ライオンと一角獣:社会主義とイギリスの特質 第二部「戦時の商店主」, ジョージ・オーウェル

第二章


社会主義と資本主義の間の違いで最も重要なのは手法の違いではない。片方の体制からもう片方の体制へ簡単に変われないということなのだ。工場に新しい機械を導入して、以前と同じ指導的立場の人々によって運営していくわけにはいかない。権力の完全な移行も必要となるのは明らかだ。新しい血、新しい人間、新しい思想……言葉本来の意味での革命だ。

私は先にイングランドの健全性と均質性について、そして愛国心が繋がった水路のようにほとんど全ての階級の間を走っていることについて語った。ダンケルクの後には思慮ある者であれば誰もがそれを理解した。しかし当時の誓約が完全に果たされていると装うのは馬鹿げている。今では人々の大多数に必要な大変化への覚悟があることはまず間違いないが、その変化はいまだ始まってさえいないのだ。

イングランドは不適切な議員が指揮をとることに慣れている。私たちは裕福な者、また出自を理由に統治者になった者たちによってほぼ完全に統治されている。こうした人々で自覚的に背信行為を働いている者はごくわずかだし、愚かとは言えない者さえ一部にはいる。しかし階級として見れば彼らに私たちを勝利に導くだけの能力はまったく無い。もし仮に物質的関心による絶え間ない幻惑が無かったとしても、彼らには無理だ。先に指摘したように彼らは人為的に麻痺させられているのだ。そうでなくとも金銭による支配によって私たちは主として年寄りたち……つまり自分たちがどんな時代に生きているのか、自分たちがどんな敵と戦っているのかをまったく理解していない人々によって統治されている。今回の戦争が始まった時、何よりも心細くなったのは年長世代の全員が共謀してこの戦争は一九一四年から一九一八年の戦争の再現に過ぎないと装ったそのやり方だった。年寄りの役立たずども全員が骸骨の仮面を被って二十年は時代遅れの仕事を再開したのだ。イアン・ヘイは騎兵中隊を励まし、ベロックベロック:ヒレア・ベロック。イギリスの作家、歴史家、社会評論家。は戦略についての記事を執筆し、モーロワモーロワ:アンドレ・モーロワ。フランスの小説家、伝記作者、評論家。は放送を、ベアンズファーザーベアンズファーザー:ブルース・ベアンズファーザー。イギリスの漫画家。第一次大戦を描いた風刺画で有名。は漫画描きを始めた。それはまるで幽霊のお茶会だった。そしてそうした状況は今もほとんど変わっていない。惨事の衝撃はベヴィンベヴィン:アーネスト・ベヴィン。イギリスの政治家、労働組合指導者。のような、ごく少数の有能な人間を前線へと連れて行ったが、全体的には私たちは一九三一年から一九三九年の間をヒトラーが危険だとさえ気づかずに過ごしきた人々によっていまだ統治されているのだ。学ぶ能力に欠けた世代がまるで死骸でできた首飾りのように私たちの首にぶら下がっているのである。

今回の戦争に関する問題について……最も広汎な戦略面でも、最も些末な国内組織の詳細でも、どちらにせよ……少しでも考えればすぐに、イングランドの社会構造がそのまま維持されている限りは必要となる動きをとれないと気づく。その地位や教育のせいで支配者階級は否応なく自分自身の特権、つまり公共の利益と折り合いのつけられないもののために戦うことになる。戦争目的や戦略、プロパガンダ、産業組織が水も漏らさぬ独立した区画に存在すると想像しているならそれは間違いだ。全ては互いに繋がり合っている。あらゆる戦略計画、戦術方法、さらには兵器にさえも、それを生み出す社会体制の痕跡が残されるものだ。イギリスの支配者階級はヒトラーに対抗して戦っているが、彼らはこの男をずっとボルシェヴィズムに対する防御壁と見なしていたし、一部の者はいまだそう見ているのだ。だからといって彼らが意図的な裏切りを働くわけではないが、あらゆる決定的瞬間においてためらい、手加減を加え、間違いを犯す可能性は高い。

チャーチル政権がいくらかの歯止めをかけるまで彼らは一九三一年以来の直感に従って間違いを犯し続けてきた。ファシスト体制となったスペインがイングランドに敵対するであろうことはひどく愚かな者を除く全員が告げていたというのに彼らはフランコがスペイン政府を打ち倒す手助けをした。春になればイタリア人たちが私たちに攻撃を仕掛けるつもりであることは世界中で明白になっていたのに一九三九年から一九四〇年にかけての冬の間ずっとイタリアに軍需物資を供給し続けた。わずか数十万人の配当振出人のためにインドを同盟から追い出して敵に変えようとしている。さらに言えば金満階級が指揮をとっている限り、私たちは防御的な戦略しか計画できないだろう。どのような勝利だろうと現状の変化を必要とするのだ。どうすれば私たち自身の帝国にいる有色人種の人々に影響を与えずにアビシニアからイタリア人を追い出すことができると言うのか? さらには、どうすればドイツの社会主義者や共産主義者を権力の座に就かせる危険を犯さずにヒトラーを打ち倒すことができると言うのか? これは「資本主義の戦争」であり、「イギリス帝国主義」は戦利品のために戦っていると嘆く左派は過去にとらわれている。イギリスの金満階級は新しい領土の獲得など望んでいないのだ。そんなことをすれば財政が破綻してしまう。彼らの戦争目的は(達成することも、口に出すこともできないだろうが)自分たちが手に入れたものにしがみつくことなのだ。

国内に関して言えばイングランドはいまだ富裕者の楽園である。「平等な犠牲」といった説教はナンセンスだ。工場労働者がもっと長い時間の労働に耐えるよう要求されているその瞬間に、新聞には「執事求む。家庭向け一人、事業向け八人」という広告が掲載されているのだ。爆撃を受けたイースト・エンドの住人が住む家を失って飢えている一方で比較的裕福な被災者はただ自動車に乗り込んで居心地のいい別荘に避難するだけだ。ホーム・ガードは数週間のうちに百万人にも膨れ上がったが、不労所得を持つ人間だけが指揮的立場に就くよう上から慎重に組織化された。配給制度さえ常に貧しい者に打撃を与えるように準備されている一方で年収二千ポンド以上の人々は事実上、何の影響も受けていない。あらゆる場所で特権によって善意が浪費されている。こうした環境ではプロパガンダさえほとんど不可能になる。戦争が始まった時には愛国心をかきたてようと、これまで見たこともない量の赤いポスターがチェンバレン政権によって印刷された。しかしそれまでの愛国心以上には盛り上がらなかったのだ。チェンバレンとその支持者がファシズムに反対する強い大衆感情を喚起する危険を犯せるだろうか? ファシズムに対して心から敵意を抱く者は誰であれチェンバレン自身、そしてヒトラーを権力の座に就かせる手助けをした者たちに対しても反対するに違いないのだ。外国に向けたプロパガンダについても同じだ。ハリファックス卿の演説のどれをとっても、ヨーロッパ住民がひとりでも自分の小指の先を賭けようと思うような具体的提案はひとつも無い。時計の針を一九三三年に戻したいということを別にすればハリファックスや彼に類した人間にどんな戦争目的があるというのだろうか?

イギリスの人々の生まれ持った才能を解放することができるのは革命だけである。革命が意味するのは赤い旗や通りでの乱闘ではなく根本的な権力の移動なのだ。流血が起きるか起きないか、大部分は時と場所の偶然に左右される。また革命はひとつの階級による独裁も意味しない。どのような変化が必要か理解し、それを遂行する能力のあるイングランドの人々はどれかひとつの階級に限定されてはいない。とはいえ、その中に年収二千ポンドを超える人々がごくわずかしかいないのは確かだ。求められているのはごく普通の人々による、非効率な階級特権と古い支配への自覚的であからさまな反乱である。政府の変化は大きな問題ではないのだ。広く言われているようにイギリス政府は人々の意志をまさに代表している。私たちが社会構造を下から変えれば必要としている政府を必ずや手に入れられるはずだ。親ファシストの耄碌した大使や将軍、役人、植民地の行政官は人前で愚行を犯さざるを得ない閣僚よりもずっと危険だ。国民としての生活の中で絶えず私たちは特権、あるいはパブリックスクールの間抜けな生徒の方が知的な機械工よりも司令官に適しているといった考えと戦っていかなければならない。その中に才能ある誠実な個人が存在するにしても、全体としては金満階級の支配を打破しなければならない。イングランドはその本来の形をとらなければならない。表面下に隠れたイングランドは、工場や新聞社、航空機や潜水艦の中で自らの運命を引き受けなければならないのだ。

短期的に言えば平等な犠牲、つまり「戦争共産主義」は根本的な経済の変化よりもさらに重要だ。産業の国有化は不可欠だが、さらに緊急の必要を要しているのは執事や「不労所得」などという奇怪なものが即座に消え去ることである。スペイン共和国が勝ち目の無い戦いを二年半にわたって続けられた一番の理由はまず間違いなく、そこにグロテスクな富の非対称が存在しなかったためなのだ。人々はひどく苦しんでいたが、全員が同じ様に苦しんでいた。兵卒がタバコを切らしている時には将校もタバコを切らしていた。平等な犠牲が払われればイングランドのような国の道徳心はおそらく荒廃することは無いだろう。しかし現在のところは他のどこよりも深く根付く伝統的な愛国心に訴える他はない。その愛国心にしても決して限界が無いわけではない。どこかの時点で「ヒトラーの下でも事態が悪くなるわけではない」と言う人間の相手をしなければならなくなるのだ。しかしそれに何と答えればいいのだろうか……つまり、どんな答えなら相手に耳を貸してもらえるのだろうか……兵卒が日給二シリング六ペンスで命を危険に晒している一方で、太った女性たちが愛玩犬ペキニーズをあやしながらロールスロイスに乗っているとしたら?

今回の戦争が三年は続くであろう可能性は高い。つまり過酷な超過労働や寒く憂鬱な冬、味気ない食事、娯楽の欠如、長期的な爆撃があるということだ。一般的生活水準の低下は避けられないだろう。消費財の代わりに兵器を製造することは戦争における必要不可欠な活動だからだ。労働者階級は恐ろしい事態に苦しめられるはずだ。自分たちが何のために戦っているのか分かっていれば彼らはほとんど無限にその苦しみを引き受けるだろう。彼らは臆病者ではないし、国際的な観点を持つわけでもない。スペインの労働者が耐えた様に、あるいはそれ以上に彼らは耐えられる。しかし未来に自分と自分の子供たちのより良い生活が待っていることを証明する何かを彼らは欲するだろう。その確かな保証のひとつは税金と超過労働を課された時に裕福な者がより大きな打撃を受けるのを目にすることだ。裕福な者が聞こえよがしに悲鳴を上げればなお良い。

もし本当に望めば、それを実現することができるのだ。イングランドでは世論は無力であるというのは正しくない。世論に耳が傾けられた時には必ずや何かが達成される。過去六ヶ月の良い方向への変化のほとんどはイングランド世論のおかげなのだ。しかし私たちの動きは氷河のようにゆっくりで、私たちは惨事からしか学ばない。チェンバレンを取り除くにはパリの陥落を、ジョン・アンダーソン卿ジョン・アンダーソン卿:ジョン・アンダーソン(初代ウェーバリー子爵)。チャーチル政権下で国家保安大臣を務めたが、1940年9月に解任された。を多少なりとも取り除くにはイースト・エンドの数千人の人々の不必要な苦しみを要した。死体を埋めるために戦いに負ける必要はない。私たちの戦う相手は俊敏で邪悪な悪霊であり、残された時間は少ない。そして

敗者の歴史は
嘆きに満ちて、しかし変えることも赦すこともできず


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