グラハムは今では自分の置かれた状況をずっとよく理解できていた。まだ長い間、彼はさまよい続けていたが、出会ったあの老人との会話の後、オストログは最終的な避けがたい決断として頭の中でくっきりとしたものになっていた。はっきりしていることが一つあった。この反乱の本部にいる者たちは彼が消えた事実を実に見事に隠蔽しているのだ。しかし一瞬ごとに彼は自分の死や評議会による自分の再捕縛の報せが聞こえてきはしないかと期待した。
しばらくすると彼の前で一人の男が立ち止まった。「聞いたか?」男は言った。
「いいや!」グラハムは驚いて答えた。
「ドーザンド近いそうだ」男は言った。「ドーザンドもの人間だ!」そして急いで行ってしまった。
何人かの男と一人の少女が暗闇の中を通りがかり、大きな身振りで叫んだ。「降伏だ! 諦めたぞ!」「ドーザンドもの人間だ!」「二ドーザンドもの人間だ!」「オストログ、万歳! オストログ、万歳!」叫び声は次第に遠くなり、やがて聞き取れなくなった。
他にも叫ぶ者たちが後に続いた。しばらくの間、彼の注意は切れぎれに聞こえる話し声に奪われた。全員が英語をしゃべっているのかどうか、彼は疑問に思った。かたことの言葉が彼のところまで漏れ聞こえてくる。ピジン英語のような、「黒人」方言のようなそのかたことの言葉は不明瞭でめちゃくちゃに歪んでいた。彼はあえて話しかけて質問しようとはしなかった。人々から受ける印象はこの争いに対する彼の先入観を完全に揺るがし、オストログに対するあの老人の信頼を裏付けるものだった。ここにいる人々全員が評議会の敗北を喜んでいることがゆっくりと彼にも信じられるようになってきた。あれほどの権力と激しさで自分を追って来た評議会は結局のところこの互いに争う二者のうち弱い方だったのだ。そしてもしそうであれば、そのことは彼にどんな影響を及ぼすだろうか? 根本的疑問のふちに立たされて、何度か彼はためらった。一度は進路を変え、ふくよかで感じの良さそうな外見の小柄な男の後をついて長い間歩いたが、話しかけるだけの自信を手にすることはできなかった。
次第に彼は「風向観測所」を訪ねるべきだろうと思い始めた。「風向観測所」が何であれそうすべきなのではないか。最初の手がかりを求めて彼はウェストミンスターへ向かって進路を変えた。近道を探す二度目の試みで彼はさっそく道に迷ってしまった。彼はこれまで自分が閉じこもっていた道を離れ――他に移動手段を知らなかったのだ――中央の階段の一つから交差点の暗闇へと降りていくよう教えられた。そこからいくつかささやかな冒険に出くわした。中でも一番のものは、しわがれ声の見えない人間とどうやら遭遇したらしいことだった。最初に耳にした時には知らない言語かと思ったほど奇妙な訛りでそいつはしゃべった。とうとうと流れる低い話し声にはところどころに英語の残骸が漂い、どうやらそれはこの時代の低俗な方言のようだった。それから別の声が近づいてきた。「たらら、たらら」と歌う少女の声だ。彼女はグラハムに話しかけてきたが、その英語もどこか同じ性質のものを感じさせた。姉を見失ってしまったのだと彼女は言ったが、どうやらうっかり彼に出くわしてしまったようで、彼を見て笑い声をあげた。しかし、はっきりしない諫める言葉が聞こえて彼女は再び姿を消した。
周囲では物音が増えていた。よろめく人々が通りかかっては興奮したように話し声をあげていた。「やつらが降伏した!」「評議会がか! まさか評議会が!」「道路にいるやつらがそう言っていた」通路の幅が広くなったように思われた。突然、壁が切れた。彼がいるのは大きな空間で、遠くの方で人々が動き回っていた。ぼんやりとした人影に彼は道を尋ねた。「まっすぐに突っ切って」と女性の声が言った。これまでたどって歩いてきた壁を離れたが、すぐにガラス製の器具が置かれた小さなテーブルにつまずいた。ようやく暗闇に慣れたグラハムの目が捉えたのは両側にテーブルが並べられた奥行きのある光景だった。彼はそこを進んでいった。テーブルの一つ二つではグラスのぶつかる音や食事をする物音が聞こえた。食事をするだけの冷静さ、あるいは社会の混乱と暗闇にも関わらず食い逃げをするだけの大胆さがある者がいるのだ。しばらくすると遠く上の方に半円形の青白いライトが見えてきた。それに近づくに従って、黒い輪郭が浮かび上がってそれを隠した。段差につまずき、気がつくと彼は空中廊下にいた。すすり泣く声が聞こえ、見ると手すりのそばにうずくまるおびえた二人の小さな少女がいた。近づいてくる足音にこの子供たちは押し黙った。彼は二人をなんとか慰めようとしたが、二人とも彼が立ち去るまでじっと動かなかった。彼が離れていくに従って、二人がすすり泣く声が再び聞こえてきた。
やがて気がつくと階段の足元、大きな出入り口の近くに出た。その上の薄暗がりを見つめてから、彼は暗闇を抜けて動く道の通りへと再び上がっていった。そこでは無秩序に動き回る人々が叫び声をあげながら前進していた。彼らは反乱の歌を切れぎれに歌っていて、そのほとんどは調子外れなものだった。あちらこちらで松明が燃え上がっては、つかの間、狂乱する影を作り出していた。彼は道を尋ねたが、二度にわたって同じようなひどい訛りによって困惑させられた。三度目でようやく彼は理解できる答えを勝ち取った。ウェストミンスターにある風向観測所からは二マイルほど離れていたが、道は容易にたどることができた。
ついに風向観測所のある地区に近づいた時には、道に沿って進んでくる歓声をあげる行列や喜び騒ぐ声、そしてとりわけ都市のライトが復旧したのを見て、彼は、評議会の打倒はすでに完了したに違いないと思った。それでもいまだ彼がいなくなったという報せは彼の耳には届いていなかった。
都市の照明の再点灯は驚きをもたらす突然の出来事だった。不意のことに彼はまばたきをしながら立ち尽くし、周囲の人間は皆まぶしさに動きを止め、世界はまばゆく輝いていた。風向観測所の近くの道をふさぐように群がった興奮した群衆の端にいる彼をライトはすでに照らし出していた。それによって姿があらわになってさらけ出されているという思いが、オストログに会おうという彼の素朴な考えを強い不安に変えた。
しばらくの間、彼は人混みをかき分け、突き当たり、危なっかしく進んだ。人々はしわがれた声で疲れながらも歓声とともに彼の名前を叫んでいたし、そのうちの一部は彼が原因で包帯を巻き、血を流しているのだった。風向観測所の正面には映像が投影されて照らされていたが、それが何の映像なのかは彼にはわからなかった。彼の大変な努力にも関わらず密集した群衆が彼がそれに近づくことを妨げたからだ。聞こえてくる話し声の断片から、彼はそれが評議会議事堂の周辺での戦いを報じるニュース映像であると判断した。知識不足と優柔不断が彼の動きを緩慢で無為なものにした。しばらくの間、どうやってこの破壊されていない建物の正面に近づいたものか、彼には判断がつかなかった。彼はゆっくりと人々の集団の中心に向かって歩を進めて行ったが、そうするうちに中央の道の下り階段が建物内部へと続いていることに気づいた。これで目標が定まったが、中央の道の人混みはあまりに密でそこにたどり着くまでには長い時間がかかった。さらにその後には入り組んだ障害物に突き当たり、さらにまず守衛室で、次に建物内で一時間に及ぶ激しい口論をくり広げて、それは彼に熱烈に会いたがっている多くの人間の一人へ宛てたメモを彼がしたためるまで続いた。一つ目の場所では彼の話は一笑に付され、それにこりた彼は、ついに二つ目の階段にたどり着いた時にはオストログにとってとてつもなく重要な報せがあるとだけ告げた。それが何なのかは言わなかった。しぶしぶながら彼のメモは送り届けられた。長い間、彼はエレベーターシャフトの足元にある小部屋で待ち、それからついにリンカーンがそこにやって来た。興奮しながらも申し訳なさそうで、驚いている様子だった。彼は戸口のところで立ち止まってグラハムを検分し、それから大げさな様子で駆け寄ってきた。
「ああ」彼は悲鳴をあげた。「間違いなくあなただ。死んではいなかったのですね!」
グラハムは短い説明をおこなった。
「我が兄弟が待っています」リンカーンが説明した。「風向観測所に一人でいます。あの劇場であなたが殺されたのではないかと私たちは恐れていたのです。彼は疑っていました――私たちがあそこで話したことにも関わらず、事態は依然として急を要しています――そうでなければ彼があなたに会いに来るところなのですが」
二人はエレベーターで上にあがり、細い通路を通り過ぎ、二人の緊急の使者の他に誰もいない大きなホールを横切って、いくらか小さな部屋に入った。そこにある家具は大きな長椅子が一つと大きな楕円形の曇った円盤だけで、円盤は壁からケーブルで吊るされて灰色に変化していっていた。リンカーンはグラハムを残してしばらく席を外し、彼はその円盤にゆっくりと流れていく煙のようなものが何なのかもわからないまま、そこに一人取り残された。
彼の注意は突然始まったある音に釘付けになった。それは歓声だった。大勢の、しかし遠くにいる群衆の熱狂的な歓声、歓喜の叫びだった。それは始まった時と同様に突然終わった。まるで扉の開閉で聞こえてきた音のようだ。部屋の外では急ぐような足音と、まるで歯車に沿って走る垂れ下がった鎖のような軽快な金属音がしていた。
そのうち彼の耳に女性の声と見えない衣服の衣擦れの音が聞こえてきた。「オストログだわ!」女性が言うのが聞こえた。小さなベルが途切れ途切れに鳴り、それから再び全ての音が消えた。
やがて声や足音、動き回る音が外から聞こえてきた。誰かの足音が他の物音から離れて近づいてくる。しっかりとした明らかに落ち着いた様子の足取りだ。ゆっくりとカーテンが上がる。クリーム色のシルクの服を着た、背の高い白髪の男が姿を現し、掲げた片腕の下からグラハムを見つめた。
しばらくの間、その白い姿はカーテンを持ち上げたままじっとしていたが、やがてそれを下ろして、カーテンの前に立った。最初にグラハムの目が捉えたのは、とても広い額、白い眉の奥底に沈んでいるとても薄い青い瞳、鷲のような鼻、そして一文字に結ばれた意思の固そうな口だった。目の上に垂れたまぶた、口の端が下がっていることは、その伸びた背筋と矛盾するようだったが、この男が高齢であることを告げていた。グラハムは思わず立ち上がって、しばらくの間、二人の男は黙って互いを見つめたまま立ち尽くしていた。
「あなたがオストログですか?」グラハムは言った。
「私がオストログです」
「指導者の?」
「そう呼ばれていますな」
グラハムは静寂に居心地の悪さを感じた。「まずはお礼を申し上げなくては。私の身の安全を図ってくれたのでしょうから」ようやく彼は言った。
「あなたが殺されたのではないかと我々は恐れていました」オストログが言った。「あるいは再び眠らされたのではないか――永遠に、と。我々は秘密――あなたが消えたという秘密――を守るためにあらゆることをおこなってきました。あなたはどこにいたのです? どうやってここまでたどり着いたのです?」
グラハムは手短に説明した。
オストログは黙ったまま聞いていた。
彼がかすかに微笑む。「あなたがやって来たという報せを受けた時、私が何をやっていたと思います?」
「見当もつきません」
「あなたの替え玉を用意していたのです」
「替え玉?」
「我々が見つけられる中でできるだけあなたに似た人間です。彼に催眠をかけることで難しい振る舞いにも対応できるようにするつもりでした。必要なことなのです。この反乱の全ては、あなたが目覚め、生き続け、我々の味方になるという構想にかかっているのですから。今だってとんでもない数の群衆が劇場に集まってあなたに会わせろと大騒ぎしているのです。彼らは信頼していないのです――もちろんおわかりでしょう――あなたの立場がどのようなものか?」
「たいしたことは知りません」グラハムは答えた。
「説明しましょう」オストログは一、二歩、部屋へと歩みを進めると振り返った。「あなたは完全な所有者なのです」彼は言った。「この世界の。この地球の王なのです。あなたの権力は多くの複雑な方法で制限はされていますが、あなたはいわば船首像、政府にとって好ましい象徴なのです。白衣の評議会、いわゆる管財人の評議会ですが――」
「それについてはおおまかなことは聞きました」
「いったいどうやって」
「おしゃべりな老人と出会いまして」
「なるほど……。我らが大衆――この言葉はあなたの時代から続くものです――もちろんご承知でしょうが、我々にもいまだに大衆がいるのです――はあなたを我々の実質的支配者と見なしています。ちょうどあなたの時代の人間の大多数が王を支配者と見なしていたのと同じように。彼ら――全地球上の大衆――はあなたの管財人たちによる支配に不満を持っている。その大部分は古くからある不満、ごく一般的な庶民の古くからある異議申し立てです――労働や規則、ひどい待遇による惨めさです。しかしあなたの管財人たちはまずい統治をした。特定の問題、例えば労働者団の管理では、やつらは賢明でなかった。やつらは数限りない好機を与えてくれた。我々人民党はすでに改革を呼びかけていたのです――あなたが目覚めた時の。そして目覚めた! 仮にそれが仕組まれたものなら、これ以上無いほどの好機です」彼が微笑んだ。「世論には、あなたが何年も眠っているのを許すだけの余裕はありませんでした。あなたを目覚めさせ、あなたに訴えかけるという考えはすでに浮かんでいたのです。そして――光がもたらされた!」
彼は身振りで反乱を示して見せ、グラハムは理解していると示すために頷いた。
「評議会は混乱し――異議を唱えた。やつらはいつもそうです。あなたをどうするのか、やつらは決断できないのです。どうやってやつらがあなたを閉じ込めたか知っているでしょう?」
「ええ、わかります。それではもう――私たちは勝利したのですか?」
「我々は勝利しました。間違いなく勝ったのです。今夜、わずか五時間のうちに。我々はあらゆる場所で蜂起しました。風向観測所の人々、労働者団とその無数の人々がそのくびきを破ったのです。我々は飛行機を抑えています」
「なるほど」グラハムは言った。
「もちろん、これは必要不可欠なことです。さもなければやつらは逃げ出していたでしょう。全ての都市が立ち上がりました、そこにいたほとんど全ての第三身分の者が! わずかな飛行士と赤警の半分を除けば他は全て青服、全て公共従事者です。あなたは救出されましたし、やつら自身の警察――評議会議事堂にはその半分も集まれませんでした――は解散させられるか、武装解除させられるか、殺されているところです。ロンドン全域が我々のものです――今では。残っているのは評議会議事堂だけだ。
やつらの側に残った赤警の半分はあなたを再度捕まえようという馬鹿げた試みで失われている。やつらはあなたを失うと同時に頭数も失ったのです。やつらは自分の持っている全てをあの劇場に投入した。そこで我々はそいつを評議会議事堂から切り離したのです。まさに今夜は勝利の夜になった。あらゆる場所にあなたの星が輝いている。一日前には――評議会が支配していた。これまでのグロス年間、つまり一世紀半の年月そうしていたように。それからほんのわずかなささやき声、あちらこちらでの秘密裏の武装、そして唐突に――事は起こった!」
「私はひどく物を知らないのです」グラハムは言った。「おそらく――私はこの戦いの状況をはっきりとは理解していないのだと思います。できれば説明していただきたい。評議会はどこにあるのです? 戦いはどこでおこなわれているのです?」
オストログが部屋を横切り、何かカチリという音がしたかと思うと突然、楕円の放つ光の他には何も見えない暗闇に二人は飲み込まれた。しばらくの間、グラハムは困惑するばかりだった。
それから曇った灰色の円盤に奥行きと色彩が現れるのが見えた。それはまるで奇妙な見慣れぬ光景に向かって楕円形の窓が開いたかのようだった。
一見したところ、その光景が何なのかは彼には推測がつかなかった。昼間の光景、冬の昼間のようで色味のない澄み渡ったものだった。遠くの風景と彼の中間あたりだろうか、その光景を横切るようにねじれた白いワイヤーの太いケーブルが垂直に延びている。次に彼が気づいたのは立ち並ぶ巨大な風車だった。その間の広い間隔、ときおり見える真っ暗な裂け目、それは彼が評議会議事堂から逃げ出した時に通り抜けてきた場所に良く似ていた。赤い姿の整然とした縦列が黒い人々の縦列の間を通って広場を前進してくるのが見て取れ、オストログが口を開く前に彼は自分が現代のロンドンの上層部を見下ろしていることに気づいた。前夜の雪は消えていた。この鏡は暗箱の現代的な代替物なのだろうと彼は判断したが、それについての説明は無かった。見たところ、赤い姿の縦列は左から右へ足早に進んでいるにも関わらず、彼らはその光景の左から消えていっていた。しばらく彼は戸惑ったが、やがてその光景がパノラマ画のようにゆっくりと楕円の上を動いていっているとわかった。
「もう少しすると戦いが見えてきます」彼の肘のあたりでオストログが言った。「あなたが見ているあの赤い服のやつらは囚人です。これはロンドンの屋上なのです――現在では全ての建物は実質的につながっているのですよ。通りや公共の広場は覆われています。あなたの時代にあった断絶や隔たりは消え失せました」
何か焦点のずれたものがその光景の半分を汚していた。形からすると一人の人間だ。何か金属的な閃光がひらめき、ちょうど鳥のまぶたがその瞳を拭うように楕円を拭い去って、光景は再び明瞭になった。そして今度グラハムの目に映ったのは風車の間を駆けていく人々で、彼らは小さな煙を上げる閃光を放つ武器を突き出していた。彼らは右へ向かってますます濃く群れ集まっていきながら、大きく身振り手振りしている――おそらく叫んでいるのだろうが、その光景の外では何も聞こえなかった。彼らと風車群はゆっくりと着実に鏡の表面上を動いていった。
「さて」オストログが言った。「評議会議事堂がやって来ます」するとゆっくりと黒い線が光景に現れてグラハムの注意を集めた。それはすぐに線ではなく大穴へと姿を変えた。群れ集まった巨大建造物に囲まれた巨大な黒い空間で、そこから細い煙の筋が青白い冬の空へと立ち昇っている。荒涼とした廃墟と化したたくさんの建物、巨大な折れた支柱や大梁がこの大洞窟の闇から陰鬱に突き出ていた。そしてこうした壮麗な場所の残骸の上に無数の小さな人間がよじ登り、飛び跳ね、群れ動いていた。
「これが評議会議事堂です」オストログが言った。「やつらの最後の拠点だ。あの愚か者どもは周囲の建物全てを吹き飛ばされながらも一ヶ月ばかり持ちこたえるために大量の銃弾を浪費したのです――我々の攻撃を止めるために。あの爆音は聞こえましたか? あれでこの都市のもろいガラスの半分が砕け散りました」
彼が話している間にもグラハムには、この廃墟となった地区の向こうに、覆いかぶさるように、とんでもない高さにまでそびえ立つぼろぼろになった巨大な白いビルディングが見えてきた。このビル群は周囲の無慈悲なまでの破壊から取り残されていた。黒い亀裂がこの大惨事によって引き裂かれた通路に刻まれていた。大ホールには傷口が開き、その内部の装飾が冬の夜明けの光に陰鬱にさらされ、引き裂かれた壁からは切れたケーブルや電線のねじれた端、金属の支柱が花綱のように垂れ下がっていた。そしてそうした広大な風景の中を小さな赤い点が動き回っていた。赤い服を着た評議会の防衛兵だ。ときおりかすかな閃光が黒い影を照らし出す。最初見た時、この孤立した白いビルディングへの攻撃が進行しているようにグラハムには思えたが、次第にこの反乱の群れは前進しているのではなく、赤衣の人間のぼろぼろになった最後の砦、ときおり火を吹き上げ続けるそれを取り囲むこの壮大な廃墟の中を逃げ回っていることに気づいた。
十時間にも満たない前に彼はあの遠く離れた建物の中の小さな一室で換気扇の下に立って、この世界で一体何が起きているのかと思いを巡らせていたのだ。
鏡の中央で静かに繰り広げられるこの戦争にも似た出来事をさらに注意して見ていくうちに、グラハムはこの白いビルディングが全方位を廃墟で囲まれていることに気づき、防衛兵たちがこうした破壊によってどのように嵐から自分たちを孤絶させようとしたかをオストログが簡潔な言葉で説明した。大規模な崩落によって起きたに違いない人々の損失について話す時にはその声の調子が変わった。彼は廃墟の中に作られた即席の死体置き場を指し示し、かつては動く道の通りだった荒れ果てた道路に沿ってチーズダニのように群れ動く救急車を示してみせた。評議会議事堂の一部や包囲軍の配置について指摘する時には彼はずっと興味ありげな様子だった。しばらくするとロンドンを激震させている内乱でグラハムにとってわからないことはもはや何も無くなっていた。これはその夜に持ち上がった騒々しい反乱でも、対等な戦争でもなく、すばらしく組織されたクーデターだった。驚くほど細かいところまでオストログは把握していた。そうした場所を這い進む黒と赤の点群の最も小さな結節点でさえ何が起きているのかを彼は理解しているように見えた。
彼が太く黒い腕を発光する映像へ伸ばして、グラハムが逃げ出した部屋や逃亡経路となった廃墟の裂け目を示して見せた。あの溝が横切って走る深い穴や飛行機械から隠れてかがみこんだ風車群が彼にもわかった。彼が来た残りの道はあの爆発によって消し飛ばされていた。彼は再び評議会議事堂へ目を移した。それはすでに半分ほど隠れ、右手にはドームとタワーが群れ集まった丘の中腹が、もやにぼんやりとけむりながら遠くの方で滑るように視界に現れていた。
「それで評議会は本当に打ち倒されたのですか?」彼は聞いた。
「打ち倒されました」オストログが答える。
「それで私が――。確かに本当なのですか、私が――?」
「あなたが世界の主人です」
「しかしあの白い旗は――」
「あれは評議会の旗――世界を支配する旗です。今に降ろされるでしょう。戦いは終わった。劇場への攻撃はやつらの最後の悪あがきでした。やつらの側には千人ほどしかいないし、その中にはさして忠実でない者もいるでしょう。弾薬も少ない。そして私たちは古代の技術を復活させています。機関砲を鋳造しているのです」
「しかし――待ってください。この都市が全世界なのですか?」
「実質的に、やつらの帝国に残されていたのはここだけなのです。国外でも都市は我々とともに蜂起したか、その時を待っています。あなたの目覚めがやつらを混乱させ、麻痺させたのです」
「しかし評議会には飛行機械があるのでは? なぜ彼らを乗せて飛んでいかないのでしょう?」
「あります。しかし飛行士の大部分はこの反乱で我々の側についています。我々のために飛行する危険は冒さないでしょうが、我々に対抗しようという気もない。我々は飛行士たちと繋がりを持っておかなければなりませんでした。実に半数は我々の側についてますし、他の者もそれは承知です。あなたが逃げ出したことを彼らはすぐに知りましたし、あなたを探していたやつらはもう飛んでいません。あなたを撃った者は殺しました――一時間ほど前にね。それに我々は最初に各都市の飛行ステージを占領したので、比較的大きな飛行機は止めたり捕らえられたのです。小さな飛行機械が現れた場合には――実際に何度かあったのですが――狙いを定めてずっと射撃を続けて評議会議事堂に近づけないようにしています。着陸すれば二度と飛び上がることはできません。このあたりにはそのための広い土地は無いですから。何機かは撃ち落としましたし、他の何機かは着陸して降伏しました。残りは友好的な都市を探して大陸に向かって消えました。燃料が尽きる前に見つけられればの話ですがね。こうした人間のほとんどは捕虜になったことで危険な目にあわずに済んで大喜びですよ。飛行機械の中で狼狽するのはあまり魅力的な未来ではない。このままいけば評議会に勝ち目はありません。やつらの時代は終わったのです」
彼は笑い声をあげると再び楕円形の映像の方へ向き直ってグラハムに彼が飛行ステージと呼んだものを示してみせた。一番近くにある四つでさえかなり遠く、薄い朝霧に覆われていた。しかし周囲にある見慣れたものと比べてみると、それがとても大きな構造物であることはグラハムにもはっきりわかった。
それからそのはっきりしない形状が左へと消えると、再び広々とした光景が現れ、そこを赤い服を着た武装解除された人間たちが行進していった。それから黒い廃墟、それから再び包囲された評議会の白い要塞。それはもはや幽霊の棲む山のようだったが、太陽の光で琥珀色に輝き、そこを雲の影が横切っていった。周囲ではいまだ小競り合いが決着のつかないまま続いていたが、今では赤い防衛兵は発砲していなかった。
こうして薄暗い静寂の中で、十九世紀から来た男は大規模な反乱の終わろうとしている光景を、自身の支配体制の強制的な樹立を見守っていたのだった。驚くべき発見をしたような気持ちとともに彼の頭に浮かんだのは、これが自分の世界であるということ、自分が後にしてきた世界ではないということだった。これはクライマックスに達して終わるような大掛かりな見世物ではないのだ。この世界がどのようなものであれ、自分の前にはいまだ人生が存在し、自身の責務と危険と責任の全てが存在しているのだ。新しい問いを持って彼は振り向いた。オストログはそれに答え始めたが、不意に口を閉じた。「しかしそうしたことはもっと時間が経ってから説明すべきですな。今のところあるのは――責務です。動く道を通って都市のあらゆる場所から人々がここに向かっているところです――市場と劇場は人でごった返しています。あなたはそれに間に合ったのです。人々はあなたに会わせろと要求しています。国外でもあなたに会いたがっています。パリ、ニューヨーク、シカゴ、デンバー、カプリ――何千もの都市が騒乱に揺れ動き、決着がつかないまま、あなたに会わせろと要求しています。彼らは何年もの間、あなたを目覚めさせるべきだと要求し続けていたのに、それが果たされた今、ほとんどそれを信じようと――」
「ですが間違いなく――私は行けない――」
オストログが部屋の反対側から返事をし、楕円形の円盤の上の映像が薄れて消えると再びすぐに光が戻って来た。「電信動画があります」彼が言った。「ここであなたが人々にお辞儀をすれば――世界中の膨大な数の人々、暗いホールに詰めかけて待っている人々もあなたに会えるでしょう。もちろん白黒でですがね――これとは違って。それにホールでのあの叫びを何倍にもした彼らの叫び声も聞こえるでしょう」
「それに我々が使う光学装置もある」オストログは言った。「一部の気取り屋や女性ダンサーが使うやつです。あなたにとっては目新しいものかも知れない。非常に強い光の中に立つと、あなたが見えなくなる代わりに拡大されたあなたの映像がスクリーンに投影されるのです――一番遠くの空中廊下にいる遠く離れた人間でさえ、あなたのまつげを数えられるほどです。もしあなたがそうしたければね」
グラハムは必死の思いで頭にある疑問の一つを握りしめた。「ロンドンの人口はどれほどなのです?」彼は尋ねた。
「八とトワインディ・ミリアッドです」
「八と何ですって?」
「三三〇〇万以上ということです」
その数字はグラハムの想像をはるかに超えていた。
「あなたには何か言葉を述べることが期待されるでしょう」オストログは言った。「あなた方が演説と呼んでいたようなものではなく、現代の人々がお言葉と呼んでいるもの――六、七語のほんの一文です。何か形式的なものです。もし私が提案するとすれば――『私は目覚め、私の心はあなたたちとともにある』とか。そうしたものを彼らは望んでいるのです」
「何ですって?」グラハムは尋ねた。
「『私は目覚め、私の心はあなたたちとともにある』それからお辞儀――王のように堂々としたお辞儀です。しかしまずはあなたに黒いローブを着せなければ――黒があなたの色なのです。お気に召しませんかな? それが終われば彼らは自分の家へ帰っていなくなりますよ」
グラハムはためらった。「私はあなたの手中にあります」彼は言った。
オストログはその意見には取り合わなかった。しばらく考えてから彼はカーテンの方を向いて、誰か見えない付添人に手短な指示を与えた。ほとんど間をおかずに黒いローブが運び込まれた。あの劇場でグラハムが着ていたのととてもよく似た黒いローブだ。彼がそれを肩に羽織っていると、部屋の外から甲高いベルの鳴り響く音が聞こえてきた。オストログは付添人に尋ねようとしたが、そこで唐突に考えを変えたらしく、カーテンを脇に引くと姿を消した。
しばらくの間、グラハムは慇懃な付添人とともに立ったままオストログの遠ざかっていく足音に耳をすませた。すばやく受け答えする声と複数の人間が走る音が聞こえた。カーテンがすばやく戻されてオストログが再び現れた。その大きな顔は興奮で輝いていた。大きな一歩で部屋を横切ると彼はスイッチを押して部屋を暗くし、グラハムの腕をつかんであの鏡を指さした。
「我々が見ていない間にも」彼が言った。
グラハムは彼の人差し指を見た。黒く太い指は、映し出された評議会議事堂の上を指していた。しばらく彼は理解できなかった。それから白い旗が掲げられていたはずの旗ざおに何も無いことに気づいた。
「つまり――?」彼は口を開いた。
「評議会は降伏しました。その支配は永遠に終わったのです」
「見て!」オストログが指さす先では黒いらせん状のものが少しぎこちない動きで何も掲げられていない旗ざおを這い上り、高くなっていくと同時にほどけていっていた。
楕円形の映像はリンカーンがカーテンを脇に引いて入ってくると同時に薄くなった。
「彼らが要求しています」彼は言った。
オストログはまだグラハムの腕をつかんでいる。
「我々が人々を蜂起させた」彼は言った。「我々が彼らに武器を与えたのだ。今日からは少なくとも彼らの願いが法律となる」
リンカーンはカーテンを開いたまま押さえてグラハムとオストログを通した……。
市場へ向かう途中、グラハムは長くて狭い白い壁の部屋を一瞬、垣間見た。そこでは一様に青いキャンバス地の服を着た者たちが覆いをかけられた棺のようなものを運んでいて、その周囲では医療者らしき紫の服を着た者たちが忙しく駆け回っていた。部屋からはうめき声と悲嘆の声が漏れ出していた。血で汚れた誰もいない長椅子や他の長椅子に座る血のにじんだ包帯を巻いた者たちは彼に強い印象を与えた。それは柵のある歩道からちらりと見えただけで、すぐに控え壁がその場所を隠してしまい、彼らは市場に向かって進んでいった……。
今では群衆の叫び声はすぐそこで、雷鳴のように高まっていた。彼の注意を捉えたのは、たなびく黒い横断幕、揺れ動く青いキャンバス地と茶色のボロ布、長い通路の先に見えてきた公共市場の近くの劇場、人々の群れ集まるその場所の巨大さだった。目の前にはそうした光景が広がっていた。自分たちが進む先にあるのは自分が最初に姿を見せたあの大劇場であることに彼は気づいた。赤警からの逃亡で最後に見た時には閃光と暗闇の格子模様で覆われていたあの大劇場だ。今度、彼はステージより高いところにある空中廊下からそこに入っていっているのだ。今、その場所は再び輝かんばかりに照らされていた。彼の目は自分が逃げ込んだ座席の間の通路を探したが、十ほどもある似たような通路の中からそれを見分けることはできなかった。その上、叩き壊された座席も破れたクッションも、戦いの痕跡は何も見えない。人が多すぎるのだ。ステージを除けばその場所は人でいっぱいだった。見下ろした印象は広大に広がるピンク色の点描画で、その点の一つ一つがじっと上を向いて彼を見つめる顔なのだった。オストログとともに彼が現れたことで歓声が止み、歌も止み、皆の関心が混乱を鎮めて心を一つにさせた。まるでこの無数の人々の一人ひとりが彼を見守っているようだった。