どこでもよくある事だが、当時も矢張り上流の社会は、宮中や大舞踏会などでこそ一緒になっているけれど、裏の方では幾つかの団体に別れて、それぞれ独自の陰影を帯びていた。その中でもルミャンツェフ伯爵やコレンクール(アルマン・オーギュスタン・ルイ・ド・コレンクール(一七七三年-一八二七年)。フランスの貴族、軍人、外交官。大使としてロシアへ派遣されアレクサンドル一世と親交を深める。ナポレオンのロシア遠征に強く反対したことで知られる。ボロジノで戦死したオーギュスト・ジャン=ガブリエル・ド・コレンクールは弟。)など、ナポレオン党のフランス組が一番盛大であった。エレンは良人と共にペテルブルクに居を定めるや否や、このサークルの中で一番目覚ましい位置を占めた。フランス大使館の人々や、この派に属している人達で、利口で如才ないと言う評判の高い連中が、絶えず彼女の許に出入りしていた。
エレンは有名な両皇帝会見の際エルフウルトに行っていた。そして全欧州でも名声赫々たる、夥多のナポレオン党と近付になって、この地から帰って来たのである。エルフウルトにおける彼女の成功は華々しいものであった。ナポレオン自身も劇場で彼女の姿を認めて、C'est un superbe animal(あれは実に美しい動物だ)と言った。艶麗優雅な婦人としての彼女の評判は、別にピエールを驚かさなかった。なぜと言って、彼女は年と共に、前にも増して美しくなって行くからであった。しかしこの二年間に彼の妻が d'une femme charmante, aussi spirituelle que belle.(美しいと同じ程度に賢い美人)という評判を勝ち得たのは、ピエールも呆れてしまった。
有名なリーニュ公爵は彼女に八頁からの手紙を送った。ビリビンは十八番の警句をば、ベズーホヴァ伯爵夫人の前で封切りするために、大切に蔵って置いた。ベズーホヴァ伯爵夫人の客間へ通されるという事は、聡明の証書のようなものであった。エレンの夜会に出る若い人達は、話題を拵えるために予め本を読んで行った。大使館の秘書官ばかりか大使自身まで、彼女に外交機密を打ち明けた。それ故エレンは或る意味において一種の力であった。彼女の極めて愚鈍な事を知っているピエールは、政治、文学、哲学などの語られる妻の夜会や舞踏会で、奇妙な怪訝の念――時として恐怖の念さえ感じるのであった。彼はこういう夜会の席で、今にも自分の種が見破られはしないかと心配する、手品師のような心持ちを経験した。しかしこんな夜会の催しに愚鈍というものが必要なのか、それとも欺かれている人達が欺瞞その物に快感を覚えるのか、とにかくこの手品は見破られなかった。で、d'une femme charmante et spirituelle(美しい怜悧な婦人)という評判が、もうしっかり固定してしまったので、彼女がどんな酷い俗な馬鹿馬鹿しい事を言っても、一同はその一語一語に随喜して、彼女自身考えもしなかったような深い意味を、その中から探し出すのであった。
ピエールはこうした華々しい社交婦人に入用な、うってつけの良人であった。彼は単に客間の上品な調子を傷つけないばかりでなく、妻の優雅な如才ない態度に全然反対な動作を以て、彼女のために有利な背景となっていた。彼はつまり少しも他人の邪魔にならぬ、そわそわした、変人の grand seigneur(お殿様)であった。ピエールはこの二年間絶えず形而上的興味にのみ没頭して、その他のすべてに対して心底から軽蔑の情を抱いていたために、自分に取って何の興味もない妻の仲間に交ったとき、人為的には到底獲得する事の出来ぬ、万事没交渉な、投げっ放しな、その癖、親切な調子を自然に体得した。その人為的でない所が知らず識らず、他人に尊敬の念を起こさせるのであった。彼は芝居にでも入るような具合で、妻の客間へ入って行った。そしてすべての人を知っていて、すべての人に一様に愛想よく、そしてまたすべての人に一様に冷淡であった。
時とすると、彼は自分の興味を感じた会話に、仲間入りをする事があった。そんな時は席上に大使館付の人達がいようといまいと、そんな事には頓着なしに、どうかするとその場の調子に全然不似合いな意見を、口重そうに述べ出すのであった。しかし la femme la plus distinguée de Pétersbourg(ペテルブルクで最もすぐれた婦人)の良人たる変人の評判は、もうちゃんと定まっていたから、彼の突飛な言行を真面目に取るものは一人も無かった。
毎日のようにエレンの許へ通う若い人々の中に、ボリース・ドルベツコーイが居た。彼はもう勤務の方で目覚ましい成功をしていたが、エレンがエルフウルトから帰って来てからと言うものは、ベズーホフ家における最も近しい人であった。エレンは彼を mon page(私の小姓)と呼んで、まるで子供扱いにしていた。エレンの彼に対するほほ笑みは、すべて他の人に対するものと同じであった。けれどどうかするとピエールは、このほほ笑みを見るのが不快であった。ボリースは一種特別な恭しい、愁わしげな尊敬の色を浮べて、ピエールに応対するのであった。この尊敬の色も矢張りピエールに不安を感じさせた。ピエールは三年前、妻に与えられた侮辱のため、ああした苦しみを嘗めているので、今度はそうした侮辱の可能を防ぐために、第一の方法として、自分はエレンの良人でないと考え、第二には、そんな疑惑を起こさないように努めたのである。
『いやいや、エレンはもう bas bleu(青靴下)(知的な女性を軽蔑的に指す言葉。十八世紀のロンドンで行われていた「青靴下の会(Blue Stocking Society)」と呼ばれる軽装の女性を中心とした文学討論会の名前に由来する。当時は黒のシルクの靴下が正装、「青靴下」と呼ばれる灰色のウーステッドの靴下が軽装と見なされていた。)になったんだから、以前のような耽溺を永久に放ってしまったんだ』と彼は考えた。『青靴下が情熱的な耽溺に陥ったなんて話は聞いた事が無いからなあ』どこから抽き出して来たか知れない、こんな定義を繰り返して、無条件にそれを信じてしまった。しかし不思議な事には、ボリースが妻の客間に居合わすという事は(しかも彼はほとんど常に居合わせた)、生理的にピエールに働き掛けた。彼は四肢をすっかり縛りつけられて、動作の自由と無意識性を失ったような気持ちがした。
『実に妙な反感だ』とピエールは考えた。『元はあの男が大変気に入ったくらいだったのになあ』
世間の目に映ったピエールは大富豪で、有名な婦人の良人――幾分目の見えぬ滑稽な良人で、賢い変人で、そして何もしない代わりに誰の邪魔にもならない、愛すべき好人物であった。けれどピエールの心の中では、この間に複雑で困難な内部成長が行われていた。この内的変化は彼に多くのものを啓示し、多くの疑惑と歓喜を齎したのである。