統一科学の部門化, オットー・ノイラート

百科全書主義 対 「ピラミッド主義」


予想される諸科学の分類法に対する反論を以下に述べよう。この反論は「百科全書主義」の本質に関わるものである[6]。百科全書主義のプログラムは、一般的な「唯一の体系(THE SYSTEM)」を斥ける。それゆえまた、「諸科学の唯一の体系」や「諸科学の至高の体系」、「諸科学の自然な序列」など、しばしば形而上学的思惟と緊密に結びついてきた観念も斥ける。創始者が経験主義に関心を持っている場合でさえ、科学の分類や整理がこうした形而上学的知識体系の派生物として見なされる場合は、少なくない[7]。こうした整理の仕方は、「ピラミッド主義」に共通の特徴を示している。つまり、諸科学を主要部門、下位部門、そのまた下位部門に分けることで、対称的で完全な一大建築物を作ることを意図しているのである。このピラミッドは巨大な包括性の体現であり、その根はスコラ主義その他の包括的体系である[8]。百科全書主義は、主な方向性として、司書が作るような大雑把な書誌学的序列で満足する。もっとも、その司書の少なからぬ数もまた「ピラミッド主義」に毒されているのだけれど[9]

百科全書主義は、一見すると、「ピラミッド主義」に基づく従来型の立場に比べて不調和のように見える[10]。百科全書主義は、非常に多くの言明の集合が、いわば一箇所に存在するという事実を受け入れる。一貫した形式を得るためには、公理化などの方法が必要であり、複雑なネットワークは徐々に形成されていくであろう。対称的なピラミッド型の建築物は存在しない。長い年月を経る中で、諸科学のモザイク・パターンは、より密接に結びつきあう幾つもの特徴を示していくだろう。しかし、科学的態度が仮にも妥当なものでありつづけるならば、そのパターンも不断に変化を続ける。

これまでに明らかにしてきたような特徴を持つ統一科学の百科全書的統合は、現実的な道具を提供することで科学の共同研究の包括性を支えるものであり、従来の知識体系の幻想とは縁遠い。このような百科全書的統合の総合教育の効果の基礎は、包括的な科学的態度にあるのであって、唯一の体系という特殊な理想とは関係ない[11]

科学主義のあらゆる傲慢さを免れた、この気取りのない統合プログラムは、一体何を達成することができるだろうか? それは言葉で説明しても始まらない。ただ、行動そのものによってのみ証明することができるのだ。


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