東の国から:新日本に於ける黙想と研究, 小泉八雲

夏の日の夢


その宿屋は私に取っては極楽、そこの女中達は天人のように思われた。それは私があらゆる「現代の便利な物」のある欧州式のホテルで安楽をもとめようと試みた一つの開港場から丁度逃げ出したところであったからである。それ故もう一度浴衣ゆかたを着て、冷しい畳の上に楽々と坐って、よい声の若い女達にかしづかれて、綺麗な物に取りまかれて居るのは、十九世紀の凡ての悲しみの償いのようであった。筍や蓮根が朝飯に出て、極楽のかたみに団扇を贈られた。その団扇の絵は、渚の上に白く破裂した大きな波と、その上の青空を大喜びで飛び廻る鷗の一群を描いただけであった。しかしそれを見る事はここまでの旅行の凡てのかいがあった。それは光のすばらしさと運動のとどろきと、鷗の勝利――凡てを一にした物であった。それを見た時、私は大きな声で喝采したくなった。

露台の杉の柱の間から、私は海岸に沿うて建った長い美しい灰色の町――碇泊したままの黄色の船――大きな緑色の絶壁の間の湾の入口――それからそのさきの地平線まで輝き渡った夏の海を見る事ができた。その地平線には古い記憶にもたとえられるかすかな山の姿があった。そして灰色の町と黄色の船と緑色の絶壁の外、一切の物は青かった。

その時、風鈴のように柔らかな調子の声でお辞儀の言葉を云って私の黙想を破った者があった。そこで気がついて見ると、この宮殿とも云うべき宿屋の主婦が茶代の礼を云いに来たのであった。そこで私はこの婦人の前に平伏した。彼女は大層に若かった。そして―――国貞の蛾の女、蝶の女のように――眺める事は非常に愉快であった。そして私は直ちに死の事を思った。美は時とすると予想の悲哀となる事があるからである。

彼女は私の行先を聞いて車を命じたいと云った。そこで私は答えた、

「熊本へ。しかしお宅の名をいつも覚えていたいから、聞かせて下さい」

「おざしきはお粗末でございますし、女中達も気がききませんで失礼でございます。うちは浦島屋と申します。只今車を申しつけます」

彼女の音楽のような声が止んだ。そして私は――見えない蛛巣の糸のように――魅力が全く私の周囲に落ちて来る事を感じた。その名は人を魅する歌にある話の名であったからである。

訳者註 著者は明治二十六年七月二十日朝、単身熊本を出、百貫をへて長崎へ翌朝午前三時について、その日一日そこで費やし、それから船で翌二十二日午前三時三角みすみ港について、宿屋で朝飯をたべた。非常に歓待されて僅かに四十銭要求された。宿屋の名が浦島屋であったので著者は一層喜んだ。その日、車で熊本へ帰ったが、靴もぬがないうちに喜んで語ったのはこの浦島屋の事であった。一八九三年七月二十二日チェンバレン宛の手紙参照。

一度その話を聞いたら、読者は決してそれを忘れる事ができない。私は毎年夏、海を見る毎に――殊に甚だおだやかな静かな日に――この話が極めて頑固に私の心に浮んで来る。それには沢山の説があって無数の芸術作品の霊感となって居る。しかし最も古いそして最も深い印象を与えるのは、五世紀から九世紀までの歌集『万葉集』に見出される。この古い歌から大学者アストンはその話を散文に訳した。そして大学者チェンバレンが散文と韻文と両方に訳した。しかし英語読者に取ってこの話の最も面白い物は、『日本お伽噺集』のうちに子供のために書かれたチェンバレンの訳である、――日本の画家によって描かれたその美しい彩色の挿絵のためである。私はその小さい書物を前に置いて、その伝説を私自身の言葉でもう一度語って見よう。


一千四百十六年前、若い漁師の浦島太郎は小舟に乗って住の江の岸を離れた。

夏の日は――ただいくつかの軽い真白の雲が鏡のような海の上にかかって居るだけで、あとは一面に眠たいような穏やかな青色である事は――その当時も今も同じであった。それから又、青い空に融けて居る――遥かの青い山の形も同じであった。そして風は物懶ものうそうであった。

そして浦島も物懶くなって、釣をしながら、舟を波にまかせて置いた。その舟は塗ってもなく、舵もない妙な形の舟で多分読者は見た事はないだろう。しかし一千四百年後、日本海の沿岸の古い漁村の前面にこんな舟はやはり見られる。

長い間待ったあとで、浦島は何か捕えた。それで引上げて見た。ところがそれはただ一匹の亀であった。

さて亀は龍宮王の使いで神聖である。その齢は千年――或は万年と云われる。それでそれを殺すのは非常に悪い。浦島は静かにいとを外し、神々に祈祷を捧げてそれを放ってやった。

しかしそれからさきもう何もかからなかった。海は大層暖かかった。そして海と空気と一切の物は殊の外静かであった。それで大きな睡魔が彼を襲うた、――そして彼は漂う舟の中で眠った。

それから海の夢の中から――丁度読者がチェンバレン教授の『浦島』の挿絵で見るように――一千四百年前の王女のように背中から足もとまでも長い黒い髪を垂れて、真紅と青の着物を着た――美しい少女が現れた。

水の上をすべって、風のように軽く彼女は来た。そして舟の中に眠って居る浦島の上に立って、軽く触れて彼を起して云った。

「驚いてはいけません。あなたの親切な心をでて、私の父なる龍宮王が私をおよこしになりました。今日あなたは亀を放ちました。それでこれから父の御殿へ参りましょう、そこは常夏の国です。おいやでなければ私はあなたの花嫁になります、そして永久にそこで幸福に暮しましょう」

そこで浦島は彼女を眺めて益々不思議に思うばかりであった。彼女程美しい人間はいないからであった。そして彼は彼女を愛する外はなかった。それから彼女は一方の櫂を取り、彼は他方の櫂を取って――丁度読者が遥か西の方の海岸の沖で漁船が夕焼の中へ入る時、夫婦で一緒に漕いで行くのを、今もやはり見るように――漕ぎ去った。

彼等は静かな青い海の上を南の方へ穏やかに速く漕ぎ去った、――遂に彼等は夏の決して死ぬ事のない島へ、――そして龍宮王の宮殿へ来た。

〔ここでこの小さい書物の文句が読んで居るうちに、消えて行って(訳者註)、かすかに青い細波がページに溢れて居る。それからさきの不思議な地平線に、読者は島の長い低い穏やかな岸と、繁茂した常緑の上にそびえた屋根――一千四百十六年前、雄略天皇の宮殿のような――海神の宮殿の屋根を見る事ができる〕

そこで礼装をした不思議な召使い――海の動物――が大勢二人を迎えに来た。そして龍宮王の婿として浦島に挨拶した。

そこで海神の娘が浦島の花嫁となった。それは驚くべき華美な婚礼であった。龍宮には大宴会があった。それから毎日、浦島に取って新しい驚嘆と新しい楽しみがあった。海の底の不思議な物、常夏の国の人を魅する色々の娯楽は海王の僕達しもべたちによってそこへ出された。そしてそのようにして三年は過ぎた。

しかしこんな事があっても、この漁夫の子は、淋しく待って居る両親の事を思うと、心がいつも重くなるのを感じた。そこで彼はとうとう花嫁に、両親にただ一言云いたいからほんの暫らく家に帰してくれるように――それから急いで彼女のところに帰って来るから許してくれるように――頼んだ。

そう云われて彼女は泣き出した。そして長い間、彼女はしくしくと泣き続けた。それから彼女は彼に云った。「あなたが行きたいと云う事なら、行かねばなりません。あなたがお出でになるのが私たいへん心配です、もうこれで再び遇われないかと心配します。しかし私はあなたに小さい箱を一つ上げますから持って行って下さい。私の云う通りになされば、その箱はあなたが私のところへ帰って来られる助けになります。それを開けてはなりません。どうしても開けてはなりません――どんな事があっても。もしそれを開けたら、あなたは決して帰って来られません。そしてあなたは再び私に遇えませんから」

それから彼女は彼に絹のひもで結んだ小さい漆塗りの箱を与えた。〔そしてその箱は今も神奈川の海岸の寺で見られる。そこの僧は又浦島太郎の釣のいとと龍宮から携えて来た妙な宝石をいくつかしまって居る〕

しかし浦島は彼の花嫁を慰めて、決して決して箱をあけない事――その絹のひもをゆるめる事さえもしない事を誓った。それから彼は夏の光を通りぬけて永久に眠って居る海の上に出た。そして常夏の島の姿は夢のように彼のうしろに消えた。そして彼は再び眼の前に北の地平線の白い光のうちに、はっきりして来た日本の青い山々を見た。

遂に再び彼は彼の故郷の湾に入って、再び彼はその渚に立った。しかし眺めて居るうちに、彼に大きな当惑――不思議な疑いが起った。

その理由は場所は同じでありながら、同時に又同じでなかったからであった。彼の祖先以来の茅屋はなくなっていた。村はあったが家の形は凡て変っていた。樹も野も人の顔までも変っていた。殆んど大概の目じるしはなくなっていた。神社は新しい場所に建てられたようであった。森は近所の坂から消えていた。ただ村を通って流れる小さい川の音と山の形だけがやはり同一であった。その外一切の物は変って新しくなっていた。彼は両親の家をさがそうとしたが駄目であった。そして漁師達は不思議そうに彼を熟視した。そして彼が以前に見た覚えのある顔は一つもなかった。

そこへ杖にもたれながら来る一人の大層な老人があった。この老人に浦島は浦島一族の家に行く道を尋ねた。ところが老人は非常に驚いて、浦島に幾度もその質問をくりかえさせてから叫んだ。

「浦島太郎! お前さんはその話を知らないと云うのは一体どこの方ですか。浦島太郎! さあ、浦島が溺れてから四百年以上になります。それで墓場に記念碑が建ててあります。浦島の人達の墓はその墓場にありますが、――その古い墓場はもう今では使っていません。浦島太郎! どこにその家があるなどとお前さんが聞くのは少しばかげていますぞ」それから老人はこの質問者の愚を嘲笑しながら、とぼとぼと行った。

しかし浦島は村の墓地――もう使用されていない古い墓地――へ行ってそこで自分自身の墓、両親及び親戚の墓、自分の知って居る大勢の外の人達の墓を見た。その上にある名が中々読めない程古くなって苔蒸していた。

そこで彼は何か妙な錯覚の犠牲となって居る事を知った。それから渚の方へ戻った、――いつでも海神の娘の贈物の例の箱を抱えながら。しかしこの錯覚は何だろう。それからこの箱には何があるのだろう。或は箱の中にある物が錯覚の原因ではないだろうか。疑いは信仰に勝った。無分別にも彼は愛人との約束を破った。彼は絹のひもをゆるめた。彼は箱を開いた。

直ちに、何の音もなしにそこから出たのは、夏の雲のように空に上った白い冷たい不可思議な蒸気であった。そして静かな海の上を南の方へ速やかに流れて行った。その箱には外に何物もなかった。

そして浦島はその時、自分の幸福を破壊した事――再び彼の愛人、海神の娘のところへ帰る事のできない事を知った。それで絶望の余り烈しく泣き叫んだ。

しかしそれはただ暫らくの事であった。すぐそのつぎに彼自らも変った。氷のような寒さが彼の脈管中を走った、歯が抜けて落ちた、顔に皺がよった、毛髪が雪のように白くなった、手足はしなびた、力がなくなった、四百の冬の重さに押し潰されて彼は砂の上に生気を失って倒れた。


さて日本書記に「雄略天皇の二十二年、丹後の国余社郡水江の浦島子、漁舟に乗って蓬萊に赴く」とある。それからあと三十一代の天皇と女帝の御宇の間――即ち五世紀から九世紀まで――浦島の記事はない。それからの記事には「淳和天皇の御宇天長二年、浦島子帰る、再び又行く、そのところを知らず」とある。

訳者註 『日本お伽噺集』のうちのチェンバレン教授の『浦島』が着色の挿絵のためにこんな風になって居る。

仙女の女主人は万事用意ができたと云いに来た。そして彼女の細い手で私のかばんを持って行こうとした、――それを私は重いからと云って拒んだ。そこで彼女は笑ったが、私には持たせないで、背中に漢字を書いた海の物を呼んだ。私は彼女にお辞儀をした。そこで彼女は女中達の無作法を咎めないでこの粗末な家を忘れないで下さいと云った。「それからどうか車屋に七十五銭だけやって下さい」と云った。

それから私は車に乗った。そして数分ののちこの小さな灰色の町は彎曲のうしろに見えなくなった。私は海岸を見下す白い道に沿って車を走らせていた。右の方にはうす鳶色の断崖があり、左の方にはただ空と海とだけあった。

何マイルも私は無限の光を眺めながら海岸に沿うて車を走らせた。一切の物は青色、――大きな貝殻のしんの中で往来する青色のような、驚くべき青色に浸っていた。輝いた青海原は電気の融解の輝きのうちに蒼空と連なっていた。そして大きな青い物――肥後の山々――は大きな紫水晶の塊のように、その光のうちに色々の角度をなしていた。何と透明な青さであろう。この大きな色を破って居る物は、沖の一つのまぼろしの峰の上に静かになびいて居るまばゆいように白いいくつかの高い夏の雲だけであった。それが雪のように白い戦慄する光を水の上に投げていた。遥かに這うて行く小さい舟はそのあとに長い糸、――その一面にぼうっと輝いた物のうちのはっきりした物と云ってはそれだけである線、――を引くようであった。しかし何と神々しい雲であろう。涅槃の幸福に赴く途中休息して居る白い清められた雲の霊であろうか。それとも一千年前に、浦島の玉手箱から、逃げた白霧であろうか。

蚊のように極めて小さい私の魂が、海と太陽の間のその夢のような青蒼の中に脱れ出て――一千四百の夏の輝く霊を通りぬけて、住の江の海岸にぶーんと音を立てて帰った。おぼろげに私は船体の動揺を私の下に感じた。雄略天皇の時であった。そして龍宮の乙姫は銀鈴のような声で云った。「父の家に参りましょう、そこはいつでも青いのです」「どうしていつでも青いのですか」私は尋ねた。「そのわけは私が雲を皆箱の中に入れたからです」彼女は云った。「しかし私はうちへ帰らねばなりません」私は大決心で答えた。「それならあなたは車屋に七十五銭だけ払って下さい」彼女は云った。

同時に眼をさましたら時は明治二十六年夏の土用であった――その証拠に道の陸の方の側に電柱が遠く目の届く限り一列をなしていた。車は空と山と海の同じ青い景色を前にして、岸に沿うてやはり走っていた。しかし白い雲は見えなくなっていた、――断崖は道に迫っていないで、稲田と麦畠は遥かの山まで続いていた。電柱だけが暫らく私の注意を惹いたのは、頂上の針金に、そして頂上の針金にだけ、無数の小鳥がとまって、ことごとく道の方へ頭を向けて、私共の来る事を頓着しないでいたからである。彼等は全く静かにしていて、私共をただ通過する現象として見ていた。何マイルも何マイルも幾百となく列をなしていた。そして私は道の方へ尾を向けて居るのを只の一羽も見なかった。どうしてこんなにして居るのか、何を見て、何を待って居るのであろうか、私には見当がつかなかった。時々私はその群を驚かそうとして帽子をふって叫んで見た。そこで二三羽はばたきして鳴きながら立ち上ったのもあるが、又針金の上にもとのような位置に戻った。大多数は私を本気になって相手にはしなかった。

車の鋭いひびきは深い音響のために打ち消された。そして私共が村を通る時、四方を開いた仮小屋の中で、裸の男が大きな太鼓を打って居るのを見た。

「車屋さん」私は叫んだ――「あれ――あれは何ですか」彼は足を止めないで、返事をした。

「今どこでも同じです。長い間、雨は降りません、それで雨乞(訳者註)をして、太鼓を鳴らすのです」

私共は外の村を通った。そして私は色々の形の太鼓をいくつか見て、その音を聞いた。そして焼けるような稲田の数マイル向こうの、見えない小さい村から、又外の太鼓が反響のように答えた。

訳者註 盛んに太鼓を打ち鐘をつけば、或は大砲を打てば、そのあとで雨が降ると東西洋に信ぜられて居るのは多少の科学的根拠のある事であろう。日本の地方では雨乞のために神社に参詣する外にこんな事もする。

それから私は再び浦島の事を考え出した。私はこの人種の想像に、この伝説が影響した事を示す絵と歌と諺の事を考えた。私は出雲の宴会で一人の歌妓かぎが浦島の役をつとめて、小さい漆器の箱を携えていたが、その悲劇的瞬間に出たのは、京都の香の煙であった事を想い出した。私はその古風な美しい舞踊について――それから続いてこれまでなくなった代々の歌妓の事について――それから続いて抽象的の塵の事について考えた。それが又私が僅かに七十五銭払う事になっていた車屋の草鞋わらじによってあげられる具体的の塵の事を私に考えさせた。それから私はどれ程まで、それが古い人間の塵だろうかと訝った。そして物の永久の道理として、心臓の運動の方が塵の運動より果してもっと重大であるだろうかと訝った。そうすると私の祖先以来の道徳観念はびっくりした。そこで私は一千年も生きていて、一世紀毎に益々新しい魅力の出て来る話は、そのうちに何か真理があるために生き残って居るとしか考えられないと云って見た。しかしどんな真理があるのだろう。暫らく私はこの質問に答えられなかった。

暑熱はひどくなって来た。そこで私は叫んだ、

「車屋さん、私ののどが乾いたから、水が欲しいな」

彼はやはり走りながら答えた、

「長浜村(訳者註一)へ行けば――余り遠くありません――大きな泉があります。そこに綺麗なよい水があります」

私は再び叫んだ、――

「車屋さん――どうして小鳥は皆いつもこちらを向いて居るのかね」

彼は一層速く走りながら、答えた、――

「鳥は皆、風の方に向いてとまります」

私は自分の愚かな事を第一に笑った。それから子供の時にどこかで同じ事を聞かされた事を想い出して――つぎに私の忘れ易い事を笑った。恐らく浦島の秘密も忘れ易い事から起ったのかも知れない。

私は再び浦島の事を考えた。私は龍宮の乙姫が浦島を歓迎するために綺麗にした宮殿で空しく待って居るのを見た、――そしてどうなったかを知らせる白雲の無慙にも帰って来た事を見た、――そして大きな礼装をした親切な大勢の異様な海の動物が姫を慰めようと努めて居るのを見た。しかしもとの話には何もそんな事はない。そして人々の同情は全く浦島に集って居るようである。それで私はこんな風に自分で考えて見た、――

浦島に同情するのが一体正しいだろうか。勿論彼は神に迷わされた。しかし神に迷わされない人はあるだろうか。人生その物が迷いではないか。そして浦島は迷いのうちに神の目的を疑って、箱を明けた。それから何の迷惑を受けないで死んだ。そして人々は浦島明神として彼のために神社を建てた。それに何故そんなにひどく同情するのだろう。

西洋ではそれは全く違った風に取扱われる。西洋の神々に不従順であったら、私共はこの上もない高い広い深い悲痛を経験するためにやはり生き長らえねばならない。私共は丁度最好の機会に全く安楽に死ぬ事を許されない。まして死後自分勝手に小さい神になる事などは猶更許されるわけはない。現身の神々の間にそれ程長く自分だけ暮らしていたあとで、愚かにも神の教えを守らなかった浦島にどうして同情ができよう。

恐らく私共が同情をすると云う事実が、その謎に答えて居るのであろう。この同情は自分の同情に相違ない。それだからこの伝説は無数の人の魂の伝説であろう。青い光と柔和な風の特別な時に、丁度こんな思いが――そしていつも古い非難のように――浮んで来るのであろう。その思いは季節と季節の気分に余りに深い関係があるので、人の一生や祖先の生涯の或実在的な物にも関係せざるを得なくなって居る。しかしその或実在的な物とは何であったろう。龍王とは誰であったろう。常夏の国はどこにあったろう。そして箱の中の雲は何であったろう。

私はこの質問にことごとくは答えられない。私はこれだけ知って居る、――これは少しも新しくはない、――

私は或場所と不思議な時の事を覚えて居る。そこではは今よりももっと大きく、もっと明るかった。この世の事か、いつか前の世の事か、私には分らない。ただ私はその空は遥かにもっと青く、そして地に近かった事、――赤道の裏の方へ走る汽船の帆柱の上に近いと思われる程であった事を知って居る。海は生きていて、いつも話をした、――そしてが触れると私は嬉しさに叫んだ。以前、山の間に住んでいたきよい日に、一二度私は同じ風の吹いて居る事をただ暫らく夢想した事がある、――しかしそれはただ記憶であった。

それからその場所では雲は不思議であった。名は全くつけられない色、――私をいつも憧れさせた色の雲であった。私は又日は今より遥かにもっと長かった事、――それから毎日私に取って新しい驚喜と新しい娯楽があった事を覚えて居る。そしてその場所と時は、私を幸福にする方法ばかり考えて居る(訳者註二)によって穏やかに支配されていた。時々私は幸福になる事を拒んだので、彼女はきよかったがそれでも困った事を覚えて居る、――そして私は努めて気の毒がろうとした事を覚えて居る。日が終って月の上る前に夜の大きな静けさが下った時、彼女は私に話を聞かせた。それで私の頭から足まで嬉しさで一杯になった。私はその半分程も綺麗な話を外に聞いた事はない。そしてその嬉しさが余り大きくなった時分に、彼女は不思議な小さい歌を歌ってくれたので、それがいつも眠りをもたらした。とうとう別れる日が来た。そして彼女は泣いた。そして私に彼女が与えた護符まもりの事を云って、それがあれば私は年を取らない、そして帰る力を得られるから、決して失ってはならないと云った。しかし私は決して帰らなかった。そして年は過ぎ、そして或日、私はその護符まもりを失って、おかしい程老年になった事を知った。

訳者註一 宇土郡、長浜村。

訳者註二 ギリシャ人であった著者の母の事、或は或伝説家の説によれば、著者が幼時大叔母と共に赴いてその人の家によく逗留した叔母エルウッド夫人の事。

長浜村は往来に近い緑の断崖の下にあって、松の樹で蔭になった岩の多い池の廻りに集った十二ばかりの草葺きの小屋から成立って居る。断崖の胸から真直に飛び出す流れによって供給される冷水で、水溜は溢れて居る、――丁度人が、詩は詩人の胸から飛び出すべき物だと想像するようである。そこに休んで居る車や人の数から判断すれば、確かによい休み場所であった。樹の下に腰かけがあった。そして渇きをいやしたあとで、私は煙草を吸いながら、洗濯して居る女や、池で水を飲んだり顔を洗ったりして居る旅客を見て坐っていた、――その間に私の車屋は裸になって冷水を桶に汲んでかぶっていた。それから幼児を背負った若い男がお茶をもって来た。そして私はその幼児と遊ぼうとしたが、そのこどもは「ああ、ばあ」と云った。

これが日本の子供が始めて発する音である。しかしそれは全く東洋的である、そしてローマ字で Aba と書く事になる。そして習わない言語として興味がある。それは日本の子供の言葉で「さようなら」に当たるが、――全くこの娑婆世界に入ったばかりの子供が発音しそうにない言葉である。何人に或は何物にこの小さい人が「さようなら」をして居るのであろう、――未だ鮮やかに記憶して居る前世の友達に、――何人もどこだか知らない冥途の旅の仲間に云って居るのであろうか。子供は私共のために決して決定してくれる事はないから、信心深い見地からこんな風に推論する事はかなり安全である。始めて話すその神秘の瞬間に於いて何を考えていたか、その問が分るずっと前にそれは忘れられて居るだろう。

思いがけなく、妙な思い出が私に浮んだ、――恐らくその若い男と子供を見て、――恐らく断崖の水の歌を聞いて、思い出したのであろう、その思い出はつぎの話である、――


昔々、どこか山の中に貧しい木こりとその妻が住んでいた。甚だ年を取っていて、子供がなかった。毎日夫は一人で木をきりに森へ行った。その間に妻はうちで機を織った。

或日老人は、何かの種類の木をさがしにいつもよりもっと深い森へ行った。そこで彼は突然これまで見た事のない小さい泉のふちに出た。水は妙に綺麗で冷たかった。そして日は暑かった上、烈しく働いていたから老人は渇いていた。そこで笠を取って跪いて長く飲んだ。甚だ不思議な風に気分が清々とした。その泉に映った自分の顔を見て驚いた。それはたしかに自分の顔だが、うちで古い鏡で見慣れた顔と全く違っていた。それは青年の顔であった。彼は自分の眼を信ずる事ができなかった。彼はつい先程まですっかり禿げていた頭に両手を上げた。それが今濃い黒髪で蔽われていた。それから顔は少年の顔のように滑らかであった。皺は一つもなかった。同時に彼は新しい元気が満ちて居る事を発見した。彼は長い間皺だらけであった手足が今充実した若い筋肉で恰好よくかたくなって居るのを見て驚いた。知らないで彼は若がえりの泉を飲んで、その通り変ったのであった。

先ず、彼は嬉しさの余り高く跳んで叫んで見た。それからこれまで走った事がない程の速さでうちへ走って帰った。うちへ入ると妻は驚いた、――知らない人と思ったからであった。それからそのわけを聞いても、妻はすぐには信じなかった。しかし余程かかって彼は今彼女の前に立って居る青年は実際彼女の夫である事を納得させる事ができた。それからその泉のあるところを教えて、そこへ自分と一緒に行く事を求めた。

そこで彼女は云った。「あなたはそんなに立派に、そんなに若くおなりだから、お婆さんなぞ嫌になるでしょう、それでわたしもすぐその水を少し飲まねばなりません。しかし二人共同時に家を離れる事はできません。私が出かける間あなたは留守をしていて下さい」それから独りきりで森へ駆け出した。

彼女は泉を見つけて、跪いて飲み始めた。その水はどんなに冷たくておいしかったろう。彼女は飲んで飲んで飲んで、息をついては又飲み出した。

夫は彼女を待ちくたびれていた。彼は彼女が綺麗な華奢な少女になって帰って来るのを見ようと待ち構えていた。しかし彼女は一向帰って来ない。心配になって、家を閉じて、彼女をさがしに出かけた。

泉へ着いても彼女は見えなかった。丁度帰ろうとすると、泉の近くの高草の中に小さい泣声が聞えた。彼はそこをさがして、妻の着物と赤児、――恐らく半歳ばかりの非常に小さい赤児を発見した。

即ち妻は不思議な水を余りに深く飲過ぎたのであった。彼女は少年の時を通り越して、物の云えない幼少時代になるまでも飲んだのであった。

彼は子供を抱き上げた。それが悲しい不思議な風に彼を見た。彼はそれをうちへ連れ帰った、――それに向ってつぶやきながら、――妙な淋しい思いに耽りながら。


その時、私の浦島に関する空想のあとでは、この話の教訓は以前よりも、もっと不満足に見えた。人生の泉を深く飲み過ぎたのでは、私共は若くはなれないのである。

裸で涼しそうになって、私の車夫は帰って来た。そして、この暑さでは約束通り十里の道を走る事はできないが、残りの道を走ってくれる別の人をさがして来たと云った。彼が走った分だけで五十五銭欲しいとの事であった。

それは実際暑かった――あとで聞いたところでは百度(編者註)以上あった。そして遥か離れたところに、雨乞の太鼓の音が、暑熱その物の脈搏のようにたえず鼓動していた。そして私は龍宮の乙姫の事を考えた。

編者註 華氏温度。摂氏温度ではおおよそ三十七度八分。

「七十五銭と云う事であった」私は云った。「そして約束通りは未だ来ていない。しかしやはり七十五銭お前にあげよう、――神様が恐ろしいから」

それから未だ疲れていない車夫のうしろから、私は太鼓の方角に向って――大きな炎の中へ逃げ出した。