統治二論 後篇 社会政治の真の起源、限界及び目的に関する論文, ジョン・ロック

第十六章 征服について


一七五 支配統治の発生の起源は私が前に述べたもの以外にはあり得ないし、また、政治の基礎は国民の同意以外にはあり得ないのであるが、実際は野心によって世界に混乱が充満した結果、人間の歴史の大部分を占める戦争の騒ぎの中に、この「同意」という原理はほとんど顧みられない。かくて、そのために、多くの者が武器による暴力を国民の同意と間違えてしまって、征服が支配の起源の一なりと見做すのである。だが征服が支配の創設と縁遠いのは、言わば家屋を破壊することとその場処に新家屋を建設することとの相違に等しいのである。なるほど、征服が旧来の国家体制を破壊することによって、新国家体制への道を切拓くことはよくあることだ。だが、征服といえども、国民の同意がない限り、新国家体制を建設し得ない。

一七六 他人との戦争状態に身をおき、不当に他人の権利を侵害するような侵略者が、かかる不正な戦争によって被征服者に対する支配権を持つようになることは全く不可能である。このことは、強盗や海賊が力ずくで屈伏させるところの、いかなる相手に対しても支配権を持つとか、不法な暴力に強制され、無理やりに結ばされた約束を人々が守る義務があるなどと考えようとはしない人々によって、常にたやすく意見の一致を見る所であろう。強盗が私の家に押入って短剣を喉元につきつけ、私の財産を彼に譲渡すべき証文に署名させたら、このことによって彼はなんらかの権利を獲得するだろうか? 不当な征服者が私に征服を強いる場合、それはまさに剣をかざしてかかる権利を得るようなものである。危害、犯罪はそれを犯す者が王冠を載く者であれ、その辺のつまらぬ悪漢であれ、変りはない。犯罪者がどんな資格を持っても、いかなる多数の家来を従えていようとも、その罪はどこまでも罪で、ただその罪をいよいよ重くするだけである。ただ違うところは、大泥棒である王者が小盗人たる悪漢を己の膝下に服従せしめるために罰する点にある。しかもこれらの大泥棒はこの世では、正義をつかさどる弱き人々にとって余りにも強大にすぎ、そして罪人処罰権を自ら所有しているので、却って勝利の栄冠を以て報いられる。しからば、このようにして私の家へ侵入して来る強盗に対する私の救済策は何だろうか? 正義のために法律に訴えることである。だが恐らく正義が拒まれるか、あるいは私は既に不具にされて動けないのだ。それとも、強奪されてしまい、法に訴えるべき費用もないのである。もし神が救済を求めるあらゆる手段を奪い給うてしまったとすれば、残るのは忍耐のみである。だが私の息子は将来、出来れば、私が拒まれた法の救済を求めるだろう。彼かあるいは更に彼の息子が権利を回復するまで、訴えを繰返すだろう。しかし被征服者とその子供達には裁きの庭がない――現世には訴えるべき仲裁人がいないのである。そこで彼等はエフタ(訳註:エフタはイスラエル人とアンモン人との間の争いの裁きを神に乞う。『士師記』第一一章二七節)がしたように神に訴え、先祖達が生れつき持っていた権利、即ち大多数が是認し、自由に同意するような立法部を戴く権利を回復してしまうまで、その訴えを繰返すだろう。そんなことでは際限のない騒動がもたらされるだろうという反対論が出るなら、私はこう答える。否、この世で正義が訴え人にすべて公開されて、法の裁きが円満に行われている場合と同様に、際限のない騒動などは少しも起らないと。理由もなく隣人を困らせる者は、隣人の訴える法廷の正義によってその罪を罰せられる。また、神に訴える者は必ず自分の側に正義があるということを、そして、また、神に訴える手数とついえとをかけて争うだけの価値ある一つの権利をもつということを信じて疑わないに相違ない。そのわけは、神は人間が欺くことの出来ぬ法廷(訳註:神の前)で訴えに答え、誰でも人間が同胞に――即ち人類の中のいずれの部分にでも――危害を加えた場合、それに応じて必ず彼に報復なし給うからである。

かくて以上のことから不正な戦争において征服を行う者は、決して被征服者の服従と従順とを要求する権利を持たぬことが明かとなる。

一七七 勝利の女神は正当な側に与するとし、合法的な戦における征服者を考慮に入れて、彼の振う権力及びその相手を観察してみよう。

第一に、彼が征服によって、自分と共に征服に加わった者に支配権を振うことの許されないのは明かである。彼の側に立って戦った者は征服によって害を受けることはあり得ないのであって、彼等は少なくとも征服以前と同様に自由人でなければならぬ。そして大抵の場合、指導者に従軍する条件として、征服の剣に伴う戦利品やその他の利益の一部の分配に与かり、それを享受すること、あるいは少なくとも征服地の一部を自分達が受取ることが定められる。そして征服に加わる人々が、まさか征服によって奴隷となったり、彼等が指導者の勝利の犠牲であることを示すためにのみ、月桂冠を戴いたりすることはあるまい。武力を根拠とする絶対君主政治の創設者達は、かかる君主政治の設立に与かった英雄達を、ひどいドローキャンサー的人物(訳註:敵味方の差別なく斬りまくる乱暴者のいい)として取扱い、自分達が勝利を占めた戦闘に際して、己の陣営で戦い、征服を援助してくれ、屈伏せしめた国々の占有の分配に与かってもよいことを忘れている。英国王朝がノルマン王の征服において創設され、それによって、歴代の君主は絶対支配権を要求する権利をもつのだと言う人があるが、もしもそのことが事実であり(歴史をひもとけばどうもそうでないらしいのだが)、ウィリアムにこの国土に対して戦を挑む権利があったとしても、彼の征服による支配権は当時のこの国の住民であったサクソン人とブリトン人以外には及び得ないだろう。ウィリアムと共に来り、征服を援助したノルマン人及び彼等の子孫達はすべて自由人であり、征服の結果どんな支配権が生じたにせよ、征服による臣民ではない。従って、私なり、また他の誰でもが自由をノルマン人から由来するものとして主張することになれば、その反対意見を立証することは極めて困難だろう。且つまた、ノルマン人とサクソン人やブリトン人との間に差別を設けなかった法律が、彼等の自由や特権に相違があるなどということを考えていないことは明かである。

一七八 征服者達と被征服者達は決して合体して、同一の法律と自由の下に一国民を形成しないということ――そんなことは実際は稀れにしかないが、――を仮定して、次に、合法的な征服者が被征服者に対して持つ権力はいかなるものかを考えてみよう。それは全く絶対権力だと思う。征服者は、不正な戦争をすることによって生存権を喪失した人々の生命に対しては絶対権力を振い得るが、戦争に従事しない人の生命や財産に対して、また実際に戦争に従事した人でも、その所有物に対してはその権力を振うことは出来ない。

一七九 第二に言うべきことは、かくして征服者は己に対して行使された不当な暴力を実際に援助し、それに歩調を合わせ、あるいは同意した人々に対してのみ支配権を獲得するということである。即ち、国民は支配者に対して、例えば不正な戦争をするというような不正事を行う権力を委ねたことはないので(というのは、国民自身にそんな権力がなかったからである)、不正な戦争において行われるような暴力や不正については、国民は実際それを尻押しした程度以上に、罪を負わされるべきではないのである。それは丁度、支配者が国民に対し、あるいはその一部分に対して行使する暴力や圧迫に対して、彼等が罪を負うべきとは考えられないのと同じである。そのわけは、国民は誰も彼も不正な戦争をする権限も、国民に暴力圧迫を行使する権限も支配者に与えていないからである。なるほど、征服者はわざわざ差別を設けるようなことは滅多にせず、戦争の混乱に乗じて相手の誰も彼もすべてをひっくるめて、被征服者として包括することは望むところである。だがこのことは征服者の権利に一向変化を及ぼさない。けだし、一人の征服者が被征服者達の生命に対して支配権を振い得るのは、ただ彼等が不正を行ったり不正を維持したりするために暴力を行使したという理由に基づくのであるから、彼の支配権はその暴力の行使に協力した者共に対してのみ適用され得るのである。それ以外の人々には罪はない。彼は、その国の国民で自分に害を加えたことはなく、従って彼等の生命を保存すべき権利を喪失したことのない人々に対しては、支配権を持たない。それは丁度、他の国民で彼に害を加えたことも挑発したこともなく、公明正大な親交関係の下に生きて来た人々に対して、彼がなんらの支配権を持たないのと同じである。

一八〇 第三に征服者が正当な戦争において打負かす相手に対して振う権力は、全く専制的だということである。即ち戦争状態に身をおくことによって生存権を喪失した人々の生命に対して、征服者は絶対権力を振い得る。だがその際に彼等の所有物を自由に処分すべき権利、資格は与えられないのである。このことは世界の慣習に全く相反するので、たしかに、一見奇妙な学説に思われるに相違ない。国の版図について述べる際、これこれの人がそれを征服したと、まるで征服だけで無造作に所有権がもたらされたかのように言うのが最も普通に聞き慣れた言い方だからである。だが、強者や有力者のこのような慣習がいかに世界的に広く行われるにせよ、またいくら征服者の剣で切り盛られた条件には文句を言わぬことが、被征服者達の服従の義務の一部を構成するにしても、そういう慣習が正義の尺度となることは滅多にない。このことを考慮に入れたならば、私の言うことは奇妙ではなくなろう。

一八一 すべての戦争には、通常、暴力が加える損傷破壊が随伴し、侵略者が戦の相手の人々に対して暴力を行使する時、その財産に害を加えないことは滅多にないのだが、人を戦争状態に陥らせるのは暴力の行使によってのみである。けだし、暴力によって侵害を始めるにせよ、さもなければ、秘かに欺いて危害を加えてしまってから賠償を支払うのを拒み、暴力によってそれを押し通そうとすれば、それは最初に暴力によって危害を加えるのと同じことだから、いずれにせよ、戦争状態を発生せしめるものは不正な暴力の行使なのである。即ち、私の家をこじ開けて乱暴に私を戸外へ追出すにせよ、おとなしく入ってから力ずくで私を閉出すにせよ、することは事実上同じである、――私が訴えることが出来、相手も私も共に服従の義務を負うている、共通の裁き人が現世にはいない状態に二人があると仮定して。というのは、私が今述べているのはこんな状態についてだからである。かくて、ある人を他人との戦争状態に陥らせるものは不正な暴力の行使であり、その結果この罪を犯した者は己の生命を保存すべき権利を喪失すると言えるのである。何故なら、人と人との間の掟として与えられる理性を放棄して、獣の道たる暴力を行使すれば、その相手から、生存を脅かす野蛮な飢えた獣と同じように殺されるべき運命を免れないからである。

一八二 だが、父親の失策は子供達の過失ではなく、父親が残忍不正であっても、子供達は理性的であり、温順であり得るのだから、父親はその失策、暴力によって、ただ自分自身の生命を保存すべき権利だけは喪失することがあり得ても、子供達を自分の罪や破滅に巻込むことはない。自然は出来る限り全人類を保存せんとの意志を持つので、子供達の死滅を防ぐために、父親の財産を彼等のものとなるようにしてやった。従って父親の財産は、なお依然として、息子の所有物として存続するのである。けだし、彼等が戦争に加わらなかったとすれば、それが幼年、不在、あるいは自ら選んだ結果であれ、父親の財産を喪失するようなことは何もしなかったことになる。また征服者も、暴力によって自分の殺害を企てた者を服従せしめたという単なる権利から、その財産を奪取すべき権利は認められないのである。もっとも、征服者は戦争によって、そして自分自身の権利を擁護することによって蒙った損害を賠償せしめるために、恐らく、その財産の中の若干を要求すべき権利はあるだろう。それが被征服者の財産のどの程度までに及ぶものであるかは、今後徐々にはっきり分ってくるだろう。かくて、征服の結果、人間の身体を随意に殺害し得る権利が与えられても、その財産を占有し、享受し得る権利は許されないことが分る。即ち、侵略者が残忍な暴力を行使したからこそ、その相手方には彼を有害な動物として任意に彼の生命を奪い、殺害し得る権利が認められる。しかし、人が他人の財産を要求し得る唯一の根拠は、損害を蒙るということである。例えば、大道上で私を襲う盗賊を殺すことは出来ても、私には(それに比べてこんなことは可能性が少ないのだが)彼の金を奪って、罪は見逃してやるということは許されない。もしそんなことをすれば、私の側が強奪を行うことになる。盗賊は暴力を振い、身を戦争状態におくことによって、己の生命を保存すべき権利を喪失したが、私に彼の財産を奪うべき根拠を与えたわけではないのだ。それ故に、征服権は戦に加わった人々の生命にのみ及ぶもので、彼等の財産に対しては、蒙った損害と戦争の費用を賠償させるためにのみ許され、しかも罪のない妻子の権利は保留されるのである。

一八三 征服者の側に、想像される限りの多くの正義が認められて、彼が当然奪い取ることを許されるのは、被征服者が喪失する破目に陥ったものだけである。即ち、被征服者の生命は勝利者の掌中にある。そして、勝利者は戦争の償いをとるために、被征服者の使役及び財産を己が掌中におさめることは出来ても、彼の妻子の財産を奪うことは出来ない。彼等もまた、彼の持っていた財産を譲り受け、彼が所有していた地所の分配を受ける資格があったからである。例えば、自然の状態の下にある私が(すべての国家は相互間においては自然の状態にあるのだが)他人に損害を加え、しか賠償を支払うことを拒んだとすれば、私は戦争状態に陥り、不正に入手したものを暴力で擁護しようとしたために、侵略者とされる。そして私が征服されれば、なるほど、私の生命は罰として相手のなすがままにされる。だが私の妻子の生命は別である。彼等は戦争を行わなかったし、援助も加えなかった。私への巻添えで彼等の生命まで没収することは出来ない。彼等の生命は私が喪失すべき生命ではなかった。私の妻は私の財産に与かり、その分までも私が没収されることは出来ない。更に私の子供達もまた、私の身から生れたのであるから、当然私の労働と資産とから扶助を受けるべき権利があった。かくて問題はこうなる――即ち、征服者には彼が蒙った損害の賠償支払いを受ける資格があるが、子供達としても自分達の暮しのために父親の財産を受継ぐべき資格を持っている。母親の分前について言えば、彼女がそれを所有すべき資格が彼女の労働によって与えられたにせよ、または契約によるものであったにせよ、夫への巻添えとして、彼女の財産が没収されることは明かに出来ないことである。このような時にはどうしたらよいだろうか? 私は次のように答える。全人類が出来るだけ保持されるべきであるというのが自然の根本理法であるから、両者――即ち征服者の損害と子供達の扶養――を共に満足させるに足るだけのものがない場合には、当然、財産があり余っている人は十二分に満足な生活から幾分かを割愛して、それが無ければ死滅の危機にあるような人々の差迫った、優先的な資格に譲歩しなければならぬということになる。

一八四 だが、戦争の費用と損害とが征服者に対して最後の一銭まで償われるべきものとし、また被征服者の子供達は父親の財産すべてを奪われて、飢餓、滅亡の状態におかれてもよいと仮定しても、その理由から征服者に払われねばならなくなってくるものを、満足に仕払うということは、彼が征服する国を占有すべき権利を彼に与えかねるであろう。即ち世界中どこでも、全土が私有地となり、未開墾地のままである場所がないところでは、どんなに戦争の被害高が嵩んでも、それがかなりの広さの土地と同価値になることは滅多にないのだ。それに、私が敗北した為に征服者の土地を奪うことが出来ずして、それを奪わなかったとすれば、私の土地と、相手の土地の中で私が蹂躙した部分とが広さの点で大差なく、また耕作の程度も同じである限り、私が他にどんな略奪を征服者に対して行ったとしても、それがこの私の土地と同価値に見做されることは、まずあり得ないのである。通常行われ得る略奪はせいぜい大きく見積っても、一、二年の生産額を駄目にする位のものである(四、五年の生産額にまで及ぶことは滅多にないのだ)。貨幣とか、その他、奪取される財宝類はどうかと言うに、それらはいずれも自然のさちではない。それらにはきまぐれの、架空的価値しかない。自然は一切そのような種類の価値をそれらに与えてはいないのだ。それらは自然を標準として見れば、ヨーロッパ人に対するアメリカ土人の貝殻数珠や、以前のアメリカ土人に対するヨーロッパの銀貨のように、取るに足らぬものにすぎないのである。また五年分の生産物が駄目にされたとしても、それはその被害者が相手方のすべて私有地化され、少しも未開墾地が残されていない土地を恒久的に没収し得るに足る程の損害ではない。このことは、ただわれわれが両者を貨幣の架空的価値で評価することをやめれば、容易に是認出来るだろう。両者の不釣合は五対五百よりも大きいのだから。もっとも、住民が使用して使い切れぬ程の土地があって、誰でも自由に未開墾地を利用出来る国では、半年分の生産物はそのような土地の相続権以上の価値があるのだが、そこでは、征服者はその征服地を所有したいなどとは、まあ、思うまい。かくて、人が自然の状態において(すべての君主や政府の相互間におけるが如く)お互いにどんな損害を蒙っても、それによって征服者が相手の子孫から征服地を横領し、彼等と、そのまた、子々孫々が永代にわたって所有すべき相続権から、彼等を追い出す権力は与えられない。なるほど、征服者が自分を主人だと考えがちであるのに対して、己の権利について争うことが出来ないのが、まさに屈伏させられた者の有様である。しかし、それだけのことだったら、それは単に暴力のお蔭で強者が弱者に対して持つことの出来る種類の優越的権利しか与えない。最強者は何でも食指の向くものを要求する権利があるだろうというのも、この理由に基づくのである。

一八五 かくして、征服者は戦に際して自分の側に参加した者に対しても、被征服国民の中で自分に手向わなかった者に対しても、また手向った者でもその子孫に対しては、たとえ、その戦争が正当であっても、征服したということによっては支配権は与えられない。彼等被征服民は彼に対するどんな服従からも免れ得る。また彼等の以前の政府が瓦壊すれば、勝手に自分達のために別の政府を創設して構わないのだ。

一八六 なるほど、征服者は通常彼等に対して暴力を振い、彼等の胸に剣を突きつけながら、自分の条件に屈伏し、自分が与えたいと思う支配に服従することを強制する。だが、いかなる権利によって彼がそうするのか伺いたい。もし彼等は彼等自身の同意を与えた上で服従するのだと言うなら、彼等に対する征服者の支配権に根拠を与えるためには、彼等自身の同意が必要であるということを認めることになる。ただ、正当な権利もなく力ずくで無理に結ばせた約束が同意と見做され得るか、またそれがどの程度の拘束力を有するかが、なお考慮すべき問題として残る。これに対して私はそれが全く拘束力を有しないと答えよう。何故なら、他人が私から暴力を用いて何を得ようとも、私にはなお、それを所有すべき権利があり、相手は即座にそれを私に返還せざるを得ないからだ。即ち私から馬を強奪する者は即座にそれを私に返還すべきであり、私にはそれを取戻すべき権利があるのだ。それと同じ理由から、私に強制的に約束を結ばせる者は即座にその約束を解消すべきである――即ちその約束を履行すべきか否かの選択権は私にあるのだ。けだし、自然の理法はその規定する法則によってのみ、私に義務を課するのであるから、その法則を破って私に強制することはあり得ないのである。そんなことをすれば、それは私から何かを力ずくで強奪することになる。また、相手が「しかし、貴様はそう約束したんだ」と言い張っても、この問題に少しも変化はない。それは丁度、泥棒が私の胸にピストルを突きつけて財布を要求する時に、私が手をポケットに入れ、それを自分で泥棒に引渡したとしても、暴力を許すことにも、権利を譲渡することにもならないのと同じである。

一八七 以上から推して、当然次のことが言えよう。即ち、征服者が力ずくで被征服者に押しつける支配は、不当な戦争をしかけられて征服された者にと、征服者側に戦争をする正当の理由の存する戦争において、敢て抗戦しなかった被征服者に対しては、なんら拘束力を持たないのである。

一八八 だが、共同社会の全員はすべて同一国家に属する国民である以上は、彼等が屈服したあの不正な戦争にすべて参加したと見做され得るし、彼等の生殺与奪の権は征服者に握られている、と一応仮定して見よう。

一八九 これは未成年期にある彼等の子供達には関係しないのだ。というのは、父親は自らは彼の子供の生命、自由を支配すべき権力を持たぬから、父親がいかなる行為を行ったとしても、それによって息子の生命、自由が没収されることはあり得ないのだ。それ故に、父親の身にどんなことが起っても、子供達は自由人であり、征服者の絶対権力も彼に打負かされた人々の身体以上には及び得ないし、彼等の死と共にその権力も消滅する。もし征服者が彼等を奴隷として残して、絶対専制権力下に支配しても、彼等の子供達にはかかる支配権は行使し得ない。征服者は子供達に対しては、いかなる言行を強いても、彼等自身の同意を得なければ、支配の権力を一切もたぬ。自由な選択を許さず、暴力によって服従を強制する限り、その権威を合法化することは出来ないのである。

一九〇 各人は生れながらにして二重の権利を有する。その第一は、自分の身体に対する自由権であり、それによって他人は誰も自分の身体を支配することは出来ず、その自由な処分権は彼自身にある。第二は、他人よりも先んじて兄弟と共に、父親の財産を相続すべき権利である。

一九一 その第一の権利によって、人間はある政府の管轄下にある場処で生れても、自然本来には、その政府への隷属から免れている。だが自分の生れた国の正統な政府を否認すれば、それが先祖の同意によって設立された政府である限り、その政府の法律によって自分に属していた権利と、その国で先祖から伝わる財産を、彼は放棄せねばならぬ。

一九二 第二の権利によって次のことが定められる。即ち、いかなる国の住民においても、被征服民たる彼等の先祖が、ある一つの支配を彼等の自由な同意に反して強制されたとし、そのような先祖から財産相続権を得る場合、彼等はかつて暴力を用いて苛酷な条件をその国の土地所有者達に課した支配当局に不本意ながら同意を与えるとしても、当然先祖の財産を保有すべき権利があるのだ。というのは、最初の征服者にはその国土を占有すべき資格がなかった。従って国民はかつて強制的にある一つの支配の桎梏しっこくに屈すべく強いられた人々の子孫であるか、それらの人々の支配下にあって今権利を主張しているか、いずれにせよ、彼等の支配者が彼等を彼等の好んで同意する如き政体の下におくまでは、彼等には当然、その支配の束縛を断ち切り、武力によって自分達にもたらされた簒奪と虐政から免れるべき権利が常にあるのだ。古代ギリシャ人の子孫たるギリシャ正教徒は、あのように長い間トルコ人の桎梏しっこく下に呻吟して来たが、機会が来ればいつでも、彼等がその羈絆きはんを脱することは正当であることを誰が疑うか? なんとなれば、いかなる支配も、それに同意を自由に表明しなかった国民から服従を求める権利をもち得ない。しかし、自分達の支配と支配者とを選択し得る完全なる自由の状態に至るか、あるいは少なくとも自分達自らで、または代表者達の手を経て、自由な同意を与えた上での恒久的な法律が制定されるに至らねば、そのような同意を彼等が与え得るとは考えられない。またそれには、彼等が正当な私有財産を是認され、それによって自己の財産の所有主となり、自分達自身の同意がなければ誰もその一部たりとも奪うことが出来ぬようにする必要がある。それがなければ、どんな支配の管轄下にある人も、自由人たる状態にあるどころか、戦争の暴力に屈伏せしめられた正真正銘の奴隷に他ならないのである。

一九三 だが仮に正当な戦争における征服者が被征服者の身体を支配し得るばかりでなく、彼等の財産を占有すべき権利をも持つとしよう。実際はそんな権利がないことは明かなのだが、もしそう仮定したところで、いかに彼の支配が続いても、絶対権力というようなものはなにもこのことから生じて来る筈がない。何故なら、これらの被征服者の子孫達はすべて自由人であるから、征服者が彼等にその国に住むために(住民なくしては、国は何等の価値もないだろうから)、地所、財産を許し与えるならば、与えられたいかなるものに対しても、それらが与えられる限り、彼等は所有すべき権利があるのだ。そして私有財産に関しての自然の理法とは、人間は自分自身の同意を与えない限り、それを取られることはあり得ないという点にある。

一九四 彼等の身体は自然の権利によって自由とされている。また彼等の私有財産は、その多少に拘らず、彼等自身のものであり、彼等自身で自由に処分し得るのであって、征服者の自由にはならない。さもなければ、それは私有財産とは言えぬだろう。征服者が一人の男には千エーカーの土地を与えて、彼とその相続人の永代使用を許し、今一人の男には千エーカーの土地を年五〇ポンドないし五百ポンドの小作料で、その一代限り貸すとする。この際、一方はその千エーカーの土地を永久に所有し、他方は上記の小作料を支払って自分の一生涯所有すべき権利があるのではないか? また小作人は労働と勤勉とによって上記の期間中、小作料以上に超過して稼げば、それが小作料の二倍に達しても、一生それを所有すべき権利があるのではないか? あるいは王や征服者が一度授与しておきながら征服者たるの権力を楯に取って、一方の永代所有者の相続人から、また他方小作人が生存中、しかも小作料を払っているのに、両者いずれかの土地の全部あるいは一部を没収するようなことが出来ると誰が言えるだろうか? もしくは、征服者は両者いずれかから、彼等が上記の土地の上で儲けた財貨を勝手に没収することが出来るだろうか? もしも征服者に以上のようなことが出来るとすれば、すべての自由な任意契約は停止して、世間に通用しなくなるだろう。またいつでもその契約を解消させるには、権力を十分に握っておりさえすればよいことになり、勢力家の与える許可、約束はすべて愚弄的行為、なれ合いの詐欺行為にすぎぬものになろう。即ち「私はお前とお前の子孫達にこれを永久に与えよう。しかもそれには案出し得る最も確実且つ厳粛な譲渡方法を用いよう。だが明日でも気が向けば、また、それを取戻すべき権利が私にあることを理解してもらいたい」と言う程馬鹿げたことはあり得るだろうか?

一九五 私は今ここで、君主がその国の法律を免れ得るか否かを議論しようとは思わないが、君主が神と自然の理法に服従すべき義務があることだけは信じて疑わない。いかなる人も、いかなる権力も、その永遠の理法の義務を免れることは出来ぬ。この義務は約束の場合には特にその拘束力が強大であるので、全能の神さえも約束の絆には縛られ給うのである。授与、約束、誓言は万能の神をも拘束するところの羈絆きはんである。現世の君主達に対して追従者が何を言おうとも、彼等君主が全部一緒になり、国民をすべて自分達に結び付けたところで、偉大なる神と比較すれば、言わば、バケツの中の水滴、秤にかけられた塵埃の如きものにすぎず――取るに足らぬもの、否、無でしかないのだ!

一九六 征服における事の概略は次の通りである。正当な戦争における征服者は自分に対する抗戦を実際に援助し、またそれに歩調を合わせたすべての人々の身体に専制権力を振い、自分の損害と費用を彼等の労働と財産で埋合わすべき権利を持っている。もっとも、それには、彼が他の誰人の権利をも傷つけなかったという条件が要る。だがそれ以外に、国民の中で戦争に同意を与えなかった者や捕虜の子供達に対して、更に両者いずれの財産に対しても支配権を振うことは出来ず、従って征服によって彼等に関する支配の合法的な資格を自ら得ることも、子孫のためにそれを獲得してやることも出来ない。もし征服者が彼等の財産に手を出せば侵略者である。そして、そのために己を彼等に対して戦争状態に陥らしめる。そして、彼やその後継者達は、ヒンガーやハッバ等のデーン人がイギリスにおいて持ったような、またスパルタカス(訳註:紀元前一世紀のトラキア生れの決闘士、いわゆる奴隷戦争にローマを攻め、敗死す)がイタリアを征服したとすれば、彼がそこで持ったような、碌でもない君主権と変りなく、その隷属下にある人々に神が機会を与え給えば、直ちにその羈絆きはんは解き放たれてしまう運命にあるのだ。それ故に、アッシリアの王が武力によってユダに対しどんな権限を持っていたにせよ、神はヒゼキヤがその征服帝国の支配を脱するのを援助し給うたのである。「エホバはヒゼキヤとともにいきましたれば、彼はその行くところにてすべて幸を得たり。彼はアッシリアの王に叛きて、これに事えざりき」(『列王紀略下』第一八章七節)このことから明かに次の如くに言えよう。正当な権利によらず、暴力によって課せられた権力を振り切ることは、叛乱と呼ばれても、神の面を涜す罪ではない。そして、約束や契約が暴力によって結ばれ、それらが介在して障りをなしていても、このことは神が是認し、奨励し給うところである。けだし、アハズとヒゼキヤの物語を気を付けて読めば、アッシリア人がアハズをたいらげて彼を王位より退け、父親のアハズの存命中、息子のヒゼキヤが王となったこと、そして、ヒゼキヤが合意の上でアハズに敬意を表し、この時まで貢を納めていたということは極めて蓋然性に富んでいる。