかを反省することになるし、国民は、それによって常に政治問題の中心点に批判の目を注ぐこととなる。このような政治上の議論が公明に行われる舞台として、議会は最も重要な機能を果たしているし、イギリスの議会は、この重要な任務を模範的に遂行しているといってよい。庶民院の議員は、二十一歳以上の男女が選挙する。すなわち、男女同権の完全な普通選挙である。しかし、現在のこの状態に到達するまでには、ずいぶん長い時日がかかった。ずっと以前には、有権者が財産のある少数者にかぎられていたために、国民のほんとうの意志はすこしも議会によって代表されていなかった。それが、だんだんと選挙権の拡大が行われ、ついに、一九二八年になって、はじめて婦人にまで完全に平等な選挙資格が認められるようになったのである。イギリスの婦人参政権の運動は、立憲政治の発達史のうえでも特に有名である。これに比べると、日本の今日の完全な普通選挙権は、国民の側からのほとんどなんらの苦闘もなしに、一挙に与えられたのである。これだけに、形だけはりっぱに整っていても、国民の政治的自覚や訓練の点では、まだまだ不十分である。このりっぱな形の中に、それにふさわしい民主政治の実質を盛りあげて行けるかどうかは、ひとえに民主主義の根本精神に徹しようとする国民の心構えのいかんにかかっている。

イギリスの庶民党が民意の完全な代表機関であるのに対して、貴族院の方は、前にも言ったように、世襲の貴族によって構成されている。貴族というものは封建時代のなごりであるから、貴族が当然に議員になるという制度は、民主政治の原則から見て不適当なものであるに相違ない。しかし、イギリスでは、貴族院の権限を非常に小さくして存続させている。前の章でも説明したようにこの貴族院の権限の縮小を断行したのは、一九一一年の国会法であって、これによって、同じ法律案が続いて三回庶民院で可決された場合には、貴族院でその都度それを否決しても、国王の裁可を得て法律とすることができるようになったのである。けれども、そういうふうに、貴族院の反対によって法律案の決定を延ばせば、その間に世論の批判も熟してくるから、軽率な立法を避けるという点ではかなりの効果がある。そこに、また、二院制の長所があることを認めうるであろう。

議会の基礎のうえに立って、国王の助力をするという形で実際の政治の運用にあたっているのは、内閣である。内閣の組織と進退については、三つの慣習上の原則がある。第一は、大臣はかならず議会の議員でなければならないということである。しかも、庶民院議員たる大臣のほうが貴族院議員たるそれよりも、多くなければならないことになっている。これによって、内閣のすることが、絶えず国民代表たる議会の批評や忠告を受けることになる。第二に、各大臣は連帯して責任を負うということで、各省それぞれの事務については別々の責任があるけれど、内閣の仕事については、全部の大臣がいっしょに責任を負っている。これによって、すべての大臣が一致して、一つの方針で仕事をすることが保障されるわけである。第三に、内閣は、庶民院が不信任の決議をしたり、その内閣の生命といってもよいような重要な法案を否決したりすると、総辞職をする原則になっている。総辞職をする代わりに、庶民院を解散して、信を国民に問うこともできる。これらの原則が円滑に行われることによって、内閣が議会の中に、したがって国民の中に深く根をおろした民主主義的な制度であることが保障されるわけである。

イギリスの政治組織は決していっぺんにこのような制度としてできあがったのではなく、長い歴史を通じてだんだんとここまで発達してきたのである。そうして、そのしくみは、いろいろな法律によって次から次へとできあがったものであり、それと並んで、成文の形を備えていない慣習上の原則によっている部分も少なくない。だから、イギリスは、立憲政治の源であるといわれるが、日本やアメリカのように、一つの法典の形にまとまっている憲法を持たない。ただ、国家の根本の利益に関係のある法律の改正をするときには、それに先だって総選挙を行い、民意を問わなければならないという原則が、これまた政治上の慣習によって確立されている。

四 アメリカの制度

次に、アメリカ合衆国で行われている民主政治の制度を調べてみよう。

近代の民主政治が生まれる以前には、専制君主が国家の権力を全部その手に握っていた。だから、たとえば、ある君主が、ほんの気まぐれから、犬をいじめたものは死刑にすると言い渡したとする。そうすると、それが法律となって、人をかむ癖のある犬を棒で追い払っても、死刑に処せられる。あらかじめ法律を定めておかないでも、りっぱな宮殿を作るために過酷かこくな税金を取りたてることもできるし、気に入らぬ家来をその場で手打ちにすることもできる。

そういう乱暴な政治や裁判によって国民が苦しむことがないようにするためには、いったいどうしたらよいであろうか。たとえば、アメリカでは国民を代表する議会で法律を作り、その法律を行政のうえに執行する仕事は大統領が受け持ち、法律によって裁判をする仕事は裁判所でつかさどるというふうに、三つの権力をそれぞれ分担して行うようなしくみにしている。つまり、法律を制定する機関は、法律を執行し、裁判を行う機関とは別々でなければならない。立法権・行政権・裁判権を一手に握ると、どんな暴政でも行いうることになる。だから、その三つの権力を区分して、これを独立した三つの機関で運用するようにしなければならないというのが、権力分立または三権分立の原理である。そうして、この原理をいちばんはっきりと表しているのが、アメリカ合衆国の憲法なのである。

まず、立法権を行うのは、国会である。国会は法律の制定にあたる唯一の機関であって、後に述べるように、大統領は国会の決めた法律案を拒否することができるけれども、それは絶対的のものではない。しかも、行政権を有する行政機関も、裁判権をつかさどる裁判所も、国会が作った法律によって組織され、法律に基づいて行動し、国会の同意した予算をもって活動するのである。その意味で、国会の受け持つ仕事は、他のすべての国家活動の基礎をなしているといってよい。

国会は元老院と代議院との二つから成っている。アメリカ合衆国は連邦の組織で、四十八の州から成りたっている。そこで元老院の方は、各州から平等に二名ずつ選ばれた議員で構成される。これに対して、代議院の方は州の人口に応じて各州に割りあてて選挙された議員を持って組織されている。この選挙をする資格はきわめて広く、かつ平等に認められ、男女の別のないことはもとより、皮膚の色による差別もおいおいに撤廃されつつある。人間はすべて平等に生まれたということは、アメリカの独立宣言書が自明のことと認めた大原則であるが、この原則は、政治に参与する立場の平等としては、合衆国の制度の中に既に広く実現せられているといってよい。国会の主たる任務は立法であって、国会以外の機関は立法に参加しない。だから、アメリカでは、大統領は国会に向かって立法の勧告を行うことはできるが、法律の発案権は持たない。

法律が両院のどちらかを通過すると、すぐにもう一つの議院にまわされる。たとえば、法案がまず元老院をとおったとすると、それは、直ちに代議院に送られ、そこも無修正でとおれば、両院議長が署名して、大統領に提出する。大統領がこれを承認すると、署名して国務省に送り、国務省がこれを公布する。大統領がそれを拒否する場合には、理由を附して、初めにその法案を通過させた議院に送り返す。しかし、大統領が拒否しても、両院の三分の二以上の多数でそれをもう一度議決すれば、その法律は成立する。前に、大統領の拒否権は絶対のものではないといったのは、このことにほかならない。

次に、アメリカ合衆国の行政権の最高責任者は、大統領である。大統領は一般国民の間から投票によって選ばれるのであるから、どんな貧乏な家庭に生まれた少年でも、いつの日かこの世界第一流国の大統領になることがありうる。四年に一度の大統領選挙は、アメリカ国内を興奮させる。ただし大統領は直接に国民が選挙するのでなくて、国民はまず大統領選挙人を選び、その選挙人が大統領を選挙するのである。つまり、アメリカの大統領選挙は間接選挙なのである。ところで、大統領選挙人は、決して自分一個の意見によって投票をするのでなく、自分の所属する政党があらかじめ指名した大統領候補者に投票する。だから、国民が選挙人を選んだときに、だれが大統領に当選するかが事実上決まってしまうのである。そこで、各政党が自党の大統領候補者を指名する大会が、すこぶる重要な意味を持つ。二大政党である共和党および民主党の大統領候補指名の大会を皮切りに、その年の十一月に行われる国民投票による選挙人の選挙にいたるまで、国内は政治問題でわきたつようににぎわう。そうして、それらの行事がまた、国民の政治意識を高める大きな機会になっている。

大統領は、その行政権を行使するために、職務遂行の協力者として、各省長官を任意に選任する。この各省長官の集まりを内閣とよんでいる。内閣は大統領の下にあって、大統領を補佐するのである。したがって内閣は大統領に対してのみ責任を負い、国会に対しての責任を負わない。行政権の行使についての全責任は、大統領ひとりが持っているのである。

だから、アメリカの大統領は、行政に関してはきわだって強い権力を持っている。このことを示す有名な例として、リンカーン大統領の逸話がある。ある重大な閣議で全員がリンカーンに反対した。そこでかれは言った。「反対が七で賛成が一であります。そこで、賛成と決定しました」と。

権力分立の原則が堅く守られている結果として、大統領は国会の運営には関与しない。しかし、大統領の政策を実行するためには、その基礎になる法律が国会で制定されなければならない。そこで、国会をうながして、自分の政策と一致する法律を制定するようにしむけてゆくことが、大統領の腕だということになる。そのためには、多数党の活動にまつところが多いが、また、大統領が自分の必要だと信ずる施策について国会の審議を勧告することもできる。この勧告は、普通いわゆる「教書」として国会に送られる。教書は文書として示されることもあるし、大統領自らが口頭で伝えることもある。

三権の中のもう一つ、すなわち裁判権または司法権を行うのは、いうまでもなく裁判所である。しかし、アメリカの最高裁判所は、一般の司法権のほかに、国会で制定した法律が憲法にかなっているかどうかを審査するという、きわめて重大な権限を持っている。これを「違憲立法審査権」という。最高裁判所は、国会で制定した法律が憲法の趣旨に反していると認めれば、その法律の適用を拒否することができ、その結果としてこの法律は自然に効力を失うのである。この原則は慣習によってできあがったものであって、憲法の明文に書いてあるわけではない。しかし、この原則がある以上、国会の立法権も最終的なものではないということになる。国会といえども人間の会議であり、人間の会議である以上、その決定がいつでもかならず正しいということはできない。そこで、最高裁判所の違憲立法審査権によって国会の行き過ぎを戒め、国会での多数決の結果が憲法の精神に反することがないようにしてあるのは、アメリカの制度の持つ大きな妙味であるといわなければならない。

ところで、このように重大な責任をになっている裁判所は、憲法の定める最高裁判所と、法律によって設けられる下級裁判所とから成り立っている。だから裁判所の組織の細かい点は、国会の制定した法律によって定められている。つまり、最高裁判所は国会の違憲立法を戒める権限を持っているが、裁判所をどういうふうに設けるかについては、逆に国会の決定が大きくものをいうのである。また、最高裁判所で仕事をしている裁判官に関しては、憲法は終身その地位にあるものと定め、それによって裁判所の独立を保証しているのであるが、他方また、裁判官の任命は大統領が元老院の同意を得て行うこととし、そのかぎりでは、最高裁判所の人事に対する行政権の関与を認めている。このように、アメリカの制度は、立法・行政・司法の三権をいちおうはっきりと分立させつつ、その間を微妙に関連させて、お互の間の均衡が保たれるように、注意深くくふうされているのである。

五 スイスの制度

わが子の頭の上に載せられたりんごの的をみごとに射抜き、もしも射損じたならば、二の矢をもって代官を射倒そうとしたウィリアム・テルの話は、世界じゅうの少年少女が知っている。横暴な代官に対抗して、祖国スイスの自由を守ったテルの勇気は、民主主義の英雄たるにふさわしい。それは遠い昔の話であるが、現在でも、スイスは民主政治の一つの重要な見本を示している。

スイスは、アメリカ合衆国のように連邦であって、幾つかの州から成りたっている。スイス連邦政府は、立法・行政・司法の三部門に分かれ、立法府は国民議会と連邦議会とから成っている。連邦議会には各州から平等に二名ずつの議員を出しており、その点ではアメリカの元老院に似ている。国民議会の方は、各州から比例代表制によって選挙されたおよそ二百名の議員によって構成される。比例代表制というのは、後に選挙についての章で説明するが、各政党が国民の支持する数に応じた議員を出すことができるように、特別にくふうされた選挙方法のことである。選挙権は、二十歳以上の男子に与えられ、婦人参政権はまだ認められていない。選挙は、アメリカその他の国のように鳴りもの入りで熱狂的に行われはしないが、棄権者が少なく、政治問題を冷静に判断して投票を行っている点には学ぶべきところが多い。

スイス政府の行政部は、独特な組織を持っている。行政権の首長は、普通は国王とか大統領とかひとりであるものだが、スイスでは、それが多数の人々から成っている。連邦参事会議がそれで、両院が選挙した七名の参事員で構成される。毎年、両院合同の会議で連邦参事会議の参事員の中の一名を参事会議の議長に選び、これにスイス連邦大統領の称号を与える。しかし、大統領は、参事会議の議長となり、可否同数の時にこれを決する権限を持っているにすぎない。官吏を使命することも、法案を拒否することも、外交を行うこともできない。だから、大統領はまったく名義上の連邦の元首であって、儀式の時に国を代表するだけである。

しかし、スイスの制度の持つ最も著しい特色は、直接民主主義が発達していることである。すなわち、重要な法律案は、立法府で審議したうえで国民投票に問い、国民が直接にこれを承認して、はじめて、法律として施行される。更に、国民の中の一定数の有権者の意見がまとまれば、国民の側から法案を提出し、立法府がこれを採択するか、あるいは国民がこれを表決するか、どちらかの方法によって法律が制定される。前の制度は国民表決であり、あとのしくみは国民発案である。

今言う通り、これら二つの方法によって立法の中に国民の意志を直接に反映させる直接民主主義は、スイスの制度の大きな特色であるが、今日では、アメリカの州の中にも同様のしくみを採り入れているところがある。だから、アメリカは、合衆国全体としては間接民主主義によっているが、州によっては、ある程度の直接民主主義が加味されているといってよい。

図 代表民主主義と純粋民主主義

直接民主主義は、国民の意志によって直接に立法の問題を決定しようというのであるから、民主主義としては最も徹底した形である。けれども、他方からいうと、立法の問題はなかなか複雑でむずかしい。しかるに、国民の多くは、決して法律のことに詳しいとは言いえない。そのむずかしい立法の問題を、法律の知識をじゅうぶんに持たない国民が直接に投票して決めるということになると、気まぐれや偶然によって事が左右されるおそれがある。そこが、直接民主主義について議論の分かれるところである。いずれにせよ、国民の政治常識が相当に高まったうえでなければ、直接民主主義を実施してもかならずしもよい効果は望めないであろう。民主主義の制度には、このようにいろいろな型がある。われわれは、その中のおもだった三つの型の実際をイギリス、アメリカおよびスイスの制度について見てきたのであるが、更にフランスとか、カナダとか、オーストラリアとかの政治組織を考察してゆくならば、そこにそれぞれ大なり小なり違った点があることを発見するであろう。更に、一つの国の政治組織といえども時代とともに、だんだんと変化してきたのであるし、これからも発展を続けてゆくであろう。民主主義はあたかも生きた有機体のように不断に成長しつつある。しかもその根底にある原理、すなわち、自由に表明された国民の意志によって、国民自らのために政治の方針を定め、国民が自由に選んだ代表者によってその方針を実行してゆくという原理は、常にただ一つであって、決して変わることはないのである。