知識人の反抗, ジョージ・オーウェル

キリスト教的改革論者


死後の生への信仰と現世の幸福への欲求は相容れないものではないが、反対の方向へと引き寄せるものである。もし墓穴のさらに先に生があるのであれば私たちの大きな目的はその生に備えることに違いなく、その必要不可欠な霊的訓練は苦痛や悲しみ、貧窮、そして社会改革者が取り除こうと欲するその他全てのものの中にあるだろう。

いずれにせよ、神の意志に服従するという考えと人間の自然への制御を増大させていくという考えは反しているように感じられる。そのために全体的にはキリスト教教会――とりわけ確立された社会秩序とそれぞれ密接に結びついたカトリック教会、東方正教会、イギリス国教会、ルター派教会――は進歩という考えを敵視し、私的財産制度を弱める傾向を持つあらゆる政治理論に抵抗してきた。

とはいえキリスト教信仰と保守主義を同一視することはできない。中世でさえ、革命的政治教義を説く異端派はすでにあったし、宗教改革の後になると改革主義とプロテスタント主義の間に密接な関係ができあがった。イギリスにおける社会主義運動のルーツの一部は非国教主義にあるのである。

しかし伝統的で来世的なキリスト教信仰と革命的社会主義とを和解させる試みは現代においてさらに広く進展している。カトリック社会主義政党がヨーロッパ大陸全土に現れているのだ。ロシア正教会、あるいはその重要な部分はソビエト政府と和平を結んだが、それと同じ思想的潮流がイギリス国教会にも姿を現している。

こうした進展の理由はひとつではないが、神父にせよただの信徒にせよ、もし個々のキリスト教徒が資本主義社会に内在する邪悪への確信を深めなければそれは起きなかったことだろう。富者と貧者は神が作ったものであり、重要なのは魂の救済であるというこれまでされて来たような説教はもはやされていないはずだ。

ニーメラー牧師が言ったように大都市での貧困状態はキリスト教徒的生活を不可能にするほどのものだったのだ。おそらくキリストの教えは純粋な共産主義への道を指し示していたのだろう。いずれにせよ、その教えは徹底的な財産の再分配を明らかに要求していた。

過去二十年の間、最も際立った宗教思想家たちは通常の意味においては政治的反動主義者ではなかった。つまり自由放任レッセ・フェールな資本主義の擁護者ではなかったのである。彼らの間の意見にはさまざまな濃淡があったが、三つの主要な傾向に整理できる。

一番目は単純にキリスト教を共産主義と同一視し、福音の政治的・経済的な意味に一番の重点を置く者たちだ。カンタベリー主席司祭カンタベリー主席司祭:ヒューレット・ジョンソンを指すが最も有名だが、彼らの中にはソビエト・ロシアを真のキリスト教社会に最も近い存在と考えている者もいる。

ジョン・マクマリー教授(「歴史の手がかり」)はカンタベリー主席司祭とほとんど同じ様にこの路線をたどっていて、ソビエト体制の反宗教的な方向性は単なる錯誤であり、修正可能だし、そうすべきであると考えている。しかしながらマクマリー教授は個人の不死という教義を否定しているので彼のことを伝統的な信者と考えることは難しい。

個人の尊厳をさらに強調してはいるが多かれ少なかれ同じ意味の発言をしているもうひとりのイギリス国教会の作家が、かつて「チャーチ・タイムズ」紙で編集者をしていたシドニー・ダーク(「私は座り、考え、驚嘆する」)だ。フランスにおける最近の努力にも関わらず、ロシア共産主義とカトリック教会の間に実際の和解がなされた兆候はまったく無い。しかしながらイギリス国教会内部では、教義的にローマに最も近いアングロ・カトリックの間で左派への同調が最も強いように見える。

二番目は、社会主義を不可避で、さらには人間の歴史における望ましい次の段階と受け止めているが、新しい社会主義社会をキリスト教化し、それが過去との霊的な繋がりを断ち切らないようにすることに大きな関心を寄せている者たちだ。この一派で最も際立った二人の作家がフランスのベルクソン哲学研究者であるジャック・マリタン、そしてロシア亡命者の作家であるニコライ・ベルジャーエフである。

昨年この国で「キリスト教と民主主義」が出版されたマリタンは実に切れ味鋭い思想家でカトリックの世界では深く尊敬を集めている。彼は社会の進歩という考え方と厳格なカトリックの正統を和解させることで社会主義の推進に多大な貢献をおこなった。今回の戦争の間、彼はペタン体制に反対することに自身の知的権威の全てを傾けたし、スペイン内戦の際にはフランコをキリスト教世界の擁護者として称賛するよう押し付けられてそれを拒絶した。

カトリックの小説家ジョルジュ・ベルナノス(「田舎神父の日記」や「我が時代の日記」)も同じような立場をとったが、それはさらに猛烈なやり方だった。しかしおそらく思想家としてのベルナノスは私の考える三番目の集団に置かれるべきだろう。マリタンに最も近いイギリス人はカトリックの歴史家であるクリストファー・ドーソンである。ベルジャーエフの場合は他の者と違って始めはマルクス主義社会主義者だったが後になって宗教信仰者へ変わった。

彼がロシアを離れたのは革命の頃のことだったが、ボルシェヴィズムへの激しい敵意にも関わらず、彼の筆致はその反対者のほとんどよりも理解と敬意に富んでいて、ロシア小作農民の原始的信仰と革命での暴力性との間の繋がりに関する彼の言及には大きな興味をそそられる。

この集団の作家は全員、教会が大衆からの支持を失うとすればその理由の大半は社会的不公正を容認したせいだと認めるだろう。この新しい立場を政治的表現に直せばキリスト教社会主義であり、これはフランスではすでにかなりの規模に達している。

最後は――見方によれば最も興味深い集団なのだが――現在の不公正を認めて劇的な変化に備えるが、社会主義、そして言外に産業主義を拒む者たちである。一九一一年というかなり以前にヒレア・ベロックは非常に予見的な著作「奴隷の国家」を書いている。そこで彼は 資本主義社会はまもなく堕落して後にファシズムと呼ばれるようになった物によく似た何物かへと変わるだろうと予言している。

ベロックの救済策は広大な土地を分割して小作農民の所有へと戻すことである。ベロックの友人、G・K・チェスタートンこそが彼が土地均分論と呼ぶ政治運動に基づいてこの考えを作り上げたのである。保守主義への改宗者であるチェスタートンは十九世紀急進主義の精神的背景を持っていて、より簡素な社会形態を求めるその欲求は民主主義と庶民の美徳へのほとんど神秘的とも言える信念と結びついている。

彼の運動はこれまで一度も大きな支持を得ることはなかった。彼の死後にはその弟子のいくらかがイギリスファシスト連合へと流れ込み、一方で他の者は通貨改革に救済を求めた。しかしながら、その教義は本質的にはまったく変化せずにキリスト教社会というT・S・エリオットの考えに再び姿を現している。チェスタートンの持つ重要性は彼が簡素な――確かに戯画化されたものだが――形態、あらゆるキリスト教的改革論者に存在するある傾向を描いて見せたことにある。

キリスト教に特有の美徳は、生活が簡素で家庭が自然な構成単位となる小さな共同体でこそ花開く可能性が最も高い。それゆえにキリスト教思想の綱引きは計画と中央集権的な所有権の必要性を認める者たちの間でさえ、決まって高度に複雑で豪華な社会から離れて中世の村落へと向かっていくのだ。ほとんど何の疑いも持たずにロシア共産主義を受け入れているマクマリー教授のような作家でさえ、生活が安楽過ぎない、彼が呼ぶところの「労働日ある世界」で人々が暮らすことを望んでいる。

チェスタートン、あるいはエリオットさえもが提示しているような中世的暮らしはまともな政治手段とはなり得ない。それは機械文明の壮観を前にした感受性豊かな人物であれば誰もが感じるたんなる不安の症状である。

しかしチェスタートンよりは現実的なキリスト教の思想家はいまだ未解決の問題に直面している。もし私たちの文明が道徳的な再生を果たさなければそれは滅びる可能性が高いと彼らは正当にも主張している――加えて、少なくともヨーロッパにおいては、その道徳律はキリスト教の公理に基づいているという点でも彼らは正しいだろう。しかしキリスト教には人々の大多数がもはや受け入れられない教義もその欠くことのできない一部として含まれているのだ。

たとえば個人の不死という信念はまず間違いなく衰退している。教会がこうした教義にしがみつけば、人々の大部分を引きつけることはできない――しかしもしそれを捨てれば存在理由レゾン・デートルを失って完全に消えてしまうことだろう。

これは別の言葉で繰り返せばキリスト教はその性質からして「来世的」であり、一方で社会主義はその性質からして「現世的」であるということに過ぎない。現代においてはほとんど全ての宗教的議論はこの問題を中心に巡っているが満足のゆく答えは見つかっていないのだ。

他方でマリタンやエリオット、ラインホルド・ニーバー、クリストファー・ドーソンといった高名な作家や思想家は現代の政治に関心を寄せることだけでなく、さらにはおおまかに「進歩的」陣営と呼ばれているものを非難し、左派運動の弱みである安易過ぎる楽観主義と検討不足の唯物主義に対抗するよう強いられているのだ。

カンタベリー主席司祭「マルクス主義と個人」(パンフレット)、ジャック・マリタン「真のヒューマニズム」「科学と英知」「人間の権利」、ニコライ・ベルジャーエフ「キリスト教と階級闘争」「ロシア宗教心理学と共産主義無神論」、E・ランパート「ニコライ・ベルジャーエフと新たな中世」、クリストファー・ドーソン「政治を超えて」「国家の審判」、ラインホルド・ニーバー「道徳的人間と不道徳的社会」

1946年2月7日
Manchester Evening News

©2021 H. Tsubota. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-非営利-継承 2.1 日本