科学的世界把握――ウィーン学団, オットー・ノイラート

序文


1929年の初頭、モーリッツ・シュリックは、ボン大学から非常に魅力的な招聘を受けた。少し迷った後、彼はウィーンに留まることを決めた。彼も、そして私たちも、このとき初めて、科学的世界把握の方法を共同研究によって発展させる、「ウィーン学団」とも言うべきものの存在をはっきりと意識したのである。このサークルは確固たる組織を持たず、同じ科学的な基本的態度を持つ人々から構成されている。個々のメンバーは自発的に参加し、全員がこの結びつきを重視しており、誰も突飛なことをして協力関係を壊そうとはしない。多くの点で、一人のメンバーは誰でも他のメンバーの意見を代表できるし、一人のメンバーの仕事を、他のメンバーがさらに発展させることもできる。

ウィーン学団は、同じ方向性を持つ人々と連絡を取るよう努め、学団の外にいる人々にも働きかけるよう努力している。エルンスト・マッハ協会との共同研究は、この努力の現れである。この協会の会長がシュリックで、幹部の多くがシュリック・サークルに所属している。

エルンスト・マッハ協会は、経験哲学協会(ベルリン)と共同で、1929年9月の15日と16日にプラハで、同時期に開かれるドイツ物理学協会とドイツ数学協会者連盟の会議に並行して、精密科学の認識論のための会議を開く。その会議では、個別の専門的問題のほかに基礎的な問題も議論されるはずである。この会議の日程にあわせて、科学的世界把握のウィーン学団についてのこの冊子も刊行されることになっている。モーリッツ・シュリックは、1929年10月にカリフォルニアのスタンフォード大学の客員教授から戻ってくるが、この冊子は、彼がウィーンに留まってくれることに対する感謝と喜びのしるしとして献呈するものである。この冊子の第二部には参考文献表が含まれているが、これは学団のメンバーたちの協力によって編集された。この文献表によって、ウィーン学団の参加者や、あるいはそれに近い立場の者の従事する問題領域が概観できるはずである。

ウィーン 1929年8月

エルンスト・マッハ協会を代表して
ハンス・ハーン
オットー・ノイラート
ルドルフ・カルナップ


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