モロー博士の島, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

奇妙な顔


私たちは船室を出たが昇降階段のところで行く手をふさいでいる男に出会った。男は私たちの方に背中を向けて階段に立ち、甲板出口から外を見つめているようだった。私の見たところ彼は奇形だった。背は低く肩幅があり不恰好な体をしている。湾曲した背中に毛深い首をしていて頭は両肩の間にめり込んでいるかのようだったのだ。ダークブルーの綾織りの服を着ていて妙に毛深くごわごわとした黒い髪をしていた。その時、どこかから犬のひどくうなる声が聞こえたかと思うと男が後ずさった……彼の体にぶつからないように上げた私の手が彼の体に触れた。すると彼は動物じみた俊敏さで振り返ったのだ。

その黒い顔は私になんとも形容しがたい強い衝撃を与えた。とてつもなく奇妙な顔だった。顔の中央はまるで犬の顔を思わせるように突き出ていて半開きになった巨大な口には人間の口では見たことの無いような大きな白い歯が覗いていた。目の縁は血走り、ハシバミ色の瞳には白目というものがほとんど無い。そして彼の顔には奇妙な興奮の色が見えた。

「おい!」モンゴメリーが言った。「道をあけろ」

黒い顔の男は何も言わずに壁によって道をあけた。私は昇降階段を昇って行きながら思わず彼の方を盗み見てしまった。モンゴメリーはしばらく下の方にいた。「ここはおまえのいるべき所じゃない」彼は落ち着いた口調で言った。「おまえの居場所は前の方だ」

黒い顔の男は縮こまった。「あいつらが……前の方に居させてくれないんです」口調はゆっくりとしていて声は奇妙にかすれていた。

「例えそうだとしてもだ!」モンゴメリーが脅すような口調で言った。「むこうに行け!」彼はさらに何かもっと言いたげだったが上にいる私を見ると突然黙り、私の後ろを追って階段を昇ってきた。

私は昇降階段の中ほどに立ち止まって振り返り、後ろを見ていた。あの黒い顔の生き物の醜悪さにまだ驚きは醒めていなかった。あそこまでぞっとする奇妙な顔は今まで見たことがなかった。しかし……矛盾するように聞こえるかも知れないが……同時に私を驚愕させたあの姿や仕草に既視感を覚えたのだ。後になって考えて見るとおそらくボートから担ぎ出された時に彼を見ていたのだろう。しかしそれが確かなことかどうか調べる手立ては無い。それにあの奇妙な顔を見た人間がそれをすぐに忘れるということがあるのだろうかという思いが私の頭の中を渦巻く。

私を追ってくるモンゴメリーの動きが私の注意を逸らし、気がつくと私は小さなスクーナー船の甲板に立っていた。さっきから聞こえていた物音のおかげで目にしたものに対しての心構えは既に半分できていた。あそこまで汚れた甲板は見たことがなかった。にんじんのかけらや野菜の切れ端、得体のしれない汚物が散らばっていた。メインマストに鎖でつながれているのはたくさんの獰猛そうなスタッグハウンドスタッグハウンド:主に鹿狩りに使われる大型の狩猟犬で、私を見ると跳ね回りながら吠えかかってきた。ミズンマストの横には小さな鉄製の檻に入れられた巨大なピューマがいた。檻が小さすぎて中で向きを変えることも難しそうだった。右舷のブルワークの下の方にはいくつか大きなウサギ小屋があり、中にはたくさんのウサギが入れられている。前方の箱型の檻には一頭のリャマが押し込められていた。犬たちには革製の口輪が付けられている。甲板にいるただ一人の人間は操舵輪に立つ痩せて無口な船員だけだった。

継ぎはぎだらけの汚れたスパンカーが風をはらみ、マストにはこの小舟の持つ全ての帆が張られているように見えた。空は澄みわたり、太陽が西の空へと傾き始めている。船は長い白波を立てて走っていた。私たちは操舵手の横を通りすぎて船尾の方へ向かった。そこから眺めると下の方で水が泡立ち、踊る泡が消えて航跡を引いていく様子が見て取れた。私は振り返ってこの不快な船がどれぐらいの長さなのか推し量った。

「この船は海の動物園というわけですか?」私は言った。

「そんなようなもんです」モンゴメリーが答える。

「あの獣たちは何のためのものです? 珍しい商品といったところですか? 船長は南太平洋のどこかであれを売るつもりなんですか?」

「さあ、そうなんじゃないですか?」モンゴメリーは言うと再び振り返って航跡に目をやった。

突然、悲鳴と猛烈な罵り声が甲板昇降口から聞こえ、あの黒い顔の奇形の男が慌てた様子で現れた。そのすぐ後ろを白い帽子を被った太った赤髪の男が追う。それを見ると私に吠えかけるのにも飽きていたスタッグハウンドたちが猛烈に興奮してつなぐ鎖を引き千切らんばかりに跳ねまわって吠え声を上げ始めた。黒い顔の男はそれに怖気づいたようになってしまった。赤髪の男は男に追いつくと強烈な一撃を男の背中に与え、哀れな醜い男は屠殺された牛のように倒れこんで汚れた床の上を猛烈に興奮した犬の中へと転がり込んだ。男にとっては幸運なことに犬たちには口輪がされていた。赤髪の男は歓喜のわめき声を上げてよろめきながら立っていた。あの調子では甲板昇降口に戻って行くにしろ、あの犠牲者に向かって前進するにしろかなり危なっかしいのではないかと私は思った。

二人目の男が現れるとすぐにモンゴメリーは前方に進んで行った。「落ち着け!」彼は諫めるような口調で叫んだ。そうしているうちに船首の方の甲板に二、三人の船員が現れた。黒い顔の男は奇妙な叫び声を上げながら犬たちの足元を転げまわっている。彼を助けようとする者は誰もいなかった。凶暴な獣たちはその鼻先を彼に叩きつけて出来る限りの力で彼を攻め立てた。ひれ伏した不恰好な姿の上でしなやかな灰色の体がすばやく踊る。船員たちはまるでそれがすばらしい見世物であるかのように囃し立てながら近づいてきた。モンゴメリーは怒りの叫び声を上げると足音を立てて甲板を進んで行き、私はその後を追った。黒い顔の男はもみくちゃにされながらもよろめきながら前へ進み、シュラウドの横のブルワークにもたれかかると息をつきながら肩越しに犬たちを睨みつけた。赤髪の男はさも満足気に笑い声を上げた。

「失礼、船長」赤髪の男の肘をつかんで少し口ごもるような口調でモンゴメリーが言った。「こんなことはやめてもらおう!」

私はモンゴメリーの後ろに立っていた。船長は少しだけ身をひねって酔っぱらいに特有の濁った険しい目で彼を見た。「何をやめろって?」彼は言うとしばらく眠そうな目でモンゴメリーの顔を見た後、付け加えた。「いまいましい医者だ!」

唐突に彼は腕を振り払うと二回ばかり失敗してからそばかすの浮いた拳をポケットに突っ込んだ。

「あの男は乗客です」モンゴメリーが言った。「彼に手を出さないように忠告したはずだ」

「くたばれ!」船長が大声で叫んだ。突然、彼は向きを変えるとよろめきながら船縁へと向かった。「俺の船で何をしようが俺の勝手だ」彼が言った。

あの荒っぽい男が酔っているのを見て、てっきりモンゴメリーは彼を放っておくだろうと私は思ったのだが彼は青ざめただけでブルワークへと船長の後を追った。

「失礼、船長」彼が言った。「私の連れに手荒なことをしていただきたくない。彼は乗船以来、ずっといじめられている」

しばらくの間、酒の酔いと怒りで船長は押し黙ってしまった。「いまいましい医者め!」ようやく彼が言えたのはそれだけだった。

どうやらモンゴメリーは怒りを貯めこんで意固地になる性格らしく、積もりに積もった鬱積の爆発で相手を許すための冷静さを忘れてしまっているように見えた。私の見たところこの口論はこれまでもしばしば起きていたようだ。「彼は酔っている」差し出がましいようだが私は口を出した。「相手にしても無駄だ」

彼は口を歪めて言った。「彼はいつだって酔っ払っているんだ。それが乗客に乱暴を振るう言い訳になると君は思っているのか?」

「俺の船は」船長がおぼつかない手付きで檻を指し示しながら話し始めた。「清潔な船だった。この有様を見てみろ!」どうみても清潔とは言いがたかった。「乗組員だって」船長が続けた。「清潔で立派な奴らだ」

「あなたは動物を連れて行くことを承知した」

「俺はあんたのいまいましい島なんて見たくもないんだ。いったい……あんな島になんで動物が欲しいんだ。それからあんたの連れだ……人間だってことはわかる。あいつは狂ってる。それにあいつは船尾の方に行く用は無いだろうが。あんたはこの船の隅から隅まで自分の物だとでも思ってるのか?」

「あなたのところの船員たちはこの船に乗ってからすぐにあのかわいそうな男をいじめ始めたんですよ」

「そりゃあ……あいつが悪魔だからさ! 醜い悪魔だ! 俺の仲間は我慢ならんのさ。俺だってそうだ。俺たちの誰一人あいつには我慢ならん。あんただってそうだろう!」

モンゴメリーが視線を逸らした。「とにかく彼を放っておいてください」彼はうつむきながら言った。

しかし船長は口論をやめるつもりはなかった。彼は声を張り上げて言った。「言っておくがまたやつが船尾まで来たらはらわたを細切れにしてやる。くそったれなはらわたを細切れにだ! 俺に指図するんじゃないぞ。俺はこの船の船長なんだ……船長でしかも船主だ。あんたに言っておくがここでは俺が法律だ……法律であり指導者だ。俺が承諾した契約は男一人とそいつの連れを乗せてアリカの間を往復すること、それに動物を何匹か連れ帰ってくることだ。狂った悪魔と馬鹿な医者を運ぶなんて契約はしてないんだ。こんな……」

彼がモンゴメリーをなんと呼んだかは気にしないで欲しい。私はモンゴメリーが一歩前に出ようとしたのを見て間に入った。「彼は酔っ払っている」私は言った。船長がさっきよりもひどい罵りを言い始める。「黙れ!」モンゴメリーの蒼白な顔を見て不穏な気配を察知した私はすばやく船長の方を向いて言った。おかげで私は自分から土砂降りの中に飛び出したような形になってしまった。

しかし幸運にも乱闘になりそうな状況避けることができたので船長の酔いにまかせた怒りもたいして気にはならなかった。私は今までも風変わりな人間と付き合ってきたが、あんなにも途切れること無く続く下品な言葉を聞いたのはこれが初めてだった。私がいくら温厚な人間だといっても少々我慢のならない言葉もあった。しかし私が船長に「黙れ」と言った瞬間には私は自分がたんなる一文無しで無賃乗船している漂流者であることも、この船の情けや気まぐれに依存していることも忘れていたのだ。船長はそのことを盛んに言いたてた。しかしともかく乱闘になることは防いだのだった。


©2012 H. Tsubota. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-非営利-継承 2.1 日本