統治二論 前篇 ロバート・フィルマー卿の誤れる原理及び根拠の摘発並びに打倒, ジョン・ロック

第十一章 誰がアダムの相続人か


一〇六 古今を通じて、人心を動揺させ、都市を壊し国を荒し、世界の平和を乱す禍の大半をもたらした源である一大問題は、そもそも、権力というものが存在するものかどうか、あるいは、どこから起ったかということではなく、誰がこれを握るべきかということであった。従って、この問題の解決は、君主の安全を計ること、その領土、国土の安寧、秩序を保つことに劣らぬ重要な事柄であり、政治学者は、この点を十分慎重、明瞭に決定しなければならぬ。もし、この点に疑問の余地が残るならば、他のすべての議論はほとんど何の役にも立たなくなるであろう。誰が権力を主張する資格を持っているかを示さずに、この権力を徒に、絶対権力の誇るあらゆる華麗と魅惑を以って飾り立てるのは、元々際限を知らない人間の生まれながらの野心を一層刺激し、人間をますます熱狂的に争奪戦に駆り、その結果、不断の争闘、混乱の基礎を作り上げるだけで、これでは、政治の任務であり、社会の目的であるかの平和、安寧の基礎はついに築かれない。

一〇七 われわれの著者は、特にこの問題に解答を与えねばならぬ立場にある。何故ならば、われわれの著者は政治的権力の譲渡は神の定める所であると主張することによって、この譲渡をも、政権そのものと同様に、神聖にして犯すべからざるもの、即ち、それは、どんな権力の強制が加えられようと、どんな考慮が払われようと、神授権の定める者以外に転用され得ないものであり、またどんな必要にせまられても、どん策略を弄しても、代理の者が本人に代ってこれを握ることは許されないものであるとしているから。「政治的権力の譲渡が神の定める」ところであり、アダムの「相続人」が前章でわかったように、この「譲渡」の受領者であるならば、アダムの相続人でない者が王であることは、われわれの著者の言うとろによれば、アロン(訳註:モーゼの兄でユダヤの祭司長であった)の子孫でない者ユダヤ人の「司祭」たるのと同様、冒涜的行為である。何故ならば、大体において、司祭の職が、神の定めるところであるばかりでなく、アロンの子孫だけが、これを譲渡されるという事実は、アロンの子孫以外の者がこの権を所有し、行使することを不可能にしており、従って、その相続権は厳重に守られ、誰が司祭たるの権利を持っているか、はっきりとわかるからであると。

一〇八 そこで、次に、われわれの著者が、誰が神の定めるところによって万人の王たる資格を持つ「相続人」であるかを示すべくいかなる努力を払っているかを調べよう。最初に出会う説明は次の通りである。「子の隷属は、一切の主権の源であり、神自身の命ずるところであるから、政治権力一般が存在するということだけにとどまらず、この権力が特に最年長の親に譲渡されるという事実も神の定めたところなのである」(『パトリアーカ』一二頁)。斯の如き重要な問題は明瞭で出来る限り疑問や曖昧の余地のない言葉を用いて表現さるべきであろう。いやしくも、言葉というものに、物をはっきりと表現する機能が認められる以上、ここでは、「親族」とか、「何々等親」とか言う文字を用いて、この機能を果すべきであったろう。われわれの著者が、誰が神の定めるところによって、政治的権力を譲渡されたかをもっとわかり易い表現を用いて示してくれることが、あるいは、少なくとも「最年長の親」とは何を意味するのか説明してくれることが望ましかったのである。もし、彼と彼の一家の「最年長の親」に土地が譲渡、あるいは、授与されたとしたら、彼は、「最年長の親」とは何であるかを説明してくれる者が必要だと考えるであろうし、また、誰が次にこれを受け継ぐかもほとんどわからないと思うであろう。

一〇九 語法上から言えば、――この種の論文では、語法の正確ということが必要なのは勿論である――「最年長の親」とは、子を生んだことのある男と女の中で最も年を取った者か、あるいは、最も長期間子を生んだ男及び女を意味する。そうだとすれば、われわれの著者の主張は、最も長く生きた、あるいは最も長期間にわたって子を生んだ父母が、神の定めるところによって政治的権力を振う資格を持つと言いかえられるわけである。これがおかしいと言うならば、その責任はわれわれの著者自身が負わねばならぬ。また、もし、この私の解釈は彼の真意でないというならば、その非難はやはり、明瞭な言葉を使わなかったわれわれの著者自身が受くべきである。「親」が男の相続人を意味とせぬこと、また、唯一人の相続人しかいない場合には、幼児も真の相続人になり得るが、「最年長の親」が幼児の意味とはならぬことは確かである。しかし、なお依然として「神の制定による譲渡」という言葉にも拘らず、あたかも譲渡などはなかったのと、もしくは、われわれの著者がこれについて何も言わなかったのと同然、誰がこの政治的権力を持つかは不明である。なまじわれわれの著者一流の「相続人」とか「相続」とかいうことを聞いたことのある者は、この「神の制定により政治的権力」を持つ「最年長の親」という言葉によって一層まごつかされる。われわれの著者の主眼点は、服従を受ける権利を持つ者へ服従することを教えることである。この権利は、相続によって伝わるというが、誰が相続によってこの権利を得るのかは、政治学上の哲学者の石(訳註:中世の錬金術者が求めて得られなかったすべての金属を黄金に化する力ありと考えられた石)で、彼の著書から窺い知る範囲外に置かれたままである。

一一〇 この難解を、ロバート卿のような文章家で、しかも、自分の言いたいことが定まっている場合、言葉の不足に帰することは出来ない。むしろ、神の制定によって相続の原則を定めることの困難と、この原則が定まったとしても、これが彼の君主の資格を明かにし、確立しようとする意図にあまり役に立たぬことを知るわれわれの著者が、唯々諾々として聞く者の耳には決して悪い響を与えない漠然とした曖昧な言葉を用いてお茶を濁し、アダムの「父たる身分」の相続に関し、誰がこれを相続するのか、また、誰が王権を持つのか、服従を受ける権利を持つのか、などについて、人々を心から納得のさせるようなはっきりした原則を与えることを好まなかったからなのであろう。

一一一 そうでなければ、あれ程「相続」とか、「アダムの相続人」とか、「最も近い相続人」とか、「真の相続人」とかを強調したわれわれの著者が、「相続人」とは何であるか、また、「最も近い相続人」や「真の相続人」はどうしてわかるのかについてはロをかんして語らない筈はないのである。私の記憶する限りでは、われわれの著者はこの問題をはっきり取扱ったことはない。ただ議論中これが問題となる時、用心深く、漠然と触れているに過ぎない。しかし、実は、この問題を論ずることは必要で、これを無視しては、支配、服従に関するわれわれの著者の一切の議論は無意味となり、どんなに巧に証明されようと、父権は誰の役にも立たないであろう。この故に、われわれの著者は言う、「権力が設定されたことは言わすもがな、この権力が一つの形態、即ち、君主権に限られたこと、また、これを与えられる者がアダムと彼の子孫と決められたことは、すべて神の命令である。エバもその子もアダムの権力に制限を加えたり、これに自己の権力を合体させたりすることは出来なかった。そしてアダムへ与えられたものは、彼の身代りとして彼の子孫にも与えられたものだったのである」と(『覚書』二四四)。ここで、われわれの著者は再びアダムの君主権の相続が「神の命令によって」限定されたと言う。では、誰に限定されたのか。「アダムの子孫」にである。この限定は珍限定である。即ち、全人類に限定されたことを意味する。もし、「アダムの子孫」でない人がいるなら、われわれの著者は、その者から誰がアダムの最も近い相続人であるか教えられるだろう。しかし、私は、アダムの支配権がこのように「彼の子孫に限定される」というだけでは「一人の相続人」を捜し出す助けには到底ならないと思う。成程、この「限定」を与えられることによって、動物の中からこの相続人を捜し出す労は省かれるしこれによって、アダムの王権の相続に関する問題は、アダムの子孫が、アダムの王権を所有すべきである(これは、「アダムの子孫」たる資格のない者はないのであり、この範囲内にある限り、われわれの著者のいわゆる神の命令による限定内にあるわけであるから、平易な言葉で言えば誰でもこれを所有し得るということになる)と教えられることによって、簡単、容易に解決されても、このために、一人の「最も近い相続人」を人間の中から発見する作業が容易になるとはとうてい言われないだろう。われわれの著者は、「この相続人は自分の子だけにではなく、兄弟にも主人である」(『パトリアーカ』一九)と言い、この言葉とこれに続く言葉(これについては、私はすぐ後に考察しようと思う)によって、長男が相続人であることを示唆しているかのようであるが、私の知る限りでは、はっきりそう言っている言葉はどこにもない。ただ、これに続くカインとヤコブの例から、子が幾人かいる場合、長男が相続人たる資格を持つという程度で、これが彼の相続人に関する意見であると認めてよいと思う。しかし、長子相続権が父権の資格とならぬことは既に明かにした。父が子に対しある種の天賦の権利を持ち得ることは容易にうなずかれる。しかし、長男が彼の兄弟に対しこれを主張し得ることはこれから証明しなければならない。私の知る限りでは、長男が神、あるいは、自然から支配権を与えられたことはなかったし、また兄弟に対し生まれつき優越権を持つと考えることは理性の許さぬところである。長男は、モーゼの掟によって、財産を他の者の二倍だけ与えられているが、生れつき、即ち、神の定めるところによって、優越権、支配権を持っていたとはどこにも書かれていない。われわれの著者がここに挙げている例は、長男が持つ政治的権力及び支配権要求の権利の証明としては、甚だ頼りないものであり、かえって、その逆の証明になる程である。

一一二 彼の言葉は、前に挙げたところにあり、「故に、神はアベルについてカインに語って曰く、『彼は汝を慕い、汝は彼を治めん』と」というのであるが、私は、これに対し以下の如く答える。

一、多くの人は神のカインへのこの言葉をわれわれの著者とは別の意味に解釈して居り、そしてその方が正しい。

二、この言葉の意味は色々あろうが、「汝もし善を行わば」という条件がついて居り、この条件はカインにだけあてはまるもので、「次もし善を行わば」の解釈に相異はあろうが、それは、彼の行動の如何によって定まるもので、彼の家督権に随伴するものではなく、従って、一般的に長子支配権の確立を証する言葉ではあり得ぬから、カインは兄として生まれつきアベルに支配権を振ったと言うことにはなり得ない。現に、われわれの著者自身が認めているように(『覚書』二一〇)、アベルはこれ以前既に個人的支配権によって、独立の領地を所有していたが、もし、カインが神の定めるところによる相続人として、彼の父の全支配権を継承する筈ならば、アベルはそんな領地を所有などして兄の相続権を侵害することは出来なかったであろう。

三、もし、神がカインに告げたこの言葉が、一般的に長男に、長男として、即ち、相続権によって、長子相続権、支配権を授与する意味を持つとするならば、彼の兄弟全部をその支配下に含めたものと考えてよいであろう。多くの子を儲けて世界を満すことを予言されたアダムはこの頃までには、この二人の他に既に成人した多くの子を持っていたと当然考えられるから。しかるに、アベルすらその名前さえ挙げられていないのである。この原文(『創世記』第四章第七章)中の「彼」をアベルと見做すことはとうてい正しい解釈とは考えられぬ。

四、これ程重大な説を、全然別の解釈も許す、というよりは、別の解釈の方が正しいとさえ思わせる、従って、証明せんとする相続権そのものと同様、あいまいで難解な文句の上に築くことは無謀である。言わんや、われわれの著者の主張する長子相続権に有利な、あるいは、これを支持する他の何物も、聖書にも理性にも見出されない場合においておやである。

一一三 次に、われわれの著者は、「ヤコブが彼の兄の家督権を買った時、イサクは彼を祝福して『汝兄弟達の主となり、汝の母の子等汝に身をかがめん』と言った」と言う(『パトリアーカ』九頁)。これもまた、恐らく支配権が家督権に由来することの証明としてあげられた引用であろう。まことにすばらしいものである。王権が生まれつきのものであることを主張して契約説を排するわれわれの著者としては、それの証明に、自ら、一切の権利は契約の上に置かれ、弟が支配権を与えられたと説く箇所を例にひくのは、確かに非凡な論法である。もっとも、「ヤコブは彼の兄の家督権を買った」とあっても、売ったり買ったりすることは契約の中に入らないのかも知れぬ。しかし、それはとにかく、この物語とわれわれの著者がこの物語をどう利用しているかとを考えてみよう。すぐ、次の二つの間違いが発見される。

一、われわれの著者は、「ヤコブが家督権を買った時」、「イサクは彼を祝福した」と言って、あたかもヤコブが家督権を買うや否や、イサクが彼に祝福を与えたかのように書いてあるが、原文では明かにそうではないのである。二つの事件の間には時間的に距離がある。それは、この物語をその話の経過をたどって読むならば、少なからぬ距離であるに違いない。両者の間にはイサクのゲラル滞在、アピメレクとの交渉(『創世記』第二六章)が間に入り、また当時美しく、従って若かったレベカ(イサクの妻)に対しイサクはヤコブを祝福した時には年取って老ぼれている。更にまた、エサウは、ヤコブを恨んで(『創世記』第二七章三六節)「彼が我をおしのくる事ふたたび」「さきには家督の権を奪い」「今はわがめぐみを奪いたり」と言っているが、この言葉は両者が時を隔てた別々の行為であることを示している。

二、われわれの著者のもう一つの間違いは、イサクがヤコブに「祝福」を与え、「汝の兄弟達の主」たらしめたのは、ヤコブが家督権を持っていたからであると考えていることである。われわれの著者は、家督権を持つ者は、これによって、「彼の兄弟達の主たる」権利をも得ることを証明するため、この例を出したのであるが、本文によれば、イサクはヤコブをエサウと思って、彼に祝福を与えたのであって、ヤコブが家督権を買収したことについては何等考慮に入れて、いなかったことは明かである。また、エサウも「我をおしのくる事これにてふたたびなり、さきには我が家督権を奪い今は我がめぐみを奪いたり」と言っているところを見れば、彼が「家督権」と「祝福」との間にこのような関係があることを認めていないことは明かである。「兄弟達の主となる」ことを意味する祝福が家督権の一部であるならば、ヤコブはエサウが「家督権」を彼に売った時同時に売ってしまったものを得たに過ぎないのであるから、この二度目の事件を詐偽だと言って恨むわけにはゆかなかった筈である。故に、この「兄弟達の主」という言葉が支配権を意味するとしても、支配権が「家督権」の一部であると解し得ぬことは明かである。

一一四 族長時代には、支配権とは相続人の権利ではなく、ただ、より大なる財貨を意味するに過ぎないと考えられていたことは『創世記』第二一章一〇節から明かである。サラはイサクを相続人とし、「このしもめと其子を追出せ、このしもめの子はわが子イサクと共に嗣子となるべからず」と言っているが、これは、このしもめの子が彼の父の死後、父の財産に等分に与かることを主張せずに、自分の分け前を受け取って直ぐ去るべしという意味に他ならぬ。即ち、「アブラハム其の所有をことごとくイサクに与えたり、アブラハムの妾等の子にはアブラハム生ける間に物をあたえて其子イサクを離れしむ」(『創世記』第二五章五、六節)という文句がある所以である。これは、アプラハムがイサク以外のすべての子に各々その分け前を与えて追出し、イサクが彼の死後、相続人としてその残部である彼の財産の大部分を所有するという意味であるが、イサクは相続人たることによって「兄弟達の主」となる権利は持たなかったのである。もし、持っていたのならば、サラはイサクの臣民、又は、奴隷を、たとえ一人でも、追出して、彼にこれを失わせしめようとは思わなかった筈である。

一一五 このように家督権という特権は、旧約では、二倍の分け前という意味に過ぎなかったように、また、われわれの著者が模範と仰ぐモーゼ以前の族長時代には、ある人が家督権によって彼の兄弟に支配権や父権や王権を振ったということも知られてもいなかったし、考えられてもいなかった。このことは、イサクとイシマエルの物語で明かと思われるが、もし、それで不十分ならば、『歴代志略上』の第五章一、二節を読めば、「ルベンは長子なりしが、その父の床をけがししによりて、その長子の権はイスラエルの子ヨゼフの子らに与えらる、然れども系譜は長子の権にしたがいて記すべきに非ず、そはユダその諸兄弟に勝る者となりて君たる者彼より出ずればなり、但し、長子の権はヨゼフに属す」と書かれてあることを知るだろう。ヤコブはヨゼフを祝福する時(『創世記』第四八章二二節)、この家督権を次の言葉で説明している。「且つ、われ一部を汝の兄弟よりも多く汝に与う、是れわが刀と弓を以ってアモリ人の手より取りたるものなり」と。これによって、家督権は二倍の分け前の意味に過ぎす、『歴代志略』からの引用は、われわれの著者の説に明瞭に反対であって、支配権は家督権の一部でないことを示している。即ち、家督権はヨゼフが、支配権はユダが持つと書かれてある。しかし、わざわざ、このヤコブとエサウの例をひいて、相続人が、その兄弟に支配権を振うことの証明としているのを見ると、われわれの著者は、「家督権」という名前が甚だ好きであるらしい。

一一六 しかし、先ず、現に末子のヤコブがどういう方法によったにせよ家督権を得たのであるから、この例は、長男が神の命令により支配権を持つことの証拠としては甚だまずいものである。われわれの著者の期待に反して、せいぜい、長男は神の定めるところによって支配権を譲渡されたのではないことを証明するに役立つ位である。もし、長男に支配権が附与されたならば、神のこの制定は不変なもので、あのように勝手に変えられなかったであろう。もし、長男と彼の相続人が、神または自然の法則によって、絶対権力と支配権を所有し、従って、至上の君主であって、他の兄弟を全部奴隷として従えることになっているのならば、「父権のように、神、あるいは、自然に由来する授与物に対しては、より下級な人間の権力は、これに制限を加えたり、規定的法律を発することは許されない」(「覚書』一五八)と言うのであるから、長男がこの権力を放棄して子孫に不利益をもたらす権限を持つものかどうか疑問とならざるを得ない。

一一七 次に、われわれの著者の引用するこの言葉(『創世記』第二七章二九節)は、兄弟の一人が他の兄弟に対し振う支配権とも、エサウのヤコブへの隷属とも何の関係もない。エサウがヤコブの臣民ではなく、別々にセイル山に住い、その地に別の臣民をつくり、別の支配をはじめ、ヤコブが彼の一族に対したのと同様に、彼等に対し自身君主となったことはこの物語で明かなところである、本文テキストは、その中の「汝の兄弟たち」「汝の母の子ら」という文字に注意すれば、エサウについて、あるいは、ヤコブのエサウに対する個人的支配権についての言葉と文字通り解することは出来ぬ。ヤコブに一人の兄弟しかないことを知っているイサクが「子ら」とか「兄弟たち」とかいう言葉を文字通り用いた筈はないのである。この言葉は、文字通りには凡そ出鱈目であり、また、ヤコブのエサウに対する支配権の確立を示すどころか、この物語に書かれてあることは、かえって、正反対を示している。ヤコブはしばしば、エサウを「主」と呼び、自らを「僕」と称している(『創世記』第三三章)。また、彼はエサウに「七度身を地にかがめて」いる(同上)。そこで、エサウはヤコブの臣民であり、家来であるか(われわれの著者によれば、すべての臣民は奴隷でさえある)、またヤコブは家督権によりエサウの至上君主であるのか、この判断は読者にまかしたい。また、イサクの「汝兄弟たちの主となり、汝の母の子ら汝に身をかがめん」は、ヤコブがエサウから買い取った家督権によって彼に対し至上権を持ったことをヤコブに確認する言葉であると考える者があるならば、そう考えるがよろしい。

一一八 ヤコブとエサウの物語を読めば、彼等の父の死後、一方が他方に対しいかなる支配権も権威も持っていなかったことがわかる。彼等は、兄弟として対等に友誼を以って生活を営んでいる。両者間に「主人」、「奴隷」の関係はなく、相互に独立して居り、共に各々の一族の長となっている。互いに掟を与えたり、受けたりする間柄ではなく、別々の生活を営み、二つの別々の政治を持つ二つの別々の国民の祖先となっている。そういうわけで、われわれの著者が長子支配権の根拠としようとするこのイサクの祝福も、神がレベカに告げた以上の意味はないのである。「二つの国民汝のはらにあり、二つの民汝のはらより出て別れん、一の民は一の民よりも強かるべし、兄は弟に事えん」(『創世記』第二五章二三節)。同様に、ヤコブがユダを祝福して彼に王笏と支配権を与える箇所があるが(『創世記』第四九章)、イサクの祝福の記事からヤコブが支配権を持っていたことを導き出そうとするのは、このヤコブの祝福の例から、第三子(ユダ)が彼の兄弟に支配権を振ったことを証明しようとするのとあまり違わない。両箇所とも、後に彼等の子孫がどういう運命に遭遇するかを予言しているだけのことで、いずれかが支配を相続することを宣言しているのではないのである。それ故、われわれの著者が「相続人はその兄弟たちの主人である」ことを証明するために持つ唯二つの主要な論拠は下の如くである。その第一は、いかにカインの身に罪の報いがふりかかって来ようとも、彼は罪の主人公(訳註:正しい行いをすれば罪を抑えることが出来ると言う意味)であるべきであり、あるいは、あり得るという神のカインへの言葉(『創世記』第四章、七、一五節参照)に根拠が置かれている。私がここで「アベルの主人公」と言わないで、「罪の主人公」と言うわけは、多くの学者が、神のこの言葉をアベルについて言われたものと取らず、罪について言われたものと解して居り、しかも、その根拠は頗る有力で、聖書のこの本文テキストから、われわれの著者に都合のよい結論を、人の納得のゆくような方法で導き出すことを許さない程であるからである。第二は、ヤコブの後裔たるイスラエル人がエサウの後裔たるエドマイト人を支配することを予言するイサクのこの言葉(『創世記』第二七章)に根拠がおかれている。この二つによって、われわれの著者は、「相続人はその兄弟たちの主である」と言うのである。この結論の当否は、私はこれを読者にまかせる。

一一九 われわれは、今や、われわれの著者がアダムの絶対君主権、父の支配権の子孫への相続譲渡をどう規定しているかを知った。即ち、相続人が相続権により、彼の父の権威を継承し、彼の父が死ぬや否や、生前の父と同様に彼自身の子供ばかりでなく、彼の兄弟にも、否、彼の父から生まれたすべての者、更には、無限に多数の者の主人となることが相続、譲渡であることを知った。しかし、われわれの著者は誰が相続人であるかについては一言も言わなかった。この根本の点について彼から得られる唯一の示唆は、ヤコブの例で、家督権がエサウからヤコブに渡ったとして居りこれによって相続人とは長男の意味であるかと想像される位である。私の記憶する限りでは、われわれの著者は、長男の資格をはっきりと述べずに、いつも、「相続人」という漠然たる言葉の蔭にかくれている。しかし、われわれの著者の言う意味が、長男が相続人であり、(もし、そうでなければ、すべての子が皆一様に相続人であってはならぬ理由はなくなる)従って、長子相続権によって、彼の兄弟に支配権を振うというにあるとしても、これは継承権の決定に一歩前進しただけに過ぎず、誰が正当な相続人であるかを、現在の支配権の所有者が子を持たぬ時に起り得るすべての場合について示さない限り、問題は依然解決されたとは言えない。しかし、われわれの著者は、この点に関してはロをかんして何も言わない。恐らく、その方が賢明なのであろう。何故ならば、「誰が支配権を握るかという問題は、支配権とは何か、支配権はどんな形態を取るかという問題と共に神の命ずるところ、神の定めるところである」(『覚書』二五四、『パトリアーカ』一二頁)ことを言ってしまえば、あとは、この権力を掌握している者について下手に色々問題を起し、これに答えようとして、結局、神も自然も彼については何も決定してはいないとを認めざるを得ぬ羽目に落ち入るようなへまをしないように用心するのが最も賢明であるから。われわれの著者にして、君主が子を残さず死んだ時、誰が自然の権利、あるいは、神の明確な掟により、彼があれ程骨折って説明した君主の天賦の支配権を相続する最も近い権利を持つかを示すことが出来ぬ位なら、他の一切の点についても、くどくどと説明する労を省いた方がよかったであろう。人々の良心を納得させ、彼等を隷属させ、忠誠を誓わさせるためには、ただ、自然の理法によってこういう「支配権」が存在していることを示すだけでなく、誰が人々の意志や行為に先んじて、生まれつき、この「父権」への資格を持っているかを示すことが一層必要である。この権利を主張する者が沢山ある時、その中で誰がこの権利を正当に附与されているかがわからなければ、私がただ、こういう父権の存在を知り、私がこれに従う義務がある、あるいは、従う意志があると思っただけでは何の役にも立たぬ。

一二〇 正当な主人であり、支配者である者に捧ぐべき服従と忠誠とがここで問題となっている主な点であるから、誰がこの父権を持つのか、誰が服従を要求する権限を持つのかがわかっていなければならぬ。「政治権力一般が存在するというだけでなく、この権力が特に最年長の親に譲渡されるという事実も神の定めたところである、」また、「支配権はどうあるべきか、どういう形態を取るべきか、誰が支配権を掌握すべきかなどのこともすべて神の命ずるところである」というわれわれの著者の言葉が正しいとしても、誰が神の「任命した者」であるか、誰がこの最年長の親であるかを、あらゆる場合について明かにしない限り、彼の絶対君主権に関する抽象的な観念は、これを実行に移し、人々が良心を以って服従を捧げる段になると全然無意味なものになってしまうであろう。「父権」それ自身は、命令権を持っていないから、服従を受ける種類のものではない。それはただ甲の者に、乙の者が持たない、(そして、それが相続によって継承される種類のものならば、この者が持ち得ないところの)一つの命令権と被服従権を与えるものに過ぎない。それ故、私が、私の服従を要求する権力を父権によって与えられておらぬ者に服従するのを、私が「父権」に服従しているというのはおかしい話である。私を支配する権力が神授権によって誰かに授与されていることをだけでなく、自分がその権力を持っていることをも示し得る者でなければ、私に服従を要求する神権は持っていない。

一二一 われわれの著者は、君主がアダムの相続人としての支配権要求の資格を明かにすることが出来ず、従って、この資格は彼の議論には役に立たないことをみて、これには触れない方がよいと考えたので、すべてを現在の所有に還元せざるを得なくなり、簒奪者にも正当の王と同様、服従を受ける権利を与え、そうすることによって簒奪者の資格にも同等の効力を与えている。彼の言葉は以下の通りであるが、これは記憶に値するものである。「簒奪者が正当の相続人の地位を奪う場合、臣民の父権への服従はそのまま続き、神慮に従わねばならぬ」(『覚書』二五三)と。この簒奪者の資格については後に考察することとして、ここでは冷静な読者に、「父権」即ち、支配権をケード(訳註:一四五〇年英国に起ったいわゆる「ケードの乱」の首謀者)やクロムウェル(訳註:一六四二年の英国のナイラで議会軍の首領、後、共和政治時代には「護国官」となる)の徒の手中にさえ想定し、すべて、服従は父権に対しなさるべしという原則に従って、彼等が正当の君主と同一の根拠によって臣民の服従を要求するのを許す、このような政治論に、一体、世の君主たちが、感謝するだろうかどうか考えてもらいたいものである。この説は、危険きわまるものであるが、政治権力が誰に伝わり、誰がこれを相続するかを示さずに、一切の政治的権力は、自然と神が定めたところによって伝えられるアダムの父権に他ならぬとする考えからは必然的に出てくる結論である。

一二二 はっきり言うが、支配権を決定し、服従の義務を良心に徹底させるためには、われわれの著者のように、あらゆる権力はアダムの「父たる身分」を持つことに他ならぬと考えても、ただ父が死ねば長男がこれを要求する権利を持つというだけでなく、この権力を握っている者が直接の相続人たる子を残さず死んだ場合、誰がこの権力、この「父たる身分」を要求する権利を持つかを納得のゆくように説明することが必要である。というのは、われわれの著者自身時々うっかり忘れるようであるが、彼の主張点と考えられるところの重要な問題は、誰が服従を要求する権利を持つかということであって、所有者の不明な「父権」なる権力があるかどうかを考えることではない。これは忘れてはならぬことである。誰が所有者であるかさえ分れば、それが支配権という一つの権カである限り、「父権」と呼ばれようが、「王権」と呼ばれようが、「先天的」と呼ばれようが、「後天的」と呼ばれようが、「至上の父の身分」と呼ばれようが、「至上の兄弟の身分」と呼ばれようが構わないのである。

一二三 更に、一つ尋ねたいことは、この「父権」、あるいは、「至上の父の身分」を相続する際、娘の生んだ孫は兄弟の生んだ甥に優先権を持つのか。また、長男の生んだ孫は赤児でも、一人前の大人である弟に優先権を持つのか。娘は叔父あるいは男系の誰に対しても優先権を持つのか。妹娘の生んだ男の孫は姉娘の生んだ女の孫に優先権を持つのか。妾の生んだ兄は正妻の生んだ弟に優先権を持つのか(これらのことから、嫡出認定の問題、そもそも正妻と妾の相違はどこにあるかなどの問題が生じて来る。というのは、民法あるいは、成文法はこの点では何の役に立たぬからである)。更に、長男が白痴の場合、常人である弟が優先してこの「父権」を相続すべきものであるか。彼をこの権利から除外するには白痴の程度がどの位でなければならぬか。誰がこれを判断するのか。自痴の故に除外された者の子は、彼の妻の兄弟で王位にある者の子に優先権を持つのか。寡婦となった女王が故王の子を宿し、これが男か女かわからぬ時、誰が「父権」を持つのか。母の身体の解剖によって世にあらわれた男の双子の中、いずれが相続人であるのか。片親違いの妹は両親の同じ兄弟の娘に優先権を持つのかなどの問題である。

一二四 継承の資格、相続の権利について、上掲の他に、同じような更に多くの疑問が、単なる空想としてではなく、歴史上実際にはあった王位、王国の相続に関係ある事件として考えられる。その有名な例を求めるには、われわれの国と同一の島内にあるすぐ隣りの国(スコットランド)より遠くに行く必要はないであろう。それらの例は、『モナルカ』論(君主論)でなく、『パトリアーカ』論(族長論)の、頭がよくて学識のあるわれわれの著者により十分に示されているから、私がここで蛇足を附け加える必要はない。われわれの著者が最も近い相続人に関して、起り得る一切の疑問を解決し、これらが自然の、あるいは神の啓示的な掟によってはっきり定まっていることを証明しない限り、彼の仮定するアダムの「君主的」な、「絶対的」な、「至上」の「父権」も、その相続人への伝来継承なども、実際は、現在、地上にある君主の権威を確立したり、もしくは、その資格を決定したりするのにはすこしも役に立たぬだけでなく、かえって、すべてを不安定にして、疑惑の的とするだけであろう。アダムが「父権」、従って「君主権」を持っていたこと、この、世界で唯一の権力が彼の相続人に伝わったこと、この他には世界にいかなる権力も存在しなかったことなどをわれわれの著者がどんなに縷々るると述べ、人々もまたこれを信ずるとしても、この父権が誰に伝わり、今誰がこれを握っているかが明瞭でなければ、誰も服従の義務を負わされていると言えない。もっとも、自分同様父権を持たぬ者にも、これに服従を捧げねばならぬというなら別である。しかし、それでは、私がある人に服従するのは、彼が支配権を持つからであると広言しながら、どうしてそれが分るかと聞かれて、実は、持っているかどうか知る術はないのだと答えるのと全く同じである。私が服従の根拠と承知していないのは、服従の根拠にはなり得なし、言わんや、誰も服従の根拠と認め得ないものは、服従の根拠となり得る筈はない。

一二五 従って、アダムの「父たる身分」について、それが如何に巨大であるか、それを仮定することが如何に必要であるかなどとどんなに一生懸命論じてみても、臣民が誰に服従すべきか、あるいは、誰が支配者で、誰が被支配者であるべきかを知らないならば、支配者の権力を確立し、臣民の服従を決定するには何の役にも立たない。世界の現状では、誰がアダの相続人であるかは何人も到底知ることが出来ぬ。この「父たる身分」、この相続人に伝わる「アダムの君主権」が人類の支配に関し何の役にも立たぬことは、アダムが罪をゆるしたり、病を直したりする「神通力」を持ち、彼の相続人がこれを受け継ぐことをいくら説いても、その相続人が誰であるかが分らない限り、人々の良心を安心させ、健康を維持させるに何の足しにもならないのと同様である。これら一切の権力がアダムの唯一の相続人にだけ伝わると告白されて、その相続人が誰であるかが分らないのに、「私はアダムから伝わる父権に服従致します」ということの馬鹿さ加減は、われわれの著者が説くアダムの神通力を信ずる人々が、無免許のいかさま僧侶や医師の許に至り、「私は、アダムから伝わった免罪の効力を認めます、私は、アダムから伝わった治療の神通力で直ります」と言いながら、自分の罪を告白して免罪を受けようとしたり、薬を飲んで健康の回復を当てにしようとする愚に劣らない。

一二六 民法学者は君主権の継承に関する上述の場合の中、二、三を解決したと称しているが、彼等はただ、われわれの著者の原理から判断して言えば、彼等の畑でない事柄に手出しをしただけに過ぎない。というのは、あらゆる政治的権力がアダムだけから発し、彼の歴代の相続人だけが、「神の命ずるところ」、「神の定めるところ」によって、これを相続したのであるならば、この権力は、一切の支配権に先行、優越するわけであり、従って、人間のこしらえた人為的な法律がこの権利、即ち、それ自体一切の法、一切の支配の起源であり、ただ、神と自然との掟によってのみ支配されるこの権利に限界を設ける権限を持つことは出来ぬからである。しかるに、神と自然との掟はこの場合何事も語っていないから、私は、むしろ、アダムから彼の代々の相続人に譲渡さるべき権利などというものはないと考えたい。また、こういう権利があったとしてもあまり役に立たないと思う。こんな権利はないと言われた方が、かえって、人々は支配とか支配者への服従とかについて迷わされないであろう。何故ならば、「神の定めるところ」という一言の下に、人為的な法律と契約は締め出されているが、実は、われわれは、この人為的な法律と契約とによって、上述の無数の難問に十分備え得るからである。しかし、先天的な神授権、しかも、世界の平和、秩序そのものと言ってもよい程に重大な神授権が、これについての明瞭な自然理法的原則、もしくは、神の啓示的な原則もなく、子孫に伝えられるということは考えられないことである。政権が「神の定めるところ」によって、相続人に伝わりながら、しかも、われわれが、誰がその相続人であるかを「神の定めるところ」によって知る方法がないならば、一切の政治は成立しなくなる。この「父の君主権」は、ただ、神授権によって相続人のものとなるのであるから、人間の知恵や考えがこれを勝手に他に移しかえる余地は与えられていない。その故は、もしも全人類の服従を要求なし得る神授権を持つ者が唯一人のみあるならば、この権利を持つことを自ら示し得る者以外の何人もその服従を要求することは出来ぬし、他のいかなる権利の主張によっても、人々の良心は服従を強いられることを肯じ得ない。このようにして、この説はすべての支配権を根底から覆す。

一二七 以上の通り、われわれの著者は、支配者は「神の命ずるところ」、「神の定めるところ」によって決って、いることを確実な論拠として、この支配者が相続人なることを縷々るるとして述べているが、この相続人が誰であるかについては、われわれの想像にまかしていることを知った。誰が「神の定めるところ」によって支配権を与えられるかを知る方法がない以上、誰にも与えられていないのと同然である。しかし、われわれの著者が何と言おうが、こんなばかばかしい授与が「神の定めるところ」によってなされた筈はないし、また、神がある人がある物を要求する権利を神聖な掟としながら、誰がその者であるか目星をつける方法を教えない筈はないし、また、相続人に権力要求の神授権を与えながら、誰がこの相続人であるかを示唆しないとは考えられない。神が相続人にこの権利を与えながら、誰がこの相続人であるかを曖昧にし、決定不可能としておいたと考える位ならば、相続人は、決して、「神の定めるところ」によって、この権利を持っているのではないと考える方が至当である。

一二八 神がカナンの地をアブラハムと、彼の死後は、彼の子孫の誰かに、漠然と、それが誰であるかを知らすよすがとなる名前さえあげずに、与えたと考えた場合、この授与がカナンの地の所有権を決定する上に役に立ったとは思えないことは、誰が相続人なるかを指名せずに、アダムと彼の歴代の相続人に支配権を与えることが、王権の決定に役立たないのと同様である。誰が相続人であるかを知る方法を示さなければ、「相続人」という言葉は、誰か知らないある人というのとあまり違わない。神は、「神の定めるところ」によって、「近親」と結婚してはならぬと禁じているが「汝ら凡そその骨肉のしんに近づきてこれと淫するなかれ」と言うだけでは十分と考えないで、その「近親」が誰であるかを知る法則を与えている。そうでなければ、どんな掟も無益である。人に束縛を加えるにも、特権を与えるにも、その対象となる人が誰であるかを知る由もない程漠然とした言葉でなすならば、何の意味もないわけである。しかし、神は最も近い相続人が彼の父の財産、支配権を相続すべしとは、どこでも言っていないから、神がこの相続人が誰であるべきかを、どこにも定めていないからといって不思議に思うにはあたらない。神が、こんなことを考えたことも、また、この意味での相続人を定めたこともないのに、神があたかもそうしたかのように、われわれが相続人の指名任命を聖書のどこかに期待することは出来ない。従って、聖書には、「相続人」という言葉はあるが、われわれの著者の言う意味での、即ち、自然の権利により、その父の所有物を独占的に相続するという意味での相続人などはないのである。サラが、イシュマエルがアブラハムの死後も家にとどまってその財産の一部に与かるようならば、この婢の子がイサクと共に相続人となるかも知れぬことを恐れたのはそのためである。それ故、サラは「この婢と其子を追い出せ。この婢の子はわが子イサクと共に嗣子となるべからず」と言っている。しかし、われわれの著者は、神が聖書で、はっきりアダムの相続人を指名していないことを弁解とすることは許されない。彼は人が集るところではどこでも、アダムの「正当な」、「最も近い相続人」が必ず一人いることを主張しているのだから、当然、相続に関する法則がどんなものであったかを述べるべき筈であった。しかるに、彼自身は、この相続人を識別する方法を教えることに甚だ控えめであったから、われわれは次に、彼が彼の主張する支配権の根拠のすべてと頼む聖書の物語が、この重な根本的な点について何を教えるか調べてみよう。

一二九 われわれの著者は、彼の著書の表題にそうように、アダムの君主権の相続に関する彼の説を次の言葉で初めている。「アダムが神の命ずるところによって、また、族長らがアダムより伝った権利によって、所有していた全世界支配の君主権の広汎なことは云々」と(『パトリアーカ』一三頁)。彼は、族長等が相続により君主権を持ったことをどういうように証明しているであろうか。彼は言う、「生殺の権については、父のユダは嫁のタマルに対し、その姦淫の故に死刑の宣告を与えた」と(同上)。どうして、ユダが死刑の宣告を下したことが、彼が絶対至上の権威を振ったことの証明になるのだろうか。死刑の宣告は、普通、下級役人の役目であって、確かな君主のしるしではない。「生殺の掟」をつくる権限は、確かに、君主のしるしであるが、この掟に従って宣告を下すのは、他の者のなすことであり、従って、ユダが至上権を持っていたことの証拠としては、甚だまずいものである。これでは、ずっと後世に、裁判官ジェフェリー(訳註:十七世紀後半の英国の裁判官、ジェームズ二世治下に起ったいわゆる「血の巡回裁判」で有名)は死刑の宣告を下したが、この故に我判官ジェフェリーは至上権を持っていたというのとたいして違わない。ここで、ユダはこれを他人から委託されてやったのではなく、自分の権限でやったのであるという反対が出るかも知れない。ユダが権限を持っていたかどうか今となっては誰にも分らない。彼は激昂のあまり自分の権限外のことまでやってしまったのかも知れぬ。また、彼は「生殺権を持っていた」というが、どうしてそれが分るのか。もし、われわれの著者が、彼がこの権力を行使したから、即ち、タマルに死刑の宣告を下したからだと言うならばユダはこれをなしたが故にこれをなす権利を持ったという証明で立派な証明として通ると考えていることを暴露するものである。ユダはまた、タマルと同衾しているが、この論法で行くと、ユダはまたこれをなす権利をも持っていたわけである。事をなすことは即ちこれをなす権利であるという論理が正しいなら、アブサロンもまた、われわれの著者のいわゆる君主の中に数えられるであろう。彼は兄弟のアムノンに同じような場合に同じように死刑の宣告を下し、これを執行させているから(『サムエル後書』第一三章二八節)、このことが生殺権の十分な証拠となるならば、彼もまた君主の中に数えられるであろう。

しかし、これが至上権の明かな証拠であることが認められても、誰がアダムから伝わった権利によって、「他のどの君主の絶対支配権にも劣らぬ広汎な君主権」を持っているのか。われわれの著者は、ヤコブの末の方の子で、その父も兄達もまだ在存命しているユダがこれを持っていたと答える。われわれの著者自身の論証が採用されるならば、弟は彼の父と兄達の存命中でも、相続権により、アダムの君主権を所有し得るわけである。そんな条件の者が、相続によって、君主となり得るならば、君主になれない者はない筈である。ユダが彼の父と兄達の存命中でもアダムの相続人の一人であるならば、この相続に与かれない者は一人もない筈である。誰でもユダ同様、相続によって君主となり得るのである。

一三〇 「戦時について言えば、アブラハムは一族の兵三百十八人の軍隊を指揮し、エサウは四百の兵を率いて弟のヤコブと対した。平時に関しては、アブラハムはアピメレクと同盟を結んだ」云々(『パトリアーカ』一三頁)と。一族三百十八人の兵を持っていれば、アダムの相続人でなければならぬのであろうか。西印度諸島の農園主はもっと多くの兵隊を持ち、自分が好むなら(好むことは疑いのないとろである)、彼等を召集し、指揮してインディアンと戦いを交え、かつてインディアンから受けた侮辱の賠償を彼等に要求することが出来るが、しかも、これはアダムから伝わる君主の絶対的支配権とは何の関係もないことである。一切の権力は神の定めるところに従って相続によってアダムから伝えられたものであって、この農園主は自分の家で生まれた家僕と金で買った家僕に対し権力を振ったが故に、彼自身も彼の権力も「神の命ずるところ」であると説明しようとしたら、人はいかにも見事な議論だと感心するだろう。アブラハムの場合が丁度これと同じなのである。族長時代の富者は、西印度諸島の農園主同様、男女の家僕を買い、これらが子を生むにつれ、また新に買入れるにつれその世帯をますます大きくして行き、彼等を戦時、平時に用いたが富者の権力は金で買ったものであって、アダムから伝来の遺産であったとは考えられない。アブラハムが彼の家僕の一隊を率いて戦いに行くことを、族長らがその君主権をアダムから伝えられたことの証拠としようとするのは、ある人が敵地に遠征する時、彼が市場で買った乗馬を、彼が「アダムから伝来の権利によって」「アダムが神の定めるところによって全世界に振っていた君主権」を所有しているとこの証拠としようとするのと同じである。奴隷の場合も、馬の場合も、主人の権力への資格は、彼がこれ等を金で買ったという事実だけに由来する。金銭や売買で支配権を得たのを相続によって得たことの証明とするのは、私には、初めての議論である。

一三一 「しかし、宣戦、講和の権限は君主権のしるしである」と。政治的組織を持つ社会ではそうであろう。しかし、その故に、自分の知己の子、自分の仲間、傭兵、金で買った奴隷などを一つの軍隊に編成して配下に持つ西印度諸島の農園主は、彼が君主、即ち、自己の指揮下にあるこれ等の者に対し絶対権を持つ王でないからと言って、必要な場合、宣戦、講和をなしたり、その布告書の批准を宣誓したりする権限を持ち得ないだろうか。持ち得ないと言う者は、船長や個人経営の農園主の多くが絶対君主であることを認めざるを得ないであろう。何故ならば、彼等は現にそれだけの行為をやっているのであるから。宣戦、講和は、政治的組織を持つ社会においては、ただ、との社会の至上権によってのみなされ得る。そのわけは、宣戦も講和も社会の向っている方向に新たな、異なった角度を与える程の影響力を持つものであって、社会の指導権を握っている者でなければ、これをなすことは出来ぬからである。政治的社会でこれをなすものは至上権だけである。当座の間だけの自発的社会では、一般の同意によってこの権力を持つ者が、宣戦、講和をなす権限を持って居り、それ故、個人も自分だけのために宣戦、講和をなす権限を持ち得る。戦争状態は戦争に参加する者の多少によるのではなく、敵意の度によるもので、紛争を裁く優越権威を持つ訴え所がない場合に起るのである。

一三二 実際の宣戦、講和という行為は、単に、自分がその利害を代表している者を敵対行為に走らせたり、これを止めさせたりする権限以外、他のいかなる権力の証拠ともならない。この権限は、多くの場合、政治的な至上権を持たぬ者でも持つことの出来るもので、従って、宣戦、講和を行う者すべてが政治的な支配者、言わんや、王であることの証明にはならぬ。もし、そうならば、共和国も君主的な政体と同様、宣戦、講和を行うから、共和国もまた王でなければならぬことになる。

一三三 しかし、一歩譲って、この宣戦、講和の権限がアブラハムの「君主権のしるし」であることを認めても、アダムの君主権がアブラハムに伝わったことの証明となるであろうか。もし、そう考えられるならば、アブラハム以外の者に伝わったことの証明としてもさしつかえないであろう。共和国といえども、アブラハム同様、宣戦、講和を行う以上、アブラハム同様、アダムの相続人となるであろう。共和国は宣戦、講和を行うが、アダムの君主権を相続してはいないと言うならば、アブラハムについても同様のことは言われ得るわけで、宣戦、講和の布告者が、アダムの相続人であるという議論は、これで成り立たなくなるわけである。もし、「宣戦、講和をなす者はアダムの君主権を相続する」という議論の方を取るならば、疑もなく、共和国はこれを行うから、ここに絶対君主権なるものは、なくなってしまう。ただ、共和国は相続によってアダムの君主権を持つ君主国であるというならば別であるが、そういう説は、世界中の支配はすべて君主的であることの証明として、前代未聞の新説であろう。

一三四 以上は、われわれの著者自身の新発明であって、別に私が彼の原理をたどって作り出して、彼に押しつけたのではないから、新発明の名誉を彼から奪わないために、彼自身が次のような、巧妙な議論によって説いている(滑稽に見えるかも知れないが)ことを諸君も知って置かれるのが適当と思う。「世界中のどの王国でも、共和国でも、君主が臣民の至高の父であろうと、至高の父の相続人に過ぎなかろうと、簒奪、選挙によって王位を得たものであろうと、また、寡頭政体だろうと、民主政体だろうと、その誰か一人に、もしくは、多数に、もしくは、万民に宿る権威は、至高の父の唯一の正当な先天的の権威である」(『パトリアーカ』二三頁)と。この「父たる権利」が「王」であることは、彼がしばしば言う通りである。このアブラハムの例の直ぐ前の頁では特にこの説明がある。われわれの著者は、共和国もこの王権を持つと主張するのであるが、共和国を支配する者が王権を持つということが正しいならば、共和国は王によって支配されているということも正しいことになる。王権が支配者にあるならば、支配者は王たらざるを得ないから。即ち、共和国は正直正銘の君主国であることになる。そうきまれば、これ以上この問題をとやかく論ずる必要はなくなる。世界中の支配権は、すべてその本来あるべき姿になる。君主権以外にはないのである。これは、疑いもなく、君主権以外の支配形態を世界から追放するための最も確実な議論であろう。

一三五 しかし、そうは言っても、アブラハムがアダムの相続人の資格で王であったことの証明にはとうていならない。アブラハムが相続によって王であったのならば、ロトは、同族出身であるが、前者が王であるという資格によって、家僕達の眼には彼の臣民であらねばならなかった筈である。しかし、実際は、彼等両人は相互に友人であり、対等であった。彼等の傭っている牧羊者が争った時両者間に支配権、優越権を主張し合うようなことはなかった。人は同意の下に袂を分ち、別々の土地に住むことになった(『創世記』第一三章)。それ故、ロトは、実際は、アブラハムの甥であったにも拘らず、アブラハム自身からも聖書の記者からも兄弟と呼ばれている。兄弟とは、友愛、対等の関係を示す言葉であって、支配と権威を示す名称ではない。われわれの著者は、アブラハムはアダムの相続人で王であるとしているが、これは、アブラハム自身も、また、彼が息子の結婚を取り決めるために派遣した家僕も知らなかったところである。知らなかったからこそ、家僕はこの結婚の有利な点(『創世記』第二四章三五節)をあげ、相手の娘とその身内の者を説いて次のように言っているのである。「われは、アブラハムのしもべなり、エホバ大いにわが主人をめぐみたまいて、大なる者とならしめ、また、羊、牛、金銀、しもべ、しもめ、らくだ、ろばをこれにたまえり。わが主人の妻サラ年老いてのち、わが主人に男子をうみければ、主人の所有をことごとくこれに与う」(三四―三六)。人の偉さを宣伝することを特別の使命として遣されたこの賢明な家僕がイサクが王位を継承することを知っていながら、これを言うことを忘れたとは考えられない。また、家僕にしろ、主人にしろ、彼の使命の達成に最も可能性を与えるこの事実が念頭にあったならば、彼が、この場合、アブラハムが王であった(王という名は、当時既によく世に知られていた。現に、彼は九人の王を隣人として持っていたのだ。)ことに言及するのを差し控えたとは考えられない。

一三六 この事実の発見は、恐らく、数千年後に、われわれの著者がなすために留保されたのであろう。だから、彼に発見者たる名誉を与えなければならぬ。ただ、このアダムの相続人がアダムの君主権だけでなく、アダムの土地のいくらかをも相続したように配慮したならよかったと思う。何故ならば、アブラハムが(われわれの著者の言う通りならば、)他の族長と同様、「伝来の権利によって所有したこの君主権は、創造以来のどの君主の絶対支配権と較べてもその広汎なことにおいてひけを取らなかった」が、彼の土地、領土は甚だ狭隘であり、サラを埋葬するためにヘテの子から野と洞穴を買うまでは、一坪の土地も持っていなかった程であるから。

一三七 われわれの著者は、族長らがアダムから伝来の権利によって、アダムの世界支配権を受けついだことを証明するため、アブラハムの例と共にエサウを例にあげているが、これが誠に愉快なものである。「エサウは四百人の兵を率い弟のヤコブに会いに来た」故に、エサウはアダムの相続人として王であったのである。われわれの著者にとっては、どういう風に集められたにせよ、四百人の兵を持つことは、その指揮者が王であり、アダムの相続人であることの立派な証明となるのである。他国のことはさておき、アイルランドにはかつてトーリー(訳註:土地を奪われた旧教徒で一種の匪賊となった者共。後のトーリー党の名の元)なる者がいたが、この連中は王と考えられる程の敬意を受けることになり、さぞ、われわれの著者に感謝したことだろう。五百人という一枚上の資格を持ち、四百人の権威を危うくする王が一人も近くにいなかったならば、特にそうであったろう。しかし、こんな重大な議論を(ごく控え目に言っても)冗談に、いい加減にあしらうのは見っともないからよそう。ここでは、エサウは、族長らがアダムの君主権、その広汎なことにおいて、どの君主と較べても、すこしもひけをとらないアダムの絶対支配権を相続したことを証明する例としてあけられている。しかも、同じ章の第一九頁で、ヤコブは「家督相続権によって兄弟に対し主人たる」者の例としてあげられている。即ち、二人の兄弟は、同じ資格で絶対君主であり、また、兄は四百人の兵を率いて弟に会ったことにより弟は家督相続権により、同時に、アダムの相続人なのである。「エサウは、アダムから伝来の権利によって、アダムの世界支配権を、どの君主の絶対支配権に較べてもすこしもひけをとらぬ位広汎に持っていた」と同時に、「ヤコブは相続人が兄弟に振う君主権によって、エサウの主人だった」のである。これでも笑わずにいられようか。しかし、私は、ロバート卿ほどの才能ある人がこんな議論をするのを見たのは、これが始めての経験である。自然、人事の本質とも適応せず、また、神が世界に建てた制度や秩序とも相容れず、従って、常識、経験ともしばしば衝突せざるを得ぬような原理をたまたま用いたのが、われわれの著者の不幸だったのである。

一三八 次の節で、われわれの著者は、「この族長の権力は、ノアの洪水までで終らず、族長という名称がなかば示しているように、洪水以後までも続いた」と言う。族長の権力が族長のあった間続いたことは、確かに、族長という名称が「なかば」以上証明している。族長が存在する間、族長の権力も存在する必要のあることは、父や夫が存在する間、父、あるいは、夫の権力の存在が必要であるのと同じである。しかし、これでは単なる言葉の遊戯に過ぎない。われわれの著者は、この言葉の遊戯によって、これから証明しようとする問題の点、即ち、族長達がアダムから伝来の権利によって、「アダムの世界支配権」即ち、アダムが万物に対し振ったとわれわれの著者が想像する絶対支配権を持っていたことを、それがあたかも事実であるかのように言う欺瞞を敢てしているのである。われわれの著者は、この絶対君主権がノアの洪水まで続いたというが、一体何の記録によって言っているのであろうか。少なくとも、私の聖書にはそんなことは書かれてない。「族長の権力」というのは、この絶対君主権のことである。そうでなければ、当面の問題とは何の関係もない言葉となってしまう。そこで、族長の名称で呼ばれる者は、絶対君主権を持つわけであるが、「族長」という名称がどうしてなかばこのことを証明することになるのか私にはわからぬ。従って、この議論がもうすこしはっきりするまでは、私はこれに答える必要はないと思う。

一三九 われわれの著者は言う、「ノアの三人の息子は、彼等の父から世界を分譲されて与えられた。何故ならば、彼等の一族は全世界に拡っているから」(『パトリアーカ』一四頁)と。「彼等の子孫は世界に拡っていたかも知れぬが、」地は分譲されなくとも満し得るものであるから、ノアが彼等に世界を分譲したとは限らない。故に、われわれの著者の議論は、分譲が行われたことの証明とはならぬ。しかし、これを認めるとしたならば、三人の中誰がアダムの相続人であったか。長兄だけがアダムの君主権を相続したのならば、他の二人は彼の「臣民」であり、「奴隷」である。三人の兄弟が共に相続したのならば、全人類も、彼等と同じ権利によって、これを相続することになり、「相続人はその兄弟の主人である」(『パトリアーカ』一九頁)というわれわれの著者の言葉は、真ではあり得なくなる。すべての兄弟、従って、すべての人は、相互に独立して対等であり、皆アダムの君主権を相続するものであり、従って、お互いに君主である。しかし、われわれの著者は「彼等の父ノアが彼等に世界を分譲したのだ」と反駁するかも知れぬ。これは、ノアに全能の神以上の力を認める考え方である。その故は、われわれの著者は(『覚書』二一一)、神でさえ世界をノアと彼の三人の息子とに与えることにより、ノアの世界家督相続権を侵害するということは出来かねると考えているからである。彼自身の言葉で言えば、「ノアは世界の単独相続人であったのだ。それだのに、どうして、神が彼の世界相続権を奪い、世界のすべての人々の中でノアともあろう者を、息子等との単なる共同借地人としたと考えねばならないであろうか」しかるに、われわれの著者は、ここでは、ノアが長男セムの家督相続権を奪い、世界を彼と彼の兄弟の間に分譲したことを適当と考えている。これでわかることは、この家督相続権は、われわれの著者の好むところに従って、ある時は、神聖にして犯すべからざるものでなければならず、ある時は、そうであってはならぬのである。

一四〇 世界を息子の間に分譲した者がノアであり、彼の彼等への領土の譲渡が有効であったとすれば、「神の定めるところ」という例の説はここに終焉を告げ、われわれの著者の「アダムの相続人」論、これに基づく一切の主張と共に全く議論の外に置かれるだろう。王の先天的な権力は崩壊し、支配権の形態も支配権を握っている者もすべて人間の命ずるところとなって、われわれの著者が言うように(『覚書』二五四)、神の命ずるとろではなくなるであろう。相続人の権利が神の命ずるところであり、神授権であるならば、どんな人も、父であろうとなかろうと、これを勝手に変えることは出来ない。また、神授権でないならば、人間の権利でなければならず、人間の権利である以上、人間の意志に支配されるものであり、人間の制度がこれを認めなければ、長子も彼の兄弟に優先して、いかなる権利も振るえないし、支配権は人々の好む人に好む形態で人々から与えられることになる。

一四一 更に、われわれの著者は、「地球上のたいていの文明国はその起源をノアの息子か甥の中の誰かに求めようと努める」と言う(『パトリアーカ』一四頁)。たいていの文明国とはどれ位あって、どの国々のことなのであるか。偉大な文明国である中華民国は、他のいくつかの東西南北の諸国と共に、このことについては一向頭を悩ましてはいないようである。聖書を信ずる国々(即ちわれわれの著者のいわゆる「たいていの文明国」)は、どうしても、自分の国がノアから来ていると信じたがるが、これ以外の国々は、ノアの息子や甥についてはあまり関心を持たぬ。しかし、各国の紋章家や好事家、(国家の起源を求めようと骨折る者はたいていこういう連中である)もしくは国家自身が、自国の起源をノアの息子や甥に求めようと骨折っても、族長達が先天的の権利によって、ノアの世界支配権を相続したことの証明にはならないであろう。諸国家、諸民族がその建国者として求める人物は、彼等が、その徳、その行いの偉大によって、子孫の間に有名であると考えている者とみなしてよいと思う。しかし、彼等は、これ以上は求めないし、また、こういう人物が誰の相続人であるかも考えない。徳と行いの偉大さによって有名な人物とは彼等にとっては、自らの徳によって高い地位に昇った者で、建国者を求めんとする後世の人々の光栄たるに足る人物をさすだけである。オギュゴス(訳註:ギリシャの伝説的な最古の王)ヘラクレス(訳註:ギリシャ神話に出る「十二の苦役」で有名な英雄)ブラフマ(訳註:インド教の神)ティムール(訳註:十四世紀の有名な征服者。アジアに一大帝国をつくる。)ファラモンド(訳註:アーサー伝説でフランスの最初の王とされている人)否、ジュピター、サターン(訳註:ギリシャ神話でジュピターより前、タイタン族時代の主神)などが、古今の多くの民族がその建国者として求めようとする名前であるとしたならば、その事が、これらの名前の者が相続によってアダムの君主権を所有したことの証明となろうか。もし、ならないなら、これはわれわれの著者の美辞麗句に過ぎず、読者を誤らせるだけで何の意味もないものである。

一四二 従って、われわれの著者が、世界の分譲について、「ある者は抽籤ちゅうせんによってなされたと言い、また、他の者はノアが十年間地中海を回航し、世界をアジア、アフリカ、ヨーロッパに三分し、三人の息子の分け前としたと言う」(『パトリアーカ』一五頁)と言っているのもあまり意味のある言葉ではない。これによってみると、アメリカは、これを掠奪する者のために残して置かれたらしい。何故、われわれの著者がノアによる三人の息子への世界の分譲の証明にこれ程骨折っているのか、何故、無造作に夢も同然な空想を拾い上げて、それで自説を有利に導こうとするのか、私は了解に苦しむ。この分譲ということに何らかの意味を持たせようとすると、三人の兄弟が皆アダムの相続人だというなら別であるが、そうでなければ、却って、アダムの相続人という資格は消滅することにならざるを得ない。従って、「その方法は、はっきりしていないが、分譲が、ノアと彼の息子達から出た家族によってなされ、その場合、親が一族の首であり、君主であることは確実である」という彼の言葉は、たとえ、それが正しくて、一切の権力が「先天的の権利によって相続されるアダムの君主権」に他ならぬことの何等かの証明となるにしても、せいぜい子供達の父は誰も皆このアダムの君主権の相続人であることを証明する位が関の山であろう。当時、長兄セム以外に、ハムもヤペテも他の親達も、一族の首であり、君主であって、彼等の間で地球を分割する権利を持っていたとするならば、末の弟達も一家の父である以上、同じ権利を持っていていけない理由はない。たとえ相続人たる資格は長兄にあっても、子に伝わる権利によってハムも、ヤペテも君主であったとするならば、末の弟達も同一の権利によって君主である筈であり、われわれの著者のいわゆる王の先天的の権利は自分の子供達以上の範囲には及ばないことになるし、また、この先天的の権利によって得られる王国は自分の家族の大きさしかないであろう。このアダムの世界支配権は、われわれの著者の言うように(『パトリアーカ』一九頁)、先天的の権利によって長男にだけ伝わり、従って、これを相続する者は一人しかあり得ないか、さもなければ、すべての子供達に同等に伝わり、従って、ノアの三人の息子に限らず、一家の父たる者は誰でもこれを持っていたと考えられるかである。いずれにしてもこれによって現在世界に存在する支配権や王国などは崩壊することになろう。何故ならば、誰が当然の権利によって、この天賦の王権を相続していようと、その者は、われわれの著者が先に述べたカインの場合のように、彼の弟達の主人として、従って、全世界の唯一の王としてこれを持っているのか、さもなければ、ここに述べられてあるセム、ハム、ヤペテの三人の兄弟の場合のように、自分達の家族に対してのみこれを持ち、従って、各家族は相互に独立しているのか、いずれかと考えなければならぬ。全世界が最も近い相続人の権利によって唯一の帝国をつくっていると考えるか、さもなければ、すべての家族が一族の親に伝わるアダムの君主権によって各々独立した自治団体であると考えなければならぬ。われわれの著者がここでなしているアダムの君主権の相続に関する証明は、すべての方向を取っている。彼はつづけて次の如く述べている。

一四三 「われわれは、世界のすべての王国を通じて、玉権の確立は、これをバベルの塔の民族離散の中に求めなければならぬ」と(『パトリアーカ』一四頁)。われわれの著者がどうしても求めたいというならば、よろしい、一つやってもらいたい。新しい歴史を紹介してもらえることであろう。しかし、われわれがこれを信ずるためには、王権がわれわれの著者の原理によって確立されたことを示してもらわねばならぬ。何故ならば、王権が王国に確立されたことは誰も異存のない事実と思うが、その王国の王がアダムから伝来の権利によって王冠を得ているということは、疑わしいというより全く不可能であると思う。われわれの著者の君主権擁護論がバベルの塔の民族離散を仮想する以外に何の根拠を持たぬならば、彼がこれを基礎としてその上に建て、その頂点を天まで届かせて、全人類を結合させようとした絶対君主権も、徒に、バベルの塔そのものと同様、人類を分裂離散させ、混乱を招くに役立つだけであろう。

一四四 分裂して出来た国家は、各々父を支配者に持つ家族であるとわれわれの著者は言うが、これによると、バベルの混乱の際も、「神は多数の家族に従って多数の言語を分布し、父権の存続を計った」(『パトリアーカ』一四頁)ようである。われわれの著者以外の者には、彼がここに引用した聖書の一節を、これ程はっきり、「神は父権の存続を計った」という意味に解釈することは困難であろう。聖書の文句は、「これ等はセムの子孫にして其のやからと其のことばと其の地と其の国にしたがいて居りぬ」(『創世紀』第一〇章三一節)である。聖書は、ハム、ヤペテの子孫の名を列挙した後、彼等についても同じことを言っている。しかし、支配者、支配形態、父たる身分、父権などについては一言も触れていない。然るに、他の者が一べつさえ得られないのに、われわれの著者は、「父たる身分」を捜し出す慧眼を持ち、彼等の支配者は父たる身分を持つ者であり、神はこうして父権の存続をはかったとはっきり言う。何故であるか。それは、同一家族の者は、同一の言語を用い、従って、離散の時もいっしょであったと考えざるを得ないからであるそうであるが、それでは、まるで、ハンニバルが雑多の民族からなる彼の軍隊の中、同一言語を用いる者をいっしょにし、各隊の隊長を父とし、父権の存続を計ったというに等しい。あるいは、イギリス、フランス、スコットランド、ウェールズが同時にカロライナ州に植民した時、これ等の国々が「其のやからと其の言葉と其の国にしたがって」分けられ、従って、「父権」の存続に注意が払われたというに等しい。あるいは、また、アメリカ各地の小部族は各々異なった言語を持つ独立の国民であるが故に、「神は父権の存続を計った」、あるいは、「それ故、彼等の支配者は当然の権利によって、アダムの君主権を相続した」と推論するに等しい。しかし、誰が支配者であり、支配形態がどのようなものであったかはわかっていないのであり、ただ、彼等が異なった言語を話す独立の小さい社会に分れていたことだけがわかっているのである。

一四五 聖書はただ、人類が異なった言語、国家に分れるに至った次第を述べているだけで、支配者についても、支配形態についても何も言ってはいない。それ故、聖書が何も言っていないのに、「父たる身分の者が彼等の支配者である」とはっきり言うのは、聖書を権威とした議論の名に背くものである。記録が全く黙しているのに、自信たっぷり事実であると主張するのは、頭に描いた妄想を世間に掲げるだけのことに過ぎないのである。「彼等は首領も支配者もない雑然たる群集でもなく、勝手な支配者、支配形態を選択する自由を持つ者達でもなかった」という爾余じよの言葉も、同様、空想に基礎を置くものである。

一四六 ここで、われわれの著者に尋ねたいが、人類がまだ一つの言語を話し、シナルの平原に集っていた時、彼等は「当然の権利によってアダムの君主権を相続した」一人の絶対君主の支配下にあったのか。もし、そうでなければ、当時、人々がアダムの相続人について何も考えていなかったこと、この資格に基づくいかなる支配権も知っていなかったこと、神も人もアダムの父権について何の考慮も払っていなかったことなどは明かである。人類が一つの国民をなし、いっしょに住み、一つの言語を話し、いっしょに都市の建設にはげんでいた時、更に、セムはバペルの塔の民族離散よりはるか後、イサクの頃まで生きていたのであるから、彼が正当の相続人であることが知られていない筈はなかった時に、もし、彼等が、相続人に伝わる「アダムの父たる身分」の君主的支配下にいなかったならば、「父たる身分」は、一向考慮を払われなかったわけであるし、アダムの相続人が絶対君主権を持つことも、セムがアジアに帝国を持っていたことも、従って、われわれの著者の言うように、ノアによって世界が分割されたことも認められていなかったことは明かである。この点について、聖書から推論されるところでは、もし、人類が当時何等かの政治を持っていたとすれば、それは共同国家であって、絶対君主国ではなかったということである。聖書は言う、(『創世記』第一一章)、「彼等言いけるは、(彼等という文字は、バベルの都市と塔の建設は一人の絶対君主の命令によるのでなく、多数の者と自由な国民の協議によったことを示す)われ等町を建て(即ち、彼等は自由民として自分のために建てたので、主人のために奴隷として建てたのではない)全地のおもてに散ることを免れん」と。更に、都市の建設が終ると、彼等は、彼等自身と家族の定住する住居を定めた。これは分散する自由を持ちながら、一団となることを好む一国民の協議と計画を示す事実で、一人の絶対君主の支配下に縛られている人々には必要でもなければ、また有りそうにもないことである。もし、われわれの著者の言うように、これ等の人々が一人の君主の絶対支配権下にある奴隷であるとするならば、彼等は、この君主の支配の外に迷い出ないように自ら注意する必要はなかったであろう。このことは「父権」とか「アダムの相続人」とか以上に聖書中で明かではなかろうか。

一四七 神が言うように、(『創世記』第一一章六節)「人類が一国民であり、」一人の支配者、即ち、天賦の権利による王を絶対者、至上者として彼等の上に戴いていたとして、もし、神が人類を、急に異なった支配者を持つ七十二の異なった国家(七十二という数字は、われわれの著者の数字である)にわけ、彼等を一人の絶対君主への服従から解放したとするならば、「神は至上の父の父権の存続に」如何なる「注意を払った」ことになるであろうか。神の注意関心に対するこのような解釈は、自分に都合のよい曲解である。神が「父権」の存続を父権を持たざる彼等によって計るとは、一体どういう意味なのであろうか。もし、彼等が一人の至上の君主の支配下にある臣民であったならば、人類の分散と同時に神がその天賦の君主から真の「至上の父たる身分」を奪い去る時、彼等はいかなる権威を持ったことになるのであろうか。神が「父権」の存続のため、各々支配者を持つ数個の新しい政治組織を起しながら、これ等の支配者が皆「父権」を持ち得なかったという言葉は合理的な言葉と言えるであろうか。むしろ、「父権」を持つ者が支配権を彼の数人の臣民の手によって粉砕され、分割さるのを、神がだまって眺めている時、神は「父権」を破壊しようとつとめたという方が理性的な言い方であろう。また、君主権がみじんに砕かれて、蜂起した臣民に分割された時、神は安定した帝国を寸断して無数の小政治体に分けることにより君主権の存続を計ったと言うのは、同じように、不合理な君主的支配の擁護論になるのではなかろうか。今存続しているものは、神が存続することに意を用いたもの、従って、人々によって必要且つ有益な物と見做さるべきものであると言ったならば、これは、一種独特な言い方で、誰も模倣してよい言葉とは思わぬであろう。しかし、例えば、バペルの塔の時、セムは一国民をなす全人類に対し「父権」、即ち、「父たる権利」による至上権を振っていたが、次の瞬間、セムが存命中にも拘らず、他の七十二人が七十二の異なった支配に分れたこの同じ臣民に対し「父権」即ち、「父たる権利」による至上権を振っていたというのはとうてい正しい言い方とは言えない。この七十二の父が、バベルの塔以前、実際に、支配者であったか、そうすると、神は人類は一国民だったと言うが(『創世記』同上)、それは、一共同国家の意味であったのか、(その場合、絶画君主権はどうなるのであろうか)あるいは、彼等七十二父が「父権」を持っていながら、これを知らなかったのかのいずれかである。「父権」が人類の唯一の支配の起源でありながら、誰もこれを知らなかったとはいかにも不思議なことである。彼等が言語の混乱によって急にこれを知ったことは、また、七十二父が一瞬にして自分が父権を持つことを知ったことは、そして他の者がこの七十二人の「父権」に、しかも各自の父権に従うべきことを知るに至ったことは更に不思議なことである。これが聖書による論法ならば、自分の好み、自分の利益に最もよく合致するどんなユートピアの模型も聖書からつくりだせるであろう。「父たる権利」がこういう取り扱いを受けるということは、君主が世界的君主権を主張することも、また、彼の臣民が一家の父であることにより、彼への隷属をやめ、彼の帝国をより小さい自分自身の国家に分割することも両方ともに認められていることを示すものである。というのは、われわれの著者が、当時なお存命中であったセムが支配権を握っていたのか、それとも、やっと彼の領地内で彼の臣民に対し七十二の新帝国を起したばかりの七十二人の父達が支配権を握っていたのかを決定しない限り、父権がこのいずれにあるかは、永久に疑問として残るであろうから。われわれの著者によれば、両者とも(至上なる)父権を持ち、また、「相続によって得られ、その広汎な点においてどの君主の絶対支配権に較べてもひけを取らぬアダムの君主権」を持つ者の例としてあげられているのである。神が新に興った七十二の国家によって父権の存続を計ったとするならば、必然的に、神はアダムの相続人の権利すべてを破ろうと努めたと考えざるを得ない。何故ならば、セムは存命中であり、人類は一つの国民であったから、正当の相続人(もし神がこういう相続権を定めていたとしたら)は誰だか知るまいとしても、知られざるを得ないわけで、それにも拘らず、神は、アダムの相続人となり得ない少なくとも、七十一人の者によって父権の存続に意を用いたわけであるから。

一四八 次にわれわれの著者が族長の権力の例としてあげるのはニムロッドである。しかし、何故かわからぬが、われわれの著者はニムロッドにあまり好意を持たぬようで、「彼は道義を無視して暴力で他人の家長権を掠奪し、自己の領土を拡張した」と言う(『パトリアーカ』一六頁)。この「家長」とは、バベルの塔の記事で「家族の父」と呼ばれているのであるが、「家長」とか、家族の父」とかが何であるかが分ることが大切で、その名前などはそう重要ではない。この父権は、彼等がアダムの相続人として持つものであるか、肉親として子に対し持つものであるかのいずれかであるが、前者の場合は、七十二人はおろか、同時には、一人以上は存在し得ないし、後者の場合は、すべての父は彼の子に対し、七十二人と同じ権利により、同じ位広汎に「父権」を持ち、自分の子孫に対し独立君主であると考えなければならぬ。家長の意味をこういう風に解釈すれば、「この意味でニムロッドは絶対君主権の創始者、あるいは、建設者と言われ得る」(同上)という言葉は絶対君主権の起源の説明としてなかなかうまいものである。「この意味」とは、道義を無視し、暴力で父権を掠奪することであるが、父権は天賦の権利によって与えられているものであるから(そうでなければ、七十二人がこれを得ることは出来ぬ)、誰も、父の同意を得ない限り、これを奪うことは出来ない。そこで、私がわれわれの著者と彼の一派に考えてもらいたいことは、このことは他の君主にはどの程度当て嵌まるのかということと、また、彼のこの一節の結論によれば、このことは、自分の家族以上に及ぶ支配権を持つ者の王権を、圧制と簒奪、あるいは、臣民の同意というのとほとんど変らぬ家長の選択と同意に帰してしまうことになりはせぬかという点である。

一四九 次の節で、われわれの著者があけるエドムの十二人の公爵、アブラハム時代に、アジアの一隅にいた九人の王、ヨシュアに滅ぼされたカナンの三十一人の王などの例と、彼が一生懸命証明しようとするこれ等の者達は至高の君主であり、当時のすべての都市は王を持っていたという主張は、却って、王の資格をなすものは、「当然の権利によってアダムの君主権を相続すること」ではないことを証明している。もし、王が「アダムの君主権」によって王位を得るならば、唯一人の王が全人類に王であるか、さもなければ、一家の父たる者はすべてこれ等の王同様に君主であり、王位に対し同様立派な権利を持つか、そのいずれかの筈である。イサウの子がすべて、末子も長男同様に、「父たる権利」を持ち、彼等の父の死後、至高の君主であったならば、彼等の子供達も、彼等の死後、同じ権利を持っていたわけである。これは、子々孫々に至るまで同じである。このことによって、天の父権の及ぶ範囲は、自分自身が儲けた子孫だけに限られる。この権力は、各家族の首長の死と共に消滅し、これに代って起る各々の子がその子孫に振う同様の父権に道を開く。こういう風にして父権は存続し、また、その存在の意味も明かとなるが、われわれの著者の都合のよいようには決してならないだろう。また、彼のあげるどの例も、これ等の王がアダムの父権の相続人としての「父たる資格」で、あるいは、自分自身の父権で、何等かの支配権力を所有していたことの証拠とはならない。アダムの「父たる身分」は全人類をば支配し、一度に一人がこの相続を受け、その一人がこれを彼の唯一人の正当の相続人に引き渡すことが出来るだけで、この権利による王は世界に一時期に唯一人しか存在し得ない。もし、アダムから伝来されたものでない方の「父権」によるならば、それは、彼等自身が父であることによってであり、その権力の及ぶ範囲は自分の子孫以外にはない。故に、このエドムの十二の諸公爵、アブラハムの隣人たる九人の王、ヤコブとイサウと三十一人のカナンの王、アドニベセックに殺された七十二人の王、ヴェナダッドに来た三十二人の王、トロイと戦った七十のギリシャの王が、われわれの著者の主張するように、皆至高の君主であったならば、彼等は、自分の子孫以外にも権力を持っていたのであるから、「父たる権利」以外にその権力の源を持っていたことは明かである。このことは、彼等がことごとくはアダムの相続人ではあり得なかったことを証明する。「父たる権利」による権力への主張を、誰の場合にしろアダムの相続人としてか、あるいは、自分の儲けた子の親としてか以外に考えられようか。上にあのように羅列された多くの君主の誰かが、これらの資格の中のいずれかによって権威を振っていたことをわれわれの著者が示すことが出来るならば、彼の主張を認めてもよい。しかし、これ等の者は、彼が彼等を引用して証明しようとする、「アダムの世界支配権は天賦の権利により族長達に伝わった」という主張と、無関係、否、正反対であることは明かである。

一五〇 われわれの著者は、「族長の支配は、アブラハム、イサク、ヤコブを通じてエジプト虜囚時代まで続いた」(『パトリアーカ』一六頁)と述べた後、「この明かな足跡をたどって父の支配権を跡づけると、それは、イスラエル人がエジプトに来て、彼等より強大な君主に隷属することになり、至高の族長の支配権の行使が一時中絶されるまで続いたことが分かる」と言う(同一七頁)。われわれの著者の言う意味の父の支配権、即ち、アダムから伝来の父たる権利によって行使される絶対君主権の明かな足跡とは何を指すのか。われわれが以上に見て来たように、実はこの二二九〇年間何の足跡もなかったのである。われわれの著者は、この期間中に「父たる権利」によって王権を主張、行使した者の例にしろ、王であってアダムの相続人であった者の例にしろ、一つとして示すことは出来ないようである。彼の示す証拠は、せいぜい、この時代に父、あるいは族長、あるいは王があったという程度のものである。この父なり、族長なりが、多少とも絶対的、恣意的な権力を持っていたか、あるいは、彼等がどんな資格によってどの程度に彼等の権力を振っていたかについては、聖書は全く何も語っていない。彼等が「父たる権利」によって支配権に対しいかなる資格をも主張しなかったこと、また主張し得なかったことは明かである。

一五一 「彼等より強大な君主に隷属することになり、至高の族長の支配権の行使が一時中絶された」という文句は、私が前に族長の司法権ないし支配権とは正しい表現ではないのでないかと言った疑問の間違いでなかったことを証明するだけで、われわれの著者自身においても、彼がこの言葉でほのめかそうとする父権、王権、即ち、彼がアダムが持っていたと考えるところの絶対君主権を意味するものではない。

一五二 「族長の支配権」が「絶対君主的支配権」であるならば、イスラエル人をその主権的支配下に置く王がいたのであるから、「族長の支配確はエジプトで中絶された」とは言い得ない筈である。もし、「族長の支配権」が「絶対君主的支配権」でなく、何か他のものならば、われわれの問題と無関係の権力について、何故これ程やかましく論ずるのであろうか。「族長」が「王」の意味であるならば、イスラエル人がエジプトにあった間、「族長」の支配権の行使は決して中絶されてはいない。成程、王権の行使が、当時も、私の知る限りでは以前も、アブラハムの「約束の子孫」の手中になかったことは確かであるが、これは「アダムから伝来の王権」の中絶とは何も関係のないことである。もっとも、このアブラハムの選ばれた子孫がアダムの君主権を相続する権利を持っていたことを主張しようとするならば問題は別である。そして、バベルの塔の混乱の時、イサウの父権の存続を託された七十二人の支配者の例もこの主張以外には何の役にも立たない。ヤコブの子孫が至上権を持たなかった間、いつも族長の支配権が中絶されていたとするならば、何故、彼等が真の「族長の支配権」の行使の例としてイシュミールの十二人の子である君主たちと共に、並びにエドムの公爵たちがアブラハム、イサク、ヤコブらと共にあげられているのであろうか? 恐らくは、至上の族長支配権は中絶されたのみならず、エジプトにおける隷属時代以来世界から失われたのであると思う。そのわけは、あの時以後は、アブラハム、イサク、ヤコブなどいう族長達から継承した相続権として、そういう至上権を振った者は発見されがたいからである。しかし、君主的支配権がパロ(エジプトの王)の手中にしろ、あるいは、誰の手中にしろあっても、十分われわれの著者の用を便じたであろうに。われわれの著者が何を言おうとしているかを知ることはいつもやさしくはないが、特にここでは何を狙って、「エジプトにおける至高の族長の支配権の行使中絶」を云々するのか、このことがどうして族長にしろ、誰にしろアダムの君主権を相続したことの証明に役立つのかを推測するに困難である。

一五三 私は、われわれの著者が、これまで聖書を引用して来たのは、父権を根拠とするアダム伝来の君主的支配権の証拠や例をあげるためであって、一国民を形成してから、長年月を経た後に始めて王を持つようになり、また、王を持つようになってからでも、王がアダムの相続人、即ち父権によって王であったという記録は一字も持たぬユダヤ人の歴史を述べるためだったのではないと承知していた。私は、彼があれ程聖書について語っているところを見れば、彼はアダムの「父たる権利」への資格がはっきりして居り、また、アダムの相続人として臣民に対し父権を所有し、これを行使した一連の君主を聖書から例証し、これこそ真の父の支配であると示すものと期待していた。しかるに、われわれの著者は、族長達が王であることも、また、王も族長もアダムの相続人であることも、否、彼等が相続人たることを主張したことさえも証明してはいない。族長はすべて絶対君主であること、族長と王の権力は父権に過ぎないものであること、そして、この権力はアダムから伝わったこと、これ等の命題がすべては、われわれの著者が聖書から引用列挙した多くの王のどれかで証明される位なら、西印度諸島の多くの小国の王に関するファルディナンド・ソトー(訳註:スペインの軍人(一四九六―一五四二)南北アメリカ、ペルー西印度諸島などの探検家)の雑然たる記事によってでも、あるいは、最近の北アメリカ州の歴史のどれからでも、あるいは、われわれの著者のあげているホメーロスに出るギリシャの七十人の王によってでも立派に証明されよう。

一五四 恐らく、われわれの著者はホメーロスやトロイ戦争には触れなかった方がよかったであろう。彼は、真理か、絶対君主権かに熱心なあまり詩人や哲学者に毒づいて彼の著書の序文で、「最近、哲学者や詩人の説に倣って、いくばくかの自由を約束するような支配権の起源を見つけ出し、キリスト教を汚し、無神論を流行させて喜んでいる連中があまり多過ぎる」など、言っている程である。しかるに、キリスト教徒であるわれわれの熱烈な政治論者は、異教徒の哲学者のアリストテレスや異教徒の詩人のホメーロスでも、自分に都合のよい時は、これを斥けないのである。そしてその結果が、いわゆる「キリスト教を汚し、無神論を流行させる」ことになるのではないか、御一考を煩わしたい。ただ私が見のがし得ない事実は、明かに真理の為に筆を執っていない著者共が、いかに利害や党派心に駆られるあまりに、ともすれば彼等の目論見にキリスト教をかついでだしに使い、彼等の思想には、よく吟味せずには屈服もしない、また彼等のノンセンスを盲目的にうのみにもしない人達を無神論者呼ばりすることである。しかし、聖書に戻って、われわれの著者は、更に、「イスラエル人がエジプト虜囚から戻った後、神は彼等に対する特別の情愛からモーゼとヨシュアを選び、彼等を相次いで至高の父の地位において君主として支配させた」と言う(『パトリアーカ』一八頁)。彼等が「虜囚から戻った」のが真であるならば、戻った先は自由の状態でなければならぬ。これは、虜囚以前も、その以後も自由であったことを意味する言葉である筈である。もっとも、われわれの著者がただ主人を変えることを、あるいは、一の奴隷船から他の奴隷船に移されることを「虜囚から戻る」と言い張るなら別である。そこで、彼等が、真に、「虜囚から戻った」とするならば、われわれの著者が、彼の序文においていかに正反対の言葉を言おうとも、当時、子と臣民と奴隷の間には差別があったと考えられていたこと、また、エジプト虜囚時代以前の族長も、以後の支配者も彼等の子と臣民を彼等の財産の中に数えもしなければ、また、他の物品並みに絶対的支配権を以って取り扱ったのでもないことは明かである。

一五五 このことは、ヤコブの場合に明かに認められる。ルベン(ヤコブの子)は、彼の二人の子を人質としてヤコブに与えることを申し出たし(『創世記』第四二章三七節)し、ユダ(ヤコプの子)は、ベンヤミン(訳註:ヤコブの末子でヤコブの愛していた子、エジプトに抑留される)がエジプトから安全に戻ることを保証し請負った(同第四三章九節)。もし、ヤコブが、財産の所有者として彼の牛や驢馬に振うような権力を自分の家族の各員に振っていたならば、こんな措置を取るのはみな無駄で一種の真似事に過ぎなかったであろう。また、ルベン、もしくは、ユダがベンヤミンの無事帰還のためになした人質や保証の申出は、丁度人が主人の羊群から二匹を取り出し、その一匹を、他の一匹を安全に戻すことの保とし提供するようなものであった。

一五六 虜囚から戻って、彼等はどうしたか。「神はイスラエル人への特別の情愛から云々」と。われわれの著者は、彼の著書のここだけでは、神が臣民を可愛がったことを認めているが、結構なことである。ほかでは、いつも、神は君主を除いては、いかなる人間も可愛がらないような、また、爾余じよの人間は、君主達の意を迎え、彼等の役に立つ家畜としてつくられたかのような口吻であるから。

一五七 「モーゼとヨシュアを選び、彼等を相次いで君主として支配させた」と。われわれの著者は父権と「アダムの相続人」とに対する神の保護を証明するために、神が、神の選民を大切にすることの意志表示として、父権に対しても、「アダムの相続人」に対してもすこしの主張もなし得ないこれ等両者(レビ族のモーゼもエフレム族のヨシュアも父たるの資格はいささかも持っていなかった)を彼等の君主に選んだとは、いかにもするどい(反語)議論を見つけ出したものである。しかし、われわれの著者によれば、モーゼもヨシュアも至高の父の地位にあるのである。神がどこかで、モーゼやヨシュアを選んだことをはっきり宣言したように、至高の父を支配者に選んだとはつきり言っているならば、モーゼやヨシュアが「至高の父の地位にあった」と信じてもよい。しかし、これまでの証明では、この点はまだ問題であり、モーゼが神により、神の選民の支配者に選ばれたことが、アダムの相続人、もしくは、「父たる身分」の支配権所有の証明にならないのは、レビ族のアロンが司祭に選ばれたことが、アダムの相続人、もしくは、「最初の父」が司祭の職を占めることの証明にならないのと同じである。神は、アロンを司祭に、モーゼをイスラエルの支配者に選んだが、このいずれもアダムの相続人、あるいは、「父たる身分」としての彼等に与えられたのではないから。

一五八 われわれの著者はつづいて、「同様に、彼等の後、神は一時士師達を登用し、非常時に際し神の選民を守らせた」と言う(『パトリアーカ』一八章)。この文句が、支配の起源は父権にあること、父権はアダムから彼の相続人に伝わったことの証明としてなっていないことは、これまでの場合とあまり異ならない。ただ、われわれの著者は、ここで、当時イスラエルには士師以外には支配者はなかったのであるが、彼等が、非常時に際し、国を守るために将軍に任ぜられた武勇ある者に過ぎぬことを認めているようである。「父たる身分」が支配権への資格を持つのでなければ、神はこれ等の者を支配者の地位に昇げることは出来ぬのであろうか。

一五九 しかし、われわれの著者は、「神がイスラエルに王を与えた時、神は一時失われていた直系相続人の父権支配に対する古い、最初の権利を再び確立した」と言う。

一六〇 神はどうしてこれを再び確立したのか。掟によってか、明確な命令によってか。どこにも、そんな掟も命令もない。それでは、神がイスラエル人に王を与えた時、王を与えるという事実そのものの中に、これを再び確立したという意味なのであろうか。直系相続人の父権支配に対する権利を再び確立するとは、ある人をして、彼の祖先が所有し、彼自身も直系相続によって資格を持つ支配権を持たせることである。何故ならば、一つの理由は、もし、これが祖先の所有した支配権と別のものならば、それは、「古い権利」の相続ではなく、新しい権利を創設することであるから君主がある者に自分の一家が過去数代にわたって奪われていた世襲財産に加えて、彼の祖先がかつて持ったことのない別の財産をも与えたとすれば、この場合、「直系相続人の権利を再び確立した」と言われ得るのは、彼の祖先がかつて持っていた部分に対してだけである。従って、イスラエルの諸王がイサク、ヤコブ以上の権力を持っていたとするならば、これは、ある権力に対する相続権を彼等に再び確立したことではなく、この権力を「父権」と呼ぼうが、呼ぶまいが、その名前の如何に拘らず、別の新しい権力を与えたことになるのである。イサクやヤコブの権力がイスラエルの諸王のそれと同じであったかどうか、私は、以上述べて来たところによって、読者の判断にまかしたいと思う。恐らく、アブラハムもイサクもヤコブも王権は全く持っていなかったことが発見されるであろう。

一六一 次に、ある物に対する所有権を与えられる者が、被相続人を相続する権利を持つ、彼の正しい、最も近い相続人でないならば、この物に対し、最初の古い直系相続権が再び確立されたとは言い得ないだろう。ある家族に新しく始まるものを再確立などと言われようか。また、王位が、これを相続する資格のない、そして、直系相続が続いたとしたら、とうていこれを要求する可能性も持たぬ者に与えられた場合、「古い直系相続権の再確立」と言われ得るだろうか。神がイスラエルに与えた最初の王であるサウルは、ベニヤミン族であったが、「古い最初の直系相続権」はサウルにおいて「再び確立された」のであろうか。次のダビデは、ゼッシの末子でヤコブの第三子たるユダの子孫であるが、「古い最初の直系相続権」は、ダビデにおいて「再び確立された」のであろうか。あるいは、彼の末の子で王位継承者たるソロモンにおいて「再び確立された」のであろうか。イスラエルの十族を支配するヤラベアムにおいて、あるいは、六年間王位にあったが、王家の血統とは何の関係もない一女性なるアタリアにおいて「再び確立された」のであろうか。もし、これ等の者において、あるいは、彼等の子孫において、これが再び確立されたのならば、上の兄だけでなく、末の弟も父権支配に対する「古い最初の直系相続権」を持つことになり、従って、生存している者ならば誰にでも、再び確立されるわけである。そのわけは、弟達が「古い最初の直系相続権」によって兄達と同様に所有し得るものは、生存している程の者ならば誰でも、直系相続権によってこれを所有する権利を持つからである。ロバート卿にだってこの権利はあるわけである。このように、われわれの著者は、王位の権利と相続を確保するため、彼のいわゆる「父権支配」、もしくは、「王権支配」に対する直系相続権という、実にすばらしい権利を、誰でも所有し得る世界に、わざわざ再び確立したわけである。諸君、どうであろうか。

一六二 しかし、われわれの著者は、「神は、ある特定の者を王に選ぶ時、その任命の言葉の中には、父の名を挙げるだけであるが、子孫も父の中に十分含まれるものとして、子孫もその利益に与かるように意図しているのである」(『パトリアーカ』一九頁)と言う。これは、相続権の肯定の足しにはならぬ。何故ならば、彼の言うように、被任命者の子孫も任命に伴う利益に与かるのであるとすると、相続権の行方はこれによって決定されぬだろうから。ある者と彼の子孫全体がある物を与えられるということは、子孫の特定の一人がこの権利を独占することでなく、一族の誰でもがこれに与かる同等の権利を所有していることを意味する。今になって、われわれの著者が子孫というのは相続人のことだというならば、彼は、はっきりと相続人という言葉を用うべきであったと言いたい。それを用いなかったのは、都合が悪かったからである。ダビデの王位を即いだソロモンはダビデの相続人ではなかったし、ソロモンを継いでイスラエルの十族を支配したヤラベアムもソロモンの子孫ではなかった。それ故、われわれの著者には、神が正当の相続人に相続権を与えるように意図したと言明することをわざと避けた理由があったのである。即ち、反対や非難の余地のない相続権によって世襲継承が行われることが、どうしても難しかったからだ。それだから、われわれの著者は、相続については未決定のままにして、何も言わないのと同じ印象を与えているのである。アブラハムと彼の子孫がカナンの地を与えられたように、ある人と彼の子孫が王権を与えられたということは、彼等が皆王権に対し資格を持っていたことではなかろうか。皆これに与かったことではなかろうか。神がある人と彼の子孫に支配権を授与した時、彼等の中の一人だけが独占的にこの支配権を握るべきだというのは、神がアブラハムと其の子孫に授与したカナンの地を彼等の一人が独占的に所有すべきだと言うに等しい。

一六三 しかし、われわれの著者は、「神がある特定の者を王に選ぶ時は、いつも、子孫(というのはこの特定の者の子孫であろう)もその利益に与かるように意図した」ことをどう証明しようとするのであろうか。同じ節で、「神が特別の情愛から君主に選んで支配権を与えた」と言うモーゼやヨシュアのことも、神の登用した士師達のことももう忘れてしまったのであろうか。「至上の父権」を持つこれ等の君主は王と等しい権力を持っていたのではなかったのか。彼等は特に神に任命されたにも拘らず、彼等の子孫は、ダビデやソロモンなみにこの利益に与かることを許されていなかったのであろうか。これ等の者が神から直接父権を与えられていたならば、何故、彼等の子孫はこの権力の継承によって、この任命に伴う利益に与からなかったのか。もし、彼等がアダムの相続人としてこれを持っていたとするなら、何故、彼等の死後、彼等の相続人はアダムから伝来の権利によってこれを所有しなかったのか(伝来と言うのは、彼等は相互に相続し合うことが出来なかったからである)。また、モーゼ、ヨシュア、士師達の権力はダビデや列王の権力と同じで、同じ起源から発したのか。しかも、一方では、それは不可避的であり、他方ではそうではないのか。この権力が父権でないならば、神の選民は、父権を持たざる者によって支配され、支配者はこれがなくてもやって行けたわけである。また、この権力が父権であり、神がこれを行使すべき者を選んだのならば、「神はある者を至高の支配者(この場合、王という名称はなんら意味はない。問題は名称でなく、権力そのものである)に選ぶ時は、いつも、彼の子孫もこの利益に与かるように意図している」というわれわれの著者の原理は妥当しない。何故ならば、彼等がエジプトから戻ってからダビデの時代まで四百年間、イスラエルを治めた士師達の間で、父が死ぬと、その子が支配権を継承する仕組を持つ程十分には、子孫は父の中に含まれていなかったから。もし、これを避けて、神はいつも継承者を選び、彼に「父権」を移譲し、他の子孫がこれに与かることを禁じたというならば、これはエフタの物語(『士師記』第一〇章)と明かに一致しない。エフタは臣民との契約により彼等の士師に選ばれたことは明かであるから。

一六四 故に、士師達の権威が彼等の死と共に終り、彼等の子孫に相続されなかったところをみれば、「神がある特定の者を選び、彼に父権を行使させる(というわけは、父権の行使が王たることを意味されないならば、王と父権を行使する者との相異は、一体、どこにあるのであろうか)時は、いつも、彼の子孫もその利益に与かるように意図している」(訳註:一六二節の最初参照)と言うのは、無意味である。士師達が「父権」を持っていなかったとすれば、一体、当時誰がイスラエル人の間で、「父権」、即ち、支配権と至上権を持っていたのだろうか、われわれの著者か、彼の原理の信奉者にこれを教える労をとってもらいたいものである。恐らく、彼等は、神の選民は、数百年間、「父権」について何の知識も考えも持たず、また、君主的支配権らしいものの片鱗さえ持たなかったことを認めざるを得ないであろう。

一六五 このことについては、われわれの著者は、『士師記』の最後の三章にあるレビ人の歴史と彼等のベニヤミン人との戦の記事を読めば、納得がゆくであろう。レビ人は人民に裁きを訴えていること、また、討論し、決議し、議事を指導したのは各族からの会衆であったことを知れば、神は己れの選民の間に「父権」の存続を計ったのではなかったこと、さもなければ、「父権」は君主的支配権がなくとも存続し得るものであることを認めざるを得まい。後者の場合、われわれの著者がどんなにうまく「父権」を証明しようと、君主的支配権の必然性を導き出す根拠にはならぬ。前者の場合、神が「父権」を、これなくしては如何なる権力も如何なる支配権も、成立しない程神聖なものとしていながら、他方、神が己れの選民の間に政治を授け、彼等の身分や彼等相互の関係について指導原理を与えていたにも拘らず、その彼等の間でこの眼目となる根本的な原則、最も重要で最も必要な原則が四百年後までかくされ、忘れられるにまかしてあったとは、実に不思議で、あり得ないことのように思われる。

一六六 この議論を終える前に一つ知りたいことは、われわれの著者はどうして、「神がある特定の者を王に選ぶ時、いつも、彼の子孫もその利益に与かるように意図した」ことを知ったのかという点である。自然の理法、あるいは、啓示がこれを定めているというのであろうか。それならば、神は同じ掟によって、子孫の中の誰が王位を継承するのかを定めなければ、即ち、相続人を指名しなければならぬ。そうでなければ、彼の子孫は、これを獲得しようとして、分裂し、支配権を争奪することになろう。いずれにしても、不合理で、これによって子孫に与えられたこの任命の利益は失われるであろう。神がこの意図を宣言したことを示す言葉が示されれば、われわれは神の意図はそうであると信ずる義務があるが、それがない限り、われわれの著者を神の意図の正しい紹介者と認めるためには、もっと有力な証拠が与えられなければならぬ。

一六七 われわれの著者は、「任命の言葉には父の名があげられているだけであるが、子孫も十分父の中に含まれている」と言うが、神は、アブラハムにカナンの地を与えた時(『創世記』第一三章一五節)、「彼の子孫」という文字も授与の中に入れることを適当と考えたのであった。同様な方法で、司祭の職は、アロンと彼の子孫に与えられたし、王位はダビデだけでなく、彼の子孫にも与えられたのであった。また、われわれの著者は、「神はある者を王に選ぶ時、彼の子孫もその利益に与かるように意図している」ことを信ぜさせようとしているが、神がその死後相続すべき子孫の名を与えずにサウルに授与した王国は、彼の子孫には伝わらなかったのである。神がある者を王に選んだ時、何故、士師に選んだ時以上に、彼の子孫がその利益に与かるように意図したのか、また、何故、王に与えられた「父権」は、士師に与えられたそれより以上に、「子孫」を含むのか、その理由を知りたいものである。「父権」は本来王に伝わるもので、士師には伝わらないものなのであろうか。授与されたものが同じ「父権」であり、授与の方法も、同じく神の選択による任命であったのであるから、この相異が名前以上にどこにあるか、その理由を示す必要があると思う。われわれの著者が、「神が士師達を登用し」という時、決して彼等が臣民によって選ばれたことを認めないだろうから。

一六八 しかし、われわれの著者は、神が父権の存続に一生懸命だったことを自信たっぷり説き、これをすべて聖書の権威の上に置こうとしているのであるから、彼が、神が特にいつくしんだことに何人も異論のないこのユダヤ民族によって父権の存続を計ったことの明瞭な例を、その法律、制度、歴史が主として聖書中に収められているユダヤ民族の中から、提供することを期待するのは当然と思う。そこで、この「父権」または、父の支配権がユダヤ民族の間で、彼等が一国民を形成するに至った時以来、どういう状態にあったかを調べよう。われわれの著者自身も認めているように、この父の支配権は、彼等がエジプトに来た時より其の地での虜囚から戻った時まで、二百年以上中絶されていた。これについで、イスラエル人が王を与えられるまでの四百年以上の期間についてのわれわれの著者の記述は甚だお粗末である。事実、この間、彼等の間には、父権、王権の跡はすこしも見られない。しかし、われわれの著者は、「神は、イスラエルに王を与えた時、父権支配に対する古い最初の直系相続権を再び確立した」と言う。

一六九 確立された「父権支配に対する直系相続権」がどんなものであるかは、われわれがこれまで見て来た通りである。今は、これがどの位続いたかということだけを考えると、それは、バビロン虜囚時代までの約五百年間であり、バビロン虜囚から六百五十年あまり、彼等がローマ人の手によって滅亡するまで、この「父権支配」に対する古い最初の直系相続権は再び失われ、彼等はこの権利を持つことなく、約束の地に一つの国民として続いた。従って、彼等が神の選民であった一七五〇年の中で、世襲的な王の支配権を持っていたのは、その三分の一にも満たない。そして、その三分の一の中、父権支配も、これに対する古い最初の直系相続権も、その痕跡が認められる期間は、一瞬間たりとてもない。これらの権利が、ダビデ、サウル、もしくは、アブラハムをその起源とすると考えるにしても、あるいは、われわれの著者の原理によって、唯一の源であるアダムから得られたと考えるにしても。