眠れる者の目覚め, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

著者による新版へのまえがき


「眠れる者が目覚める時」――今回、私はそのタイトルを「眠れる者の目覚め」に変えたのだが――はグラフィック紙とアメリカと植民地の一、二の定期刊行物に連載された後、一八九九年に書籍として初めて出版された。私の作品の中でも最も野心的で、しかし最も不満の残るものの一つで、今回の再版によって与えられた機会を利用して、多くの削除と変更を加えた。私の初期の作品のほとんどと同様、この作品はかなりのプレッシャーの下で書かれた。後半部分の筆の運びだけでなく、物語の基本的構造にも急いだことの痕跡がある。ほとんど避けがたい私の欠点と思われるある種のぞんざいな文章を別にすれば、冒頭部分の筆の運びに恥じるべきところはほとんど無い。とはいえ批評家には、脇に逸れてゆっくりとした幕間を通して思索が深められる代わりに、不十分な構想の後半部分が最後まで押し進められたと言われても仕方ないだろう。当時、私は過労気味で残念ながら休暇を必要としていたのだ。必要不可欠なさまざまなジャーナリズムの仕事に加えて、別の作品「愛とルイシャム氏」に取り組んでいて、私の関心は本書の物語よりもずっと強くそちらに奪われていた。置かれた状況から、休暇を取る前にそのうちのどちらかを終わらせる必要があって、商品として仕上げるために「眠れる者」をだいぶ急いだ。印刷業者の手に渡る前になんとか改定できることを期待してのことだった。しかし運が悪かった。イタリアからイングランドに戻ってきてすぐに私は危険な病気にかかったのだ。「ルイシャム氏」の物語をなんとか仕上げようと試みていた時の無力な怒りと苦労を私は今でも憶えている。熱が一〇二度(摂氏三十八・八度)もあったのだ。その作品を断片のまま放棄するという考えに私は耐えられなかった。その後、私はこの作品を高熱の結果からなんとか救い出そうと精一杯、算段を立てたのだが――そして確かに「愛とルイシャム氏」は最も慎重に調整を重ねた私の作品の一つとなったのだが――「眠れる者」は私の手をすり抜けていったのだった。

「眠れる者」を執筆してからもう十二年が経っていて、この三十一歳の若者はすでに私にとって作品の思い切った再構築を試みるにはあまりに遠くかけ離れたものになってしまった。今の私はただ編集を手伝う兄の役回りを演じているに過ぎない。疲労や疲れ果てた頭脳、重くのろのろとした筆の運びの痕跡であることがあまりに明らかな長くてうんざりする文章の数々を容赦なく切り捨て、結末のある種の優柔不断さを正した。それを除けば、私がやったのはあちらこちらにあるぎこちない言い回しや繰り返しを切り揃えたことだけである。初期の版で最もひどく、私の心を最も苦しめさせていたものは、ヘレン・ウォットンとグラハムの関係の扱いだった。芸術で急ぐことはほとんど必ず通俗化をもたらす。そして私はヘレンから新聞業界が「恋愛関係」と呼ぶものを作り出すという明らかな通俗化に陥っていた。飛行機械で飛び立って戦う代わりにグラハムはオストログに降伏してヘレンと結婚するのだとぎこちなくほのめかすことさえしていた。こうした異様な婚姻関係を示唆するものは今回、取り除いた。実際のところ、この二人の間にはどんなものであれ性的関係をほのめかすものはほんのわずかも生じていない。二人は互いに愛情をもってキスをするが、それは一人の少女とその英雄的な祖父が互いに愛情をもち、危機の中でキスするようなものなのだ。深刻な混乱を起こすこと無く、こうした不快なもの全てを物語から消し去ることができると私は気づき、この見苦しい過ちについて私の良心は少しだけ安らいだ。またわずかに筆を振るって、人々がオストログを打ち負かしたのだという不誠実で後悔の残る示唆を削った。グラハムは彼と同じような人々全員がそうであったように、勝利か敗北かを知らぬまま死ぬのである。

勝利するのは誰か――オストログなのか、民衆なのか? この先、千年経とうとも、今日、私たちがそのまま残したようにそれは全くの未解決な問題のままだろう。

H・G・ウェルズ


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