トロイア物語:都市の略奪者ユリシーズ, アンドリュー・ラング

パリスの殺害


ギリシア軍は落胆して、いつもの習いで予言者カルカースに相談した。彼はいつもは、かくかくの事をしなければならないとか、だれそれを使いに出さなければならないとかいったことを見つけだし、そうすることで多くの不運から気を晴らせるのだった。さて、ヘクトールの弟デーイポボスの指揮下にトロイア軍が以前より一層勇敢に戦うようになったとき、ギリシア軍はカルカースに助言を求めた。すると彼はユリシーズとディオメーデースを迎えにやってレームノス島から弓弾きのピロクテーテースを連れて来るよう命じた。この島は不幸なさびれた島で、ここで数年前既婚の女達が嫉妬から一夜のうちに夫全員を殺害したのだ。ギリシア軍は、トロイアへ向かう途上で、レームノス島に上陸し、そこでピロクテーテースは寂しい山の洞窟の中の井戸に住む大きな水竜を矢で射た。しかし洞窟に入った時に竜に噛みつかれ、ついには竜を殺したものの、竜の毒牙で足に負傷したのだ。傷はけっして癒えることなく、毒液がしたたり落ち、ピロクテーテースは激しい痛みで叫び、野営は一晩中眠れなかった。

ギリシア軍は彼を気の毒に思ったが、彼は何をやっても苦痛で叫び、行くところ毒をにじませ、愉快な仲間ではなかった。そこで彼を孤島に置き去りにし、生きてるのか死んだのかも分からなかった。カルカースはこの時にギリシア軍にピロクテーテースを見捨てるなと告げなければならなかった。予言者が今言うところでは、ピロクテーテースがいなければトロイアは陥落しないというほどに彼は重要なのだ。さて今、助言を与えなければならないときに、カルカースはピロクテーテースを連れ戻さなければならないといったので、ユリシーズとディオメーデースは彼を連れ戻しに出かけた。二人はレームノス島に船出したが、そこは海岸沿いの荒れ果てた家々から煙一つたたない陰鬱な場所だった。上陸すると、ピロクテーテースは死んでいないことがわかった。というのは以前とおなじその惨めな苦痛の声がいたたた、あぁ、あぁ、ひぃ、ひぃ、いたたたと浜辺の洞窟から谺していたからだ。この洞窟へと二人の王が行ってみると、長くて汚れた乾いた髪と鬚をはやした恐ろしい恰好の男がいた。やせ細った体に服を着て、うつろな目をして、海鳥の羽毛のかたまりに呻いて横たわっていた。その大弓と矢は手元に置かれていた。この弓矢で海鳥を射て、射た鳥は全て食べ、その羽毛は洞窟の床じゅうに散らかした。傷を負った足から浸み出る毒はいっこうによくはなかった。

この恐ろしげな生き物はユリシーズとディオメーデースが近寄って来るのをみると、弓を取り、弦に毒矢をつがえた。というのも、ギリシア人は荒れ果てた島に自分を取り残したので、憎んでいたのだ。しかし二人の王が平和のしるしに手をあげて、彼に親切にしようとやって来たと叫んだので、弓を置いた。二人は入って来ると、岩に腰かけ、傷は治す、というのもギリシア人は彼を置き去りにしたことをとても恥じているのだからと約束した。ユリシーズが誰かを説得するとき、それに抗うのは難しかった。ついにピロクテーテースは二人と一緒にトロイアへ船出することに同意した。漕ぎ手たちが彼を担架で船に運び、恐ろしい傷を湯で洗い、油をすりこみ、柔らかい亜麻布で覆った。それで痛みは少しおさまった。それからおいしい夕食と十分な葡萄酒を与えた。それは何年も味わったことがないものだった。

翌朝、船出したが、好都合の西風に恵まれ、たちまちギリシア軍のところへ上陸し、ピロクテーテースを岸に運びおろした。そこではマカーオーンの兄弟で医師のポダレイリオスが、傷を治すためにあらゆる手を尽くした。それでピロクテーテースの痛みは消えた。ピロクテーテースはアガメムノーンの小屋に連れて行かれた。アガメムノーンは彼を歓迎し、ギリシア軍は自分たちの無慈悲な行いを悔いていると言った。彼には身の回りの世話をする七人の女奴隷と十二頭の駿馬、十二の青銅の大瓶が贈られ、いつも大将たちと生活し、同じテーブルで食事するように言われた。それから彼は湯浴みし、髪を切って、梳り、油をすりこんだ。するとすぐに気力が満ち、いつでも戦い、トロイア軍に大弓と毒矢を使えるようになった。毒をつけた鏃を使うというのは不公正な考えだが、ピロクテーテースにはなんのためらいもなかった。

さて、次の日の戦いでパリスは矢でギリシア兵を射殺していた。そのときピロクテーテースはパリスを見て叫んだ。「犬め。お前は偉大なアキレウスを殺して自分の弓の技と矢が自慢であろう。だが見るがよい。私のほうがお前よりはるかに優れた弓弾きだ。それに我が手の弓は強き男ヘーラクレースのつくりしものよ」そこで彼は叫び、胸まで弦をひき、毒矢をつがえた。弦が鳴り響き矢は飛んだが、パリスの腕をかすめただけだった。すると毒の激しい痛みがパリスを襲い、トロイア兵はパリスを町に運び込んだ。そこで医師が一晩中世話をした。しかしパリスはまったく眠れず、明け方まで苦痛でのたうった。明け方彼は言った。「唯一つ望みがある。イーデー山のニンフ、オイノーネーのもとへ連れて行ってくれ」

そこで友人たちはパリスを担架で担ぎ、イーデー山の険しい道を運んで行った。若い頃パリスは素早くこの道を登り、彼を愛したニンフに会いに行ったものだ。だが長い間踏みしめたことがなかったこの道を、今激しい痛みと恐怖にさいなまれながら運ばれていったのだ。なぜなら毒がその血を煮えたぎらせていたのだから。パリスはほとんど望みをもっていなかった。というのも、どんなに無慈悲にオイノーネーを見捨てたか分かっていたから。それに森で平穏を乱された鳥たちがみな左のほうへと飛び去るのを見たが、これは悪い前兆だった。

ついに、担ぎ手たちはニンフのオイノーネーが住む洞窟に着いた。そして洞窟の床で焚く杉の焚火の甘い匂をかぎ、ニンフが陰鬱な歌を歌っているのを聞いた。そこでパリスはかつて彼女が聞くのが好きだった声でオイノーネーに呼びかけた。すると彼女は蒼白になり、立ち上がって、「私が祈った日が来た。パリスが傷を受けて痛み、私に傷を癒してもらいに来た」と一人ごちした。そこで彼女は洞窟の入口にやって来てたたずみ、暗闇に白くうかびあがった。担ぎ手たちはオイノーネーの足元に、担架にのせたパリスを横たえた。パリスは嘆願するように手をのばし、彼女の脛に手を触れようとした。しかし彼女は脚を引っ込め、体のまわりにローブをかきあわせ、手が触れぬようにしたのだ。

そこでパリスは言った。「私を蔑すみたもうな。憎みたもうな。我が痛みはこれまでになくひどいのだから。そなたをひとりここに置き去りにしたのは、まことは我が意志ではない。というのも誰も逃れようのない運命の女神が私をヘレネーのもとに導いたのだから。ヘレネーの顔を見る前に、そなたの腕の中で死ねばよかった。だが今私は神の名にかけて懇願する。私たちの愛の思い出のために、私を哀れみ、我が傷を癒したまえ。そなたの慈悲を与えずに私をそなたの足元で死なせたもうな」

オイノーネーのもとへ戻ったパリス
パリスはオイノーネーのもとへ戻った

そこでオイノーネーは蔑んで答えた。「そなたはなぜ我がもとへ来られたのか。確かにそなたはもう何年もこの道を来なかった。かつてはそなたの足で細道を掘りうがったものを。そなたが美しき手のヘレネーへの愛ゆえに、私を一人寂しく嘆き悲しむがままに置き去りにしたのは、はるか昔。確かにヘレネーはそなたの若かりし頃の恋人よりはるかに美しいし、役にもたったろう。なぜなら彼女は老いも死も知らぬというではないか。ヘレネーのもとに戻り、彼女にそなたの痛みを除いてもらいなされ」

このようにオイノーネーは言い、洞窟にひきこもった。洞窟で彼女はヒースの灰に身を投げ出し、怒りと悲しみでむせび泣いた。しばらくして、彼女はまだパリスはトロイアへ連れ帰られてはいないと思って、立ち上がり洞窟の入口へ行った。しかしパリスはいなかった。というのは、担ぎ手たちは別の道を通って運び、樫の林の枝のしたでパリスが死んだのだ。それから担ぎ手は急いでパリスをトロイアへと運んだ。そこでは母親が悲嘆にくれ、ヘレネーは、多くのことを思い出し、自分の最期がどうなるかという思いに恐怖しながら、ヘクトールに歌ったのと同じように、パリスに哀歌を歌った。一方、トロイア人は急いで乾いた薪の大きな山をつくり、その上にパリスの遺体を横たえて、火をつけた。炎は暗闇に燃え上がった。というのはもう夜となっていたのだ。

一方、オイノーネーは叫びパリスに呼びかけながら、暗い森を彷徨った。さながら子供を狩人に連れ去られた雌獅子のごとくに。月が昇り、彼女に光を投げた。そして葬儀の火の炎が空に照り映え、オイノーネーはパリス――美しいパリス――が死に、トロイア人がイーデー山の麓の平原でその遺体を焼いていることを知った。そのとき彼女は今やパリスは全て我がものとなった、ヘレネーはもはやパリスを抱きしめないと叫んだ。「そしてパリスは生きているときには私を置き去りにしたとはいえ、死においては我らは引き裂かれはせぬだろう」そう言うと、山を駆け下り、森のニンフたちがパリスを嘆き悲しんでいる茂みを抜けて、平原に着いた。そして顔を花嫁のようにヴェールで覆って、トロイア人の群衆の中を駆け抜けた。オイノーネーは燃える薪の山に跳び上り、パリスの遺体をその腕で抱きしめた。炎が花婿と花嫁を燃やし尽くし、二人の遺灰は混ざりあった。もはや誰も二人を別けることができず、遺灰は黄金の杯にいれて、石室に納め、その上に土を盛った。墓のうえに森のニンフたちが二本の薔薇の木を植えると、その枝は互いにもつれあった。

これがパリスとオイノーネーの最期であった。


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