地下室の手記 第二部 ぼた雪が降るから, フョードル・ドストエフスキー

第一章


その当時僕はやっと二十四歳だった。僕の生活はその頃すでに陰気でだらしなく、人間嫌いといえるほど孤独だった。僕は誰とも交際せず、話をすることさえ避け、いよいよ自分の隅に身を潜めることが多くなっていた。仕事に行ってもオフィスでは、誰も見ないようにしていたくらいで、同僚たちが僕を変わった奴と思うだけでなく、どうやら(いつもそういう気がしていたのだが)僕に嫌悪の目を向けていることにも僕ははっきり気がついていた。僕の頭に浮かぶ考えと言えば、どうして僕以外のみんなは、嫌悪の目を向けられてる、という気がしないのだろう? そんなことだった。僕の同僚の一人はぞっとするようなあばた面で、しかもまるで山賊のような顔だった。僕ならあんな見苦しい顔ではひとの顔を見る勇気もないだろうという気がした。別の一人は制服をすっかり着古して近くによると確かにひどく臭った。ところがこういう連中は一人としてきまり悪がったりしなかった――――服のことでも、顔のことでも、なにか精神的なことでも。そのどちらも、嫌悪の目を向けられてるんじゃないかなんて思わなかった、いや、思ったところで彼らはかまいはしないだろう、上役に目をつけられなければいいんだ。今なら僕にもはっきりわかることだが、僕自身は際限ない虚栄心のため、そしてその結果、自分自身に過酷な要求をするため、しょっちゅう胸が悪くなるほどの気違いじみた不満を抱いて自分を眺め、そんなわけで皆も僕のような見方をすると思っていた。たとえば僕は自分の顔が大嫌いで、嫌悪を誘うものと考え、その中になにやら卑しい表情があるのではないかとさえ思い、そこでいつも勤めに出ると、卑しいところに感づかれないようにできる限り独立して行動し、かつできる限り高潔な顔つきにしようと苦しい思いで努めていた。『それはもう美しい顔ではないとしても、――――僕は考えた――――だがその代わり、高潔で、表情豊かで、それに何より並外れて知性的であるようにしよう』しかし僕の顔ではこれらすべてを完璧に表すことは決してできないと僕は確実に知り、苦しかった。だが何よりひどいのは、僕がそれをまったくのばか面と思っていたことだ。ああ僕は知性に満足したろうに。卑しい表情にさえ、同時にきわめて知的な顔に見えさえすれば、僕は甘んじたろうに。

役所の連中みんなを、もちろん僕は、徹頭徹尾憎悪し、みんなを軽蔑もし、しかし同時に彼らを恐れるかのようでもあった。突然彼らが自分より優れていると考えるようなこともあった。僕の場合はそれが、軽蔑するにせよ尊敬するにせよ、なぜか突然そこでそうなるのだった。教養ある誠実な人間に虚栄心があるなら、必ずや自分自身に際限ない過酷な要求を突きつけ、自分を軽蔑して時には憎悪にまで至るはずだ。ところが、軽蔑していようと、尊敬していようと、僕はほとんど誰を前にしても目を伏せることになった。僕は実験までしてみた。そこのだれそれの僕に向けられた視線に耐えられるかどうか、そしていつも僕が先に目を伏せた。これに苦しめられ、僕は怒り狂った。また僕は滑稽に見えることを病的に恐れ、それで外面に関してはすべてにおいて決まりごとを奴隷のように崇拝した。世間の型にはまることを喜びとし、自分に何か風変わりな点がないか心底恐れた。だがどうして僕に我慢できるはずがあろう? 僕は病的に知性が発達していた。現代人にとって知性が発達するとはそういうことだ。ところが彼らの方は皆愚鈍で、羊の群れのように互いにそっくりだった。おそらく役所中で僕一人だけだったろう、僕が臆病な奴隷だといつも思っていたのは。知性が発達しているからこそそう思ったのだ。しかしそう思っただけでなく、事実また、本当にそうだった。すなわち僕は臆病者で奴隷だった。そう言ってもきまり悪いことなど何もない。現代のまともな人間は誰しも臆病者で奴隷であり、それが必然なのだ。それが正常な状態なのだ。これを僕は深く確信している。そうだ、そのように創られ、そうなっているのだ。それも現代に、偶然そこにあるいくつかの事情により生じるのではなく、一般にいつの時代もまともな人は臆病な奴隷でなければならない。これは地上のすべてのまともな人々の自然法則である。ひょっとしてそのうちの誰かがあることに勇気を見せたとしても、それに慰めを得たり夢中になったりさせないことだ。どうせ他の事になればびくびくものなんだから。昔からそういうことに決まっているのだ。勇気を奮いおこすのはロバとその混血だけだが、それだってご存知の壁までだ。彼らは注意を向けるに値しない。何の意味もない連中である。

その頃もう一つ、僕を苦しめることがあった。すなわち、誰一人僕に似ているものがなく、僕が誰にも似ていないことだ。『僕ときたら一人だが、あいつらときたらみいんなだ』と僕は思い、そして考え込んだ。

このことから明らかなのは、僕がまだ全くの青二才だったことだ。

百八十度の大転換も起こった。急に役所に行くのが本当に厭になることがあった。それがひどくなって病気になって仕事から戻ることもしょっちゅうあった。ところが突然、だしぬけに懐疑と無関心の期間(僕の場合何事もずっと続くということはない)がやってくる。そういう時の僕は自分から自分の我慢の足りなさや気難しさを笑い、自分で自分のロマンティシズムをとがめる。誰とも話したくないと思っていたのが、ある時話を始めるだけでなく、彼らと親友になってやろうと思い立つところまでいく。気難しさもすっかり、突然、だしぬけに、たちまち消えてしまうのだった。もしかしたらそんなものは僕には決してありもしなかったし、書物仕込みの偽ものだったのではないだろうか? この疑問はいまだに解決していない。一度彼らとすっかり仲良くなったこともあって、家を訪ねるようにもなり、カードで遊び、ウォッカを飲み、昇進のことを話し合って……しかしここでひとつ脱線させていただこうかな。

我々ロシア人には、一般的に言って、ドイツ人やなかんずくフランス人のような愚かで翔んでるロマンティストは決していなかった。この人たちは大地が足下で裂けようとも、全フランスがバリケードのもとに滅びようとも何とも思わない。相変わらずそのままで、儀礼上変わってしかるべきでもそうはせず、それこそ死ぬまで彼らの翔んでる歌を歌い続けるだろう。なぜなら彼らは愚か者だからだ。だが我々には、ロシアの大地には愚か者はいない。これは周知のことだ。そこが我々をドイツなど他の地と区別するところだ。従って我々の場合、翔んでる性質もその純粋な状態では見られない。そういうことをすべて我が国のロマンティストの上にでっち上げたのは我が『実証的な』当時のジャーナリストや批評家たちで、あの頃コスタンジョグロやピョートル・イワノビッチおじさんを追いかけては愚かにも彼らを我々の理想と考え、それをドイツ人やフランス人にあるような翔んでる人たちとみなしたものだ。とんでもない、我が国のロマンティストの特質はヨーロッパの翔んでるのとはまったく正反対で、ヨーロッパの尺度はここでは一つとして通用しないのだ(『ロマンティスト』、どうかこの言葉を使わせて欲しい。古い、立派な、信任を得、皆に親しまれている言葉だ)。我が国のロマンティストの特質、それはすべてを理解すること、すべてを見る、しかも最も実際的な我が国の頭脳たちよりしばしば比較にならぬほどはっきり見ることだ。誰かや何かと妥協しないが、同時に何事も選り好みをしない。すべてをかわし、すべてに道を譲り、何を扱うにもそつがない。常に有益で実際的な目的(官舎とか年金とか勲章のようなもの)を見失うことなく、熱狂することにも叙情詩集にもこの目的を見出し、同時に『美しく崇高なもの』をも死ぬまで自分のうちに壊れぬよう保持し、ついでのことに自分自身をも、まあそれはたとえば、ほかならぬ『美しく崇高なもの』を守るためとしてもいいが、それこそ宝石の小物か何かをコットンに包むように大事に保持する。我が国のロマンティストは広範な人間であり、我が国のあらゆる詐欺師の中でも随一の詐欺師である。それが確かだということは……経験からも言える。もちろん、これはすべて、ロマンティストが聡明なら、だ。いったい何を僕は! ロマンティストはいつだって聡明である。僕はただ、我が国に愚かなロマンティストがいたとしても、それは数に入らない、というのもただ、彼らはまだ力の盛りにきっぱりとドイツ人に生まれ変わり、自分の宝石を守るのに便利なように、どこかそこらへ、おおかたワイマールかシュバルツバルトに住みついてしまったからである、と言いたかっただけなんだ。僕を例に取れば、自分の役所の仕事を心から軽蔑していたし、つばを吐きかけたりしなかったのは単にそれが必要だったからであり、そこに座って、それで金をもらっていたからだ。だが結果として、よろしいかな、やはりつばを吐かなかったことになる。我が国のロマンティストは他の仕事の当てでもなければ、つばを吐いたりするよりむしろ発狂してしまうし(といってもめったにあることじゃないが)、首になることも決してなく、おそらく『スペインの王様』といった体裁で精神病院に連れて行かれることになろうが、それももうよほど彼の頭がいかれたとしたらだ。しかし我が国で頭のいかれるのはひよわな金髪の連中だけである。そして数限りないロマンティストが後にかなりの地位の人となる。多面性も並みではない! そしてまったく矛盾する感覚を持ちうることといったら! 僕は当時もこれに慰めを感じたが、今も同じ考えでいる。だからこそ我が国にはそれほどたくさんの『幅広い性質』の人たち、つまり堕落の極にあってさえも決して自分の理想を失わない人たちがいるのだ。そして彼らがその理想のために指一本も動かさないとしても、常習的な泥棒であり強盗であるとしても、にもかかわらず、自分の根本にある理想を大事に思うあまり涙を流し、心の中はめったにないくらい正直なのだ。そう、まったくどうにもならない卑劣漢が完全に、高尚なまでに心の中は正直で、同時にあくまで卑劣漢でいられるのは、我が国にのみありうることだ。繰り返すと、何せしょっちゅう我が国のロマンティストの中から現れるのは時にあまりにも実際的なワルで(『ワル』という言葉を僕は愛を込めて使っている)、突然あまりにも現実的な嗅覚、実用的な知識を示すので、びっくりした権力者も世間もこれには唖然としてただ舌打ちをするばかりなのだ。

その多面性は本当に驚くべきものであり、その後の状況によってどう変わり、どうなってしまうか、また我々の未来に何を約束するのかは誰にもわからない。悪くない材料じゃないですか! 何か滑稽な、盲目的な愛国心からそう言うのではない。しかし、僕の確信するところ、君たちはまた僕がちゃかしていると思っている。だがわからない、もしかしたら反対で、すなわち僕が本当にそう思っていると確信しているかもしれないじゃないか。いずれにせよ諸君、君たちのどちらの考えも、僕は、名誉かつ特別な喜びとするだろう。だが脱線して申し訳ない。

同僚とも僕は、もちろん、交友関係を持ちきれず、あっという間に仲たがいして、まだ若い当時のこと、世慣れていないので彼らに挨拶することさえぷっつりとやめた。しかしこれは僕の人生にたった一度だけあったことだ。だいたいにおいて僕は常に一人だった。

そもそも家での僕はたいてい本を読んでいた。常に僕の内部で沸騰しているものをすっかり外部の感覚で覆い消してしまいたかったのだ。ところで外的感覚といっても僕に可能なのは唯一読書だけだった。読書は確かに大いに助けになり、心を揺り動かし、喜びとなり、苦しめた。だが時にはひどく退屈した。やはり動き出したくなる、そして僕はいきなり、暗い、地下の、汚らわしい――――夜遊び、というかけちな夜遊びにふけり出すのだった。僕のみじめな情欲はいつも病的な僕の苛立ちのために鋭い、焼けつくようなものだった。衝動は時にヒステリーとなり、涙と痙攣を伴った。読書を除いてどこにも行き場がない、というのはつまり、その時僕の周囲に尊敬できるもの、僕が惹かれるものがなかったのだ。そのうえ沸き立っていたのが憂鬱だ。逆のこと、正反対のことへのヒステリックな渇きが顔を出し、そこで僕はいやらしい遊びを始めた。だが僕は決して自分を正当化するために今くどくど言ったのではない……ああでも、違う! 嘘を言ってしまった! 僕はまさしく自己を正当化したかったんだ。これを僕は自分のために、諸君、書き留めておく。嘘はつきたくない。誓ったんだ。

最も忌まわしい瞬間にも僕を去るどころか、かえってそういう瞬間に呪いにまで達する恥ずかしい思いを抱えながら僕は一人ぼっちで、夜に紛れて、密かに、おどおどしながら、汚らわしく、いやらしい遊びにふけった。もうその頃には僕は心のうちに僕の地下室を持っていた。僕はどうかして人に見られたり、出会ったり、知られたりしないようにとひどく気づかっていた。僕が行く所といえばいろいろと非常に曖昧な場所だった。

ある時ある居酒屋の前を夜通りかかった僕は、明るく灯った窓の中に、紳士たちがビリヤード台のそばでキューを持ってけんかをしているのを、そしてそのうちの一人が窓から放り出されるのを見た。他の時なら僕はすごくいやな気分になっただろう。だがその時は突発的に、この放り出された紳士がうらやましくなり、あまりうらやましくて居酒屋へ、ビリヤードルームに入ったくらいだった。『僕もけんかをするかな、それで僕もまた窓から放り出されるんだ』と言って。

僕は酔ってはいなかった。だがどうしたらいいのか、なにしろこんなヒステリーを起こすほど憂鬱に苦しめられることがあるんだ! しかし何事もなかった。僕には窓に跳び込むこともできないと判明し、僕はけんかもしないで立ち去った。

そこで僕を最初の一歩から封じ込めたのが一人の将校だった。

僕がビリヤード台のそばに立ち、気づかずに道をふさいでいたところ、そこを通る必要のあった彼は僕の両肩をつかみ、無言で、――警告もしなければ説明もせず、――僕を立っているその場所から別の場所へ移し、それでいて自分は何事もなかったかのように通りすぎた。僕は殴られたって許したろうが、動かしておいてそんなやつにはまったく気がつかないというふうでは絶対に許すことはできなかった。

その時、本当の、もっと正式なけんかを、もっと見苦しくない、言うなればもっと文学的なけんかをするためなら、僕は何を引き換えにしたろう! 僕は蠅のように扱われたのだ。その将校は身長が十ヴェルショークもあった。僕ときたらちっちゃくて痩せっぽちの男だ。しかしけんかは僕次第だった。ちょっと抗議すれば、間違いなく僕は窓から放り出されたろう。だが僕は考えを変えてむしろその……憤慨しつつもそっと退くことにした。

僕は恥ずかしくなり、動揺し、居酒屋からまっすぐ家へ帰り、翌日は前よりさらにおずおずと、抑圧された、悲しい夜遊びを続けた。目に涙するようにして、それでもやはり続けた。といっても、僕が臆病で将校を怖がっていたと思わないでいただきたい。僕は、たとえ事に当たっていつもびくびくしていたにしても、心の中も臆病だったことは一度もない、がしかし――――笑うのは待ちたまえ、これには説明があるんだ。僕は何もかもはっきりさせられるんだ。本当だ。

ああ、もしこの将校が決闘を承知する部類のやつだったらなあ! しかし違ったのだ。あれはまさしく(悲しいかな、とうの昔に絶滅してしまったが)キューを持ってのアクションの方を好む、あるいは、ゴーゴリのピロゴフ中尉のように、権威を頼みとする、そういう連中の一人だった。決闘なんかしやしないし、何があっても僕らなどと、しろうと風情と決闘するなどみっともないと考えるだろうし、それだけじゃなく一般に決闘などとんでもない、自由思想の、フランス流のものと考えるくせに、自分は存分に人を侮辱する、ましてや大男だから、というやからだ。

僕がその時恐れたのは臆病からではなく、無限極まりない虚栄心からだった。僕は相手の身長や、こっぴどくぶたれて窓から放り出されることを怖がったのではない。肉体的勇気は、本当に充分だったのだが、精神的勇気が欠けていた。僕が恐れたこと、それは、僕が抗議をするだろう、で文学的言葉を使って彼らと話を始める、すると記録係の生意気野朗から、ちょうどそこでぶらぶらしていた脂まみれのカラーの、にきび面の、最低の腐れ役人に至るまでそこにいるみんなが僕を理解できずに笑いものにする、そのことだった。というのも名誉の問題について、すなわち名誉についてではなく名誉の問題(point d'honneur)について、僕たちは今日にいたるまで文学的言葉によらなければ話すことすらできないのだ。普通の言葉では『名誉の問題』について触れようがない。僕は完全に確信していた(どんなにロマンティシズムがあろうとも、現実的嗅覚っていうものだ!)が、みんなは大笑いをするばかり、将校は悪気もなく僕をぶつだけではすまさず、僕をひざで蹴とばしてビリヤード台をぐるっと一回りし、それからたぶんお情けを示して窓から放り出す、ということになったに違いない。もちろん、僕としてはこのみじめなエピソードがこれ一度で終わるはずがなかった。僕はその後しばしばこの将校と道で行き会い、ちゃんと彼に気がついた。ただあちらが僕に気づいたかどうかはわからない。おそらく、ノーだ。いくつかの兆候からそう結論する。だが、僕の方は、僕は、怒りと憎しみをこめて彼を見つめる、そういうことが続いた……何年も! 僕の怒りは年とともにかえって強くなり、増していった。最初僕はこっそりと、この将校について調査を始めた。僕には知り合いがいないので、難しいことだった。だがある日、彼に引き寄せられるようにして、離れてつけていった往来で、誰かが彼を名前で呼び止め、それで僕は名前を知った。別のある日、僕は彼の住居まで彼を尾行し、十コペイカで門番から、彼がどこに住んでいるか、何階か、一人か誰かと一緒か、等――――要するに、すべて、門番から知れるだけのことを聞き知った。ある朝、僕はそれまで文学づいたことなどなかったのに、突然この将校のことを暴露形式で、戯画として、小説の形で描写しようと思いついた。僕はこの小説を書くのが楽しかった。僕は暴露し、少しばかり中傷さえした。名前は、初めすぐわかるような偽名にしたが、その後よく考えて変更し、『オテチェストベンニア・ザピスキ』に送った。だが当時はまだ暴露といったものは存在せず、僕の小説も印刷されなかった。僕にはこれが非常にいまいましかった。怒りに息が詰まるばかりのことさえあった。ついに僕は敵に決闘を挑もうと決意した。僕は彼にあてて、僕の前に謝罪するよう懇願する、美しい、魅力的な手紙を書いた。そして拒絶とあらば決闘だと充分きっぱりとほのめかしたのだ。手紙は、もし将校がほんの少しでも『美しく崇高なもの』を理解するなら、きっと僕に駆け寄って首に抱きつき友誼を申し出るであろう、そんなふうに書いた。そしてそうなればどんなにすばらしかったろう! そこから僕たちは人生を始めたろうに! そこから始まったのに! 彼はその威厳のあるところで僕を庇護しただろう。僕は彼を高尚にする、その知性の発達と、ええとそれから……思想によって。それで何かしらいろいろなことができただろう! 考えてもみてほしい、彼の侮辱からその時すでに二年たっていたし、それに僕の挑戦は、時代錯誤を釈明し覆い隠す巧みな手紙を書いたとはいえ、醜悪きわまる時代錯誤だった。だが、ありがたや(今日に至るまで涙ながらに神に感謝している)、僕はその手紙を出さなかった。出していたらどんなことになったか、と思い出しても肌が凍りつく。それが突然……それが突然、僕はまったく単純きわまる、まったく天才的なやり方で復讐を遂げた! 突然僕の頭にパッとひらめいた。時折休日に、三時を過ぎると僕はネフスキーに出かけて日の当たる側を散歩したものだ。といっても僕は決してそこへ散歩に行ったのではなく、無量の苦痛や屈辱や癇癪を味わっていたんだが。でも僕にはそれが、確かに必要だったのだ。僕は、ある時は将軍に、ある時は近衛将校や騎兵隊将校に、ある時はレディにと、絶えず道を譲りながら、ドジョウのように、全く見苦しい有様で、通行人の間をすり抜けていた。僕はそういう時、自分の身なりのみじめなこと、自分のすり抜ける姿のみじめで陳腐なことを考えるだけで胸にひきつけるような痛みを、背中が熱くなるのを感じた。これはひどい苦痛である。《僕は蠅だ、この社会全体を前にすると、汚らしく、いやらしい蠅だ、――誰よりも利口で、誰よりも知的で、誰よりも高潔である、それは言うまでもない、――だが絶えずみんなに道を譲り、みんなに恥をかかされ、みんなに侮辱されている蠅だ》という、絶え間ない直接感覚へと転化する思いからくる絶え間ない、耐えがたい屈辱である。何のために僕はこんな苦痛を自らに蓄積したのか、何のために僕はネフスキーへ行ったのか、――わからない、だが僕は機会あるごとにそこへただただ引き寄せられていた。

その頃すでに僕はあの、第一部ですでに話した快楽の奔流を経験し始めていた。将校との出来事の後はと言えば、僕はますます強くそこへ引き寄せられるようになった。というのも、ネフスキーこそ僕が彼に最もよく出会うところでもあり、そこでまた僕は彼を眺めては感嘆していたのだ。彼もまた休日にそこへよく出かけた。彼もまた、将軍の前や高位高官の前では道をそれ、彼らの間をやはりドジョウのように身をかわしていたくせに、ところが僕らの仲間風情、あるいは僕たちより少し身奇麗なものでも、彼はただ押しつぶすだけだった。つまり相手に向かってまっすぐに、前には誰もいない空間があるかのごとく進み、どうあろうと道を譲らなかった。僕は彼を眺めては怒りに酔いしれ、そして……憤慨しながらも彼を前にするたびに道をよけていた。僕を苦しめたのは、僕が往来でも決して彼と対等の立場に立てないことだった。『どうしてお前が必ず先によけるんだ?』僕は時折夜の二時過ぎに目を覚ますと狂気じみたヒステリーを起こしてはしつこく自分で自分を悩ませた。『どうしてお前であって、彼ではないんだ? そんな法律はないじゃないか、そんなことどこにも書いてないじゃないか? なに、対等にすればいい、礼儀正しい人々が出会う時、普通にするように。あっちが半分譲り、お前も半分譲り、互いに尊重し合いながらお前たちは通り過ぎるんだ』だがそうはならず、やはりよけたのは僕で、彼は僕が彼に譲るということに気がつきさえしなかった。と、そこへ実に驚くべき考えが突然僕の心にひらめいた。『だがどうだろう、』僕は思った、『どうだろう、彼と行き会って……脇へ寄らなかったら? わざと脇へ寄らず、彼を押しのけるようなことになっちまったら。ああ、どうなるかな、これは?』この大胆な考えが少しずつ僕を捕らえて、僕に平穏を与えぬまでになった。僕は絶えずこれを夢想し、やるとなったらどんなふうにこれをやってのけるかをより鮮明に思い浮かべるために、わざわざひどく足しげくネフスキーへ出かけた。僕は夢中だった。だんだん僕にはこの計画が起こりうること、可能なことに思われてきた。『もちろん、完全に押すわけではなく、』もう早手回しに嬉しさから優しい気持ちになった僕は考えた、『ただ脇に寄らずに、彼とぶつかるんであって、あまりひどくではなく、肩と肩で、ちょうど礼儀の定めるくらいにってことだ。あっちが僕にぶつかるのと同じだけ、僕も彼にぶつかるんだ』ついに僕は決意を完全なものにした。しかし準備にずいぶん時間がかかった。まず第一に、遂行の時には、服装にも気をつけてできるだけ見た目を立派にしなければならない。『万一の場合、もし、たとえば、公の事件が持ち上がるとなれば(だってあそこに集まる人は選りすぐりだ。伯爵夫人も来れば、D公爵も来るし、文学者もみんな来る)、ちゃんとした身なりでなければならない。この印象が即、我々をある意味、上流社会の目から見て同じ立場に立たせることになる』そういうわけで僕は給料を前借してチュルキンで黒い手袋とかなり上等の帽子を買った。黒の手袋の方が初めに試したレモン色のより落ち着いて上品に思えたのだ。『レモン色じゃあまりにどぎつい、まるで見せびらかし屋のようだ』、それで僕はレモン色にしなかった。白い象牙のカフスボタンのついた上等のシャツはもうずいぶん前に用意してあった。だがオーバーコートにはひどく手間取った。僕のオーバーコートそのものはまったく悪くないものだったし、暖かだった。だがそれは綿入れで、それに襟はアライグマの毛皮、これではもう卑屈の極致だ。どうしても襟は取り替えて、将校のするようなビーバーを手に入れなければならなかった。そのために僕はアーケード街に通い始め、二、三度行ってみた後でドイツ製のビーバーの安い一品に狙いをつけた。こういうドイツのビーバーはあっという間にすりきれてまったくみすぼらしい姿になるけれども、初めは、新しいうちは非常にきちんとしたものにだって見える。何しろ僕はたった一度のためだけに必要だったのだ。値段を尋ねてみると、それでもやはり高かった。実質的な結論として僕は自分のアライグマの襟を売ることに決めた。それでも不足している、僕には大金といえる額はアントン・アントヌイチ・セトチキンに借りることに決めた。僕の上司で、控えめだがまじめで実際的な人で、人に金を貸したりしないのだが、この人には、以前、僕が仕事に就く際に、僕を任命した有力な人物が僕を特別に推薦してくれていた。僕はひどく悩んだ。アントン・アントヌイチに借金を請うなんてけしからぬ、恥ずかしいことに思えた。僕は二晩も三晩も眠らず、その上だいたいあの頃はよく眠ることがなかったので、熱に浮かされていた。心臓が止まりそうにおとなしくなるかと思えば不意に踊りだして、踊る、踊る!……アントン・アントヌイチは初めびっくりし、それから顔をしかめ、それから考え、それでも、二週間後に給料から貸し付けた金を受け取る権利書を僕から取り、貸してくれた。こうしてやっとすべての準備ができた。美しいビーバーが汚いアライグマに取って代わり、僕は少しずつ事に着手し始めた。だが初めから当てもなしに敢行するわけにはいかない。この仕事は巧みに、すなわちだんだんに仕上げなければならない。だが白状しよう、繰り返し試してみたあげく、僕は絶望的にもなりかけた。どうしてもぶつからないのだ――例外なく! まだ僕に準備ができていないのか、僕にそのつもりがないのか、狙いをつけていないのか、狙いが悪いのか、――おっと今にもぶつかりそうだ、と見ると――またもや僕が道を譲り、そして彼は通り過ぎ、僕に気づきもしなかった。僕は彼に近づきながら、神が決意を吹き込むよう、祈りを唱えさえした。一度はあと少しで今度こそ完全に決行というところだったのに、結局彼に踏みつけられただけだった。というのもそれこそ最後の最後の瞬間、十センチくらいのところで、気力が足りなかったのだ。彼は動ずることなく僕を乗り越えて行き、そして僕は、ボールのように、わきへ撥ね飛んだ。その夜僕はまたも熱病に陥り、うわごとを言った。それが突然、何もかもこれ以上はないという形で終わりになった。破滅を覚悟の計画は実行に移さず、すべてをむなしく放擲しよう、と前の晩にきっぱりと決めた僕は、そのつもりでこれが最後とネフスキーへ出かけた。僕がすべてをむなしく放擲するとはどういうことか、ひとつ見てやろうと思ったのだ。突然、我が敵から三歩のところで、僕は思いがけなく決心がつき、ぎゅっと目をつぶると――僕たちの肩と肩がぴたりと重なった! 僕は一寸も譲らず、まったく対等の立場で通り過ぎた! 彼は振り返りもせず、気づかないふりをした。だが彼はふりをしただけだ、それを僕は確信している。僕は今でもそう確信している! もちろん僕が余計に痛い目にあった。彼の方が強かった、が、それは問題じゃなかった。問題は、僕が目的を達し、尊厳を保ち、一歩も譲らず、公に自分を彼と社会的に対等な立場に置いたことにあった。僕はあらゆる意味で完全に復讐を果たして家に帰った。僕は有頂天だった。僕は勝ち誇り、イタリアのアリアを歌っていた。もちろん、僕は三日後に僕に起こったことを君たちに描写するつもりはない。僕の第一部『地下室』を読んでいればご自分で推測できるだろう。将校はその後どこかへ転任になった。これでもう十四年、僕は彼を見ていない。今は彼は何をしてるのか、我が友は? 誰を押しつぶしているのか?


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