眠れる者の目覚め, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

不眠症


ある気だるい午後のこと、ボスキャッスルに滞在する若き芸術家であるイズビスター氏は、滞在地から絵画のように美しいペンタゲンの入江へと歩いていた。そこにある洞窟を調べたかったのだ。ペンタゲンの浜へ続く勾配のきつい小道を半分行ったところで、突然、突き出た岩の下に座る、ひどく苦しそうな一人の男に出会った。男の腕は膝の上にだらりとたれ、その目は赤く、前方をにらんでいて、顔は涙でぬれていた。

イズビスターの足音に彼がちらりとあたりを見回した。どちらも居心地悪そうだったが、イズビスターの方はなおさらで、思わず口ごもった気まずさを打ち消すように、落ち着いた自信を漂わせながら、この時期にしては暑いですね、と話しかけた。

「本当に」見知らぬ男は短く答え、少しためらってから、生気の無い調子で付け加えた。「眠れないですよ」

イズビスターは思わず立ち止まった。「そうですか?」口にできたのはそれだけだったが、その態度からは親切心が伝わった。

「信じられないかもしれません」見知らぬ男は言って、イズビスターの顔にしょぼしょぼした目を向けると力ない片腕で自分の言葉を強調した。「だけど、まったく眠れないんです――もう六晩もまったく眠っていない」

「診察は受けたのですか?」

「ええ。ほとんど何の役にも立たない診察だ。薬、私の神経系……。全て問題無し。健康な人間と変わりません。説明がつかないのです。とはいえ……とても強い薬には手を出す気にならなくて」

「それじゃあひどくなりますよ」イズビスターは言った。

彼はどうすることもできずにせまい小道に立って、どうしたものかとまごついていた。明らかに、この男は話をしたがっている。この状況で一番自然に思われるのは相手を促して会話を続けることだ。「私自身は不眠に苦しんだことはないのですが」彼はよくある世間話の調子で言った。「私が知る事例だと、普通は何かがわかって……」

「実験をする気にもならんのですよ」

疲れたように彼は言った。お断りだという風な身振りをして、しばらくの間、どちらも静かになった。

「運動は?」話し相手のひどい顔から彼が着ている旅行用の服に目を移しながら、イズビスターは遠慮がちに提案した。

「それを今試しているところです。たぶん賢い選択ではなかったのでしょう。この海辺を何日も何日も辿ってきたのです――ニューキーから。精神に筋肉の疲れを付け加えただけだった。この不眠の原因は過労です――厄介なことに。何か――」

まるで心底疲れたというように彼が口を閉じた。痩せた手で彼が自分の額をこする。まるで自分自身に語りかけるように彼は再び話し始めた。

「私はいわば一匹狼、孤独な人間で、自分の属していない世界をさまよっているのです。妻はいません――子供も――子供がないのは生命の樹の枯れ枝も同じと言ったのは誰でしたっけ? 妻もなく、子もなく――果たすべき責務も見つけられません。私の心には欲求さえないのです。ついに心に決めたのはある一つのことだけ。

つまり、それをおこなおうとしているのです。そしてそれをおこなうには、この重い肉体の無気力に打ち勝つには、私は薬に頼らなければならない。偉大なる神よ、私は十分すぎるほどの薬を飲みました! あなたがこの肉体のひどい不自由さを感じているのか私にはわかりません。心が求める時間の苛烈な要求――時間――生命! 人生! 私たちは途切れ途切れにしか生きられない。食べなければならず、その次にくるのは消化の自己充足か――さもなくば不快か。私たちは空気を吸わなければならず、そうしなければ思考は鈍く愚かしくなって深い淵や真っ暗な小道へと走り込むことになる。内からも外からも多くの気を散らすものが現れ、そして眠気と睡眠が訪れる。人間はまるで眠るために生きているかのようです。手にしている昼の時間のなんと短いことか――最善を尽くしてさえ! そしてあの偽りの友が、あの悪辣な手助けがやって来る。自然な疲れを抑え込んで他は全て殺してしまうアルカロイド――ブラック・コーヒー、コカイン――」

「わかります」イズビスターは言った。

「私は自分の仕事をやり遂げました」不眠の男が不平を言うような調子で言った。

「そしてその代価がこれですか?」

「そうです」

しばらくの間、二人は何もしゃべらずにじっとしていた。

「私が感じている休息への渇望はあなたには想像もできないでしょう――飢餓や渇きなのです。仕事を終えてから六日間、私の心は逆巻き、揺れ動き、絶えず行ったり来たりしているのです。行き場のない思考の奔流、絶えず早い流れが渦巻いているといった具合なのです――」そこで彼はいったん口を閉じた。「深淵へと向かっているのです」

「眠らなければなりませんよ」治療法ははっきりしているという雰囲気を漂わせて、イズビスターは断言するように言った。「間違いありません。あなたは眠らなければ」

「私の心は完璧に澄み渡っています。これ以上、明瞭になりようがないほどです。だけど自分が渦に引き寄せられていることがわかるんです。次第に――」

「それで?」

「あなたは渦に引き込まれる物体を見たことがありますか? 日の光の下から、この心地よい正気の世界から……下へ向かって……」

「しかしですね」イズビスターは諭すように言った。

男が彼に向かって片手を突き出した。その目は険しく、その声が突然、大きくなった。「私は自殺するつもりです。他にどうしようもなければ――向こうにあるあのくらい断崖の下、あの緑の波が打ち寄せ、白い波しぶきが上がっては崩れ、水の細い筋が流れ下るところで。そうなればとにかく――眠れはする」

「そんなのはおかしいですよ」イズビスターは、男のヒステリックな感情の爆発に驚いて言った。「それより薬の方がずっと良い」

「とにかく眠れはする」気にも留めずに見知らぬ男は繰り返した。

イズビスターは相手をじっと見つめた。「わかったものじゃありませんよ」彼は言った。「ラルワースの入江に同じような断崖があります――だいたい同じくらいの高さだ――ある小さな女の子がそのてっぺんから下まで落ちて、今でも生きているそうです――まったく健康にね」

「ですが、ああした岩もあったのでしょうか?」

「冷える夜に一晩中、あの上に惨めに横たわることになりますよ。震えながら、折れた骨の痛みに苦しめられ、冷たい水を浴びせかけられることになるでしょうね。そうじゃないですか?」

二人の目が合った。「あなたの思いつきをひっくり返して申し訳ありません」まったく気にしていない明るい感じでイズビスターは言った。「ですがあの断崖から(これに関して言えば他のどの断崖でもそうですが)飛び降りて自殺するというのは、実際のところ一芸術家として言えば――」彼は笑い声をあげた。「まったく素人くさいやり方ですな」

「では別のやり方で」不眠症の男はいらだたしげに答えた。「別のやり方で。正気でいられる人間はいないんですよ、毎晩毎晩――」

「この浜辺に沿って一人で歩いてきたのですか?」

「ええ」

「何とも馬鹿げたことをしたもんだ。いや失礼をご容赦ください。一人でとは! あなたも言う通り、肉体の疲れで頭脳の疲れを癒やすことはできません。誰に教えられたんです? いやはや、歩いてきたとは! 頭上に太陽がのぼり、暑さと疲れと孤独のなか一日中、それからベッドへ行って頑張ってみるわけでしょう――ええ?」

イズビスターは少し口を閉じてから、疑わしげに患者を見つめた。

「あの岩を見てください!」座った男が唐突に身振りを交えて叫んだ。「あそこで永遠にきらめきながらうねるあの海を見てください! あの巨大な断崖の下の闇へと殺到する白いしぶきが見えるでしょう。そしてこの青い丸天井、その天球から光を放っているまばゆい太陽。これがあなたの世界だ。あなたはそれを受け入れ、そこで楽しんでいる。あなたにとって友好的で、協力的で、喜ばしいものだ。私にとっては――」

彼が頭を上げて青白い顔を見せた。血走って生気の無い目、血の気の引いた唇。ほとんどささやくようにして彼は話を続けた。「自分の惨めさを覆う衣です。この全世界が……自分の惨めさを覆う衣なのです」

イズビスターは周囲の太陽に照らされた断崖を飾る美しい自然を見回してから、絶望した顔へと視線を戻した。しばらくの間、彼は静かだった。

じれったそうに否定するような仕草をしながら彼は口を開いた。「あなたは夜、眠れている」彼は言った。「ここではたいして惨めにも思わないでしょう。私の言うことを信じてください」

これが運命的な出会いであることが今でははっきりと確信できていた。ほんの半時前には彼は恐ろしいほどの退屈を感じていたのだ。ここに考えを告白してくる作業対象が、公正なる自己賞賛者がいるのだ。彼はすぐさまそれに手を伸ばした。この疲れ切った人物にまず必要なのは交友だ。じっと座る人物のそばの急勾配の芝地に彼は腰を下ろし、さりげなく世間話を誘った。

相手は関心なさそうに聞いていた。海の方を陰気に見つめ、口を開くのはイズビスターの直接的な質問に答える時だけ――それも全てに返事をするわけではなかった。しかし自分の絶望に対する押し付けがましいおせっかいに反対の声をあげるわけでもなかった。

彼は感謝さえしているように見え、相手にされない自分の会話に勢いが無くなってきたことを感じ始めてイズビスターが、再び坂をあがってボスキャッスルへ戻ろうと提案し、ブラックアピットへ気持ちを向けさせると黙って従った。坂の中ほどまで来た時、彼は独り言を言い始め、不意に青白い顔を道連れの方へ向けた。「いったい何が起きるのでしょうか?」痩せた手で何か描くようにしながら彼が訪ねる。「いったい何が起きるのでしょうか? くるくる、くるくると回って。時はどんどん、どんどんと永遠に進む」

彼は手で円を描きながら立ち尽くしていた。

「大丈夫だよ、君」イズビスターは昔からの友人のような雰囲気を漂わせながら言った。「あまり心配しないで、私を信じて」

男は手を下ろして再び顔を向けた。二人は頂上を越えてペナリーの向こうの岬へと進んでいった。その間も不眠症の男はときおり手を振り回し、自分の回転する脳について切れぎれに何事かを話し続けていた。岬で二人は暗く神秘的なブラックアピットを臨むベンチの横に立ち、それらから男が腰掛けた。イズビスターは並んで歩けるほど小道が広くなったあたりから会話を再開していた。悪天候の中でのボスキャッスル港の建造がいかに複雑で困難だったかについて彼は詳しく語っていたが、そこで突然、話の流れとはまったく無関係に道連れが再び彼の話を遮った。

「私の頭は以前とは変わってしまった」良い言葉を探すような手振りをしながら彼が言った。「以前とは変わってしまったのです。何か重しで抑えつけられているようなのです。いや――眠気ではない。それが神だったらどんなにいいか! まるで影、濃い影が何か忙しく動き回るものの上に突然、落ちたようなのです。巻き込まれた。暗闇に巻き込まれたのです。思考が乱れ、混乱状態になり、渦が次々に逆巻く。とても言い表せません。それについて考えをまとめられないんです――あなたに話せるほどちゃんと考えられない」

弱々しく彼は口を閉じた。

「あまり悩まないで、君」イズビスターは言った。「わかるように思います。いずれにせよ、今のところ私に話してくれたことについては私はあまり気にしてません。わかるでしょう」

不眠症の男はこぶしを目に押し付けてこすった。男が目をこすり続ける間、イズビスターはしばらくしゃべっていたが、そこであることを思いついた。「私の部屋に来てください」彼は言った。「パイプでもやりましょう。このブラックアピットのスケッチをいくつかお見せできますよ。どうです?」

相手は素直に立ち上がり、坂を下る彼について行った。

下っていく間、イズビスターは何度か男がつまずく音を聞き、その動きは緩慢でためらうようだった。「さあ、ついて来てください」イズビスターは言った。「タバコを喫って、楽しく酒をやりましょう。酒は飲みますか?」

庭の門のところで見知らぬ男はためらった。もはやどう振る舞ったものかわからないようだった。「酒は飲みません」男はゆっくりと言うと、庭の小道を進み、少し間をおいた後、上の空で繰り返した。「いや――酒は飲みません。進んでしまうのです。回転し、進み――回転し――」

戸口でつまずきながら男は何も見えない者のような動きで部屋へと入った。

それから男はほとんど倒れ込むようにどさりと安楽椅子に腰を下ろした。男は額に手を当てて前かがみになり動かなくなった。しばらくすると喉からかすかな音を立て始めた。

イズビスターは不慣れな接待役に緊張しながら部屋を動き回り、ほとんど返事も期待せずにときおり言葉を発していた。部屋を横切って自分の作品集を取りに行ってそれをテーブルの上に置き、そこで炉棚の時計に気づいた。

「一緒に夕食はどうですか?」火のついていないタバコを手に彼は聞いた――頭の中はこっそりと鎮静剤クロラールを投与するという考えでいっぱいだった。「冷めた羊肉しかないですが、実に美味ですよ。ウェールズ風です。それからタルトもあったように思うな」しばらく沈黙が続いた後、彼は再び繰り返した。

座った男は返事をしなかった。イズビスターは言葉を止め、手にマッチを持ったまま相手を見つめた。

静寂が続く。マッチの火は消え、タバコは火がつけられないまま置かれた。男は間違いなく身動きをしていなかった。イズビスターは作品集を手に取って開き、再び置き、少しためらってから何かを言いかけたようだった。「たぶん」彼は疑わし気にささやいた。しばらくすると彼は扉に目をやり、そちらへと戻って行った。それからつま先立ちでこっそりと部屋の外へと進み、一歩進むごとに自分の道連れの様子をうかがった。

音を立てないようにして扉を閉じる。家の扉は開けたまま、ポーチを通って外へ出ると、花壇の隅に生えるトリカブトのあたりに立った。そこからは開いた窓を通してあの見知らぬ男が見えた。薄暗い中、手に頭をあずけてじっとしている。まったく動かなかった。

道をゆく何人かの子供が立ち止まって、興味深そうにこの芸術家を見つめた。一人の船員が彼と挨拶を交わした。自分の用心するような立ち居振る舞いは奇妙で説明がつかないように見えるのではないかと彼は感じた。たぶんタバコを喫っていればもっと自然に見えるだろう。彼はポケットからパイプと小物入れを取り出して、ゆっくりとパイプにタバコを詰めた。

「どうやら……」ほとんど失望を感じることもなく彼は言った。「いずれにせよ、彼にもその機会は与えられてしかるべきだ」力強くマッチを擦り、彼は自分のパイプに火をともした。

彼は背後に大家の女主人の気配を感じた。灯されたランプを手に台所の方からやって来る。彼は振り向くと手にしたパイプを振り、借りている居間の扉のところで彼女を呼び止めた。訪問客があることを知らない彼女に彼はささやき声で少し苦労しながら状況を説明した。ランプを手に彼女は引き下がったが、その様子からするとまだ少し困惑しているようだった。彼はポーチの隅での暇つぶしを再開したが、赤面し、少し居心地が悪くなっていた。

パイプを喫い終えてからずいぶん時間が経ってコウモリが飛び回り始めた頃、好奇心が彼の何とも言えないためらいに打ち勝ち、彼は自分の暗い居間へと忍び戻った。彼は戸口で立ち止まった。見知らぬ男はまだ同じ姿勢で、暗闇の中、窓を背にしていた。港で石材を運ぶ小さな船に乗った何人かの船員の歌声を除けば、その夜はとても静かだった。外では、丘陵の影を背後にトリカブトとヒエンソウの穂がじっと直立していた。不意にイズビスターの頭に何かがよぎった。彼は急いでテーブルの上に乗り出し、聞き耳をたてた。不吉な疑念がだんだん大きくなり、確信に変わった。驚きが彼を襲い、そして――恐怖へと変わった!

座り込んだ人物から息をする音が聞こえないのだ!

彼は音もたてずにゆっくりとテーブルを回り込んで進み、立ち止まると再び耳をすませた。なんとか彼は手を安楽椅子の背に置いた。二つの頭が隣り合うところまで体を折り曲げる。

それから訪問客の顔をのぞき込むためにさらに身をかがめた。彼は激しく身を引き、驚きの声をもらした。その目は白い空白だったのだ。

再びのぞき込むと、目は見開かれ、瞳がまぶたの下に隠れているとわかった。恐ろしかった。男の肩をつかみ、ゆさぶった。「眠っているのか?」うわずった声で彼は聞き、繰り返した。「眠っているのか?」

彼の頭の中で確信が強くなった。この男は死んでいる。音をたてながらすばやく身を起こし、大股で部屋を横切り、その拍子にテーブルに突き当りながら、彼は呼び鈴を鳴らした。

「お願いです。すぐ灯りを持ってきてください」廊下で彼は言った。「友人の具合が悪いんです」

身じろぎひとつせずに座る人物のところに戻ると、彼はその肩をつかみ、揺さぶって、声を張り上げた。大家の女主人が灯りを持って入ってくると部屋は黄色いまぶしい光であふれた。まばたきしながら彼女へ向けられた彼の顔は真っ青だった。「医者を呼ばなければ」彼は言った。「死んでいるか、何かの発作だ。この村に医者はいますか? どこに行けば医者が?」


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