崩壊, フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド

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これまで何ページかを費やして、ある一人の類を見ないほど楽天的な若者が、あらゆる価値の崩壊、ずっと後になるまでそうと気付くことのなかった崩壊を体験したか、お話してきた。それにつづく荒廃の時期を語り、それでもなんとかやっていく必要があったと言った。といって、ヘンレーの有名な英雄観、「血まみれにしたその顔を下げず」にすがっても詮ない状況でだ。ぼくの精神的資産が借り物ばかりだった点からすれば、つまりぼくには下げるべき、あるいは下げざるべき顔がないとわかっていたのだから。心臓は自分のものだったはずだが、自信があったのはそれでほぼすべてだった。

ぼくがもがいていた泥沼からぬけだす、少なくとも出発点くらいにはなったと思われるのが、これだ。「ぼくは感じた――ゆえに、ぼくは在った」。たくさんの人たちが、人生に対するぼくの忠告や見方を頭から信じこんで、ぼくに頼り、厄介事の相談をもちかけてきたり、遠くから手紙をよこしてきたりした。ぼくがお決まりの回答しか出せない愚鈍きわまる売文屋であるにせよ、厚かましいにもほどがあるラスプーチンであるにせよ、数多くの人々の運命に影響を与えることができるからには何らかの個性があるに違いなく、だから問題は、なぜ、そしてどこでぼくが変わってしまったのか、それを知ることだった。それから、いったいどこから、本人も知らないうちに、情熱やバイタリティーが徐々にそして早々にこぼれていってしまったのか、それを知ろうとした。

悩み、絶望したぼくは、ある夜、ブリーフケースに荷物を詰め、千マイルも離れた場所でとことん考えてみることにした。知り合いの誰もいない、さえない小さな街で一日一ドルの部屋を借り、有り金をはたいて瓶詰め肉とクラッカーと林檎を買いこんだ。とはいえ、どちらかといえば煩雑な俗世から割合に禁欲的な生活に移行して、そこで悟りを開こうとしたなんて言い出すつもりはない――ただ、考え事をするための絶対的な静けさが欲しかっただけだ。なぜぼくが悲しみに対して悲しい態度を、憂鬱に対して憂鬱な態度を、悲劇に対して悲劇的な態度をとるようになってしまったのか――なぜぼくは、恐怖や憐れみの対象とぼくとを同一視してしまうようになったのか?

じつにどうでもいい区別とお思いになるだろうか? それは違う。こういう同一視をはじめると前に進めなくなる。気違いが仕事に手がつかないのはそれと同じようなことだ。レーニンはプロレタリアートの苦しみを味あおうとはしなかった。ワシントンは兵卒の苦しみを味あわず、ディケンズはロンドンの貧民の苦しみを味あわなかった。トルストイはかれが意を注ぐ対象にとけこもうとしたが、その努力は偽物、失敗に終わった。いまこうして名前をあげたのは、だれでも知っている名前だからだ。

それは危険な霧だった。「栄光はすでに地上から消え果てた」としたワーズワースは、ともに地上から消え果てようとはしなかった。“燃えさかる塵芥”キーツは、結核との戦いをやめず、イギリス詩壇への仲間入りの希望を最後の瞬間まで捨てなかった。

ぼくの自己犠牲心は途方もないところがあった。まったくもって近代的でないほどに――とはいえぼくは、大戦後、この資質を十人ばかりの尊敬すべき勤勉な人たちに見出したことがある。(おっしゃりたいことはわかります。でも簡単な、あまりにも簡単なことです――こうした人たちの中に、何人かマルクス主義者がいましたから。)ぼくの知り合いで著名な同世代人が、半年もの間“大逃避”の概念をもてあそびつづけるのを、ぼくはすぐそばで見ていた。同じくらい有名なもう一人の人物は、友人たちとの接触に耐えられなくなって何ヶ月かを精神病院ですごした。絶望のあまり生きるのをやめた連中なら二十人は名前をあげることができる。

そういうところから、ぼくは生き残った人たちはある種の開き直りを果たした人たちだと考えるようになった。これは大変なことで、脱走という、おそらくは新しい監獄に送られ、そうでなくとも元の監獄にもどされるのが関の山のしろものとは違う。有名な「逐電」とか「何もかもから逃げ出す」というのは監視所内での遠足に等しく、たとえその監視所の中に南洋があって、それが絵に描いたり船を出したりするのに向いていたとしても、監視されているのに違いはない。ぼくが言う開き直りというのは、そこから後戻りをできなくするようなことだ。過去が存在をやめるのだから、それは取り返しのつかないものになる。とすれば、人生がぼくに仕向けた、あるいはぼくがぼく自身に仕向けた義務を果たせなくなったわけだから、四年間ポーズだけの抜け殻だったものを抹殺してもかまうまい? もの書きであることはぼくにとって唯一の生き方だからつづけざるをえないけれど、人物であることはやめる――親切さも捨て、公正さも捨て、寛大さも捨てる。そういうものの代わりに通用しうる贋金はごまんとあるし、どこへ行けば五セント貨を一ドル紙幣に変えられるかも知っている。三九年にもわたって観察をつづけてきたのだから、どこでミルクが水で薄められるかもわかるし、砂糖に砂が混ぜられるところも、贋造宝石がダイアモンドに、漆喰が石材に化けるポイントもよくわかっている。自分自身を与えるのはもうやめよう――与えることを掟破りとし、新しい名前をつけよう。その名も“無駄”。

こう決意したとたん、ぼくはやや嬉しくなった。リアルで新しいものがみなそうしてくれるように。まず手始めみたいなものとして、家に帰ったら手紙の束をごみ箱に放りこもう。ただで何かをしてくれという手紙の束――こいつの原稿をよんでくれだとか、こいつの詩集を出版してくれだとか、ラジオでなにかしゃべってくれだとか、序文を書いてくれだとか、インタビューに応じてくれだとか、芝居のプロットを手伝ってくれだとか、家庭の問題をどうにかしてくれだとか、これこれの思いやりぶかい慈善行為をしてくれだとか。

手品師のシルクハットは空になっていた。長い間、小手先の技の類でそこから物をとりだして見せてはきたけれど、もう、たとえを変えれば、生活保護受給者名簿の出資者側から降りることにした。

のぼせあがった悪意はつづいた。

十五年前にグレイト・ネック発の通勤列車で見かけたガラス玉のような瞳の男たちと同じ気分だった――明日世界が混沌の渦に投げこまれようとも、我が家が無事なら気にもかけない連中だ。ぼくはいまかれらの、口八丁な連中の仲間だった。つまりこうだ:

「すみませんが、ビジネスはビジネスですから」あるいは:

「トラブルに巻き込まれる前によくお考えになるべきでしたね」あるいは:

「それはぼくの預かり知らぬことです」

それに笑顔――そう、とある笑顔をぼくのものにしようと思った。いまもその笑顔について研究している。ホテルのマネージャー、老獪な社交家、参観日の校長先生、黒人のエレベータースタッフ、横顔にこだわる優男、市場価格の半値で仕事をひきうけようとしているプロデューサ、新しい患者のもとに向かうベテラン看護婦、はじめてグラビアに写ったモデル、カメラを横切る大望あるエキストラ、つま先を傷めたバレーダンサー、それから、表情をゆがめるという美徳に依存しながら存在する人々が住むワシントンからビバリー・ヒルズの各地共通の、心のこもった親切心を感じさせる大いなる笑顔、それらの長所を組み合わせるのだ。

声もだ――ぼくは先生について声を研究している。完璧にマスターすれば、ぼくの声帯はぼくの内心を音にすることをやめ、話し相手の内心を音にしてくれるだろう。求められる言葉は大部分「はい」に集約されるだろうから、ぼくとぼくの先生(弁護士だ)はそれに集中しているが、余暇を使ってだ。ぼくがその声にこめようとしているのは慇懃さであって、それによって、相手に歓迎と程遠い扱いを受けていると思わせ、いついかなる時も冷酷な分析の対象にされていると感じさせようとしている。こういうときは、例の笑顔は使わない。これは、疲れきった老人だとか、悪戦苦闘中の若者だとか、そういったぼくにとって得るところのない連中のためにとっておくのだ。かれらは気にすまい――酷い話だが、かれらはいつもいつもそういう扱いを受けているのだから。

でもこれで十分だ。軽はずみでしたことではない。もしきみが若く、もの書きたちが絶頂期に冒されがちな神経衰弱について書くような陰気な文筆家になる方法を教えてくれという手紙をよこしてきたとする――もしきみがそんな真似をしたがるほどのひとりよがりな若者だったとしたら、きみが現に富裕で重要な人物と縁でもないかぎり、ぼくはその手紙を大して気に留めないだろう。もしきみがぼくの家の窓の外で飢え死にしかけていたら、ぼくはあわてて飛び出して行って、例の笑顔と例の声を差し出し(手は差し出さない)、だれかが救急車を呼ぶ電話をかけるための硬貨を握るまで、そばにつきまとうことだろう。もしそこになにかネタになるものがあるとして、だ。

ようやく、ぼくはただのもの書きになった。それまでぼくがなろうと心していた人物が、あまりに重荷になってきたから、ぼくは、ほとんど良心の呵責をおぼえることもなく、その人物から「逃れて」しまったのだ。ちょうど、黒人の女性が土曜日の夜に恋敵から「逃れて」くるように。善人は善人として生きればいい――過労の医者は身動きすらままならないまま年に一週間の休暇を家族サービスに費やして逝けばいいし、暇な医者は一人一ドルの患者でもかきあつめればいい。軍人たちは殺されて栄誉の殿堂入りでもすればいい。それが、かれらが神と結んだ契約なのだから。もの書きについては、自分から契約を考え出さないかぎり、そういう心配はないし、ぼくが昔考え出したものはもうキャンセル済みだ。昔は、ゲーテ=バイロン=ショーの系譜につらなる完全さに、J・P・モーガン、トーハム・ブクラーク、聖フランシス・オブ・アッシシ的アメリカ味が加わった人物をめざしていたけれど、その夢も、プリンストンで一年生対抗フットボール試合の一日だけしか使わなかったショルダーパッドや外地で用いることのなかった外地用軍帽と一緒に、がらくたの山へと追いやられてしまった。

それでどうした? ぼくはいまこう考えている:繊細な感覚を持つ成人が置かれる自然な状態とは、適度の不幸である。本来よりも上等な人間でありたいと望む成人において、「たゆまぬ努力」(というのは、これを言うことによってパンを得る連中の常套句なのだけど)は最終的には新たな不幸を積み増すだけのことなのだ――青春や希望の果てにぼくらが見る結末と同じように。ぼくに限って言えば、過去には幸福だったことがある。それはしばしば、もっとも近しい人物とすら分かち合えないほどの忘我の境地にまで達し、そのかけらを本に見るひとひらの文章に感じながら、通りを歩いて発散させなければならなかった――ぼくの幸福というか、ぼくの自己欺瞞の才というか、あるいは他人が見れば違う名前をつけるものかもしれないけれど、いま思えばそれは、例外的なものだった。それは自然でないどころか、不自然そのものだった――にわか景気と同じくらい不自然で、実際、近年ぼくが経験した絶望の波は、にわか景気が終わったときにこの国を襲ったそれとうりふたつだった。

ぼくはこの新しい摂理とともに生きていくようになれると思う。もっとも、それを既成事実化するのに何ヶ月かかかるだろう。たとえば、アメリカの黒人たちがその耐えがたい生活環境に耐えているのはかれら一流の朗らかなストイシズムのおかげだが、そのストイシズムが真実に対するかれらの感覚を麻痺させている。それと同じように、ぼくもまた代償を支払わなければならない。郵便屋、食料品店の店員、編集者、従妹の良人――そういった人たちに、ぼくはもう好意を寄せない。かれらのほうでもぼくに好意を寄せてくれなくなって、人生はもうあまり楽しくなくなるだろう。ぼくの心の扉に『猛犬注意』のプレートをぶらさげるんだ。ぼくはそのとおりの生き物としてふるまってみせようと思う。だからもしきみがぼくに肉のたっぷりついた骨を投げてくれるなら、ぼくはきみの手までも舐めるかもしれない。


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